はてなキーワード: まどか☆マギカとは
詳しくない人手も知っているというか、ネットやってればさすがに内容知らなくてもタイトルくらい聞いたことある感じの。
ジャンプ系はドラゴンボールとかスラムダンクとかキリがないので言及しない。作品が終わらない日常系も。
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エヴァンゲリオン……社会現象にまでなった。テレビ放映からずっとあと、大人になってから入院中にDVDで見た。
涼宮ハルヒの憂鬱……一頃、本当にハルヒフィーバーがあったと思う。やっぱりずっと後になって入院中に見た。
まどか☆マギカ……文字を入力して変換を掛けたら勝手に☆が出てびびった。他に『つのだ☆ひろ』くらいしか知らん。テレビ放映から1年後に見た。
ガンダム……通して見た事はないけど、何度か再放送を眺めた事はあるので誰がシャアで、どれがボールという機械かくらいは解る。
初音ミク……派生作品の書籍化でものすごいことになっている事は聞いたことある。千本桜くらいはトヨタのCMと小林幸子で聞いた。
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あんまりアニメとか見ないけど、普通にネットやっていたらスゲーブームになってて中身知らんけど表題はよく目にする作品だよね。
今なら『艦これ』とか。さっぱり解らんけど、実際の戦艦を擬人化したゲームだとは知ってる。ブラウザゲームであってる?
『アイマス』なんやらアイドルのプロデューサーになるんでしょ。ソシャゲの一種?
・
他にも興味はないけど一般的にネットに触れていれば概要を知ってしまう様な。
そんなんある?
アニメシンフォニアというアニメの曲をオーケストラでやります。
というプロ団体で急に曲変更が起きた問題でくわしく解説しているサイトがないからここで記載します。
よくJASRACで許可降りてるのになんでダメなの?みたいな話があるからその辺から
JASRACは曲を演奏したり出版する際の許可をとって集金を代行するのが業務なんだけど
今回のように進撃の巨人の元曲をオーケストラにする場合には「編曲」という行為がはいるんだ
そして編曲「していいか」どうかの権利というのはJASRACは管轄しないで直接許可を作曲者にとってねというのが
澤野 弘之さんとポニーキャニオン音楽出版ってとこが権利を持っているのでまず可能性があるとすればソコ
だからまずオーケストラに編曲して演奏しますっていうのを澤野さんに確認しなきゃいけないの。でも普通の人に
澤野さんの連絡先なんてわからない「これが第一の問題」作曲者に連絡取れるパイプなんて普通持ってない
ポニーキャニオンに連絡して「編曲していいですか?」「演奏しますね」「アマチュアではなくプロの公演です」
っていうのをやらなきゃいけないの。だけどまぁこのへんで指摘が入るのは考えられる
アニメだと制作委員会制をとったりするから更に権利関係が複雑で放送時点は出版社や放送局が権利があってDVDに
なったりすると今度は制作会社が権利があったりするので最終的な演奏の許諾に関する権利関係の責任の所在があいまい
で誰かが許諾しないとNGが出たりするだから一般的に出版されてない楽譜に編曲して更に演奏するってなると許可を得る
のに数年かかったり最終的にNG出たりする。
https://www.nitroplus.co.jp/license/
①実はまどか☆マギカは当初の権利関係のスタンスがすごくクリアだった。
商業としてはかなり特例の「著作物転載のガイドライン」を定めていて、ファン活動であれば引用はOK
ですよってスタンスをとっていたの
②ここに目をつけたのがアマチュアの、ワルプルギスの夜オーケストラ
ファン活動として1000人くらいを動員する活動として「正式」にできたという経緯
指揮者の志村健一が実績を持った上で商業的な成功を見越して、正式にプロ活動としてコラボするから許可が出るというわけ。こでが0ベースの商業としての持ち込みだったらOKでたかは定かではないと思うな。それが公式のまどかマギカオーケストラにつながっているわけです。
■今回の騒動におけるまとめ
一度前例ができれば出版社や許可保有の会社も法務部含めてそういうことへの許可申請のラインができるのだけど、いきなり降って出た話ってそういうのが許可できなくてオクラ入りになる場合が多い
・じゃあなぜ返金とか対応できないの?
