はてなキーワード: 誰にも言えないとは
絶対に誰にも言えないからここで駄文という名のうんこを流します。
増田は性欲が強い、と思う。比較するものがないから根拠は無い。処女だからセックスなんてしたことが無い。つまり何の話をしているのかというと、自慰、いわゆるオナニーの話。増田は小学生の時から今日まで、ほぼ毎晩のように自慰をしている。こんなこと口が裂けても言えない。女っていうのは自慰の話をほとんどしない。どぎつい下ネタはいくらでも言うのに、自慰の話題はタブーなのだ。なので世の女性達のオナニー事情はネットに頼らざるを得ない。そこで見つけた情報によると、毎日自慰をする人間は多数派ではないそうだ。何なら自慰をしない人間もいる。まじか。女は男ほど性欲が無いとは聞いたけど、まじなのか。増田は毎日自慰しないとムラムラするし、エロ画像を見ればムラムラするし、ラブホ女子会の時にネタでAV鑑賞会をした時なんかムラムラしすぎて早く家に帰って自慰したいという思考で頭がいっぱいだった。そもそも私の周りには所謂、腐女子が結構いるけど、あの子達は濃厚なホモセを見ながらムラムラしないのだろうか。腐女子がエロシーンを見ている時の心境というのは、増田にとって永遠の謎である。とにかくこの性欲を何とかしたい。それか以外と周りも同じようなもんだよ!って言われたい。ぶっちゃけ周りの友達が自慰してるなんて考えられない。なんか、生々しくて、想像するのも申し訳ない。さすがにみんな自慰してないとは思わないけど、こんなの聞けないよなあ。誰か自慰の話もオープンにする風潮つくってくれよ。頼むよ。
私、腐女子歴が人生の半分以上を占めている腐女子。Twitterを嗜んでおり、萌え語りや今ハマってるジャンルについて色々語って普段から楽しく過ごしている。Twitterももう何年もやってて、フォローフォロワーも入れ代わり立ち代わりで循環してるのを見守ってきた。ごくごくどこにでもいるような腐女子だ。でも、最近はすごく悩んでることがある。それがフォロワーの言葉だった。
ちなみにこれは個人的な備忘録であって、誰か個人を断罪したいわけではないんですよ。ただ、どうしても、自分でちゃんと言葉にして整理して吐き出さないとどうしようもないんです。それくらい、私は今落ち込んでる。
先月末か今月はじめか、ちゃんとした日は覚えてないんだけど、ある日相互フォローの方からフォローを外された。私フォロワー数はあんまりはっきりと認識してないんだけどフォロー数は覚えてたのね。自分がリムった記憶もないから、誰か垢消しした?とか思って確認した。普通にリムられてただけなので、垢消しでもブロックでもなかった。いやそれは全然いいんだよ。Twitterを何年もやってるので、正直そんな経験は何百回とあったんです。わけのわからん理由でブロック食らったこともある。フォロー外すくらいどうだっていいの。それがTwitterじゃん。自分が見たい人はフォローして、最近お話しないし、とか、ジャンル変わって喋ってることよくわかんないし、とか、仲良くないし、とか、色んな理由があるし。だから別に、今回も「あ〜最近お話してなかったしな〜」って思ったくらいだったのね。で、なんとなくその人のツイートを眺めてたら、その人がフォロー整理しましたみたいなツイートしてるのを見かけたの。でも、そこに書いてた文字が本当に強烈で、鮮烈で、頭真っ白になったわけ。は?ってなった。悪口じゃないし、暴言でもない。私だけを非難したり罵られたわけでもない。たぶん私の被害妄想なんだけど、あながち間違いでもないと思う。
ツイートには、「同人活動を主とされてると見られる方はフォローを外しました」と「私は同人誌の話じゃなくて原作の話がしたい」という旨が書かれてた。
え?それだけ?って感じだけど、私にはめちゃくちゃショックだった。私だって、原作を見て作品に惚れ込んだオタクだ。このキャラは今後どうなるのか、話はどう展開するのか、ワクワクドキドキしながら毎週楽しみにしてるオタクだ。でも、この人のこの言葉には、「本編から逸脱したような同人のことばっか話してる方」と、フォローを外した方(何人いるのかも知らない。でも少なくとも、そこに私は含まれてる)を表現しているように捉えられた。
被害妄想じゃんって感じだけど、言葉っていうのはそう受け取られたら変換はなかなか難しい。言葉は受取手のためにあるものであり、たとえ筆者の思惑と違う形で捉えられても、受け手にとってはそれが真実になるからだ。私だって、何回も何回も「いや、たぶんそこまで思ってないでしょ」って考えようとした。でも、「でもこう書くってことは少なくともそういう意味なんじゃないか」って思ってしまった。Twitter向いてないんだよ。
同人が主流ってなんだ。私は私なりに、本編から解釈してキャラのことを考えて創作に打ち込んでたつもりだ。でも、同人が主流というのは、「同人をするためにキャラを使っている」「己の快楽のためにキャラを弄んでる」という受け取りが出来てしまう。つまり、本編が軸になっている場合、本編がとても素敵だったから、二次創作をしよう!こうなる。同人が軸になってたら、同人活動がしたいから、このキャラを使ってやろう!こうなるわけですよ。私は決して、同人活動をするために彼や彼女を動かしていた訳ではない。本編を読んで、面白くて、キャラに、話に萌えて、同人活動をしていた。でも、その人にはそう見えていなかった。個人的な快楽、遊びのために、キャラを弄んでいたと捉えられていた。そのことが、物凄くショックなのだ。
私だって、公式に動きがあった時は感想とか、考察とか、そういった内容をツイートをしているのに、相手にはそれすらも同人誌の話だと思われてたのだろうか。もしくは、私の話していることがまるで素っ頓狂な内容で相手を辟易させてしまってたのかもしれない。それは大いにありえる。くだらないことばっか呟いてるからな。萌え語りを聞きたくなかったのかもしれない。そう自分に言い聞かせようとしたけど、画面上では彼女たちは楽しそうに萌え語りをしているのだ。創作の話をしているのだ。同人誌の話をしているのだ。あなた達のそれと、私のこれは何が違うのだろう。
私は、フォローを外されたことが悲しくて怒ってるんじゃない。私の本編と向き合ってる姿勢と、同人活動にたいする向き合い方をまるっっきり否定されたような気分で、物凄く悲しいのだ。
これは被害妄想だと思う。と言うか、被害妄想であってほしい。こんな悲しい妄想が、現実であったらどれくらいショックなのだろう。私はまだ、これが妄想だからという言い聞かせだけで立っている状況だ。
ツイートを見てから、びっくりするほど創作の意欲がなくなった。愛がないだけじゃないの、とか
冷めたり飽きたりしたの、と思われそうだけど、私はまだ本編が大好きだし、pixivも見てるし推しカプはいつまでもラブラブしててほしい。でも、自分の同人活動は間違ってるのだろうか、そう思ってしまってから、何もかけない。これはキャラを弄んでいるのだろうか。人を不愉快にさせることなのか。私の一言で人を傷つけるんじゃないだろうか。
誰かに気づいてほしいけど、笑われそうだし誰にも言えない。自分の小ささが情けないし恥ずかしい。こうして書き留めることしか出来ない。たぶん次のイベントでは本は出せない。これからも何かを書いたり発信したり出来るのだろうか。今のところ、まるで未来が見えない。
悲しい。
お元気ですか?
