はてなキーワード: スキーとは
世の中ではあまり知られていないようだけど、「次元」というものは整数値だけじゃないんだよ。
すなわち、1次元(直線)、2次元(平面)、3次元(立体)、4次元(時空間)…のような整数次元以外の図形も有り得るんだ。
いや別に、これは私が勝手に構築した妄想内での話じゃない。ちゃんとした数学での話だ。
一般にフラクタルと呼ばれる図形では、無理数次元というものが考えられるんだ。
まず、フラクタルとは何か。
それは、図形全体がその一部分から再帰的に定義される図形のことだ。
まあ、これじゃ何言ってるかわからないよね。でも、具体例を見ればピンと来るだろう。
有名なのは、シェルピンスキーのギャスケットというやつだ。
こいつは三角形なんだけど、その中身が細かくくりぬかれた図形であり、そのくりぬき方に規則性がある。
まず最初に、三角形の中央をくりぬく。くりぬく形は元の三角形を上下反転させて、半分の大きさにしたもの。
これらも同じように、さらに半分の大きさの三角形で中央をくりぬいていく。
これを無限に繰り返したものが「シェルピンスキーのギャスケットのギャスケット」というわけだ。
無限に繰り返すため、最終的にはそれこそ「骨しか残らない」ような図形になる。元々は三角形だったのに、線みたいな図形になるわけだ。
また、この図形は、例えば真ん中より上側を見るとわかるんだけど、図形の一部分と元の図形が同じ形になっている。
例えば、元の図形は、中央に逆にした三角形のくりぬきがあるが、その上側でも同様に、中央に三角形のくりぬきがある。
また、そのくりぬきの左側をそれぞれ見てみよう。
元の図形でも、その上側でも、やはり小さい逆向きの三角形でたくさんくりぬかれた三角形が、全く同じように存在するだろう。
というふうに、「シェルピンスキーのギャスケット」は、その図形全体がある一部分の繰り返しで形成されるわけで、
ここまで、「シェルピンスキーのギャスケット」は同じ形の繰り返しということを述べたが、この後、無理数次元の話をするために、もうひとつだけ注意しておく。
それは、同図形は大きさを2倍にすると、同じ図形が3つに増えることだ。
先に述べたとおり、同図形はその上半分と同じ形をしている。そして、同じ形が上半分、左下、右下に現れる。
つまり、辺の長さを2倍にした「シェルピンスキーのギャスケット」を描こうとすると、
元の図形を真ん中以外の、上半分、左下、右下に3つ配置した図形になるわけだ。
もう一度繰り返すが、「シェルピンスキーのギャスケット」は辺の長さを2倍にすると、図形全体は3倍になる(★)。
これは、後で無理数次元の話をするときに、もう一度出てくるから、よく理解しておいてほしい。
それでは、次元とはなんだろう。
その1辺を2倍にすると、正方形の面積、立方体の体積はどうなるか。
正方形は、縦の長さと横の長さが2倍になるので、面積が4倍になる。
立方体は、縦の長さと横の長さと高さが2倍になるので、体積が8倍になる。
さて、面積や体積は1辺を2回または3回かけ算すれば求められるので、
この4倍や8倍という値も、2の2乗から4倍、2の3乗から8倍として求めてもよいことがわかるだろう。
これをまとめると、
2を次元乗すれば、図形が何倍になるかがわかる(☆)
というわけだ。
例えば、立方体の場合は、立体なので次元が3で、図形は8倍になるだった。
一方で(☆)の考え方でも、2を次元乗、つまり3乗することで、図形が8倍になることがわかる。正方形の場合も同様だ。
すなわち、わざわざ正方形や立方体を頭に思い浮かべたり、面積や体積の公式を思い出さなくても、
(☆)の関係を考えれば、辺を2倍にしたとき、図形が何倍になるかがわかるのである。
(これは「ハウスドルフ次元」と呼ばれる。なお、ここでは簡略化のため、単位長さを2倍にする場合だけ考える。)
ここでは、前述の「シェルピンスキーのギャスケット」の次元を考えてみよう。
(★)で述べたとおり、同図形では「辺の長さを2倍にすると、図形全体は3倍になる」のだった。
よって、「シェルピンスキーのギャスケット」の次元をdとすると、(☆)から、2のd乗=3が成り立つはずだ。
d=1とすると、左辺は2の1乗なので、2となり、左辺の方が小さい。
d=2とすると、左辺は2の2乗なので、4となり、左辺の方が大きい。
つまり、「シェルピンスキーのギャスケット」は直線(1次元)と平面(2次元)の間にある存在だというわけだ!
