はてなキーワード: TOEiCとは
ジャパリパークは個性を認め合う社会だ。人間と違って野生動物はできることよりもできないことのほうが多い。大抵の動物は泳げないし空も飛べないし足も大して早くない。だからこそ、擬態がうまいとかジャンプ力が高いとかとか、できることが光る。できないことはできなくてあたりまえ。でも、できることはすっごーいと褒め合う。この多様性を認め合う姿勢こそがジャパリパークの素晴らしさだ。
中学生の時、勉強の大変さからやる気を無くして不登校になった俺は、そこしか行けるところがなかったから偏差値30の高校に通った。今思うと、偏差値30の高校は、間違いなくジャパリパークだった。周りは不良や元不登校ばかりだった。俺も含めて皆親が貧乏だったし、勉強も進学校と比べるとおままごとのようなレベルだった。でも、だからこそできることが光った。皆個性が強かった。
アルファベット26文字すべて書ける人はすごい、分数の割り算ができる人はすごい、アルバイトで月15万稼ぐ人はすごい、学校の近所の卵が安いスーパーを知っている人はすごい、いけすかない先生をぶん殴って退学になった人はすごい、休まないで学校に来る人はすごい、宝石職人の息子で文化祭の時ものすごい精巧なお化け屋敷を作った人はすごい、現在形の英文を過去形に直せる人はすごい、二次関数の頂点の位置がわかる人はすごい、大学に受かった人はすごい、就職できた人はすごい、ちゃんと卒業した人はすごい。偏差値30の3年間は、肯定の言葉にあふれていた。アルファベット26文字を書くなんて下手したら小学生でもできることだ。でもそれができることは、傷の舐め合いでもなんでもなく、心からすごかった。できないからって馬鹿にするやつなんて居なかった。
現在、俺は偏差値が高校の倍くらいある大学で工学を学んでいる。高校で科学の面白さを知って大学で科学の勉強がしたいと思ったからだ。教育環境は間違いなく向上した。ちゃんと大学レベルの講義を聞けるし、私語をする人はいないし、講義中に紙飛行機を飛ばす人も居ない。でも時々、大学の「できて当たり前」という環境が少し嫌になる。お前はテイラー展開が出来ない。お前はTOEICで500点すら取れない。お前はルジャンドル変換が出来ない。お前はシュレディンガー方程式が解けない。多少のできることよりも、できないことで評価される。それがダメだとは言わない。競争する環境では当然のことだ。競争が悪いことだとは決して思わない。仮に今中学3年生に戻れるとして、俺はきちんと勉強をして進学校を受験し、競争する道を選ぶだろう。減点方式の評価は悪いことではない。でも、なんだか時々、ジャパリパークのようだった偏差値30の母校がどうしようもなく懐かしくなる。
それって単に話す機会が極端に少なくて慣れてないだけじゃ?
英語しか喋れない友達ができた瞬間に普通に喋れるようになった。
ちな俺のTOEICは800(数年前の話だけど多分今も上達はしていない)。
TOEICの試験だけで英語力が正しく測れてないのはその通りだと思うけど
ホームステイ、日常会話、旅行ってどれも初心者英語で十分なものばかり。
資格試験は仕事とか留学とかそういうのをターゲットにしてるから日常会話の英語とは少し違うし、
日本人の「英語ができる」はネイティブとの日常会話ができるかどうかに偏りすぎなんだよね。
TOEICも留学生が海外で英語だけで十分に勉強できるかどうかを基準に作られてるものだから、
一度英語で書かれた大学の教科書を読んで理解できるか試してみればなぜ自分が250点なのかわかると思うよ。
そして世の中に求められる英語力というのは日常会話よりもTOEICやTOEFLの方が近いことにも注意。
(なぜ資格試験では増田がわかりそうな日常会話っぽいのが少ないのかを考えてみよう)
↓こことか俺の言いたいことをそのまま書いてくれてる。
日本の英語教育がダメだというのは誰もが分かっていると思う。反論もいただいているが、データを見ていくと、たとえば偏差値65の国立大学である東京工業大学の新入生TOEICスコアは500程度
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/science/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/04/21/1305014_2.pdf p23
神戸大のテストは志願者しか受けてないので、英語力に自信がある人ばかりが受けていて、点数が高くなってると思うが、新入生のTOEICスコア600程度
http://www.solac.kobe-u.ac.jp/2013/04/toeic-iptoefl-itp.html
大学別TOEIC平均点(http://uguisu.skr.jp/toeic/ave_score.html)を見ると、東大でも688点ということだ。
688点というのは、米国人7歳程度と同等ということだ。
http://uguisu.skr.jp/toeic/level2.html
TOEIC受験者の 36%程度がこのスコア以上のスコア所有しています。
TOEIC受験者の中では偏差値 54.3~57.3程度です。
米国人 7歳程度と同等
7歳だとまともに文が読めない。日本で一番優秀で一番勉強してる人たちが7歳レベルにしかなれないのだから、それは日本の英語教育がおかしいのだ。
大学を卒業する頃には、一応英語でマトモなコミュニケーションが可能な、小学校高学年ぐらいのレベルにはなっていて欲しい。そのレベルはTOEICだと850点以上になる
ちなみに上のURLには東大生の英語レベルについて実体験から書かれている。それを見ると688はそんなもんだろうなという感じがする。
知的エリートの東大卒業生であれば、当然950点以上ないとダメだろう。
米国人 13歳~程度と同等
13歳程度ではダメで、最低でも15歳レベルは必要だ。15歳の言語能力があれば、普通にちゃんとした本も読めるし、話していても「お、この日本人はいいことを言っている」と思ってもらえて、「さすが日本の知的エリート、Tokyo大学出身だな」と国自体も一目置いてもらえるだろう。
上が950(13歳以上)、平均が850(10歳以上)、このくらいの英語力があれば、「日本人の英語はメチャクチャだ、こいつら一体学校で何を習ってきたんだ」と困惑されなくて済む。650(7歳レベル)なら、「英語は酷いけど一応わからないこともないからまあいいか」ぐらいの評価にはなるので、下はそのくらいでもいいだろう。
なので、英語教育を改革して義務教育である中学卒業時の平均が650、大学卒業時の平均が850、東大卒業時の平均が950になるようにしたい。大体の体感で言うと、TOEIC650に必要な学習時間は3000時間、850は6000時間、950は9000時間ぐらいだ。
http://anond.hatelabo.jp/20170529005228
(前回終わりと言っていたが、コメント返しをしたい。I'm easily triggered。書きたいものもまた出来てきた。そのうち理想の英語教育について書いてみたい。ただし、この書き込みを始めてから痔が痛くてしかたないので、まず体調を戻したい。