元気なら何よりです。
12という数字を見ると不思議とあなたのことを思い出してしまいますね。
たまに他の子のブログなんかで、元気そうな姿を見ると楽しそうで嬉しくなります。
さて、誠に勝手ながらこの1年、私はあなたを励みに頑張ってきました。
あなたが「短大卒業後は4年制の大学に編入したい」と話してくれた時、それはそれはもう驚いたものです。だって、私はその第一報を自らの編入試験の勉強中に聞いたのですから。
決してあなたみたいな前向きな理由ではありません。むしろ、底がない真っ暗な沼に引きずり込まれているような絶望の中、半ば不本意ながら編入学をしてなんとか学位をとろう、などという褒められた理由ではないのですが、私も大学編入を志していました。
大学の友人にも教授にも誰にも言えない状況はひどく孤独ではありましたが、そんな折のあなたの告白にひどく勇気付けられ、唯一の仲間だとすら思っていました。
あなたも頑張っているのだから、私が頑張れない理由がない、と励みにしておりました。勝手ですよね。本当にごめんなさい。
結果としては、無事、来年の春より第一志望の大学の学生として勉学に励む予定です。
あなたがいなかったらここまで頑張れなかった。本当に本当にありがとう。感謝してもしきれないほどにあなたの存在が私にとっての光でした。
このありがとう、だって、直接言えなくなる日が来るだなんてまさか思ってもいなかった。
私というのは本当に勝手な生き物で、1000円で8秒ほどの券を握りしめて会いに行けば、いつだってあなたが白フクロウのような笑顔で笑ってくれて、柔らかな関西弁で名前を呼んで、褒めてくれる。そう信じてしまったのです。友達でもないのにね。バカみたいだよね。
今ではその笑顔を見ることも叶いませんが、いつまでもそうやって笑っていてくれたらいいな、とただそれだけを願います。
ストーカーみたいな文章で申し訳ありません。アイドルに「元」が付くだけでこんなに簡単に私たちの関係は危ういものになってしまう、とこの半年で痛いほど思い知らされました。
だけど、これだけはどうしても伝えたくて、誰が読むともわからないインターネットの終着点のような場所に書き捨てさせていただきます。
最後とはなりますが、尾形春水ちゃん、今まで本当に本当にありがとう。
私は頑張るあなたが大好きでしたが、そんなに頑張り過ぎなくても良いのにな、と心配になることも多々あったので、どうかほどほどにね。
https://anond.hatelabo.jp/20170422022801 の増田です。元の記事を書いてから1年半が経ち、計2年半ぶりに妻とセックスをした。友人知人の誰にも言えないこの体験と気持ちを増田に書く。
レス以前のようなペースや関係に完全に戻ったというわけではないが、こんな例もあるということが誰かの希望にもなれば幸い。しかし、セックスレスを経験したぶん、この記事の内容(他人のセックス)をねたんだり憎んだりする気持ちもわかるので本当に辛い人は読まないほうが良いかもしれない。また、自分でも驚く長文になってしまったので暇な人向け。
自分が語りやすいように、↑の記事を書いてから起こったこととか、変化を書いていく
・引っ越した。引っ越して新しいベッドで何か新しい進展があるのではと思ったが何もなくて落ち込んだ
・妻に言われた「できない理由」の改善を続けた。筋トレ・食事制限などで15kg痩せた。マウスウォッシャ・歯間ブラシなどで口臭対策をがんばり続けて、寝起きまたは臭いものを食べたとき以外は大丈夫と言われるところまできた。しかしそれだけでは何も起きず落ち込んだ
・友人知人との結婚式とかに出なくなった。元記事にも書いたけど性生活が充実している人間を見るだけで辛く、他人の幸せを祝う余裕がオレにはなかった
・友人知人と会うイベントに出なくなった。上に同じ。「最近どう?」と自分のことや結婚生活のことなどを聞かれたときにどう答えてもセックスレスのことが頭をよぎり、心から「絶好調」とはいえず、他人とプライベートな会話をするのがいやになった
・妻が体調不良で仕事をやめた。大事にはならなかったけど、しばらくは専業主婦をがんばってもらうことになった。身体を崩した直後はさすがにセックスのことは頭になく、本気で心配したしできるだけ近くにいるようにした。元気になってからは以前より妻の体力や時間に余裕が出てきてもしかしたらセックスあるかもと期待したがなかった
・この間にも元記事に書いたような衝突が何回かあった。たいてい結婚記念日とか誕生日とかのタイミングでお互いの気持ちを正直に伝えるときにぶつかって、それは本当に悲しいことだった
・自分からは強制はしないという態度で「ほんの少しでもしていい気分になったら教えて」と言い続けてきたが、その機会はなかった
ちょっと大げさかもしれないがこの状態が続いたら心から死にたくなっていたかもしれない。いや、死にたいというか消えたい、という感じ。自分の人生で一番近いと信じる妻に本当の気持ちだけは拒絶されていて、生きててもしょうがないとは何度も思ったりした。
で、ここからがすることになった経緯。
10月にセックスレスをお金で解決した話 https://anond.hatelabo.jp/20170422022801 を読んでこれはいけるかもと思った。上述の通り妻は専業主婦になって趣味にお金を使うようになったのでちょっとした取引のつもりでこの増田と同じように持ちかけてみた。もちろん記事は見せてない。
妻がちょっと考えこんでいたので「今なら初月キャンペーンで○千円上乗せだよ!」とか冗談を言ってみた。すると「前にも言ったように家族として見る気持ちが強いからセックスしたいとは思えないし、それに久々すぎてセックスがちょっとこわい」と言われた。このあとまたいつもの展開でややケンカ気味になり、カッとなって「もう今年もつまらない年で終わり」とか「平成と一緒にオレも終わりだよ」とか「いきなりブチ込もうとはしてない、せめて指一本入るぐらいの進捗があれば希望が持てるのに」とか強い言葉を使ってしまった。
すると、妻が困りながらも「そこまで言うならわかった、指一本だけね」と言ってくれた。ふだんカッとなることなんて滅多にないオレがそういう態度を見せたのに結構驚かれたのかもしれない。「嫌だったらすぐ言って、やめるから」と約束をした。
ここのパート、かなり生々しくて読み返すと厳しい感じだったのでトラバで書きます。
翌日も仕事だったので寝不足で目が覚め、急いで会社に向かったのだがそのときの気分に自分でも驚いた。他人のセックスをねたむ気持ちが和らぎ、余裕をもって他人に接することができた。妻とのセックスにこだわるオレは小さい人間なんだとずっと思ってきたが、こんなに単純であるとは思ってもいなかった。
それから1週間がたち、あれから妻とはセックスをしていないが、おそるおそるいくつか質問をしてみた。
・なんで指一本と言っていたのに最後までしてくれたのか?→「指が思ったより大丈夫だったので挿入への不安が減った」「たまたまそういう気分になった」