同図形は三角形(平面)で構成されたものであるため、ベースとなるのは2次元である。
しかし、先に述べたとおり、その中身は無限にくりぬかれていく。
つまり、ほとんど中身はスカスカになっていく。「骨しか残らない」図形で、線みたいになっていく。
だから、「シェルピンスキーのギャスケット」の次元も、2次元よりは線(1次元)に近いのだから、少し小さい値になるだろう、というわけだ。
ちなみに、このdを実際に計算するには対数(log)が必要だが、おおよそ1.58となる。
この場合のlogは無理数となるので、一番最初に述べたとおり、無理数次元というものが本当に存在するというわけだ。
「シェルピンスキーのギャスケット」は部分的には三角形の組み合わせなので、平面である2次元のように見えるが、
フィクションのキャラクターの定番属性の一つに『極端な低身長の天才』というものがある。
実年齢自体が周囲より低い場合もあれば同年代にも関わらず異様に身長が低い場合もあるが、どちらの場合も非現実的な存在、フィクション性の高い存在としてキャラクタライズされているケースがほとんどだ。
何故非現実的な存在として扱われるのか。フィクションと異なり現実日本の教育制度は年齢主義であり、優秀な生徒の飛び級が存在しない事も理由の一つとして挙げられるだろう。しかし、本質はおそらくそこにはない。
『天才』『極端な低身長』という属性がそれぞれ独立している状態なら「身近にはいなくても、一つのパラメータが極端なだけなので現実の延長線上で想像がつく」が、『天才かつ極端な低身長』ともなると「極端なパラメータが複数あるので人となりを想像出来なくなる」、これが本質ではないだろうか。
ゆえに、フィクション性を纏わされる。謎のひみつ道具を持ち歩かされ、こんな事もあろうかと用意周到が過ぎる人物にされる。
だが、私はそのようにフィクションを纏わされる『極端な低身長の天才』達に、親近感を覚える。
何故なら、私がそうだからだ。
私は極端な低身長だ(った)。
「成長ホルモン分泌不全低身長症」、これが私の健康診断票にいつも書き込まれていた病名だ。
症状は文字通り。原因は分かっていないらしい。
治療法も、成長ホルモン製剤の注射という対症療法的な物だ。極度の低身長という症状が明確に現れないと発覚しないものだから、身長が一般的な範囲に盛り返すまで時間がかかった。故に少年時代はチビなショタだった。治療を終えた今でも、身長は低く童顔な方だ。
毎晩の成長ホルモンの皮下注射というものは、子供心に結構辛かった。自分だけが遭わされる不条理というものと隣り合わせで育ったものだから、随分世の中は不公平なものだと絶望してしまった。
あと注射をしていたケツと太ももが心なしかデカくなった。安産体型ショタだぞ、抜けよ。
そして、私自身これを自称するのは鼻について好きではないが、少なくとも周囲からの評価を総合すると、私は天才だそうだ。
個々人の積み上げた好奇心と歴史と研鑽と努力と熱意を不可視化し、天からのギフトなどと矮小化する天才という単語はこの世で最も嫌いな単語なのだが、はてさて秀才ではつよそう感がイマイチ足りないので仕方なく天才という単語を使う。
3歳の時には、お遊びでジグソーパズルを裏面を向けたまま完成させて大人を驚かせたそうだ。私自身、出来そうだと思って挑戦し実際に成し遂げて満足した記憶がある。
看板から成分表まで活字があれば何でも読み込む子供で、よく迷子になっていた。漢字も自然に覚えたため、小1の時点で小6の教科書を漢字含め読めていた。
大人しくさせるために買い与えられたマンガ、百科事典や国語辞典の類は、それはもう食い入るように読み込んだ。寝食を忘れて読み込んだ。寝食忘れの自己最高記録は、確か留守番中に叩き出した27時間連続だったか。中国の8日間絶食読書兄貴には敵わないが、中々な記録だろう。勿論それが健康に悪いことも理解していたので、以降は気をつけるようにしたが。
