はてなキーワード: まだ子とは
いろいろあって手取り100万円の収入があるのだが、妻が「生活費が足りない」と言いだした。そんなはずがあるかと思って調べてみると毎月の住宅ローン・自動車ローン・貯蓄性生命保険・夫婦のおこづかいなどで▲50万円、教育費・生活費・インフラ代・その他で▲40万円が出ていってて、月々のキャッシュフローはわずかプラス10万円。そこに臨時の出費や定期的な出費が入ればすぐ赤字になるという構造。まだ子供が4歳児と新生児なのにこの有様じゃ、2人が進学したら確実に大赤字で貯蓄性の保険も取り崩すことになる。
別に毎晩ステーキ食べたりしてるわけでもないのに、なんでこんなことになるのか。出納アプリなどを活用してみたところ、お互いに「うちはこれぐらいはいけるはず」っていう勘違いが発生してて、折々の消費行動が少しずつ身の丈に合わないとこまで背伸びしてるのではないか、という結論に達した。スーパーでもいいものを百貨店で買うとか、ファミレスでいいのにレストランに行っちゃうとか、少しガタは来たけどまだまだ使えるベビーカーを、新しくてかっこいい芸能人も使ってるモデルに買い換えちゃうとか、そういうやつね。人間、こうやって変な見栄や自尊心で収入を上限まで使い切ってしまうのだな〜と思った。反省だ。
その女が子供産めないような年齢なら普通に行っちゃっていいんじゃないかって気がする。絶対に奥さんにバレないようにするのと、ばれそうになっても絶対に否定する。まだ子供産める年齢なら家庭二つ分維持できるくらい稼いでないかぎりやめたほうがいいよ
恥を忍んで吐き出してみる。
42歳で零細企業の経営をしている独身男性です。仕事に集中するあまり出会いや結婚の機会を逃し、彼女もここ2年くらいいない。
昨年、仕事関係で知り合った大学生グループがいて、そこにちょっとかわいい子がいた。
笑顔が素敵で、学生らしく興味のあることに熱心に努力し、大人とも対等に話をすることができて、年齢よりも大人っぽく見え、皆から愛される子。
部下とかアルバイトという形ではなく、斜め横のつながりで関わることが増え、たくさん話をする機会にも恵まれた。
そんな中でその子が私のことを「イケオジ」「好き」と言っていると、周囲から冷やかされることになる。まあ、正直悪い気はしない。
さらに、ある時冗談めかしてではあったが「好きです」「デートしたい」と直接言われた。
さすがに歳も歳だしと思い、その場はごまかして何もなかったが、そんなことを繰り返していると、こちらもその気になってくる。
たまに喧嘩したみたいな話もあり、愚痴を聞いたり悩みの相談に乗ったりもしていた。
本人曰く、自分はまだハタチだけどそれなりに恋愛経験積んでいるともいう。それに比べて、彼氏はちょっと子供っぽいんだとも。
話の流れで「ほんとにデートしてみる?」とかまをかけてみたこともあったが、「彼氏と別れたらね!」と逆にごまかされたりもした。
そんなコミュニケーションを続けながら数ヶ月がたった。
その間、斜めの関係性を続けながら、雨が降った帰り道を車で送ったり、買い物に付き合ったりしたこともあった。
自分の中でもその子に対する興味と好意が少しずつ大きくなってきているのを感じていた。
この春、その子の大学での活動やアルバイトなど環境の変化もあり、しばらく顔を見ない時間が続いた。
それまでちょくちょくあったメッセージのやり取りも減った。
どうしてるかなーと思っていたころ、その子からランチのお誘いがあった。
何か相談でもあるのかなと思いつつOKし、近所の人気カフェの予約を取った。話は他愛もないことが多く、ただ楽しい時間を過ごした。
その頃、やはり彼氏とうまくいっていないという話があった。
別れようか、という話も出ているとも。
色々ストレスも溜まっていそうだ。「今度飲みでもいく?」と誘ってみた。ちょっと悩んだ雰囲気はあったけど、OKが出た。
評判がよくちゃんとコロナ対策もとってそうな店をいくつかピックアップし、その中から一緒にお店を選んだ。
美味しく食べて飲み、そのあとカウンターのあるバーで遅い時間まで飲んだ。親密な空気を感じ、手を握ったりもした。