アマチュアの演奏家とかだとわかると思うけど実質運営団体として実績がない社団法人って吹けば飛ぶような運営方針だと思うんだよね。オーチャードホールなんて結構な費用のするホールだから多分返金したら利益が出ないばかりか演奏会が成り立たず実質運営者の赤字活動になってしまう。アマチュアならばまだしもプロ活動だとそれは避けたい。たとえ炎上してでも演奏会を決行せざる得ないし返金に応じないというのも仕方がないということ。
どちらも「公と私のいずれを優先するか」という話だった。
μ'sメンバーの私的感情としては「続けたくない」で全く揺らいでない。少なくとも9人で続けられるぜヒャッホウ、という反応は皆無である。
続けたくないという意志を犠牲にしてでも、ファンの要望とドーム大会という公的な大義のため続けるべきか、という話である。
要はスクールアイドル界のために円環の理になれということである。
真姫が「何で自分たちがそこまでしなきゃならないのか」と切れたのもむべなるかなである。
いずれを優先すべきかは最近の政治状況でもよく議論になるところだが、娯楽映画で「普通の高校生が己を犠牲にして滅私奉公する」なんて話を見たくはないので、映画としてはあの展開で正解だった。
とはいえ単に拒否るだけでなく、代案を出してくるのはさすがホノカチャンである。
かくして私を守りつつ、公についてもある程度の成果を出す結果となった。
一方でホムラチャンが何故あんなことになったかといえば、結局は新房世界が優しくなくて、代案が存在しないことに尽きる。
今後まどマギに新展開があっても、「まどかが普通の中学生として生活し、かつ魔女化の問題も起きない」なんて選択肢は存在しないのだろう。
そんなものがあれば、じゃあTV最終回でまどかがそれを願ってれば済んだじゃんという話になってしまう。
滅私奉公は見たくないとは言ったが、といってTV最終回に不満があるわけではない。
しょせん娯楽のアイドルとは違い、魔女化やワルプルは人命に関わることなので仕方ない面もあるし…。
何より他者のアイデアではなく、まどか自身が自発的に選んだことというのが大きい。
やはり公と私のどちらを優先するにしても、当人が自発的に選ぶことが物語的には大事である。
そうなると自分の意志で円環の理を選んだμ'sというのも見てみたい気はする。
引き続き9人で歌って踊れるとはいえ、基本はA-RISEが紹介したジャーマネチームとやらが方針を決めるのだろう。
当然費用もかかるし金を稼がねばならない。あの熱狂的人気を持続するのが目的だから、変装しなければ町も歩けない状態は続く。
海未は弓道部を、ことりはデザイナーの道を諦めることになるだろう。
管理が苦手そうな凛ちゃんの目がだんだん死んでいくのを想像すると少し興奮する。
まどかに一番近そうで円環化を推進しそうな花陽が、それに深い罪悪感を抱えたりするとなおよい。
そうなると悪魔化は誰が行うのか。
YAZAWAは映画内では続行に反対していたが、プロ意識が強いだけに一度プロと決めたらファンを優先し、体制の擁護者になりそうである。さやかポジである。
とすれば真姫が適任である。元々親と周囲の期待で医者になるという大義に鬱屈したものを抱えていた。
スクールアイドル界なんて知らねー!楽しかった頃のμ'sを返せ!という気分になっても仕方ない。
ええやん。
幼少期に見ていたアニメは聖闘士星矢とか北斗の拳とかそういう世代だ。まだアニメがどうとか考えもしない年頃だからそんな程度で次に行こう。
普通のアニメ、すなわちドラゴンボールなどは幼い頃から見ていた。僕はやはりベジータが好きだった。ドラゴンクエストアベル伝説とかも好きだった。デイジーが好きだった。当時はまだ隠れヲタではなかったが、恐竜惑星などは好きだったし、ワタルとかキャッツアイとかうる星やつらとからんまとかも見ていた。
AKIRAも小学生の頃に見た。Vガンダム、G、Wあたりも飛び飛びでは見ていた。Vガンダムに関してはマヘリアさんが好きだった。
中学の頃、僕は自分専用のテレビとビデオデッキを買ってから、本格的にガンダムにハマった。ガンダムはファースト、Z、ZZ、逆シャアぐらいを見た。このガンダムの見方ぐらいからはもうヲタの見方だった。レンタルビデオ店で1話漏らさず見ていたのだ。僕はフォウ・ムラサメが好きだった。あの精神の不安定さにハマった。
