はてなキーワード: 半信半疑とは
発売したの1年ぐらい前な気がするけど買って本当に良かった。爆速。起動も反応もめちゃめちゃ早い。今まで使ってきた中で最高のノート。
そんなに風強いの?って使う前は半信半疑だったけど、使って感動。髪の毛乾かすのにかかる時間が半分程度になった気がする。
夏場は今まで髪の毛乾かす度にお風呂上がりに汗だくになっていたけど、これは爆風(冷風)で乾かせる。すべてのアタッチメントを外してからが本領発揮。
このために会社一週間休んだ。最高だった。
こっちもかなり今更だけど勧められて買ったらどハマリした。SWITCH を充電なしでプレイすると2,3時間ぐらいしか保たないからそこだけどうにかならないかな…。
10年ぐらいは気にしていた鼻やその周りのザラザラが一発で解決した。ただただもっと早く知りたかった。他の酵素洗顔パウダーでは全然こんなにきれいにならなかった。
先日、とあるバンドのライブに行ってきた。
ライブハウスでのライブに参加したのは今回で3度目で、3度目にしてようやく「音楽」を聴けたような気がした。
それはある「対策」をしたからなのだが、その対策が効果ありだとわかったことで、じゃあ逆にその対策をしてない他の大多数の人たちはどうなんだ?と気になった。
自分が最初にライブハウスでライブを見たのは2年前のこと。
それまではバンドのライブなんてほとんど行ったことがなかった。
でかいスタジアムでのライブに一度行ったことがあるくらい。
たまたま好きなバンドが地元に近いライブハウスでやるってことで、チケットを申し込んで、抽選に当たった。
わくわくしてライブに出かけたものの、正直に言って、そのライブは全く楽しめなかった。
何より音がでかい。耳がビリビリする。そのバンドはギターボーカル・ギター・ベース・ドラムの4人組なのだが、とにかく音が「ぐおおおん」と轟音のように響くので、それぞれの楽器の音が全く聴き分けられない。
ドラムはまだ分かるが、ギターは、リードギターとリズムギターの2つが鳴っているなんてわからないくらいただうるさく響いている。
ボーカルも埋もれて何言ってるのか聴き取れない。
正直に言って、「騒音」としか思えなかった。
でも、周りを見ると、みんなノリノリで楽しそうで、終わった後も、高揚した様子で感想をしゃべっていた。
後でいろいろ調べたが、そのバンドも、ライブハウスも、特に音量がでかいことで有名というわけでもなかった。
せっかく好きなバンドのライブに行ったのに、モヤモヤした感情だけが残って、悔しかった。
2回目にライブハウスに行ったのは、それとは別のバンド。
もしかしたらバンドによって違うのかも、とか、前回は割と前の方だったから今回は後ろの方で聴いてみたら違うかも、とか考えていた。
何より、好きなバンドのライブが楽しめなかったことが悔しかったので、楽しみたい!という気持ちが先行していた。
結果は、だめだった。
後ろの方で見ても、一つの轟音のように聴こえてしまうのは変わらなかった。
その後、ライブ用の耳栓というものの存在を知った。
普通の耳栓とは違い、少し隙間が空いていて、耳に入ってくる音を防ぐのではなく、ボリュームを下げてくれるというものだ。
これなら大丈夫かも、と思ってすぐに購入した。
そして、最初に行ったバンドがまたツアーで地元の近くに来るということで、リベンジのつもりで行ってみることにした。
始まる前に周りを見渡したが、耳栓を用意している人は見当たらなかった。
ちょっと着けるのが恥ずかしいのと、半信半疑というのもあって、まずは耳の奥までねじ込まずに浅めに着けてみることにした。
浅めでも効果はあって、まず耳がビリビリすることがなくなった。
それでも、楽器の聴き分けはちょっと難しかった。
自分がいたのは右やや前方で、リードギターは向かって左側の立ち位置だったので、リードギターの音はリズムギターの音に埋もれてほとんど聴こえなかった。
そのバンドは印象的なギターリフやギターソロが魅力でもあったので、かなり残念な気持ちになった。
そこで、耳栓を耳の奥まで思い切ってねじ込んでみた。完全に耳栓の小さな隙間からしか音が入ってこないような形だ。
すると、音ががらりと変わった。
残響音を完全にシャットアウトしてくれるからか、音がタイトになった。代わりに音場というか、音の広がりはなくなった。
ヘッドホンでいえば密閉型のような音になった。
ドラムの音は耳に突き刺さるように響くことはなくなり、重厚な音になった。2つのギターの音もはっきりと聴き取れ、ボーカルも浮き出てきた。もちろんベースも。
ライブDVDやライブCDで聴くような音に近くなったように感じられ、やっと「本当はこういう音楽が鳴っていたんだな」と感じることができた。
3度目にして、ようやくライブハウスでのライブというものを楽しめた気がした。
ただし、耳栓という細工をしたことによってだ。
他の大多数は耳栓などせずとも楽しんでいる。
自分の耳がおかしいのか?それともあの轟音こそがライブハウスの音楽なのか?
