はてなキーワード: 国益とは
でも実際に日本の学術機関に愛想を尽かして(と言うとまた反感かいそうだけど)海外の大学に行ってそこで成果を挙げた学者はたくさんいるし
スケートの世界では代表になるために国籍を変更することだって全然珍しくない
そもそも論としてどうして国籍があるのかということから突き詰めれば「戦争になったときにどの国の兵士になるか=どの国の国益を守る立場になるか」ということが出発点なので、それを軽々しく変えるというのは抵抗感があっても仕方がないこととは思う。
でも日本純血種(そんな人がいればだけど)でなければ日本人として認めたくない、応援もしたくないという考えはグローバリズム以前のレイシスト思想になる。
白人と黒人のミックスでイスラム教スンニ派だけど日本語ペラペラで日本在住で国籍も取得したという人が日本人として排外される世の中の方が「正しい世の中」であるかはまあ、個人の気持ちなのかなあ。
例えばこのブコメ欄
http://b.hatena.ne.jp/entry/buzzap.jp/news/20180323-trump-beats-abe/
まあ言ってることはわかる。正しい
あれだけ色々譲歩して(しっぽを振ってと表現してもいい)、関税対象から逃れるどころか名指しで批判されて関税もかけられてるんだから、日本の外交的敗北と言っていいだろう。そこは批判されてしかるべきだ。異論はない
ただなんでそんなに嬉しそうなんだよと苛立ちを覚える
日本という大きなチームの一員であるなら本来怒ったりするところだと思うので、多分彼らにはそういう意識がないのだと思う
俺は自分が日本の一員だと思っているから、国益が損なわれるとか聞くと不安になるし、もっとうまいことやれよと怒りもわいてくる
はてサにはそういうところはないので、日本にダメなところとかみっともないところがあれば指さして笑う
上のブコメ欄を読んで俺が感じたむかつきは、たぶんそういう帰属意識の差から来るのだろう
つまり、今の俺はBクラス落ちをからかわれた巨人ファンのようなもので、不快になったのは純粋に感情的な問題であり、それをもってしてはてサが間違っていると判断することは大きな誤りである
https://stat.ameba.jp/user_images/20151203/08/akaike-masaaki/ea/a3/j/o0585083513501024250.jpg
皆さん、このポスターを見て感じることはありませんか。
私は、このポスターを見て、思わず仰け反りそうになりました。同省政務官時代に、国家公務員として、
それも国家の継続を担う文科行政を担う矜持を持て。国際社会とは国家間の国益を巡る戦いの場であり、
地球市民、世界市民のコスモポリタンでは通用しないと機会あるごとに言ってきたのに・・・
文科省の担当課に確認しました。ちびまる子ちゃんが言う分には目くじら立てる程のことはないと思ったのですが、
東宝株式会社からいくつかのキャッチフレーズの提案があり、わざわざこれを文科省の担当課が選んだとか・・・
たかがキャッチフレーズ。されどキャッチフレーズ。一事が万事で、言葉に思想が表出するものです。
国家意識なき教育行政を執行させられたら、日本という国家はなくなってしまいます。
https://gamp.ameblo.jp/akaike-masaaki/entry-12102179497.html
318 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (スップ Sd2a-yK+0) :2018/03/12(月) 21:41:11.07 ID:aCLEYqpYd
籠池(森友学園理事長)「うちの幼稚園では園児に『安倍総理ガンバレ』と総理を応援する台詞を覚えさせてますよ」
籠池「新たに小学校も作りたいんですが昭恵さんが名誉校長になってくれませんか?あと小学校作るための土地がなかなか買えないんですが国有地(国の財産)って安くならないですかね」