中学の段階では、僕はまったくヲタとは言えない。ただのガンダム好きなやつだ。高校でヲタ友達に出会い、全く変わってしまった。
高校時代、僕は服装にも無頓着で無印とか着ていた(私服の高校だった)。校内では本当にオタクだと思われていたらしく「アニメイトとか行ってる」と笑われていたが僕は一度としてアニメイトには行ったことなかった(いまだにない、そもそも行っても何も買う金がなかった)。
本格的にヲタになりだすのは、エヴァンゲリオンに始まり綾波レイの妄想を繰り返す頃からだ。2ndRingというアヤナミストが書いた二次創作小説を読んだりもしていた。綾波レイ以降の無機質系はいまだに心が揺さぶられる。
高校ではヲタ友達に影響されヲタ向けのアニメを見るようになる。てなもんやボイジャーズ、アキハバラ電脳組、機動戦艦ナデシコ、カウボーイビバップ、ブギーポップは笑わないなどをレンタルした。カウボーイビバップを好きな人は多かった。ナデシコも有名だったから、友人の一人は思兼をデスクトップの壁紙にしていた。
逮捕しちゃうぞ、無限のリヴァイアス、マイアミガンズ、スクライドなどは深夜アニメで見た。リヴァイアスはあの暗さと人間関係の生々しさが本当に好きだった。スクライドはチャンピオンのマンガも話題になっていた。そう、当時はメイドが流行っていて、まほろまてぃっく、鋼鉄天使くるみ、花右京メイド隊なども見た。ただこのあたりは全話見ていない。ガンダム08小隊とかも全部は見ていない。何故かパトレイバーやマクロスは全く見ていない。
ヲタの友人はカードキャプターさくらを「キャプくら」などと呼んでハマっていたが僕は見ていない。ただこの当時ネットでも「さくらタンハァハァ」とかが流行って、ネットというか2chですね、ハイ。デ・ジ・キャラットも流行っていたが見ていない。
当時パソコン、インターネットを始めた影響もあって、To-HeartやKanonなどのアニメも見た。この辺りになってくると完全にヲタだ。堀江由衣が好きでCDも買った。アークザラッドのアニメも見た。
高校を卒業してからというもの、ヲタ友達がいなくなった。僕の通っていた大学はバカ大学だったからチャラいのばかりで、ヲタバレしようものなら生きていけなかった。仲良くなった人がたまたま普通の人だったから、ヲタ友達とつるむという事もなかった。大学1年生の頃に初めて彼女ができ、その前後から僕は隠れヲタになっていた。ただ隠れているだけなので、いくつかアニメも見ていた。
攻殻機動隊スタンドアロンコンプレックスは本当に面白かった。2ndギグよりも笑い男事件が社会性を帯びていて良かった。フルメタル・パニック、藍より青しなども見た。プラネテスはマンガ編でも触れたが、アニメのほうが先だった。NHKかどこかでやっていた。音楽も良かった。舞HiMEみたいなヲタアニメも引き続き見ていた。この頃は既に深夜アニメがかなりたくさんあり、僕はその内の一部しか見ていなかった。
アクエリオンなんかは当時流行っていたけれど僕は見ていない。エウレカセブンはその不人気にも関わらず全部見ていた。最終話の一つ前のアネモネが良かった。舞乙も見た。舞乙に関してはネットラジオも聞いていた。この時の小清水亜美が好きだった。全盛時だと思う。
涼宮ハルヒの憂鬱で僕が長門萌えをしないわけがない。かなり後だが消失の映画も見た。消失に関しては既にラノベが出ていたから、映像化されるのを待てずに読んでしまった。僕の初ラノベが消失だった。その後コードギアス、グレンラガン、らき☆すた、鉄腕バーディー、恋姫†無双あたりは見ていた。グレンラガンも最終話の一つ前が感動だった。鉄腕バーディーはアニメから入ってマンガも読んだ。ガンダムにしろAKIRAにしろ攻殻にしろプラネテスもそうだが、この手の近未来系SF物が僕は本当に好きだ。
大学を卒業してからはさすがに忙しくなり、アニメを見る頻度は減っている。
サムライチャンプルーは放送当時見ていなかったが後から見た。ある意味カウボーイビバップに似ていたと思う。ラストエグザイルも後から見た。タチアナ・ヴィスラにハマった。
けいおんも後からだった。ネット(2ch)の書き込みにある「あずにゃんペロペロ」は「えるたそ~」並に意味わからなかった。僕はムギが好きだった。学園祭の回で曲が終わったのにムギが伴奏を続けてアンコールみたいな形になるシーンとか好きだった。けいおんについてはマンガの続きがあるから再度アニメ化してほしい。
