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はてなキーワード: らくだとは

2017-01-21

SMAPを食い尽くしたらもう荒野しか残ってなかった

今更だけど、俺SMAP好きだったんだなーって思う。

俺はまったくアイドルとか興味ないし、芸能人の誰が消えても何も思わないけど、SMAPは好きだった。

週明けの会議に向けて、ネタ出ししてると本当に唯一無二の存在だったってつくづく感じる。

だってビックネームなのに、どんだけ叩いても本人たちは訴えるとか言いださないし、事務所からも怒られない。

しかも本当か嘘かわからんネタ事務所から提供してくれたりするし。嵐叩いたら速攻怒鳴り込んでくせに。

から今週ネタ少ないな~あと2,3本足りないっていうときにテキトーSMAPネタ混ぜ込んどくのが、常態化してた。

こんなくだらないネタ誰が読むんだよっていう推測・憶測記事みたいなのでも割と採用されるし、SMAPって名前出しただけで売れるしPVもあがるのよ。

そんで上司から褒められちゃったりするのよ。そしたらくだらないネタでもとりあえずSMAPいれとけってなるじゃん。

でも年明けからネタ出しするときに、いちいち「あ~SMAPもうちょっと引っ張れるけど、この先どうなるんだろ」とは不安になるよね。

SMAPは美味しい美味しいごちそうで、いくら食い散らかしてもなくならないと思ってたけど、さすがに乱獲しまくったら絶滅しちゃったっていうかんじかな。

捕鯨禁止されたらマグロ食べればいいよってなるみたいに、別のターゲットいるかっていったらそうじゃないしさ。ビッグネームは皆がっちり守られてて、少しでも叩いたら事務所煩いんだよ。

業界全体のこととか将来性のこと考えずに、好き勝手たらこうなるんだよなーってしみじみ感じた。

でも俺はこの仕事がだめだったら転職すればいいって思ってるし、業界全体のことなんかより嫁と子ども可愛いし、目の前の仕事終わらせて給料もらえればそれでいいのよ。あと極力上司に怒られたくない。

からSMAPのことは、ネタが切れる前に華々しく再結成してほしいって思うくらいには好きだったんだよ俺は。

2017-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20170116092654

放置された傘を、貰っていいものかどうか、然るべき人に確認するのは犯罪でもなんでもないよね。

ナンパされる女性は「放置された傘」じゃないからなあ

傘に例えるなら「他人が持ち歩いている傘を『その傘欲しいからください』と言う」ようなもんじゃ

声かけただけでも十分不審者だし、相手が嫌がってもしつこく食らいついたらそりゃ犯罪だろ

2017-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20170104133904

あとやたらと「資料あったらください」って言ってくる奴も嫌い。

2016-11-21

総務省のやりたいこと

総務省MNO各社にたいしてやりたい意図が分かってきた気がする。


実質0円にダマサれるな。

あれは、端末代は一向に安くなってない。(まあMNPキャンペーンで1万2万の割引はあるが)

月々の基本料とパケット価格を高く設定して、そこをいかにも割り引いている感じにしているだけだ。


最新スマホ“値上げ”を SIMロック解除 100日に短縮 総務省

http://news.livedoor.com/article/detail/12302748/


値上げの部分に関して、これはどういうことかというと、

実質0円というので麻痺させずに価格ユーザ認識させることで、ケータイ高いよねって思わせてユーザMNOから離れさせようとしてるのだ。

そうすることで、MNOに間接的に基本料を下げろと言っているのである

おそらくだが、直接的に総務省は、MNO各社の談合値段にケチをつけられないんだろうと思う。

からこそ、他の取ることができる手段圧力をかけにいってるのではないかと思った。


怒るべきは総務省でなく、今の携帯料金が異常な値段にしてるMNO3社である

ただ単に、月に30分ほど通話してデータGB使いたいだけだとしても、これで各社とも

 5分かけ放題 1700円 と データ量 2GB 3500円 と ネット料 300円

これで5500円。これを多くの人は、疑いもせずよく払っている。


 ただ単に かけ放題でないもっと安い割安な基本料(1000円くらい?)と

データ20GBを6000円で出せるなら 1GB300円とはいかないまでも1000円程度で出して欲しいと思っても、

今の日本MNOでは叶いそうにない。

2016-11-20

映画評論家って評論家の中では一番らくだよね

長くても2時間程度で終わるし、費用は二千円程度だし

媒体も手に入りやすいし

高級品は存在しないし

何かににてるなと思ったけど、ラーメンマニア評論家)と良く似てる

安くて、どこにでもあって、すぐ終わる

2016-11-16

中高生あなたへ送る、進路に関するあれこれ

わたしタイトル考えるのめちゃくちゃ下手くそなのでは?まあいいや)

