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はてなキーワード: ストレートとは

2023-06-19

anond:20230619001702

トイレ風呂の話をするとき見た目の問題になってしまうだけで別にゴツい女の人がいること自体はなんとも思わないし別の話だと思う

ストレート趣味女装してる男の方が犯罪係数は高めだろうけど、結局ぱっと見わからなければトイレ入れてしまうんだし

2023-06-18

anond:20230618120854

引用先は綺麗事カルト信者有害な連中がアライ。ケモフレではない。

アライ(Ally)とは?

アライ(Ally)とは、LGBTQ +当事者たちに共感し、寄り添いたいと考え、支援する人のこと。「味方」や「仲間」、「同盟」を意味する英単語ally」が由来で、正式にはストレートアライ(Straight Ally)という。「LGBTQ +フレンドリーな人」と類似した意味を持つが、「アライ」は「フレンドリー」よりさらに一歩進んで、より積極的支援してくれる人、例えばLGBTQ +の社会的地位向上や権利擁護平等の達成のための運動などに協働してくれる人を指す。

アライのはじまりは、1988年米国高校ストレート異性愛者)の生徒によって作られた、「ゲイストレートアライアンス(GST)」というクラブサークル)だと言われている。LGBTQ +の人々を支援し、同姓愛に対する嫌悪偏見を解消を促す彼らの活動ストレートアライアンス(Straight Alliance)が広がり、それを支持する人がアライと呼ばれるようになった。

https://ideasforgood.jp/glossary/ally/

2023-06-17

下書き

書き直し。

ダラダラと、曲への思いを書きました。谷川俊太郎の詩による合唱曲ふたつ…曲:三善晃「生きる」と曲:木下牧子ネロ」についてのとても個人的な感慨。最初の方、書けなくて意図的主語を拔いてるので読みにくくてすみません。ていうか、無駄に長いので読まなくていいですごめんなさい。

 

全部谷川俊太郎って演奏会明日やるんだけど、中の2曲が自分経験に強く結びついててちょっとだけ抱えるのがしんどい

「生きる」と「ネロ」。

 

去年の夏、子供誕生日にお祝いを頂いたのでお礼の電話をした。子供からもお礼を言って、その時に「また遊びに行くね、今家族で音取りしてる曲があるんだ、遊びに行ったらみんなで歌うから聴いてね」なんて言っていた。

 

数日後、会社仕事をしていたら人事から電話があった。なんだろうと出てみたら配偶者から代表電話にかかったのを取り次いでくれたのだった。

数日前に電話したばかりなのに、亡くなったのだと聞かされた。家事支援ヘルパーさんが発見してくれたということだった。電話を切ってから自分携帯を見ると配偶者からたくさん着信があったとわかった。

会社は早退して駆けつけた。

 

病院ではなく自宅でだったので、そのあと警察署手続きやら葬儀社の互助会書類探しやらで、気がついたらその日にあった合唱団練習は無断欠席していた。

 

 

諸々落ち着くまで合唱団練習は一ヶ月ほどお休みした。

復帰してはじめての練習に行ったら、新曲が始まっていた。

「生きる」だった。

ちゃんと予習してなかったのでぶっつけでの参加だったけど、タイトルからして親しい身内を亡くしたばかりの自分には重そうだなあ、そんなことを思いながら歌い始めた。

 

うちの団はパート練習はなくて、音取りは自力でできるのが前提なのだけど、実は私にはそこまでの力はない。♯や♭が多くなりリズムが複雑になるとキーボードを叩くのもたどたどしく実用性がない。その代わり楽譜を見ながらの耳コピは割と速いので、既に歌えている周囲を聴きながら声を出していった。

曲は「生きる」。まあ、三善晃だし、ソプラノはそんな難しくはない(難しいけど)。 

 

……谷川俊太郎の詩によって、「生きているということ」がどんなことか、語られていく。

それはのどがかわくということ

木もれ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること

孤独を感じる曲に影響されてか、詩の内容が全部亡くなった人を思い出させる。のどの渇きも、木漏れ日の眩しさと、くしゃみが出そうなムズムも、亡くなってしまった人は感じないことだ。だけどほんの少し前には感じていたのだ。あの人も。

本来の詩とは少し違うが、合唱歌詞としては

くしゃみをすること、手をつなぐこと

あなたと、あなたと手を…あなたと、あなた

と続く。

くしゃみをすること」までは生きていること一般の話だったのが、急に、自分の手と存命中のあの人の手をつなぐイメージにおそわれて、───しかし私は一度も手をつないだことはなかった、これからも、もう決して手をつなぐことはないのだ……。

 

これから介護があるのだろうとぼんやり思っていた。長生きの家系から、私の今後15年程は、あの家で、あの人と身体をふれあわせて暮らすのだろうと思っていた。

そうはならなかった。

寂しがりなところがある人だったから、一緒に住みたいとおそらく願っていたと思う。

そうはならなかった。

私が選ばなかったからだ。選ばないまま、亡くなってしまたからだ。

私は亡くなった人と手をつないだことがない。

 

曲はまた、「生きるということ」のいろいろな姿を歌っていく。自然科学芸術や…歌詩に出てくるミニスカートは何かな、生命力?若々しさ?を歌う。

それら美しいもの出会うということ。

あの人はもう、新しく美しいもの出会うことはできない。最後電話で話した、子供たちの歌にも出会ってもらえないままになってしまった。

 

「生きる」というタイトルなのに、谷川俊太郎の詩は死が匂う。

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこが揺れている、揺れているということ

いま、いまが過ぎてゆくこと

不穏な曲調で産声や兵士の傷が突きつけられ、それをぶらんこの往復運動が包み込み、ただ時間が過ぎる静けさに着地する。

生も死も同じ時間の中にある。

 

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ

人は愛するということ

生き物の、自然の、あるがままの姿を歌った流れで「人は愛する」なんて、谷川俊太郎ずるいよね。あぁそうなんだと思わされる。

もちろん、愛さない人もいる。羽ばたかない鳥も轟かない海も這わないカタツムリ存在する。けれどできてない個体のことは今は措く。

それができている個体はなんと尊いことか。生きるということの意味を、「人は愛するということ」ととらえられる、かもしれない。もし私が愛さな人間でも、愛する可能性がある希望