ライブハウスに来ている人たちには、どのように音楽が聴こえているのだろう。
あの人たちには、自分と違ってちゃんとした音が聴こえているのだろうか。
なんか、すごい唐突に「私生きてもいいんじゃないか?」と思えて、明るい未来を描けて、根拠のない自信に溢れて、涙が止まらない。
運動をしたからか、甥(5歳)と二人きりで過ごさせられたことが思いの外楽しかったからか、色々理由はあると思うけど、唐突に「なんか、これからの人生なんとかなる気がする!」「楽しい人生を送れる気がする!」という楽観視が出来るようになってる。
今まで「楽しい未来」を想像することがマジで本当にできなくなっていたのだけれど、なんか、漠然と「楽しい未来」が想像できる。帰り道とか、食後とかに「幸せ」を感じている未来が想像できる!すごい!!「幸せな妄想」ができる!感動!!
私、今まで自分のことをうつではないと思っていたのだけれど、冷静に考えてうつに片足突っ込んでいたのでは?と思う。
・「自分は生きてはいけない人間」「自分はダメ人間で悪い子」「どう頑張っても幸せにならない」「幸せになってはいけない」などと無自覚に考えている
・ゆえに肉、甘味、酒などを接種しない(食べるときは罪悪感を感じながら食べる/食べた後に罪悪感に襲われる)
・何か楽しいことがあったあとは「私には楽しい思いをする資格がないのに…」と罪悪感に襲われる。
・やりたいことが見つからない。食べたいものが分からない。正確に言えば私のなかに色々な願望はあるのだけれど、無意識に私にはそうする資格がないと諦めている
・死にたいな、死ぬべきなんじゃないかなと思いつつも死ねないことに絶望している
この辺、全体的にうつの症状では…?
・頑張ることが怖い、しんどい、つらい思いをしたくないと口癖のように言っている→うつは頑張っている人がなるから、頑張っていない私はうつじゃない
という思考回路で自分のうつ思考を全然自覚できていませんでした。上にかいたことも全体的に「今思えばこう考えていた」です。
例えば、母に働けと言われたときに、私は職場で上司に出来が悪いと叱られ、同僚に感じが悪いと白い目で見られる妄想しかすることが出来なくて、そんな思いをするくらいなら絶対に働きたくないと思っていたんだけど、今思えばなんか、そんなことなくない?
人を人として扱えない人もそりゃいるけれど、心の優しい人はそれなりにいるし、仮に嫌な目に遭えば、転職すればよくない?
