最近、ラノベの表紙が卑猥やらゾーニングやら騒がれてる。ちょっと旬を過ぎた感はあるけど。中には「果たして子どもが見て影響を受けるのか」って意見まであった。いや、どこで見たか忘れたけど。影響を受けるんだよ。まじで。
というわけで、1つの例として私の幼少期の実体験を聞いてくれ。
私は20代女。
それでは、15年ほど前に遡ろう。
小学3年生の通学路、小学校のすぐそばに商店街があった。商店街にはアーケードがあって、その並びには本屋さんがあった。
本屋さんの外、アーケードの下には本棚があった。コンビニにあるマガジンラックと、平積みに出来る台がくっついたようなやつだ。マガジンラックには週刊誌が、平積みにはエロ本が置いてあった。そのエロ本は今のコンビニの片隅に置いてあるような分厚い漫画雑誌だった。
この本屋の前を通りこのエロ本を視認した最初の時、私は「見てはいけないものを見てしまった気がする!」と思った。見たことを友達に見られていないか周囲を見た。そして走って逃げた。それがファーストコンタクト。
次の日は、悶々としながら「(2日連続で見るのはやばい。たぶんやばい。)」と思って、向かい側のアーケードを通ることにした。
またその次の日は「(何か見たい、どうしてだろう…ドキドキするけど、なんで女の子なのに女の裸に興味があるんだろう、わたしっておかしいのかな…。でも見たい、……見たい!!!!!!!!)」と気持ちが爆発した。その日はその本棚を横目で見つつ、ゆっくり通ることにした。「(わたしの体、頭は前を向いている…大丈夫大丈夫)」と自分を勇気づけた。
それからは、たまに本屋の前をゆっくり通るようになった。時にはしゃがんで本棚に隠れるようにしてじっくりと表紙を眺める日もあった。ただ、言い逃れは出来ないだろうと思って、雑誌に触れることはしなかった。大胆な行動を取りつつ慎重になろうとする支離滅裂さ、今思うと小学生ってほんとばかって思う。
エロ本の表紙はむちむち爆乳のお姉さんだった。乳首が出ている表紙もあれば、濡れた浴衣から透けている表紙もあった。リアルめの画風だった。表紙は見ていたけれど、なにせお姉さんの裸を見ることに必死だったから雑誌のタイトルすら覚えていない。今では、濡れた浴衣で透けてるとか最高って思うけど、当時は「服着てるじゃん…」としょんぼりしたのを覚えている。
ここまでが私の幼少期。
それから高校生になるまで男の人の裸に性的興奮を覚えることはなかった。恋愛対象は男性、女性に恋をすることもなかった。中高生時代は、性的対象と恋愛対象がちぐはぐしていてすごく悩んでいた。今では、「女性の身体美しいもんな。しょうがないよな。」と開き直ることにしている。私は処女だからわかんないけど、すごく性欲が強いと思っている。小6の頃からオナニーを始めて今では週7、AV女優にも詳しくなってしまった。性欲の強さは今でも悩んでいて、男の人より強かったらどうしようだとか、みんなどうなんだろう、これっておかしいのかな…などと、うじうじしている。
こんな育ち方のきっかけ、引き金を引いてしまったのはあの本屋だろう。引き金を引いてしまうタイミングはいつか来ることではあったけど、それにしても早すぎた。だから私に言わせてくれ。
と。
エロ本を本屋に置くのは賛成派だし、それを否定していないけど子どもの見える位置、行動範囲に置くのはやめようなって思う。普段誰にも言えない、言えないことを書き連ねることが出来たし、はてな匿名ダイアリーには感謝している。
書きたいこと書けて満足。じゃあね。
河原にエロ本が捨てられているかもしれないので河原立ち入り禁止にでもしますか?
本屋には確実に置いてあるからな
良い出会いに感謝
判断するのが普通なんだが、定性的な意見などアーアー聞こえない!定量的なデータ以外は絶対に嘘だ!法律の判例もぜーんぶ嘘!って喚いてるもんなぁ
小学生の頃、学校が指定した地域外に出ることが禁止されていた 関所とか戦国時代かよwと幼少ながら思った 最寄り駅まで30分から1時間かかる 最寄り駅から隣の駅までの距離は電車で...
思春期にそういうのに出会ってなくて、体も心も比較的自由になった高校生大学生ぐらいでいきなりそういうのに出くわしちゃったらどうなるかって逆にちょっと怖くない?
児童の頃に見せるのよりは怖くないな。