これは元記事に追加しようとして書いていたものだが、更新しても全然反映されないので新規記事として書くことにする。それと、前回最初に書いた記事は長すぎて入り切らなかったので削除したのだが、トラックバックは消えずトラックバックの依存関係がめちゃくちゃで、それも直せていない。増田の仕組みはよく分からない)
なぜ日本の英語教育が嘘まみれなのかわからない、というご意見を頂いている。
日本の英語教育で教えられているのは、日本人に教えられている英文解釈の方法論で理解できるように調整された、英語のように見える英語でない言語だ。日本の英語教育は、最初から英語でないものを教えている。それはものすごく罪深い嘘だと考えている。
論文を読み書きできればいいじゃないか、という意見もいただいた。科学の共通語は"Broken English"だ、という考え方は広く浸透していて、ならば英語は適当でもいいんじゃないかという考え方は根強い。
しかし、たとえば東京大学文科3類のTOEIC平均点は730点というデータがある。これはソースが見つからないので都市伝説のたぐいかもしれないが、神戸大のTOEICの平均点のデータは見つけることが出来た。
http://www.solac.kobe-u.ac.jp/2013/04/toeic-iptoefl-itp.html
神戸大は国立の立派な大学であるが、上級生でも600点付近をウロウロしている。下級生はもっと低い。
https://www.slideshare.net/sixaroundtheworld/report-on-test-takers-worldwide 8ページ
TOEICは日本人にとっては難しくても、世界的に見れば簡単すぎて、受験者の大半が日本人と韓国人で占められるようなテストだ。上のデータを見ると日本人が65%、韓国人が12%となっている。TOEICは900点あっても、Wikipedia英語版でまともに情報収集できるかも怪しい程度の英語力でしかない。たとえばこんな記述を見つけた
そういう意味でwikipediaの英語版はとても良質な英文の宝庫と言える。また、単語レベルもNewYorkTimesなど英文誌のようにバカ高くなく、TOEIC900点を目指すものにとってちょうど良い。自分が興味のある分野か、TOEICでよく出る経済用語がオススメだ。
http://www.iibc-global.org/iibc/press/2014/p016.html
ちなみにここを見ると、中国人の平均点は713点、韓国人は632点、日本人は512点となっている。他にも、留学経験のない人の平均点は539点だが、2年留学すると762点というデータも見え、2年留学してるのにたいして出来てない実態が浮かび上がってくる。
TOEICはかなりレベルの低いテストで、その中での神戸大の平均点600点というのは、英語は基本的にわかりませんというレベルだ。論文を書くだけなら、(Broken Englishが許される学問領域ならば)中学レベルの英文法を駆使して簡単な文を作り、大学が雇っているネイティブに添削してもらえば一応形にはなるだろうが、論文を読むのは、たとえそれがノンネイティブが基本的な文法だけを用いて作ったBroken Englishであっても難しいはずだ。
日本の英語教育は、最初から英語は教えておらず、教えているのは英語もどきでしかない。そこを誤解しないようにしないといけない。そしてそれはいくらやってもほとんど実用にはならないのだ。
日本人にとって、直訳という言葉は「機械的に文法に沿って訳語を並べて、意味不明の訳文を作ること」といった印象が強い。意味が通じる翻訳をするには、意訳、つまり元の文を理解した上でその内容を自分の言葉で書き直す必要があると考えられている。
しかし英語で直訳を表わす"literal translation"は、そういった言葉ではない。もちろん、機械的に置き換えて意味の通じない文を作ってしまうことも言うのだが、"literal translation"は「原文に忠実である」というポジティブな側面を持っていて、formalで立派な翻訳という感覚を伴う。
それはつまり、「意訳」に良い印象がないということでもある。それは「意訳」に当たる適切な英語表現がないことでも分かる。
https://www.onehourtranslation.com/translation/blog/literal-translation-vs-conveying-sense-text
ここでは"literal translation vs. conveying the sense of the text"(直訳 vs. テキストの意味を伝えること)というタイトルになっている。日本人から見ると「"直訳 vs."と来たら『意訳』が来るに決まっているだろう」と言いたくなる。しかし、英語で意訳という言葉は、直訳とvs.出来るほどの市民権を得ていない。
英語の翻訳はフランス語やラテン語といったヨーロッパ圏の言語から知識を取り入れるために行われることが多く、ヨーロッパ圏の近縁語同士では直訳は有効な方法論だ。結果として、"literal translation"は立派でフォーマルな翻訳という意味合いが生じた。
対して、訳者が勝手に自分なりの表現を加えてしまうと、fidelity(原文に対する忠実さ)が欠けているという批判の対象になる。
たとえば、私は素人ながらアニメの英語翻訳に関わったことがあるのだが、海外のアニメオタクは意訳を嫌う。佐藤さんはSatou-san,斎藤先輩はSaitou-senpaiだし、学校の先生の敬称は英語だとMr.なのだが、犬塚先生はInuzuka-senseiだ。
たとえば、アニメのセリフに「ありえなくね?」と出てきたら、文字通り"That's impossible, right?"と訳すのが好まれ、意味を汲み取って"Are you kidding?"と訳したりすると、"over-translation"とか"liberal translation"などと言われて叩かれてしまう。日本人の私から見ると、とても理不尽に感じるが、彼らの感性はそうなっている。
この問題についてググっていたら「literal translationが良いというのは神話だ」という海外の人の意見を見つけた。これを言っているのが日本語の英訳をしている人だというのも示唆的だ。
日本では英語文献を翻訳するのが主なので、literal translation、直訳はほとんど役に立たず、ひどい翻訳の代名詞のようになっている。英語話者にとっての日本語の英訳でも同じだろう。
基本的に、英語圏でTranslationと呼ばれているものと、日本で翻訳と呼ばれているものは、行為としては似ているが、内実は全く異なっている。
英語圏で行われているのは直訳であり、我々がやっているのは意訳だ。英語圏でやっているのは文法ルールと訳語を覚えて他言語に当てはめ、原文を出来るだけ変えずに英語に直すことであるが、我々がやっているのは「他言語を(何らかの方法で)理解し、その内容を自分なりに日本語で作文する」という行為である
直訳が役に立たないということは、つまり文法ルールを覚え、日本語の訳語を覚えて適用しても、英語を理解することは出来ないということだ。