・次はありますか?→「調子に乗るな」「2年半がまんできたんだから次は2年半後」←あまりに酷いと言うと「長時間やって疲れるから翌日おたがいが休みな日だけ、月1ぐらい?」とのこと。
妻心がわからない…。でも、まだこれからどうなるのかはわからないけど、希望が湧いてきたので生きてみます。
・コンドームを付けてオナニーをするようになった。昔大量に箱買いしたコンドームが余っており、もったいなかったというのが理由だが、やってみたらはまってしまった。どんな姿勢でフィニッシュしてもいいので安心だし、手元が見えなくても安心なのでVRとかとの相性も良さそう。
・セックスレスのオレにとっては挿入できないことがコンプレックスなのでAVの挿入シーンに異常に拘るようになった。挿入する瞬間を何度も繰り返したり、結合部をズームアップして出し入れしている映像に興奮したりする。よくあるイく瞬間だけを集めた動画よりも、挿入の瞬間だけを集めた動画が欲しい…。他人のセックスをねたむ一方で性欲を発散しなきゃいけない歪んだ気持ちはあったが、AVを見るのは大丈夫だった(たまに駄目なときもあった)。
難しいお客さんとの会議が続いた後で、ものすごく疲れていた。寒かったし、何か暖かくて辛い物を食べて温まりたかった。というよりは、精神的に疲れ切っていたので、何か刺激のあるものを食べて自分を元気づけたかった。
本当は火鍋が食べたかったんだけど、一緒に食べに行く相手もいないので、気になっていた、中国系のラーメン屋に入った。
この店は肉みそニララーメンというのがあって、火鍋みたいな中華系のスープにニラたっぷりのラーメンで、上に赤くて辛い味噌が載ってる。
案の定、すごく好みの味で、一気にすすりこんで食べた。
ふとカウンターを見ると、瓶の中にフライドガーリックが詰めて置いてある。
これをこのスパイシーなスープにたくさん放り込んで食べたらどうなるんだろう。
この想像に逆らうことはできなかった。どうしても。
それで、スプーンに4杯も5杯も、スープの中にひたすら注ぎ込んだ。
想像通り、半端なくコクのある味になって、スープもニンニクもいっしょに、一気にすすりこんだ。
止まらない。
最後の方になると、どんぶりの底の方に、スープですっかりシャキシャキに戻ったニンニクが固まっている。
たまらず掻き込んだ。
本当に満足して、帰宅して、床についた。
そして翌日。
目が覚めて、布団の中で放屁した。
咳き込んだ。
臭すぎる。
なんなんだこの刺激は。
皮膚の毛穴の一つ一つからニンニクの臭いが漏れてるんじゃないかと思って、今日はびくびくしながら一日過ごした。
丸一日たったのに、ニンニク臭の濃度が何一つ変わっていない。
たまらなく臭いんだけど、あまりにもニンニク臭の純度が高すぎて、自分で自分の屁の臭いをかぐことをまた期待してしまう。
こんなことを知られたら嫁に行けない。
でも期待してしまう。
『子の学力は母親から遺伝し、衝動や攻撃性は父親から遺伝する』という研究結果が紹介されていて、昔のことを色々思い出してしまった。誰にも言えないのでここに吐かせてもらう。
うちの父は母に暴力をふるっていた。食器をガンガン投げて、朝台所に行くと母が泣きながら破片だらけの床を掃除していることが何度もあった。
テレビに夢中になっていて、「早くお風呂に入りなさい」と言う母に、もうちょっと観てから入る!と言い、お風呂の時間が遅くなってしまった。私がお風呂に入ると同時ぐらいに父が帰ってきたのだが、なぜか激怒。怒りの矛先は母へ。
「なんで早く風呂に入らせないんだ!」
母を蹴る音と、痛いと叫ぶ母の声を浴室でちぢこまって聞いていた。
しかも私は、お父さんが怖かったのと自分のせいでお母さんが痛い目に合っているのが申し訳なくて、お母さんに声をかけることができず、お風呂から出たあと小走りで寝室に逃げた。床に座り、泣きながら蹴られた箇所をさすっている母の背中が今も焼き付いている。
あの時「大丈夫?」と声をかけていれば、母は少しは救われただろうか。勇気をだして父に立ち向かっていれば、何か変わっていただろうか。まだ10歳にもならない私には、見て見ぬふりをして逃げるのが精一杯だった。
数年後父は出ていくのだが、出ていったあとは母が怖かった。
宿題や参考書を解いてるときは横に張りつき。解いてる途中でも、少しでも違っていれば頭をはたかれる。
怒られてる時は一切口答えできない。ただ泣いて我慢するしかなかった。怒りながらテーブルをガンガン叩いているのが恐怖だった。物が飛んでくることもしょっちゅうだった。母へプレゼントしたコップが飛んできた時は凹んだ。
高校受験前は、ありがたくも塾に通わせてもらってたんだけど、志望校には落ちてしまった。「この金食い虫が」と言われた。
土下座して滑り止めの高校に入学させてもらった。「資格をたくさん取ってたくさん勉強します」と念書も書かされた。
「お母さんは、よその着飾っている母親たちとは違う」「お母さんは、あなたよりもあなたのことを知っている。だからお母さんの言うことを聞きなさい」が口癖。
高校に上がると私は反抗する術を覚えた。口では勝てないので私も物に当たるようになった。この破壊行動は、20代に入り就職で実家を出る頃まで続く。母は自分に都合の悪いことは知らぬ存ぜぬを貫く人で、話し合いで解決したことがひとつもない。
話が通じないから物に当たることしかできず、ガラスを何枚も割り、扇風機や障子も躊躇なく投げた。
物を破壊しても満足できなければ、母を張り倒した。
母なんて死ねばいいと本気で思っていた。そのうち本当に殺してしまうんじゃないかと自分が怖くなるときもあった。
あれから幾年。私は30代に入り、母はとっくに還暦を過ぎた。母はだいぶ丸くなったが、私は未だに母の前では笑えない。丸くなったといっても、私の就職先にケチをつけたり頼んでもないのに転職先をリストアップしてくるから、本質は変わっていないと思う。
父の消息は知らない。高校卒業時、親戚の計らいで私とだけ再会したことがあったが、その後お金をせびられたので連絡を絶った。
母は、父から暴力を受けていたことは覚えていないという。私に吐いた暴言も、覚えていないと言う。
周りからは「女手一つで大学まで行かせてくれたんだから」「留学もさせてくれたんだから」「今は丸くなってるんだから」親を大事にしろと言われる。
でも、大人になった今でも、忘れられない。
母に叩かれていたこと。
友達の家に遊びに行く度に、友達の家に「遊ぶな帰ってこい」と電話をかけてきたこと。
金食い虫と言われたこと。
辛かったことを伝える度に、私がそんなことを言うわけないと否定されつづけたこと。
父に蹴られる母の泣き声と破片だらけの床。
「産んでくれたから」「学費を出してくれたから」ぜんぶ忘れて、水に流して、優しくしなければいけないのだろうか。
こういった、俗に言う辛い過去を抱える人は今は成功して幸せになりがちだと思うのだが、私は平々凡々。むしろパワハラ上司に負けて会社を辞めてニートまっしぐらだ。唯一の救いは、こんな私を見捨てないでくれている彼氏と、飼い猫が私にはもったいないぐらい可愛いことぐらいだ。いやそれで十分なんだけど。
