はてなキーワード: 末永とは
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
2023.6.27 S1専属début → アタッカーズ専属 🔥ティーパワーズ所属@tpowersofficial @tpowers_2nd
樋口博之@hXWSTs3
猫好き、猫チャンを愛している飼い主さんと、猫チャンの末永い幸せを、祈っています。19年と3ヶ月一緒に暮らした猫を亡くして、3年、落ち込んでいましたが、皆様の可愛い猫チャンの画像や、綺麗な風景や花の画像等に癒やされて来ております…こんな私ですがフォローして頂ければ、嬉しく思います。
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
おはりあ~~☀️
https://pbs.twimg.com/media/GYW4UkjaMAIA1By.jpg
(抱き上げている猫が結月の頬を舐めている写真)
樋口博之@hXWSTs3
猫チャン可愛いですね、でもたぶん!お化粧してますよね、ファンデーションぬってますよね、ファンデーションぬったお顔をなめさせるのは、危険な場合も有ります、猫チャンの腎臓を悪くする成分が入っているかも知れません、スッピンならいいですけど、お化粧している顔をなめさせるのはやめた方がいい
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
ひじょー――に不愉快!!!! !
塊食べてるわけでもないのに
わざわざそんなこと伝えてくるの
暇なのかな☺☺☺
めちゃくちゃ高い保険に入れて何かあった時に高額治療になろうがちゃんと手当てできるようにしてる事とか
ご飯色々なの食べさせてなにが体に合うか
2匹が美味しく食べてくれるかとか 知った上で送ってきてるのかな〜
うちの家族の何が分かるの?
樋口博之@hXWSTs3
不愉快を感じられたなら、あやまります申し訳ありませんでした、私ただの猫好きと、りあさんのファンなだけです、私は今、入院中です、寝られないのでスマホを見ていたら、大好きな、りあさんの可愛い猫ちゃんとの画像かあつて、投稿しただけです、悪口云うわけ無い、気に触ったら許して下さい、😭😭😭
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
本名載せてるけど
いつでも行動できる事は忘れないでね
前にも言ったけど何気ないSNS一言がこの世界から人を亡くしていることを忘れずに
以上
樋口博之@hXWSTs3
私の、つたない返信て、不愉快にさせた気持ちがまだ収まらない様ですので、再度あやまります、ごめんなさい、申し訳ありませんでした。私は、ただの猫好きと、りあさんのファンなだけの今は、咽頭ガンで入院している男です…それにしても、りあさんは、凄いです、返信、全部お読みになるのですね素敵で
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
ご丁寧にありがとうございます🙂↕️
樋口博之@hXWSTs3
ありがとうございます、ブロックされても仕方ないのにご返事を頂き嬉しいです、私がただの猫好きと、りあさんのファンだとご理解ください、これからも応援させてください猫ちゃんと、ワンちゃんといつまでも、お元気で、ガンバってください☺️☺️☺️😻🐶❤️
https://x.com/xuejianosaka/status/1838520416266321944?s=46&t=3CrM4yYxrYQRL_dzwCrKxg
「#偶発的な悲劇を政治利用すべきではない(七)。CMG日本語部論説員:実は、深センで少年が襲われた同じ9月18日の夜、神奈川県横須賀市では22歳の日本人男性が駐日米軍関係者による自動車事故で死亡していた。日本警察側によると、米軍関係者の複数の男女が乗っていた乗用車が右折禁止の交差点で強引に右折。バイクを運転していた日本人青年がはねられ、搬送先の病院で死亡が確認された。このニュースに対するYahoo ジャパンでのコメント数はわずか20件余りだった。筆者は幼い頃から、「中日は一衣帯水の隣国」「末永い友好」「歴史を鑑に、未来に向かう」と教わってきた。そんな中国人として伝えたいのは、中日間にはたくさんの美談が存在するということだ。時には、不和があり、友好的ではない声があるとしても、それが隣国同士の正常な交流を妨げることはない。混乱がある時こそ、物事の是非を明確にし、極端な考えに流されることなく、中日交流の本筋を守っていくべきだ。」
要するに、アメリカ人が日本人殺しても騒がないくせに中国人が日本人殺したら騒ぐのはおかしい!って言いたいんだろうけど的外れすぎて草
偶然起こった事故と明確に日本人を対象にしたヘイトクライムを並べて被害者ヅラとかさ…
わざとだよね?わざとであってほしい そうじゃなきゃ頭が悪すぎるから
現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論や交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法は誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである。
注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである。
調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたことである。そして同じく白樺派の有島武郎や長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生・木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブな意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。
心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。
牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報の文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである。
もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブな用法も多かったようだ。
この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。
もとは『The Scarlet Empire』というタイトルのアメリカの小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。
私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ
こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。
真夏の暑い日に遠く法華宗のお題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。ものが煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。
「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。
議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写。結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか。
