はてなキーワード: 石原立也とは
佐藤順一とか石原立也が監督やるようなアニメは、疲れて帰宅して深夜に寝る前に見るからいいんだよ。世界遺産とか環境映像とジャンル的には同じ。鈍感でも訓練されているわけでもなくて、くたびれているといったほうが正しい。あの世界が楽しめないならあなたはまだそんなに疲れてないってことだよ。
逆に虚淵玄が原作やるようなアニメはとても痛々しくて平日深夜に見れない。まどか☆マギカもPSYCHO-PASSもFateも本放送が終わってから後追いで見た。PSYCHO-PASSなんて内容が苛烈な上にやたらペダンティックで、物語が痛いだけじゃなくて作ってる連中のナルシズムもすごく臭って二重に痛々しかった。
via アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の料理漫画オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「料理漫画にはまったく興味ないんだが、しかし自分の料理漫画趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない料理漫画の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、料理漫画のことを紹介するために
読ませるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に料理漫画を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あと、いくら料理漫画的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
チャウ・シンチー好きが『食神』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
料理漫画知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ドラマ版味いちもんめ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「味っ子以前」を濃縮しきっていて、「味っ子以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも20巻前後だし。
ただ、ここでアニメ版の今川監督の演出トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「チャンピオンオタが考える一般人に受け入れられそうな漫画(そうチャンピオンオタが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「チャンピオンオタとしてはこの二つは“バトル漫画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のボンボン読者が持ってる料理への憧憬と、秋元康のデブオタ的なお菓子へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもジャリ向け漫画的な
「とりあえず混ぜれば上手くなるだろう」を体現するリトルグルメ
「ネタが尽きたのでシリアスな設定にしよう」を体現する後半のトーナメント
の二つをはじめとして、クソ不味い料理を作中にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ブラックジャックだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが漫画ゴラクでは大人気になったこと
日テレなら実写テレビドラマになって、それが東山紀之主演になってもおかしくはなさそうなのに、
また東山紀之主演で同じ枠に料理漫画の『喰いタン』がつくられたこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり雁屋哲は左翼のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「野望の王国」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるオーストラリアへの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも合計六回、っていうオーストラリア勝負が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「オーストラリアの歴史語り」ということへの諦めきれなさがいかにも左翼的だなあと思えてしまうから。
オーストラリアに関する、左翼的歴史観の語りを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
MASTERキートンだったらきっちりコミックス一巻にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて六回もオーストラリア勝負を書いてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきた歴史が捨てられないサヨク」としては、たとえ雁屋がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で包丁人味平読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
スーパーくいしん坊よりも前の段階で、ビッグ錠の哲学とか料理技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの料理漫画がジャンプでこの時代に連載していたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく料理漫画好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるBLACK徒然草でしかビッグ錠を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
久住の「目」あるいは谷口の「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「生きる為の食事を毎日食べる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ『孤独のグルメ』特別編は病院食以外ではあり得なかったとも思う。
「食事シーンは祝祭化されてる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源は孤独のグルメにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう昔のテレ東が番組編成の時期にやる大食い対決をこういうかたちで漫画化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
味っ子から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、EDに食事のシーンはあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
via アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の秋葉原オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分の秋葉原を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない秋葉原の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、秋葉原のことを紹介するために
見せるべき10店を選んでみたいのだけれど。
(要は「もえるるぶ」の正反対版だな。彼女に秋葉原を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「電気街口」なので、時間的に過大な負担を伴う昭和通り口、万世橋の向こうは避けたい。
あと、いくら秋葉原的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
秋葉原好きが『東京青果市場』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
秋葉原知識はいわゆる「素敵なサムシング」的なものを除けば、ラジオ会館のビットインは知っている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「とら以前」を濃縮しきっていて、「とら以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。店舗も隣同士だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な店について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな店(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「秋葉原としてはこの二つは“家電量販店”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のマイコンオタが持ってるチップへの憧憬と、18時閉店のオタ的な営業へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも秋月的な
の二つをはじめとして、オタ好きのするパーツを店内にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「超超超超激やーす」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜のチェーン店がその後続いていないこと、昔、格安AT互換機を売っていたこと、
アメリカならdellになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり秋葉原はPCのためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「TSUKUMO」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この店でかける「HELLO,SOFMAPWORLD」のアレンジが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも11店舗、っていう店数が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
ソフマップの無軌道な店舗拡大を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
ビックやヨドバシだったらきっちり本店に集約してしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて時空館を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の在庫を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ野口がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。買い取り自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でぷらっとホームに行ったたことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
Linux Cafeよりも前の段階で、本多の哲学はこの店で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの店が秋葉原でこの時代に売っていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくLinux好きとしては不思議に誇らしいし、
すがやみつるの看板でしかオヤジを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ダイナの「画」あるいは「音づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「どうせiPodで128kbps ACCを聴くくせに、やけにヘッドホンに拘る」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそSTAX『SR-007』の試聴はダイナミックオーディオ以外ではあり得なかったとも思う。
「買えもしないヘッドホンを被る」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はダイナミックオーディオにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうサンボ風味の牛丼をこういうかたちでサンボ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9店まではあっさり決まったんだけど10店目は空地でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
とらから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、ヨドバシ以降の秋葉原時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい店がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10店目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
やるなら失速してる今のうち
まあ、どのくらいの数の水滸オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない水滸伝とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、水滸伝のことを紹介するために
見せるべき10人の好漢を選んでみたいのだけれど。
(要は「天導一〇八星 好漢ファイル」の正反対版だな。彼女に水滸伝を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、話題的に過大な不足を伴う地味好漢は避けたい。
できれば天罡星、せめていずれかのエピソードにきちんと絡む好漢にとどめたい。
あと、いくら席次的に天罡星といっても「なんでお前が?」を感じすぎるものは避けたい。
宋江が『穆弘』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
水滸伝知識はいわゆる「ぱちんこ梁山泊」的なものを除けば、横山光輝版程度は見ている
三国志度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「地煞星以前」を濃縮しきっていて、「地煞星以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。活躍も無駄にクールだし。
ただ、ここで男色トーク解禁にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この能力過多な好漢について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな好漢(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「水滸オタとしてはこの二人は“人間”としておかしいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の中国ものオタが持ってる楊家将演義への憧憬と、北方謙三のオリジナル的な続編へのこだわり等々の周辺事項を
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもアクの強い
「饅頭の餡にちぢれ毛な女」を体現する孫二娘
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを二竜山にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「関羽だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
キャラ的に被る朱仝の活躍がその後続いていないこと、これが宋江には大人気になったこと、
関羽の子孫だから梁山軍の五虎将筆頭になって、それが方臘戦後に評価されてもおかしくはなさそうなのに、
落馬して死亡っていうショボい最期しかつくられなかったこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり水滸伝は子供に読ませちゃいけないものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「武十回」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、浮気にかける潘巧雲の思いが好きだから。
腸を引きずり出して舌を削ってそのうえ手足バラバラ、っていう楊雄の仕打ちが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「淫婦を捨てる」ということへの徹底ぶりがいかにも好漢的だなあと思えてしまうから。
浮気女話が三回目なのを俺自身はまたこのパターンかとは思わないし、もうやらないだろうとは思ったけれど、
一方でこれがまた盧俊義のエピソードできっちり浮気女話にしてしまった。
なのに、李応に頭下げて迷惑かけて祝家荘との戦いを作ってしまう、というあたり、どうしても
「晁蓋の形作ってきた梁山泊が捨てられないオタク」としては、たとえ楊雄がその後目立つキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。石秀・時遷の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
梁山泊で史進見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
林冲登場よりも前の段階で、好漢の哲学とか武芸十八般とかはこの人物で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの好漢が東平府でお縄にかかっていたんだよ、というのは、
別に史進自身がなんら梁山泊に貢献してなくとも、なんとなく史進好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる「世界の燃え尽きる日」でしか史進を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
智多星の「策」すなわち「落とし穴」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない宴を毎日生きる」的な梁山泊がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ中国中央電視台版『水滸伝』最終話は呉用の首吊り以外ではあり得なかったとも思う。
「終わらない宴はない」という無常の感覚が招安以降さらに強まっていたとするなら、その「オタクの気分」の
終着点は呉用の首吊りにあったんじゃないか、呉用は無用だなんてとても俺には言えないという、そんな感傷的な擁護はかけらも口にせずに、
