はてなキーワード: アイマスとは
https://anond.hatelabo.jp/20180518014637 の続きです。
2018/5/12に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆」の如月千早主演公演第3部に参加してきました。この公演では如月千早が体調を崩し、歌うことが困難になるというトラブルが起きました。ここでは、その公演で私が感じた感情とその後考えたことを整理するためにまとめた文章を公開します。
レポートや感想というよりは感情の吐露です。また、如月千早は私が一番好きで応援したいと思っているアイドルです。そういった人間が書いたということを念頭においていただけると全体のめんどくささを予想、納得いただけるかと思います。
・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。
・基本的に自分の千早観丸出しなので独善的解釈を多く含みます。
●公演の概要
●感情の整理。
●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。
注意:ここから先は今井麻美さんについても必要な場合は言及いたします。
1.如月千早の約束をかなえる⇒リベンジのMR公演を実現させる
2.今回のようなことを防ぐ⇒アイマスイベントで体調を押して演者が参加することを防ぐ
基本的に後遺症が残ったり、長期間の治療リスクを発生させるようなことは、たとえ可能性が低くても絶対に避けるべきです。
どういう理由があってもです。
何よりこんな思いはもうしたくないのです。
だからこそ、何か防ぐために出来る事があるならやっておきたいと思いいろいろと考えてみました。
それはそれとして、私は今回の公演を否定しません。如月千早のやったことを否定しません。
彼女の何を思って舞台に立ったのか、それを考えれば考えるほど、その選択をした彼女はまさに私が応援してきた如月千早そのものであり、私が支えたい、応援したいと思ったアイドルの選択として痛いほど苦しいほど納得できます。
公演が成功だったとは口が裂けてもいえません。
が、それでも私は、「避けるべきリスクを避けずに行われたあげく、結果製品レベルのサービス(すなわちちゃんと歌えるソロパート)が提供できなかった」という理由をもってして、「今回の公演はすべて失敗でありあらゆる判断は間違っていた」と結論付ける事は絶対にしたくありません。なのでしません。
これはこの章においてなお理性の1000倍存在する感情の判断なので、理性に欠けておりいろんな意味でよくない判断だと思います。
それでも私は如月千早が舞台に立ったこと、そしてその決断をした背景と意思を否定したくありません。
結果、第三部は互いに傷ついてぼろぼろになりながら何とか最後までたどり着くというかたちになりました。
多くの部分で良くも悪くも感動があり、大きな心の動きがありました。
私はより如月千早を好きになり、応援したいと思い、支えたいと思いました。
でもこんなライブは二度とごめんですし、絶対に繰り返してほしくないですし、繰り返させないようにしたいです。
その上で、がんばった千早とその思いは否定したくないのです。絶対に。
なので私の中でこの公演については例外として扱います。唯一無二の例外です。
これ以外は絶対にもう二度と同じようなことは認めません。というつもりで生きていきます。
目的は3つです
今回の件のリスクの重大さを理性的に判断するには今井麻美さんにも注目する必要があります。
なぜか。今回のような無理をしてリスクを背負うのは如月千早と今井麻美さんであり、実存存在は今井麻美さんだからです。
今井麻美さんは声優であり歌手です。したがってのど・歌声というのは命と同じぐらい大切なものです。
そこにリスクを負うということが今回行われました。これは大変なことです。
今井麻美さんは如月千早役だけをやっているわけではありません。
一個のコンテンツが、ひとつのイベントが、その人の人生を左右するようなリスクを背負わせていいのか?
一般的に言えば「コンテンツ側の都合だけで持たせるのは絶対NO」です。
以上が(1)の確認です。アイマスを長く続けるためにはコンテンツ全体でこういった事態を招かないような仕組みを保持し、信頼を獲得する必要があるようにも思います。
このことから今回の件については、今井麻美さん自身も少なくない割合で「如月千早を舞台に立たせる」という判断をとったのではないかという推察が出来ます。
リスクを負う本人の意思はまったく考慮されず、ライブ制作側(バンダイナムコ)からの強要だけで強行ということは考えにくいからです。
あくまで推察であり、経緯の詳細が判明することはありませんが、少なくとも今井麻美さんの判断0で決まったということはないでしょう。(そんなことしてくるような極悪人集団と10年以上辛酸をなめながら同じコンテンツを作るなんて到底無理です。)
これは逆も言えることで、演者が無理を押して出たいといっても主催側がOKを出さなくては舞台が始まらないはずです。
1つ前の公演の終了が会場時間の1時間半前ということも考えると、主催側としても公演の中止や内容変更についてかなり厳しい状態で判断する必要があったであろう子とも想像できます。
では、今井麻美さんは何を思いあの舞台に如月千早を送り出したのでしょう?(ポエム開始)
今井麻美さんにとって如月千早が大切で特別な存在であるということは随所のインタビューやコメントなどで知ることが出来ます。
今回はその如月千早のMR公演の初回であり、現実世界における初めての舞台でした。
私はおそらく世界で一番如月千早のことを思う今井麻美さん自身が、少なからず今回の公演を予定通り実施することにこだわった可能性はあるのではないかと思っています。
千早を最もよく理解し、千早とともに悩み、歩き、喜びと苦しみを分かち合ってきた今井麻美さんだからこそ、ゆずれないものがあったはずです。
自分の負担とか不利益とかそういったことを超えて、如月千早にとっても、今井麻美さん自身としても、逃したくないもの、失いたくないもののために、今この時をどうしてもゆずることができない。
そういった感情があったのではないでしょうか。
如月千早は絶対にやりきるはずだ。やりきってみせる。彼女の志を、積み重ねを嘘にしないために。
そういった思いがあったのではないでしょうか。
そういう妄想です。
(3)について。
ポエムでもちょっと触れましたが無茶をする背景には演者と舞台主催側両方の都合があるはずということです。
ではどっちかを説得できれば今回の事態は避けられるということで、そこにヒントがありそうです。
ポエミーおおめの前置きが長くなりましたが、私としては
といった意見です。
上記を踏まえ取り組んでいくとよさそうなことを考えてみました。
最近ではもう前時代的な感覚になってきていると思いますが、スポーツ競技、特に若年層の部活動などでは怪我や不調を押してチームに貢献しようと試合に出たりそれで結果を残したりする選手が居ると、美談化され感動物語としてもてはやす風潮がかつて見られることがありました。
「その選手が自分の意思でやってんだからいいやろ!」というのが有りますがそういう問題だけではないです。
どちらかと言うとその選手の周り、コミニティの価値観が作る空気のほうが問題になってくると考えます。
コミニティの中で上記のような行動がもてはやされていると少なからずそれを強制する力が働き、場合によっては逃げられなくなります。