かるが故に自己の生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級の城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度を採用することは一に権力者に反抗する意志を学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護の有為なる人材を作ることになる。
この式場隆三郎も白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか。
勿論コチコチ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所を認識する感服癖さえある。
昭和10年 ギュスターヴ・フローベール『ジョルジュ・サンドへの書簡』
では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。
翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。
戦前は武者小路実篤を中心に、小説・詩歌・戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論や交渉が煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。
それに関してわかりやすいのは「国会会議録検索」で、戦前の「帝国議会会議録検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉の文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。
となると次に気になるのは「議論が煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブな文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。
しかし日本側は表面上は「朝鮮総連を相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤が相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから、問題は煮詰ってしまった。
やはり人間は災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのときの判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。
ハイ・スクールからジュニア・カレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジ・ライフで煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである。
ああいう自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。
「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まっちゃう」「煮詰まっちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」
昭和60年 毛利子来・岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』
「結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法は議論や交渉の文脈でしか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか。
ちなみに、この「行き詰まる」用法が誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰まる 誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。
といったところか。
「煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。
それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブなイメージを適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブなイメージを適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。
もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然な感覚である。当初から「煮詰まる」は多義的な比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。
とても良い話だったのでトラバを書かせて下さい。
「犬より下か」の書き出しで「お犬様が上に決まっているだろう!」と一瞬思ってしまったけど(すいません)、動物を愛する心を持った大変素晴らしい増田で感銘を受けました。
結婚前にも彼女さん家に沢山あそびに行って、新しい家族として覚えてもらったら良いと思います。
犬が亡くなって結婚した後も、二人の思い出として犬は生き続け、二人の絆の一つになってくれるでしょう。
わたしは、夫が子供の頃に飼っていて顔も見たことのない犬の話を今でもしています。結婚前から何度も話をせがんだので、見たこともないのにめちゃくちゃ詳しくなっていて、夫の家族と最初に会った時から犬の話で盛り上がれました。伝説のご先祖様みたいなものです。
彼女さん一家はとても犬を大切にしているようで、多分犬が家族の中心、犬を通じて皆が結びあっているのではないかと想像します。それなら、犬を通じてこそ増田も彼女さん家と深く理解しあえるでしょうし、これからの両家を結びつける縁ともなると思います。
とても良い話だったのでトラバを書かせて下さい。
「犬より下か」の書き出しで「お犬様が上に決まっているだろう!」と一瞬思ってしまったけど(すいません)、動物を愛する心を持った大変素晴らしい増田で感銘を受けました。
結婚前にも彼女さん家に沢山あそびに行って、新しい家族として覚えてもらったら良いと思います。
犬が亡くなって結婚した後も、二人の思い出として犬は生き続け、二人の絆の一つになってくれるでしょう。
わたしは、夫が子供の頃に飼っていて顔も見たことのない犬の話を今でもしています。結婚前から何度も話をせがんだので、見たこともないのにめちゃくちゃ詳しくなっていて、夫の家族と最初に会った時から犬の話で盛り上がれました。伝説のご先祖様みたいなものです。
彼女さん一家はとても犬を大切にしているようで、多分犬が家族の中心、犬を通じて皆が結びあっているのではないかと想像します。それなら、犬を通じてこそ増田も彼女さん家と深く理解しあえるでしょうし、これからの両家を結びつける縁ともなると思います。
とても良い話だったのでトラバを書かせて下さい。
「犬より下か」の書き出しで「お犬様が上に決まっているだろう!」と一瞬思ってしまったけど(すいません)、動物を愛する心を持った大変素晴らしい増田で感銘を受けました。
結婚前にも彼女さん家に沢山あそびに行って、新しい家族として覚えてもらったら良いと思います。
犬が亡くなって結婚した後も、二人の思い出として犬は生き続け、二人の絆の一つになってくれるでしょう。
わたしは、夫が子供の頃に飼っていて顔も見たことのない犬の話を今でもしています。結婚前から何度も話をせがんだので、見たこともないのにめちゃくちゃ詳しくなっていて、夫の家族と最初に会った時から犬の話で盛り上がれました。伝説のご先祖様みたいなものです。
彼女さん一家はとても犬を大切にしているようで、多分犬が家族の中心、犬を通じて皆が結びあっているのではないかと想像します。それなら、犬を通じてこそ増田も彼女さん家と深く理解しあえるでしょうし、これからの両家を結びつける縁ともなると思います。
あれどうしてあんなこと言ったのかな。ネット軍師のみなさん、教えて!