東のエデンのノブレス携帯には憧れた。iPhoneでジュイスの声を使っている動画があった。
化物語は初期が好きだった。最近までやっていたのも見ているが、僕は忍野がいた化物語が好きだ。ここからはかなり最近の作品になる。とある魔術の禁書目録、学園黙示録、俺妹、イヴの時間、氷菓、織田信奈の野望、有頂天家族、攻殻機動隊アライズも見ている。当然ながら新劇エヴァも見ている。しかしなぜか、まどか☆マギカは見ていない。
実質的に僕は高校時代がヲタ全盛時だった。この頃は隠れてもいなかった。ネットの影響と深夜アニメが充実してきたことが大きかった。僕の場合、ヲタか否かを分けるのはこのアニメの項目にある。映画やマンガに関しては普通のばかりだが、アニメに関しては一般人の目も当てられないような萌えアニメも見ている。もう一つ挙げるとすればインターネットだ。
「まどか☆マギカ」が良くできた(?)ブラック企業だとすると、今やってる「ハピネスチャージプリキュア」はたちの悪い新興宗教みたい。
まずどちらも被害者から搾取の仕方が上手い。「まどか」は契約時に願いを叶えてはくれるけど、日常のすべてを奪われてひたすら働き続けさせられる(働けなくなくなっても搾取され続けてしまう…)。 ブラック企業的な未来の見えない絶望感だ。
対して「ハピネスチャージ」の方はまだのほほんとした世界のようだけど、搾取の仕方はより巧妙だ。「まどか」ではとりあえず願いは叶えてもらえたけど、こちらで願い事が叶うのは仕事の成果ありきの目標だ。そのしかも仕事は完全に無給。その上恋愛禁止と人としての最低限の権利まで剥奪されている。まるで極楽を約束する宗教団体にすべてを投げ打って尽くし続けているかのような状況だ。そういえば神様も出てるしね。まあこっちは今のとこ何時でも辞める事はできそうだけど。
ああ、こわいこわい
2013年に僕が初めて使ってみた、あるいは知った言葉を発表するだけの日記です。
【ファッション部門】
・クラッチバッグ
これ持ってる奴、無条件に指さして爆笑してる。(心のなかで)←
・プロデューサー掛け
雑誌GAINERで、この秋注目のカーディガン一覧!っていう特集で、8着全部これでワロタwwwせめて着て欲しい。
【芸能部門】
そもそも一体誰なんだという僕の疑問を内封している優しいひと。
元キャッチャーらしい。
・ 有村架純
フロム・エーのCMの先輩役がかわいい。個人的な趣味ですごめんなさい。
全巻読んだのに顔と名前が一致しないのと、関係者に巨人しかしなくてワロタw
・EVA Q
ミサトさんが再び年上になってた。エヴァじゃないよエバーだよ。←
まどかまぎか結局どっちやねん!っていったら弟に正座させられた。
「リリカルなのは一体何やねん!」に続いて5年ぶり2回め。
【ニュース部門】
・お・も・て・なっしー!
ふなっしーが使っててうけた。正直この発想はなかった。
【大学生部門】
・ワンチャンあるで
王ちゃん・・・?あぁ世界のホームラン王の。と思っていたのは秘密。まだだ!まだ終わらんよ!と同じ意味だと知った。二郎を食べきれなかった時に使おうと思う。
・ウェーイwwwww
ああっ、なぐりてえええええ←←
【SNS部門】
・LINE
犯罪の温床だとおびえながら使いはじめたけど平和でした。フリック入力間違いまくり。凹む。
・サバの味噌煮
好きです。
【番外 R18部門】
デビュー作でおお!って思ったけどあまりに出過ぎててもうよく分からない。
でも未見の乃々果花との作品には内心期待してる。
一年って早いなあ。しみじみ。
まず、さやかの壊れ方。
まず、杏子。
どう見ても家出娘です。
まずこれが直球で卑猥。
さらに、何度もループしてやり直しているほむらは、やりすぎて不感症になった女。
学年の違うマミさんは援交グループをとりまとめているゴッドマザー。
次に、まどか。
魔法少女の最期は、死ぬか売春婦 = 魔女。これはどちらも明らかに理想的で清純なロリータの象徴であるまどかの対照として描かれていますし、さらには、そのまどかの口を通して売春婦になる前に死になさいって言ってるようにしか解釈できません。
ほむらは時間を止められるんです。V&RプロダクツのAVです!
なんたる卑猥さでしょう!