昭恵「もちろんです!私が名誉校長になりましょう!土地については財務省に私の名前出して交渉してみてください」
↓
籠池「国有地割引してや」
財務省「いやダメでしょ。今は税金の無駄遣いとか厳しいからさ。そんなの無理に決まってんじゃん」
財務省「ファッ!?そういうことなら大特価8億円引きでお譲りします!!」
籠池「サンキュー」
↓
朝日新聞「スクープだぞ。財務省が安倍総理夫妻のお友達に国有地を8億円引きでプレゼントしてたぞ。安倍総理は日本の国益を損なう売国奴の反日野郎だぞ」
安倍晋三(総理大臣)「朝日らしい捏造報道ですね。全部籠池とかいう人が勝手にやったこと。私も妻も無関係。もし関係していたら辞職しますよ」
↓
財務省「ファッ!?がっつり8億円割引決めた資料に安倍夫妻の名前載ってるんですがそれは…」
↓
朝日新聞「資料が改竄されてるぞ。具体的にはこことここが変わってるぞ。俺たちは本物の資料のコピーを持ってるから分かるぞ。早く白状したほうが身のためだぞ」
財務省「ヒエッ改竄箇所全部的中させてるやんけ…これもう確実に朝日に証拠掴まれてるやん…」
財務省担当者「もうワイは犯罪に加担させられるのはコリゴリンゴ…」ジサツー
↓
財務省「すみません。本当は朝日新聞の言うとおりです。資料を改竄して安倍夫妻や麻生財務大臣に関する記述を削除してました」
その他の省庁「実は財務省が資料改竄してたの知ってたけど安倍総理のために黙認してました」
安倍晋三「まさか私の知らないところで財務省がこんなことをしていたとは……。これは国家の信頼を揺るがせる大犯罪です!私が必ず全容を明らかにして関与した人物にしかるべき処分をいたします!」
出典
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL2J3S09L2JUTIL011.html
こういうニュースをみててふと思い出したのがタイトルの川柳?狂歌ともいうのかな。
彼がシロかクロかってのは一旦置いといて、汚職は無い方がいいんだけど、汚職があるけど国益が最大値になってる状態と、汚職は無いけど国益が損なわれている状態だとどちらがいいのだろうかと思うとやっぱり前者でいいような気がしてきた。
汚職しないけど無能な政治家ばかりになると国益が損なわれると思うの。
考えが浅いと言われるかもしれないけど、最近の報道を見てるとそう思うようになってきた。
政治家一人一人の汚職なんてせいぜい数億とかのお金で、それを叩くことで将来の何兆円を失うのは勿体無いんじゃ無いかと。
まぁろくに調べもしていないのでただの放言。
汚職があって国益が損なわれてる場合は考えるまでもなくNGだと思うので敢えて書きませんでした。
あと流石にお役人と国会議員の違いはわかるのだけど、僕は高級官僚は国の政治の中枢にも関わるし、議員への転身も少なく無いので広義では政治家だと思っています。
なのでひっくるめて政治家と書いていました。
あと国益ってのもよくわかんないので、公共の利益とした方が良かったのかも。
悪いのは僕の書き方でした。ごめんなさい。
コメントくださった皆さんありがとうございます。
てかさ、頭の悪い自称「普通の日本人」たちは何にそんなに怯えてるの?
だってさ、仮にも味方の味方、対中ロの肉壁なんだよ?経済的にもおいしいおやつだよ?なんで大切にしないの?
あとさ、頭の悪い自称「憂国の士」気取りは何でそんなに無謀なの?
日本は首都だけじゃなくて国内いたるところに世界最強の軍隊がいるんだよ?
沖縄に核が配備されていたことは事実だし、米軍基地関連で不安な気持ちは理解できるんだけど、
地位協定見直しとか米軍撤退wとかさ、東京ドーム5000兆個分のお花畑じゃねえかよ。
じゃあ自前の9条縛りの軍隊で国益を守る外交を担保できるとでも思ってんの?
一升瓶持って話し合いに行くとか言ってたハナタレもいたっけね。
アメリカとの軍事同盟がなければ、日本の富は今以上に周辺国に吸い上げられまくられるよ?