田舎なので代行をよび、家まで送り届けた。「またね!」と言って別れた。
その少しあと、その子が体調を崩した。
彼氏とはまだ続いていたが、あまり頼れない、というので代わりに病院に連れていったり、食事(コンビニ弁当だけど)を届けたりした。
「泣きそうなほど嬉しい」という返事があった。
ちなみにその子は料理が好きである。元気になったらお返しにご飯作って、と言ってみたらOKが出た。
ただ、病気が長引く後半は、彼氏の家で療養していたようだった。
仲の良いときは半同棲みたいな状態だったこともあり、生活の半分は彼氏の家という状況は断続的に続いていたらしいと後で知る。
「お陰様で元気になりました!お礼にご飯作りに行っていいですか?」とのことだった。
断る理由はもちろんない。
どんどん距離が縮まってくることに、ワクワクと不安が同居するのを、久しぶりに感じた。
半日かけて掃除に取り組んだ。男やもめで荒れた部屋を片付け、キッチンを磨き、スパイスや飲み物は事前に用意した。
食材は一緒に当日買いにいくことにした。
その子の家の前でピックアップし、スーパーに行って食べたいもののアイデアをお互いに出しながら食材を選んだ。
私のワンルームマンションに着き、初めて入る部屋にドキドキしている雰囲気のその子にこちらもドキドキしつつ、
しばし休憩の後、2人でキッチンに立ち、おしゃべりしながら一緒に料理を作った。
餃子を作ったのだけど、包むのが苦手な私は「ヘンな形(笑)」などとツッコミを入れられてばかりだった。
送りのことを考えてお酒は飲まなかったけど、ご飯も美味しく(その子的には不満な出来栄えだったらしい)、
おしゃべりもはずんだ。食べ終わったあとは一緒にテレビを見た。
間接照明だけの仄暗い室内。
テレビからは優しい映像とBGMが流れていて、いい雰囲気だと思った。
お腹いっぱいでちょっと眠くなったその子は背もたれ代わりにしていたソファにもたれかかって軽く目を閉じた。
「いやっ」と言って逃げられた。「もー、何するんですか!」「いやちょっとスキンシップ取ろうと思って」「もう、ダメですよー?」
そんなやり取りがあった。
その後もテレビを見て話を続けた。
「ちょっとまって、待って。だめですってばー」
そんな感じのことを数回繰り返した。
その後もテレビを見て、引き続き1時間くらいおしゃべりして、もう遅くなったから帰ろうということになった。
車でその子の家まで送った。
車の中でもおしゃべりは続き、気が向いたらまたご飯作ろう、みたいな話もした。
家の前で前回のようにお互い「またね!」と言って別れた。
それから数日間、連絡が途絶えた。
どうしたんだろう?探りを入れるため「よかったらまだ一緒にご飯作ろう」とメッセージを送ってみた。
1日くらい経ってから返事があった。
「変なことされて、平気だったとでも思っているのですか。
彼氏が殴り込みに行くと言っている。
警戒心が足らなかったことは謝る。
私の居場所を奪わないで」
というような内容だった。「少し話したい」と返したが返事はなかった。
「傷つけたことを謝る。同じ空気感を共有できる大切な存在と思ってたし、
軽い気持ちで変なことをしたのでは決してないけど、色々勘違いしていたのだと思う。ごめん。」
というようなことを伝えたが、そこから1週間、返事はない。
今回の件は、私が全面的に悪いのだと思っている。
彼氏との関係を確認し切れていなかったし、相手の気持ちを踏まえ切れていなかった。
そしてなにより、自分はもう40を超えている事実を正確に認識できていなかった。
イケイケだった20~30代の頃のようには行かないし、ましてや相手は大学生、経験積んでいると自分で言っていても、まだ子どもみたいなものだった。
きっと彼女の中では、私は別世界に住みつつも尊敬でき全面的に信頼できる「オトナ」という立場だったのだろう。
もちろん恋愛対象としては想像もしていない。それなのに突然自分を傷つける本性を出してきた、裏切られた、という感覚。
しかしながら男性はいくつになっても男性であるし、若い女性は多くの男性からとても魅力的に映る。
女性側としては、男性との距離のとり方はたとえ年齢差があっても気をつけたほうがいい。自衛のためにも、相手を尊重するためにも。