だから、初耳学のあの発表を見て、封印していた黒くてドロドロしたものが溢れ出てしまった。
母のように、言ったことを「言ってない」と言い張り相手を混乱させてしまうのだろうか。
それとも母やみんなの言う通り、私は金食い虫で、一人っ子だから甘くて、事実じゃないことばかり言っていて、親不孝なのだろうか。
推しが大好きです。
けれど、推しの事を好きだと、大きな声では言えません。
もしかしたら、殆どのオタクはそうなのかも。ただそれが私にはストレスでした。
今でも変わらず推しのことが大好きです。それは恋では無く、私を楽しい気持ちにさせてくれる人として。
共感してくれる人がいるならしてほしいし、同情してくれる人がいるならしてほしい。
でも、どうかこれを反面教師にして幸せなオタクライフを送って欲しい。
新しい公演が始まる度に日本の隅っこから飛行機に乗り、都内から電車で小一時間の田舎の劇場へ通いました。
通う為にほぼ毎日睡眠時間を削って放課後から早朝までアルバイトをしました。学校が長期のお休みの期間や公演日数が少ない時などは、都内でウィークリーマンションを借りて全部通いました。
そこは小さな小さな劇団で、開演前も終演後もお客さんと役者は直接お話が出来て、皆さんとても親密にしていました。
お客さんは皆優しく私をすぐに仲間として受け入れてくれました。
その劇団の公演は本当に素敵で、もっとたくさんの人に見て欲しいと私は思いました。だから私がチケット代や電車賃を負担して、たくさんの友達を呼んで一緒に観に行きました。皆その劇団の事を好きになってくれました。嬉しかった。
その劇団の団長は私に「いつもありがとう」とか「あなたが友達を呼んでくれるお陰で今までよりも良い公演が出来るようになった」なんて言葉もかけてくれました。なんてファン冥利に尽きる言葉なんだろうと思いました。
その中でも私の親友のAちゃん。彼女は一人でも劇場に通うようになりました。彼女の推しは団長。私の推しは歴が長めの団員。
そうやって何年も応援している内に、劇団も少し人気が出てきました(まだまだ小劇団の域を超えませんでしたが)
増えたお客さんも皆良い人ばかりでした。本当に毎日が楽しかった。
え?と思いました。
たったそれだけの一言で、複雑な気持ちがワッと押し寄せてやがて怒りに変わりました。
「それ、本当?」一応冷静を取り繕ってまずは真偽とどういった経緯での発言かを確認しました。
Aちゃんは「私だから本音を言えるって言って、団長は仕事の愚痴しか言わない。私はそれ聞くのが面倒くさくなってきた。」
「何それ。だったら出なくて良くない?」私はAちゃんに同調したつもりでした。
それがAちゃんの癖で、自分の納得のいく返事が貰えなかった時にその素振りを見せます。私は他に彼女の納得いく返事なんて浮かばずそこでその話を終わらせていつも通りそれぞれ帰宅しました。
その次の公演を観に行くと開演前にAちゃんが泣きながら団長と話をしていました。その時団長に睨まれたような気がしていました。何かがおかしいのを感じて私はそこに近付けませんでした。
その日の公演は団長が役を全うしませんでした。普段来ているファンは、普段と違う事を面白がりましたが、初見の人は「意味が分からない。何あれ?」と口々に文句を言って出て行きました。
終わった後、私の推しが私の所に駆け寄って来ていつもと同じように笑顔で明るく、楽しい話をしてくれました。
その日AちゃんにTwitterもLINEもブロックされました。
その次の公演に行きました。開演前に団長に睨まれながら言われました。
「もう来ないで」
なんだこいつ。
それ以外に何も思わなかった。
終演後、推しが私に「団長の事は気にしないで」と言ってくれました。私は推しに余計な心配を掛けたくなくて、何も聞けず、Aちゃんの事は黙ってました。
その日が終わってから暫く考えました。何で私が「もう来ないで」と言われたのか?
理由は私がAちゃんに納得のいく返事をしてあげなかった事しか浮かびませんでした。そして彼女の性格を鑑みて今思えば、あれはただの自慢だった。
「団長はあなたにそんなに心開いてくれてるんだね」それが正解の言葉だった。
けれどそれを言えなかった事で払う代償が大きすぎると思いました。Aちゃんと団長は何を話してこうなったのか?それは今でもわかりません。
Aちゃんが泣いていたあの日の前までは優しく笑顔だった団長が、急に、どうして。
私は悩みに悩み、次に行ったらその後は劇場に足を運ぶのをすっぱりやめることにしました。
推しには最後に手紙を出しました。ただただあなたのお芝居が大好きだという旨を何十枚もの便箋に書き連ねました。それ以外の事は書かなかった。
次の公演に行ったら、終演後に団長に「あなたは仲間じゃないから」と言われました。
推しに申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、いつも通りの推しを見送った。
私はこの事を誰にも言いませんでした。私以外の人は幸せにファン活動しているから。
でも、私が行かなくなって不思議に思った他のお客さん達が私にDM等でメッセージをくれました。私はそれらに対して「Aちゃんと喧嘩して、もう来ないでほしいと言われた」と返しました。
それから暫くして、Aちゃんも劇場に足を運ぶのをやめたみたいです。理由は知りません。
これまで数年この劇団にたくさんのお金と時間を費やして、こんな終わり方で、自分は一体何していたんだろうという虚無感。
私の手元にはもう二度と目にしたくない劇団のグッズやパンフレット等が大量に溢れていて、それをゴミだと認識してしまうともう何も残りませんでした。
今すぐ死にたい、何も無い、あの幸せな日々を返して欲しい、憎い、殺したい、自暴自棄…
そんな中、支えてくれたのが他のお客さん達でした。
DMでAちゃんの悪口を言ってくれたり、実は状況を察していたという人が団長の悪口を言ってくれたり、それが大きな心の支えでした。私は悪くないと思えたから。
そして私が行くのをやめた3ヶ月後、推しは劇団から離れました。
それが推しにとって良かった事なのか、良くなかった事なのかはわかりません。私は、少なからず嬉しかった。
月日が過ぎ社会人となり、小劇団を追わなくなって出来た貯金で上京をしました。
私には新しい推しができました。今度は小劇団ではない、2.5次元などにも出るキラキラの若手俳優。
恐らく、好きになった当時は同担拒否という言葉はまだ存在していなかったと思います。同担同士でTwitterをフォローし合うのが当たり前。情報交換したり、チケットを連番したり。
私は以前の劇団のトラウマが有りファン活動は控え目な方でした。
とは言っても公演半分は行って地方に遠征もして、ブロマイドはセンチ買いするし推しにも認知されていたと思います。
でも周りが「推しの為に全公演通います!」「推しの為にグッズ買い占めます!」等と宣言していると、不安でした。
私の応援の仕方じゃ推しに貢献できていない?私はファンとは呼べないのではないだろうか?
