はてなキーワード: 職業観とは
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おしんの物語の根底を流れているのが、「恩」であり「仁義」であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語のハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。
おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしんは1901年、昭和天皇と同年に生まれた設定である。
そしておしんが生きた少女の時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治の回想シーンに時代を一気に2世代くらい遡るときのタイムトリップ感が半端ない。
1983年、おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的に大手スーパーへの並木の土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店の隠居の大旦那・並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである。
それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。
おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年、17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである。
おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどい。しかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語の類型のひとつで、一宿一飯の義理・人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人・やくざなどが主人公である。股旅物の元祖・長谷川伸は、その後の日本の小説や戯曲、そして映画やテレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である。明治が遠く過ぎさり、大衆が大正デモクラシーの自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である。
2000年代になると、日本の映画やドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマは陳腐なものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理・人情の世界観でつくられた恐らく最後のドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸の系譜なのである。
おしんは回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことなき股旅物である。しかし、おしんの物語の面白いところは、浪花節が陳腐化し、古臭いものになってしまった現代(1980年代)と交差している点である。
並木浩太とおしんの最初の出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋・加賀屋へ奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売のイロハから茶道・裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときくにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしんの人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命にうんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動の活動家・浩太と出会った。酒田に訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初の出会いである。おしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシーの時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動を先進的だと中身もわからず憧れていたのである。農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動にロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしんも小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋へ奉公へ行く決心をしたのである。いかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである。
ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京へ家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心は最初からおしんが好きだったのである。
おしんは加代の家出の理由を加賀屋に伝えることが忍びなく、おしんは加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしんを女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さらに実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働で健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠・長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。
一方、加代は、浩太の心がおしんにしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。
こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしんは東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結いの師匠・たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質な職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。
しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京で流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである。
大衆は身分から解放され、より自由な髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業や身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかはおしんに独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんがたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚の挨拶にたかを訪れたときの言葉である。その時、5人いたたかの弟子はついにたった一人だけになっていた。
田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんはたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代におしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である。
一方、田倉商店は開店休業状態に陥るほど経営が悪化していたが、おしんが髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たかに相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店の再生が進んで、おしんの洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災がおしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである。工場を火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀でゆっくり休みたか。おしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄の佐賀編がスタートすることになった。
さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしんは佐賀地獄からの脱出を心ひそかに誓い、東京の師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのである。たかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしんを絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。
こうしておしんの流転の人生が始まる。屋台出店から始まり、故郷の山形、酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重の伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである。佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである。
【キーワード:浩太の恩】
浩太の実家は貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢の実家、網元のひさの家であった。浩太は、流浪の人生を送るおしんを見かねて、伊勢で網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋、子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄、酒田の飯屋をやってきたおしん。めし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。
伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしんと魚屋をやる決意をしてくれ、おしんの人生は好転し始めていた。
一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代の苗字も変えなかった。
一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈な拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。
田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望は兄弟のように母おしんの魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望は商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。
屈折10年、陶芸の師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんがセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。
さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ(1983年の場面)に戻りたい。
仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである。初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。
ドラマの構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしんが戦後~現代にいたる高度経済成長でおしん自身が義理人情を忘れてしまったことに気が付く、というメタで重層的な構成である。おしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢で戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパーを事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしんは問題の17号店開店当日、失踪する。この世話物と時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である。
将来は博士課程に進学し、博士修了後は海外の研究機関へ行こうと考えている。そのため週一回英会話教室にも通っている。
しかし、その英会話教室である先輩(男)に出会い、気持ちが揺らいでいる。
先輩は社会人一年目。博士課程を中退し、国家公務員キャリア技官となった。
先輩は色々と私の進路にアドバイスをしてくれる。
「博士課程は教授の奴隷」「博士取っても就職口なし」「博士は就職してから取ればよい」と博士に厳しい。
さらには公務員の世界は「天国」のような環境であり、自分のしたいことができる「夢のような世界」だと私に会うたびに誇らしげに語ってくる。
先輩の職場は最初の1年間は研修期間で、その間は付属の工場で働くとのこと。1年たてば希望の部署に行けるらしい。
そのため、私に修士で就職して「早く俺のような楽しい世界に来いよ」と国家公務員をすすめてくる。
先輩はなぜ博士課程を中退したのか、なぜ国家公務員になったのか、どんな仕事をやっているのかについては、聞いても具体的には教えてくれない。
この先輩の言っていることは正しいのでしょうか?信じてよいのでしょうか?