1. 頭が悪くて、本音を出しちゃった
3. 最近のネットバトルの行方があまりに調子が良くて妙な取り巻きが湧いてきたから手入れがしたい
4. 周りがアホに見えすぎて少しからかってみたくなった
5. コラボがあまりに下手を打ちすぎて(領収証の泣き言ツイートとか)、末永い炎上のために手加減の必要性を感じた
6. 多少スキを見せることでナニカ側からの攻撃の矛先を都合のいいところに集中させたかった(例:暇空の人間性の話を攻撃している限り、暇空の住民訴訟や監査請求は通り続ける)
私のおすすめは6。これは完全に根拠のない当て推量だけど、赤旗の間抜けな記事を見て、それじゃミソジニー見せておけばそこだけ攻撃してくれるんじゃないの、馬鹿だねあいつらは、みたいにおもったのではないか。人はみな愚かなので2はありえるけど・・・。
「お尻出してくれない?」7歳女児をトイレに連れ込み“下半身押し付ける” 38歳男を逮捕 福岡市
福岡市の公園で、小学生の女の子に対し「お尻出してくれない?」と言って、服を脱がせるなどわいせつな行為をした疑いで38歳の男が逮捕されました。
強制わいせつの疑いで逮捕されたのは、住居不定・無職の末永亮麻容疑者(38)です。
警察によりますと、末永容疑者は今年2月、福岡市西区の公園で、下校中の7歳の女の子をトイレに連れ込み、ズボンを脱がせた後、自分の下半身を女の子に押しつけるなどした疑いが持たれています。
女の子に「ティッシュ持ってない?」「一緒にトイレに行ってくれない?」などと誘った末永容疑者は、トイレに入ると「お尻出してくれない?」と言ったということです。
女の子から相談を受けた母親がすぐに警察に申し出て、公園付近の防犯カメラなどの捜査から末永容疑者が浮上し逮捕に至りました。
https://mainichi.jp/articles/20190912/k00/00m/040/120000c
ツイッターで他人の投稿を引用する「リツイート」で名誉を傷つけられたとして、橋下徹・元大阪府知事がジャーナリストの岩上安身氏に慰謝料など110万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は12日、33万円の支払いを命じた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f937908b356f4a648c19939b462c678ddc05b81b
自らを中傷する複数のツイッター投稿に「いいね」を押され、名誉を傷つけられたとして、ジャーナリスト伊藤詩織さん(32)が自民党の杉田水脈衆院議員に220万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は25日、請求を棄却した。
武藤貴明裁判長は、「いいね」には幅広い感情が含まれ、ブックマークや備忘目的でも用いられると指摘。
他人への中傷投稿に対していいねを押してフォロワーに中傷を拡散させる行為はセーフだと東京地裁がお墨付きを与えたので、平熱パニックへの中傷投稿をRTするのはアウトだが、いいねならセーフだってよ。
03/04 蒲郡市 比パブ「コロナをばらまいてやる」死亡 (57歳 男)
03/17 名古屋 中区「この店はコロナでやっていない」(19歳 男バイト)
03/26 名古屋 ドラッグストア「俺、コロナなんだけど」(49歳 男バイト 中山浩一)
03/29 名古屋 ビックカメラ「コロナビーム」(42歳 男会社員 岸野尚史)
04/07 名古屋 マッサージ店「これコロナ」(78歳 男自称自営業 杉山淳)
04/08 名古屋 三菱UFJ銀行「コロナ」未逮捕 (年齢不詳 男)
04/17 大治町 役場「俺、コロナの陽性反応が出た」(37歳 男無職 北憲和)
04/26 東浦町 受け入れ施設「どうしても出たい」施設脱走 (年齢不明 男)
