はてなキーワード: まだ子とは
https://select.mamastar.jp/514074
『5人目を妊娠したけれど、周りから「また?」とか「産みすぎ」とか「そんなにポンポン子どもを作ってあきれる」とまで言われる。5人目の妊娠を喜んでくれたのは旦那と妹だけで悲しくなった。別にお金に困っているわけではないし、将来5人全員を大学に行かせるくらいの貯金もあるし。まだ子どもたちはみんなそんな年齢ではないけれど中学や高校になって塾だって行きたいならどうぞって感じだし、持ち家もあるし。別にお金も家もあるなら子どもを何人も産んだってよくない? それでも子だくさんって世間から見たら疎ましい感じに思われるのはなんで?
https://anond.hatelabo.jp/20210925221708
極論、今までは正論ごり押しで通るような戦いしかしてなかったわけだ。
男性の協力を得る必要もなく、むしろ男性に対して間違ってるところを正せというだけでよかった。
それだけ男性による差別がわかりやすくダメだったってことでありこれは男性が恥じるべきところだ。
一方で今までの戦い方は「男性側の譲歩」「男性側の反省や変革に依存する」というタイプのやり方でしかなかった。
批判してたら男性側が何とかしてくれるのを待つという、「旦那に依存する妻」みたいな旧来モデルの女性の思考で何とかなる部分だった。
ところが、そろそろいい加減、女性でも票が割れるような問題が増えてきて、社会全体として物事を進めるためには男性側の理解や協力が必要なところになってきた。
そうなった時に、男性から協力を得られない今までのごり押しの戦い方しかできないのであれば、物事を動かすことはできない。
こうなると、女性側も自分で判断して優先順位を決めなければいけない。
全てにおいて女性の言い分が通るみたいな話にはならない。 この部分を通すために、この部分は我慢、みたいなことが求められる。
男性さん、なんとかしろってあまえた姿勢をやめて、主体的に考えないといけない。
まだ今の日本のフェミニズムはこの段階にすら至っていない。まだクレクレちゃんでしかない。
だから、立憲民主党の方々と同じように延々と批判だけをやってる。
これから先は、そういう姿勢だと「ただのチンピラ」扱いになっていく。
そろそろ、小さいところからでいいからギブアンドテイクとか妥協ができるようになりなさい。
今までは良くも悪くもフェミニズムはわがままな子供扱いだった。
ただ勢力も大きくなったしいい加減批判だけの子供のままでは困る。
批判に対して代替案を求められて反発しているようでは子供の域を出ない。
大人の世界ではいちいち代替案をよこせなんてことは言ってもらえない。批判だけの人間は黙って無視される。
フェミニズムはよく男を子供扱いしているが、少なくとも交渉の姿勢においてはフェミニズムの方がまだガキである。
今のままでは大人扱いされることなく、いつまでもまともに向き合ってもらえないまま、かまってくれるオタクたちを批判するだけの道化になってしまう。
フェミニズムはそろそろ、批判だけの子供の領域を捨てて、大人として自分たちでことを目指すべきだ。
フェミニズム議連は、年老いた、しかもフェミニズムを履修している女性であっても、いまだに考え方が子供じみていて男に甘える習性が抜け入れていないことを顕著に示した。
あれを反面教師にして、フェミニズムは批判するだけじゃなくてきちんと自分の責任で自分の意見が述べられる、立派な大人であることを示していきたい。
今働いてる店にはディスプレイとして古い引き出しとか昔の商売道具とかを置いている
それを無断で触ったり開けたりする人が凄く多いんだけど、どういう神経してるんだろう
普通に教育受けてたら、まず触らないだろうし、触るにしても一言声をかけてからじゃない?
子供と一緒に「なにが入ってるんだろうね!」とか言ってるバカ親も多いし
店頭に置いてあるからってなんでも開けたりいじったりしていいもんじゃないよ?
頭おかしいんじゃない??
まだ子供なら許せるんだよな
そう言うのがわかんないだろうし
気になる!って心を理性で制御しない?
てか人んちの引き出しの中身がそこまで気になるって、普段泥棒でもしてるの??
お宝あるかな?って
開けちゃう系の人はどういう考えで開けてるのか教えてほしい
そんなに重いの?