褒められた人生を送ってきたつもりは無い。

中学の頃、実力テストで学年トップ〜とふんぞり返っていた。

実際、頭いいねと持て囃されたし、学校と塾の授業は比較的真面目に受けていたものの、自ら机に向かった覚えは無いし、自分の実力を過信しすぎたところはある。

ちなみにわたし学校は(市内では頭が良かったとはいえ)学年60人の田舎公立中学である

高校の頃、国公立A判余裕だわ〜とふんぞり返っていた。

わたし高校所謂自称進学校」で、田舎から地区トップ校と言えたような公立高校である

相変わらず授業以外で机には向かわないし、部活もしなくなり気の向くまま生きていた。

中学の時と大きく変わったことといえば学校の中で「落ちこぼれ」のレッテルを貼られたこと。

うちの高校ではテストの結果が著しく悪いと特別講座を受けなければならない。

「さすがにそこまで頭悪くねえわw」とタカを括っていたら数学赤点を取りまんまと引っかかった。

また、勉強する習慣が無いものから毎日のように実施される小テストも落ちまくり、追試の山に追われた。

追試に通いすぎて、数学教師と仲良くなった。

レッテルの上での「落ちこぼれ」の完成である

そんな生徒だったが、模試では数学以外まあまあの点数を取るし、まあまあの大学の判定なら出るし、校内順位も何故か上がっていった。

何故か、上位1~2割には居た。

で、また、性懲りも無く、自分の実力を過信したのであった。

そして何も考えず勉強もせず取り敢えず行ける大学に進学。

現在大学2年のクソババアです。

まだまだ若輩者のクソババアですが、取り敢えず大学まで進んだ者なりに書けることを書きたいと思います

ここまで読んで、「お?自慢か?自慢なら他所でしてくれ」と思った君も、「その程度で何調子乗ってんだ黙れブス」と思った君も、取り敢えずこれだけは聞いてほしい。

中高生の間にしておくべきこと、それは、

勉強よりも自己分析である

このフレーズだけ読むと誤解されそうだから補足すると、勉強をするなという意味ではなく、勉強するより先に自己分析した方がいいぞ、というくらいの意味合い

当たり前だが、自分のことをよくわかっていれば、この先の人生をよりスムーズに生きられるのかもしれない。

そして何より、限られた若い時間有意義に生きられるかもしれない。

順番を間違えないでほしい。

勉強するのに目的を持ってほしい。

でないと大学で詰むぞ。

地獄を見るぞ。

意味がわからないと思うので詳しく話をします。

自己分析自己分析言ってきたが、これはつまり

自分が何をしたいのか」

確立すること。(全然自己分析じゃねえぞとか言わないでくれ)

「何をしたいのか」に適った選択をすること。

これができないと人生ハンドル操作を大きく誤るし、わりと簡単にドブに突っ込む。

上手く操作する人もいるけどね。

例えば、「私は料理人になりたい!」という人。

専門学校に進むことになるだろう。

進路そのままで大丈夫です。

この人の「何をしたいのか」は「料理人になりたい」で、進路もそれに合っている。

自分意思学校に行くし、辛くてもきっと「料理人になりたい!」と目を輝かせていた日を思い出してなんとか頑張れる余地がある。

そして、これはわたしにはまだ言い切れないけれど、おそらく、料理人として就職ができれば、おそらくだが、仕事苦痛ではないだろう。

もう一つ例えを。

「私は別に何になりたいとかは無いけど、昔から日本文学が好きだから文学部に進学したい。」って人。

この人も大丈夫

この人の「何をしたいのか」は「文学勉強をしたい」だから大丈夫

就職に関しては知らないけど、その後の仕事についてもコメントはしないけど、学生生活は好きなものに囲まれてそれなりに幸せに過ごせるはず。

最後に、こういう人がいたとする。

「今の実力で十分行けるし就職余裕だから看護学校志望してる〜」

こういう人、待って、マジで待って。

ほんとに待って。

一旦落ち着いて考えよう。

本当にそれで良いのか??????

読者の皆様には、この人が何故前述の2人とは違うのか考えてみてほしいのです。

何故違うのか?

単純です。

「何をしたいのか」と「手段」が合致していないから。

前半二人はそれぞれ「料理人になりたいか調理師専門学校に行く」「文学勉強がしたいか文学部に行く」と、「何をしたいのか」と「手段」が合致している。

一方で、三人目はどうだろう。

最後の人の「何をしたいのか」はおそらく「看護師になりたい」でもなく、「医療職に就きたい」でもなく、「楽をしたい」。

最後の人は、今から頑張って勉強しなくても進学できるだろうし、確かに看護師免許さえあれば就活に苦しめられずに済む。

なんて思ってるだろうから、結局のところ「楽をしたい」んだろうなと言える。

「楽をしたい」と「看護学校に進学する」はとてもじゃないけど合致しない。

これは中高生のうちは想像できないかもしれないけど、専門学校大学にもクソみたいに忙しくて、クソみたいに遊べない学部がある。

そして資格を取ってすんなり就職が決まったとしても、その先にあるのはちっとも楽じゃない仕事

きっと画面の前にもいる「楽をしたい」そこの君!