マウントを取られる事はよくあり、けれど荒波立てたくないから私は自ら下手にまわりました。
推しからファンサを貰った事が無い事にして、オキラのふりをしていました。
私がそう言うと皆幸せそうに私はこんなファンサしてもらえたよ、と自慢してくる。それで良いと思いました。
そのお陰か私は多くの同担に囲まれており、よく「私実はあの同担が苦手なんです」とぶっちゃけられることもあった。
理由はわかりませんでした。私には皆普通のファンに見えたので。
あまり自分の話をしないように気を付けていて、推しの現場は毎回とっても気を使いました。
私は推しにファンが増えてほしいから、Twitterは公開にして推しの良い所をたくさん言葉にしてツイートをしました。皆が良い反応をしてくれたし、推しも生き生きしているように感じました。承認欲求が満たされたようで楽しかった。
けれどどうやらそれが悪目立ちする原因にもなったのと同時に、「同担拒否」という言葉が一気に流行り始めました。
すると、一部の同担に過剰にマウントを取られるようになりました。マウントを取ってくる人達は全通当たり前の熱狂的なオタク達。
私は彼女らに勝とうなんて思った事はなかった。
彼女らは私がツイートをする度にそのツイートに対する意見のようなツイートをしていました。
「推しのブロマイド今回は何枚買おうかな」なんて言えば「何枚買おうかなんて考えてるようなのはダメだよね。限界まで買わないと」と言い、「推しへの手紙書き終わったけどもうこんな時間だ!」なんて言えば「推しへの手紙はオールで書くもの」とか。
最初は偶然だと思ったけれど、私が何をツイートしても彼女らは私のツイートした話題に必ず触れていました。
それで息苦しくなりました。何もツイートが出来ない。
私はTwitterをやめました。
推しの現場にもひっそりと通う事にしました。良席は取らないし髪型や服装やメイクも変えて。同担に見られたくなくて。
それまで推しは私を見つけては、私が手紙で書いた好きなセリフや好きなシーンは、私の目を見てやってくれていたように感じていました。
しかし、そういった事が一切無くなってしまいました。見つけられなくなったからでしょうか。
そのせいか通っても楽しいと思えることが少なくなり、モチベーションが下がり、通う回数も減って行きその内に手紙も書かなくなっていました。
推しはブログ更新が段々と活発になっていきました。それから手紙やプレゼント等に言及したり、今までしなかった事をしました。
私が送っていた時は手紙にお礼なんて言ってくれなかったのに…。もしかして、本当にオキラだった…?
私がいなくても推しを推す人はたくさんいる。私は推しとどうなりたいわけでもない。ただ推しの演技が好きだから、見たい時に見られれば良い。
そう思って、長いこと手紙も送らず接触もせず、ただ静かに彼の芝居を観に行きました。
暫くしてTwitterを覗いたら、私に過剰なマウントを取っていた同担がいつの間にか全員降りていて驚きました。
気になって遡ると私がTwitterをやめてからすぐに皆、推すのに疲れたというような旨のツイートをしており、
それは私がいなくなって張り合いが無くなった事で急激に冷めたのかそれとも元々私がいなくなる前からそのつもりでいたのかわからないけど、いつの間にかお金をたくさん使う同担がごっそり減っていたのです。
それに続けてマウントを取っていなかったファンの中にも静かに降りている人もいました。
もしかして、ブログの更新が活発になったのはこれ以上ファンが減ったら困るから…?
その状況に危機感を覚えた私は慌ててチケットを増やして、ブロマイドもいつもの倍以上買いました。地方にも遠征した。
ただ、手紙だけは書けませんでした。長いこと書いてなくて、なんて書けばいいのかわからなかった。それから、私が手紙を送らなくなってからのブログの内容の真意がわからなくて、私は送らない方が良いのではないか?などとつい考えてしまうから。
当然、通っても推しは見てくれない。
誰が座っているのか、前方席を見て笑顔になる推しを遠くから見る私。
ドッと寂しくなりました。
推しは何を思っているんだろう。
そして私は何を求めているんだろう。
私の推し方はずっと間違っていたのだろうか。
10月18日。1年以上好きだった人を諦めた。諦めると言えば大そうに聞こえるが、1ミリの希望もない恋だった。
好きでいることをやめる。この1年と4か月、どれだけ冷たい態度をとられても、数少ない友人たちに口をそろえて諭されても、検討すらしなかった選択肢を今日、自分で選んだ。
好きな人がいた。顔を見た瞬間一目ぼれだった。誰が見てもわかるくらいに整っていた。バンドが好きないまどきの若者だった。
特別可愛いわけでもスタイルがいいわけでもない私は、ものの数日で目も当てられないくらい夢中になってあっという間にフラれた。好意もプライドもズタボロになって、しばらくは抜け殻みたいだった。一人でいたくなくて、マッチングアプリで知り合った男の子と頻繁に会っていた。彼は、その中の一人だった。
好きだった人と同じ髪型だったからLIKEして、マッチして、しょうもないやりとりをして、初めて会ったとき「ああハズレだな」と思った。タイプじゃなかった。背丈は私と同じくらいで、髪は写真よりもずっと短かった。
「どこか行きますか?」と聞いてもめんどくさそうな声で「どうしましょうね」と返ってきた。待ち合わせ場所でしばらくグズグズしていたけれど、ようやく入ったファミレスで彼はずっと携帯を触っていた。気を遣って話しかけるとようやく液晶から顔を上げる。眠そうな目がこちらを向くのも少し怖かった。
私が「ハズレ」だと思ったように、彼も私を「ハズレ」だと判断したのだろう、と自分を納得させた。ドリンクバーとデザートのみの会計は彼が払ってくれたけれど、それくらい自分で払いたかった。
いざ帰るとなったとき、彼は駅のホームまで送ってくれた。自分が乗る反対方面の電車が行ってしまっても、私が乗る電車が来るまで隣で待っていた。乗り込んだ電車が発車するまで見送り、すぐに「気を付けておかえり、また会おうね」とLINEをくれた。
これは「ハズレ」だとは思われていない?しばらく様子を伺いながら連絡を続けたけれど、彼のLINEは会う前と変わらず好意的で、なんなら会う前よりも少しくだけたように思えた。
「変わった人だなあ」が第一印象だった。
その後は以前よりも親しげに、日常的なこともLINEで話すようになった。なんとなくレスしていただけだったけれど、次に会うのが少し楽しみになった。