(以下、引用)
サラッと「息子に励まされた」「娘に話聞いて貰ってスッキリした」って言ってる知人結構いて、それぞれの家庭の関係性もあるだろうけど長く母親のカウンセラーをしていた身としてはうわっと思ってしまう。うちの子は大人びてて優しくて賢くてしっかりしてるからって言うけども、
当時私は本気で母の役に立ちたい、母を励ましたいって思っていたしイヤイヤ聞いていたわけではなかったけど、いつの間にか蓄積されていくもんだからね。親の負の感情なんて本当は聞きたくなんかないんじゃないのかね。シングルで子供に恋愛相談とか、申し訳ないけど吐き気がしちゃう。
私なんかより大人なの!子供から聞いてくるの!って言うけど、確かにその知人の精神年齢は低い。自分は毒親に育てられたから苦しいって悩んでいたけど、罵声や暴力振るわなくても毒親ってあるよ。逆に子供を長くジワジワ、確実に依存関係に導いてる気がしてる。
精神的に弱い親、不安定な親って姿を見せるのは私にとっては緩やかな脅しに感じる。母がまさにそうだった。親だって人間だから強くない?そうかもしれないけど子供はもっと未熟で弱いのよ。
(以上、引用)
仰る通りだと思うし、なんならわたしも親に相談される方の子供で親が負担に感じたり、もっと守ってくれる親だったら私のメンタルもう少し強かったのかなとか思ったりする。精神病持ちだし。
でも仕方ないと思ってる。だって親も人間だし。こっちが産んでもらったからって面倒を見る責任はないけど
親が悪いとかはないと思ってる。
これで親はが悪い!親は子の前では弱音を吐くな!親たるもの庇護に徹せよ!
って言われるなら、責任が重すぎて私は子どもなんて産めない。そんな完璧には絶対ならない。
もともと会社員だったが、妻の要望もあって育休は最低でも一年、できれば二年取得するつもりだった。
これ子供つくれないわ。
家計は共働きではなく俺の一馬力。残業代込みでようやく生活できてる状態。貯金はゼロ。
妻は身体が弱く病気も多いので、仕事には向いておらず、また出産直後の大変さも大いに予想できた。
当時の収入ではどう計算しても、育休を取得して国からの7割の補助金のみが唯一の収入源になったら、夫婦2人の生活ですら破綻する、ましてや子育てなんて無理だと思った。
会社の同僚はどうしてるんだろう。
と思って相談したが、うちで育休を取得した事があるのは女性社員1人。
聞けば補助金+夫側の稼ぎで乗り切ったらしい。
じゃあと思って男性社員に聞いてみたら、育休をとる選択肢を持ってる人間が誰も居なかった。
なぜか。
シンプルに金が無い人ばっか。
もし育休取得したらバイトして稼がないと暮らしていけない。そうなったら本末転倒なので結局育休は取れない。
最終的に育休を諦めるか、子供を作らない選択肢をとる人も多かった。
会社は決して育休取得に無理解な会社ではないと思う。育休とってもキャリアに響いたり理不尽な左遷に遭ったり部内でイジメに遭う事も多分ないだろう。
でも、この会社にいる限り育休取得なんて無理だと思った。
俺は散々悩んだ末に、会社を辞めて起業する事にした。リスクは大きいけど、上手くいけば労働時間を削ってかつ収入は増やせるから。
下手すれば妻を路頭に迷わせるが、コレしか無いと思う程に精神的に追い詰められてた。
そして今は自営業者をやっている。
幸い適性があったのか運に恵まれたのか、今は会社員時代の半分以下の労働時間でもそれなりに稼げてる。
時給換算したら以前の倍くらいか。
最初の1〜2年はトータルで収入は大きく下がり苦労したし借金も作ったが、3年目くらいから会社の収入に追い付いてきた。来年は会社員時代の収入超えてると思う。超えてるといいな。
予定より歳を食ってしまったが、もし年齢的問題で不妊になったら、その時は潔く諦めようと思う。
で、俺が言いたいのは、起業しろとかそういう事じゃないんだよ。
よくネットニュースで男性の育休問題を取り上げる際に、家計の問題をスルーしてるのは何故?って事。
育休取得関連のニュースに載ってる謳い文句と言えば、男性の意識改革とか、マタハラで育休取得した男性が出世できないとか、会社の上司の無理解で育休取得に積極的になれず〜、みたいな精神論の話はよく読むけど(それも大事だけど)、生活費とか育児費用の話を書いてる記事が殆ど無い。