05/01 名古屋 区役所「てめえらを殺すなんて簡単だ」給付金巡り誤解 職員けが無し (75歳 男無職 湯本松次)
05/02 豊田市 コンビニ 「邪魔だ、どけろ」感染防止のビニールシートに (63歳 男自称青果業 末永安則)
05/05 愛知県 HPで怒りのコロナ患者個人情報・行動履歴フル開示 (495名全員)
05/15 東郷町 町施設「俺コロナだぞ」とツバ吐きかけ(63歳 男無職 伴野徳保)
05/15 名古屋 中川区「俺はコロナだ、コロナばらまくぞ」息吹きかけ (54歳 男バイト 山田幸弘)
07/19 岡崎 留置所クラスター 生放送で「ゴホッ...ゴホッゴホッ...ゴホッ..はぁ...はぁ...コロナ」(30歳 男無職 へずまりゅう )
女にとって地獄だこの国
明るくて賑やかでよく笑う子だった。通夜で見た棺の中で、大好きだったサッカーのユニフォームを着せられて笑っていた。用事があって行けなかった葬式には500人を超える参列者が来ていたらしい。人望も厚い子だった。
彼と私は小中の9年間、一緒に過ごした。片田舎の小さな学校だったので、定期的にクラスも一緒になった。が、特に大した思い出もないまま卒業して、別々の高校大学に進んだ。成人式ですれ違うことも特に無く、会えなかったことを残念がるほど深い仲でもなかった。というか、成人式の私は彼の存在すら忘れ去っていた節まである。それくらい、私の中の彼の存在はとても薄かったのだ。
大学3年のインターンシップで、本当に偶然彼と再会した。「えっ久しぶり〜」「久しぶり〜、マジで卒業以来じゃね?」みたいな会話を交わした覚えがある。インターンメンバーは6人いたが、その中で顔見知りだった私たちは特別喋るようになった。彼は特に変わっていなかった。変わっていたのは彼の体だけだった。
この頃既に病魔に侵されていた彼は、度々通院のためにインターンを休んでいた。ガンであることは全員最初に聞いていたが、あまりにも元気そうで「ズル休みのレベルじゃん」なんて笑われていたが。病気してる人でイメージしやすい「常に顔色が悪い」「途中でぶっ倒れる」といったことも一切ないまま、インターン期間を終えた。その期間で交換したインスタのストーリーには、いつも筋トレかサッカーの写真を載せていた。
そこから末永い友情を築いたとか色恋に発展したとか、漫画ならありがちな展開になることも特になかった。お互いにインスタのストーリーでなんとなくの近況を知る。彼はちょくちょく手術や入院をしていた。医療に関してさっぱり学のない私は、その点滴が何を意味しているのか全くわからなかったが、ただ確かに彼の病気が進行していることをほんのり感じていた。
インターンから半年経った頃、彼が亡くなった。中学の同級生のインスタで知った。せめて通夜くらい、と思って、卒業以来縁を切っていた地元の人間に10年振りくらいに連絡を取り、参列した。
会場の中には、彼の小中高大までの思い出の写真と一緒に、インターンで6人で撮った写真が並べられていた。それを見てワッと泣いた。インターンの楽しかった記憶が鮮明に思い出された。彼のお母様に、彼がインターンを頑張っていたこと、すごく頼りにしていたことを話した。お母様は泣きながら「あなたも頑張ってね」と肩を叩いてくださった。彼の友達も親族も恩師らしき方々もみんな泣いていた。通夜に善し悪しがある訳では無いが、すごく良い式だったと思う。
さて、ここまでならまあ、割と無い話ではないのだろう。問題は通夜の最後だった。
「目を閉じると、故人様との楽しかった思い出が甦るようではないでしょうか」
司会の人の優しい声に促されるように、泣き腫らした目を閉じて、彼との楽しかったことを思い出す。インターンは勿論、せっかくだから小中まで遡って思い出してみるか。小中も何か…何か、こう、運動会とか文化祭とか、彼との思い出で楽しかったこと…
あれ、そういえば私、あいつに殴られてたな?