 

そして曲はまた、

あなたの手の

あなたの手のぬくみ

いのちといういのちということ

生きるという生きるということ

あなたの手」に戻ってきて、命とはなにか、生きるとはなにか問いかけるように終わる。

 

私が繋がなかった手のぬくみ。

永遠に失われ、想像上にしか存在しない温かさ。

 

 

一人暮らしだった家は空き家になった。夏のことで、風を通したり、植木鉢やあとから頂いた供養の花に水やりをしなければならず数日おきに通った。

空き家にはピアノがあり、風通ししている間の時間で音取りをした。難しい音階を苦労して弾いた。

子供が小さい頃みんなで遊びに行くと、いつも初見でなんでも伴奏を弾いてくれたあの人がいたときのままの部屋で。ピアノには練習していたらしい楽譜が開きっぱなしだ。胸が苦しい。

  

亡くなった直後のショックや悲しみは今は薄れている。

でも練習で歌うたびに、空き家に風通しに行くたびに、拙く練習したのが思い出される。

去年の夏の、古い家特有の湿り気のある空気やあまりワット数の高くない蛍光灯の薄暗さ。

今日リハーサル明日が本番だから、終わったらしばらく歌うことはなくなる。

もう去年の夏を思い出すこともなくなるのか、いや曲を聴くたび一生思い出すのか…。

 

 

ネロ」も練習復帰後すぐに始めた曲だ。

これはまた、ストレートな死の歌で、主人公の「ぼく」が子犬の「ネロ」を亡くした経験を歌っている。

しか

ネロ

もうじきまた夏がやってくる

(中略)

おまえはたった2回ほど夏を知っただけだった

と、「夏に親しい者を亡くす」という、私の経験ととてもリンクするシチュエーションなのだ

 

主人公は「もう十八回の夏をしっている」とあるから若者だ。それは私とは違うけれど、私の子供たちとはとても近い。

何でもかんでも自分関係があるように捉えるのは無理筋ではあるけれど、私にはこの曲はうちの子たちが別れをどう受け止めたのか、の追体験のif…みたいに感じられる。

 

今、6月だ。もうすぐ本格的な夏が来る。

ネロ

もうじき又夏がやってくる

しかしそれはお前のいた夏ではない

又別の夏

全く別の夏なのだ

去年の演奏会には来てくれた人が、今年はもういない。

お盆あたりには親戚が集まっていたあの家で、今年は新盆をどうしようか、コロナもまだ猛威をふるっているから集まるのは無理だろうか。

去年の夏、せっせと通って水やりをした植木鉢も、一年草はみんな枯れて、鉢から抜いてゴミに出して、鉢も片付けてしまった。

 

曲は、しか喪失を嘆くものではない。疾走感とともに「新しい夏」の到来、「新しいいろいろのことを知ってゆく」ことを歌う。

たびたび出てくる「知る」という営為

そして僕は質問する

いったい何だろう

いったい何故だろう

いったいどうするべきなのだろうと

主人公は何を知りたいのだろう?

なぜネロは死んだのかを?

なぜ生あるもの死ぬ定めなのかを?

私にはそんな凡庸な問いしか想像できないが、案外それも全くの的外れでもない気もしている。

 

詩のなかで飛び飛びに3連に渡って繰り返しネロを思い起こし、

ネロの声や「気持ちまでも」が「はっきりとよみがえる」。

それは死せるネロとともにあるようだけれど、決して停滞ではない。ネロを胸に抱いたまま、

しかネロ

もうじき又夏がやってくる

新しい無限に広い夏がやってくる

そして僕はやっぱり歩いてゆくだろう

新しい夏を迎え 秋を迎え 冬を迎え

春を迎え 更に新しい夏を期待して

そこには若さがある。喪失を抱えていても新しいもの貪欲に取り込む力強さ。

(願わくはうちの子たちもそうあれかしと思うけれどそれは親のエゴというもの、彼らには彼らの受け止めかた、歩みかたがあろう…)

 

私自身は、「全く別の夏」というところからまだ身動きできないでいる。

冬場からこち空き家に通う頻度も減ったが、また雑草の伸びる季節になって、草を引くたびに「この家を高齢でよく維持していたものだ」と感慨にふける。

家の中はまだ手つかずで存命の頃と何も変わらない。カレンダー書き込みもそのまま。去年、子供誕生日のお祝いを送るためのメモ書きも、電話の横のメモ帳にそのままある。ただ留守を預かっているだけ、という感覚から動けない。

それなのに全く別の夏が来てしまう。記憶が上書きされてしまうのが切ない。感傷だ。感傷だが、血縁ではない私とあの人は、客観的に見ればけっこう長い年月、長い時間を一緒に過ごしていたわけだ。

まだもやもやと引きずってはいくけれど、そういうものなんだろう(ああ、しょうもないまとめになってしまった)。

 

 

(「あの人」と書いているのは配偶者の母ですが、普通に表記するとちょっと生々しくて書けなかったので…表記距離を置かないと吐き出しにくい)

 

引用の詩は曲のために繰り返しなどの改変があり、オリジナルと少し違っています

2023-06-15

自意識自己愛デカければデカいほど良いと思うし、自己批判もいいけど自己弁護だって存分にすればいいと思う。

でもそれがルサンチマン的なものに向かってる人は好きではない。

自分にとって不快他人の行いを実際に止める事はできなくて、でもそのままじゃ悔しいか負け惜しみを言う感じ。

自分なりの道徳をこさえてみて、それにそぐわない他者は劣っている。そうする事で自分自分をマイ道徳的に高めて溜飲を下げる。

普通は(実際にそれが「普通」かどうかは……)こうあるべきなはずなのに、そんな事もわかんないの?バカなの?