2回目に会ったときにはもう夏も間近で、2人でかき氷を食べた。くすりとも笑わずに、淡々と話をする彼は、言葉選びから仕草、視線の移し方に至るまで私のこれまで知る男の子とは違っていて面白かった。彼は、一通り二股にはげむ友人のクズエピソードを話し終えたあと、最後に残った餡子に向かって「もう1つくらい白玉入ってると思ったのに…」と小さく悪態をついていた。
それからは急速に仲良くなっていったように思う。そう思いたい私の記憶違いかもしれないが、7月に入るころには、無愛想な受け答えやつまらなそうな振る舞いに悪気はなく、それが彼の癖のようなものだとわかるようになっていた。「今日はどうしようか」と聞けば相変わらず「どうしようね、決めて」とめんどくさそうな返事が戻って来たけれど、「いつも私が決めるんだけど?」と軽口を返すことができた。彼に興味があった。見ていて飽きなかった。別れ際はいつももう少し一緒にいたかった。でもその感情は好奇心とよく似ていて、私はまだ自分の恋心が動きつつあることに気づかなかった。
「ホテルで映画見ようよ」と誘ったのは私だった。彼は一度断ったけれど、不機嫌な私の態度を見てか、「いいよ、行こう」と言い直した。何度も「たぶん俺すぐ寝るよ」と言っていたのに無視をした。私が選んだ映画を再生して、眠そうな彼を何度か起こして、エンドロールが流れるころには深夜2時を回っていた。彼は髪を撫でたり、頬を触ることはあってもそれ以上のことはしなかった。「ここまできてキスしないんだね」とけしかけたのも私だった。彼は「そういうこと言わなくていいから」と言った。私たちは付き合う前にセックスをした。
それ以降、泊まりが増えた。元々向こうのバイト終わりに会うことが多かったから、時間を気にしなくていいのは嬉しかった。お金に多少ルーズな彼と会うために、ホテル代は私が多めに出すことが多かった。
このころには、「彼のことを好きになれそうだ」と思い始めていた。まだ失恋を引きずっていたし、次に依存できる恋愛を見つけたかっただけかもしれない。
それでも男女の関係にありながら、普通に「この間会った男の子がね、」なんて彼に話していたし、彼はそれを興味なさそうに聞いていた。
彼はたまに、らしくない、思わせぶりなことを言った。「他の男の人の話されるの好きじゃない」と言ってみたり、「俺のあとに他の人に会いに行くって俺は気分良くないよ」と言ってみたり。失恋で自尊心を損なった私にはそれがとても気持ち良かった。ある土曜日、私は他の男の子との約束をやめて彼とホテルに泊まった。彼と会う前に少し嫌なことがあって、本当に本当に馬鹿だと思うけれど、抗不安薬をオーバードーズした。視界がぐらぐら揺れて、手足がしびれるような感覚がしていた。彼は私の腰を抱いて「馬鹿じゃないの」と叱ってくれた。嬉しかった。どうしようもない女だと思う。そこから記憶は途切れて、次のシーンはホテルのベッド。「他の男のところに行かせなくてよかった」そう言われて抱きしめられて、私はいとも簡単に恋に落ちた。あるいは、いとも簡単に落ちていた恋に気づいてしまった。
そこからはまた、一瞬だった。失恋を忘れたい、新たな恋愛に依存したいという気持ちが、このしょうもない恋愛にアクセルをかけた。踏み込んだら思った以上に加速した。告白をしたらもう止まれなかった。
「フるわけじゃないけど、今は付き合えない」
保留にされて、少し冷静になって、「あれ、ブレーキのかけ方知らないや」って気が付いたときにはもう遅かった。7月中旬には、彼を好きでいることが私のアイデンティティになっていた。どうして付き合ってくれないの?「もう好きに寄ってるよ」って言ってくれたのは嘘だったの?告白を保留にされていた期間は不安で心臓が千切れそうだった。幼稚な私はそれをそのまま彼に伝えて、彼は「わかるよ」とだけ言って肝心なことはいつもはぐらかした。それでも、どれだけ不安でも寂しくても辛くても悲しくても、このころが人生で一番幸せだった。
告白からひと月がすぎ、彼の返信は少しずつ遅くなっていった。「会いたい」といえば「忙しい」と言われた。
「好きでいることは迷惑ですか?」と聞いたことがある。彼は「これまたクズって言われると思うんだけど」と前置きをして、「好きでいてほしい」と言った。
8月14日。お盆休みの4日目。ようやく彼と約束を取り付けた。朝10時から連絡を取って、会えたのは18時。喫茶店で他愛もない話をしながらお茶をして20時には彼は駅のホームまで私を送って行った。「まだ一緒にいたい」というと「もう充分でしょ」と笑い、「充分に見える?」というと「俺はもう充分だから帰るよ」と返された。
「ホテル行こうよ」と誘ったのは私だった。彼は初めて誘ったあのときよりもずっとめんどくさそうな顔をして嫌だと言った。「これが最後だから」と腕を引っ張ると、「だったらお茶してまた会えた方がいいんだけど」と小さく言っていたけれど、すぐ「ホテル代タダならいいよ」と言い直した。ホテルを出た帰り道、彼は駅の階段の前で「じゃあ元気で」と言い、私の顔を見ると「また泣くじゃん、泣く前に帰ってね」と冷たく言い放って手を振った。ひとりホームまで歩いて電車に乗り、方面を間違えたことに気づいたら我慢できずに泣けてきた。
それでもこの頃の私は、この恋がこれまでしてきた恋と何一つ変わらないと思っていたし、こんな気持ちもまたひと月すれば忘れられると思っていた。
すぐに彼氏ができた。すごく優しい人だった。私に好きな人がいることも知ったうえで、「僕のことを好きにさせます」と言ってくれた。一緒にいれば楽しかったし、だんだん惹かれ
ていったのは確かだった。
でもデートをして、車で送ってもらい、別れ際にキスをして部屋に戻ると見るのは好きな人のSNSで、ただでさえ不安定気味な私の情緒はさらに揺れて、そう長くは続かなかった。
「好きだけどもう疲れた」と言われたとき、「やっぱり私には好きな人しかいないんだ」なんて馬鹿げたことを思った。
そこからまたひと月、ふた月と過ぎて、気持ちは一向に変わらず。最後だと言っておきながら彼に連絡をしては、無視をされたり冷たい言葉で返されるような日々が続いた。毎日毎日彼のことだけを考えた。いつしか私の生活は会うこともできない一人の男の子のためにあると思うようになった。SNSを盗み見るのが習慣になり、彼の友人に彼の写真をもらったり、彼の好きなものを調べては行きそうな場所で待ち伏せをした。
彼が手に入るなら何もいらなかったし、彼が手に入らないのなら生きている意味がなかった。それでも私が明日を生きるのは、明日返信が来るかもしれないから。数年先の未来には、彼の隣で私が笑っているかもしれないから。