こんな悪趣味で卑猥なまどか☆マギカという作品が日本で感動の渦を巻き起こしてるなんて不思議でなりません。
http://anond.hatelabo.jp/20131116000330
キュウべえ→インキュベーター→子宮もあったら、卑猥!に直結しやすかったし、キャラ的に入れたかった。あと、「ピーチにクッパ。ピーチをパックパク」は名言すぎて、当てはめようがなかった。
感想を一言で言うと「お金を払って見る価値はあるけど糞映画」でした(意味不明)。
1,200円(レイトショー扱いだったので少し安め)返せとは言わないし内容もそれなりに良かったけど・・・って感じ。あと最近の映画に共通してるけど観客を驚かせることに注力してる感が強すぎる。話題さらってドヤ顔したいだけだろと。
以下感想(ネタバレはあんまり含まないと思うけどこれから見る予定って人はスルー推奨、それと全体的に馬鹿にしてるんでそういうのが苦手な人も同じくスルー推奨。)
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そんなこんなで感想。異空間含め前作よりもぶっ飛んでる箇所が多かったように思うw。スタッフ薬決めてるだろwwwってレベルだった。
まどか…言わずと知れた神様。前回予告の結末から予想してたよりかは出演回数多かったけどやっぱり影薄いっすね。
ほむら…ゴミ。産業廃棄物。今までも嫌いだったけど今作でより嫌いになりました^^
マミ…評判に違わぬ通り俺TUEEEしてて良かった。お姉さんお姉さんしてて良かったし強かったんだけど、中盤以降割と無能なんだよなぁ・・・。
さやか…やっぱりさやかちゃんが一番可愛くて強い!。というか精神状態もかなり良くなってるし戦闘力もインフレしてるし普通に強いと思った(小並感)。
杏子…今作一の無能。さやかとの掛け合い(意味深)が良かった。割と何もしてない。
動いてるマミさん&さやかを見れただけでもう十分だ…(観客の鑑)。
□上映前
・ワーナーが配給してて草。東宝とかで良かったんじゃないんですかね。
・何故か物語シリーズから八九寺真宵が登場。登場冒頭観客に挨拶を求めるシーンで「せーのっ」の掛け声から照井君を連想して吹き出してしまったwww
□開幕~ケーキ登場
・そもそもまどマギを見たのが久しぶりだったこともあって、開始後は今まで読んできた同人だったり「こんなの絶対かしこまり!」を思い出して頭が混乱してた。もう許せるぞオイ!
・ケーキのシーンはマジでキチガイじみてると思った。犬カレー空間とか抜きで薬でもキメながら作ってたんじゃないんですかね…?
・ナイトメア封印後マミさんがケーキたかられてて泣いた…(´;ω;`)ウッ…
・杏子 無能 アルツハイマー 記憶違い 仕方なかった ラーメン屋 仕方なかった(さり気なくラーメン屋で淫夢営業してる可能性が微粒子レベルで存在する…?)
・マミさんTUEEEE!そもそも弾数は無限だろうし銃で撃ってるだけじゃ限界が来るんじゃないんですかね?ほむら()
・というかそもそもベベを疑う前に色々インキュベーターとか調べあげるべきじゃなかったんですかね…?
・まどかだって誰かを失うことゎとっても辛いんだよ←当たり前だよなあ?
・正直この辺は???って感じ。インキュベーターVS魔法少女、魔女化した理由etcについてはイメージとしては何となく分かる。
・悪魔になった理由は本当に意味が分からない。「あなたには分からないわ」って単にキチガイレズってこと何じゃないんですかね?
□~エンディング
・ほむらの顔つきが明らかに変わってて草不可避。成長したのかな?
・あ・・・やっと、平和な世界がもとに戻ってきたんやな・・・(適当)
・アスミスのやってた魔法少女って小学生やったんやな(GP)。というか出番少なすぎィ!