日本が貶められるような言論に腹立つ気持ち、分かる気はするけどさね、
科学技術にリソースをぶっこんで、世界から資源をかっぱらい、工業力を上げて軍事力を固める。
その先?世界の警察でも気取ってりゃいいんだよ。
クソみたいな気分で他国に悪態つく前にできることあんじゃんかよ。
エネルギーの自立、食料の自立、何より先にこの二つを達成するべきで、
余計なことにかまってる場合じゃないんだよ、頭冷やしてこい。
一般論で言って、貧困国家はその国力(現代では主に経済力)の格差によって先進国の経済的植民地化労働力工場になるしかなく、そしてその関係が成立すると逆転はおろか追いつくことは難しい。先進国は海外資産や技術や知財において巨大なアドバンテージを持っていて、また先進国同士がスクラムを組む事によって格差を維持することができる。
だからかつて、中国やインドは核兵器をもってその関係性を打破することを望んだ。毛沢東は「ズボンはかなくても核兵器をもつ」といった。パンツ丸見せは国力以外の意味で文明人失格だと思うけれど、当時は経済的に制裁を受けて困窮してたわけで、それでズボンがなくなっても核兵器優先という意味だった。そして事実、開発して、経済制裁は解除されたし、経済は(いびつだが当時に比べ相対的に)発展した。インドもまた核兵器開発当時はアメリカに経済制裁を受けていたが、開発成功後は制裁解除されて発展した。
この記事は北朝鮮を擁護するものではないのだけれど、世界の歴史的には上記のような前例があって、発展途上国が先進国にキャッチアップをするためのギャンブルとして、核兵器というのは、生存戦略ではアリなのだ。
日本人の多くは「だがしかしその発展って、国民を餓死させてまで求めるものなのか?」って感じると思う。俺も個人として心はそう感じる。しかし、それって日本人特有の傲慢でもあると考えるし、この記事の主張はそこだ。
日本人は多分無意識に「核兵器開発なんかしなくても勤勉に働けば先進国程度なれるでしょう」と考えているのだ。
日本は核兵器落とされて敗戦して、敗戦国になり、いわば貧困国弱体国になった状態から、国民が大奮闘して、経済大国になり、先進国になった。これらすべての要素は研究的にはすべて疑義があるのだけど(復興の原因って国民の大奮闘じゃなくて地政学的な要因とか、国際貿易における役割が原因だよねとか)、少なくとも日本国民の大部分の認識ではそうなっているし、「核兵器がなくても先進国になった事例」という意味では真実そうでもある。
だから日本人は「国民を餓死させてまで……」と思う。やればできると思ってるから。でも、近代史を見ればそれって相当レアケースだ。「(地政条件や技術発展や国際貿易……つまりひっくるめた)巨大な運」に恵まれた結果だと考えるのが正しい。だから日本人が持ってるのはつまりはてブでよく言われるところの「成功者バイアス」なのだ。しかもおそらく、相当に傲慢なバイアスだ。
もちろん、日本の国防から見ても、国民の生命財産といった国益から見ても、北朝鮮の核武装なんて百害あって一利もない。容認すべきではない。でもだからといって、北朝鮮の核武装政策が「常軌を逸した愚かさの発露」だとするのは間違ってる。生存戦略として評価すれば、他に成功例があって理解可能な戦略だ。「国民を犠牲にしてまで……」という人道的な視点も、過去の日本の決断や、歴史を見れば必ずしも間違ってるとはいえない。長い目で見れば北朝鮮に利する可能性はある。
北朝鮮の核武装は日本にとって不都合、日本の国益に反する、というのは正しいし声に出していくべきだと思う。けれど北朝鮮はおかしい、愚かである、正しくない、というのは無意識バイアスがあるせいだと思える。日本は幸運な成功者なので、その視点で北朝鮮をみている点は自覚すべきだと思う。
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071500/iruka/index.html
5.日本は経済大国であり、鯨やイルカを食べなくても生きていけるはずではないか
奥深い山村では、鯨やイルカ肉、その保存食が貴重なタンパク源とされてきました。
今なお、鯨やイルカの肉が伝統食の重要な一部となっている地域が全国に散在し、
また、その地域の出身者や小学校の給食で食べた思い出のある人々はその味を楽しみ、買い求めています。
このようなことを、他の食べ物があるからという理由だけで、「やめるべき」と言えるのでしょうか。
大量に流通、販売されているものではありませんが、現に今でも需要はあります。
6.イルカ漁は、日本のイメージを下げ、国益を損なうのではないか