これは残酷な現実であるが、「いくつの文法ルールを覚え、何万の訳語を覚えても、英語を理解することは出来ない」
これは文法や訳語が不必要だと言っているのではない。文法や訳語はヒントにはなる。だが、答えにはならない。
はっきりいえば、ヒントを一生懸命集めて暗記しても、意味がない。文法ルールをいくつ暗記しようと、英単語の訳語をいくつ暗記しようと、それは英語力ではない。
身も蓋もない言い方になってしまうが、法則化出来ないなんらかのプロセスによって、英語を直接理解する能力。それが英語力だ。
そして直訳が出来ない、つまり英語を日本語に変換して理解するための法則が導けないという事実から分かるのは、日本語を理解している我々の脳をどういじくっても、それを英語に適用することは出来ないということだ。
それはつまり、「英語を理解するための脳の回路を、日本語とは別にゼロから構築する必要がある」ということに他ならない。赤ん坊が新しい言語を習得するときのように、何年もかけて、少しずつ脳を開発していき、英語を理解できる脳を構築していくしかないのである。
どこかの英語学習体験記で読んだことがあるのだが、「留学に行った所、フィンランドの学習者と同部屋になった。フィンランドの学習者はひたすら単語帳を眺め、英単語だけをひたすら覚えていたが、それによってあっという間に英語が出来るようになっていた。だから、私も一生懸命単語帳を眺めることにした」といったものだ。
これがつまり、直訳が可能な言語を使用している脳と、直訳できない言語を使用している脳の違いだ。欧州の人々は基本的に、母国語を理解するために使っている脳を英語向けにアレンジするだけで、英語ができるようになる。我々はそうではない。
たしかその体験記の終わりは、「一生懸命英単語を覚えた結果、留学を終える頃にはかなり英語ができるようになっていた」となっていたように思う。しかし私が声を大にして言いたいのは「それは英単語を覚えたおかげではない」
日本の英語学習界には、留学神話がある。「留学さえすれば英語は出来るようになる。留学しないといつまでたっても英語ができるようにはならない」というものだ。
もちろん留学さえすれば英語ができるようになるというのは嘘だ。それはもちろん神話でしかない。「留学して、英語を使わざるを得ない環境に自分を追い込み、一生懸命英語に取り組めば英語は出来るようになる」というのは正しいが、「留学はしたものの、日本人同士で固まって遊んでいただけで、勉強はしていない」といった生活で英語ができるようになるはずもない。実はそういう日本人留学生は数多い。
しかし「留学しなければ英語ができるようにはならない」というのは真実を突いている。
日本の英語教育に従って、文法ルールを覚え、訳語を覚え、どんなに努力を続けても、英語ができるようにはならない。留学して、日本の英語教育から離れ、ただがむしゃらに英語と格闘すれば、それだけで英語は出来るようになる。
そして「がむしゃらに英語と格闘する」ためには、留学は別に必須ではない。がむしゃらに英語の本を読む事もできるし、映画を見てもいい。海外英語フォーラムに書き込んでもいいし、Lang-8で英語で日記をつけてネイティブに添削してもらうのも、アジア圏のネイティブとスカイプ英会話をやるのも良いだろう。
がむしゃらに英語と格闘することが必要なだけだ。そしてそれ以外に英語ができるようになる方法はない。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H1M_V20C15A5CR0000/
全国の公立中学・高校の英語教員のうち、英検準1級以上かそれに相当する資格を取得しているのは中学で28.8%、高校で55.4%だったことが25日、文部科学省の2014年度英語教育調査で分かった。政府の教育振興基本計画は17年度までに中学で50%、高校で75%との目標を掲げている。英語教員のいっそうのレベルアップが必要な状況が浮かんだ。
高校の英語教師で英検準一級が55%、半分近くが英検準一級を持っていないということだ。準一級を持ってないということは、日本の文法・単語の暗記中心の教育をする能力すら疑問符がつく。
準一級の問題は、日本の英語教育で教えられたとおりに暗記した単語を当てはめ、文法ルールにそって直訳すれば理解出来る、日本人向けの英語もどきでしかない。それが分からないということは、英語もどきを教える資格もないということだ。
もちろん教師は聖職として尊敬されるべき存在であり、それを指揮するのは霞が関文部科学省のエリート官僚であるから、自分たちが教えているのが「実際には役に立たない英語もどきです」とは言えない。「私たちは英語がよく分かりませんし、『生徒をちゃんと英語が出来るようにしろ』と言われても出来るわけありませんよ。むしろ、そんなやり方を知っているなら教えて下さいよ」などと口が裂けても言えるはずがない。
それに対して一方では「聞き流すだけで英語がペラペラに!」とか「たった100語で英語は出来る!」とか「頻出フレーズを暗記すれば日常会話はバッチリ!」とか、英語教育界はオカルトだらけである。
もちろん商売でやってるのであるから、「がむしゃらに英語と格闘しろ、それ以外ない」などと言えるはずもないのだが、そんなことを言っていても誰も英語が出来るようにならない。なんとかならないものだろうか。
私が実践してきた、オススメの、実際はがむしゃらにやるだけの英語学習法を紹介しておく。
http://anond.hatelabo.jp/20170526220542
http://anond.hatelabo.jp/20170524213622
http://anond.hatelabo.jp/20170522214348
コメントを頂いた。本を読んでもTOEIC3000語が覚えられない、ということだった。
TOEICのリーディングは結構速読が必要なので、その実力が身につくまで、100万語ぐらい、500ページのペーパーバックを12冊分程度読まないと、普通は最後までたどり着かないんじゃないかと思う。12冊分を辞書を引きながら、単語や表現の感覚を感じ取りながら舐めるように読めば、どうやっても8000語程度の単語を感覚的に理解できる、生きた語彙力が身についてるはずだ。必要なのは暗記力ではなく、文を深く読み、英語表現の意味を感じとる力だ。記憶は忘れるけれど、感覚は忘れない。忘れたと思っていても残っていて、何度か同じ表現を見かければ、その都度感覚は強化され磨かれていく。
単語を覚えるというのは読書の途中で自動的についてくるもので、ピクニックの途中で摘める野イチゴのようなものだ。しかし英語学習者は読書というピクニックには出かけず、ピクニックの準備だけを念入りに行っているように感じている。「自分にはピクニックも難しい。ピクニックに出かけたらヤマで遭難するかもしれない。その時のために食料を買い込んでおこう」と言いながら、辛い奴隷労働をして腐りかけのイチゴを買い込んでいるように見える。ヤマに出ればいくらでもおいしい野イチゴが摘めるのに、ヤマに行っても腐ってて使い物にならない表面だけの単語知識を必死で暗記しているように感じている。これは本当によくないことだと思う。