正直冷めた目で読んでいる。
俺にはもう必要がないものだけど、全国の子供つくれない家庭の為に国はもっと補助金出してくれよ。
半年後に50%になったらやっぱり暮らしていけない家庭は多いと思うよ。
そしてメディアは、育休中の金の問題にもっと焦点を当ててくれ。
29歳の時、このまま彼氏いないアニバーサリー30周年を迎えるのが嫌すぎてどうしても彼氏が欲しかった。
皆男っ気はあまりなかったが気の合うオタク友達と付き合い結婚しそれなりに幸せそうで羨ましい。
私にはなぜ男ができたことがないのか。
それは持ち前のノットビューティーフェイスと積極性のなさが原因なのではないか。
女もちゃんと前に出なければならぬ。いけそう感を出さねばならぬ。
唯一当時参加していたサークルみたいなのがあり、そこで探すしかないと思った。
幸い、そのサークルには冴えない男がちらほらいた。
私は5歳上のチビデブハゲの三種の神器を備えた男に目を付けた。
鏡を見れば私が清潔感のある男を求めることは到底無理であり、人のことは言えないが見た目に難があるということは中身は意外といいのかもしれないと思ったからだ。
表面的にはそれなりに温厚そうであり、婚活をしていた等出会いも求めていそうなので私にしては頑張って接近をした。
なるべく隣に座って話をしたり、相手のことを褒めたり大げさに喜んだりした。
その甲斐あってか、ラインを交換しその数日後デートをすることになったのだ。
待ち合わせの時間、相手は特に遅刻することもなかったが私はそれよりもかなり早く来てしまった。
男と会うなんてことがほぼないので、もっと時間ギリギリの方がよかったのかと集合からわからないことだらけだった。
デートの間、なるべく楽しんで見えるように頑張って大げさに喜んだりした。
そうした方がブスッとしているより喜んでもらえるかと思って……。
相手の方も相手なりに気を使っているのを感じた。相手も童貞らしかった。それは予想の範囲内だったので特に思うことはなかった。
デートが終盤になるにつれ、相手は何回か手を繋ごうとしてきた。
その時、なるべく手を遠ざけた。
あれ……想像以上にこの人に触りたくない……
とその時思ってしまったのだ。
日が暮れる少し前、静かなところにきた。
「あのさ、俺たち付き合わない?」
初めて言われた言葉だった。
でも……全然うれしくなかった。
でも贅沢は言えない。好きになれるような男と付き合えるような女ではないのだ私は。
サーティー喪女カーニバルアニバーサリーを阻止するんだろう!!私!!
「うーん…いいよ」
次の瞬間だった。
と言われた。
私はショックだった。
正直、チビデブハゲの三冠王のことを見下していた。女に見向きもされないお前と私が付き合ってあげるんだからくらいの偉そうな気持ちでいた。
なのにその男にただの「すぐいけそうな女」としか思われていなかったのだった。
自分が彼氏いない歴30を阻止したかっただけのように、相手も一刻も早く脱童貞したかっただけだったのである。
「やっぱり付き合えません」
と私は言って即家に帰った。
悲しかった。
でも自分自身も、人を軽視する心があった。
そんな奴が愛される訳なかった。
きっとこれからも、誰とも恋仲にはなれないだろう。
私なんかはずっと1人でいるのがお似合いなんだろう。
周りは子供ができ始めた。
去年から、仕事は基本的にテレワーク。最後に出社したのはもう随分前。
テレワークに理解のある職場であることに、心から感謝している。
家族以外の人と接触するのは、週に2日だけ、食料品・雑貨の買い出し。
人混みを避けるため、夕食時以降の、人がガラガラのスーパーマーケットに行くようにしている。
外食はしない。デリバリーもテイクアウトもしていない。基本的に自炊している。
善意と幸運のお陰で、ここまで人と接さない暮らしができていると思う。
やむを得ずリスクを背負って人と接して仕事をしている人達に感謝している。
だけど、やっぱり友達と接して酒を飲んだり話し込んだりしたいと思う。
妻は、外食をしがたる。突然、外へ食事を摂りに行くこともある。
台所に立って三食を用意するのは俺の仕事なので、正直、面倒臭い。
週2回の買い出しで済むように食材・ストックを考えて組み立てているから。