村上春樹が海外で売れるまでの経緯は彼の職業観や執筆スタイルについて書かれたエッセイ「職業としての小説家」についてよく書かれている。
ちなみにこのエッセイはビジネス書としての評価が高く、文学や村上作品に全く興味のない人でもまあまあ面白く読めると思う。
それによると、バブル期の日本(「金が余ってるので予算無制限で適当に旅行エッセイでも書いてくれませんか?」と出版社から言われたり、どこへ行っても「いくら稼いだか」と金の話しかされない)に嫌気がさし、一時期アイルランドやスコットランドなど当時の日本人があまり訪れていないスポットに逃げて執筆活動をしていたらしい。その中で講談社のアメリカオフィスに訪れるようになり、アメリカの作家と同様自ら翻訳者やエージェントを探して出版するようになったらしい。
最初はイマイチだった反応が何かの権威ある文学雑誌で評価されて以来注目されるようになり、一気に人気になったというよりは徐々に火がついていったとのこと。
アラサー以上が過半数を占め、世帯の合算ではなく単身で年収600万以上が多いはてなで、
『学歴コンプ』と『○○をしたら年収XXX万が保証されないとおかしい妄想』を披露し続けるのは、恥ずかしいのでいい加減おやめなさい
増田に常駐している子の中にみんな無職か低所得に違いないって勘違いしている子がいるが、それは違うので認識を改めような
ブクマカがおかしい(貧乏ド底辺)だけで、増田民はネタじゃ無くはてなの基準民の方が多いぞ
https://anond.hatelabo.jp/20230426100521#
無限に同じこと言ってるので年相応に職業観をアップデートしてな?
いやちょっと…温泉のアレ見てまたけど九州在住とてはカンベンしてくれって。シスターが胸強調してガーターベルトして下着が集めるのが好きとか設定する必要あるのかよ…。敬意が全く無いよ。しかも手と全体のバランス悪い。デッサン狂ってない? pic.twitter.com/cCvjvM7JcF— 平松モルギルガメッシュ (@shige_pain_yuji) November 15, 2021
この「シスターは貞淑であるべきとの女性職業観の押し付け」こそがアンチフェミニズムのような気もしてしまうのだが、相手が非実在女性だからブランドイメージの毀損の方が問題と言えるのだろうか。そもそも、この人はフェミニズムの視点から発言しているわけじゃないのだよね?
なるほどシスター(というよりキリスト教の聖職者全体)は特殊な例になるんだな。なる前に本人の意志で誓約をしているなら、いろいろ話は違ってきそうだね。
よく男は生理に対して無知無理解って言われるけど、詳しい男っているの?
クソオスがとかいう前に聞いて欲しいんだけどさ。
職業観のジェンダーギャップみたいなのと違って男が当事者になる確率って限りなくゼロじゃん?
彼女や奥さんのようなパートナーいる人は別かもしれないけどさ。
初等教育中等教育で習ったろって言うかもしれないけど、記憶にないんだよね。
男女別でやってたのがあれかな?程度。
教科書にもあったかもしれないけど、使わない知識って忘れるじゃん。中学英語レベルの文法が分からない人って日常生活で英語を話す機会が無いから身につかないんだよね?
もしくはド田舎で生まれ育ったから教育水準が低かったからかな。私立でもないのに学べる内容に差があるとしたら驚きだね。
みんなちゃんと学んで無知無理解なら教育の問題もあるんじゃないの?
あとこれ完全に主観なんだけど、生理の話題って男が踏み入れちゃいけない領域ってイメージがずっとある。
知ろうと思って手を出すことに抵抗が凄いある。
無知だからそう思うのかな、彼女や奥さんがいるモテる男だったら違うのかな。
分かんねえ。
差別意識があるからじゃなくて、実際に待ち受けているリスク、デメリットを想像しやすいからでしょ。
お前は仮に自分が女だとしても、風俗で働きたいか、と問わて抵抗がないのかもしらん。
だが、普通の女だったら職業観がどうであろうが、周囲に自分が風俗嬢である/だった、ということが社会でバレた時に
どんな待遇を受けるかはわかっている。だから抵抗がある女が多いだろうというのが一つ。
もう一つ、お前「金を払ったら初対面の、個人的には性的対象にならない相手とでも性的な交渉を持たなければならない」ことそのものに対する理解が抜けてる。
外を歩いてるおっさんを見ろ。そのおっさんがお前を2時間2万5千円(お前の手取りは1万1千円+指名料1~2千円)で買ったとする。
その金を受け取るには、2時間半の間、お前はそのおっさんに微笑み、おっさんが望むようにエロく振る舞い、おっさんが自分の身体をいじくり、ケツを掘って「イク…!」とかやってる間、
あんあん!気持ちいいよう!と演技することも含まれる。できなきゃ無収入のお茶引き嬢だ。
性的関係なのに相手を選ぶのに自分の意思がほとんど反映されない、そういう他人にそういうことを許すっていうのが、感覚的に受け入れられないからじゃないの?