もう一つコメントを頂いた。学習者は英英辞典はオックスフォードでなく、ロングマンをやるべき、というご意見だ。
辞書から得られるものは単語の理解ではなく、ヒントでしかない。ヒントを英語で貰っても基本的に英語学習者にはわかりにくい。英英辞典自体を読み物として楽しめないなら、英英辞典を見ても英和より効率が悪いと考えている。もちろんロングマンが読み物として楽しい、読んで頭に入りやすいという方がいるならその方が良いと思う。私はオックスフォードが読み物として楽しいので使っているが、面倒な時はウェブリオに走っている。
この記事は長文すぎて最後が切れていたので、二つに分割したものの後半部分だ。前半部分はこの記事と繋がりがあるようでないのだが、いろいろと書いた。 http://anond.hatelabo.jp/20170529095534
ネタがなくなったので、多分この増田で吠える英語考察は今回でしばらく休止するかと思います。今まで長文をご覧いただいた方、コメントを頂いた方、ありがとうございました。
さて、今回は私の英語学習法の核心、「英単語の暗記をしない」ということについて語ってみたい。
http://anond.hatelabo.jp/20170524213622
ここで前回リスニングについて語った内容には、凄まじい反響があった。私は1500というブクマ数にoverwhelmされてしまった。
いきなり何を言ってるのか、と思われるだろうが、私の感覚の中では、1500ブクマという気分を一番表せるのは、日本語の「圧倒された」ではなく、英語の"overwhelm"だ。
この単語はただ「圧倒された」だけでなく、「圧倒的な力に晒されて、疲弊してしまった」という感覚がある。もしこれが増田でなく普通のブログだったら、プレッシャーで何も書けなくなっていたかもしれない。
他にも、前回の「英語をあるがままに受け入れなければならない」という結論の部分は、最初は「英語をあるがままにembraceしなければならない」と書いてあったのだが、伝わらなさそうなので書き直した。embraceは「抱擁するように受け入れる」というような感覚だが、日本語で書くと何のことやらわからない。
英単語を覚えるということは、こういった単語に伴う感覚を一つ一つ身につけていくことだ。そうすれば英単語が自分のものなり、ライティングやスピーキングでも自然に単語が湧いてきて、自由に使うことができるようになる。
英単語それぞれに固有であるこの感覚をどう身につけるのか、というのがここで語りたい話題である。
英語学習の世界で良く出て来るスローガンに「英語は英語のままに理解しなさい」「日本語に訳して理解してはいけません」というのがある。
しかし「英語は英語のままで理解しろ」と言われても、初心者には何のことか分からず、何か魔術的な、自分には絶対にできない思考法によってしか、英語は理解できないのではないか、という気にさせられてしまう。私も高校生の頃に、このスローガンを聞いて、そんな絶望感に襲われたことがある。
日本語しかできない日本人にとって、言語で思考する際に使える唯一のツールは日本語だ。英単語の意味を知りたいなら、日本語の訳語なり、日本語で書かれた説明によって理解するしかない。
日本語の訳語を当てはめ、文法ルールに従って語順を並び替えて、並び替えた日本語から文意をつかむ。ノンネイティブである学習者はそこからスタートするしかない。そして大学受験レベルになっても、難関校を受験するのでなければ、その方法論で通用するだろう。
そのレベルの英語力が欲しいならば、訳語を覚えることは有効だ。
ただ、「英単語を覚えるぞ!」と単語帳を開き、そこに記された訳語や例文を見たり、書いたり、発音したりしてみても、それで記憶できるのは記憶力がいい人だけで、普通は無理だ。
そしてそのレベルの、日本語の訳語を並べ替えるような英語力では、現実世界にあるほとんどの英文は読めず、あまり役に立たない。日本語と英語はあまりにも違いすぎるので、逐語訳、直訳はほとんど通用せず、日本語の訳語をそのまま適用しても英文を理解することは出来ない。
なので、受験と関係ない大人にとって、日本語の訳語による英語の理解は、目指すべき目標にはなりえない。
「『英語は英語のままに理解しなさい』か。ならば英英辞典を使って英語で意味を覚えよう!」と考えるのは自然な発想だ。しかし、これもうまくいかない。
日本語を介して英語を理解する段階を超えるには、英単語の持つ固有の感覚を覚える必要がある。
英単語から日本語の訳語が想起されるようではいけない。それと同様に、英英辞典に書いてある語の定義が想起されるのも、その隣に書いてある同意語が想起されるのもアウトだ。そういった余計なものが出て来るようでは、リスニングはできるはずもないし、リーディングにも苦労を伴うことになる。
日本人にとっては、日本語の単語が持っている感覚を想起するのは容易い。一方、英語から感覚を想起するのは難しい。英単語と感覚を結びつけるという意味では、日本語の訳語を介したほうが早い。
しかし、日本語の訳語と英単語では、意味に違いがある。日本語の訳語を介して英単語を理解しても、不正確な理解にしかならない。しかしそれは、英英辞典に書いてある定義にしても、同意語にしても同じことだ。同意語といっても、単語が違う以上はニュアンスの違いがあり、辞典の短い説明でそれを完全に言い表すことは出来ない。
なので、単語を覚えるために英英辞典を使うべきではない。(*1)
英和辞典や英英辞典では、英単語が持っている本当の感覚を掴むことはできない。
英単語の本当の意味は、その単語が実際に使われたシチュエーションの中にあり、その中にしかない。その単語を発した人の感情であったり、伝えたいメッセージがその単語の中に込められる。それを感じ取ることが出来れば、その単語の本当に意味するところが伝わってくる。
もちろん人によって、単語に込める意味には多少の違いがあるし、一度や二度その単語に出会っただけで、その感覚を本当に自分のものに出来るかはわからない。その単語に何度も出会い、修正を重ねながら、感覚を確かなものにしていく必要がある。
いずれにしても、実際にその単語が使われている生の英語を、深く理解し、言葉を発した人物の気持ちやシチュエーションをしっかりと読み取ることで、そこに出てきた単語の本当の意味を掴むことが出来る。辞書の定義や、ぶつ切りにされた例文からでは分からない。
小説や映画のシチュエーションを深く感じ取って理解し、記憶の中に蓄積していくことで、そこで出てきた英単語やイディオムといった英語表現の意味を、実感を伴って理解することが出来る。やがてその英語表現は自分の身体の中に染み込んで、感覚的に使いこなすことができるようになる。
http://anond.hatelabo.jp/20170522214348
私が以前ここに書いた学習法では、「辞書を引きながら小説を読む、映画の英語字幕を一時停止しながら解釈する」といった事が勧められている。それは小説や映画が、人物の心情があり、シチュエーションがある生の英語の塊だからだ。そして「自分が楽しめるものを見る」ことを勧めているのは、そうでないと登場人物の心情に寄り添ったり、シチュエーションにハラハラすることが難しくなり、英語を感覚的に深く読み取ることができないために、著しく学習効果が落ちてしまうからだ。