・(次回予告は)ないです←は?(威圧)。あんなラストだったから心の中で「うっそだろお前www全然ゆる映画じゃんwww」って思ってた。
天の邪鬼だからこういう王道を征かない展開も嫌いじゃない。けど好きじゃないよ(どっちつかず)。
浅い考えだけど「神VS悪魔」みたいな展開でまた映画だったり何かが作られそうな気がしなくもない。というかそうじゃなかったら今まで作り上げてきたまどか☆マギカってコンテンツはこんなキチガイレズのラストのためにあったんですかね?(疑問)
私が『劇場版まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』を観ないたった一つの理由。
それは『魔法少女まどか☆マギカ』(以下まどマギ)という作品が実のところ魔法少女ものではないせいだ。
もっとも制作はすべて承知の上だろう。だから問題は受け手の側にこそある。
あなたはもしかしてまだ本作を魔法少女ものとして思ってやしないだろうか。あるいはアンチ魔法少女ものと惑わされてはいないだろうか。
そんな素直なファンたちにこそ伝えたい。魔法少女が現実に我々の社会を照らす光なのだということを。
最近だが『Fate kaleid liner プリズマ☆イリヤ』というアニメを観る機会があった。
嫌がる少女を無理矢理魔法少女にしたてあげたり、立派な女子高生がその衣装を着ることを揶揄したりと、なんとも悪趣味なパロディ作品であった。
——このままでは近いうちに変格が本格を駆逐してしまうのではないか。
その日が来る前に、伝えておかなければいけない。
敢えてそう主張しよう。
それは何だろうか。
笑わないで聞いてほしい。
魔法少女とは時代や年代で移り変わる少女の価値観を切り取り、輝きをまとわせるものでなければならない。それこそが魔法少女の資格であり、約束事であり、存在意義なのだ。
いま魔法少女と呼べるのはせいぜいキュアハートとフラメンコガールくらいのものだろう。
ここで『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(1982年)という作品を取り上げたい。
男性おたくを含め魅了した点で、本作の先駆けとも言える魔法少女ものの有名作品だ。
主人公は12歳の女の子。魔法の力で18歳に成長し、どんなプロフェッショナルにもなることができる。そうして「あなたの夢は私が守る」と視聴者に訴え続ける。
すると賢しい人はこんなことを言う。
「まどマギが正統派の魔法少女ものだなんて思っていないよ。あれはアンチ魔法少女ものなんだ」と。
……いいだろう。
そのテーマで私に論戦を張ろうというのなら受けて立とう。
アーキタイプとはC・G・ユングによる精神分析の用語で、世界中の神話や民話に繰り返し登場する人物像を抽象、統合したものをいう。物語分析においてはキャラクター類型論の礎として重用される。
この理論に則ると魔法少女は〈お姫さま〉のアーキタイプに還元される。
〈お姫さま〉は特別な生まれを持ち、国じゅうの人々の期待を受けている。社会の善性を表現し、人心を希望で満たすことが彼女の至上命題だ。
誰でも知っているように、すべての魔法少女はフェアリーテール(おとぎ話)の主人公なのである。
本稿は二つの作例を扱う。一つは『少女革命ウテナ』(1995年)。もう一つは『マルドゥック・スクランブル』(2003年。アニメ版は2010〜2012年)だ。
以降は『ウテナ』、『マルドゥック』と略記する。
知らない人は各自で Google にでも尋ねてほしい。
以下に読み解いてゆく。
『ウテナ』の真の主人公、姫宮アンシーのアーキタイプは〈娼婦〉である。〈娼婦〉は〈お姫さま〉の反対で、他人にへつらい、虐げられ、社会の悪性を負わされる犠牲のアイコンだ。
一方、表の主人公であるウテナは〈王子さま〉を目指す女の子というトランスセクシャルなキャラクター。
しかしこれは倒錯ではない。
洞察力を働かせればアンシー、ウテナのともどもが不在の〈お姫さま〉の鏡像であることに気づくだろう。
ちなみに敵対者である暁生は〈魔王〉。自らは何も生めず、他人を支配してその生産物を奪う男。暁生とアンシーの肌が黒く描かれるのはそのネガティブな心性が表出したためだ。
さらに続ければ枝織は〈悪女〉。力ある男に寄生してはダメにしてしまう中身のない女のアーキタイプ、となる。
閑話休題。
他方、『マルドゥック』の主人公バロットが〈娼婦〉であることに説明は不要だろう。
なのでもう一つアンシーと共通する特徴をあげよう。