頼むからもう1度考えてみてほしい。

進学、就職、と将来のコースを考えると「楽をしたい」に合致する進路はほぼ無いに等しいけど、だからといってそこで進路を適当に決めてはならない。

「楽をしたい」が認められないからといって、正当な他の理由言い訳のように使ってもいけない。

というかそれが一番良くない。

中高生諸君はおそらく行動範囲が通学路くらいだし、わたしに言えたことではないが世界がまだ狭いんだと思う。

から「何をしたいのか」が見つからないこともあると思う。

学校で配られる予備校の進学ガイドみたいな冊子を通してしか将来が見えないと思う。

それでも、というか、だからこそ、わたしは、あなたたちに、世界を広げて、と願う。

しょうもないことからでも良い。

22時はドラマじゃなくてニュース時間にしてみるとか。

通学の電車の中でLINEじゃなくてネットニュースを見てみるとか。

ここで大切なのは、興味無いなと思う記事も読むこと。

「何をしたいのか」に直接的に繋がることはないかもしれないが、少なくとも知ってる世界が広がって、考え方に変化があるかもしれない。

本当は行動範囲をブチ破って旅にでも出れたらいいけど、それはちょっと難しいだろうしね。

説教みたいになっちゃったけど、大学生のクソババアから言えるのはこのくらいです。

わたし世界を知るのが遅すぎた。

大学生になってからではもう取り返しがつかなかった。

進路を間違えた自覚があるし、大学生活も授業もつまらないし、単位は取れないし、もう散々。

だが、失敗したからこそわかることも沢山あったし、人生誰しも一度は失敗するだろうし!って、ちょっと開き直ってきてる。

そんな現状。

歳をとると、自分成功や失敗を語っては若者に言い聞かせたくなるものです。

みんなはこうならないでね。

是非とも、「何をしたいのか」はっきりさせてから進路に向けて勉強してね。

困ったら手当り次第に色んな人に相談するんだぞ。

価値観が固定されないように、できるだけ沢山の人にね。

ババアからは以上です。

ちなみに例に挙げた三人目はわたしのことです。

クソ辛い。ウケる

□追記□

自称ババアはいえまだまだ尻の青い者が書いた稚拙文章にこんなに反応が貰えて嬉しい限りです。

はじめての投稿でこれなので心底ビビってます。青いな。

投稿した時に気づきましたが、よく考えなくても中高生はここ見てませんよね。

もはやギャグですね。

中高生だった頃のわたしに送る文章なのかもしれません。

まだ人生に対するバイタリティは死んではいないと思うので、納得できる答えが出るまでガキらしくもがいて、ババアらしく執着したいと思います

2016-11-11

こないだテレビデブを笑っていたんだけど

正直笑ってる場合じゃない

5年で増えた体重15キロ わたしも十分デブの部類

暴飲暴食を繰り返してるわけじゃないのに じわじわどんどん増える体重

たぶん単純に運動する量が足りてない

筋力ない

代謝落ちる

体が硬い

痩せる要素がどこにもない

始めよう

ストレッチ

筋トレ

無理のない食事制限

たくさん噛んでゆっくり食べる

人間はどこまでも堕落できて

わりと簡単限界を超えるんだ

あとなにしたらいいかアドバイスあったらください

2016-11-03

プライドはどうしたら殺せるか

最近やっと気づいた。 自分プライドが高い。


しかも厄介なプライドの持ち方をしているようで、表面的にプライドの高さが伺えるような立ち振舞はしてなくて、心のなかでそっと「いや、そんなこと俺は受け入れない」みたいな意見の殺し方をする。


自分簡単な生い立ちを話すと、今は20代前半で、3年間勤めたブラック企業を辞めて新しい環境に就かせてもらっている。

前職の3年は待遇的にも環境的にも悪く、精神がすり減る一方だった。

一番つらかったのは、職場目標とする人や、指導を乞える人が1人もいなかったことだ。

厳密に言えば、入社して1年位は敬える先輩が多くいたが、色々ありどんどん先に辞めてしまった。

そこから、社内に悩みや技術的な相談を気兼ねなく出来る人がいなくなってしまったため、1人でなんでも進めがちになってしまっていた。


一番の失敗は、それでもかろうじでいた唯一の先輩に「この人は大した実力がない」と思い込み相談しても大した答えは返ってこないと勝手に考えてしまっていたことだ。


1人で殻に閉じこもって物事を進めると視野が狭くなり、大幅な成長が望めないことは明白だった。

振り返ってみれば、この3年間は悔しくも全く成長できた実感がない。後悔の3年間だった。


今の新しい環境では、周りに相談やす雰囲気がや仕組みがあり、敬いたくなる上司も出来た。

しかし、人に聞く、尋ねる、相談する、教えてもらう、などと言ったことが上手く出来な自分がいた。

自分はこれを「照れるから」「恥ずかしいから」と思っていた。


しかし、上司といろいろ会話をする内にだんだん自分が「プライドが高いから」であることに気がついた。


おそらくだけど、過去の3年間、曲がりなりにも努力した『つもり』でいるのだ。

ぬるま湯につかってしまっていただけなのに、多少なりとも成長した『つもり』でいた。

現実は、自分ができると思っていたことは新しい環境では全く通じなかった。


初めてではあったが転職をした身であるが故に、あくまでも外面は「中途採用なのだという自覚があり、

周りから新卒以上のことは普通にこなせるだろうと期待をされているはずだ、そう思っている。

しかし、当の中身は新卒と同等かなまじ中途半端な分、新卒よりも素直じゃない。


このプライドは、全くの無駄であることに気づいた。

持っているだけ無駄なのだ


こんなプライド、早く捨ててしまいたい。

過去の3年間など忘れ、新卒と同じようにゼロベースから新しいこと、これまで知った風でいたことを一から吸収していきたい。


こんなプライドなど、早く殺してしまいたい。

2016-10-26

作画の嘆き

ヲタの嘆きというのが、分からなかったが今ようやく理解した。

おそらくだけれど、彼らの理想的な「作画を語る」という行為は、決して作画の”質”や”安定性”を述べるもの(「この作品作画班頑張りすぎwww」「作画クオリティ高い」)ではなく、作画の”中身”に対しての発言議論であるはず。中身とは、例えば、食事風景でのちょっとした仕草や、キャラクターの動きや、派手なアクションエフェクトでもどんなものでもいいけれど、そこに対し、何らかの言葉を投げかけることだ。「作画を語る」という文化が発展していった経過を、推測だが述べたいと思う。

作品に対して、「あの仕草がすごいうまかった」「手足の動きが面白かった」みたいな所から始まる(最初もっと直感的な感じかもしれない。よく分からないけど凄いといった感想もつのではないだろうか)。アニメを追っていると、次に同じような(似たような)作画を見かけることが多くなってきたり、もしくは自分の好きな作画(素敵な絵画一目惚れするのと同じように)に出会う。すなわち、その作画をした原画マンへと辿り着く。「この人が描いていたのか」と、この時点で名前を覚える。その蓄積によって、「ここは誰々だ」という風な具合になってくる。

しかし、一部のアニメオタクが述べることは、あまりにも彼らのそれと乖離している。「作画班すげー」「作画崩壊してる」「万策尽きてるwww」などなど、どれもあまり作画の中身には関係のないものばかりが並ぶ。絵に興味があるというよりは、「作品のもの異変(透ける現場の大変さ)」に対して言及しているように見える。中身について語りたい作ヲタと、現場の異常性について騒ぎたいだけのアニメオタクでは、あまりにもズレすぎている。これでは、作ヲタが牙を剥き出しにし、「作画崩壊」という言葉に過敏になり、先日のような事件が起こることも致し方ないと思う。しかし、「作画崩壊」という言葉流行が悪いのは当然としても、そのような攻撃が頻発してしまうと、他のアニメファン作画に対して異質なイメージを持ってしまう。その結果、このような酷く乖離した状況になっているのだと思う。