何故忘れていたのかわからない。多分記憶から抹消していた。私は確かに中1の1学期、彼に毎日のように頭を殴られていた時期があった。
その当時味方になって守ってくれる友人もいたし、先生もよく怒ってくれていたので、いじめというにはちょっと足りない気もするが。1学期の間で何故か完全に終わったし。そこからわざわざ関わろうとしなかったし。それでも確かに、中学生男子のフルスイングを女子の頭で受け止めていた時期が、あったのだ。
次に目を開けた時、号泣する周囲とは裏腹に、既に瞳はカラッカラに乾いていた。インターンにいた優しい彼も嘘ではないが、それ以前にやられていたことが、21の大人になった私から見てもまあ酷くて、とても泣ける気にはなれなかった。
前にそれほど関わりのなかった祖父が亡くなった時でさえ、亡くなってからしばらくは「あの年は運動会来てくれて嬉しかったなあ」「テストの点褒めてくれたな」なんて楽しかった思い出を思い出して偲んでいた。それが、ガッツリ9年間関わった彼の思い出は一切鮮やかなものではなくて、途端に故人との記憶として思い出すにはしのびなくなった。
1つ思い出すと、まあ芋づる式に出てくる出てくる。特別酷かったのが中1というだけで、基本いじめっ子だった彼はいじめられっ子気質のあった私に嫌なタイプのちょっかいをかけて遊んでいた。靴に虫を入れられたり、帰り道小石を投げられたり。本当に、なんで忘れてたんだろうね。
彼が死んだ後、彼を思い出してもインターンの優しい彼ではなく、中1の時に真顔で私をぶん殴る彼の顔しか出てこない。彼は変わっていないと思っていたが、そんなことはない。記憶である程度美化された彼の姿と、大人になった彼の姿がたまたま一致しただけで、彼はものすごく変わったのだ。そのきっかけが病気なのかはさておき。
ここまで読んでくれた人で、人をいじめたことがある人。過去は、消えない。何をしても。
きっと10年近く前の話だから、中1にやられていた事もある程度私の中で脚色されているとは思う。それでも、いじめを受けていたという事実は変わらない。その内容がどうであれ、過去の傷は見えないようにしているだけで消えない。
あなたが死んだ時、一瞬でも「まあでも死んでいいタイプの人間だったんじゃない」と思われることを覚悟して欲しい。どれだけ今のあなたが善く生きていても、過去に深く傷つけた人はあなたの悪事を忘れない。
まあ、故人に対してこんなことを思う私も、大概ひん曲がっているとは思うけどね。
夫と妻と育児負担が半々程度の場合、大抵夫はイクメンと呼ばれ、周囲から褒められる。私だ。妻は妻で育児を頑張ってくれている。しかし妻は「子供の面倒をよく見るママね」と褒められることはない。世の多くのママよりは楽をしていると見られるからだ。これはつらい。
育児の大変さというのは子供のタイプ、物理的な環境、親族のサポートの有無、などの変数によって多様であり、要するに人それぞれ全く異なるのだ。他人と比べるものではない。シングルマザー(ファザー)にはシングルのつらさがあり、私の妻には私の妻なりのつらさがある。
しかし、私の妻には「あなたも大変ね、よくやってるね」と言ってくれる人はいない。なぜなら夫である私が半々程度には育児を負担している姿が周囲の誰の目にも明らかであり、それが今の日本では当たり前な環境とは言えないからだ。ママ友からは「本当にいい旦那さんね、羨ましい」「私の旦那も増田さんくらい子供の面倒見てくれたら」と言われてしまう。私の前だからではなく、妻1人に対してもそう言っている。そんな人を前に「疲れるわー」とか「増田がもっと◯◯してくれたらいいのに」なんて、普通のママ友同士によくある愚痴なんてとても言えないのだ。