単純に学究の失策を楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうお大尽風味の好漢を首領候補というかたちで入山さして、それが晁蓋時代からの好漢に受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9人まではあっさり決まったんだけど10人目は宋江でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
燕青から始まって宋江で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、晁蓋亡き後の梁山泊の首領となった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい好漢がいっぱいいるので、宋江はやめた。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。来年の今日がお前の一周忌」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の登山オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない登山の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、登山のことを紹介するために
登るべき10山を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に登山を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う海外遠征は避けたい。
できれば日帰り登山、長くても2泊にとどめたい。
あと、いくら登山的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
登山知識はいわゆる「学校の遠足」的なものを除けば、登山靴程度は持っている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「富士山以前」を濃縮しきっていて、「富士山以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。高さも日本一だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この高度過多な山について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな登山(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「登山オタとしてはこの二つは“景色”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のロック・クライミングオタが持ってる断崖絶壁への憧憬と、遭難者多数のオタ的な難関へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも魔の岩壁な
「童貞的なださカッコよさ」を体現する一ノ倉沢
の二沢をはじめとして、オタ好きのする岩壁を山にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「富士山だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の山がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり登山は自然観察のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「尾瀬」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この山にたむろう熊が好きだから。
断腸の思いで熊鈴鳴らしてそれでも出てくる、っていうヒグマが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「襲われる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
しょっちゅう熊が出て立ち入り禁止になるのを過剰とは思わないし、しかたないとは思うけれど、一方でこれが
富良野岳だったらきっちり登れてしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて立ち入り禁止区域を登ってしまう、というあたり、どうしても
「自分で決めたルートが捨てられないオタク」としては、たとえ山がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。山の高標高と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で剱岳登ったことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
穂高岳よりも前の段階で、岩場の哲学とか登山技法とかはこの山で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの山がアプローチ容易なこの場所にそびえていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく登山好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる黒部立山アルペンルートでしか北アルプスを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
登山の「体力づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから登る、ということではなくて。
「終わらないアプローチ」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ登山版『らき☆すた』最終話は赤石岳以外ではあり得なかったとも思う。
「車道化した登山道を登る」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源は赤石岳にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう立ち入り禁止の活火山をこういうかたちで登山して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9山まではあっさり決まったんだけど10山目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
富士山から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降の登山時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10山目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
追記
まあ、どのくらいの数のちょいケルオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかしちょいケルの童貞臭さを肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないちょいケルの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アニメのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「the most relaxing feel」「iamge」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うイベント、「芸能山城組ケチャまつり」「Sound Horizon Live Tour - 領土拡大遠征」などの参加は避けたい。
あと、いくらちょいケル的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
ちょいケル好きが『JVC WORLD SOUNDS』もちょいケルだ!と言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
ちょいケル知識はいわゆる「テレビまんがから流れてくる劇伴」を除けば、菅野よう子程度は聞いている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「Enya以前」を濃縮しきっていて、「Enya以後」を決定づけたという点では
ただ、ここで「Enyaの姉がClannadというアイリッシュ・トラッドグループに参加して……」と言ってしまうと、「エロゲーオタ超キモイ!」と彼女との関係が崩れるかも。
この多重録音過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の癒しポイントを彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力(ニューエイジ臭くなりがちなちょいケル暗黒部をできるだけスルーするという意味合いにおいて)」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなヒーリングミュージック(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ちょいケルオタとしてはこの二つは“音楽”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のちょいケルオタが持ってる自然への憧憬と、エリック・ムーケとミシェル・サンチェーズのオタ的なサンプリングへのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもDeep Forestな