ようやく嘆きを理解できた気がするので、増田メモをしておく。

2016-10-19

年を取って気づいた「仲良くない友達」のありがたみ

T/Oなんですけどね

女性はよく、なぜたいして仲もよくない友達とつるむのか

まー男性も見かけます

最近、そのありがたみが分かってきた

ガチ友達だと、話を聞いてても、心配になったり、うれしくなったり、親身に聞いてしまって疲れる

しかしどうでもいい友達なら、へーふうん、ほー大変だなーで済む

帰宅してから、「あれってどうなったんだろう……」とか

「あのときああ言ったのは失言だったか」などと悩む必要がない

さらに、友達の悩み事の経過相談がなく、

「あの件どうなったんだろう、しかしこっちから聞くのも悪い」なんてことが起こらない

基本興味ないしな

しか相手は、こっち相手に自慢話やらくだらない話やらできて便利

まーうまくできてる

仲良くない友達、少しいると生活がありがたい

2016-09-26

アニメ劇場で見る時代

君の名は、が凄まじい興行成績となっている。

これは普段から映画アニメ積極的に見ていない層まで取り込んでいるからだそうだ。

こうした現象は往年のジブリ映画でよく見かけた。

  

確かにプロットも一捻りした謎要素があり、しかし決して難解ではない(見る前からある程度オチが予想できる)

加えて男女の恋愛も盛り込んでいるのだから女性も話に入り込みやすい。

  

で、だ。

この記録的大ヒットがもたらす今後のアニメ道筋はなんだろうか、と考えた。

主流はやはりTVだ。深夜アニメの数は膨大に膨れ上がっている。

TVアニメの続編、あるいは総集編といった形での映画化結構ある。

ただそれはTVアニメという土台があり、見てくれる信者がいてこそ、採算が取れるからGOとなった。

  

かたや君の名は、はどうだろうか。

新海ファンはいただろうが、限りなくオタク層だ。

宣伝がうまかったにせよ、監督のことを知らなかった人も多いはず。

信者以外の人を大勢動員したことで、つまり単発アニメ映画で採算が取れる可能性が見えたのではないか

  

深夜アニメはもう群雄割拠時代で、時間も人手も足りない。

でも視聴者は高いクオリティを求める。

崩壊寸前の現場は、君の名は成功を見て、劇場で見るアニメ可能性を模索し始めているのではないか想像した。

  

そもそも発声可能上映だとかペンライトがんがん振りながら見るとかある種の「異空間」を演出できるのが、今の映画館の強みだ。

3Dだって4Dだってアイマックスだって可能性はてんこ盛りんぐ。

  

ニコ動コメント打ちながら見るのが新しかった時代は終わった。

これからは、誰かと同じ空間で同じ興奮を味わいながら楽しむ、「ライブ感」が重要になる。

そこにアニメはうってつけだろう。いくらだって演出できる。

  

君の名は、はそういったライブ感とは違うけど、皆が見てるから俺も私もという連鎖に入っている。

この同調感というか一体感への飢えはやっぱり大きい。

  

オタクはもう引きこもっているだけじゃ物足りなくなってしまったんだ。

そして制作側も、あわよくば一般層を引き込める劇場アニメに魅力を感じるかもしれない。

からここ数年のうちに深夜アニメが減って、劇場アニメが増えると踏んでいる。

※まったく制作の懐事情は知らずおそらくだろうと多用してしまうくらいの側の一意見

2016-09-22

その男は寡黙に見えた。

ずっと寡黙だったので。

しかし、おそらくだが、知的障害だと

愚かだと10代のころに言われて

寡黙になっていたんだと思う。

その男は60になった。

もう文句を言うやつはいない。

大胆にしゃべりはじめた。

おかしな行動を思いっきりした。

そして犯罪を犯してしまい。

また寡黙になった。

あほか。

学習できない人間もどきがある。

2016-09-07

「ひとりきり」という感覚

※このダイアリーは長文です

いきなりだが、次の一文を読んでみてほしい。

「私は世界でひとりきり」

さて、あなたはこの一文についてどのような解釈を持っただろうか。少し考えてみてほしい。

らくだが以下の2パターンに分けられるのではないだろうか。

(1)私はこの世界に1人しか存在しない、唯一の存在

(2)私はこの世界に1人だけで存在している、孤独存在

別に心理テストをしているわけでも何でもないのだが、自然に(1)の解釈を持った人は色んな意味幸福人生を歩んできて、今現在も歩み続けている人なんだろうと思う。少なくとも(2)の解釈を持ってしまうような人からすれば、そう思える。かくいう私は「ひとりきり」という言葉を聞いて「個性」よりも「孤独」を連想するタイプ人間である

話は少し逸れるが、数年前まで週刊少年ジャンプで連載されていた「魔人探偵脳噛ネウロ」というマンガがある。知らない人のためにこのマンガをざっくりと紹介すると、「魔界から来たドS魔人女子高生奴隷化して数々の難事件解決していく」SMアクションときマンガである本能に忠実に従って爆弾を爆発させまくる主婦や直接注射すると筋肉ゴリゴリに変身できるスープを作るコック、自分でこしらえた家具身体に装着して戦う家具屋など、常識の枠にとらわれない犯人が毎回登場することで少し話題にもなった。私は中学生のころジャンプを購読していたので、毎週このマンガを読んでいた。別に魔人探偵脳噛ネウロ」が読みたくてジャンプを購読していた訳ではなく、「せっかくジャンプを買ったのだからついでに読んでおこう」程度の気持ちで読んでいたのだが、このマンガがあるエピソードに入ったとき(正確にはそのエピソードが終わった時)、私は強い衝撃を受けた。それは「こんなにも私の気持ちを代弁してくれるようなマンガがあるのか」というものだったが、その衝撃は今でも覚えている。人に「一番心に残っている作品は?」と質問されたとき、すぐに「魔人探偵脳噛ネウロ」と答えるくらいだ(作品自体がめちゃくちゃ好きというわけではないが)。

さて、猿のような中学生にそこまでの衝撃を与えるエピソードはどんなものかというと、以下のようなものである

探偵事務所に超有名歌手の「アヤ・エイジア」という人物が現れ、仕事を依頼する

②依頼内容は事務所で首を吊っていた彼女プロデューサーマネージャーへの警察による自殺判断調査

ネウロ主人公探偵調査を行った結果、実はプロデューサーマネージャー自殺ではなく、他殺だった

④なんと犯人は依頼人であるアヤ本人だった

⑤謎解き終了

私のミジンコレベルの要約能力では読者の方は恐らく何のことかサッパリからないと思うが、興味がある人は原作(2巻だったかな)をあたってみてほしい。

ここまで簡潔・適当に要約したのは、私が衝撃を受けたのはこの事件トリックや謎解き、犯人ではないからだ。私が最も衝撃を受けたのは自身プロデューサーマネージャー殺害したアヤの動機だった。動機については当日記の核心となる部分なのでもう少し丁寧に説明する。