各国の食文化や食習慣は、その地域の気候、地理的条件、歴史や宗教など、数々の要因により形成されるものであり、
相互尊重の精神が必要とされています。例えば、宗教の中には、厳しい戒律により禁止されている食べものがあります。
7.イルカは知的で親しみある動物なのに、どうして日本では食べるのか
人は皆、生きるために生き物の命を奪っています。
西洋の国々では牧畜が盛んであり、大切にかわいがって育てた家畜をと殺して、食料としています。
日本では、食事をするときに、自分たちが生きるために捧げられた命に対して、
感謝の心を表すために『いただきます』と言って手を合わせます。イルカだけでなく、牛や豚などの家畜にも感情や知性があり、
しかし、肉を食べるために、我々はこれらの動物を殺さなければなりません。
この5,6,7が一番ひっかかる。
昔から頭脳流出によって、優秀な学生ほど海外に出ていったりしていたけど、それが加速するだけだよね。
結局、その英語教育の結果、今の日本に残って働きたいって人間は味噌っカスばかりで全然国益のためにならないと思うんだけど。
いや、日本がどんどん成長していって、あらゆる分野で先端を突っ走っていて給料水準も他国と比べて高く、普通に60歳で定年後、十分な年金受給みたいな老後の心配なく生活できるような社会だったらその英語力を日本企業のために使おうってことになると思う。
政治家が長きにわたって馬鹿な政策をし続けたおかげで、世界一の超高齢社会ができあがり(逆にこんな悲惨なことで世界一になるってすごい)、負担ばかりが増え、増税しか脳のない政治家が行う政策は増税増税、
増税だけじゃない。将来の保証も削りに削る。年金なんてもう75歳から発給開始することを議論し始めている。今の自民を支持する若者なんてどれだけ将来が絶望的かわかってるのかな?
高齢化だけでも悲惨なのに、子育てしにくい社会を作り少子化が加速することになったが、少子化対策はとことん無視し続けて、政治家は今のこの悲惨な日本社会を意図的に作ったわけだけど、国民も馬鹿でそんな目先の経済政策を望んで支持したんだから自業自得か。
この超老人社会を資源国でもない日本がどう立ち回るつもりなのか見ものだが、政治家にまともな思考があれば高齢化を止めようとするけど、今なお超過剰医療で介護老人を大量量産。病院は病気でもないジジババ集めてお薬大量投与。
あとわずか23年後の2040年には老人だらけで若者がおらず、国際競争力はゼロに近いだろうし、内需も老人だけじゃ何も生み出さないだろう。
現時点で、あらゆる業界が新興国に抜かれ、これからさらに伸びていくIT業界なんて超後進国。ビジネスはビジネスで欧米で流行ったビジネスのコピー。まあ今に始まったことではないが。
うちの娘も「日本ヤバイ」をよく口にするのだが、12歳のガキとは思えんほどの危機感を持っている。
日本国内で子供の未来が本当に見えない。日本の未来も見えないけど。
だから自分は、英語教育は政治家の俺たち日本を内部から回復不能なまでに破壊するから、助かりたかったら脱出しろってメッセージとして受け取っている。
https://newspicks.com/news/2496066/body/
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/10/post-8667.php
中国崩壊について書かれた本がたくさんあるのに実際には崩壊しないし、しそうにもない。
【ネットウヨ】、【保守、右派】、【嫌中】が好みそうな情報ばかりを書き、冷静に分析しよう
そのうえ、
・現地取材なし。
このようなものが非常に多いのです。
外れるのも当然ともいえる。石平さんに関しても中国を出てから長い人です。
私の主張は以下に尽きる。
その結果、経済と軍事を別に考えて対応策を考えるなどいろいろな方法が考えられるだろう。
中国は大国となったが、独裁国家であり「自国民をも戦車でひき殺し」、「生きた人の内臓を売買」する。
アメリカのように議員団や専門家同士が話し合いをできる風土でも、政治制度でもないのだ。
日本は、右も左も国際的視点で議論するのが欠けており、国際的視点の中での国益追求というのが欠けているのが最大の問題である。
香港や台湾の本は、中国語で書かれてる。しかし、言論の統制がある中国国内と違い香港と台湾では民主活動家のまとめた本や中国で拷問を受けた人権活動家、 習近平の生い立ちや権力を手に入れるまでなどが事細かに書かれた本が存在する。
同じ中国語を使い、間近にある彼らは常に中国共産党に危機感を感じて暮らしているのである。
一部の本を紹介していこう。