ーーー
基本的に悲観的な考えが頭を占めている時は、楽観的な思考はどこかに行くし、そもそも自分が悲観的だと自覚できていない。
理想は悲観的な私と楽観的な私が同じくらいの分量で話し合う脳内だろう。
でも、今はなんだかすっごい躁モードな気がするから、はやく落ち着きたい。後でガタがきそう。
おそらく私はゼロヒャク思考が強めなので、鬱モードになったときに「躁モードの時と同じだけ頑張れない私」が許せなくて、いっそなにもしないということをしてしまいがちなのだけれど、「必要最低限頑張れた私」「そこそこ頑張れた私」を認めてあげるところからはじめるべきでは。「100点以外は0点と同じ」という思考ではなく、「60点もとれた私偉い!すごい!」という思考にするべき。あと、躁鬱の概念すごく便利。「今私は鬱モードだから」と全力馬力を出せない自分を許せる。というか「全力馬力は躁モードの私だから、本来の実力ではない」と言い替えた方が私にとってよいかも。私はおそらく躁うつ(双極性障害)ではないのだけれど、そのスペクトラム上にはいると思う。
ーーー
ねえ、もしかして私「頑張らなくても"良い"」んじゃない?頑張っているかどうかで、私の良し悪しとか、変わらなくない?
別に頑張る必要がないわけじゃなくて、頑張ろうが頑張らなかろうが私は私なんじゃない?「私」に頑張るか頑張らないかなんて、関係ないんじゃない?
今はまだ半信半疑で「本当に頑張らない私も私としてしまっていいのか?」と思っているけれど、頑張っている私も私だし、頑張っていない私も私なのでは?頑張っていない私を否定する必要はないんじゃない?むしろ否定していると、先に進めないんじゃない?
そう思えると私は随分生きやすくなるなあと思うのだけれど、どうだろう、本当にそんなことおもっちゃっていいの?大丈夫?後で取り返しのつかないことにならない?取り返しつかなくなったその時に考えればいいのかな。本当に大丈夫?
頑張ろうが頑張らなかろうが私は私だからこそ、思う存分頑張ることができるのよ。
ーーー
優等生であろうがなかろうが、完璧であろうがなかろうが、私は私だからこそ、思う存分優等生を目指せるんだよ。
私、自分のことをたいして頑張れる人ではないし、完璧主義者ではないし、優等生でもないという評価だったのだけれど、自分でそういう評価をするということは、その実自分が誰よりも優等生で完璧で頑張れる人に憧れ、なりたいと思っているということなのでは?そんなものになる必要、なくない!?
人間は失敗する生き物なんだよ。失敗した自分を否定しないで受け入れて。失敗しても成功しても、私は私、どっちでも同じなのよ。で、どっちでも同じなら、成功した方が嬉しいよね。
「頑張らなくても"良い"」の対偶を書くなら「頑張らないは"悪"ではない」でしょ?(厳密には違うけどこの際気にしない)頑張らないことは悪いことじゃないんだよ。頑張らない子は悪い子ではないんだよ。頑張ろうが頑張らなかろうが、みんな等しく「子」なのよ。
私、たぶん頑張ろうが頑張らなかろうが幸せになるわ!そんな気がする!頑張ろうが頑張らなかろうが私の未来はそんな変わらない気がする!
頑張るのと、頑張らないのとで、未来が一緒なのであれば、頑張った方がいい、と思えるメンタルを継続していきたい。なんか、気を抜くと「なら頑張らない方がよくな~い?」とか言いそう。
しかしながら!頑張るかどうかに私の良し悪しは関係ないのだから、「頑張らない」を選択しても、良いのだ!
これで、良いのだ~~~!!!
電話応対で、突然社名をつっかえたり吃るようになったのが2、3年前
なぜそうなってしまったのか、よく分からないけれども誤魔化しながら何とかやってきた。
ところが今年、ゴールデンウィーク明けになったら今度は社名を言おうとしても声が出ない。喉が詰まるような感じで声を出そうとしても例えば「……まっ、ま、ま…」という感じで言葉が出てこない。無理矢理言葉を出そうとすると、「ままままま…」と連続してしまう。これはおかしいと思ってネットで調べたら難発性の吃音と症状が全く同じだった。
それから今の自分の状況と対処法をネットの体験談を読み漁ってみた。症状を和らげることはできるけど完治は難しいらしい、
対処法としては早口にならないようにする、ゆっくり話す、社名の前にワンクッション置くなどなど…色々なテクニックがあるようだったのでとにかく試してみた。その結果、社名を言えなくなることはできたけどやっぱりどもってしまう。声の出し方を思い出せない。心と体が一致しないとか、脳がバグを起こしてるとか、そういう感覚がしっくりくる。
社名が言えればあとはスムーズに話せるけど、最初の第一声がちゃんと出るか不安で電話を取ることもかけることも怖くなってしまった。職場は電話がひっきりなしに鳴るところなので逃げ場が無くかなり追い込まれていたけど、今日やっと上司に相談して周りの人にもカミングアウトして協力もらうという話で落ち着いた。
多分ストレスが原因だと思うけど、(今は)あまり感じていないと思っていたので、半信半疑です。でも、入社してからは慢性胃炎になってしょっちゅうキリキリしてたし、元々体に出やすい体質なのかもしれない。
正直どっちでも良いんだけど、
細かく自分の中で何が原因か!