アヤはある特殊能力を持っている。それは「ある特性を持っている人間を、『歌』を歌うことで失神させる」というぶっとんだものである。では「ある特性を持つ」人間とはどんな人間かというと「自分世界にひとりきり」と感じている人らしい。アヤによると、全ての人間の中の数%(正確な割合は忘れた)は先天的にこの特性を持っており、この特性はなかなか消滅するものではないという。そして、アヤ自身も「自分世界にひとりきり」と感じる人間だった。彼女は「ひとりきり」であり、「ひとりきり」を完全に理解できたが故に「ひとりきり」の特性を持つ他人の脳に直接干渉・失神させることができたのである彼女はこの能力歌手としてフルに発揮し、数年のうちに全世界に名を轟かせる超有名歌手になった。

そんな彼女を影で支えていたのがプロデューサーマネージャーだった。両人ともアヤがデビューしたての頃からアヤのことを親身に、時に厳しくサポートしており、アヤにとってはかけがえのない人物となっていたのであるしかし、彼らがアヤに近づけば近づくほど、アヤは「ひとりきり」という感覚を失ってゆく。彼らがかけがえのない人になればなるほど、アヤの能力は弱まり曲の売り上げも悪くなる。アヤは悩みに悩んだ結果、能力消滅を恐れてプロデューサーを、その次にマネージャー殺害した。2人が死んで「ひとりきり」の感覚を取り戻した後のアヤの曲は再び世界的に大ヒットするようになった。

孤独を感じない人間などいない。しかし、例えば恋人デートしていても常にどこか心の中に相手のことを信じていない自分がいたり、友人とどれだけ楽しく話せていても心の中に高い壁があるように感じたり、家族食卓を囲んでいるのになぜか他人食事しているように感じたり…と、明らかに異常な場面・異常な頻度で孤独を感じる人がいる。少なくとも私は「ひとりきり」の人間だった。だからこそ、訳の分からないぶっ飛んだ謎解きマンガに信じられないくらいの衝撃を受けたのだ。今考えれば「中二病」と呼ばれる症状の一種なのかもしれないが、しか20代中ごろを突っ走る今現在も、私自身の「ひとりきり」という感情存在している。さすがにもう中二病卒業していると信じたいのだが…。

私がなぜ数年前のマンガを扱ったこの日記を書くに至ったかというと、アヤと同じで「ひとりきり」の感覚を失いつつあるように感じたからだ。私はこれまで孤独とともに生きてきた。この孤独は常に1人であるという意味ではない、常に1人であるように感じてきたという意味だ(実際1人でいることが多いのだが)。1人でいると心が安定するので勉強仕事捗る学生時代は1人でいたので受験には成功したし、そこそこの職に就くこともできたし、社会人になってからそこそこの仕事もこなしてきた。しかしここ1年ほどで状況が大きく変わった。職場でかけがえのない友人や心から尊敬できる上司出会い、彼らとの交流を深めてゆく中で自分が「ひとりきり」でないように感じてきた。そして明らかに仕事の出来が悪くなった。きっと交友関係無駄時間を割いているからだと自分には言い聞かせている。

他人からすれば「ひとりきり」でなくなることは良いことだろう。しかし生まれからずっと「ひとりきり」だと感じてきた私にとって、「ひとりきり」の感覚を失うことは自分自身を失うようでとても怖い。また、今はまだ問題の無いレベルだが「ひとりきり」でないことが生活にまで影響してきていること、さらに今後も悪化しそうなことも怖い。

もしこの日記を読んだ人の中でこのような精神病を知っている人がいればぜひ教えてほしい。

それにしても、私と同じように自分を「ひとりきり」と感じる人はどれくらいいるのだろうか…

2016-09-04

[]貧富に対する聖書の態度

1. 結論

(1) 理想状態

富は神が人類に賜うたまものである。ゆえにもし世が神の御心に合う世であるならば、貧者も富者もないはずである。このような世にあっては以下の状態普通である

「多く集めた者も、余ることはなく、わずしか集めなかった者も、不足することはなかった」(コリント後書8章15節)

(2) 現実

現実は、「多く集めた者」は「余」り、「わずしか集めなかった者」は「不足」している。

この神に背きたる不自然社会にあって、富はたいていの場合において不自然であり不当である

たいていの富はその所有者が作ったものではなく、社会の多数を占める貧者が作ったものである

この罪の世にあっては、少数のいわゆる「まわり合わせの良い者」が富者になるのであって、本当に自分の力で富を作り出したという人はめったにない。

(3) 各階層に対する評価・態度

怠惰の結果としての貧:×同情しない

社会の多数を占める貧者:◎幸いする

③勤勉の結果としての富:○褒める

相続幸運によって得た富:△罪ではないが不幸

⑤不当の分配によって得た富:×呪う

以下、①、⑤、②について各論する。

2. ①怠惰の結果としての貧:×同情しない

キリスト教は、怠惰の結果、貧を己に招いた者に対して同情を表さない。

手のひらに欺きがあれば貧乏になる。勤勉な人の手は富をもたらす(箴言10章4節)

金持ち財産は彼の砦。弱い人の貧乏破滅箴言10章15節)

3. ⑤不当の分配によって得た富:×呪う

イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ち天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ち神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(マタイ伝19章23-24節)

4. ②社会の多数を占める貧者:◎幸いする

(1)キリスト教はどう見ても貧者の宗教である

イエスは目を上げ弟子たちを観て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国あなたがたのものである。」(ルカ伝6章20節)

心より貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものであるマタイ伝5章3節)

兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力なものを選ばれました(コリント前書1章26-27節)

わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか(ヤコブ書2章5節)