いずれも日本では翻訳して、販売されていないので翻訳して販売してほしいものだ。
http://www.books.com.tw/products/0010748326
大逃港
http://www.books.com.tw/products/0010499730
いずれも、香港の民主化運動の雨傘運動や、香港人意識の高まりによる独立運動につながった背景を書いたものだ。
香港と中国の矛盾が大きくなっている現在では分析に役に立つだろう。
http://www.books.com.tw/products/0010713861
關於中國的70個問題
http://www.books.com.tw/products/0010686037
王丹.獄中回憶錄
民主活動家でノーベル賞を取り、先日亡くなった劉曉波氏の書いた本が前者。
天安門事件の学生リーダーの王丹氏が書いた本が、後者2冊である。
特に面白いのが「統一就是奴役:劉曉波論臺灣、香港及西藏」の本で、
これは【台湾、香港、チベット】の大中華統一と【中国民主化、人権】は両立できないと斬新に
指摘し、独立を認めよ。
と書いた本だ。
日本の右派のように中国をシナと呼び馬鹿にすることでもなく、左派のように中国へ媚びることでもない。
重要なことは【敵を知り、己を知れば百戦危うからず】と中国をよく知ることである。
そして、台湾と香港の言論に日本の意見や議論が食い込むことは日本の主張が一部でも中国語で広がり、とても意義のあることでもある。
最近、北朝鮮の脅威に備えるために憲法9条を変えろという意見をよく見聞きするんですが
実際変えたところでどんな意味があるんでしょうか…?
仮に今自衛隊が無かったとして、「9条があると自衛隊を作れなくて日本を守れないから、9条を変えて自衛隊を作ろう」というならわかりますが
現実には自衛隊は存在するわけで、9条を変えたところで現状は何も変わらないのでは…?
そもそも現行憲法でも個別的自衛権は否定されていないはずなので、北朝鮮のミサイルを撃ち落とすことは今の憲法のままでもできるわけですし
学校で9条を習う時、「政府は、自衛隊は『必要最低限度の実力』であり、憲法違反ではないとしている」と教わりました
それともいままでの日本政府の見解のほうが間違っていたということですか?
「違憲っていう人もたまにいるけど、政府が戦力ではないから合憲だって言ってるし、自衛隊をなくすわけにもいかないからいいんじゃない?」
という感じの認識の人が、現在使われている教科書で勉強した人には多いと思います
憲法は、時代の流れに合わせて問題があったらどんどん変えていいものだと思います
例えば同性婚は憲法違反だからできないという話を聞いたことがありますが、実際に同性婚したくてもできない人が困っているのなら、
しかし9条を変えても現状何も変わらないので、変えるメリットがわかりません
逆にデメリットとしては、北朝鮮に「日本が戦争しようとしている」と思わせてしまい、北朝鮮が軍拡を正当化するための言い訳として利用することが予想されます
そもそも自衛隊はアメリカ軍などに比べたらはるかに規模が小さく、しかも日本は北朝鮮の脅威の最前線に位置しているのだから、
どこか遠い国の戦争に首を突っ込んでしまったら国内の守りが手薄になり、本当に日本が攻めてこられたとき守れないと思います
9条を残すと、自衛隊の海外への大規模な派遣を求められたときに断る口実として、日本の国益のために利用出来るというメリットがあると思います
9条変更反対だとネットで書き込むと「反日だ」などと言われてしまうのですが、
むしろ自分は日本を愛しているがゆえに、実際に日本が攻められたときにどうしたら守れるかを真剣に考えた結果、
9条変更は日本を守ることにはならないのではないかと思いました
もちろん、自分は憲法を絶対に変えてはいけないなどとは思っていません
今後もっと詳しく勉強していく中で、もし仮に変えるメリットがデメリットを上回っていると思うようになったとしたら、自分は9条変更賛成派に回るだろうと思います
2ちゃんねるや普通のまとめサイトはネトウヨに独占されていて、
ちょっとでも彼らと違う意見を書き込むと見るに堪えないような汚い言葉で罵倒されてしまいまともに話が通じないので、
保守主義が「家族」の価値を重視するとか、国家主義が人口を維持したがるのは分かるんだけど、リベラルが子育て支援を訴えている理由が分からない。
子供を生むかどうかが個人の自由なのだとすれば、社会はいっさい手助けするべきではない。
人がふつうの趣味や遊び方をするとき、社会はその自由を保障するけど、手助けをしてあげないことと同じだ。なぜ子育てだけは特別扱いなのか?