チームの柱、そいつが居ないとどうしても戦えないような試合でエースが限界を超えて延長戦に永遠に出場し続ける。
そうするとほめられる風潮がそれを後押ししている可能性は大いにあります。
そして一番厄介なのがその風潮のせいで「そうしないといけないのでは?」「そうしなかったら私は薄情ものになるのでは?」と言う気持ちを選手に抱かせる可能性があるということです。
「みとめてやらなくちゃいけないのでは?」「こいつの意思を踏みにじるだめな大人なのでは?」という迷いを監督や指導者に抱かせる可能性があるということです。
アイマスの元祖である765ASの歌姫、蒼の系譜の如月千早が行った今回の公演が美談化され神格化されたとしましょう。
そんな中、ほかのアイマスアイドルの演者達が似たような窮地に立たされたとしたら。
今回の事はあってはならぬこと、深く反省し戒めるべきことだとコンテンツ消費者側が認識していることを表明する必要があります。
皆さんお気づきの通り私はこれを行うことが出来ません。
私は先ほど自分勝手な感情論で「今回の公演を絶対に否定しない」と決めたからです。
ですので皆さんが私の代わりに、今回のような体調不良を押して、後に影響が残るかもしれない健康的身体的リスクを演者に背負わせる公演はダメ!ということをコミニティの共通認識にしてください。
「プロデューサー達はアイドルの健康について大変関心が高く、無理をすることを好まない」
私はその動きに参加も貢献も出来ませんが、邪魔は絶対にしません。
意思決定機関の内の一方、舞台主催側であるアイマス制作陣営に「消費者は演者の体調が優れない場合は、公演強行よりも中止や代打、演出変更での対応を高く評価する」といった認識を伝えるということです。
これが最も直接的で効果的だと思います。そしてそれ以外ほとんど手がないようにも思えます。
どうやったって当日現場でまさに今判断のとき!となっているところに私達は口を挟めないです。
ですので、中止や代打や演目変更が妥当で最善だと判断させるための材料を事前に送っておくしかないでしょう。
私は、今回のMRのアンケートにはかなり強めに複数個所「今後はもう絶対にやめてほしい」と意見を書きました。
これは私にとって直接第三部公演を否定しない行為だったので何とか実施できました。
5/17の深夜(正確には針はてっぺんを越えているのでもう5/18です)、果たして明日の公演はどうなるのか。
はじめはネットに散らばる色々なプロデューサーの記録を拝見することで感情を整理しようと考えました。
色々な意見や見方、捉え方が有り、千早へのアイマスへの愛がありました。
そして多くの方の思いに触発され、私はよりいっそう色々と考える結果になりました。
そんな中、自分の感情を整理するために怪文書をしたためたわけですが、いまだに様々な感情の渦が心をめぐり、落ち着きません。
結局、元気に力強く歌を歌う千早に再び出会うことでしか整理できない何かを感じているのかもしれません。
彼女の窮地に手を差し伸べることが出来ず、逆に彼女に救いを求めているというなんとも情けない状況です。
情けなくても何でもいいので私は心から如月千早に元気になってもらいたいです。
2018/05/18に開催された千早主演公演に参加してきました。
結果、彼女はこの日の公演をすべて歌いきってくれました。
参加した1部、2部公演の感想をレポートにまとめました → https://anond.hatelabo.jp/20180518235241
https://anond.hatelabo.jp/20180518014142 の続きです。
2018/5/12に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆」の如月千早主演公演第3部に参加してきました。この公演では如月千早が体調を崩し、歌うことが困難になるというトラブルが起きました。ここでは、その公演で私が感じた感情とその後考えたことを整理するためにまとめた文章を公開します。
レポートや感想というよりは感情の吐露です。また、如月千早は私が一番好きで応援したいと思っているアイドルです。そういった人間が書いたということを念頭においていただけると全体のめんどくささを予想、納得いただけるかと思います。
・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。
・基本的に自分の千早観丸出しなので独善的解釈を多く含みます。
●公演の概要
●感情の整理。
●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。
MC後半は色々とMRのイベントとしての演出が光っておりとても魅力的でした。
最後に歌うソロ曲に向けて何か励ましがほしいという千早が、プロデューサーを座席で指名して一言もらうシーンはとても千早的な受け答えでよかったです。
私はあの場面で千早への愛を叫んでくれたGの15番さんに敬意を表したいです。
MC前半のひりついた緊張感と重苦しい不安を含んだ空気(進んで味わいたいとは決して思えない空気です)は、ひとえに会場に居る人たちの千早への愛と思いの大きさゆえに発生したとも感じていて、その愛自体は尊いものだと考えています。
Gの15番さんの言葉に、私はその理解は間違ってないのかもと感じています。
千早は「そういうのは今言うことではない」と一蹴しましたが、そんな彼女らしい回答は私を安堵させ、言葉のとげとげしさとは裏腹に心を暖かくしてくれました。
MCパートはところどころまだ千早が現状に納得できず申し訳なく思っていることに触れつつも、私達のよく知る千早らしい会話をしてくれたのでいくらかほっとしました。
心配は拭い去れなくとも、何とかライブをやりきろう、やりきる千早を応援しようと言う感覚を少しずつ得られてきていたと覚えています。
また、これは千早公演共通の演出だったようですが、プロデューサーからリクエストをもらった曲を一節アカペラで歌ってくれるシーンがMCにありました。
3部公演では声の調子が悪いからボイスレッスン?で確認したいといったような文脈だったと思います。
正直ひやひやだったのですが、ここではかなり安定感を取り戻したしっかりした歌声を聴かせてくれました。
それでも最後の曲が「眠り姫」だとしっている今、心中穏やかなプロデューサーはいなかったのではないかと思います。
この辺から時系列がいよいよあやふやなのですが、千早は仕切りに自分のパフォーマンスが不十分なことで、今日来てくれた人たちの期待を裏切ってしまったのではないか、満足してもらえていないのではないか、ということを話していたと思います。
この言葉をきいて、私はやはり千早が自分の強い意思で、不調ながらも舞台に立とうとしたのではないかと考えるようになりました。
たぶん彼女は自身の体調不良のせいで中止にしたり、ソロパートをなくしたりと言うことが一番期待を裏切ることで、それだけはしたくないと思っていたのではないかと、今改めて思います。
そういうところをゆずることが出来ない、彼女の頑なさは皆さん知っての通りで、そこが彼女の魅力でもあります。
最後の曲を歌うときの衣装を選ぶというイベントもあって、「オーロラディーヴァ」かビキニかの2択をプロデューサーにきいて決めるというものでした。