(2)なぜ貧者は幸いであるか

上記理想状態から見て、貧者は神の賜物のより少ない分配しかあずかっていない。したがって、のちにその不足を補われることになる。

他方、富者はより多くの分配にあずかったものであるから、のちにその余分を徴発される。

(貧しき)兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい(ヤコブ書5章7節)

富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。あなたがたの富は朽ち果て衣服には虫が付き、金銀もさびしまます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。御覧なさい。畑を刈り入れた労働者あなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠られる日に備え、自分の心を太らせ、正しい人を罪に定めて、殺した(ヤコブ書5章1-6節)

(3)貧者は現世においてどうすればいいのか

こう祈りなさい。『わたしたちに必要な糧を今日与えてください。』(マタイ伝6章11節)

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないかマタイ伝6章26節)

金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました(ヘブル書13章5節)

(4)貧者だけ持つ富

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです(コリント後書8章9節)

貧者は緊張の生涯である。そして緊張のうちに信仰も起こり、愛も希望も生じる。貧者は貧にいて主イエスを最も深く知ることができる。

イエスと共にあることだけが最大の富であるキリスト教徒はこれ以上の富を要求しない。

2016-07-30

シン・ゴジラ彼氏リトマス試験紙として使うのがいいと思う

シン・ゴジラを観てきた。

はいわゆる "全方位興味あるけど浅いヌルオタ" で庵野監督作品は緩く全部観た人間なのだけど、シン・ゴジラはそれ含めあらゆる方位のオタが反応するネタがいっぱい散りばめられていた。

この作品を観た人の反応は主に下記5つに分類できると思う。

1. 政治経済オタ

2. 鉄オタ

3. ミリオタ

4. 巨大建造物/工業地帯オタ

5. アニメ特撮オタ

ネタバレは避けたいので詳しくは言及しないが、概ねこれらのオタが反応しないわけにはいかないネタがこれでもかと織り込まれていて、見終わった後はこれらのどれかもしくは複数について語りたくなってしまうような作品になっている。

もしあなた女性で、付き合っている彼氏の本性を見極めたい場合シン・ゴジラを観せることはタイトルにある通りのリトマス試験紙としてはたらくだろう。

この作品を観た男の子は、概ね上記5分類のうちどれかもしくは複数に反応するので、観た後の喫茶店食事の際に話す内容をよく聞いてみるといいだろう。

そこで、何か一つでも合う話題や熱くなれる話題があったとしたら、そのジャンルで相性がいいと言える。

逆に "ああこの人とは趣味が合わないな" と思ったら素直に別れるのをオススメする。

という感じで、シン・ゴジラ男の子が強く反応する何かが散りばめられていて、語らずにはいられなくなってしま作品になっている。

この作品を観た上で、何にも反応せずにいる男の子がいたとしたら、そいつは単にあなたセックスしたいだけのヤリ目かよほどの世間知らずなので、むしろ別れることをオススメする。

私はだいたい全部のリトマス試験紙に引っかかってしまったので、もうだいぶ末期症状だと思う。

こんな私と一緒にシン・ゴジラを観に行ってくれる女性が現れて欲しい。

2016-07-20

母が子育て詰んだ

思うところあって増田を書きたいと思う。

先日ホッテントリとなったこの記事を読んで思い出した

http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2016/07/19/223314

子供のころ、なぜ自分のお母さんだけがずっと布団に寝ているのかいつも不思議に思っていた。

友達のお母さんはハキハキしていて元気そうに笑っているのに、どうしてうちのお母さんは寝てばかりいるのか。

うちのお母さんは夕飯の用意もできないほど弱っていたので近所の家におかずをもらいに行くのが日常だった。

近所の人は案外優しくて良くしてくれた。

当時の母は弱り切って、いわゆる炊いたコメが食べられなくなっていた。

から食パン牛乳に浸して柔らかくなったものをちぎって、すするようにして食べていた。

母がいわゆる普通の御飯を食べられるようになったのはしばらく経ってからだった。

===

我が家子供が3人で、全員が発達障害に産まれしまった。おそらくだ父親発達障害可能性が高い(たぶんアスペ

上に兄がいて、下に双子が産まれしまった。簡単に書くと兄が自閉症、妹(双子)がアスペADHDという組み合わせだ。

母に言わせると兄が大変に手のかかる子供で、尋常でなくつらかったらしい。

兄は2歳くらいのとき自閉症と診断された。母はものすごくショックだったようだ。

母が言うには、兄はまずアイコンタクトというもの通用しない。母が困った顔をしていてもまったく目に入らない。

とにかくこちらの気持ちが通じないのだ。自分の子供のはずなのに、昆虫かなにかを相手にしているような感覚になる。幼児なのに、である

兄は極端に神経が繊細で、少しでも気にそぐわないことがあると暴れたりかんしゃくを起こしたりする。当然ながら寝ない。ちょっとでも物音がすれば起きる。

母側からコンタクト通用しないのに、兄は極度な甘えたがりで母と一瞬でも体が離れると泣いて暴れる。

そんなことの繰り返しだったが、下にまた子供が出来てしまった。

なんと双子ができてしまった。

双子育児はただでさえしんどいのに、この双子はまた発達障害だった。

(※注 当時はまだ診断基準がなく、増田自身発達障害がわかったのは30すぎてからです)

===

今でもくっきり記憶に残っているのだが、物心ついた時、母は家におらず入院していた。

母が言うには、とにかく子供の世話に追いまくられ、父は仕事が忙しくて育児を手伝ってくれることは皆無、

親戚や実母なども事情が重なって手伝いに来られず、気づいたら骨と皮ばかりに体が痩せていたという。

トイレへ行くのも床をずるずると這って行ったが、それすら無理になったときほとんど本能的に電話に手がいって救急車を呼んだという。

(母が言うには、本当に体がダメになったら尿はほとんど出ないらしい。)