例えば「東京に保育園を増やすべき」というのも、意味が分からない。
東京でマイカーを所有したければ、相当な高収入が必要になるわけだが、それが負担できない人はマイカーをあきらめる。もしくは、マイカーを持ちやすい地方に引っ越すのが妥当だ。
女が子供をほしがるときもそれと同じで、自分か夫が多額の金を支払ってベビーシッターを雇うか、保育園の充実した地方にひっこせばいい。
もちろん、「マイカーを所有することより子育てする方がすばらしい。社会がそれを支援するのは当然だ」という意見もあるだろうが、それは保守主義や国家主義の考え方である。
リベラルによると、物事のすばらしさを決めるのは伝統・国益ではなく、人それぞれに異なる個人の価値観だ。そこには多様性があるのだから、政府が一律に優遇・冷遇してはならないはずである。
もし「子育て支援」に何らかの正当性があるとすれば、子供の人権ということになるけれども、それも根拠としては弱い。
育児能力がない者が子供を産んだ場合、児童養護施設にあずけるのと同様に、経済力がない者もそうするべきだ。
子供が生まれてきてしまった以上、その人権は守られなければならないが、「家族がそろって暮らすのが幸せだ」という価値観は保守主義に過ぎる。わざわざ親の手元で育てなくても、児童養護施設を充実させて、子供はそこでしっかり育てればいい。
現状の「子育て支援」は子供を支援することではなく、文字通り、子育てする親を支援するという方式を取っている。それは家族の形成・維持を助ける政策なのである。
ここで極端な事例をだすと、「キモくて金のないおっさん」問題があるだろう。
リベラルはキモくて金のないおっさんに対し、妻子を持つために自助努力するか、諦念して孤独に生きることをすすめる。べつにそれはそれでよいのだが、その場合、子育て中の親を支援することにも根拠がなくなってしまうのではないか?
https://anond.hatelabo.jp/20171021145831
追記
当然ながら我々の現実世界には、純粋なリベラル思想の持ち主はごく少数で、いくらか保守主義や国家主義の要素を取り入れている。
その意味では矛盾はないし、中途半端なポジションになってしまうのはやむをえない。
明日は期日前投票日になる。急な解散総選挙が行われることになって、誰もが戸惑い思い悩んでいることだと思う。次の選挙ではどこに投票すべきだろうか。現状維持の自民か?それとも希望か?結果的にリベラル結集となった立憲民主か?それとも共産か?