さすがにこの流れでビキニは着せられないと皆が思っている中、「おなかを冷やすのはよくない」というとても暖かく、やさしさのこもった声を上げてくれたプロデューサーのおかげで、無事千早はオーロラディーヴァを着ることになりました。
私はこのプロデューサーにも勝手にとてつもなく感謝していて、千早の体を気遣う言葉をしっかりと彼女に伝えてくれたことは、この公演でとても重要なことだったと思っています。
千早はとにかくパフォーマンスが期待を裏切っているのではと気にしていました。
そのことに引け目を感じていたようですが、それはそれとしても、あなた自身が何より大切なのだ、ということが千早の体を気遣う言葉から、ほんの少しでも伝わったのではないかと思っています。
だからこそ「おなかを冷やすのはよくない」と言う言葉の優しさが貴重だったと思うのです。
千早は頑固なので自分が満足いく歌を歌えないことには結局悔しさをもつでしょうが、それはリベンジの機会を一緒に作ることでも克服できるはずです。
私は千早を大切にする言葉をちゃんと伝えてくれたプロデューサーを尊敬しています。
短絡的な私にはかなわなかったことです。
ちなみにオーロラディーヴァは私がステラステージでずっと千早に着させていた衣装だったので目頭が熱くなりました。
千早が「好きな衣装を選んでいいと言われて選んだ」といっていたので余計に涙腺に来ました。
でもたぶんみんな着せてると思います。とても似合うので。
最後に、ラストの一曲どうなるか分からないけど何とかやってみるといった趣旨のこと(ディティールがぜんぜん思い出せません。まったく違うこと言ってたかも)を話しつつ、後半のユニットパートへと移行して、千早は一時退場しました。
その声にはまだ不安が感じられました。もちろん私の胸の中にも不安はありました。
後半のユニットパートは所謂全体曲的なチョイスになっていて非常に豪華でした。
千早のためにも、このパートはめいいっぱい楽しんでやる!と思っていました。
どうしたって千早を心配する気持ちはずっと有りましたが、それでも私をわくわくさせて、楽しませてくれる曲がたくさん聴けました。
765ASのアイドル達が1人残らず魅力的だったおかげです。
本当にすばらしいアイドルたちです。私は勝手に彼女達が千早の窮地を助けてくれたと思っています。
私が心から愛する曲であるMUSIC♪が聴けたことは本当にうれしかったです。
音楽に壁はないのです。
いよいよです。
「arcadia」のところではぜんぜん触れませんでしたが(正直見ている余裕がなかった)ソロ曲はリアル人間ダンサーさんとアイドルのコラボレーションがあり、「眠り姫」にいたっては千早がリアル物理椅子に座るという演出がありました。
大変挑戦的かつドラマティックな演出で可能ならもう一度意識がはっきりした状態で拝見したいです。
この曲の間は、ただただ千早が歌いきることを祈るだけでした。
なにも出来ませんでした。私はただ祈るだけでした。
千早の歌声は「arcadia」の時点よりは安定していましたが、やはり苦しいものでした。
ところどころかすれながら、それでもあきらめず、何とか最後まで。
最後の超高音部分はアドリブで音を下げて(楽典など納めてないので詳しくは分かりませんが低音に向かって解決するように最後の3音を調整?)して対応していました。
私はその対応力に(音響監督などと打ち合わせしていたのかもしれませんが)感動し、安心もしました。
おそらく千早自身が一番納得していないということは分かりつつも、何とか最後まで歌って終われたことに安堵し、拍手を送ることしか出来ませんでした。
もはや避けがたい不安を抱えながらも、今日をやりきった千早に必死に拍手を送りました。
最後まで千早は自分のパフォーマンスが訪れた人たちの期待を裏切ってしまったのではということを気にしていました。
「今日来てくれた人はこんな結果になって怒っていないだろうか」という彼女の言葉には、なきそうになりました。
彼女は最後まで如月千早に会い来た人たちのことを思っていました。
彼女は最後に、次の機会がもらえるなら今度は必ず満足できるものをみせるという約束をしてくれました。
これはおそらく18日や27日に残っている公演の事も含みつつ、もっと先のことをさしていたのではないかと今は思います。
たぶん千早は今回の開催機関の中では今日しか会いに来ることのできない人たち、今日如月千早に会うことを、彼女の歌を楽しみにやってきた人たちのことを思っていたのだろうと思います。
彼女が最後に残した「約束」をかなえることができる舞台を、必ず実現させなくてはならないと強く思います。
彼女が私達にしてくれた、彼女が彼女自身にむけて結んだ約束を果たす機会を必ず。
友人と一緒に訪れていた私はその後、食事がてら上記の思いについて聴いてもらったりしました。
忍耐強い友人は私が一方的に話し続けるのをうなづきながら聴いてくれました。
こういうのははやくまとめたほうがいいのかもしれません。
このときの私は、「最初はとめたかったけど途中から自身を賭して歌う千早を応援することにしたのだ」といったことを話し、自分の感情にも整理が付いたと思っていましたが、ぶり返して今こんな怪文書を書いています。
今回、如月千早はのどに不調を抱えたまま無理に舞台に立ち、歌いました。
未来のある、大切な身を削って歌いました。
彼女が一番好きなこと、歌うこと、それを賭して。
第1部,第2部では本調子ではないにせよ、ちゃんとした舞台にはなっていたと伺っています。
ただ第3部はそうはならなかった。本格的にもう歌えないというところまできていた。
そんな状態で歌を歌う。あってはならぬことです。取り返しの付かないことになるかもしれない。
体調不良を分かっていながら歌うことを強いることなど言語道断、たとえ彼女が望んだとしても、強引にでも止めなくてはならなかったでしょう。
それでもなお、私はこの公演をやりきった千早をほめてやりたい。
「よくやった」、「がんばったな」、「立派だったぞ」、「絶対リベンジしような」そんな言葉をかけてやりたい。
彼女を待つ人のために、会いに来てくれた人たちのために、身を削った彼女をたたえてやりたい。
そんな彼女の優しさと誇りと覚悟にありがとうといってやりたい。
最後には声もかれながら、それでも最後までやりきった彼女をほめてやりたい。
「無茶させてごめんな」と謝りたい。
注意:ここから先は今井麻美さんについても必要な場合は言及いたします。
とにかく今回の公演は事件でした。とんでもない公演でした。
千早のこと、アイドルのこと、色々と考えさせる公演だったと思います。
今回の出来事を踏まえつつ、今後のアイマスと如月千早のために私がやっておいたほうが良い事はなんだろう。
具体的に出来ることは何か有るだろうか。ということを少し考えてみました。
ただしここでも理性は感情の1/1000程度しか機能していません。
したがって「やっておいたほうがいいこと」の内容についても、その実現のための方法についても私の独善的感情がだいぶ入っています。
ここで言う理性というのはあくまでMRの世界から一歩離れて、現実世界のアイマスというコンテンツと向き合うぐらいの意味合いだと読み返していて感じます。
1.如月千早の約束をかなえる⇒リベンジのMR公演を実現させる
2.今回のようなことを防ぐ⇒アイマスイベントで体調を押して演者が参加することを防ぐ
まずなぜこれを実現したいかですが、話は単純で約束だからです。
何の憂いもない万全の状態で挑む彼女の全力のライブを観たいからです。
如月千早が結んでくれた約束を果たすために私達にできることはなんでしょう?