困ったことに、妻自身ですら「自分はとても恵まれた環境にあるんだから、育児で疲れたなんて言えない、世間の人に比べたら自分はラクをしているんだ」と思っており、自分で自分を追い詰めてしまっている。さらには、妻の両親までもが「増田のようなよくやってくれる夫で妻は幸せものだ」と言う。何度も言う。ほとほと追い詰められた妻は時折、妻が抱えるつらさや孤独を私に泣きながら吐露する。しかし、本当に聞いてもらいたい事は私一人では受け止めきれないはずだ。
私がいわゆるイクメンであるがゆえに、結果的に妻をますます孤立させてしまっている。
私は普通に妻と一緒に子育てをし、苦も楽も共有して生きていきたい。そうして妻と末永いパートナー関係を築きたい。
しかし私が少しでも妻の負担を減らそうと頑張れば頑張るほど、妻を追い詰めてしまう。
私はいったいどうすれば良いのだ。
イクメンなんてクソくらえ
人間の傍にいて頼れるパートナー。その資質を見ても歴史を見ても、犬がナンバーワン(しゃれではない)であることは間違いない。
人類と犬の歴史は古く、猫では逆立ちしてもかなわない。そしてもちろん猫は逆立ちをしない。
そんな犬とのコミュニケーションが、猫「よりも」深いかは置いておくとしても、少なくとも相当程度に複雑であることも、これまた否定しない。人間は犬と共同で、野山で、森林で、河川で、海浜で様々な行動をとってきた。生き抜くために必要な、さまざまなミッションを共にこなしてきたのだ。歴史の中で、犬は人間にとって欠かせないパートナーであり、コミュニケーションの相手であった。そのことに全面的に同意する。だが、そのことは、こと今回の話題においては、明白に二、三のディスアドバンテージとならざるを得ない。それについて説明しよう。
(1)「他者」性の弱さ
犬は人間にとっていつも欠かせぬパートナーであったが、それは、犬が群れを作って生きるという性質を利用したものであった。そして、犬は群れの秩序を上下によって保つ。そのため、人間とのパートナーシップにおいても、犬はそれを「上下関係」として捉えるのである。結果、そこに現れるのは、「命令をする/実行する」とか「叱る/従う」のような、「一定のルールにしたがった意味交換」的コミュニケーションである。特に、中型犬以上のサイズになると必須になる「躾」の実施は、この関係性を加速させる。
これに対して、対人間、対猫のような独立性の高い生き物相手のコミュニケーションにおいては、「命令をした/(しかし)/無視された」とか「叱る/(なぜか)/遊ぶ」のような、コミュニケーションの非対称性が露わになる。必然的に、「相手の行動の意図を推測する」といった、より複雑な思考が求められることになるのだ。これは、犬とのコミュニケーションでは身に付けづらい能力である。コミュニケーションの経験値を上げるためには、やはり猫の方が優れている。
(2)犬の本能を満たすために
犬は探知し、索敵し、探索し、追跡して獲物をしとめるハンターである。これは野外生活に適した性格であり、人間が狩猟採集時代から重宝した、犬のパートナーとしての資質である。その本能を満たすために、散歩などの運動が欠かせない。だがこれは、現代の都会生活、そして、他者とのコミュニケーションに課題を抱える人には、残念ながらあまり適した資質とは言えない。犬と適切にコミュニケーションをとるためには、ただ同居するだけでは不十分なのである。
猫にももちろん運動は必要だ。だが、それは室内で対応できるものだ。木の上に潜み、待ち伏せし、忍び寄って相手をしとめるハンターである猫の方が、現代の都会生活におけるパートナーとしては優れている。
そもそもの到達点を思い出そう。「彼女ができなくて辛い」である。では、もし彼女ができたら、犬はどうするのだ? 「かけがえないパートナー」となってしまった犬は?