彼は最後の日から今日にいたるまで、2回だけ、気まぐれに私に会ってくれた。
2月17日、たった1時間ちょっとの時間だったけれど、本当にこれまで頑張って生きていてよかったと思った。渡したバレンタインのチョコにお返しはなかったけれど、おいしいと言ってくれただけで嬉しかった。
2回目は、そこからまた4ヶ月。1年前、まだ仲が良かったころにも遊んだ6月17日。二人でウィンドウショッピングをした。人がごった返す渋谷駅で、私には彼だけが輝いて見えていた。彼は優しかった。面倒なセフレに対する態度ではなく、親しくない友人にするように。どんどん距離は離れて、それでも私は何も変わらず彼が好きだった。
10月16日。彼のSNSのひとつに鍵がついた。もうひとつのSNSでは落ち込んでいるような旨の投稿をしていた。彼の友人から、私との出会いのきっかけでもあるマッチングアプリを消したときいた。「真面目に生きる」のだそうだ。彼女ができたのだと思った。ついに恐れていた日が来てしまったと思った。
息がすえなくて抗不安薬をたくさん飲んだ。「もう薬たくさん飲んだりしちゃだめだよ」ってあの日優しく言ってくれた彼がちらついてあるだけ飲んだ。気絶するみたいに眠りについて、気がついたら15時間が経っていた。彼女かあ。彼女いいなあ。可愛い子なんだろうな。こんな惨めな女がいることなんて知りもせず、当たり前のように彼と手を繋ぎ、キスをして、セックスをするんだろうな。
悲しくて悲しくて、だけど好きな気持ちは変わらなかった。好きで好きで好きで好きで、笑った顔を思い出しては、彼がその彼女と楽しそうに過ごしているといいと思ったり、すぐに別れてほしいと思ったり、どうか幸せになってほしいと思ったり、殺してやると思ったりしていた。
これから私は彼女持ちの男に不毛な恋をしていくんだなあ、とぼんやり思っていた。
ただそんなことを考えながら泣いているだけで、丸1日が経った。
彼のSNSには相変わらず鍵がついていたけれど、祝福のコメントのひとつでも読んでやろうと彼あてのメッセージを検索した。涙も枯れて、何を見ようとこれ以上悲しいことなんてないと思った。でもこれが、彼を諦めるきっかけになった。
「両想いだと思っていた女性から連絡が来ず、傷心している」といった内容のことを彼の友人が茶化して書いていた。投稿に添付された写真には、大好きな彼が写っていた。やっぱり世界中の誰よりもかっこいいと思った。でも私の知らない横顔だった。私の好きな彼じゃなかった。
喉の奥がきゅっと詰まるような感覚がした。虚しくて、寂しくて、吐き気がして何度もえずいて、信じられないような気持ちで見返しても写真は変わらず切なげな表情の私の知らない好きな人だった。
好きな人が、私を好きにならないことにはとっくに諦めがついていた。でも私以外の誰かを好きになる好きな人は見たくなかった。私がどうやっても手に入らない彼の好意が、無下にされていることも虚しかった。私は誰かを好きだと思う彼を知らない。彼の事を知らない。これまで散々私と恋愛をする彼の妄想も私に愛をささやく彼の夢も見てきたけれど、現実の「恋をする彼」は、あまりに遠くて、遠くて、遠くて。もう潮時だと思った。大好きだけどもう好きでいてはいけないのだとようやく気が付いた。
SNSももう見ないと決めて、一番そばにいてくれた友人と姉に「諦める」と連絡をした。
私の人生で一番大きな恋が終わった。はたから見れば遊ばれたメンヘラ女の、惨めで愚かなよくある話だと思う。
今はどうしたらいいのかわからない。たった1年と数か月でも、もう彼は私の生活だった。彼に出会う前に何を思い何を考えて生きていたのかわからない。死にたくはない。
やめた方がいいのだとたくさんの人に言われたし、諦めたと言えば「頑張ったね」「よかったね」と大切な人が喜んでくれた。これは進歩なのだと思う。本当にできるのかもわからないけれど、彼を忘れることは喜ばしいことなのだ。私が彼を好きでいることは誰にとっても悪いことのようだったから。でも今はまだそれが悲しい。こうして、何度も思い返すうちにすりきれてしまったような曖昧な昔の記憶を引っ張り出しては誰にも言えない心情とともに匿名の日記にするくらいには悲しい。
本当に本当のことを言えば、これは備忘録だ。忘れることを強いられた私の最後の逃げ道だ。たとえ叶わなくても、私は君にずっと好きでいさせてほしかった。毎日がすごく苦しくて悲しくて幸せだった。君は迷惑だったかな。好きになってごめんなさい。ずっと好きでいてごめんなさい。気まぐれに言っただけの「好きでいてほしい」を一年以上も信じてごめんね。君は優しくてかっこよくて面白くて愛おしい、最高の男の子だから、絶対絶対絶対、幸せになってね。
俺はいじめられっ子だったし、あまりモテなかった。でも好意を持ってくれるような子もいないでもなかったが、中高生の頃は美少女以外は眼中になかったので受け入れられなかった。
そんなこんなで拗らせてしまって、浪人して大学に入り、ファッションには全く興味なく小汚い格好でバンド活動に没頭していた。今考えると服を新調することなく同じものをずっと使っていたので、ファッションどうこうの前にたぶん臭かったんじゃないかと思う。そりゃあモテない。
そんな俺だったが、帰省中に実家の電話が鳴り、全然絡んだ記憶のない高校の同級生からだった。何の用だったか忘れたが、呼び出されたのでそこに行くと、違う子がいた。
お互いの現住所は近くはなかったが都内で会えそうだったので次は都内で会う約束をした。
あっという間に付き合うことになって、何度か会った。
親も知っている子だったので、初めての彼女に浮かれて報告すると、すぐに別れるように言われた。別れなければ学費も出さないと脅された。
悲しかったが、付き合ってすぐの彼女と、自分の将来と天秤にかければ重い方は決まっている。
彼女に電話で別れを告げた。理由は言えないけれどもう会えないということで押し通した。「何で泣いてるの」と聞かれたが「泣いていない」と言って電話を切り、着信拒否した。めちゃくちゃ泣いたけれど、かわいそうなのは彼女の方だ。
短期間しか付き合えなかった初めての彼女。初めてできた大事な人に最低な酷いことをした。
もうすっかりおっさんになり、妻も子供もいるが彼女のことは忘れられない。あのまましばらく付き合っていたとしても、いずれ別れた可能性が高いような気もするが、いろんなことがあまりに印象深いし、終わり方があまりに残酷なことをしてしまったのでいつも心に引っかかっている。