目指すところは単純で、MRの公演機会をたくさん作るということだと思います。
今のところ如月千早がああいった形で私達に会えるのはMRの劇場しかないので、これしか手はありません。
そうなると具体的手段で、貢献・実行できそうなのは下記ぐらいかなと考えます。
長すぎて途切れたのでその3に続きます
2018/5/12に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆」の如月千早主演公演第3部に参加してきました。この公演では如月千早が体調を崩し、歌うことが困難になるというトラブルが起きました。ここでは、その公演で私が感じた感情とその後考えたことを整理するためにまとめた文章を公開します。
レポートや感想というよりは感情の吐露です。また、如月千早は私が一番好きで応援したいと思っているアイドルです。そういった人間が書いたということを念頭においていただけると全体のめんどくささを予想、納得いただけるかと思います。
・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。
・基本的に自分の千早観丸出しなので独善的解釈を多く含みます。
●公演の概要
●感情の整理。
●少しだけ理性を取り戻して。これから出来ること。
今回はMRという技術を用いた新しいライブイベントで、簡単に言うと765ASの3Dモデルが舞台上で歌って踊るというものです。
youtubeのとっても短い公式紹介動画 https://www.youtube.com/watch?v=jHwXIrJKr3s
私は真ん中より後ろのほうでしたが、舞台上の3Dモデルは立体感、存在感、躍動感共に想像を超えるもので感動しました。特にPS4向けのリッチな3Dモデルと豊富なダンスモーションを持つ765ASとは愛称バッチリだと感じます。また、その性質上、本当に765のアイドル自身が出演しているという体と演出で行われており、ここでしかない貴重な体験が味わえます。
2018/4/30-2018/5/27の土日祝日を中心に開催され、ひとつの公演時間は1時間、1日に3公演が実施されています。開催日それぞれに「主演アイドル」が1人選出されており、主演アイドルはMCとソロ曲を披露してくれます。セットリストは基本的に下記の構成のようですが、曲については公演日によって変わっているみたいです。
今回まとめる2018/5/12如月千早主演公演第3部(以降3部公演と表記)についての詳しいセットリストなどは他に正確な情報をまとめていただいているのでここでは触れないことにします。
ここでは3部公演で体調不良というトラブルに見舞われながら舞台に立つ“如月千早”に対し、私が感じた感情とその変遷を時系列順にまとめたいと思います。私の感情主体なので、客観的に出来事を知りたい場合には適切ではない参考資料になります。
前日から「如月千早に会える」と興奮気味の私でしたが、MRは初めて体験するものだったのでどんなものか期待していました。
結果としてはそれはもうすごいもので、アイドルがまさにそこに“存在”し、活き活きと踊り歌う姿を見ることが出来ました。
1曲目のライブ革命で千早が出てきてから彼女から目が離せなくなりました。
他のユニット曲もかわいく美しく楽しく魅力的でした。立体感と存在感と躍動感と身長差がすごい!765ASの魅力が存分に発揮される新しいフィールドの登場に胸が熱くなりました。
千早のソロ曲がどうなるのか! という期待がよりいっそう高まっていたのを覚えています。
数曲ユニット曲が披露された後、とうとうソロ曲がやってきました。
曲は「arcadia」。私が始めて買ったアイマスのCDに入っている曲です。好き。
皆さんもご存知の通り、この曲は出だしの第一音から歌詞があります。
静かなBGMの立ち上がりと共に千早の透き通る歌声が一節をつむいだ後、激しい曲調へと移り変わるアグレッシブな曲です。
その出だし、音が入りませんでした。千早の歌がよく聴こえない。
マイクの不調かな?音響のスイッチングでちょっととちったかな?と思いましたが様子がおかしい。
開始数秒で私を含め、会場全体が何か異変が起きていることに気付いたはずです。
高音が出ない。声量も安定しない。ロングトーンも伸びない。ところどころ音程がとれず、声がかすれる。
単に調子が悪いとか音響がおかしいとかではなく、何か身体的な問題が彼女ののどに、歌声に発生している。
私はすぐにそう思いましたし、他の参加者も同様だったでしょう。
激しいダンスとは裏腹に、彼女の実力からは程遠い、痛々しさすら感じる苦しい歌声。
私は「はやく千早が歌うのを止めさせなくては」という思いで頭がいっぱいになりました。
彼女の搾り出すような歌声は“無理をして歌っている”と言うことが明白に感じられるものでした。
このまま歌い続けては彼女の声によくない。
無理に歌った負担で万が一にでも後に悪い影響が残るような事があってはならない。
彼女を守らなくてはならない。
どうやってとめればいい? どうやったら彼女を守れる?