ワタシは当然そんくらいの分別はついてるけどね。

そんな事も分からないなんてカワイイね♡お子ちゃまでちゅね~♡なんて毒づいてみるけど、現実相手の行いや態度を変える事なんて出来やしない。

そんな感じのルサンチマン感情

もっとストレート自分はこうしたいんだ、テメーらなんか知るか死ね、くらいでいいじゃんって思う。

勝手にこさえた「常識」や「普通」なんかに頼らず、自分の味方くらい自分でしてあげればいい。

ビューティコロシアムという番組を知ってますか?

あの番組に出てくるブスが虐げられるエピソードの数々は作り話だという声も上がっています

私は実際に体験しています。作り話どころかあれが四六時中、日常茶飯事に起きます

街を歩いていて職場でもスーパーでも、見知らぬ人や店員からキモイと言われたり、邪険だったり嫌な言動をとられます。老若男女です。

幼少期を見返すと幼いころから周りとは少しレベルの違う造形で、成長するごとに骨格も成長してそれが顕著になったのだと思います

親に相談しても普通の顔であると言うのですが、その癖私の顔を見ては吹き出すように笑ったりしています

兄に相談すると顔の原因もあるだろうと認めます

5歳の甥は子供故のストレートさで、じっと観察しては笑ったり「きもちわる!」「うんこまん」「さる」といった言葉ストレートにぶつけてきます

かなりの中年なのにフルタイムで働くこともできていません。

生きる理由が本当に一切ありません。

2023-06-13

anond:20230613154740

そう、そうなんだけどこれはストレートすぎる

もっと大義とか正義があるような感じでやらないと

共感は得られないと思う

あと実際に権威を叩きのめしてるところを見せないとだよね

anond:20230613073655

知りたい… とストレートに切り込むスタイルを詳しく解説しよう。

よくある「知りたい」といいながら「お前らおかしいだろ」と言いたいだけの卑怯者。

自分の考えを微塵も変える気のないやつ。

「知りたい」と質問体裁を取ってる以上、答える側はストレートに自説を教えるだけでいい。

おかしいだろ」と言い放ちたいだけなら建前上の譲歩を見せる必要はない。

卑怯どころか、歩み寄る優しさがそこにはある。

逆に「考えを変える気」を要求しつつ、対人論法攻撃して話を逸らす卑怯者は、あなただ。

正面から答えられるほど自信がないのを自白してるだけなのに気付かないアホは、滅多に見ない。

質問する側は下手に出て卑屈になって、答える側が高圧的に指導して気持ちよくなってる構図。

よくあるよな?

でもそれは女性など弱い立場の人を男性的な支配欲で抑えつける道具にしてるだけ。

質問される側は気持ちよく殴られるサンドバッグになるべき、ってのは、質問のあり方から知性を奪い取っている。

真面目に真理を追い求める議論ならば対等であるべきだ。

私見だけど今回の質問には、相手側を攻撃するニュアンスは「驚愕した」くらいしかないと思うよ。

ビックリしたのを明かすのは、感情の揺さぶられた被害迷惑を暗にほのめかす手法になりうる。

だけど、この程度の個人的感情吐露さえ控えろっていうのは… 匿名ダイアリーらしくない。

増田は。もっとトキシックで、ざっくばらんで、激しい場所のはずだ。

元増田にだけ基準以上の丁寧さを求めるのは甘えだよ。

サンドバッグさと甘やかしを同時に要求するのは……… なんかよくない。

2023-06-11

anond:20230611120359

ハイリスク案件でもストレート家賃で取っていない。

差額はどこにやった?

一切正当化できない。

anond:20230611115054

からストレートに差額取っているからまずい。

その方法でも余剰分は家賃でしょ。

2023-06-10

共産党県議団「県営の公園過激水着撮影会とかしちゃだめでしょ!」市「まぁそりゃそうだ」公園へぇ。すまんがやめてくれるか?」撮影会うへぇ、まぁわかりやした」お前ら「共産党によるだんあつだぁぁぁあ」

撮影会中止でさわいでる人たちが完全なる部外者本来口を挟む権利すらないのはもういつものこと

どう考えても撮影会云々より共産党がー共産党がーリベラルがー野党がーと騒ぎたい活動家もどきが参入してるのもいつものこと。

でまぁ、その手の人たちは異常にに政治的ものを嫌う(正確には左翼的な物を嫌う。右翼寄りだったら政治的に含まれない)せいで、常識的社会性がある人が考える抗議手段を取らない。

個人攻撃陰謀論共産党がー連呼レッテル貼りと斜め下方向に暴れまわる。

その結果として対して興味もないTLで流れてくる話題を見る程度の人が「こいつらキッモ。関わらんとこ」となる。

常識的な人の通常の抗議すら受付ない事が多い行政は当然シカトする

結果として煮詰まりまくったアレな人達の中だけで都合がいい真実が受け継がれ、おまえ何言ってんの?って婉曲表現表現の自由戦士とか揶揄される人、ストレートに言えば陰謀論に毒されたバカが生まれるわけやな

2023-06-09

anond:20230608191048

子育てで頑張ってるオレたちワタシたちはそのお気持ちストレスとをストレート社会にぶつけていい。

それが社会多様性だし、社会包摂

とくにそれが欠如している中年男性については啓蒙しつづけていく必要がある。

子育てに参加しなかった中年男性は、子育てで頑張ってる親世代積極的矯正していく必要がある。

anond:20230609152403

わかってるくせにい

 

お前マジでそういうのリアルで言うなよ

おめーの言いたいことぐらいバレバレから

バレバレであることの自覚が足りなく見えるわ

  

逆にネットではもっとストレートに言えよ

自分欲望を開放しろ

どっちも中途半端なんだよ 

ストレート犯罪者を増やすと養ったり権利保護しなければならないためコストが発生するが、娑婆に実質犯罪者と変わらない制約を受ける層の人間を生み出せばこれらのコストを踏み倒しつつ都合のいい歯車を増やすことができるという悪魔システム