そして何より、妻がコロナに罹るのが怖い。
俺も妻もワクチン接種が済んでいない。それでも、妻は外に食事を摂りに行く。
俺は行かない。妻にとっては、そのことが面白くないらしい。
出歩くことが趣味だった妻のメンタルは、俺から見て限界であるように見える。
内心では妻を咎めたい。妻を止めたい。だからせめて俺は行かない。
俺は行かず、そして、最大限の笑顔で送り出すようにしている。
妻の行動記録を手帳につけると、週の半分は外に出ていくようになってしまった。
コロナ情勢下での妊娠、出産を経て、羽を伸ばしたいのだと思う。
行って欲しい気持ちと、行ってほしくない気持ちが毎日、戦っている。
そしてその戦いは、妻の中にもあると思う。
羽を伸ばしに外出した妻は、決まって暗い顔をして帰ってくる。
娘のことを考えれていない、母としてあるまじき行為だとわんわん泣くこともある。
近所の散歩くらいに留めたら良いと提案したいが、真夏でそれも難しい。
朝夕の散歩を提案したいが、夜泣きとメンタル不調からくるスマフォ依存症で朝は起きられない。
夕方は、娘がコリックを起こして泣いていることが多くて心配ゆえに出かけられないようだ。
ままならない。
妻と俺で交代交代に買出しに行くことも当初は考えた。
だが、妻は料理をしないから、献立が考えられず、計画的な買出しができなかった。
また、あるとき、ぶらぶら半日ウィンドウショッピングして帰ってきてしまった。
妻自身、自制が効かないと泣きながら打ち明けてくれた。
そのこともあって、俺が買出しに行っている。
ときどき妻が一緒に買出しに行きたがることもあるが、我慢してくれている。
これまでのこともあるから、妻が買い物に行きたがっても止める。
何か理由があって外に出たら、ぶらぶらしてくなるのもよく分かる。
毎朝のごみ捨ては、それがどんなに少量だろうとも出すようにしている。
玄関を出てゴミ捨て場までの数十秒、数分だが、細やかな幸福だ。
それでも、もちろん怖い。怖いから、足早に済ましている。
2年前には想像していなかった。
うちはまだ子どもが小さい。まだ、生後3ヶ月。
子どもの免疫力を考えたら、とてもじゃないが、俺は不用意に外に出られない。
一方で、外に出たがる妻の気持ちもよく分かる。
週2回の買い物を、週1回に減らせないかと考えてみた。
スーパーマーケットで生鮮食品の賞味期限・消費期限を見ながら、
野菜の冷凍保存、冷蔵、その他の方法を駆使することを考えながら。
何とか1回に出来そうな気もするが、食べるものは偏りそうで現実的でない。
妻も俺も、俺の手料理にすっかり飽きている。生命線になってると思う。
妊娠八ヶ月の女性が早産しても入院できなかったってニュースを見た。
俺は、生後3ヶ月の娘を抱きながら、自然と涙が溢れた。
同時に、狂っているのは自分じゃなくて、みんながみんななんじゃないかとも思う。
・レディーファーストをフェミニズム扱いするのは間違いでは?
・正直燃えるものがなくなれば消えると思うよあとは焼け跡が残りだけで
・ガンダムの世界はパイロットも指導者もあまり性差ないよね
ガンダムはどの作品も火を付けられそうだから目を付けられたらヤバい
「フラウ・ボウ、ガンダムの操縦は君には無理だよ…」「悔しいけど、僕は男なんだな…」とか炎上目的のフェミニストが火を付けたらそれだけでしばらく燃えそう
・オーフェンで出てきたフェミニストは「男も女も関係なくこかして踏みつける」みたいな扱いだったが優しくするのがフェミなのか区別なく殴るのがフェミなのか
社会学者やフェミニストが積極的に殴りかかっているのって反撃してこなさそうな弱い男だけで
・性差廃絶主義者のまじゅつしいいよねまじゅつしって言いづらいから迫害するね…
フェミニズム・フェミニストという言葉が今これだけ浸透して広まってるのに
その対になるマスキュリズム・マスキュリストって言葉が全く広がってない事の非対称性が恐ろしい
男性差別許さないって主張する男はアンチフェミとかミソジニー男とか弱者男性とか女性差別主義者とかマイナスイメージがある言葉ばかり付けられるからな
・女版ゴーストバスターズの何が酷いかって身体だけは最高な金髪バカ男を出してるところそれ性別逆にしたらめちゃくちゃキレますよね?