そんな思いが頭の中をかけめぐりました。
したがって間奏はいわゆるコールが入るタイプの楽曲といえます。
混乱し立ちすくみ、ただ千早を見つめる僕の周りで、力強くコールをあげるプロデューサーが居ました。
彼らの気持ちは痛いほど分かりました。
如月千早の体を、声を案じて歌うの止めさせたいと思う一方で、もがきながらも何とか舞台に立ち、歌おうとする千早を支えなくてはとも感じていたからです。
何か強い意思や覚悟を持って舞台に立ち向かう千早の思いを私も感じていたからです。
「arcadia」が披露されているときの会場の空気は今まで経験したことのない異様なものでした。
私のように混乱し動揺しているプロデューサー達の感情と必死に歌い続ける千早の声が交差し、緊張感とも焦燥感とも付かない何かが充満していました。
声がかすれて歌声が途切れ途切れになっても。
そんな苦しみながらも「ステージ」を作ろうとする千早支えるために出来ることなんて私達には驚くほどなくて、大きいコールで「ちゃんと“ライブ”が出来てるぞ!」「千早は1人じゃないぞ!」ということを伝えようとするぐらいしか選択肢はなかったように思います。
果たして他のプロデューサー達が何を思いペンライトを振り、コールをあげたのかは分かりませんが、同僚達の行動を通じて「ここで千早を支えなくてはいつ支えるのだ!」という思いが自分にもあることを少しずつ自覚し始めました。
それでもなお、血をにじませながら(比喩表現です)歌い続ける如月千早を止めなくてはという思いと、大きく声を上げて応援することがさらに千早を追い詰めることになるのではないか?と言う不安から、コールを上げることも出来ず、かといって何も打つ手立てのないまま、私はただ青いペンライトを握り締め祈るような気持ちで彼女を見つめることしか出来ませんでした。
「arcadia」を奇跡的に最後まで歌い終わり、会場は拍手に包まれましたが、緊張感は増すばかりでした。
水を打ったようににわかに静寂が訪れた会場で、千早は話し始めました。
如月千早はそんなことをはじめに私達に問いかけたと記憶しています。
その声は本当に弱弱しく、彼女が抱える不安が内包されたその言葉は会場に居るプロデューサーの胸に深く突き刺さったと思います。
彼女は自分の体調が悪く、そのために歌を満足に披露できなかったことを謝罪し、体調管理が出来ずパフォーマンスを発揮できない自分はプロ失格だと自らを叱責しました。
「そんなことはない!」そういった声が会場から上がりますが、その声も如月千早と会場全体を包む後悔・悔しさ・不安・動揺といった感情を払拭するにはいたりませんでした。
自分の責で満足いく歌を披露できなかった、期待にこたえられなかった、楽しいライブを提供できなかった。
そうやって自分を責め、後悔や悔しさや申し訳なさを抱え、傷つき、心で血を流している千早を目の当たりにして、私は胸を締め付けられるような思いになりました。
彼女はつづけます。最後にもう一曲ソロ曲を歌う予定だと。その曲は「眠り姫」だと。
今の状態ではちゃんと歌うことは出来ないかもしれない。ライブとして成立させられないかもしれない。
「私はどうしたらいいでしょうか?」
震える声で助けを求める彼女に、私達はどんな手を差し伸べてあげたられるのか?
このときの会場の空気は本当に危ういもので、何かが間違えばすべてくだけっちってしまうような、細い糸一本で支えられているような緊張感がありました。
自分達に何が出来るのか?
プロデューサー達の迷いを含んだ重苦しい沈黙の中、「大丈夫だよ!」、「千早ならやれる!」そういった千早の背中を押す声がちらほらと上がり始めました。
プロデューサーとして絶対に彼女を支えなくてはいけないまさにその瞬間に、この危うい空間の中で必死に。
私の中ではまだ2つの気持ちが別の方向を向いてせめぎあっていました。
「もういい。今は休もう。次のチャンスを一緒に作ろう」そういって彼女を休ませてあげたい。
でもそれは体調不良を押してまで舞台に立つことを選択した千早の意思や覚悟を否定することになってしまうのでは?
「大丈夫だ! 思う存分やればいい!」そういって今日“舞台に立ち歌う”という選択をした彼女を最後まで応援したい。
でもそれは本当に彼女のための選択なのか? 体に負担をかけ、無理をしないと歌えないのは明白なのに、それを彼女に強いるのか?
私はどうしても「がんばれ!」、「負けるな!」といった強い言葉を選ぶことは出来ませんでした。
彼女を追い込みたくない、無理をさせたくない、守ってあげたい、という思いの大きさがそれを拒みました。
ただそれでも、覚悟と意思を持って、様々なものを賭して、ぼろぼろになっても舞台に立っている彼女を支えたいという方向に気持ちが傾きました。
ここまで来てたった一人の“プロデューサー”の発言でライブを中止する事なんて出来ないだろうという思いもありました。
なら何とかして彼女を守りながら「ライブ」を最後までやりきれるような言葉を捜さなくては。
声が途切れてもいい、無理はしなくてもいい、千早は1人じゃない、俺たちが居る、足りないところは補うから、ライブを一緒に作ろう。
そんな思いを表すような、短くてぱっと言える(長ったらしく話すことは出来ないしそんな場合でもない)何か一言はないか。
色々と思考がごちゃつくなか、誰かがまた千早を鼓舞する声を上げました。
それを追うように私も声を上げました。
「俺が歌う!」
会場に笑いが起きました。
私の素っ頓狂な発言に千早が少し今までと違う調子で「大丈夫ですか?歌詞は覚えているんですか?」と答えてくれました。
その千早らしい返答にまた会場に笑いがおきました。
少し空気が変わりました。
「千早が歌えないところは代わりに歌ってやる!千早が中止にしたくないと思ったこのライブを無理やりにでも成立させてやる!一緒にライブをやりきろう!だから無理するな!」みたいな意図を中心とした様々な感情がない交ぜになった結果の言葉の暴発でした。
ただ私の声に続いて「一緒に歌おう!」、「みんなで歌おう!」といった声を上げてくれるプロデューサーが居てくれたのは本当に救いでした。
きっと彼らの言葉を通じて私の言いたかったことも千早に伝わっていると思います。
おそらく台本があり1部2部公演でも類似のやり取りがあったであろう会話。
それに体調不良に起因するいくらかのアドリブや変更を加えつつ、進むMC。
正直このあたりの事は詳細をあまり思い出せません。
どういう流れであの問いかけからMCパートに移っていったのかも覚えていません。
声を上げ、千早が答えてくれた後、私はしばらく顔を上げることが出来なくなっていました。
ほとんど前情報を仕入れなかった私も、「MCはアイドルと会場で直接やり取りがある」といううわさは聞いていました。
それを知ったとき私が思ったのは「絶対に何も言うまい」というものでした。
ここまで読んだ方はお分かりの通り、私は如月千早の行動に対し、自分に都合のいい思いやら意図やらを好き勝手に妄想し盛り上がるタイプの人間です。
そんなヤツが如月千早の大事な舞台で変なこと言おうものならもう目も当てられません。
私が嫌われるのは仕方がないですが、如月千早に被害が及ぶのはあってはなりません。絶対に。