全国模試でも算数や理科で何度か1位を取った。満点なのだから当然同率1位だ。中高以降は恩師のおかげで現代文も得意になったので数学、現代文、物理で経験した。
そんなんだから、大した勉強もする事なく通学圏内最高峰、数十年東大進学者数首位の開成中学校に受かった。なんか受かったから行くわ!wが正直な感想だった。
真剣に受験勉強をしていた、しかし活字中毒などの変態性はなかった学友が残念ながら麻布や東邦止まりで(勿論これも十分凄いのだが)、この時に適性の無い者へも無意味な苦難を強いる学歴社会への明確な嫌悪感を覚えた。
開成の同級生は大きく3タイプに分けられた。勉強する事が大好きで大好きで仕方がない変態と、私のように勉強は好きでも嫌いでもないが活字や知識にのめり込む気質のある変態と……学歴の威光に取り憑かれた愚かな親の犠牲者となった、凡人だ。
学歴主義を刷り込まれた凡人達に、私は恐怖と憐れみを感じた。真面目に勉強した事もなく学校や塾も寝がちだった私にとって、青春を擦り潰して校外でも毎日8時間勉強するという価値観は理解出来なかった。
そこまでして一体、一体何になるというのだ。毎日1時間、1ヶ月ほど勉強するだけで適当な資格は彼らなら余裕で取れるだろう。職に困らないために学歴を取る、なんてのはおよそコストとリターンが釣り合っていない。
私は彼らが怖くて、大学は全く関係ない某美大に学歴パンチで進学した(ここを詳細に書くとマジで特定されそうなので勘弁してくれ)。そもそも私の夢自体、漫画家とかゲームクリエイターとかのクリエイター方面だったし。
私が開成に通った途端に学歴に取り憑かれた金だけしかない親には美大進学は猛反対されたが、教育虐待で警察に駆け込むと脅したら反対しなくなった。中高当時に親から受けていた拘束を思えば、実際駆け込めば成立していただろう。
ここまで見て分かるように、私の『極端な低身長』属性と『天才』属性に、一切の因果・相関関係はない。だからこの属性が偶然重なる確率は非常に低い。
開成中学合格者数は一年ごとに400人弱、当時の小6男児の日本人口約60万人で割ると1500分の1。そこに成長ホルモン分泌不全低身長症の15000分の1を掛けると2250万人に1人となる。ちなみにそこに、『開成高校から私の行った美大にいく変人』の数、大体3年間……1200人に1人ぐらいらしい?を掛けると270億人に1人だ。地球人口こわれる!
2250万人だか270億人だかはもう大差ないし、スキーn級とか小4?だっけ?で夏富士登山完遂(同級生の平均よりも遥かにちっこい身体でだぜ!すごくね?)とか付け足せばいくらでも数字を伸ばせるのでもうどちらでもいいが、まあとにかく私は客観的に見れば超激レアキャラだという事になる。オラッ喰らえ世界に一つだけの花パンチ!
ただ、これらは全て私の大事なアイデンティティの一つだ。私にとってのそれらは見たことのない激レア属性ではなく、いつも自分自身と隣り合わせのアイデンティティだった。
どんなに希少な属性が重なっていようが、偶然の悪戯が起こればSSRキャラクターはこの世に生を受けてくる。アフリカの貧しい子供達にもたまたまマックにいた桜蔭JKにも想像を及ばせられない、二つ要素が違うだけです〜ぐ想像出来なくなるインターネッツ愚か者共に嘘松呼ばわりされようとも、激レア属性がたまたま重なった私は今ここに間違いなく存在している。マックにも行くし高校生時代に時代遅れな価値観のオッさんに物申した事もある。喝采ってほどじゃないけど周りの人本当に拍手してくれるんだね。
だというのに、ロリショタ天才達は常にフィクション上の、架空の存在として扱われている。
ならば、ここにいる私は一体何なのだ?
私はフィクションなのか?匿名の増田ですらない、完全なる架空の存在なのか?
有り得ない嘘松だけの存在として、想像力の埒外にいなければいけない存在なのか?
ただのゲーム好きな子供だった私はここに、この世に存在してはいけない存在なのか?