腐女子兼フェミニストを公言してる人間の意見とか見てみると凄く分かりやすいよ
つい先日も仮面ライダーの主人公を女性にしろってまた因縁付けられてたじゃない
それで売れなかったらどうすんだよって反論に
女性主役のライダーや戦隊が「売れないから」ダメだと言うなら じゃあそれを売れるようにするのが製作側の仕事では?と思うんですよね 女が主人公なんてライダーじゃない、認めない!なんて 次の世代の子供たちに言ってほしくないじゃないですか
・それフェミニストでもなんでもない相手にしちゃいけないただのカスだよ
・女性ライダーが売れる売れない以前にまず仮面ライダーは男児のものであるということを無視している男だからって理由でまだ子供の男児を敵視するのは端的に言って狂ってるよ
少年漫画は少年の物って言ったら「女性読者は黙殺されてきた」とか平気で言う人達に「仮面ライダーは男児の物」って言って聞くとは思えない
・男は男とケアしろって言うくせに男同士の連帯をホモソーシャルって呼んでめちゃくちゃ忌み嫌うじゃんね
女は女同士でケアしてレズビアンになってください男を求めてないならBLは読まないでください
タイトルの通り。
午前中はパートに行きその後片道1時間ちょっとかけて弟夫婦の家に行ってスーパーで晩御飯用の素材を調達し(費用はオカン持ち)、その足で保育園にいる幼児の弟の子ども1号を引き取り弟夫婦ハウスへ行き、育児を手伝った後弟家族の晩ご飯を作って17時くらいにお暇しているらしい。帰宅は18時半〜19時頃。その後家の晩ごはんを作ったり家事したりとのこと。基本月〜金の週5だ。
弟嫁も子ども2号が乳児のため育休中で基本的には毎日家にいるが、オカンがそんなに毎日毎日通わなきゃならんほどなんだろうかと、まだ子どもがいないのでついつい思ってしまう。
食事だって晩御飯だけとは言えオカンがお金を出してオカンが作ってるのもよく分からん。しかも4人家族の分。いや子ども2号は乳児だから別か。
弟嫁のお母さんは正社員フルタイムだから全然手伝いにとかは来ないらしい。七五三とかお食い初めとかは弟嫁の家が主催でやってるみたいだがそれも正直良いとこ取りじゃないかと思ってしまう。
オカンにお節介で行ってんのか?あんまり他人の家に干渉したらアカンと言ってみたが弟夫婦によろしくお願いしますと頼まれるらしく、実際ラインの画面を見せてもらったが「今日は何時頃になります?」とか「今日はありがとうございました、明日もよろしくお願いします!」みたいな来てもらって当たり前っぽい会話のやり取りが毎日のようにあったので決してお節介でグイグイ行ってるわけじゃなさそうだった。
オカンは好きで行ってるから、というがやはり疲れる生活らしくオトンに八つ当たりしまくってるようで、家の空気が悪いとこないだオトンに会った時愚痴られた。増田も実家を出てるので内情がしっかり分かってるってわけじゃないが、はたから見ると弟家族に幸せを吸われてるように見えてしまう。
子どもがいるって大変なんだなとか、オカンがそこまで身を粉にして働かないと子ども2人つくるってのは難しいのかとか、弟嫁と弟嫁の母は何か思うところはないのかとか、弟も客観的に見たらめちゃくちゃ育児してるオカンに何か思わないのとか、じゃあやっぱ子どもってのは金銭的にも時間的、人員的にも余裕が無いとつくっちゃいけない超贅沢品なんだなとか色々思っている。
明日で50歳になる女。
夫から誕生日になんか欲しいもんあるかと聞かれたけどとっさに思いつかなかったので今日1日好きに過ごすことにした。
まだ子供が小学生なのでいつもなら日曜日はいつも朝洗濯してお昼の準備して食べさせて宿題見てやって…という感じなのだが今日は夫が全部やってくれることになった。(掃除は苦手なので普段から掃除好きな夫がやっている)