そう思って挑んだのですが、感情を抑えきれずほとんど反射的に声を上げていました。
後悔と恥ずかしさと、申し訳なさでしばらくの間顔を伏せていました。
公演後は興奮していてそのあたりの後悔は吹っ切ったつもりだったのですが、時間がたつとやはりまずいことをしたんじゃないのかと言う思いが顔をもたげます。
私の発言のせいでMCを進める流れになったとしたら、結局ライブを続けることを千早に強要してしまったのではないか。
本当はもっと理性的なプロデューサーが千早に何か言ってくれるのを妨げてしまったのではないか。(もしかしたら私が頭を下げている間に言ってくれていたかもしれません。)
私の変な発言で千早の大切で守りたかった舞台をかき乱してしまったのではないか。
何より千早自身や765プロとはぜんぜん関係のない馬の骨のせいで、千早の大切な舞台でいやな思いをするプロデューサー(ここでは私の発言がその人を不快にさせ楽しみ方を奪ってしまうということ)が出るようなことは許されないと思います。
いずれも大変自意識過剰な問いですが、でかい声を上げてしまった以上、考えざるを得ません。
もし本当に誰かを傷つけたのなら批判は受けるべきでしょう。
答えは出ませんが、一生付き合っていくしかないのだと思います。
少なくともあんなふうな声を公式イベントで上げるのは金輪際やめようと思います。
長すぎて途切れたのでその2に続きます。
いや、2010年頃に御三家(東方、ボカロ、アイマス)排除宣言出してから、とにかくランキングに御三家が出ないように様々な試行錯誤してるのがわかった。
DMMVRシアターでのTHE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆に参加してきた。
✗ライブは立っての鑑賞だったが座ってる時に見た映像のが立体感豊富に見えた。会場的に座っての観劇を想定した設備なんだと思う。
○左サイドの席だったがキャラがこっちを向いて見える。どういう技術か知らないが中央じゃなくても目線が合う感じなのは凄い
✗逆サイドにアピールしてるのにこっちを向いて見えるのはご愛嬌か
✗響回ということだが、響ソロは2曲。あとMC。ほかはユニットで響の参加もそれほど多くないのは大いに物足りない。
✗響ソロ2曲以外は全てショートバージョン。モーションとの兼ね合いもあるのだろうがショートバージョンは盛り上がりに欠ける
✗裏でぬーさんがリアルタイムに会場をイジるのは面白いが、それならぬーさんに響コスしてもらってライブやったほうが圧倒的に席が埋まると思う・・
✗というのも13日夜公演、自分はF列だったがG列当たりから後ろは全部空席。半分以上空席・・・
✗技術的視点から見ると面白いのだがライブとしては盛り上がりに欠ける。アイドルの映像でよっぽどテンションを上がる人でなければ楽しめないのでは
✗空席具合がその答えになってると思う。リピートしたくならんでしょ。
✗6300円+500円ドリンク代 1時間弱の公演。内容の薄さから高コストに感じる。
おおざっぱにこんな感じで、褒められた感じではないと思うし、空席具合から同様に思ってる人も多いと思うんだが
アイマス特有か知らないがライブその他の批判は許されない忖度文化がとても気持ち悪い。
中途半端と言うのは立ち位置の事である。パフォーマンスのレベルは、アイマスやラブライブ等の他ユニットに決して引けを取らない。
どれくらい中途半端かというと、横アリは埋まるが、それ以上は埋まらない。全国ツアーするには体力が無い。とか言って、狭い会場で済むほどの人気の無さでもない。
一番居て欲しくない位置だ。もう2~3頑張りで上には行けるのだが行けない。何故か?ファンが金を使わない。
アイマスもラブライブもグッズは売れ、アプリの売上ランキングも高く、ラブライブに至っては聖地巡礼も人気だ。土台全体が金を生み出している。
一方、ワルキューレの土台はマクロスΔである。更に上にはマクロスという土台があるが、金を生み出しているのはワルキューレのみである。マクロスΔもマクロスも金を生み出していない。アプリの売上ランキングもランク外だ。ワルキューレを入り口にマクロスΔ、延いてはマクロスに金を落とすファンに育てば良かったのだが大失敗だ。実際のファンの中にはマクロスΔ本編を見たことない人も少なくは無い(この辺は、1話の挿入歌が最高潮とか言われる本編の出来も原因だと思う)
ライブの人気でオマケの劇場版が作られたが、並み居るアニメ劇場版の作品とは異なり、全国で10数館のみ上映。前作のマクロスFの時は劇場数同じくらいだけど興行収入を発表するくらい人気だったが、こちらは残念なTV版の焼き直し。ライブチケットに鑑賞券を付ける荒業も行うも、結果は散々。それでもめげずにMX4D版を現在上映しているけど。
こういう話になると「金を使う機会を準備しないのがいけないんだ」とか言う人もいるが、その機会を作るにも金がかかるのだ。また「長いスパンで活動するんだ」とか言う人もいるが、本当に流れに乗っているユニットはバンバン発表していく。半年以上間を開けたら流れが鈍るからだ。4半期くらいで何かをやるくらいがちょうど良い。それも出来ない。
デビューから3年。メンバー5名中4名はソロデビューし、ユニットとしての役割は済んだのではないか。
監督自身も資金繰りを気にし、グッズ展開は未だ大勢のファンがいるマクロスFに移行し、パチンコ・パチスロすら出ない。いくら人気あるとファンが言っても実際はおんぶ抱っこ状態だ。金を生み出さないのだから仕方が無い。
こんな状況で細々と活動されるくらいなら、いっそ解散してほしいのだが、その辺はアニメのユニットである以上、活動凍結でお茶を濁さざる得ない。結局ファンはあるかないか分からない活動を待ち続けながら、メンバー個人の活動を応援しつつ、ファンであり続けなければならない。
これは信じていいことなんだよ。何故って、永遠の17歳()があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの投票結果が信じられないので、この二三日不満だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。@オタク@は いつだって ↓見下せる相手↓ が ♡大好き♡。これは信じていいことだ。
どうしてオタクが毎晩家へ帰ってシコる道で、シンデレラガールズの無数にあるアイドルのうちの、よりによって◯◯で△△△、17歳()のうさみん星人なんかが、アニメの主人公を押しのけて浮かびあがって来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。
いったいどんな高嶺の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、オタクの思い出のなかへ勝ち組と自分との圧倒的な違いを思い出させるものだ。それは、よくシコった同級生が完全な蔑みの目で睨むように、また、音楽の上手なイケメンがきまってなぜかオタクをいじってくるように、約束されたカーストの追いすがる影踏みのようなものだ。それはオタクの心を打ちのめさずにはおかない、不思議な、生き生きとした、息苦しさだ。