男性(特に高齢)は、自らの男性的魅力の減衰に、より自覚的になる必要がある。30後半以降にもなると加速度的に劣化していく。
セクハラ事件とか見ていて自分は絶対そうはならないと思っていただけにショックも大きく、恥ずかしいことだが数日寝込んだ。
失恋、ということもあるが、自分が加害者になるような事態がそれ以上に心情的に耐えられない。
ましてや仕事や社会的生活に影響があったら、仲間やステークホルダーにも迷惑をかけかねない。
今回は違うが、部下に手を出すようなことはリスキー過ぎて絶対にありえないと再認識する。
今回の件で、本当に殴り込まれるのか、場合によっては訴えられるのかは、まだわからない。
ただ自戒を込めて、また、誰かのなにかの参考になればと思いつつ、恥を忍んで書きました。
「まだ子どものうちに性的な関心の対象とされたことが、私自身から性的な関心を奪ったと思う。怖かったから。安全でいるための方法は、『私は保守的なの』『私は厳粛な人間だから、あなたは私を尊重すべきよ』『私は賢いの』『そういう対象として私を見ないで』という態度を取ることだと思ったわ」
ナタリーは1997年に公開されたエイドリアン・ライン監督の作品、『ロリータ』への出演を断っている。
「そのくらいの年齢のころは、性的関心や願望を持ち、いろいろなことを探求したいし、オープンでいたいもの。でも、年上の男性たちから関心を向けられたら、必ずしも自分が安全だとは思えないでしょう」
また、こうしたことへの“対処メカニズム”となっていた自身の態度については、「本当に大勢の人たちが、私を超真面目で保守的だと思っていたわ……意識的に、そうさせるように仕向けていたの。それが、自分が安全だと思えるようにするための方法だったから……『あなたを尊重してくれ人なら、あなたを物として見たりしないでしょ?』と思っていたわ」と述べている。このテクニックは「効果的」であり、彼女は「安全だった」という。
10代の頃はラブシーンなどを拒否していたというナタリーはさらに、「セクシーではない役から選んでいたわ。セクシーな役は、人からどう見られるのか、私は安心していられるかと不安になるから」とも打ち明け、当時の苦悩を明かした。
休みのときは、子どもの面倒や家事はほとんど私がやって、妻はぐうたらしてる。
平日も、私は早起きして園の準備や朝ごはんの準備をしてるが、妻は子どもと同じくらいに起きてくる。なぜなら寝るのが遅いからで、子どもが寝たあと、録画したドラマを見たりしてる。そのくせ、朝は時間がないとか何とかで、トロトロ準備する子どもを叱りつけたりしている。
そんな妻をやさしくなだめたりする毎日。
正直、おかしいと思う。
でも、この理不尽な感じをこれまでの多くの女性が味わってきたということは想像できる。
だから、男性である私は、その想像を鍛えるためにも、投げ出したりしちゃいけないのかな、とも思う。
子どもを園に送り迎えする。先生たちはほぼ女性で、私と話すときにはいつも構えてる。どうせ父親に話してもムダだという感じだろうか。
お店に子どもたちのものを買いに行っても、女性店員は私に冷たい。父親はお金さえ払えばいいかのようだ。
別け隔てなく接してくれる人もいるけどとても少なくて、最近はいつも相手が構えてないか、構えてるならどんなユーモアで和ませながら話を展開させたらいいかとか、そんなことばかり考えるようになった。
週末、朝、5時半。
言いたいことの大半はこの増田に書いてあったんだけど
https://anond.hatelabo.jp/20210515224207
女児の親として見てもプリキュアが女の子のために・子供のためにってのは嘘っぱちなんだわ。
例えばキラキラプリキュアアラモードではいちかがアキラを男だと思い込んで好きになったけど女だと知った瞬間好意が消え失せるのなぜ?むしろ自身のセクシャリティに疑問を感じてもおかしくない描写なんですけど?ってあたりにマイノリティに属する女の子の気持ちなんかこれっぽっちも考えてないんだわな。
え?同性愛者の女の子なんか知ったこっちゃないってことですか?