2023-06-08

私がなぜ子どもを産んだのか

最近のあれやこれやでそういえばこんなことを考えていたなってのを思い出したのでここに書いてみる。


私がまだ25歳くらいだった時の話。


新卒就職した会社ではそこそこ順調に周りから評価してもらえて後輩もできて年収450万くらい。同僚ともたまに飲んで帰ったら休みの日にたまに一緒に遊んだりと良好な人間関係

父は早くに亡くなったから母と2人暮らしだったけれど、お互い働いていたし働く大人2人の暮らしは安定していて平和だった。母の出張先で現地合流して2人で旅行したり仲良い親子だったと思う。

友だちも高校大学時代の友人を中心に休日遊んだり一緒に旅行行ったり、電話一本で急に会える距離に仲が良い子がいて気軽で楽しかった。

その時はちょうど恋人はいなかったけれど、趣味が充実しているし友人と遊ぶのが楽しいしばらく作らなくてもいいかもくらいの感じだった。


悩みらしい悩みもなくて平和で穏やかな日々。

公私ともに充実していて、なーーーんにも困ってなかった。


この日々がずっと続くのかも、と考えてふと思ったんだよね。

あ、飽きるなって。

自分生活に何も不満がなく幸せで、母より先に死ぬのは親不孝だからとりあえず母を看取ったとして、その先今の生活がただずっと続いていくの?

幸せが続くだけならそこで終わりにしても結末に大差がなくない?って。

今思うとかなりの暴論なんだけれど、若かったからか、今の生活を続けていたら将来的に自殺するなって本気で思えたんだよね。


から、そうだ子どもを産もう!って。

自分人生自分以外の意思決定を組み込もうと思って、それには結婚して子どもを産めばいいんだって。わ〜短慮〜!

子どもが好きとかは特に思ったことはなかったけれど、母を見ていて子育てにはポジティブイメージがあったし、共働き子どもがいても何とかなるだろうって思えたし。


それでまずは彼氏だなって思って、そこから2人目に付き合った人と20代後半で結婚して、1人目産んで、産休育休とって復職して、30代前半で2人目産んで、また産休育休とって復職して、今という感じ。



忙しいか忙しくないかで言えば毎日は忙しい。

会社終わったら即お迎えがあるから会社帰りにどこか寄ったり飲んで帰ったりとかは一切できなくなった。

自分仕事スケジュールと夫のスケジュール子どもたちの学校習い事スケジュールが優先であって、その合間を縫って自分美容院とか病院の予定を決めるからスケジュールアプリが凄いことになってる。

休職2回挟んでるからその分昇給も逃してるし昇進もストレートでいくより遅くなった。

正直疲れてる時はお風呂だって面倒くさいし夕飯なんて食べなくてもいいじゃんって自分だけだったら思うけど、子どもがいるとそうもいか自分の髪を洗うのだって面倒なのに…!と思いつつ子どもの頭を洗ってる。


やらなければいけないことは沢山増えた。自分のために使える時間もとても少なくなった。


それでも、私は子ども産んで良かったと思ってる。

大変じゃないとは言わないけれど、それを凌駕する楽しさと可愛さと幸福を感じてる。

子どもたちから毎日お母さん大好き!って言われて、産んだだけでこんなに好かれるなんてお得だなとすら思うし。


夫や子どもの興味関心で自分だけでは行かなかったところに行ったり知らなかったことを知るのも面白い

面倒でママ友という人はいないけれど、同じくらいの歳の子がいる同僚とのコミュニケーションが増えたり、子どもがいる友人と子連れ遊んだりでちょうど良い感じ。

かつて自分子どもの頃に親に連れて行ってもらったところに今度は自分子どもを連れて行くのも、してもらって嬉しかたことをしてみるのも感慨深い。

昇進や昇給も最短距離ではないけれどしてはいるし、新生児を抱えてる時を除けば友だちとも遊んだ最近だとオンライン飲み会をしたりもしてるし、一人旅じゃなくて家族旅行して、新しい趣味も見つけて当時と様子は少し変わったけれど公私共に充実できてると思う。


この先もしかしたら、こんなはずじゃなかったのにって思う日が来るのかもしれない。

子ども盗んだバイクで走り出すかもしれないし、反抗期で苦労するかもしれないし、ニート引きこもりになるかもしれないし、大病で苦しむかもしれないし、はたまた早逝するかもしれない。

何が起こるかは分からないけれど、20代のあの時に結婚して子どもを産もうって決めて良かったと思ってる。


平均寿命からいったら私より夫の方が先に死ぬだろうし、子どもたちが独立したらどうせ一人暮らしになるわけだし、その頃に友人がいればいいけれど必ずしも会える距離じゃないかもしれないし、孤独な老後の可能性は全然あると思う。

でも今の私は幸せからそれでいいかなって思ってる。


という長々とした自分語りでした。

もしここまで読んでくれた人がいたらありがとう

お互い明日が良い日であるいいね!


2023-06-07

anond:20230607191904

泡盛ロックなら大抵いけると思うんだが

ストレートで飲んだ時のつまみの話?