男は引きずるけど女は引きずらないとよく言うから、彼女にとっては数多くの付き合った男たちの中の一つにすぎないのだろうか。
むしろそうあってほしいのだけれど、とにかく幸せになってくれていてほしいと思う。
しかし、後悔があるのかと言われれば、正直言って、ない。
俺の子供達が同じ状況になったら、俺も全力で別れさせるだろう。このシュリンクする日本で減り続ける中間層にしがみつくのがどれほど大変か。無用なリスクは極力排除しなければ生きていけない。犯罪者と親類になるのは御免だ。最悪だな。最低だ。好きだったのに。
この前占い師に恋愛と結婚運を占ってもらった、端的に言うと周りで私のことが好きな人が何人かいて気づいてないだけだと。思い当たるところが二件あるんだけど誰にも言えない人たちなのでここに書いて厄落とし。
一人目は友人の彼氏。もともと友達だった彼とはお互い恋人がいるときに流れで寝たことがあって、友人である彼女と関係がうまく行っていないようで私が彼氏と別れてからなんとなく現在もアプローチを受けている。そもそも私と浮気する時点で見る目ないし割り切った関係でいたかったので無理です。
二人目は割り切りで出会った人。彼は地方へ働きに行っていて、実家に帰ってくると私を買う。五回目のときに「本当に彼氏いないんだ、俺にしといたら?」なんて冗談めかして言われたけど女を買うひととは付き合うつもりがまずないので諦めてください。
まともな恋愛ができるようになりたい。
誰にも言えないので書き捨て。
このあいだいっしょに芝居してた知り合い(以後Aとする)が死んだ。
客演でたまにいっしょにやるくらいだったのでそんな深い関係ではなかったため
なんで自殺したのか全然わからないし、なんで?とも効けない雰囲気。
お別れ会が開かれ、みんな「いいやつだったな」とか話してて
確かにいいところがあったやつだったんだが自分にはひっかかるところがあった。
Aから「もろもろまとめた資料を自分の持ってるサーバーにアップしたからとっておいて」と連絡がきた。
そのURLにとび資料を取ったあと、ちょっといたずら心でサーバーを探ってみた。
B子 もうすぐやれる
C子 キープ
D子 落とした
みたいなことが書かれたものだった。
Aはちなみに妻子持ち。
もちろんそれを見たとは本人に言えないし
彼を慕っている人も多いし、もめて公演が中止になっても嫌だし誰にも言えずに現在。
ヤバイドラッグを試せて、そのまま高級ソープ嬢とキメセクできる合法的な公営施設があったらなー。
その施設には高級料亭も併設されてて最後の晩餐までできたら言うことない。
1泊50万円ぐらいでコミコミでできないだろうか?
ヤバイ薬なんてどうやったら試せるのかわからないし、やっぱり体力も気力も落ちてるから今更自分で段取りすることもできない。
それに下手を打つと犯罪者としてまわりに迷惑かけてしまうのも気になる。
どうせ死ぬんだから最期に色々試して、そのままわけのわからないままその施設でひっそりと首吊り自殺したい。
もちろんその施設では自殺しても報道なんてされない配慮がされてんの。ぬかりはない。
最近、ラノベの表紙が卑猥やらゾーニングやら騒がれてる。ちょっと旬を過ぎた感はあるけど。中には「果たして子どもが見て影響を受けるのか」って意見まであった。いや、どこで見たか忘れたけど。影響を受けるんだよ。まじで。
というわけで、1つの例として私の幼少期の実体験を聞いてくれ。
私は20代女。
それでは、15年ほど前に遡ろう。
小学3年生の通学路、小学校のすぐそばに商店街があった。商店街にはアーケードがあって、その並びには本屋さんがあった。
本屋さんの外、アーケードの下には本棚があった。コンビニにあるマガジンラックと、平積みに出来る台がくっついたようなやつだ。マガジンラックには週刊誌が、平積みにはエロ本が置いてあった。そのエロ本は今のコンビニの片隅に置いてあるような分厚い漫画雑誌だった。
この本屋の前を通りこのエロ本を視認した最初の時、私は「見てはいけないものを見てしまった気がする!」と思った。見たことを友達に見られていないか周囲を見た。そして走って逃げた。それがファーストコンタクト。
次の日は、悶々としながら「(2日連続で見るのはやばい。たぶんやばい。)」と思って、向かい側のアーケードを通ることにした。
またその次の日は「(何か見たい、どうしてだろう…ドキドキするけど、なんで女の子なのに女の裸に興味があるんだろう、わたしっておかしいのかな…。でも見たい、……見たい!!!!!!!!)」と気持ちが爆発した。その日はその本棚を横目で見つつ、ゆっくり通ることにした。「(わたしの体、頭は前を向いている…大丈夫大丈夫)」と自分を勇気づけた。
それからは、たまに本屋の前をゆっくり通るようになった。時にはしゃがんで本棚に隠れるようにしてじっくりと表紙を眺める日もあった。ただ、言い逃れは出来ないだろうと思って、雑誌に触れることはしなかった。大胆な行動を取りつつ慎重になろうとする支離滅裂さ、今思うと小学生ってほんとばかって思う。
エロ本の表紙はむちむち爆乳のお姉さんだった。乳首が出ている表紙もあれば、濡れた浴衣から透けている表紙もあった。リアルめの画風だった。表紙は見ていたけれど、なにせお姉さんの裸を見ることに必死だったから雑誌のタイトルすら覚えていない。今では、濡れた浴衣で透けてるとか最高って思うけど、当時は「服着てるじゃん…」としょんぼりしたのを覚えている。
ここまでが私の幼少期。
それから高校生になるまで男の人の裸に性的興奮を覚えることはなかった。恋愛対象は男性、女性に恋をすることもなかった。中高生時代は、性的対象と恋愛対象がちぐはぐしていてすごく悩んでいた。今では、「女性の身体美しいもんな。しょうがないよな。」と開き直ることにしている。私は処女だからわかんないけど、すごく性欲が強いと思っている。小6の頃からオナニーを始めて今では週7、AV女優にも詳しくなってしまった。性欲の強さは今でも悩んでいて、男の人より強かったらどうしようだとか、みんなどうなんだろう、これっておかしいのかな…などと、うじうじしている。
こんな育ち方のきっかけ、引き金を引いてしまったのはあの本屋だろう。引き金を引いてしまうタイミングはいつか来ることではあったけど、それにしても早すぎた。だから私に言わせてくれ。
と。
エロ本を本屋に置くのは賛成派だし、それを否定していないけど子どもの見える位置、行動範囲に置くのはやめようなって思う。普段誰にも言えない、言えないことを書き連ねることが出来たし、はてな匿名ダイアリーには感謝している。
書きたいこと書けて満足。じゃあね。