うちの娘は同じ保育園の仲良しの女の子のことを大好きだって教えてくれるけどまあ、まだ子どもなのでそれが所謂LOVEなのかLIKEなのかは分からん。
本人が自分の気持ちをいつ・どういう風に理解するか分からないけど異性愛であって当たり前だなんてもの見せてくれるなよ。
自分自身もバイセクシャルとして世の中に当たり前に異性愛ばっっっっっっっかり見せられて自認にいたるまで無駄な時間を過ごさせられた。
近所にはちょっとぽっちゃりした女の子も住んでる。弱視の女の子も保育園にいるよ。アニメではほとんど存在させられたことないしプリキュアにもなれないけど。
子どもがそんな表現に文句言ってないから別にいいだろって?生まれて数年でな毎日新しいことだらけ、目の前のものをどんどん受け止めるので精一杯の子どもが何年もアニメばっか見てる大人みたいに一つ一つの表現に文句言うの?笑
この作品にこういうシーンがないのはおかしいって?子どもを盾に利用してアホなことを言うな。
表現の自由戦士みたいなのが自分の思想を馬鹿にされたと勘違いしてこれだからフェミは、とかポリコレ棒とか言って必死こいて騒ぎ立てる。
文句言ってるのはプリキュアとか子供向けコンテンツ全般の表現や内容なんだけどなぜか自己を肥大化して自分に文句言われたと勘違いしてる上にそれに気づかずわめいてる…。
売上が~とか商業的に~って言って必死こいて自分たち大人も消費しやすい可愛くてピンクと白とリボンで細身で眼鏡をかけてない女の子以外存在しない幅の狭い表現だけ楽しませろって…はあ…。表現の自由を守るっていいながら言ってる表現めちゃめちゃ狭いな。
元増田だとディズニーとかセサミストリート出してるけどマーベルだって多様性に富みまくってるのに多様性を金儲けに使うなと逆に文句言われるほど売れてるよ。
やる気が無いんだよ。最初からあらゆる女の子を勇気づけようって気持ちよりも、世の中の都合の良いなんとなし多様性っぽい雰囲気のものをキラキラ可愛くコーティングしてそれっぽく見せたらもうそれでやってる感抱いちゃって本気で現実の子どもたち・女の子たちの抱えてる困難なんて勉強してないんじゃないのか。
「女の子のため」っていうのコンセプトに掲げるなら本気出してやれよ。
プリキュアに限った話じゃないけど、少し前のプリキュアの制作の裏側みたいな番組で「自分のためのメイク」みたいなの言ってて見られる性としてこれまでたくさんの女性の表現やルッキズムやらが問題になってきたことを勉強してきたのか?とむしろ不安を抱いたよ。
これまでも適当な多様性やってる感だけ出してる表現しか出来ないプリキュアが、今度も同じようなこと繰り返すんだな、と。
うちの娘をのけものにすんなよ。
できないんだったら「女の子」を軽々しく作品のターゲットやコンセプトに利用すんな。
おい、アイカツお前もだぞ。
自分はカレンダー休みで、週の半分オフィスに行くような半リモートだけど残業や休日出勤が無い。
朝早くて夜遅いってわけでもない。至って普通のラッシュ時間帯にいる会社員の1人。
かたや恋人はカレンダー休みのフルリモートで、定時は10-19のはずなんだけど22時まで仕事してることが珍しくないし、土日も仕事してることがあるし、この間なんて2時に起きたらまだ仕事してたし、同じプロジェクトの別の役職の人らは6時までやってたらしいよってげっそりしてた。
残業代出てるからOK!とはならないと思うがよそ様のことはわからないので一旦置いておいて…。
自分のが早く終わるし激務でもないし、じゃあ家事は自分がやればいいかと思ってるし苦じゃないので困ってはいない。休みの日に掃除機かけたりとかは恋人もやってくれている。
それで気になったんだけど、我々は「カップル」でしかないし当然子どももいないからしれっと生活してるけど、これ「家族」になるとどうなんだろうってちょっと疑問に思った。
共働きの家庭は珍しくないだろうし、フルリモートになった人もそれなりに居るだろう。
それでも時短だったり残業避けたりってのはまだ母親のほうが多いのでは?と思っているので、父親が深夜まで残業、それも結構な日数やってたら家庭で問題になるのではないか、と。
仕事だからなあ、という気持ちも理解もあるとは思う。ただそれとは別で「こんな時間まで仕事してんの?」「今週も土日仕事してんの?」ってなるんじゃないのかな。
どこにも出かけられないし仕事しててもいいよね、ってわけじゃないと思うんだよ。特に子供がまだ子供たる年齢の家庭は。
繁忙期や納期前が極端に忙しい業種があるのもわかる。プログラマやエンジニアが100人いても終わらない仕事ってものも世の中にはあるんだろうけど、フルリモートによる過剰労働の背景に家族の崩壊ってものはないのかとちょっと不思議に思ったんだ。
結婚しても子供がすぐできるわけじゃないし、特に不満も溜まってないからうちはしばらく問題ないと思うんだけど、子供のいる家庭のみなさんどう?