の二要素をはじめとして、オタ好きのする要素を音楽にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「Hallucinogenだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、このアルバムに収録されていた「Divine Moments Of Truth」がFlash作品となって大人気になったこと、
アメリカなら亜流が大量に発生して、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
ちょいケル界隈でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりちょいケルはアニメによく収録されているよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「地球少女アルジュナ」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける原の思いが好きだから。
ガムラン使いてーと言ってAKIRAで先につかわれくそー!と思ってもアルバムに収録されている「逃走」で使っちゃうっていう所が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
クゥの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
宮崎アニメの久石譲だったらきっちり自分の音楽の枠内にしあげてしまうだろうとも思う。
なのに、若草恵に頭下げて東南アジアの楽器を取り入れた劇伴を作らせてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ原がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今のちょいケル若年層で生のそのままのブルガリアン・ヴォイスを見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
菅野よう子よりも前の段階で、ちょいケルの哲学とか女性ヴォイス技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品が民俗音楽として大昔にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくちょいケル好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる「Zone of the Enders Beyond the Bounds - Theme from Anubis」でしかブルガリアン・ヴォイスを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
KOKIAの「声」あるいは「歌詞づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない祭を毎日生きる」的な感覚がちょいケルオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそテイルズ オブ イノセンスの主題歌はKOKIAや姫神以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というちょいケルオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「ちょいケルオタの気分」の
源はKOKIAなどの女性ヴォイスにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。彼女がカネダーテツオーと騒ぎ出すか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうむき出しのエスニックミュージックをこういうかたちでアニメ劇伴音楽化して、それが非オタに受け入れられるか
ナカマーハシルーを誘発するか、というのを見てみたい。
サンホラとかルルティアくせーハルヒのキャラソンとかあればゲラゲラ笑いながら聞きてーなぁ。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
追記
まあ、どのくらいの数の非モテがそういう彼女をゲットできるかは別にして、「モテではまったくないんだが、しかし自分の説教癖を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないモテの世界とはとはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」ような、モテの都合のいい妄想の中に出てきそうな非モテに、モテのことを紹介するために見せるべき10原則を選んでみたいのだけれど。(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。非モテにモテを布教するのではなく 相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「説教」なので、知性的に過大な負担を伴う論理性・普遍性を求められる文章は避けたい。できれば一方的罵倒、長くても勝手に勝利宣言をして去っていくレベルにとどめたい。
あと、いくら罵倒的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。モテが『要は勇気が無いんでしょ?』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
非モテの設定は
モテ知識はいわゆる「オタクファッションガイド」的なものを除けば、花とみつばち程度は見ている
サブカル度も低いが、頭もけっこう悪い
という条件で。
■■■1.まずインターネットするな。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「そもそもそれを言うのかよ」を濃縮しきっていて、
「それを言ったらお前もダメじゃねえか」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。罵倒としても手頃だし。
ただ、ここでモテトーク全開にしてしまうと、非モテとの関係が崩れるかも。
この上から目線過多な罵倒について、どれだけさらりと、嫌味にとらず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を
非モテが受け止められるかということは、非モテ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
■■■2.ゆっくりしゃべれ。目を見てしゃべろ。
アレって典型的な「モテが考える一般的なモテるための条件(そうモテが思い込んでいるだけ。実際は全然関係ない)」のイメージそのものという意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを非モテにぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。「モテとしてはこれぐらいは“人間”として当然と思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
■■■3.運よく女性とお知り合いになれたら、メールするな。わかったか。とりあえず電話しろ。電話して直接コミュニケーションをしろ。
ある種の懐古的モテが持ってるメールへの嫌悪と、俺監修のモテ的な電話へのこだわりを非モテに紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもリア充的な
「モテ的に美しい展開」を体現する行動力
の二つをはじめとして、モテが好む方法論を世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
■■■4.自分のことを話すな
たぶんこれを見た非モテは「彼女を作らない奴には価値が無いんですね、わかります」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。この系譜の理論が最近知られていないこと、これがリア充には大人気になったこと、世間なら実写テレビドラマになって、その理屈が非モテに内面化されてもおかしくはなさそうなのに、非モテ達の中でこういうのが理解されないこと、なんかを非モテと話してみたいかな、という妄想的願望。
■■■5.奇跡的にデートに誘えたら、最初の段階で 私はあなたに興味がありますと宣言しろ。
「やっぱりデートは徒労のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「ミジンコ以下だな、お前」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この理論にかける俺の思いが好きだから。断腸の思いで譲りに譲ってそれでも命令口調、っていう表現が、どうしても俺の口をついてしまうのは、その「デート」ということへの諦めやすさがいかにも非モテ的だなあと思えてしまうから。
俺の口調を俺自身は上から目線とは思わないし、もう譲れないだろうとは思うけれど、一方でこれが並みの増田やはてなーだったらきっちり「そういう生き方もあるよね」にしてしまうだろうとも思う。なのに、各所に腹立てて迷惑かけて増田でエントリを作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないモテ」としては、たとえ俺がそういうキャラでなかったとしても、優越感を禁じ得ない。説教自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
■■■6.彼女は君の事をどう思っているのか?