Twitter話題になったトランス男性漫画を読んで

https://twitter.com/palettalk_/status/1664600250169061376?s=2

これ

ここまでどストレート下半身の話絡めてくるのはよっぽどこのおっさんヤバいか、それをするほどこの主人公がヤバくてイラつかれていたかとか

このノリにどう返すかが男性として生きられるかどうかの試験でありそういったことをお互いの自覚の有無関係なく仕掛けられるのが男性社会とか

様々な可能性が話されているけれども、みな各々の経験則から話しているとすると、まぁおそらく全部正解なんだと思う

で、リプ欄とか、これが話題になっている場所まとめブログなんか見ると基本的にこの手の乱暴な扱いは常々受けているよという感想ほとんどを占めているように思う

その中で必ずあるのが、女性からの「男ってこんな乱暴世界で生きてんの?男性コミュニティどうなってんの!どうにかしたほうがいいよ!」的な意見

っていうかこれ以前にも、男性側の苦しさが話題になるとこういった意見を言う女性は必ずいたよね

コレ、まるで心配してるかのような、一見寄り添っているかのような意見に見えるけど

男らしさを求める風潮を作るのに自分微塵も加担してないと思っていることの裏返しでもある

よくよく思い出してみると、女性らしさを押し付けないでほしいと男性にはよく言っているけど

逆に男性には男らしさから脱却すべきだと、あくま自助努力での改善を求めている発言が多い

でも、多分コレは男性から女性への言葉も似たようなものなのでしょう

女の敵は女という発言を、男性コミュニティでよく見るし

結局何が言いたいのかわからなくなっちゃった

ともかく、男性らしさを押し付けているのは男性女性もで

女性らしさを押し付けているのも男性女性なんだよ

結局ここから溢れてるこのトランスの人はどうしたらいいんでしょうね

女性は中身が女性の「男体」を「女性」と認識できる人はとてつもなく少ないだろうし

逆もしかりで中身が男性の「女体」を「男性」と認識できる男性はほぼいないでしょう

それってその性別の中にいれば自然と培われるノリとか気遣いみたいのを学ぶ機会がないってことだよね

孤独にならない為には、本当はそれがいちばん大事なのに

2023-06-06

悲報】【発達障害粛清】【不同意性交】狂ったフェミババア学者弁護士のせいで

山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン

@otakulawyer

4時間

これまで結婚出産できていた発達障害女性とか、出産も断念せざるを得なくならないか相手の男は、不同意性交罪に問われる可能性が出てくる。発達障害の男と結婚する女性刑事責任に問われるリスクを負う。これは、社会的優生手術の復活ではないか

引用ツイート

山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン

@otakulawyer

6月5日

刑法改正案の176条1項2号には「心身の障害があること」とあるが、これは、障がい者セックスする機会を事実上奪う可能性がある。心身に障害がある者の自由意思能力を常に否定すべきではなく、ストレート障がい者差別ではないか

こういう差別を平気でやる。性犯罪被害者団体Springフラワーデモいかにめちゃくちゃか。

これを肯定するのは頭がおかしい。差別主義者です。

東大生はイジってもらわないと会話ができない

 

私は東大生であるが、『東大生なのにこんなことができません!』のような自虐のかたちをとった回りくどい自慢が死ぬほど嫌いなので、努めてそうならないように、東大生であること自体ストレートな自慢として割り切ってお話しする。

そもそも東大生である」という絶対的価値を前にして、自尊心の足りていない馬鹿共が東大生欠点を探すことで優位に立とうとする捻くれた根性問題があるのであって、こうした人々に対してはもっと努力しとけバカが、と全ての東大生が思っているのでご容赦願いたい。

 

 

先日、知人に誘われて新しいコミュニティ所属する機会があった。趣味の集まりのようなもので、メンバーは決して大学生ばかりという訳ではなく、社会人が大半を占めるコミュニティである。こういう状況に置かれると、東大生は決まって一つの問題を抱える。

どのタイミング東大生であることをカミングアウトするか、である

 

今回の場合、私をコミュニティに誘ってくれた先輩(非東大卒)がおり、私のことをメンバーに紹介してくれる流れだった。

コミュニティ共通趣味話題から入り、私が大学生なんです、という話までした段階で、先輩がすかさず「こいつ東大生なんですよ」と先にカミングアウトした。そして先輩は相手の反応を待たずに「こいつ天才なんで、マジで話通じないですよw」と続けた。

私はこれを受けて、「なんて事言うんすか!w」「そんなコトないですからね」というように反応した。

 

このように他人が先に行ってくれるカミングアウトとイジりを、私はとても助かる、と感じる。

この場合は先輩の驚くべき気遣い能力に支えられている部分が大きい。

 

 

別の例を挙げる。

私は大学の近くで接客業アルバイトをしている。その職場大学生が多く、シフトの多くは2人体制であり、客が来ない暇な時間などは初対面の相方であってもよく話す人が多い。

先日も初対面の大学生相方になり、しばらく他愛のない話をしていたが、成り行きで相手大学名探りを開始した。多少はぐらかしたものの、大学生ですか?→何年生ですか?→大学この辺ですか?のデスコンボを喰らい、やむなく東大カミングアウトした。

 

読者の方々は飛び抜けた経歴などお持ちでない方が多いか経験がないだろうが、相手想像力範疇を越える経歴であるカミングアウトした時、相手はびっくりしてお世辞しか言わなくなる。すると当然、自分に残された道は謙遜のほかにないのである

大抵の東大生は、謙遜レパートリー複数用意している。ギリギリ合格しただけとか、『東大王』の面々とは比較にならないとか、そんな具合である

しかいくら手の込んだ謙遜カードを切ろうが、相手にとっては「いやでも東大はすごいですよ」が最適解のままなのだ

 

こうなるとしばらくお世辞と謙遜ループから抜け出せない。しかもこの謙遜というのが非常に繊細で、「東大なんて大したことないですよ」なんて言おうものなら相手大学を地に堕とすことになるからとても気を遣う。

 

 

1つ目の趣味コミュニティの例では、先輩が相手より先に「東大生の扱い方」を示してくれたことで、私は「お世辞を言わなきゃいけない相手から「(もちろんネタで)イジってもいい相手」になることができた。

もちろんここからお世辞ルートに入ることも十分にあり得るが、少なくともバイトの例よりはだいぶマシである

 

東大生にとってこうしたコミュニケーションが面倒な理由として、アイデンティティに占める「東大生」の部分が非常に大きいことが挙げられる。これは大学生一般に言えることだが、大学生大学名を明かさずに自己開示することは不可能に近い。

学部しろサークルしろ大学名抜きにして話は広がらないのだ。

東大生は、その大学名が無限謙遜編への片道切符なのだからどうしようもない。

 

つまるところ、大学生の最も一般的な会話のツールとしての「大学どこ?」を自分から訊くことができないし、相手に訊かれたらお世辞がほぼ確定するしで、初対面の会話がかなりのストレスになるのである

 