ここで使う辞書はもちろん英和で構わない。ただし辞書の記述はヒント程度にとどめ、単語の本当の意味は作品の中から感じ取ることが重要だ。辞書からは単語の感覚を理解することは出来ず、実際に使用されたシチュエーションを蓄積することでしか、単語を自分のものとすることは出来ない。
単語やイディオム等、全ての英語表現は、小説や映画や実体験などから、記憶の中にその表現が使用されたシチュエーションが蓄積されることで、その表現に固有の感覚が醸成されていく。
そのシチュエーションが印象深いほどに、感覚はより明確になり、記憶への定着率も上がる。そしてシチュエーションの数が増えるほどに、感覚はより正確に、記憶はより強固になっていく。
シチュエーション自体は時とともに忘れてしまう場合が多い。しかしその表現に染み付いた感覚は、シチュエーションを忘れた後も残っている。
そして英語表現からその感覚が直接想起されるようになれば、日本語を介さず「英語を英語のまま理解する」状態に至ることができる。その状態に至れば、その英語表現を感覚的に理解し、適切な時に適切な形でアウトプットすることも出来るようになる。
そうはいっても、「私の英語力では小説も映画もとても歯が立たない。それは語彙力が足りないからだ。まず単語を覚えなければ」と考える人は多い。
そして単語学習のあまりのつまらなさ、記憶の定着しなさに絶望して諦めてしまうというという人が後を絶たない。しかしそれは根本が間違っている。
辞書というものがある以上、英語を解釈するのに語彙力は必須ではない。テスト問題を解くためには、辞書なしで英語を読み解く力が必要かも知れないが、小説や映画を味わうために必須なものではない。
「単語を調べるためにいちいち辞書を引いていたら、話が先に進まず、読書体験がぶつ切りになるので楽しめない」という考え方もあるだろう。しかし私は「辞書を引きながら頑張って読んだからこそ、心に深く残る読書体験になる」と考えている。
通常の母国語の読書では、立ち止まり、辞書を引き、文法構造を考え、熟考しながら読み解くというような作業はまず行わない。学習者が文章を理解するために行うそれらの作業は、文章を深く読むことにも役立っている。
最初に読んだ一冊、私の場合は"There's a Boy in the Girls' Bathroom"という児童書だったが、当時の私には非常に難しく、何度も立ち止まり、辞書を引き、検索し、英文法に立ち返り、悪戦苦闘した。ただ、これは本当に素晴らしい本で、読む価値があると思えたから頑張ることができた。登場人物の心情に寄り添い、シチュエーションにハラハラしながら、苦しいながらも素晴らしい読書体験をすることが出来た。
一冊目を終えれば二冊目はずっと簡単に読めた。三冊、四冊と進むに連れて英語力がぐんぐんと増していき、読書から苦が減り喜びが増していった。やがて「ゲームの達人」のような大人向けにも手が出せるようになり、刑事ハリー・ボッシュシリーズにハマる頃には映画を英語字幕で存分に楽しめるようになっていた。
そして今はKindleがある。単語を長押しすれば辞書が引ける、検索も直ぐに出来る、洋書はなんでも安くダウンロードでき、スマホに入れて持ち運べる。これは英語学習のために存在するような素晴らしいツールだ。
Kindleがあれば語彙力は読書の障害にはなりえない。ただし、児童書レベルでも英文を読むためには、ある程度の文法力が必要だ。そのためには受験参考書を活用してほしい。日本の受験英語界には素晴らしい文法解説がたくさんある。
日本語を介してしまうと英語を深く感じ取れないため、基本的に日本語訳は使うべきではないと考えている。
ただ、どうしても理解できない英文に出会うことはある。いくら時間を費やしても理解できない、そういう時には、日本語訳を見る。日本語字幕であったり、訳書であったりだ。プロフェッショナルの訳からは、独習では得難いものが得られることも多い。
世の本屋には「基本単語1000」とか「TOEIC必須単語3000」といったような、頻出単語とその意味を並べた参考書が大量に並んでいる。
「英文に登場する単語の90%は1000語に含まれる、だからこの基本語をまず暗記して、それから英文を読むのが効率的だ」などと言う人もいる。しかしこれはほとんどデタラメである。
英文に登場する単語の大半が基本語なのは確かだ。しかし500ページそこそこの参考書に1000個も意味が書けるほど、基本語の内容は浅くない。私は今でも日常的に、基本語を辞書で引いている。そしてその単語のさまざまな使い方を見て、基本語の奥深さを噛み締めている。
英語は読むにしても、書くにしても、聞くにしても、話すにしても、基本語は身体の一部になるぐらいまで深く理解する必要がある。実際の英語の中で気が遠くなるほど何度も遭遇し、使用シチュエーションを蓄積し、自分でも使ってみる、そういった積み重ねの中でしか、その本当に意味するところは分からない。参考書レベルで基本語を分かった気になっても、少し派生的な意味で登場しただけで分からなくなるのがオチだろう。
そして英語の語彙の中で特に難しいのは、基本語の組み合わせによって発生する熟語、イディオムである。イディオムの意味は単語が意味するものから大きくかけ離れていることが多く、故にイディオムと呼ばれるわけだが、この知識も参考書ではほとんど得られない。このように、90%とされる基本語の中にも、参考書に含まれていないものが大量にある。
「それでも、頻出単語の基本的な意味だけでも抑えておくのは重要ではないか。小説などでランダムに出て来るのに任せたら、時間がどれだけかかるかわからない」そう思う人もいるだろう。
しかし、頻出語は頻出するから頻出語と言われる。基本単語1000ぐらいなら、小説を1冊読む頃には否応なく頭に染み付いているはずだ。それも単語の参考書で得たものとは違って、単語から想起される感覚を伴った、生きた英単語として身についている。
TOEIC3000語も、何の本でも数冊読めばほぼ頭に入っているはずだ。3000語を感覚的に理解できるようになれば、その3000語で構成された文は、日本語を介さず感覚的に理解できるようになり、「英語を英語のままで」理解できるようになる。そうなれば読書がスムーズに進むようになり、インプットのスピードが上がり、それが英語の上達を加速させる好循環に入ることができる。成長の実感は英語学習のモチベーションを高め、それがさらに成長を加速させる。3000語を感覚で理解できる頃には、英語学習にドハマリして抜け出せなくなっているはずだ。
高難度の単語は出現頻度が低くなるので、そういった単語を網羅的に学習するのは、小説や映画ばかりを偏って見ているノンネイティブには難しいかもしれない。英語上達完全マップによると、多読などの自然な方法に任せると二万五千~七千程度で語彙力は伸びなくなるという。
現在私の語彙は2万5千~7千と思われますが、多読などの自然なボキャビルにまかせると、この当たりで語彙の伸びは止まるようで、ここ10年くらい同じレベルにとどまっています。 http://mutuno.o.oo7.jp/05_training/05_training06.html