未確認生物(サル?)のチュチュは典型的なダメ男の現身。人造ネズミのウフコックは使い手に依拠した万能の道具存在。そのいずれもが魔法少女の必須アイテムであるマスコットアニマルの成れの果てだ。
「学園の外の世界」だ。
そもそも「世界の殻を破る」というフレーズは二度目の誕生のメタファーである。
管理されたままでいるのも、管理する側にまわるのも結局は同じこと。
選んだのは未知に挑むという生き方。
〈王子さま〉でも〈お姫さま〉でもない。〈デュエリスト〉こそ『ウテナ』の提案するオルタナティブだ。
ではバロットはどうなっただろう。
彼女は当初こそ手にした力に溺れるものの、自分を裏切った男(野心の象徴)を殺すことはしない。逆に男を守ることで克つ。
さらに最後の敵(破壊の象徴)を相手に闘うときにも、バロットはひたすら耐え忍び、前のウフコックの相棒だったその男を止めることを考える。
運というものを理解したバロットにとってすでに暴力は勝利への要手ではないのだ。
どうだろう。
彼女は男性とは異なる価値観と武器を身につけたバトルヒロインとして成熟の階段を登っているのだ。
締めにふたたび『ミンキーモモ』の話をしよう。
この作品は途中、主人公が事故死するという衝撃の展開を迎える。これは現実への決定的な敗北であり、魔法少女というテーマに対する叛乱であるとさえ映る。しかし彼女はその後ふつうの人間として生まれ変わり、それからも夢を求め続けるのだ。
この出来事はいわば魔法少女という夢を現実に呼び込むための通過儀礼である。実のところ『ウテナ』で視聴者を騒がせたウテナの処女喪失シーンはこの発展ともいえる。
魔法少女とは何か、そしてアンチ魔法少女とはどういう所業なのか、理解されただろうか。
それではようやく『まどマギ』の話に移ろうと思う。
結論からいえば暁美ほむらはダークヒーローの女性版に過ぎない。
そして鹿目まどかの正体はヒロインへの変身を期待されながら最後はヒーローに変身するという、高次元のシェイプシフターであった。
結局、本編はまどかときゅうべえの二人がひとりよがりな正義に溺れたほむらにしっぺ返しを見舞う結末で幕を閉じる。
それに続く今作は——サブタイトルを信じるのなら——アンチヒーローとなったほむらがすでに叶えられたまどかのヒロイズムを覆そうとする物語となるはずだ。
実際、予告映像を観た後の私の予想は「どうせビューティフルドリーマーではじまってレイアース2で終わるんでしょ?」であった。
皆が『ファウスト』要素探しに忙しいようなので私が代わりに言うのだが、『まどマギ』の思想世界は『魔法騎士レイアース』のそれそのままである。
願いの力を世界の第一原理として位置づけ、その上で自己犠牲を否定するのなら、『レイアース2』の提示した可能性のいずれかに落ち着くのが妥当である。
ゆえに、いまの私に物語面に対する期待はない。
無論、映像・演出面のクオリティであればいくら期待してもよいのだろう。
しかし、だ。
『まどマギ』本編がやってみせたのは一見ヒロイズムの糾弾であるようで、その実勝つために既製の概念やルールを変える行為の全面肯定に他ならないのだ。
そんな作品である以上、魔法少女の外観は「釣り」以外の何物でもない。理解して食いつくのなら言い訳もできよう。舌に乗せたら甘美な味がする餌なのだろう。
しかし、我々は豚ではない。
食うためだけに生きるのも、食われるために生きるのも、どちらも御免被ると私は思う。
——部屋の灯りが落とされた。
そろそろこのノートパソコンを閉じなければいけない。これ以上の照光と打鍵音は周囲の観客の迷惑だ。
最後に。
これだけは言っておく。
仏教(円教)と(悪魔とか愛とかの用語から)キリスト教との対比という
メタなプロットになっていて、最終的に仏教思想が大事だよねっていう、
キリスト教をdisるというか、思想の高低浅深を表しているとも思った。
ある意味クール・ジャパン戦略の深い部分ともいえるんでねーの。
話題にならないし儲からないからで、仏とか神 vs 悪魔みたいな構図とかが、
個人的には、個々人に引き寄せて考えるとどうかっつーほうに興味があって。
やっぱり叛逆の物語のまどかの最終形態が人としての理想と言えるなんじゃないかな。
世界中、宇宙中の困難を抱えている人の苦しみを引き受ける覚悟を持ちながら、
人として生きる。
それぞれのその瞬間その瞬間の立場で自分らしく人として生きる。
これに尽きるんじゃねーの。
人でありながら仏。
仏でありながら人っていう。
よくまー、ひとつの作品に落とし込んだわ。
つぎの土曜日からまどか☆マギカの劇場版が公開されるというから、まどか☆マギカのことを思い出してみると、印象に残っているのはマミったシーンだ。