ここまで読んでいただいた上で、こうしたストレスへの対処も予防も存在しないと考えている。まして東大生にお世辞以外の話を振ってほしいとか、相手立場を考えて話題選択をしてほしいとかそういったことは期待していない。

 

ただひとつだけ、凡人は才能ある者と会話するだけでストレスを与えているということを心に留めていただきたい。

皆さんを不快気持ちにさせることで、ストレス解消の糧とさせていただきます。

2023-06-03

アンチマンに反応してしまハテナってかなり脳が汚染されていると思う

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/comic-action.com/episode/4856001361287348513

漫画に対して素直な感想を語ることができず、はてな特有の「世間に物申したい」という欲求が先行しているの、どストレートに言ってやばいと思うよ

しかもそれは自分意見じゃなくて、誰かの話を聞きかじって置き換えただけ

なんら思想もない、反抗期中学生みたいだ

飲食チェーン店で働いていた頃の思い出


ちょっと話してみたい。昔の話だ。

若い頃、都内繁華街にある飲食チェーンで店長職を務めていた。今はもう会社を辞めて実家に帰り、細々と親の仕事を手伝ってる。農業を営んでるから食料品という意味では繋がってる。

あの頃はまだ30代半ばで、男が乗っている時期だった。心も体も無理がきいて、若者の考えもなんとか理解できて。懐かしいなぁ。今では50代が近づきつつある。

守秘義務とか一応あるから、どこの飲食チェーンかは言わない。読んでるうちにわかるかもしれないが。できればそっとしておいてほしい。

何の話をしようか迷ったが、『人』の話がいいだろう。何人かに絞って話がしたい。皆、よくも悪くも思い入れがある。三人だけ挙げよう。



1人目 スダ君

 もちろん仮名だ。雰囲気で名付けている。背は低めだったかな。危なっかしいけど、素直な子だった。だが、ある事件を機に店を辞めてしまった。

 大学二年生で、MARCHクラス大学に通っていた。やんごとなき方々が通いそうな大学名だった。私は専門学校出なので、大学生と聞いただけで眩しい感じがした。

 彼は夕方~夜のメンバーだった。クローズまで残ることもあった。ところで、ある従業員I氏との折り合いが悪く、さらにスダ君が好きだった女子店員TさんがI氏と交際していることもあってか、勤務中に不安定な感じになることがあった。若さというものだ。

 閉店作業中にI氏と諍いになることがあったらしい。マネージャークラスアルバイト従業員場合、連絡日誌を付けるのだが、そういう報告をみかけた。

 実際、迷ったものだ。I氏は当時、二十代前半のフリーターで、付き合っていたTさん大学四年生だった。I氏はほかの女子アルバイトにも手を出していた。時には、新人クルーを無理やり自分ビッグスクーターに載せて、当店の近くにあるラブホテル直行することもあった。

相関図

I氏 ⇔ Tさん ← スダ君

ほかの女子数人(身体目的)

 当時は2000年代の半ばだった。男のそういう行為甲斐性のひとつとされた時代だ。迷惑行為ではあったが、相当の戦力だったため目を瞑らざるを得なかった。

 ある年の秋、閉店数時間前だった。いつもだと、店の目の前にある事務所シフトを作ることが多いのだが、この日ばかりは実店舗で指揮を取っていた。どんな時間帯にもインして、店舗運営状況を確かめねば……という意識もあったが、正直この日は気分だった。

 夜9時頃、スダ君がお店にインしてきた。この日は3時間半のシフトだ。だが、様子がおかしい。足早にタイムカードを切ったかと思うと、店の奥にあるシンクに手をかけてうずくまるように立っていた。

 ほかのアルバイトも「様子がおかしいのでは?」と察していた。私は、スダ君と仲のいい大学ふたり事情聴くように指示した。こういう時はこれでいい。私が聞いても真実を答える保証はない。聞き取りするとしたら彼らの後だ。

 大学ふたりが聞き取ったところによると、スダ君が事務所に入った時、こんなことがあったらしい。

事務所の休憩室で、I氏とTさんが半裸でセックスをしていた

・運悪く、スダ君が入ってきた音に気が付かずに目撃することとなった

過去にもスダ君の目線からみてそうなのでは、と思うことがあった

 これには悩んだ。どう対処すればいいのか。店を預かる者としては判断に迷うところだ。というのも、I氏もTさんも、はっきりいって当店の最高戦力(I氏はマネージャークラスTさん接客専門職クラス)であり、辞めてもらっては困る。困るのだ。ただでさえ人手不足なのに。

 本来免職処分とすべきだ。事務所本来目的以外に使うな、とは言わない。待機時間学校での課題を片付けたり、シフトを上がった後にお喋りをするとか、そういう使い方をしてもいい。少しくらいは。

 ただ、過去においては、休憩室で飲み会を催していたクルー3名をまとめて免職処分したことがある。線引きが難しい。

 結局、I氏もTさんも当店に残すことにした。I氏は「次やったら辞めさすぞ」と何度もクギを差したうえで、出勤停止処分とした。Tさんは、大学卒業まで残り数か月だったのもあり、比較的温情のある処分をした。※思惑までは書かない。自分なりにバランスを取ったつもりだ。

 スダ君には、「人生いろいろあるけど挫けてはいけない」「あなたはひたむきだから。きっと報われる時がくる」など精一杯フォローしたものの、冬になるまでには店を辞めて、同系列チェーン店移籍した。確か、そこの店長から電話があって、「面接に来たけど、彼どんな子?」と聞かれたから、「ひたむきでいい子です。ちょっと心が弱いところもありますね。でも、戦力になりますよ」と答えた。今でいうリファラル採用だった。

 それから一年後、あの時スダ君から聞き取りをしてくれた大学から連絡があった。スダ君が、移籍した先の系列店でマネージャークラスランクアップしたという。私もその店に行ってみたところ、確かにスダ君がいた。社員と同じ服装でキビキビと働いていた。あの頃とは雰囲気が違う。人間として成長したのだ。