それ以上の高難度の単語を網羅的に学習したい場合は、単語の参考書を使うのは有効だろう。高難度の単語なら基本語のように意味が派生したりイディオムになったりということは少なく、参考書レベルの理解でもなんとかなるかもしれない。
ただ、参考書による単語学習はやっても覚えられないので、私はやらない。無数にある見たことのない単語の予習に励むより、知らない単語が出てきても、話を追い続ける力を磨いたほうが現実的だと考えている。
何の学習法でも言えることだが、自分が今やるべきでない学習法、自分に合ってない学習法は、やってみると身体が本能的に拒否する。そういう学習法は、無理にやっても身が入らないのでやらないほうが良い(もちろん私の勧めている学習法も含めて)。
気持ちよくて、クタクタに疲れられる学習法と出会ったら、それをやるべきだ。疲れているということは脳が働いているということで、気持ち良ければずっと続けられる。
そのうちに慣れると疲れなくなってくる。トレーニングしても疲れていない場合、上達は見込めない。そうなったら学習法をアレンジし、負荷を上げて、気持ちよく疲れられるところまで調節する。誰かに教わった学習法でも、こうして自分の今のレベルに合った形にアレンジすることで、効果を高めることが出来る。
追記:
*1 しかし英英辞典自体は、それを使いこなせる英語力が身についた後ならば、英語学習の強力な武器になる。 私は普段はオックスフォード英英辞典を使っている。グーグルの使用言語を英語にして単語をググると、一番上にオックスフォードの記述が出てくるので、まずこれを見る(出てこない場合は検索語にdefinitionを加える)。Kindleに無料でついてくる英英辞典もオックスフォードだ。 オックスフォードでは、英単語をより難しい英単語で説明している。その単語も辞書で引くことで、際限なく難しい単語に出会えるため、いくらでも語彙を増やすことが出来る。単語の定義も難解で味わい深く、その文章に触れること自体が英語力を向上させてくれる。
一部では内々定がではじめており焦っている人もいると思う。
わたしは某業界で新卒の採用面接を10年担当してきたおっさんなので、
幸いにも書類を通過し、集団・個人面接まですすめた人にアドバイスをしてあげたいと思う。
何かのヒントになる人もいるのではないかと思う。
留学してきた人(だいたい短期だ)、TOEICが850点ある人、インターナショナルスクールに行っていた人。
もうそんな人は掃いて捨てるほど面接に来る時代だ。さらに、社内にもネイティブや社内通訳など
英語の「プロ」がいることが多い。なので若者たちの「英語力を活かして御社の○○にお役になりたい」
「国際的に活躍している御社で……」といっても、何もひびかないのでやめた方がよい。
ここはじっとがまんして、「英語のアピールをしない」ことをおすすめする。
面接官があなたのスキルに食いついてきた時にこそ、アピールすれば良い。
ここでも「ビジネス英語は分かっていませんので仕事では使い物にならない」
2)簡潔に話をまとめる
わかるけど長くアピるほど印象は悪くなる。簡潔に相手に伝えられる能力はビジネスでは重要だから。
どうしても話したいことがいくつかある場合は、
順番にいいたいことを言うのがよい。3つめはなんだろうとおっさんたちは期待しているから、
そこでうまく「オチをつける」ようになればなおよい。
3)勤務地は限定しない
これはどうしても地元でしか働きたくないというのなら、そういった転勤の無い会社を選ぶべき。
そこそこ規模の会社の場合、異動は当然あると思っていた方がよい。
「勤務地はどこでも大丈夫です」
うそでもそう言おう。
4)希望について
これには「もちろん御社が第1志望です。」
と即レスしよう。
「うちが第1志望じゃない」ことぐらいは目の前のおっさん達も分かっている。
「とっさに平然と嘘がつける」かを見ているのだ。
もちろん、本当に第1志望なら猛烈アピールした方が印象は良くなる。
これは意外と顔に出る人が多く、また気がつきにくいので、鏡の前や動画で撮影して訓練した方がよい。
「わたしがローテを組んで云々」
もう面接に来る人全員が「バイトリーダー」と思っていいだろう。
ではどこでアピールするか。
それは「バイトの内容」かなと思う。
「カフェの接客を3年やってまして、最後にはリーダーとしてシフトを組んで云々」もうこれだけで聞く気がしない。
「実は探偵のアルバイトやってまして……いろいろと修羅場をかいぐくってきました!」
「中高ではテニスを、大学からはサークルですが、、、サークルといっても真面目にやるサークルでして
もう、このアレンジばかり聞かされる。
どいつもこいつも、サッカー、テニスなど大好き野郎・女子ばかりだ。
これは5)のバイトリーダーの応用で、少しは変わったスポーツをやっていることにしたほうがよい。
「ボルダリング」「カバディ」「エキストリームアイロニング」など。
とりあえず思いついたところかいた。
またなにかあればつけたす。
毎回クオリティの高い記事があがってくる人気ブログなのでファンの人も多いと思う。
自分も好きで何度も読み返したりしてるから、結構記事の内容とか憶えてるんだよね。
で、ここ半年くらい、このLITERALLYの記事をパクってるやつがいる。
http://trave-writer.hatenablog.com/
丸パクリじゃないけど、完全にアイデアや構成をパクっててかなり悪質。
要するに、welqがやってたリライトってやつ。語順や表現をちょっと変えるだけでオリジナリティが皆無。
〈オリジナル〉
最短ルートで英語をマスターする現実的かつ効率的な勉強法まとめ
http://tsukuruiroiro.hatenablog.com/entry/2014/09/02/205648
〈偽者〉
【英語勉強法】ネイティブレベルの英語を最短かつ効率的に習得する方法をまとめた
http://trave-writer.hatenablog.com/entry/how-to-learn-native-english
オリジナルの記事内ではステップ形式で英語勉強法が解説されてる。
1 基礎的な英単語&英文法を一気に詰めこむ(おすすめ教材:DUO、一億人の英文法)
2 会話で使えるフレーズを丸暗記する(おすすめ教材:ネイティブ英会話フレーズ集3240)
3 とにかく英語を大量に話す機会を作る(おすすめ:フィリピン留学 オンライン英会話)
4 映画やアプリなどのツールを使い、英語をブラシュアップする(おすすめ映画:フレンズ)
◆偽者
2 英単語と英文法を一気に覚える(おすすめ教材:DUO、一億人の英文法)
3 よく使う会話フレーズを丸暗記する(おすすめ教材:ネイティブ英会話フレーズ集3240)
4 ひたすらアウトプットを繰り返す(おすすめ:フィリピン留学他 オンライン英会話)
5 海外ドラマを通じボキャブラリーや質を磨いていく(おすすめ映画:フレンズ)
見出しほぼ同じで、内容も同じ。おすすめの教材も全く同じ。(リライトしてるから言い回しは違う)
DUOとか一億人の英文法とかフレンズとか、よく見かける教材だけど1記事内で全部同じにならないでしょうよ。
いや、後半の「エビングハウスの忘却曲線」のところはオリジナルだって?