突き詰めて細かくしていく必要があるのよ。
細かく細かく細かく考えてみたら、
結果、
室内の空調が効かなくてムシムシしていたが原因なのよ!
笑っちゃうでしょ。
解決としては
終業間際、
空調は腹立つので、
なんだ簡単じゃないって
大きなことも細かく深く考えていくって大切よね!
悩んでいた昨日までの自分がアホらしいわっ!
ただ冷やしパスタ食べたくて売り切れになってたのは
こればっかりは私ではどうにもできないから、
こればっかりはねっ!
うふふ!
朝のシャキシャキレタスって新鮮さを感じて
実際はどう新鮮かは半信半疑だけど
新鮮だと信じることが大切よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
顔写真をアップロードすると一致度の高いAV女優をリストアップしてくれるウェブサービスを見つけて、
半信半疑で使ってみたらいきなり見当ての女優が見つかってびっくりした。
まぐれ当たりかもと思って別の女優でもう2回テストしたけど、2回とも正解。
これははかどるわー
たまには「まとまらない考え」を書いてみるのも良いのかも知れない。
イスラエルでは、妊娠も出産も誰もが当たり前に通る人生の過程である。「子どもかキャリアか」という問いの立て方は確かにあるが、とにかく誰もが子どもを育てることの重要性を確信しているので、育児のために仕事に影響が出ても多少は仕方がないという暗黙の前提が社会全体に共有されているのだ。例えば私は、博士課程を修了させるために夫と上の子と共に日本に四年滞在した後イスラエルに戻ってきたとき、妊娠していた。しかし夫は、すぐに大学での就職活動を始めろと言う。大きなお腹を抱えて面接に行って果たして職が見つかるのかと思ったが、夫は「妊娠期間がいずれ終わるのはだれもが知っている自明の事実である。明日から働きたいと言っているわけではないし、今妊娠しているということは仕事を始めてすぐにまた産休を取ることはないとの判断材料になる」と言うのだ。
確かに一理はあるが、半信半疑のままハイファ大学とテルアビブ大学に直接電話をかけて関係する学科の責任者たちとアポイントを取って会った。どこでも出産後いつから働き始められるのかを聞かれ、適当に答えているうちにテルアビブ大学での職が見つかってしまった。また働き始めたら、バギーに乗せて赤ちゃんを大学に連れてきている学生がけっこういる。大学と幼稚園や小学校では休みが微妙に違うので、ベビーシッターの見つからなかった教員が自分の子どもを授業に連れて来ることもある。私もずいぶん連れて行ってクラスの後ろに座らせておいた。
産休は三ヶ月なので、生まれたら早急に預ける所を見つけなければならない。公立や私立の保育園、保育者が自宅で数人の子どもを預かるミシュパハトン、個人のベビーシッターなどがその選択肢である。親も保育者も、とにかく子どもに「温かさ」を感じさせるということをその基本方針としている。「冷たい」とか「乾いている」というのは、イスラエル人にとって徳性とは最も相容れない要素であり、逆に「温かい(直訳は「熱い」)というのは最優先事項である。抱き上げ、頬ずりし、キスをするという身体接触を重視するだけでなく、絶えず話しかけたり歌を歌ったりする。少し大きくなると、分かっていてもいなくても本を読み聞かせる。その一方で、哺乳びんやおしゃぶりからの卒業はそれほど重視されない。日本の保育園でよく聞く「自分のことは自分で」という衣服の着脱等に関する自立教育もあまりない。イスラエルでは四歳になってもおしゃぶりを離せない子も珍しくないが、大人たちは「二〇歳になる頃には大丈夫」と言ってさほど気にしない。確かに日本とイスラエルの二〇歳の若者を見比べた際に、日本の「自立教育」がさほど効果をあげているようにも思えない。
(山森 みか. 「乳と蜜の流れる地」から 非日常の国イスラエルの日常生活 (スマートブックス))
