※このダイアリーは長文です
いきなりだが、次の一文を読んでみてほしい。
「私は世界でひとりきり」
さて、あなたはこの一文についてどのような解釈を持っただろうか。少し考えてみてほしい。
別に心理テストをしているわけでも何でもないのだが、自然に(1)の解釈を持った人は色んな意味で幸福な人生を歩んできて、今現在も歩み続けている人なんだろうと思う。少なくとも(2)の解釈を持ってしまうような人からすれば、そう思える。かくいう私は「ひとりきり」という言葉を聞いて「個性」よりも「孤独」を連想するタイプの人間である。
話は少し逸れるが、数年前まで週刊少年ジャンプで連載されていた「魔人探偵脳噛ネウロ」というマンガがある。知らない人のためにこのマンガをざっくりと紹介すると、「魔界から来たドSの魔人が女子高生を奴隷化して数々の難事件を解決していく」SMアクション謎ときマンガである。本能に忠実に従って爆弾を爆発させまくる主婦や直接注射すると筋肉ゴリゴリに変身できるスープを作るコック、自分でこしらえた家具を身体に装着して戦う家具屋など、常識の枠にとらわれない犯人が毎回登場することで少し話題にもなった。私は中学生のころジャンプを購読していたので、毎週このマンガを読んでいた。別に「魔人探偵脳噛ネウロ」が読みたくてジャンプを購読していた訳ではなく、「せっかくジャンプを買ったのだからついでに読んでおこう」程度の気持ちで読んでいたのだが、このマンガがあるエピソードに入ったとき(正確にはそのエピソードが終わった時)、私は強い衝撃を受けた。それは「こんなにも私の気持ちを代弁してくれるようなマンガがあるのか」というものだったが、その衝撃は今でも覚えている。人に「一番心に残っている作品は?」と質問されたとき、すぐに「魔人探偵脳噛ネウロ」と答えるくらいだ(作品自体がめちゃくちゃ好きというわけではないが)。
さて、猿のような中学生にそこまでの衝撃を与えるエピソードはどんなものかというと、以下のようなものである。
①探偵事務所に超有名歌手の「アヤ・エイジア」という人物が現れ、仕事を依頼する
②依頼内容は事務所で首を吊っていた彼女のプロデューサー・マネージャーへの警察による自殺判断の調査
③ネウロと主人公が探偵調査を行った結果、実はプロデューサーとマネージャーは自殺ではなく、他殺だった
⑤謎解き終了
私のミジンコレベルの要約能力では読者の方は恐らく何のことかサッパリ分からないと思うが、興味がある人は原作(2巻だったかな)をあたってみてほしい。
ここまで簡潔・適当に要約したのは、私が衝撃を受けたのはこの事件のトリックや謎解き、犯人ではないからだ。私が最も衝撃を受けたのは自身のプロデューサーとマネージャーを殺害したアヤの動機だった。動機については当日記の核心となる部分なのでもう少し丁寧に説明する。
アヤはある特殊な能力を持っている。それは「ある特性を持っている人間を、『歌』を歌うことで失神させる」というぶっとんだものである。では「ある特性を持つ」人間とはどんな人間かというと「自分は世界にひとりきり」と感じている人らしい。アヤによると、全ての人間の中の数%(正確な割合は忘れた)は先天的にこの特性を持っており、この特性はなかなか消滅するものではないという。そして、アヤ自身も「自分は世界にひとりきり」と感じる人間だった。彼女は「ひとりきり」であり、「ひとりきり」を完全に理解できたが故に「ひとりきり」の特性を持つ他人の脳に直接干渉・失神させることができたのである。彼女はこの能力を歌手としてフルに発揮し、数年のうちに全世界に名を轟かせる超有名歌手になった。
そんな彼女を影で支えていたのがプロデューサーとマネージャーだった。両人ともアヤがデビューしたての頃からアヤのことを親身に、時に厳しくサポートしており、アヤにとってはかけがえのない人物となっていたのである。しかし、彼らがアヤに近づけば近づくほど、アヤは「ひとりきり」という感覚を失ってゆく。彼らがかけがえのない人になればなるほど、アヤの能力は弱まり曲の売り上げも悪くなる。アヤは悩みに悩んだ結果、能力の消滅を恐れてプロデューサーを、その次にマネージャーを殺害した。2人が死んで「ひとりきり」の感覚を取り戻した後のアヤの曲は再び世界的に大ヒットするようになった。
孤独を感じない人間などいない。しかし、例えば恋人とデートしていても常にどこか心の中に相手のことを信じていない自分がいたり、友人とどれだけ楽しく話せていても心の中に高い壁があるように感じたり、家族と食卓を囲んでいるのになぜか他人と食事しているように感じたり…と、明らかに異常な場面・異常な頻度で孤独を感じる人がいる。少なくとも私は「ひとりきり」の人間だった。だからこそ、訳の分からないぶっ飛んだ謎解きマンガに信じられないくらいの衝撃を受けたのだ。今考えれば「中二病」と呼ばれる症状の一種なのかもしれないが、しかし20代中ごろを突っ走る今現在も、私自身の「ひとりきり」という感情は存在している。さすがにもう中二病は卒業していると信じたいのだが…。
私がなぜ数年前のマンガを扱ったこの日記を書くに至ったかというと、アヤと同じで「ひとりきり」の感覚を失いつつあるように感じたからだ。私はこれまで孤独とともに生きてきた。この孤独は常に1人であるという意味ではない、常に1人であるように感じてきたという意味だ(実際1人でいることが多いのだが)。1人でいると心が安定するので勉強や仕事も捗る。学生時代は1人でいたので受験には成功したし、そこそこの職に就くこともできたし、社会人になってからそこそこの仕事もこなしてきた。しかしここ1年ほどで状況が大きく変わった。職場でかけがえのない友人や心から尊敬できる上司と出会い、彼らとの交流を深めてゆく中で自分が「ひとりきり」でないように感じてきた。そして明らかに仕事の出来が悪くなった。きっと交友関係に無駄な時間を割いているからだと自分には言い聞かせている。
他人からすれば「ひとりきり」でなくなることは良いことだろう。しかし生まれてからずっと「ひとりきり」だと感じてきた私にとって、「ひとりきり」の感覚を失うことは自分自身を失うようでとても怖い。また、今はまだ問題の無いレベルだが「ひとりきり」でないことが生活にまで影響してきていること、さらに今後も悪化しそうなことも怖い。
もしこの日記を読んだ人の中でこのような精神病を知っている人がいればぜひ教えてほしい。
それにしても、私と同じように自分を「ひとりきり」と感じる人はどれくらいいるのだろうか…
長文とか言ってるくせに短いよ! その辺のメンヘラ女とかジャニオタでもお前の3倍くらいのクッソどうでもいい文章をこともなげに書くぞ