この1記事ならいいかもしれないけど、過去記事漁ると出るわ出るわ。全部挙げないけど一部抜粋する。
〈オリジナル〉
誰とも会わずに稼ぐ、インターネットの副業の方法23つといくつかのTips
http://tsukuruiroiro.hatenablog.com/entry/fukugyou
〈偽者〉
場所に縛られず収入を得る。ネット等で副収入を得る方法を20にまとめた
http://trave-writer.hatenablog.com/entry/travel-making-money
↑これとか、20個中16個同じ。
〈オリジナル〉
世界一周した僕が「海外個人旅行」のテクニックと節約術を全部まとめてみる
〈偽者〉
《海外個人旅行の節約術や旅のコツ》世界30ヶ国を旅して学んだ"旅のTIPS"
旅のコツ、そんなに似る?最後の「なにかあったら大使館へ!」までパクる?
〈オリジナル〉
バックパッカーのための海外旅行の持ち物 チェックリスト:安く快適に旅するためのグッズを総まとめ
〈偽者〉
快適な旅を実現する"海外旅行のおすすめ持ち物"たち【チェックリスト付き】
〈オリジナル〉
読書の効果を最大化する13の方法 【読書術とおすすめの本の選び方】
〈偽者〉
タイトル寄せると同じキーワードで検索上がってきてバレやすいよ!
〈オリジナル〉
デスク周りを快適にする便利グッズ集 ベスト10【おすすめの収納グッズ・おしゃれ雑貨】
〈偽者〉
デスク周りの超便利グッズ10選【おしゃれで快適なオフィス環境作り】
〈オリジナル〉
作業効率を上げる!便利なExcelのショートカット30つをランキング一覧で紹介
〈偽者〉
仕事が最大"10倍"速くなる便利なエクセルショートカットまとめ
そんなバイブル的な本?コレ。
〈オリジナル〉
〈偽者〉
感動の"海外一人旅"を実現するおすすめの国10つと、最高の旅を送る12のコツ
一人旅のコツも似ているようで。「10つ」って言い方までパクる。
で、別の話。
この偽LITERALLYの周辺を見てたんだけど、このブログの全記事にスター&はてブを付ける人物がいる。
もちろん、ブログ主(id:travewriter)とは別アカウント。これ、id:junworld123。
で、このjunworld123が、偽者ブログ以外に大量にブックマーク付けてるブログ(外部)があって、それがこれ。
なるほど、"world"と"123"から推測するにこっちのブログ主か。セルクマね。
「世界を相手に仕事」?「貿易関係」??(もっとうまくやれよ…)
〈偽者〉
ん?どっかで見たことあるぞ…
これか?
〈オリジナル〉
仕事ができる人とできない人の25の具体的な違い
…
やっぱりこっちでも、LITERALLYパクり…
junworld123=travewriter?複数アカウント?
アウト〜
冒頭にも書いたけど、この人、他のブログ記事からもアイデアと構成パクってる。
特に、
http://ascii.jp/elem/000/001/162/1162199/
英語学習に関しては自分も成功体験があり、高3の時はセンター模試40点から半年で182点まであげたことがある。この記事内で紹介している体験ではなく脳科学的なアプローチであるSLAだが、高3で受験勉強を始めるにあたってボトルネックだった英語をあげるためにいろいろリサーチした中で出会った英語学習の本で同じメソッドが紹介されていた。御歳80歳くらいの同時通訳者が戦時中に中学校の英語教材を音読によって全部暗記したら米軍の言葉が聞き取れるようになった経験から、英語学習は中学レベルの教科書を音読するのがいいというメソッドだ。これを僕は愚直にやり、英単語を日本語に訳さなくても頭に意味がイメージできる状態にする→文章を音読して英語の文のままイメージできるようなになる(同時に英語のリズムを覚える) これを繰り返し、普通の市販の教材を暗記しまくったら解法テクニックは覚えなくてもセンター過去問で10分あまって90%の得点率になった(本番はメンタルが弱いので75%ぐらいしか取れなかったがw)。また大学3年の時は就活に備えてTOEICの勉強をしたときは、脳のワーキングメモリの処理の概念は理解していたので、TOEIC用の単語を覚える(無意識に呼吸レベルになるまで)→長文を音読するで英語学習の感覚を取り戻しつつ語彙を増やし、TOEIC用の対策本で文法問題は○×△法+エビングハウスの忘却曲線にそった反復学習で1回目の暗記→9時間後(または翌日)→1週後の3回くりかえすことで長期記憶に定着。これの勉強法で、3週間で460→645点であがった。そこで自分で考えて短期的に結果を出す経験を得たことに満足してまいその後の学習はしなかったがw、この記事で書いてあることは自分の経験則としてすごくよくわかる。
こうしてみるとグリットが足らない人生だね、筋はいいことはできてるし自分で考えて行動して結果を出すことも部分的にはできているけど一番のゴールは達成できていない。
中学校最初のテストでたまたま数学学年一位で部活の先輩とかいろんな先生にちやほやされて自分は本気だせば勉強できるとか勘違いして、授業以外ではほぼ勉強せずにトータル学年10位-20位くらいをうろうろ、3年最後のテストで一位とってやろうと思って勉強するも4位どまりで一位は無理か〜と思ったが、もっと前のテストから1位を狙っていれば学習のPDCA回せたと思うのにそんなことは気がつかず。
高校も県外に引越しのタイミングなので志望校選びを家から一番近い高校にして入ったが、入試の開示されたあの点数なら県1-3の高校合格ラインだったのに思考停止してた。
高校は勉強せずにテストで0点とかとってるのがクラスで目立ってたのがウケてたと思ってたので二年間勉強せず学年ビリとったり、英語数学国語で1とって進級できない人向けの試験受けることになってる時でも、本気出せばいけると思っていたw 今思うとこの時に勉強を通じて思考力や集中力、自分なりの課題解決のプロセスを確率する訓練を積んでいないのがいまに悪い意味で繋がっていると感じる笑
受験勉強も他の人からするととても伸びて結局国立大受かったのに、もっと上いけるとか思って浪人して堕落し結局一朗ニッコマでしょ、予備校入りたての時は地理は東大コースで京大の過去問といて他の生徒よりいい成績出したりしてたのに、夏になぜか世界史に変えてそこからめんどくさくなってセンター本番50点でまた地理にもどすという超迷走かましてた
そこで自分で浪人を選んだのに結果がでなかったのでネガティブになり消極的になったんだ、思い出した笑
つまり自信を失ってるのは自分で選んだ選択で結果がでなかったからで、自分への信頼がないわけで、そこを改めてとりもどさないと一生このままでしょ
やろう、ポテンシャルはあるはず、足りないのはやりきる力
悔しい。
人より少しだけミスが多くておっちょこちょいだけど、やるべきことはちゃんとやってくれてるから助かってるよという感じの万年評価C(普通)女。
でも私は高校までは「頭のいい人」だった。
分かってる。分かってます。
なんなら凡人だろと言われることも分かってる。
それでも私は中の上(もしくは上の下)であることで自分を守り続けてきた。
頑張りが認められないとか成果がでないとかじゃないんだ。
C評価を取るのが精一杯で、それ以上の取り方がわからないんだ。
私より評価のいい人は確かに私よりできてる、頑張ってる。
でもその人たちを見ていても私がどうやったらBを取れるのかがわからない。
でも彼らと私が違うのはわかる。
彼らは「Bを取れる人」で私は「Bじゃない人」。
部内で優秀な人と仕事ができない人を選んだあとに残るのが私。
それが悔しい。
悔しくて悔しくて涙がでる。
英語のセンター模試なんかは110点~150点くらいだったかな
そこから大して成長していない
退化はしてる
TOEIC無勉強で受けたら300点台叩き出して大草原だった(そもそも時間たりねー)
そんな俺でも英語意外と書けることに気づいた
使うのはもちろんGoogle翻訳だ
分からない表現があったら、「分からない表現 英語」と検索したら大概出てくる
それで継ぎ接ぎの英語を作る
もちろんニュアンスなんかはガバガバだから、重要なシーンでは使えない
でも海外のクラウドソーシングサービスを使って、仕事を依頼するくらいには使えた
そもそも相手が英語圏の人間じゃないことも多いから、その程度のガバガバでいい気がする
あと、英語基本的に嫌いだけど、補助輪付けつつでも書けるとちょっとだけ楽しい
もちろん喋れないし、聞き取れないけどね!