陰謀論ね~、と思わないでもないが、イスラエルはアメリカの黒幕の一つとされている訳だが、トランプも含めた保守も、ハリウッドやシリコンバレーにも多大な影響を持っているからかリベラルも頭が上がらないように見える。
それはともかく、上の文章の前提として、イスラエルはユダヤ人の民族主義の国だ、という点はあると思う。
(ユダヤ人というと、金融やITに強いというリベラル的なイメージもあるが)
それ故に、「産めよ増えよ地に満ちよ」と妊婦や小さな子供を抱えた母親に対して寛容なのだろうと思う。
少なくとも、「女性の権利」の主張の延長上にある、ということではないし、セクハラ問題に厳しい人達も、シングルマザー問題に対しては冷淡だよな、とは思っていたが、「思想的に反対」と考えると色々腑に落ちるものもあった。
「では、(妊婦が肩身の狭い思いをしている)日本でも民族主義を勃興させるか!」という話でも無く、何かうまい落とし所があれば良いね、という話なのだが。
反面教師と言ったら良いのかは不明だが、北朝鮮があれだけしぶといのも、民族主義が根底にあるからだろうし。
ちなみに日本だと、チラッと聞いた感じだと、自衛隊内でも「民族主義派」というのはほとんどいないらしいし、安倍首相にしても、その経済政策が左気味であるように、思想にしても世界基準で考えると左の人だと思う(逆に、日本から不自然なほど「民族主義」の匂いが除去されている、とも言えるし、その結果としての個人主義、個々の分断、同胞意識の希薄化、他人への冷淡さ、みたいなことにも繋がっているのかも知れない)。
ちなみにアメリカでは、「子供を沢山育てることは国への貢献である」という価値観がキリスト教の影響の強い保守の一部では残っているが、白人のマイノリティ化が進む現在、その美徳がどこまで残るかはやや疑問が残る。
イスラエルの場合、周囲の国が全部敵性国家である故にそれが国民の団結に繋がっている部分もあるのだろう。
繰り返すが、別に「民族主義」を推奨している訳ではないし、合わない服を着ても死ぬ確率が上がるだけなので、日本は日本なりのサバイバル方法を見つけ出せればいいのかな、とは思う。
昔はアドレナリン出まくってたゲームとかアイドル見ても心が1ミリも動かない。
でも自分と同世代が未だに熱心に追っかけたりしてるのを見ると俺がおかしいのかと思い始める。
アイドルもソシャゲも散々言い尽くされているが単なる札束の殴り合い。
金持ちなら楽しめるの?と思ったが金持ちがソシャゲに熱中してるところって想像できない。
ネットで聞く石油王とかは半信半疑というか10割は自分の理想像の設定をしゃべってるだけで
金持ちになればソシャゲより面白いこと腐るほどあるからソシャゲにコンテンツとしての勝ち目は無い。
もしソシャゲが金持ちに請求力があるコンテンツならもっと世の中のコンテンツはソシャゲだらけになってる。
ソシャゲ人口は多いようでいて、実際は俺みたいに365日一度もソシャゲしないやつなんていくらでもいるだろう。
えー、とにかく惰性以外で、初期に投資しすぎて今さら引けない、他にやることがない、的な理由以外で、
別にアンチというわけじゃなくて脳機能に違いがあるのかとか、心理的精神的な差異について知りたい。
カッコつけたりせずに匿名だからこそ同じことの繰り返しで札束の殴り合いのソシャゲを10年たっても続ける心境を聞かせて欲しい。
最近ツイッターでADHDの特徴についてのツイートがよくバズっている。そこで挙げられる特徴は不注意が原因のものが多いので、ADHDではない人間にも心当たりがあることが多いのだろう。そして人間は基本的に名前がつくと安心する。ADHDかも、と思うことで失敗したときの罪悪感を和らげているのかもしれない。