最後自分で測った記憶があるのが34キロ病院で測ったところ32キロだったそうだ。(母の身長は155センチ

母は子供を産むまではフルタイム仕事をしていたので、すごく体が弱いというわけでもない。

ただ以前あった増田のように編集者レベルでタフかというとそうとも言いがたい。

いわゆる核家族だったが手伝いにきてくれる人が残念なくらいいなかったのだ。

当時は今のように自閉症児に対する工夫などの情報ほとんどない。ネットもない。

孤立した母は詰んだ

その後、母は極端に病弱な体になり、基本的には家で寝ていた。

兄をみる余裕がなくなった母は、まだ幼かった兄を母の実家にあずけた。

半年ほどして母が様子を見に行ったところ、祖父祖母はげっそりと痩せていた。

とくに祖母は気疲れがひどく、10キロ以上痩せてしまっていた。

兄の相手をすることや兄の要求を聞くことがとんでもなく大変だったらしい。

困り果てた祖母は、兄を霊能者のところへ連れて行ったことがあるらしい。

すると、兄は親戚中の悪いところをすべて引き継いで産まれてきてしまったのだと言われたそうだ。

から親戚の他の子には悪いものはいかない、なぜなら兄がすべて悪いものを引き受けてくれたからだと。


娘の存在は、母にとってはやすらぎとなり、母は兄よりも娘といることを好んだ。

兄は私が覚えているかぎりでは幾度となく親戚の家に預けられていた。言い方は悪いが兄は「たらい回し」にされていた。

長期間預けるとトラブルを起こしたり、その家の人が寝込んでしまったりするので、半年くらいで親戚のあいだをぐるぐると移動していた。

今でもよく覚えているのだが、兄が家にいないと母はとても嬉しそうにしていて、花を飾ったり凝った料理を作ったりしていた。

料理に対して「わぁ〜!」と反応すると本当に喜んでいた。

これ、これなのよ、私の望んだ家族の姿って!これなのよ!というような。その瞬間だけはまさに母の夢が開花していた。

兄がいないと父も穏やかな表情になって、母もそのことを嬉しがっていた。

私たちは、まるで兄がもともとからいない家族であるかのように食卓を囲んでいた。

日常があまりにも穏やかで、この頃の記憶ほとんどない。

兄がひどく育てづらい子供だったことで母は疲れきっていた。

から、兄が家からいなくなると、気持ちが晴れ晴れして小康を取り戻すのだった。

の子たちもADHDがあるため、忘れ物も怪我もひどいし学校に呼び出されたりそれはそれで面倒だったが「気持ちが通う」という点で、母のしんどさは桁違いに違ったらしい。

自分記憶では、兄は4〜10歳くらいまで、ときどき家にいたがときどきいなくなっていた。母の実家、父の実家、親戚の家…あちこちに預けられていたと思う。

はいわば兄の育児放棄してしまっていた。

===

その後も兄関係でゴタゴタがいろいろありましたが、いま40歳目前になる兄が社会適応できることはありませんでしたとだけ書いておく。

そしてそういう子供一定数産まれしまうこの世の不条理というかなんというか。いや、社会のほうが未熟なのかな。私にはわからないですけれども。。


読んでいただいてありがとうございました。

2016-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20160704015149

男の人にはわからんかもしれんが

スパ施設の休憩所(寝てるところ)って、女性専用部屋に比べて

男性専用(男女共用だが実質男性専用)部屋はマジでむわっとしてるし変なにおいしてるぞ

スパ施設ってことで大半風呂に入った後だろうにそれ

おそらくだが、男の人のほうが筋肉量が多い→新陳代謝が高い→汗の量とかが多いんだと思う

男性一人と女性一人ならたいした差もないし、言うとおり女のほうが匂うってこともなくはないだろうけど

男性十人と女性十人、あるいは男性百人と女性百人だともう顕著に違いが出ると思う

2016-06-28

左利きへの差別はなくならないのか

人口の10パーセントいて、LGBTとは異なり昔から認知はされてきた。

それなのに左利きへの配慮は皆無だ

差別をなくせや、平等というのならまず身近の差別を無くそうよ

そんなことに見向きもしないのならくだらない平等を掲げてんじゃねえよクソジャップ

2016-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20160525213232

バグがあって、ストリームに変な値が入った時、どこがバグなのか、追跡するのが困難でしょ?

第一に、それは、ストリームFRPの値の定義)の問題であって、ユニットテストすれば良い。もしくは単にFRPログを取れば良い。

グローバル変数ではそういうことはできない。FRPでは、岡部氏のFRPライブラリ特にそうだけど、基本的ミュータブルな値同士が関数リアクティブ連携されて常に整合性を保っているのだからグローバル変数の、各所で更新されたそれぞれの値によって全体の整合性が損なわれないように気を配らなければいけないという(テスト自体困難な)問題は発生しない。それがFRPの唯一とも言えるメリットだとも言える。

使用する関数問題じゃないし、「印」として引数に加えても別に構わないと思うが、君のいうグローバル変数問題と一緒というのはまったく違う。

岡部氏との争いって「OCamlGUIアプリ純粋関数型(状態渡し)で簡潔に書けるか」ってところじゃないよね?

いや、それがそもそもの発端であるブログの経緯には書かれている。説明されている方式GUIアプリまで書けるのか?と疑念が呈されたことがきっかけ。

岡部氏はFRP状態関数の外部に持ってても純粋関数型だ、と言ってて、そこで争ってるんだよね?

この論点は聞いたことがない。岡部氏がこだわっているのは非手続き型の宣言型で、純粋がどうとか議論はされてないように思う。

あと、OCamlGUI状態渡しで書いたら簡潔で無いのを「書けない」、「不可能」って言ってるのはわざと印象操作しようとしてるよね?

原理的に可能かという議論ではなく、実用的な範疇か?という議論。反対派ブログで出てきたコードは、本人が認めるように普通のやり方ではなく、実用的なコードだとは思えない。あと、FRP状態渡しは同じ複雑さだという主張も崩されている。そこが重要

Haskellで書けて、OCaml冗長になっても、書けるなら「書ける」、「可能」だよね?