やってみたらいいと思う。
経験職種がNGという意思が変わらないのなら、なんの仕事についても短期職歴が増えるリスクは同じだよ。
IT業界の広告系で、通訳さん頼んで海外の人と話したこともあるけど、ITが詳しい通訳って少ないという印象がある。
コンピューター用語だけど普通の単語でもあるやつを日本語にしてしまって、結果カオスな訳になってるってこととかよくある。
TOEICの点数より、訳する業界の知識がどれくらいあるかじゃないかな。
先方が乗り気なら、働きながら学んだらいいじゃない。
化学のエンジニアをやって来たが、中年になり短期記憶力の低下で、いつか重大なミス(取り返しの付かない状況下でのサンプルの取り違いや高額の計測機器を壊すなど)をするのではないかと不安で仕方なく、それが起こる前に回避しないとヤバいと思い詰め、逃げるように離職した。よくある話だが、その後の職が全く見つからない。40代で経験職種がNGだったら当たり前だ。昔だったら大歓迎された下位職や小規模企業も、40代未経験を雇ってくれる奇特な会社はない。
短期記憶力が駄目なので、営業などの客商売も出来ないだろう。記憶は一定して駄目というわけではなく、まれに、あるとき簡単なことがスポっと抜ける。何故か複雑なことはできるのに、非常に簡単なことがスコンと抜ける。正直記憶力はかなりよい方だったので、記憶力をカバーする技術や習慣が身についておらず、また起こる頻度が稀なので備えるにも備えようがなく、自分が別物になってしまったようで、おそろしくて仕方がない。CTやMRIでは異常無らしい。
まともな職は諦め、もう派遣するしかないと思って紹介を受けた。英語が多少話せるのと、大学・院時代の研究がコンピュータシミュレーション系だったので、ネットワーク系の英語サポートアシスタントの仕事が当たり、先方は乗り気らしい。英文科卒の通訳畑の人よりも、別分野でも中高年でも理系センスがある方がよいという理由らしい。しかし本格的な翻通訳の経験はなく、ずっとそれをやってきた人とは比べ物にならないだろうし、正直英語も大したことなく、非ネイティブとして手加減してもらえば会話できるレベル。失業してはじめてTOEIC受けたら800台だった。こんなんでやっていいのだろうか。結局すぐチェンジになり、短期職歴を重ねるだけになってしまうのではないだろうか。
IT系ならとっさのミスで大金が吹っ飛び、借金を負うみたいなことはないんじゃないか、それにアシスタントなんだし、と思って返事をしたが、非常に不安になってきている。IT系に詳しいはてなーのみなさんにお聞きしたい。これ聞いて、止めとけと思う?もう直接、清掃や介護に行った方がよいのだろうか。
グローバルプロジェクトの担当になり、約3ヶ月。クライアントもチームメンバーもほとんど外人。
英語はTOEICとか日本人的なお勉強は得意だったけど、英会話は苦手。ただ前職のメーカーでは根性で海外子会社のサポート役を務めてきた。
いまはコンサルでクライアントがいるから、即時に成果を出すことが求められる。試行錯誤してるヒマもないけど、
この早い流れに飲み込まれて溺れている気がする。
当初3つ抱えていた担当が1つに減らせれた。
残った1つの担当も、アメリカのクライアントからクレームが入り、半分くらい海外のメンバーに担当がシフトすることになった。
英語のスキルが低いから、言いたいことが言えないし、議論もできないから、コンサルとして致命的だ。
何をどう変えればいいのか、自分に現状を変えられる能力があるのか、なんだか全て分からない。
工夫をしようとしても、前もって十分準備したつもりでも、結局全てがうまくいっていない。
食欲がなくなり、体重も減ってきた。生理が止まらないか心配だ。
泥沼から抜け出したい。
TOEICテストの解釈方法、特にスコア差が有意といえるのは何点差以上かを調べたら、
おかしな記述をしているサイトがいっぱい有ったので備忘録としてまとめておく。
(25点を差の標準偏差としたり、トータルスコアの標準偏差を√2倍ではなく2倍したり)
<結論>
AさんとBさん(過去と現在の自分でもOK)のスコア差について
①リーディングスコアおよびリスニングスコアでは70点以上の差があれば95%以上の確率で差があると言える
②トータルスコアでは100点以上の差があれば95%以上の確率で差があると言える
以下はその導出。
統計学は素人なので誤りや不正確な記述があれば教えてください。
TOEIC公式によると、リーディングスコアおよびリスニングスコアの真値からの誤差の標準偏差(σ)は25点である。
例えばある人のリスニングスコアが300点のとき、その人の真のリスニングスコアが275~325点の範囲内(±1σ)である確率は約68%となる。
http://www.ets.org/Media/Tests/TOEIC/pdf/TOEIC_LR_examinee_handbook.pdf
リスニングスコアとリーディングスコアが独立であると仮定する。
このとき、和の分散は分散の和(V(X+Y) = V(X) + V(Y))を使うことができ、
トータルスコアの真値からの誤差の標準偏差は√(25^2+25^2) ≒35点になる。
さて、同じテストを受けたAさんとBさんのスコア差を考えると、
リーディングスコアおよびリスニングスコアの差の標準偏差は35点であり、
したがって、AさんとBさんのスコア差について、
リーディングスコアおよびリスニングスコアが35点差あれば約68%, 70点差あれば約95%の確率でAさんとBさんの実力に差があると言えるし、
トータルスコアが50点差あれば約68%, 100点差あれば約95%の確率で差があると言える。
TOEICテストは等化(違うタイミングのテストの点数を比較できるよう、スコアは難易度に応じて素点から調整している)されているので、