このような流れを受けて、当然「ツイートの特徴に該当するからといってADHDとは限らない。単に性格の問題である人も多いはずだ」と言う人が出てくる。この主張は私も支持する。遅刻を繰り返すことをADHDのせいだとかたづけて改善する努力を放棄するようなことはよくないと思うからだ(そもそももし本当にADHDだとしても改善する努力は必要だ。遅刻がなくなることはないにしても回数を減らすことはできる)。
しかし、ADHDの名前に甘えるなという言葉が、私には少しつらい。私はADHDの診断がついている。だから完全に甘えている、とは違う。実際困ることは多く、大学1年目はほぼ授業に出られずGAPは1をかなり下回った。夜寝ることが難しい。気がつくと就寝時間が4時になっている。今もなんとか単位を取ろうとしているが、正直苦しい。
周りを見ればみな夜更かししたり単位を数個落としたりはしているもののきちんと大学生をしている。文句を言いつつ、ギリギリになりつつも課題をこなし、出席日数を確保し、単位を捨てるときは潔い。
私は夜更かしをすれば2限、下手すれば3限も行かないし、課題が複数出ると焦るのに課題のどれもに手がつかず一日中スマホをいじったりする。捨てるも取るもどっちつかずで結局大量に単位を落とす。普通になれない。今年から生活環境が大きく変わって、すこしマシになったかと思いきや4月の頃だけで、またダメになりつつある。もうどうしようもない。
自分でここまで書いて明らかに発達障害だと思うものの、「甘えるな」の声がどうしても怖い。ADHDの特徴を今までの自分の人生に当てはめることが、後出しじゃんけんのようで気持ちが悪い。自分に言い訳を与える作業のようで、後ろめたさを感じる。きっと理由は3つある。
1つ目は診断が簡単についたこと。他のクリニックがどうかはわからないのだが、私の場合ADHDの診断はかなり簡単に出た。医師とすこし話をするだけで診断書を出してもらえた。今も半信半疑だ。
2つ目はそもそもADHDの症状は性格と密接しているということだ。たとえば部屋が汚いとして、性格がずぼらだからなのかADHDだからなのかの判断はかなり難しいと思う。とくに私はADHDが軽度かつ極度の見栄っ張りだからだろうが、普段できないことも本当に必要に差し迫られてしまえばできてしまう。遅刻も、面接や初対面の人間と会うときなど本当にできないときはしない。かなり早く待ち合わせ場所に着く。そういう時、いつもただの性格なのではないかと思う。また、私は学生がうまくできないけれど、アルバイトはある程度できていた(それでも覚えは悪かったしヘマもよくした)から、余計そう思うのだろう。
そして3つ目。これは2つ目の理由に関連する。処方された薬を飲む前と飲みはじめてからの生活にあまり変化がないことだ。薬はコンサータを服用していて、その効果を実感することもある。たとえば寝るのが4時以降になったとき、実際はよくないのだろうがコンサータを飲んでから寝ると起きなければいけない時間に目が覚める。服薬していないときなら確実に昼過ぎまで寝ている。目が覚めるといってもギリギリなので授業には出ないこともある。しかしめぼしい効果はそれくらいで、他はあまりよくわからない。これも私が軽度だからなのだろうか。やらなければならないことから逃げる癖は直らなかったし、切り替えの下手さも全く変わらない。ということはこれらは私の性格なんだろう。
性格と症状が綺麗に切り離せないことは分かっている。切り離せないから苦しい。どうにか切り離して、私から引き剥がして外部に取り出して眺めたい。たぶんそうしないと安心ができない。しかしそれは無理なのだ。
そういえば発達障害の特徴として0か100かという極端な仕方でものを考えようとするというのがあったが、これもそうなのだろうか。ああ、またこうやって発達障害の特徴のなかに自分を当てはめようとしてしまう。
ぐだぐだ書いたけれど、切り離せないなら諦めるしかない。診断が出たことを後ろめたく思うわけでなく、対策が立てやすくなってよかったとだけ捉えた方が楽なのだろう。少なくとも今はそうやって日々をやり過ごすしかない。甘えるなの声は私に向けられたものではないと信じるしかない。いつか自分のこのクソさに本当に諦めがつく日を夢見て。