できれば一日複数回の散歩に同行し、密な信頼関係とコミュニケーションと何より「共に過ごす時間」を求める存在が犬である。これと彼女を共存させるのはなかなか難しい。彼女が大変犬好きであることを前提としても、おそらく中、大型犬となれば、時間配分において、彼女か犬かを迫られることが大変多くなると想像される。想像してみてほしい。一度や二度ならともなく、彼の家に遊びにいったら毎回犬の散歩に付き合わされる状況を! 彼女との関係を壊さずに犬を飼うことができるのは、彼女とのパートナーシップが進行して首尾よく結婚し、田舎に一軒家を買って子供が生まれてすくすく育ち始めて、そのあと、くらいになるだろう。
対して猫だ。猫はいい。猫は犬ほど時間を奪わないため、大きなトラブルがなければ彼女との共存も不可能ではない。それだけでなく、部屋に猫がいるだけで彼女は(猫好きであろう)部屋に来て、そして、こちらが苦手な会話をしなくても、とりあえず猫と遊んで時間をつぶしてくれる。こちらは猫と彼女を眺めてにこやかに写真を撮ったりしていればそれでいい。楽だ。付き合い始めのきまずい時間も、猫がいるだけで大幅に解消できるため、彼女との末永いパートナーシップを良好にしてくれるだろう。猫は自立し、待機する。猫は、犬ほど人間とのパートナーシップが密でない。だからこそ、彼女ができてからも、猫は共にいられるパートナーなのだ。
(4)最期に…
これは完全に偏見の域だが、彼女に犬をひけらかす男は、どうも男性ホルモン多めのオラついた方々が多い気がする。中、大型犬は原則飼い主にしか心を寄せないので、彼女に対しては警戒心を露わにすることが多い。そういう犬を「おとなしいんだよー」とか笑いながら見せつけ、彼女が内心少し恐怖を覚えてひきつった笑顔を見せたりするのを見てニヤついているような印象がある。どうもDV男臭い。一方、猫好きにはそういう男はいない。そもそも猫自体が、飼い主であるとないとに関わらず勝手に他人を評価するところがあるので、犬をひけらかすように猫をひけらかすのは難しいし、そういうことをしたい人はそもそも猫を飼わない。もちろん、犬好きが全てDV男というわけではない。だがDV男は猫を飼わないというのは声を大にして言いたい。世間にはDV男好きの病んだ女性もいるが、そういう人にモテたいのならともかく、健全な精神をもった一般的な女性を安心させたいのなら、無難に猫をおすすめしておきたい理由の一つがこれである。
いかがだろうか。犬の、人間のパートナーとして「最善」である理由のそれぞれが、今回の場合はむしろディスアドバンテージになってしまうということが、これで犬派のあなたにも理解されたことと思う。彼に勧めるパートナーとしては、やはり猫しかない。猫しかないのだ。
「君が代」については,1937(昭和12)年の国定教科書である「尋常小学校修身書・巻4」において 「 君が代』の歌は 『我が天皇陛下のお治めになる此の御代は,千年も万年も,いや,いつまでもいつまでも続いてお栄えになるように 』と 。 いふ意味で,まことにおめでたい歌であります。私たち臣民が『君が代』を歌ふときには,天皇陛下の万歳を祝ひ奉り,皇室の御栄を祈り奉る心で一っぱいになります 」と 。
説かれていた。
また,同教科書の「教師用」では,その目的を 「国歌『君が代』の趣旨を教へて,尊皇愛国の精神を養はせるのを,本課の目的とする 」。
としていた。
『現代では違うんですー!!』
はぁ、バカですか?
政府は 「君が代」に関し,1999(平成11)年6月11日の国旗・国歌法案の閣議決定において 「君が代」の「君」とは 「日本国及び ,日本国民統合の象徴である天皇」を意味するとの統一見解を示し さらに「終戦後,日本国憲法が制定され,天皇の地位も戦前とは変わったことから,日本国憲法下においては,国歌『君が代』の『君』は日本国及び日本国民統合の象徴であり,その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており 『君が代』は,日本国民の総意に基づき,天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり 『君が代』の歌詞も,そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当であると考えている」旨の見解を明らかにしている(1999(平成11 年7月21日衆議院内閣委員会 ) ) における小渕内閣総理大臣答弁 。
都合のいい君が代はみんなの歌って幻想を信じてるおバカさんは富裕層に搾取されまくっても「俺は体制側だぜ、勝ち組だぜ」って妄想してればいいけど、他人にバラまくな。
https://anond.hatelabo.jp/20191009223759
台風19合接近で今日から三日は選挙活動は休み。立花はいくつかの動画を上げるのみ。声は大分マシだがまだ枯れている。
金曜日の党の定例会見は上杉と浜田のみで立花は不在。上杉の仕切りはうまかった。
増田一推しのN国候補、愛知県春日井市の末永ゆかりが昨日の上田第一声解説動画を上げてたので興味のない人は見るといい。育休中の末永さんらしく途中で赤ちゃんの声も入ってます。
あとは10/8の出馬声明のメイキング動画が上がってた。会議が生々しく面白い。会社員の感想としては塩田君はもう少しファシリ能力を磨いた方がいいかなと。頑張っているのはわかるのでもったいない。