今の非モテ層で彼女作ったことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。セックスよりも前の段階で、俺の哲学とかモテ技法とかはこの発言で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品が匿名ダイアリーでこの時代にかかっていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに思索してなくとも、なんとなく女好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるオタク御用達アニメでしか彼女を知らないミジンコどもには見せてあげたいなと思う。
■■■7.可愛い子がいないんです。
非モテの「は?」あるいは「ふざけんな」をモテとして直したい、というお節介焼きから罵る、ということではなくて。「終わらない独身を毎日生きる」的な感覚が非モテには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ増田版『非モテ話』最終話は俺の説教以外ではあり得なかったとも思う。「祝祭化した日常を生きる」というモテの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「モテの気分」の源は俺の理論にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
■■■まとめ■■■
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうカンチガイ系中年親父風味の説教をこういうかたちで増田化して、それが非モテに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
8つ目まではあっさり決まったんだけど9-10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
説教から始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい9-10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
インスパイヤ元 - アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
まあ、どのくらいの数のアートアニメオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「アートアニメオタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、その上で全く知らないアートアニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アートアニメのことを紹介するために見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にアートアニメを布教するのではなく相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴うような2時間アニメは避けたい。
できれば15分、長くても1時間にとどめたい。あと、いくらアートアニメ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。映画好きが『くもとちゅうりっぷ(1939年)』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
アートアニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場用アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ハリーハウゼン以前」を濃縮しきっていて、「ハリーハウゼン以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。長さもちょうど良いし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには一番よさそうな素材なんじゃないのかな。「アートアニメオタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、JAXA監修のオタ的な考証へのこだわりを彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもメリエスな
の彼らをはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「椅子のデザイナーだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、アメリカならCGになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「話の話」、「頭山」でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるバルタの思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも55分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
笛吹き男の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれがトルンカやゼマンだったらきっちり20分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて55分を作ってしまう、というあたり、どうしても「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえバルタがそういうキャラでなかったとしても、親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でマッケイ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
昭和よりも前の大正時代の段階で、ジャーナリズムの哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、こういうクオリティの作品が1枚1枚 紙で描かれて作られていたんだよ、というのは、別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアートアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、いわゆるセルとかCGで作られたアニメしか知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
ヤンの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない罠を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、だからこそ『死刑執行中脱獄進行中』は「部屋」以外ではあり得なかったとも思う。
「何者かに仕組められた罠から逃れられない」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の源は「部屋」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう難解小説風味の内容をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか、気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