今年も新規採用者が入社してきたわけですが、人事では早くも2018年度の採用準備に入る模様。
で、全員ではないのですが、女子学生(大学生)の職業観が結構大雑把であることが多いらしく、オフィスワーカーを目指すのは良いとして、そのイメージがいきなり天海祐希がテレビや映画で演じているような管理職またはそれに近い総合職になっていて、「とてもあんなの私にはムリ」となる。
おまけに、昨年電通で自殺した高橋まつりさんのイメージが加わると、もっと腰が引ける。
次善の策として、出版社やアパレルメーカーのデザイン担当のようなイメージになるようですが、こっちはこっちでセンスが重要ですから、これもムリとなる。
そうなると、就活から身を引いて婚活に走る人もいるわけですが、主婦を目指すのは良いとして、自分の母親をイメージするとパート勤めをしながら育児と家事に追われて、「あんな惨めな人生はイヤ」となる。
結局、落ち着くべきところに落ち着くのでしょうが、なんだか揃ってテレビと女性雑誌の見すぎじゃないかなぁと思うことしきりで、就活とはいかに早く現実を見据えたかが勝敗の決めてになるのではないかと思います。
地頭(じあたま)の良い人は、自分の能力をよく知っていると同時に限界も知っているからムリのないところにターゲットを絞って就活しているようです。
注意。
ネタバレです。せっかくのパズルの答えを書いちゃう無粋な事です。さらに、それが正解かどうかも怪しいです。
そして初夜。すずさん緊張してるけど、周作から「昔会ったことがある」と言われて少し安心。
きちんと事を済ます。
いやほんと、ちゃんと出来てしまうものなのね。女子のコミュニティの中で、予習していたからなのかな。
そしてそれなりの感慨を持って朝を迎えるすずさん…なのだが、その余韻を楽しむ間もなく家事をこなさねばならぬ。
で、6月の防空壕での、いちゃいちゃキスへ。初夜が2月だったので、まあその位の時間が経った。
すずさん、かなり慣れた感じ。初夜の頃の「義務を果たさねば」というのと違って、楽しそう。
数を重ねてきたんだな。
で、9月に入って、順調に妊娠きた!と思ったら間違い。生理不順。
遊郭のリンさんとの対話。子供を産むことについて、女同士だから出来る会話。
「男子を産む義務」とか「遊女という職業観」とか、男が決めた世界から隔絶した世界。
それなのに、この二人、同じ男と肉体関係があるわけで。エロいことになってる。
そして、そのことに気づいてしまうすずさん。
子供も出来ないということも重なってか、SEXに心が入らない。
いやもうなんか、生々しいことが描かれている。
幼馴染の水原がくる。
出す側も、それを受ける周作側も。
すずさんの心の中心と関係を結んでいるのはどっちだ?という攻撃。
肉体関係を結んでいるのは夫である周作だけど、それも最近結べているかどうか…。
ただ、この攻撃心、嫉妬心って、本人達が意識的にやってるわけでもなく、無意識で出てきてる感じがする。
男らしい強い身体を持つ水原と、運動音痴の周作というコントラストもある。
まあ、当のすずさん自身は、そこにあまり気づいてなさそうというのが、またなんともね。
さあそして、例のシーン。周作がすずさんを水原に貸し出す。
同情、共感、嫉妬、マウントを取る…いろんな感情が無意識下の周作にはあるんだろうけど、
もしかしたらマッチョな水原となら、すずさん妊娠できるんじゃないか?自分は雄としてはあまり強くないし。
もしそうなったらすずさんの苦しみも減らせるんじゃないか…などという感情なのか建前なのかなにかとてもぐちゃぐちゃしたもの。
一方すずさんは逆に、もし水原とそうなっても子供が出来ないから問題ないと夫が思っているんじゃないかと。物扱いされるのかと。
この辺、3人の思惑や計算がどれほどあったのかわからないけど、結局水原はプラトニックのまますずさんの心に刻まれる選択をする。
でも本当にそれで良かったのだろうか。すずさんの中心に存在できたかもよ。
エロい。さらにここにリンさんを絡めると、感情はぐちゃぐちゃだ。