しかし、昨日、一昨日、オタクの心をひどく陽気にしたものもそれなのだ。オタクにはその苦しさがなにかアイデンティティのようなもののような気がした。オタクは反対に感涙になり、共感となり、満悦な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。
おまえ、この爛漫と咲き乱れているウサミンへ、何か惨めな属性が埋まっていると想像してみるがいい。何がオタクをそんなに安心させていたかがおまえには納得がいくだろう。
初代ポケモンで遊んだオタク、就職氷河期を食らったオタク、そして自分より若い上司に叱られるオタク、童貞のままみな老化して髪がぬけ、堪まらなく臭い。それでいて中高生のような性欲をむらむらとむらしている。ウサミンはバブミをオギャらせる母のように、それを抱きかかえ、アダルトチルドレンの遠吠えのようなババァ認定を許して、その乳房を吸わせている。
何があんな票田を作り、何があんな二次創作を作っているのか、オタクの売れ残りを見下すような視線が、静かな共感を作って、アイドルを親友のように煽ってゆくのが見えるようだ。
――オタクは何をそう偉そうな顔をしているのだ。惨めたらしい自虐芸じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えてオタクの性癖が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
二三日前、俺は、ズボンを膝まで下ろして、pixivを彷徨っていた。検索結果のなかからは、あちらからもこちらからも、児童ポルノがポロロッカのように生まれて来て、オタクの理性が空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。おまえも知っているとおり、奴らはソレで気持ちよく射精をするのだ。しばらく眺めていると、俺は変なものにでくわした。それは女の肌が曲がり角へ、小さく食い込みだしている、音無小鳥だった。思いがけない幸運を詫びるような台詞が、エロ画像に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万ユーザーとも数の知れない、アイマスユーザーのシコった絵だったのだ。隙間なく画面を被っている、小鳥さんの重ねてきた年齢への卑下が、オタクにシコられて山のような共感を集めているのだ。そこが、可能性を終わった精子の墓場だったのだ。
俺はそれを見たとき、胸が衝かれるような気がした。知り合いの垢を暴いてネトストを嗜む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
ただの美少女ではなにもオタクをよろこばすものはない。幸子や杏からも、シャアをバブみにオギャらせている桃華ちゃまも、ただそれだけでは、未来あふれる美少女に過ぎない。オタクには負け組が必要なんだ。その平衡があって、はじめてオタクの好意は明確になって来る。オタクの心はぼっちのように孤独に渇いている。オタクの心に失意が共鳴するときにばかり、オタクの心は和んでくる。
――おまえはワキの下を拭いているね。ワキガが酷いのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとデオナチュレを塗ってごらん。それで俺達の老化は完成するのだ。
ああ、@オタク@はいつだって↓見下せる相手↓が♡大好き♡!!
いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない自虐が、いまはまるでウサミンと一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
そう思うことがかなり多い。
アイマスなんて昔は嫌いだった。しかし9.18事件でうるさい人がいなくなってドハマリしてローソンはしごしてファンタのりんご味を5箱ぐらい買った。ほどなくしてデレマスが始まり、アニデレが始まってうるさい人間が増えてきてそっとアイマスから離れた。ちなみに今はシャニマスしている。やっぱ好きなんすねぇ!
TLで絵を見ただけでヘイトを撒き散らしそうになるのを我慢してミュートする。
親しい友人がにじさんじの沼にハマったので泣く泣くミュートした。
でも、よくよく考えたらVtuberが嫌いなわけではないのだ。好きでもない、嫌いでもない。単純に関心がない。
のじゃおじとげんげんとキズナアイ(何故かこの増田を書くまでキズナアカリだと思ってたが、Google日本語入力がキズナアイだと教えてくれた)ぐらいしかしらないし、別に彼(彼女)らの事が嫌いなわけでもない。
でも、Vtuberファンは「Vtuber好きはネット世界共通!」ぐらいの勢いで迫ってくる。
近い例をあげるならサッカーぐらい関心がない。選手も田中マルクス闘莉王と本田圭佑ぐらいしか知らないのに好きも嫌いもない。
でも、サッカーは熱狂的なファンが熱狂行為をすると「サッカー好きじゃない」となる。別に田中マルクス闘莉王が嫌いなわけでも、本田圭佑が嫌いなわけでもないのに。むしろ本田圭佑はものまねをする芸人のせいで好きな部類にはいる。
でも、ワールドカップのシーズンになってとーきょーのほうで熱狂したファンの映像がニュースで紹介される度、サッカーが嫌いになるのだ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってことわざがあるが、なんというか、逆だ。袈裟がにくければそれを着ている坊主が憎い。
自分だけなんだろうか。
(追記)
take-it Twitterだと、興味ないのに強制的にみせられるから、ノイズになってイヤになるんだよな。。。やなことそっとミュート。キーワードでミュートはかなり捗る。
これですね。ノイズもちょっとなら許容できるんですけど、防いでも防いでも入ってくるノイズに疲れてしまう。
GW帰省中にイチローが今年はプレーしないことを話したことを一日中見る羽目になるんだけど、別にイチローが嫌いなわけでもないのにいい加減うっとおしすぎてイチローをみたくなくなった。もう知ってるよ、そんな1時間間隔ぐらいでこぞって同じインタビュー映像を放映する必要あるのかってなってね。まぁ、テレビは自分から離れるしか無いからそう考えるとイチローでミュートできるTwitterはやっぱ便利だな。
自分が興味ないことがうるさいから嫌なのか?って言われたらそれも疑問。
例えば、ラブライブ、ホント好きだったけど、加熱しまくって痛い奴らが現れてから、なんというか、一緒に見られたくないなって思って、ラブライバーやめたし。
多分、興味あることでもうるさかったらイライラするんだと思う。
こち亀で「青いいよね」ってやつがあるけど、ほんとあれぐらい静かに自分の中でコンテンツを楽しみたい。
あと、基本こういう事言わない。増田だから言ってる。ラブライブの時にひどい目にあったので。
基本自分はうるさいと思ってる段階で、熱心な信者がいるのは当たり前の状況なのでそんなこと言ったらまるで穢多非人のように扱われて突撃されるのは目に見えてるから、そっとミュートにするんだ。