午前中美容院行って久しぶりに服買って映画見て今終わってコーヒー飲んでるとこ。IMAXで竜とそばかすの姫を見た。良かった。
結婚してからはひとりで過ごすことが減ったからたまにこうして好きに行動するのは楽しい。
10年ほど前に一度大きな病気をして入院してから体力が急に落ちた。
そして最近は更年期で平日はパートの仕事をして家事をするのが精一杯なんだけど。
できたらあと30年ぐらいは生きたいなと思う。
そいつは一つの国語表現に固執するあまり、不特定多数に自説を吹聴して回り、
あまつさえ特定の国語学者のアンチまで務めるという壊れっぷりであった。
流石に目に余るのでそいつのプロフィールを見たところ「発達障害」という文字列が入っていた、
ああそういうことね、と冷たくレスを返してみると、案の定相手がいきり立ったものである。
ひたすら自説の正当性と大義名分を主張しヒートアップしていく一方、
私はそれを見て、かわいそうなやつだなと思った一方、
「なんのためにこいつは発達障害を自称しているのか」と思ったものである。
自分も素人なので詳しいことは知らんが、ネットでちょっと調べた限りでは、
「発達障害はどうでもいいことに固執する傾向がある」というような話があった。
(下手に曲解するといけないので、そういうふわふわした理解にとどめておく。)
その性質を自覚しているなら、そうなっていると指摘された時に、
「すまんな」「ええんやで」とならなくては意味がないのではないか。
逆に言えば、それができないのが発達障害なのかもしれんが。
いずれにしろ、彼が発達障害と診断された意味が微塵も感じられなかったのである。
そういえばもう一つ、「病気の診断」に関して思うことがあった。
一昔前に「新型うつ」という概念が流行ったころ、それを否定する風潮が強かった。
お茶の間にとって「うつ」とは「常に気分が落ち込んでいるべきもの」という偏見があった時代で、
(あるいは今もそう変わってはいないのかもしれないが、少なくともメディアの扱い方は違う気もする)
「やるべきことに直面すると落ち込む、解放されると嘘みたいに明るくなる」という新型うつを見て、
「甘え」や「仮病」の二文字が頭に浮かぶ人は少なくなかったであろうと思われる。
その様子を見ていた自分は当時まだ子供であったが、子供なりにその風潮を憂えたものであった。
いざ自身が大人になってみると、うつ病の人が周囲にちらほら出てくるようになる。
私の交友関係はだいぶ狭いほうだが、それでもあんな人やこんな人がカウンセリングを受けている。
仕事で心を破壊された気の毒な人もいれば、体育大学に通いながら精神を病んでしまった人もいる。
健全な精神は健全な肉体に宿れかし。そう思わずにはいられない。
無知の知ではないが、うつ病とはわからぬものだなという事だけがわかってくる一方、
彼らが日々己の心身と闘っている様子が切実に見えてくるものである。
しかしながら、うつ病患者だからといって100%同情されるわけでもない。
知人のとあるうつ病患者は、日々の体調管理すら苦労している様子が見て取れる一方、
もともと愚痴が多いうえに「かわいそうな自分」に酔うタイプであった。
それを日々聞かされる周囲の人はだんだんと耐えられなくなり、距離を置くようになってしまっていた。
うつ病であることそのものではなく、自分に酔うことを苦々しく見られていたのである。
子供のころから見ていた自分は「こいつ病気なんじゃね」と思っていた。
私が大人になるにつれて傾向は見えてくるようになり、
どうやら忙しいだとか面倒なことが控えると機嫌が悪くなり、
思うようにならないことがあると、それをしばらく引きずる形でまた機嫌が悪くなるようであった。
頼れるものに頼ろうとしても結局文句ばかりで一向に楽になろうとせず、