なあ。答えてくれよ。
長くなったが、言いたい事は一つだ。少しの想像力を働かせてほしい、これに尽きる。
そこの道を歩いているくたびれたオッさんは、もしかしたら自由研究で賞を取った事があるかもしれない。そんなちょっとしたかもしれない運転が、他者への敬意を払う第一歩となる。勿論何も前提無しに他者の歴史と人生に敬意を払えられれば、それが一番だ。
空腹を感じた時には、アフリカの貧しい子供達はいつもそれ以上の飢餓に苦しめられている事に思いを巡らせてほしい。そして思い出した時にでも、コンビニ募金にお釣りを入れてくれればいい。
激レア属性の天才や奇才たちと接しても、更なる激レア属性の……私含めた疾病や障害を抱えた天才や奇才たちと接しても、たまたま希少な属性を引いただけの、ごく普通のありふれた存在として接してほしい。
本人が殊更に主張しているケースでも無い限り、恐らくわざわざ言い出したりはしたがらないはずだろう。傷に触れないであげてほしい。天才たちは目立つこと、特別扱いによる疎外にもういい加減ウンザリしているだろうから。
というか私の知人の天才たちは大体皆そうだった。そして私もそうだ。もう、奇妙奇天烈な見世物小屋の人外として扱われるのは沢山だ。
目の前にいる相手は雲の上の存在ではなく、マリオとポケモンが好きだったり、でんぢゃらすじーさんで爆笑したりしていたかもしれないただの人間だと思って接してほしい。
フィクションの箱に押し込んで、相手を遠ざけることをしないでほしい。ロリショタ天才を、フィクションだと思わないでほしい。
私をフィクションにするな。
私をフィクションにするな。
私をフィクションにするな。
出会い系アプリではプロフは写真に次ぐ入り口でのアピールポイントなので、男性目線から「こういう女性は色々面倒そうだな」という印象を持ってしまう、女性プロフのよくありがちなNGワードを上げておきます。なお、当方インドア寄りでおとなしめ?の男性です。
「最近彼氏と別れた」「1年半/3年/大学時代から付き合っていた彼氏と別れた」「彼氏は大学時代から数えて〇人いた」 .. 歴代彼氏と比べられそう(だし、昔の彼氏より格下と見られそう)。見切り早そう。「仕事上、男性との出会いが少ないためはじめました」とかは全く問題ないです。
「(海外)旅行が趣味(コロナ後に行きたいなど」 .. お金すごい掛かりそう。こだわり凄そう。アクティブな性格で合わなさそう。海外で撮ったプロフ写真も避けたほうが良いです(日常の写真のほうがベター)。
「サバサバしてるって言われます」 .. コミュニケーションしづらそう。
「ディズニー年パスもってます」 .. 男性でディズニー年パス持ってる人少ないだろうから、どう反応していいのかわからない。しょっちゅう連れて行ってということか?
「フェス好きです」 「サッカー/野球観戦が趣味です」 「週末スキーに行きます」 .. デートプランの立て方の難易度が高い。そもそもフェス、サッカー/野球に詳しくないので、会話合わなさそう。
「返事は遅めです/いいね多いので週末にしか見ません」 .. 出会いに対してあんまり真剣味がなさそう。わざわざプロフに余計なことを書かなくても良い。とりあえずお試しで試してみました感があるのがマイナス。
「仕事つまらないのでやめたいです」 .. 専業主婦前提なのか? それ以前にネガティブ。
「クレヨンしんちゃんみたいな家庭を持つのが夢です」 .. ハードル低いアピールの例えなのかもしれないが、今の時代、戸建ては平均的な会社員にとってハードル高いゾ。
とりあえず、アウトドア系で騒ぐやつが好きとかはあんまりアピールポイントにしないほうが良いです。 本当にそうでそれをアピールしたいなら書いても構わないと思いますが、プロフィールは広く浅く書いたほうが良いと思うので。他にあったらブコメに書いてほしいです(反映できればします)。
追記:
個人的に書いて差し支えないワードとしては例えば、「最近youtubeにはまってます」「タピオカ屋さん/カフェ巡りが趣味です」「海外ドラマ好きです」「週に1回ランニングしてます」とか。アウトドア系でもこぢんまりとしたやつなら、男性側もデートなどで誘いやすいし良いと思います。
最近の神保町はまだまだ古書街としてのメリットはあるが、大型書店は縮小傾向だし、
スキー、スノボの店も縮小して、かなり様変わりしてしまったというか、
自分も昔は秋葉原と神保町には毎日のように足繁く通ってた時期もあったが、
最近はまったく行かなくなってしまった、行くメリットがなくなってしまった
書泉グランデだったか、コンピュータ書籍でほぼ一階あったはずがなくなってしまったのもショックだった
マーティ・フリードマンが言ってたんだったか、楽器店街としての価値はまだあるかなあ
でも、もっと自宅に近い場所に充実した楽器店が今は複数あるのでなあ
カレー食べにわざわざ神田まで来るのも馬鹿げてる気もするし、コロナでもあるし
最後に神保町行ったときは明倫館に寄って数学の雑誌買ってすぐ帰ってしまった気がする
というか、あれも積読したままだったなあ
もう本買うのやめないとなあ