段階を踏んだ上で、非FRPHaskellのIOモナドコードを誰かが書いたらいんじゃない?当面、最初OCamlの話だったのに、いきなりHaskellやElmのコードで書いて、そういうのがごちゃまぜに、何がどの言語でできるのかできないのか、誤魔化しがあると見做されたか制限されたんでしょ。実際には、OCaml関数型では冗長しか書けないと実証されたけど、そういうのがバレないように、別の言語を利用していたと看破されて当然の状況だと俺は思うね。

俺の書き込み他人といきなり結び付けられたから、電波だな、と思ったの。

俺1人か、とか、らくだや住井が含まれてない根拠とか、関係無いよね。

関係ある。君ひとりは、そうじゃない、と君ひとりが言ってもそれが本当だとは確認のしようがないし、

書き込みをみれば、君以外の書き込みもすべて、その一派ではない、とでも言いたそうだ。

http://anond.hatelabo.jp/20160525202812

否。ストリームに限らず、定数は引数で与えなくても純粋関数である、という見解はごく普通

定数って、プログラム中で更新不可能で、いつ読みだしても同じ値が出てくるからグローバルでも問題無いんだよ。

ストリームは定数だ、って言ってみたところで、プログラム全体から更新可能なんじゃ、グローバル変数と同じでしょ?

バグがあって、ストリームに変な値が入った時、どこがバグなのか、追跡するのが困難でしょ?

なんで伝わらないんだろ。

複数人プログラム開発したり、他人プログラムデバッグしたり、したこと無いんだろうか。

まりGUIになればもはや関数型では書けない、というのが推奨スタイルだ、って言ってるようなもの

純粋関数型」とは何か、という話と、とOCamlでそれが推奨スタイルか、って別の話だよね?

岡部氏との争いって「OCamlGUIアプリ純粋関数型(状態渡し)で簡潔に書けるか」ってところじゃないよね?

純粋関数型とは何かといった時にHaskellのように、IOも含めて引数戻り値表現する、関数のふるまいが関数の外の状態依存しない、関数副作用が伴わないとかの性質をいうと思うんだけど、岡部氏はFRP状態関数の外部に持ってても純粋関数型だ、と言ってて、そこで争ってるんだよね?

あと、OCamlGUI状態渡しで書いたら簡潔で無いのを「書けない」、「不可能」って言ってるのはわざと印象操作しようとしてるよね?

Haskellで書けて、OCaml冗長になっても、書けるなら「書ける」、「可能」だよね?

その発言事実か確かめる術はないし、ここで岡部攻撃しているのは君ひとりなのか?他の人間まで一連の誹謗中傷集団ではない、す駱駝、住井が含まれていないみたいに断言する根拠は何か?

俺の書き込み他人といきなり結び付けられたから、電波だな、と思ったの。

俺1人か、とか、らくだや住井が含まれてない根拠とか、関係無いよね。

2016-05-24

さな店がどんどん姿を消したことについて考察する

こんな記事を読んだ

http://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/miwa04

初めに述べておくけど私は発達障害者だ。

発達障害ならではのどうしようもなさ、うまくいかないしんどさをかれこれ長い事味わってきた。

そうこうするうちに、なんとなく発達障害の人についてはピンときて、この人は自分同類ではないのか?と鼻が効くようになった。

なったところで何も役に立ちはしないけれども。

発達障害と診断される人は年々増加の一途を辿っている。

というのも発達障害診断基準がはっきりしてきたのはここ20年くらいのことで、それ以前に子供だった人はかりにその特性があったとしても発達障害認識されなかったからだ。

そういう、ある程度年のいった発達障害の人はどのように生計を立てていたのか。

おそらくだが、小規模の小さな商いをひっそりとやっていたのではないか

小規模の自営業者であれば、調子が悪いとき商売を休むことも可能だし叱責してくる上司もいない。

ところで1990年には全国の自営業者は1395万人だったそうだ。これが2011年になると541万人へと減少する。(総務省調査

この中の何割かは高齢化によるものであったと考えられるが、自営業者とりま経済環境が厳しいものへと変化したことを裏付けている。

自営業者の数はここ20年でどんどん数が減っている。

資本力のとぼしい小規模の自営業者不景気とか消費税だとかそういった変化のあおりに耐えられないのだ。

もちろん店主自身高齢化などもある。地方経済の衰退にも原因はあるだろう。いずれにしろ減っている。

時代が進み、人々はより快適なオートメーション化された安価サービスへと移行していった。

低級国民として働く人たちは、マニュアルの下で歯車になることを強いられる

悲しいか発達障害の人は優秀な歯車になることができない。能力があまりにも凸凹すぎるからだ。

ここ20年ほどで日本は衰退した。とんでもない衰退だ。

自営業者の人が1400万人近く存在したのは景気がよかったからだ。まわっているお金があったからだ。

少し年配の人なら「どこにも雇ってもらえなかったしラーメン屋でもやるか」という話はどこにでも転がっていたんだけど、

このところラーメンもどこもかしこレベルが上がってとんでもなく敷居が高い

人々は価格以上のサービスを当たり前と思い、提供されるものは質が高くなければ消費者は不満を言う。

安価で質の安定したサービス提供するためには、ある程度の規模のシステムを構築する必要があり、それを個人商店に求めたら破綻してしまう。

そしてその安定したサービスのため必要とされるシステムには、凸凹歯車は順応できないのだ。

こうして高齢フリーターの数や非正規労働者の数は増え、さらsnepと呼ばれる呼び方が出現した。

さなお店の人たちはどこへいったか

やはりこういった弱者と呼ばれる層へ否応無く吸収されていったのだろうと推測する。

さて最初のところへ戻ろう。

ここの店主はおそらくなにがしか発達障害を持っているだろうなと個人的には思う。

自分発達障害なのでわかるのだが、おもしろいことにその凸凹の部分を強烈に気に入ってくれる人が存在する。

発達障害不具合を見いださず、いびつさを愛してくれる人が実際に存在するのだ。

地方都市にぽつぽつ存在してきた「やる気のない店主がいる汚い店」というのは、肩に力が入らず来るものをホッとさせるところがあって

その存在感一部の人を強烈に惹き付けるのだ。

私はこのような店が日本のあちこちに残っていて欲しいと思う。「そんなに頑張らなくていいよ」という無言のメッセージであるからだ。

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