ハリーハウゼンから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。ズビグニュー・リプチンスキの「タンゴ」が入ってないのはおかしい!とかね。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
追記
via アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
まあ、どのくらいの数のTwitterオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないTwitterの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、Twitterのことを紹介するために
Followすべき10ユーザを選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にTwitterを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う挨拶botは避けたい。
あと、いくらTwitter的に基礎といってもTwitter開発者の外国人アカウントは避けたい。
アニメ好きが『秒速5センチメートル』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
Twitterはアカウントを持ってるだけ、ふぁぼったー程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ふぁぼったー」を運営してて、「ふぁぼったー以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。戦闘力も53万だし。
ただ、ここでふぁぼったーネタ全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多なふぁぼったーについて、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなTwitter-er(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「Twitterオタとしてはこの2人のユーザは“ネタ”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のロリコンが持ってる幼女への憧憬と、2次元オタ的なネタへのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも宮崎駿的な
「ちょいペドなださカッコよさ」を体現するネタ
をはじめとして、オタ好きのするロリネタを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「botだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりTwitterは童貞のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「nonoriri」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、このユーザにかけるザマソニの思いが好きだから。
断腸の思いでかっこつけてもそれでも童貞くさい、っていう様が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにも童貞的だなあと思えてしまうから。
ありがみんの童貞クサさを俺自身は冗長とは思わないし、もう一生捨てられないだろうとは思うけれど、一方でこれが
なのに、発言の端々で童貞臭を漂わせてPOSTしてしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられない童貞」としては、たとえありがみんがそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。写ツの表情の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の新規ユーザ層で猫メンテ画面見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
2007年前半で、Twitterの不安定さとかはこの時期ですでに頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティのサービスがこの時代によくやっていけるな、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくTwitter好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる捕鯨画像でしかエラーを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
otsuneの「してはどうか?」あるいは「lang:ja」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらないネットを毎日見てる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそひたすら女のケツをたんぶるのはotsune以外ではあり得なかったとも思う。
「仕事中にもTwitterを見てる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はotuneにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは爆弾だよなあ。爆弾が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうdisをこういうかたちでbot化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
ふぁぼったーから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたFollowingリストを作ってやる」という反応は大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
追記
私だったらハンドル選んで紹介されるより、一緒にはてダ行って「どのへんいけそう?」とか聞いて自分で選ばせてほしいな。誰選んでもバカにしないで、内容解説してくれたら彼を尊敬する
最終的に狙うのは、まさにその状態ですね。
このセレクションのキモって、「ono_matope」のところで書いているように、あくまで
「オタクが非オタのためにどこまでオタ臭を出さずにTwitterを説明できるか」
『脱オタクファッションガイド』と方向性は真逆だけど、狙っていることは同じ。
それができそうなのが私の場合この10ユーザということであって、シチュエーションとしては彼女の方が
「ちょっとTwitterのことが聞きたいんだけど、誰をFollowしたらいい」と聞いてきた場合を想定しています。
おま
そう言いたくなる気分はわかる。けど、ここで目指しているのはそこからの脱却。
可能か不可能かはこの際おく。できると思ってるから書いた。
「Twitterはアカウントを持ってるだけ、ふぁぼったー程度は見ている」元設定の無理度が一連のシリーズの中で最もクリティカルに出てきた改変だと思うwwww これありならどんな設定も通るわ!