ノブレスオブリージュとかいって現状大して社会的影響力もないであろう大学生に向けて説教するのは好きなのに、オリンピックに参加するアスリートとかの社会的影響力もあれば利益を享受してるようなノブレスにはそんなこと言わずにまだ子供だからとか擁護し始めるのなんなん?個人的攻撃や中止にしろなどの無理筋な要求は論外だけど、開催是非に関する意見表明の責任はあるだろ。建前上はアスリートのためなんだから。意見を言わず責任を果たさずに利益だけ持ってくのはおかしいだろ。
そういった意味で新谷選手は優先ワクチン開催について意見表明出しててしっかりしとるなと思ってる。開催についての肯定否定に問わず、こういうのを評価する社会でありたいね。
よくただの参加者だからというが、小学校の市区町村の大会の参加者とかと責任割合同じかもしれんが、世界的でコロナ禍で大きな影響を有するイベントで責任割合は少なくても責任の絶対量は大きいでしょ。責任範囲を過小評価するなよな。
というかノブレスオブリージュ自体の思想は良いとは思ってるんだけど、利益とかそういうの無視して高い能力を持つ人にだけいう奴に義務を課そうとする風潮もマジでなんなの?元々の発言も租税を民から徴収してるからその分責任があるとかいう意味なのに、都合よく使ってない?マジでアホだと思う。
毎日のように夜までうちの私道で遊ばせている隣人とかバーベキューする隣人とか本当にうざい。
音もうるさいし、バーベキューなんかやられた日には通気口からバーベキューの煙を吸気して家の中を煙だらけにされる。
田舎の土地が広いところならともかく、狭小住宅ばかり建っている都会の住宅街でやっていて、明らかに迷惑だ。
でも、言葉でいくら尽くしてもそれって理解されないんだろうなとも思っている。
それは、ばあちゃんの葬式の時に近所の人に言われたこととそれへのおばのリアクションを思い出すから。
田舎にあるうちの祖父母の家を訪れた人はなぜか近所の家の玄関前を駐車場のようにして車を止めていて、子供のころ、そこに何の疑問も抱いていなかった。
玄関前に駐車されると荷物やその家の車が出せなくなるのでやめてほしいとかそういうことだったと思う。
自分はまだ子供だったので自分ではなく近くにいた親戚のおばに言っていたと思うのだが、そのおばがその注意にキレていた。
キレていた内容はあまり具体的に覚えていないが、要は絶交しようという主張をしていたように思う。
葬儀のお悔みに訪れる人に「そこに止めたら怒られますから!」とこれ見よがしに隣人の玄関前に止める人に注意をしたりしていたらしい。
...子供だから、わからなかったんだけど、大人になって一軒家に住むようになって、逆の立場になってわかる。
注意してきた近所の人はその正当な権利を主張していたのだと。
そして、なぁなぁで許されてきた権利侵害がもう、当たり前の権利のようになってしまい、おばにはそれがわからなくなっていたということも。
実はこれで█人目だ。その前の█-1人とはもうほぼ縁を切っている。すべて私の意思で離れることを決意したのだ。
私は恋愛をする上で性が必要かどうかについての見解に関して今回は触れないでおくがそれはともかくひどい性嫌悪で、自慰行為一つとってもその後一時間は寝込むし人と性行為に及んだらその記憶が蘇るのが怖くてその人自体と縁を切ってしまう。これはいろんな人間関係の中で人のことを観察していたい私にとってかなりの痛手で、それまで大切にしてきた人間関係がわたしの性嫌悪のせいで数時間を最後に一人分だめになることを意味している。人に性を迫られたときに正しい否定ができない。これは弱音だ。私は伊達に人間好きをしていないので性から逃げながらもそういうことには大分鼻が効く方で、今度こそは無駄にしたくないという一心で言われたわけでも匂わされたわけでもないがもし迫られたら「あなたのことは嫌いになりたくない」と言って断ろうと決意し、何度も頭の中でイメージした。結局失敗してしまったが得るものはあった。以前は自分を押し殺して人を許容している様子や反応をつくり出していたのに対して今回は割と自分の意思で受け入れられた(ように感じられた)のだ。すべてが作られた反応だった以前に比べて自己の意思をそのまま言動に反映することができた。今後冷静になって全部をだめにしないとも言えないので今後もこの感情については慎重に観察を推し進めていく必要があるが、いつもだめだった第一段階(と自分の中で呼んでいる)はクリアしたようで本当に驚いている。この第一段階とは一度目の行為のあとに何気ない会話を交わせるかどうかである。よかったですね。わたしは性が怖すぎてウェルベックすら直視できず本質にたどり着けないし性が含まれると言われた村上春樹に至ってはまだ怖くて手をつけることすらできていないのだ。自分の染み付いたどうでもいいような苦手意識のせいで読もうと思った本を読めないのは本当に悲しいことであり、たくさん読みたい本がある自分にとって単純につらい。性の干渉なしに表現ができない感情というのもあるのだとなんとなく理解しているので、真の意味を理解するのは先だとしても内容を目で追えるくらいにはなりたいということである。要は私はまだ子供なのだ。小学生のように、性に対して過剰反応を示している。成長が何であるか、どうしたら成長ができるのかまったくわからず、ただがむしゃらに本を読み続けてきたが、読める本にも限りが出てくる。こんなことを永遠に自分の中でこね続けるのも本当に疲れてしまって一週間寝込んでから増田への投稿を決意した。たすけてほしい。本当は私はどうしたら良かったんですか?