しかし我々が投票するべきはそのどれでもない。我々は支持政党なしに投票し、現状の民主主義を次の段階に進めるべきだ。
今まで我々が行ってきた投票行動はどんなものだろう。選ぶべき政党や政治家がいないだとか、他よりましだとか、各論は反対だけれど総論としては支持せざるを得ないだとか言って、そうして選んできた候補は自らの政治意志とは似ても似つかないようなものばかりだ。リベラルを名乗る某が自民憎しで希望への投票を呼びかける様などその極みだろう。
そうしたずれから逃げ込むように、人々はアメリカのトランプやかつての小泉のような独裁的なポピュリストに自らを同一化させるようになるが、それもすぐに理想と現実のギャップを見せつけられて失望し騙されたと騒ぎ立てる。しかしまた別のポピュリストがやってくれば、同じように信者となって騒ぎ立てる。
そうした独裁的なポピュリズムに対抗するには、よりラディカルなポピュリズムである直接民主制に向かうべきだ。
直接民主制が浸透すれば大衆に迎合するような政治家は存在意義を失っていく。自分達で政策選択をすればいいのだからわざわざそういう人間と付き合う必要がないのだ。
支持政党なしのような部分的な直接民主制のシステムがあれば、政治家は政治家である必要すらない。自動的に国民の選択手続きを代行する公務員のような存在であればいい。
本当の政治家が生き残ろうとするならば、より専門的な知識を身に着け、大衆の政治選択に対して間違いを指摘することが出来るような存在になるしかない。自分よりもこういう専門家に任せたほうがいいと思えるような、そうした政治家だけが生き残るだろう。
現行の政治体制で直接民主制を部分的にだが稼働させる支持政党なしの試みは、今までの選挙でそこそこの得票を得たけれども、評価は未だ低いものだ。
しかし今後百年を考えれば、この仕組が部分的に導入し代議制民主主義を次の段階へと進めるべきだと思う。代議制民主制が本当の意味での民主主義でないことはわざわざルソーを持ってこずとも、現状の政治状況を見ればわかることだ。
我々は投票用紙に書き込む時だけ政治参加しているような顔をして、それが終われば呑気に座って、自分の買った馬券の行方を野次を飛ばしながらただ眺めているだけだ。馬が転べば馬肉にして次の馬を用意して、何故転んだかもどうすれば転ばないかの判断も競馬新聞に任せてしまう。
どれだけ失政を重ねてもそれは政治家の責任で自らの判断の問題ではないという。この時我々は政策を決定する権利だけでなく、政治判断した後の責任までも政治家に奪われているのだ。かつての戦争を軍部や政治家や知識人達のせいにしたように、我々はどれだけ大きな失政を犯しても責任を感じることが出来ない。責任を感じなければ、どんなに失敗をしたとしても学ぶことはなく、また同じことを繰り返すだろう。
本来政治は、例え間違った、国益に反するような選択だったとしても、あくまで自分の意志によって選び取り、その失敗を自分の失敗として受け入れなければならないのだ。
人々はこの失敗を恐れる。自らの経験不足によって取り返しのつかない失政を犯すのではないかと考えるのだ。しかしその経験の蓄積という意味で今の支持政党なしの状況は悪くないものだと思う。
票数を徐々に伸ばしているとはいえ支持政党なしは精々一議席取れるか取れないだろうなという状況で、この状況はまだ暫くかかるだろう。
一議席でも取ったとすれば、国民の直接的な政策選択が国会上に現れるということで、議員に対するプレッシャーは強くなるだろうが、それも間接的なもので、国会への影響力はそれほど大きくはない。
結果として部分的な直接民主制の浸透は漸進的に進行するだろう。
だが逆に言えば国民は、まだ影響力の少ないうちからこのシステム上で自らの選択を試行する機会を持つということだ。
自分の選択が即座に取り返しのつかない失敗に終わることはない。
しかし自分の政策選択が確実に国会上に現れる状況が続けば、自分の選択の意味を考え、自らの責任の重さを知り、間違いがないか積極的に学んでいくだろう。
やがてその動きは大きなものとなっていき、結果としてこの国を変えていくことになる。その時がこの国に本当の民主主義の訪れる日だ。
ただ唯一欠点があるとすればこの支持政党なしがすごくうさんくさい団体で、そのイメージは前回の選挙から全く変わっていないということだ。変えようとした努力も見えない。
支持政党なしはこれから国民の信頼を得るためにあらゆる努力をするべきなのだ。出来る限り情報を透明化して、例えば交付金とかどう運用されるのかとか。なんでもいいから少しはイメージよくしてほしい。
まあ最終的にこいつらはどうしようもないということで彼らが降ろされたとしても、とにかく政治家たちに「直接民主制には票田がある」ということを示さなければならない。そうすれば他にも手をあげるところは出てくるだろう。
大事なのは一議席だけでもわりこませて、国会上に直接民主主義のシステムを立ち上げることなのだ。そうすれば今後百年の政治風景は大きく変わってくる。その日がやってくるまで、我々の投票先は直接民主主義を志向する党だけだ。