この場合、どちらともとれるような書き方がいいのかなと思いまして。
自分が時かけ、東京ゴッドファーザーズのポジションになって笑った
全部好きなユーザからのチョイスですよー。
「実用のため」だったら『jihou』が確実に入るし、そんなリストはそもそも表に出せるものじゃないです。
arigaminがはまりすぎていて改変かどうかなんてどうでも良くなってしまった。
全くです。返す言葉もありません。
だから、捨てることなくありがみんが墓場まで童貞を持っていく結果となってしまってもいいんです。
オチは変えない方向で定着するのかw
だからハルヒじゃない10本目、いいものあったら教えてくださいと書いたわけで。
night16はどうしても「AIceとセット」になるので、先入観のないものを。
絶対箱の人が書いたろ?wと思ったら、やっぱり箱の人だった。
はてブがまさにその確認をするための作業なんですよね。
もしそこで「黙っておいた方が良い」と思いこんでもあとでしゃべっちゃたら、たぶん破局一直線だろうし。
むしろ、セルクマであることを認めてこそ、ネタが誤解されずにうまくやっていけるんじゃないかと
そういう期待はあるんですけどね。増田とは、匿名を徹底することではないと思ってます。
アホやwwwww
そいつは素敵すぎるぜベイベ。その狂気に触れ共感しつつ、あくまで正気を保ちたいぜ。
追記で全レスとか忠実すぐる
まとめエントリを作ってみました。
あわせてお読みいただければ幸いです。
まあ、どのくらいの数のアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないアニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アニメのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3クール、4クールのアニメは避けたい。
あと、いくらアニメ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場用アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「エヴァ以前」を濃縮しきっていて、「エヴァ以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも2クールだし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「アニオタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、JAXA監修のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも谷口悟朗な
「童貞的なださカッコよさ」を体現するハチマキ
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ルパンIII世だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「あらしのよるに」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける原の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも2時間20分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
クゥの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
宮崎や富野だったらきっちり1時間40分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて2時間20分を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ原がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でコナン見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ナウシカよりも前の段階で、宮崎の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がテレビアニメでこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるジブリ劇場用アニメでしか宮崎を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
押井の「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない学校祭を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『らき☆すた』最終話はビューティフルドリーマー以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はビューティフルドリーマーにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
エヴァから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
追記
私だったらタイトル選んで紹介されるより、一緒にツタヤ行って「どのへんいけそう?」とか聞いて自分で選ばせてほしいな。
何選んでもバカにしないで、内容解説してくれたら彼を尊敬する
最終的に狙うのは、まさにその状態ですね。
このセレクションのキモって、「エヴァンゲリオン」のところで書いているように、あくまで
「オタクが非オタのためにどこまでオタ臭を出さずにアニメを説明できるか」
『脱オタクファッションガイド』と方向性は真逆だけど、狙っていることは同じ。
それができそうなのが私の場合この10本ということであって、シチュエーションとしては彼女の方が
「ちょっとアニメのことが聞きたいんだけど、何を見たらいい」と聞いてきた場合を想定しています。
そこをディープさを感じさせずに見せられなかったら、なんのためのオタクだよと。
『千年女優』は頻繁な場面転換が人を選びそうなので、それよりは正統的なカット割りのゴッドファーザーズを。
女性原作者のファンタジーアニメはいいと思うんですね。守り人は最終候補に残しましたし、『彩雲国物語』も
チャングムとの比較という点で、長くなければぜひ入れてみたかった。
(10本目から守り人を外したのは、07年テレビアニメで一番非オタにとっても見応えのあるものだと思うがゆえに、
逆にここに入れなくてもいいかなという理由で)
あえて『ハルヒ』以外は原作のないアニメを並べたんですけどね。
プラネテスも時かけも押井うる星も、オリジナルの範疇でしょう。
だからハルヒに乗り気じゃなかったのかな俺は。
連続ものについては、なにも短期集中でなくともいいと思う。
興味がなくなれば自然と見なくなるし、逆に興味が出れば自分からみたがるもんだろうし、
そこそこなら忘れないうちに続きをゆっくり見ればいいんだし。
後段については、それ故に「彼女の方から言い出した」という設定にしているというのもありますね。
彼女が積極的に興味のないものを、いかにオタ的暑苦しさ鬱陶しさを抜きにして、かつ
オタ世界の魅力をあっさりと受け入れてもらうか、そのセールストーク的コミュニケーション訓練が主眼ですから。
基本は「脱オタ」方向なんですよこれ。
これってまさにその確認をするための作業なんですよね。
もしそこで「差がない」と思いこんでしゃべったら、たぶん破局一直線だろうし。
むしろ、差があることを認めてこそ、オタと非オタが相互に肯定しあってうまくやっていけるんじゃないかと
そういう期待はあるんですけどね。脱オタとは、オタをやめることではないと思ってます。
そいつは素敵すぎるぜベイベ。その狂気に触れ共感しつつ、あくまで正気を保ちたいぜ。
そんなパーフェクトジオングみたいな珍妙な生き物居るわけ無いでしょ?
10本程度では酒に慣れる程度で酒の味が分かるようになるかというとどうか?