自分が好きなものがマイナーなものにカテゴライズされる傾向は偶然にしろ確かにあるんだろう
逆に言うなら、自分が好きとか面白いと思うものは売れない、疫病神みたいな傾向もあるのかもしれない
そういえば、庵野氏も似たこと言ってたけど、売れるものを作るのが命題だと精神的にキツいかもしれない
自分が反吐が出るほど嫌いでも世間で売れるなら、というのはモチベーションとしては社畜サラリーマンと変わらない
例えば、作品自体には愛はないけど、制作スタイルとかワークフローを構築したいとか、
視点を変えることで選択権のない仕事を少しでも面白くすることはできるように思う
例えばクトゥルーネタを持ってくると売れない、みたいなのがあったけど、
ニャル子で確実にそれは覆された感はある…
え?ニャル子はメジャーではない?
だとすると、それはそれで残念な気もするが、
それよりも平成ライダーとかガンダムではなかったか?という気がしなくもない
クトゥルーネタだと売れないジンクスは、どちらかと言うと映画の話であって、
サム・ライミのキャプテン・スーパーマーケットもその前作も、
最近のCGなりでダンウィッチの怪をやってもいいような気がするんだけど、
そのバックグラウンドというかスターシステムみたいなのが面白いわけだけど
日本のインスマスを覆う影と異なる脚色で、アクションなりエロなりを盛り込めたと思うけど、
あれはあれで、なんか長くない?という気がしないでもなかった
そう考えると、やはりインスマスは佐野史郎のあれがベストであって、
あれを観たのは自分がまだ子供で親戚の家に泊まっていたのだけど、
周囲からすれば迷惑だっただろうけど、テレビの前でワクテカして待機してたのを覚えてる
ネットはまだなかった気がするのだけど、
インスマスをテレビでやるという事前情報だけはキャッチしていた子供だった
佐野史郎もインスマスとか怪奇路線は本人も大好物のはずで、幻想文学が好きなはずだけど、
佐野史郎本人までバッシングされたぐらいだったように記憶している
冬彦さんブームというか、宅八郎と宮崎勤のような偏見や差別をマスコミも醸成してた気がする
結論としては売れる話とクトゥルーネタがまったく相容れないというか水と油なだけなのかもしれない
ラブロマンスな話を考えるとしても、彼女が半魚人とか、不死の恋人が登場するとか、そんな感じだろうか
そもそも、ラヴクラフト縛りみたいなのが足枷になっては良くない気もする
いずれにせよ、基本どうやったってホラーになるんだよなあ
そりゃ当たり前だろ。
35を超えたら子供目当てという線も薄れる。ニーズはセックスさせてくれるおかあさんでしかない。
・お前の維持にカネがかからないこと。自分磨きとかはむしろ敬遠材料。
・それなりにカネが稼げているか実家が太いこと。まだ子供ができる可能性はあるから子育ての支援体制が整っていることは重要。
・浪費癖がないこと、お金の管理がきちんとできること。いくら稼いだって結婚して穴の開いたバケツのように使うようでは無理。
・子供を欲しがっていること。子供が要らないなら結婚する必要はない。同棲でも風俗でも男にはいくらでも解消策がある。
・出産という女としてのコアコンピタンスを失ったことを覚悟しろ。出産できない女なんてただの貧弱な劣化男でしかない。無職男並みに無価値であると理解しろ。
・せいぜいお前のニーズはセックスさせてくれるママであることだ。かつての美貌とか無意味。どんなに必死に磨いたって歳は隠せない。
・むしろ若く見える見えることはマイナス。子供ができるかもわからんのに自分ばかり磨いてる地雷女なんて誰が選ぶか。