そうして忙しくなるとまた機嫌が悪くなるというマッチポンプばかりをしていた。
ネットを通して「そういう人もいる」という知見を得て、そういう人なら仕方ないなと思っていた矢先、
本人からうつ病であると打ち明けられたのである。診断書を見せられるでもなく。
そのとき私が抱いた感情は「かわいそう」とか「お気の毒」ではなく、
申し訳ないが「それ見たことか」「何を今更」「で?これからどうする?」という気持ちであり、
正直言って同情は一切わかなかったものであった。
なぜなら自らを病に落とし込んでいるようにしか見えなかったからである。
近年は様々な病気、あるいはナントカ症というものが多数生まれてきている。
先日某ラジオでも取り上げられていたが、とくに恐怖症になると枚挙にいとまがない。
「お酒恐怖症でーす!なぜなら目の前にあったら飲んじゃうから!違うかw」という投稿には個人的にムカついたが、
ほとんどは「落ち着きをなくす」「立っていられなくなる」のような割と切実な訴えであったし、
自身の友人知人からもそういう話は聞いたり、あるいは付き合ってきたものである。
そうした新たな病気やらなにやらというものの周知が試みられているのもまた現代であるが、
じゃあすべて見て聞いて覚えられるかと言えば、そんな余裕は多忙な一個人にはないし、
公の場で突然異変を起こした人を「あ!これネットで見たやつだ!」と100%適切に助けられる自信もない。
ましてや「病気」認定が差別的なものになりうることは過去も現代も同じであり、
無垢なマイノリティの方々が切実な訴えをなさっては、様々な人間が入り乱れて大騒ぎになるところである。
では「病気」という診断は何のために存在するのか?百害あって一利なしなのか?
私はそうは思わない、というか、「病気」だけが特別である必要がないと思う。
彼はかなり前に、声帯ポリープが発見されたことがあったらしい。
声を出すお仕事の人にとっては特に厄介な病気であり、切除をしてしばらくお休みをいただくのが常である。
しかし彼は「付き合っていけば味になる」と割り切り、手術をしなかったというのである。
そのせいもあってか度々喉の不調で活動休止ということもあったようなのだが、
2011年の時には「プロとして情けない」とツイートした履歴もある。
身体と心の不調では話が違う、と言われるかもしれない。
しかしながら私が言いたいのは、彼はある種の病を「個性」として受け入れたということである。
病気とまでは言われないものや、単なる性格に過ぎないものも細分化されつつあるように感じる。
「あなたはこだわり屋さんです」とか「あなたはネガティブです」とか言われても、
それは正式な病気や障碍ではないし、なんらかの公的な援助が受けられるわけでもない。
あるいは病気や障碍とまでは言い切れない「グレーゾーン」なるものも存在するようである。
そういう「個性」が明らかになったときに、自分はどうするのか?
自分がその個性とどう「付き合ってい」くか考えていくべきなのではないか?
もちろん病気や障碍には「どうにもならない」「仕方がない」部分はあるし、それに伴う人並み以上の苦労もある。
自身の身体をコントロールできない病なら、どんなに偉そうにして厚かましい要求をしてもいいのか?
自身の精神をコントロールできない病なら、コントロールを諦めて好き勝手罵詈雑言を吐いてもいいのか?
一般人にとっては、大義名分があるから批判することは難しい。でも人として嫌な思いはする。
そうして直言を受けることなく、一部の優しい人に甘やかされ続け、他の人からは疎まれ、
傍若無人にしてある種の孤独なモンスター、言い換えれば「裸の王様」が生まれる。
とくにマイノリティにおける過激派は、どいつもこいつもこうなってはいまいか?