普通に好奇心が強いだけなんだけどな。そして染まりはしないが理解しようという気はあると。それだけの話だよ。
それに、誰も10本で酒の味をわからせようなんて言ってはいない。だから「軽く紹介」なんだし、きっかけ、入口。
『美味しんぼ』で偏食を直したカツ丼みたいなもん。あるいは今の漫画なら『神の雫』。
基本目が細くて等身が細めのアニメが中心だな。
まあ、萌えに踏み込む必要はないしね。後半はそれこそ「おめでとう」だよな。
お勧めされると逆に引く
いや、レコメンドでは全然ないのだけれど。
「オタが考える非オタのためのアニメ十選」っていう企画じゃない。
……なんでハルヒ?
カリオストロの城くらいで。
つーかムリにアニメなぞ媒介にせんでもええやん。
だからハルヒじゃない10本目、いいものあったら教えてくださいと書いたわけで。
カリ城はどうしても「ルパン」という枠があるので、先入観のないものを。
別にアニメでなくとも、漫画でもなんでもいいと思います。今回はたまたまアニメだと。
…(^ω^;) ((((((^ω^)
そう言いたくなる気分はわかる。けど、ここで目指しているのはそこからの脱却。
可能か不可能かはこの際おく。できると思ってるから書いた。
b:id:fuldagap 愚の骨頂
オタ世界的読解を捨てるわけじゃない。けれどそれは俺個人のもので、彼女にそれを知ってもらったり
まして共有してもらう必要もないだろ。
けれど、彼女がそういう俺の存在を許容してくれるなら、彼女に理解できる範囲で、俺という人間を
彼女がオタじゃあ意味がない、けれどせっかく自分と違うものの見方をしてるのに見守ってくれてるだけじゃ勿体ない。
彼女の感性を汲み取り、俺のコミュニケーション能力を向上させたい。
それくらいの貪欲さは持っていたいものだなと思ってる。
結果として彼女によって俺のコミュニケーション能力が引き上げられたらいいな、という期待を
もつくらいには貪欲でありたいなと思っている。
(tekitousphere - wideangle Weblog 2008-07-23「コミュニケーションの目的は……!」ということ。
での御指摘を受けて、改めました)
むしろそういうほうがアリかも。ありがとうございます。
あと、http://anond.hatelabo.jp/20080723070944にお返事を書きました。
http://twitter.com/wideangle/statuses/865446462
うへー……。
http://twitter.com/wideangle/statuses/865447639
結局「俺の」「能力」なのか。
お気持ちはよくわかります。私の書き方が悪かったですね。
そこで期待しているのは所詮は反射的効果に過ぎません。
そこに期待してもいいだろう、程度のもので、それを得ようという強固な目的意識まではない。
そこであえて「これってSF読みが女の子に贈ってしまう地雷なんだよね」と前置きして贈るってのは
どういうもんなんだろうなと。
そこでそういう風俗を面白がることのできる人もいるだろうけど、それがどういう面白がり方かと
考えてみると、あんまりいい結果になりませんよね。
全部好きな作品からのチョイスですよー。
「勉強のため」だったら『天使のたまご』が確実に入るし、そんなリストはそもそも表に出せるものじゃないです。
種明かし……だよね?天然で書かれたものならあまりにも狂気。ネタ文なら種明かしなしの方が完成度高い。
この場合、どちらともとれるような書き方がいいのかなと思いまして。
そりゃそうです。だから「俺の10本」でしかあり得ないし、「他人の10本」が知りたいです。
そして、女の子が主人公のアニメで女の子が感情移入できるものって、かえって少ないような気がしています。
そこの議論こそ、大切ですよね。
全くです。返す言葉もありません。
だから、見せることなく脳内に入れたまま墓場まで持っていくアニメのリストに結果としてなってしまってもいいんです。
順番に意味はないって書いたじゃん/あんなもん「話せばわかる」なんて思ってるやつの方が希少でしょ。
あれこそ正に「見て感じてしゃべる」ためのアニメだし。だからここに入ってるんだし、話せそうもないなら打ち切ればいいだけ/