 それからすぐ、私も遠方の店に異動になってしまって、スダ君を見ることはなくなった。今はどんな人間に成長しているのだろう。いい男になっているだろうか。そんな未来を願っている。



2人目 フナモトさん

 この子は、いわゆるプレーヤータイプ極致だった。ほかの繁盛店から移籍してきた子で、クルーとしての実力は折り紙付きだった。POSでの接客もキビキビとこなすし、サービスレベルは最低限以上だし、料理を作るオペレーション作業も人並み以上にできた。

 どんな分野でもマルチ活躍できる子だった……ただし、現場作業に限っての話ではあるが。残念ながら、性格であるとか、人格であるとか、気質であるとか、そういうところに問題のある子だった。

 話は逸れるが、圧倒的美人だった。街を歩いていたら男は皆振り返るし、雑誌モデルをしていたとして不思議ではない。そういうルックスの子だった。

 ただやはり、性格に難があった。気に入らないクルー雑談を振られても冷たい態度を取ったり、無視することがあった。相手のことをミカンの皮くらいにしか思っていないのだ。

 ある時だったか、フナモトさんの接客現場でこんなことがあった(※当時は、女子厨房に入る子は極端に少なかった)。母親子どもふたりレジに並んでいて、子どもおもちゃ付きセットの説明を求めた。店内のカウンター横には、おもちゃの反則セットが豪勢に飾ってあった。※フナモトさんmaidになる。

 だが、彼女は冷たい様子で「ポケモンです。種類はこちから」とメニューを指さすだけだった。そのお子さんが十秒ほど迷っていたところ、フナモトさんがローファーの先でコーヒーシロップストローが入ったラックを何度も蹴り飛ばすのが見えた。

 またある時などは、夜の店内におばあさんがテイクアウトの注文後、「お水を持ち帰りでくれませんか」と言ってきた。フナモトさんはマニュアルどおり「お水は持ち帰りができません」(※衛生管理上の問題。お客の家で水が品質劣化した場合など)と答えたところ、おばあさんは「車にいる孫が薬を飲むので……水がほしいんです」とのこと。

 さて、こういう時はどうすべきか。一応、会社マニュアルには、接客については「ルールに準じつつも、自分らしい接客スタイルを求めてください。お客様のためになる接客を。迷った時はマネージャーに指示を仰ぎましょう」といったことが書いてある。

 フナモトさんはおばあさんに告げた。「その子カウンターまで来るなら用意できます」と。なるほど、機転が利いている。おばあさんが了承したところ、フナモトさんが水を用意してカウンターの前にいるおばあさんに水を届けた。

 しかし、おばあさんは水を取って、そのまま車に戻ろうとしたのだ。フナモトさんが一瞬早かった。おばあさんの二の腕を掴んで、水泥棒をガードしたのだ。

船「ダメっていいましたよね!?」

婆「いいでしょ。やめて!」

船「ダメって言ったよな、おい!?」

婆「ちょっと!」

船「おい!! ……お廻りさん呼びましょーか?」

婆「……」

 さすがに堪忍したのか、おばあさんは諦めて外の渋谷通りに留めてあった車に歩いていった。私はその様子を観ていたけど、どっちもどっちだと感じた。フナモトさんはお客様ファーストではなかったし、おばあさんにしてもジュースを買えばよかっただけのことだ。別に水でなくてもよかった。

 私だったら、「本来は衛生管理上の問題があり認められませんが、今回はお薬の事情があるということで持ち帰りを認めます」と言っていただろう。マニュアルに反する行為ではあるが、これなら上の人間が観ていたとしても申し開きできる。

 三つ目になるが、フナモトさんが専門学校卒業する半年前のことだ。店内のポジションを替わりたいという要望があった。弊社では、漢字表記だと接客専門職とでもいうべきランクがあり、それに選ばれるとお洒落制服を着ることができる。昔懐かしい、アンナミラーズ制服ちょっと似ている。

 だが、それはフナモトさんのわがままに過ぎなかった。本人から理由を聞いたところ、「可愛い制服から最後に着てから卒店したい」とのことだった。当然却下したのだが、それに激昂したフナモトさんは「だったら店を辞めます!!」と宣言して、マネージャールームパイプ椅子を立った。そのまま事務所を出て行き、二度と連絡してくることはなかった。残りのシフトはバックれてしまった……。

 約二週間後、別の系列から「フナモトさんという子が面接に来ているけど、どんな子ですか?」という問い合わせがあった。ちょっと迷った挙句に、こんなことを答えたかな。

「一本筋が通った子です。いい方に働くこともあれば、そうでないこともあります

 と告げた。嘘は言っていない。確かに嫌な別れ方はしたけれども、かつての仲間だ。応援はしたい。少なくとも、ほかの店への移籍妨害したくない。

 人格者じみたことを書いたけれども、保身のためでもあった。フナモトさんとは過去に二度、ホテルに行ったことがある。お店の公式飲み会があると、私はいつも若い子だけの方がいいだろうと思って(一万円を置いて)早めに帰るのだが、その時は最後の方まで残っていた。

 宴も酣(takenawa)ということになって、二次会に行こうと幹事が言い出した後で、フナモトさんと帰り道が一緒になり、いろいろ話すうちに飲み直そうということになった。私はまだ三十代だったので、いろいろと抑えることができなかった。

 フナモトさんの見た目はクールビューティといったところだが、いざ一緒に寝てみると情熱的なところがあった。やはり、体のいろいろな部分が柔らかかったのを憶えている。そういう体験が二度あった。

 それで、上の段で電話を受けた時は、フナモトさんが暴走したらよくないことになるのでは……!? という懸念があった。そうはならなくてよかった。

 思い返すと、これも懐かしい記憶だ。あの子は今も元気にしているだろうか。健やかであってほしい。



3人目 ワタベくん

 この子も鮮烈だった。当時は大学生。独得な雰囲気の子で、普段はボーっとしているかと思えば、厨房でのオペレーション中は熱気に満ち満ちていた。閉店時のクローズ作業も抜群に早かった。