大学の授業に通えていない現状を憂えてのことであったと思われる。
当時の自分は「怠けているだけなのに病院に行かせてくださいだなんて…」と、
今思うと「たとえ病気でなくても」医者にかかったほうがよかったのではないかと思っている。
結局二度と機会は訪れなかった私であるが、
大学生時代におけるリアルとネットの交流を通じて多くのことを学び、
時には大きなトラブルを起こして教訓を肝に銘じ、
また時には友人からの諫言も受けつつ自分を自分なりに成長させることができた。
かつては絵に描いたような「メンヘラ」だった私も、
今では精神疾患を冷静に分析し、自身を客観的に見られるようになり始めた、と思う。
そうか?と思われるかもしれないが、少なくとも昔よりはマシである。
なぜなら今思い返すと「昔の自分」が恥ずかしくて仕方ないからである。
未だに昔の自分に同情する部分もないわけではないが、
一方で人の振り見て我が振り直すことも多くなった。
それだけ人の、自身の「醜さ」というものをより理解できるようになったのである。
自身の気分の落ち込みも「これは見苦しいな」「こうすればおさまる」と自己分析し、
専門家によらないセルフコントロールを自分なりに築き上げてきた。
そんな自分から見ると、コントロールそのものを放棄している人が理解できないのである。
現代は科学と西洋医学の時代であり、「病気を治す」ことに邁進しているものと思う。
しかし一方で、「付き合っていく病気」というものは決して無くなるものではない。
今のコロナ禍においてもワクチン接種が進む一方で感染は防げない!と言われたり、
新たな生活習慣においては鳴りを潜めたことで、日々の感染対策の重要性が浮き彫りになった。
ワクチン打てばかからない!でもなければ、タミフル飲めば大丈夫!でもなく、
自分ができることをして病気と付き合っていくことこそが大事であると改めて示されたものと思っている。
以前ネット上で「自分の機嫌は自分で取る」という言い回しが話題になった時には、
それができるかどうかはさておき、やろうと思わなければ始まらないのである。
不機嫌な自分を正当化するだけでは、だだをこねる子供と変わらないのである。
自分の心をなだめてあげること。
心の不調の原因に向きあうこと。
それをやらずして「病気」に甘んじていては何の意味もないのである。
人はたいてい、何かしらのハンデを抱えている。
病気や障碍を隠して生きるよりかは、カミングアウトできる世の中であってほしいが、
カミングアウトを免罪符と誤解している人間は、その秩序を乱してしまう。
自分に対しては、病気や個性を認め、なるべくコントロールしてみよう。
他人に対しては、病気や個性を認め、なるべく受け入れてあげよう。
それらが並立して初めて、やさしい世界を体現できるのではないか。
エロの問題を社会に丸投げはやめてどうぞ
社会に丸投げする前にそれぞれのご家庭でセックスについて話し合おう
(自宅で寛ぐ母親の元にポルノ女優と男優が訪ねて来る。困惑する母親)
女優「あなたの息子さんが色々なデバイスでわたし達のことを観てるの」
女優「わたし達のビデオは大人向けなんだけど、あなたの息子さんはまだ子どもでしょ?」
女優「わたしたち(ポルノの中では)性同意の話とかしないものね。いきなり始めちゃうから」
女優「そう!」
ガシャン!
突然のポルノ俳優の来訪に気づいた少年は驚きのあまり皿を床に落とす
女優「はーい!マット」
母親「(落ち着いて、サンドラ) (どうしたらいいかわかっているでしょ)」
母親「(固まっている少年に向き直って)じゃあマットそろそろ話をしましょうか」
母親「ネットで見るものと現実のお付き合いがどう違うか。良いとか悪いとかではなくて (“No Judgement”) 」
ナレーション:ニュージーランドでは多くの若者がポルノでセックスを学んでいます。
ナレーション:“リアルが大事” 相談は政府のこちらのサイトまで
Keep It Real Online - Pornography
https://www.youtube.com/watch?v=6c3Edm8NdGs
https://www.keepitrealonline.govt.nz/
どんなにフィルタリングをしようが完全にエロから子どもを遠ざけることは不可能
であれば、子どもがフィクションのセックスに触れる前にちゃんと現実のセックスについて話あっておきましょう
内容はタイトルそのままで、アスペルガー向けになぜ彼や夫以外とセックスをしてはいけないのかを書いた本
私が物事を判断する基準は、自分が誰かを傷つけるかどうか、または相手に傷つけられるかどうかということです。
しかし、セックスに関して言えば、傷つけられるどころか気持ちがよくなり、快感を得られるなど、私の判断基準からすると、悪いことにはならないのです。
なぜ会ったばかりのよく知らない人とセックスをすることが悪いとされているのか、
理解できずにいました。
大人になったら、フィクションのセックス と 現実のセックス の区別が自然つくようになるという根拠のない無駄な期待は投げ捨てた方が良い
発達障害(特にASD)のマジョリティとかけ離れたセックス意識をキモヲタは空気読めで片付けない