冷却ファンの話。
正直おもしろかった。でも、よく考えたらファンで重要視してるの静音性だ。
まさか、静かなファンを求めている自分が静かなファンを求めていたとは…。水冷はなんか、未体験故にするのが怖い。ビビってる。
追記2
増田で言ってよかったよかった
同意してくる人居てよかったし書いてよかった
結構みんなおもってるのかな
俺みたいなデレステからの新参Pが言うのはまだ早いのかもしれないがミリオンライブのPはなんかどいつもこいつも押し付けがましい
自分のプレイスタイルを人に押し付けずにはいられないというかマニュアルが好きすぎるというか
親切心で言ってるんだろうけど正直「好きにさせてください…」って気持ちでいっぱいになってる
ツイッターを見てもランカーらしき人たちを中心に常に「ミリオンライブの楽しみ方は~」みたいな話をしてて
こいつらほんま多様性ってのをしらんのやなってレスしたくて仕方ない(もちろんしないが)
普段アイマス界隈(広すぎる定義)って、いくら金を突っ込んだかが何故か評価されたり、何故か担当アイドルがPに好意を向けてるイラストが多々に回ってきてそれってプロデューサーじゃなくて可愛いアイドルを自分のものにしたいだけじゃないのという釈然としない気持ちでしか見てなかったんだけど、なんか最近デレステの総選挙のツイートが回ってきて、みんなそのアイドルの魅力とかをツイートしてなんとか投票してもらおうとしているの見てはじめてプロデューサーっぽいと思った。
アイマスシリーズ、認知はしてたけどSideMから入った。ファスライ開催手前くらいで始めて、好きなキャラも出来たしそれなりにお金も使った。それでも、他に好きなジャンルに比べていまひとつのめり込めてない感じがしている。
理由は最近あちこちで言われているSideM運営への不信感がひとつ。ふたつ目は周りの盲信具合の気味悪さだ。
私は声優さんに関してはそのキャラをやっている時が好きなのであって、生で歌ったり踊ったりしているところにはさほど興味はなく、ファスライもセカライも今回のサドライも参加していない。
が、周りは参加しないどころか1つでも参加していない公演があることすら信じられないというような考えのPばかり。アイマスを好きなら中の人のこともアイドルのように扱え、全通以外ありえないという考えは、私には無理だ。
また、SideMに限った話ではなくいわゆる「みんマス」思想が蔓延っているのも気持ち悪い。何かと他のアイマス作品のキャラ同士を関わらせようとしてくるが、側から見たら無理やり相手を勧めてくる面倒くさい親戚のおじさんおばさんだ。
あと、「推し」呼びは悪のように扱う信者も多い。他のアイドル作品では推し呼びしかしたことがないので、間違えて「◯◯推し」とでも言おうものなら「アイマスでは担当だから〜」と必ず担当呼び警察が来るのが本当に気持ち悪い。
他のアイドル作品と一線を画している、画したいと思っているのはいいけどこんなにルールでギチギチに縛られたジャンル、居心地がいいとはとても言えない。運営の方針改善と、あと周りのPがもっと柔軟にならない限り新規はなかなか入って来れないんと思う。それか元々にわかは許さないみたいな人が多いのかな。
最近アイマス界隈で一番話題となったことと言えば、やはり「アイドルマスターシャイニーカラーズ」がリリースされたことでしょう。
レッスン、お仕事、オーディションからスケジュールを組み立ててアイドルを育成し、アイドルの祭典"W.I.N.G."での優勝を目指すという、
アケマスの頃のような初代のゲームシステムを踏襲しており、古参Pから全くアイマスに触れたことがないという人まで、リリース開始当初
自分もやってみましたが本当によくできてると思いました。初見ではほぼクリアできないであろう難易度はアイドル界の厳しさをその身で感
じられるし、アイドル達とのふれあいは二人三脚でトップアイドルを目指しているということを実感できる、本当に「アイドルをプロデュー
スしている」ということをその身をもって体感できるゲームになっていると思います。
そんなアイドルマスターシャイニーカラーズ、通称シャニマスは前述のとおりネット上でも(特に古参の方々から)好印象を持たれています。
「これが本当にやりたかったアイドルマスターだ」「これが本当のプロデュースだ」「最高にアイマスしてる」
そのような声であふれていました。
「じゃあ僕らが今までやってきたことはなんだったんだろう」って。
担当のカードを手に入れるためにただひたすら画面を押し続けたり、無心になって音ゲーのイベント走ったり、限られたお金を切り崩して
ガチャ引いたり、そういったことのすべてが否定されているように思えてならなかったのです。
普通に考えたらおかしな話なんですけどね。ただひたすら画面を押し続けることや音ゲーをすることが「プロデュース」だなんて。
でも今までそれをプロデュースだと信じてやってきた人たちがいる。その人たちがやってきたことっていったい何だったんでしょう?
先月、グリー版アイドルマスターミリオンライブ!がサービスを終了しました。僕はこの5年間の歴史すべてに携われたわけではありません。
でも、ここでしか知れない、見られないアイドル達の一面がたくさんあって、あの劇場は、あの世界は、僕にとっても大切な場所でした。
中には本当に初期のころから熱心にプレイしていた人たちがいて、そういった人達の嘆きや悲しみも目にしました。本当に好きだった
んだなって、自分が信じたプロデュースをずっとこのゲームでやってきた人たちなんだなって。「ありがとう」という感情で満ちていた最後こそ、
そんなグリマスすらも否定されているように思えてしまうのです。ミリシタをやっているときも、自分は何をやっているんだろうという気持ちに
プロデュースってなんなんでしょうね?繪里子さんは、プロデュースの方法は人それぞれ、とおっしゃっていたのでそんなに深く考えるようなことじゃ
ないんだと思いますが。エンターテイメントなんだから楽しめなきゃ損ですもんね。
シャニマスは確かに初期のころのような、本当にアイドルをプロデュースしている感覚が味わえるゲームになっていると思います。これ「が」アイマス
だと思っている人も多くいると思います。でも、僕にとってシャニマスは、これ「も」アイマスなのです。シャニマスに関して何をどう思うかは自由ですが、
ほかのアイマスを否定するようなことはあまり言って欲しくないなと思っているのが今の僕の気持ちです。
まあ、悪気があって言ってる人はあまりいないとは思いますが(笑)。アケマスからやってたような人たちは本当にこういったものを待ちわびていたことで
しょうし、気持ちはわからんでもないです。誤解がないように言っておきますが僕は普通にシャニマス好きですよ。
いろいろと思うことを吐き出しましたが僕も多分5th行く頃には忘れてると思います(笑)。少しでも僕に共感していただける方がいたらうれしい限りですが、
しがないミリPの一人が思っていることなんであんまり気にしないでくださいね(笑)。最近何かと匿名ブログが話題になるので…。拙い文章でしたが、最後