 難点があるとすれば、マイペースなところや、人を怒らせる発言をするところや、常識のなさだった。ある時などは、冗談だと信じたかったが、早朝の開店作業中に「今日気合いを入れるためにビールを飲んできました!!」と宣言していた。

 今でいうところの、発達障害というやつだと思う。そうでないならパーソナリティ障害か。医師ではないので判断はできないが。

 さて、そのワタベ君だが、大学三年生のある時に「マネージャーになりたい」と言ってきた(※説明が遅れたが、正社員仕事をするアルバイトをいう)。確かに作業能力的には余裕でマネージャークラスだった。しかし、彼の発達障害的な言動は、他のアルバイト仲間の間では賛否両論だった。マイルールに対して過剰適応なところがあり、それが特に若い高校生クルーとの間に軋轢を生んでいた。

 当時のマネージャー全員に賛否を聞いたところ、半々ということになった。これは低い数値だ。普通は八割以上が賛成する。そして、ワタベ君本人に対して「貴君の意に添いかねる」という意思を告げたところ、なんと……彼は弾けた。バックレたのだ。

 フナモトさんと違って、自分シフトちゃんと消化していったが、店長である私に何も告げずに店を辞めた。ほかのアルバイト仲間には辞めることを伝えていたらしい。なんということでしょう……(劇的ビフォーアフター)。

 でも、これでよかったのだ。こういう極端な行動を取る人間管理者として相応しくない。彼がマネージャーになっていたとして、またどこかで軋轢を生んで誰かが店から消えてしまうような、そういう事態になっていたに違いない。

 それから、約七ヶ月が経った頃だった。なんと、ワタベ君がお店に戻りたいという(ほかのマネージャーから聞いた)。なんでも、そのマネージャーにワタベ君が電話をかけて「就職活動が終わったので店に戻りたい」という旨を伝えたらしい。

 これは、社会人でいうところの根回しに相当する行為だ。ワタベ君は成長したかもしれなかった。直球ストレートではなく、カーブを覚えた的な意味で。ワタベ君やるなぁ……。

 実際、この時期はとんでもない忙しさだった。スタッフの頭数があまりに少なく、基準に達していない人でも雇わざるを得ず、それがまた現在クルーとの摩擦を生むという悪循環だった。さすがの私も、相当な日数出勤することになった。時間外手当はゼロだった。名ばかり管理職というやつだ。

 話が逸れた。数日後、ワタベ君とマネージャールーム面談をしたところ、次のような意見があった。

・もうマネージャーになりたいとは思わない

・これまでは申し訳なかった

・週に四日以上必ずシフトに入る

 まあ、バックレではあるが、これからちゃんとするならいいだろうということで、ワタベ君を再雇用することにした。

 しかし、私が人を見る目がないのは皆様すでにお分かりのとおりだ。本当に見る目がない。この会社でも、最終的にはエリアマネージャー部長級)までは行けたのだが、そこでさらに上のクラス人達と揉めごと(本部クラスセクハラ関係)を起こしてしまい、最終的には理不尽降格処分店長に戻れ!!)を突きつけられ、会社を辞めることにした。

 さて。ワタベ君は普段はマジメだった。しかし、稀に凶悪な面を見せることがあった。ある日の早朝、お店の目の前に食品資材を搬入するトラックが停まっていた。ワタベ君は、せかせかと動いてトラックドライバーと協力し、荷台から野菜ジュースコーラシロップタンクPotatoを下ろし、店内に運んでいた。

 だがある時、見てしまった。トラックドライバーの目を盗んで、ワタベ君が野菜ジュースが50本ほど入ったビニル巻きの段ボールを――丸ごと盗んでいるのを。一瞬の早業だった。私でなければ見逃していたね。※一応、どうやって盗んだのかは伏せる。同様の行為を防ぐため。

 その時ほど、自らの人を見る目のなさを恨んだことはない。ワタベ君はすでに雇用三ヶ月目だったし、彼がいなければ深夜と早朝のシフトが回らない。困った事態だった。当時の私には、見て見ぬ振りしかできなかった。

 それから、ワタベ君は大学卒業まで店に在籍した。発達障害はやはりそのままで、ほかのアルバイト仲間との小競り合いが度々起こった。実は、ある時期から人手不足は解消していて、別にワタベ君には辞めてもらってもよくなっていた。クビにしようかと思ったことがある。しかし、性格や人柄が悪いとしか思えない彼が、多くのスタッフから嫌われながらも、一部のスタッフには懐かれているという現象を目の当たりにして思い留まった。

 なぜ、そんな判断をしたのか? 彼は本当に悪どい人間なのか、と思ったのもあるが――今風の言葉でいえば「多様性」だ。彼は確かに社会人以前に人として未熟なところが多くあった。だがしかし、一部の得意分野においては紛れもなく輝いていた。だったら、嫌なところには目を瞑ろう。それが当時の私の判断だった。

 風の噂だと、新卒時点での彼は、都内の某区役所地方公務員としてのキャリアスタートしたらしい。東京まれ東京育ちだから、やはり地元が一番ということだろう。彼も、元気でやっているといいのだが。



以上で終わりになる。

当時を振り返ってみて、間違いだったと思われる行動は多々ある。どれだけ後悔しても足りない。でも、それも人間だ。迷いながら進んでいくしかない。

ところで、満たされない心というのは、すごく大切だと思う。当時も今も、満足できる仕事をこなすというのは、とてもとても遠いことだと錯覚していた。

成長していくためには、これまでの自分を一人ずつ殺害していく必要があるのだと30代の頃は思っていた。朝が来るから起きるのです、みたいな当たり前のことだと思っていたけど、違うんだな。

人生が満たされなくても、自分自分なのだ理屈も何もない。ただ、それだけだ。だから店長として飲食チェーンで働いていた頃の失敗だらけの自分も、今では受け入れられる。そういう情けない私まで含めて私なのだ再確認できてよかった。

ここまで読んでくれてありがとう増田の皆さまの幸福を祈ってる。もし希望があれば、時間を空けて続きを書いてみたい。

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