ちょっと立ち止まってみるとヒロインが敵に殺されるというのは斬新というか捻くれているというか。ただ、まどか☆マギカの世界観では的の魔女は元魔法少女だし、魔法少女が魔女になるときのエネルギーを集めているらしい。ということはすでに役目を果たした魔女が魔法少女を殺すことは、債権の回収失敗みたいな感じではなかろうか。
少女が魔法少女になるときお願いを叶えてもらっており、少女がキュウべえから借りたエネルギーで、魔法少女から魔女になるときのエネルギーで、借りた分のエネルギーに利子を載せていると考えるのが、感情を持たずに効率だけを優先しそうなキュウべえの作った仕組なのだろう。
その仕組みのなかでマミさんがマミられることはエネルギーの借りパクのようなものだ。それを目の前にしてキュウべえが魔女に何もしない、出し殻の暴走を止めないのはなにか理屈が合わない。少女を魔法少女に勧誘するのも大事だけど、もっと大事なのは魔法少女が魔女化するように促すことだろう。借金するひとが増えるように広告をたくさんだするのも肝要だけど、そもそも踏み倒されてばかりでは商売にならない。
設定上も物語上もマミさんがあそこで死ぬのは理屈が合わない。じゃあ、どうしてマミさんがマミったのかといえば・・・ヒロイン的な美少女を首チョンパしてモンスターに食べさせたいという、倒錯的エロスのためと断言できよう。
佐藤順一とか石原立也が監督やるようなアニメは、疲れて帰宅して深夜に寝る前に見るからいいんだよ。世界遺産とか環境映像とジャンル的には同じ。鈍感でも訓練されているわけでもなくて、くたびれているといったほうが正しい。あの世界が楽しめないならあなたはまだそんなに疲れてないってことだよ。
逆に虚淵玄が原作やるようなアニメはとても痛々しくて平日深夜に見れない。まどか☆マギカもPSYCHO-PASSもFateも本放送が終わってから後追いで見た。PSYCHO-PASSなんて内容が苛烈な上にやたらペダンティックで、物語が痛いだけじゃなくて作ってる連中のナルシズムもすごく臭って二重に痛々しかった。
あくまで今のところだけど、艦隊これくしょんが無課金・微課金でやってる可能性は2つ
①角川資本が入ってるのでメディアミックス戦略を考えている可能性
アニメ化は余裕。DVD・BDも下手しない限り各巻1.5万は固いかと思われる。1クール7本の角川価格8000円とすれば、8.4億は稼げる。
まどか☆マギカがDVD・BDだけで25.2億、グッズ・その後の関連商品含めて400億売り上げたことを考えれば、100億は行けるのではないか。
となると、パスドラ(1月あたり70億)目指して、下手な課金するよりも評判を落とさないために無課金・微課金を継続していく可能性がある。
②そのうち、戦闘開始時に無傷・小破でも撃沈する仕様になる可能性
んで、復活機能も付くと。レベル・艦船タイプに応じて500円から1000円くらいってところが妥当かと思われる。
無課金・微課金につられてやり始めた大多数の提督たちも、ある日突然、手塩にかけた艦娘たちが出撃・野戦前に無傷・小破にも関わらず撃沈し始めたら、
仕様の変更に嘆きつつも復活させるに違いない。重要なのは、嘆きつつも課金という所で、なぜ激怒して退会しないかというと、
手塩にかけたのもそうだが、出撃・野戦前に無傷・小破なら撃沈しないという仕様が変わるのは一定程度合理性があるためである。
いわば、宿屋で寝た次の戦闘で絶対死なないドラクエは、糞仕様と言えば糞仕様のため、ある日突然撃沈しても提督たちにとってゲームとして納得がいく。
もちろん商売として納得しない提督の方が多く、退会するものや、プレイの楽しみ方を変えるものが現れるはずだが、収益性は劇的に改善するだろう。
両方やる可能性も十分にあるのだけども、個人的には①路線でよろしくおねがいしたいものだと思う。
2010年代とはなにか?
2010年代とは
リーマンショックであり、不況であり、超就職氷河期であり、311であり、フクシマであり、日中対立であり、TPPである
2010年代とは
反原発を掲げるしか能のない左派であり、尖閣諸島を国有化した石原慎太郎であり、橋下徹であり、維新の会であり、民主党であり、自民党であり、未来の党であり、山本太郎であり、片山さつきであり、幸福実現党である
2010年代とは
意識高い系であり、イケダハヤトであり、ワタミであり、「いじめ」であり、体罰であり、AKBであり、峯岸みなみであり、ヅラをかぶった峯岸みなみである
2010年代とは
まどか☆マギカであり、ガンダムAGEであり、ファントムルージュであり、虚構新聞であり、まおゆうであり、エヴァQである