しばらく結婚しないだろうと思っていた中学時代からの親友の結婚式に出席したことを機に、結婚に向けてのそりと重い腰をあげた。
何から始めていいか困っていたときに、同じく地方に配属された友人が出会い系で出会った女性と結婚したという話を聞いた。
はじめは出会い系なんて半信半疑だったが、出会い系(今はマッチングアプリと呼ばれているらしい)のよさを熱く語る友人の熱に圧されて登録してみた。
なるほど、これは確かにいいかもしれない。僕が登録したのは月額固定料金のものだったのでサクラのメリットがないし、マルチっぽい人はちらほらいるがこれは不思議と写真で見分けがつく。
それに趣味のコミュニティもたくさんあり、映画やら音楽やらの話をとっかかりにして話題を広げやすい。
マッチングアプリを通じて実際に何人かの女性に会ったが、驚いたのは2回目にデートをするときにちょっとしたお菓子をくれる人が多いということだ。
この前ちょっと旅行行ったのでお土産です、なんて言われて500円ぐらいのお菓子をもらったが、これは2回目のデートで渡すお菓子としてこれ以上ない正解だと思った。
まず、旅行先で買ったお土産というのが非常にいい。これはつまり、旅行先でお土産買うときの5分ぐらいはあなたのことを考えてました、と暗に言っているようなものだ。2回目に会う人間にもたれる好意としてはこれぐらいがちょうどいい。
それに500円ぐらいという値段もいいではないか。もらってもそこまで気を遣わずに済む。デート中にランチかスイーツでも奢ればなんとなく気持ちがチャラになるような金額ではないだろうか。
僕はお菓子を作ったことがないから分からないが、材料買ったりから始めるとするとおそらく1日がかりだろう。会って2回目の人間にもたれる好意としてはこれはあまりにも重すぎる。自分のためにそんなことをしてくれる時間があるんだったら、募金活動とかゴミ拾いとかもっと世の中の役に立つことに使ってくれという気分になる。
近場で買った美味しいお菓子なんてのも結構微妙だ。旅行先で買ったお菓子には「お土産」という大義名分があるが、それ以外のお菓子は「プレゼント」になってしまう。
社会人だから会って間もない人間にお土産をもらうのは慣れているが、意味もなくプレゼントをもらうのには慣れていない。会って2回目の人間に意味もなくプレゼントをもらうのはなかなか心理的負担になる。
結局のところ、2回目のデートでは、もし直近旅行に行ってれば500円ぐらいのお菓子をお土産として渡すのがベストで、そうでなければ何も渡さない方がマシなのである。
みきかかちゃん
5つ星のうち5.0半信半疑でしたが…
今までアレルギー性鼻炎と花粉症を30年は苦しんできましたが、このマスクしたとたん、バリアーがあるかのような感じでした。鼻が痒くなく、鼻水も出てこない‼️
信じられなくて、主人にもすぐに勧めました。私よりも酷い花粉症なのに、1日くしゃみが出なかった‼️快適だったとの事です‼️
私は、みなさんの言う毛羽立ちは感じないのですが、主人は少し毛羽立つけど、快適だったと言っていたので、個人差や男女で違うのかも知れないのですが、こんな事ならもっと早く試すんだったな‼️と、今ではすっかりなくてはならないものになりました。
やっぱり効果あるんやね。
今のオタクの最先端の話題は間違いなくバーチャルユーチューバーである。
去年の末頃から爆発したVtuberブームだが、今も衰えずに続いおり、おそらくは一過性のもので終わらず、技術の発展や新規参入が続いてくれば話題性も絶えず、ある程度は続いてくように思える。
00年代末に出てきたボーカロイドが10年ほどたち、派生文化を含めていまだに大きな位置にあることを考えると、それに近いレベルでオタク文化の歴史に残っていくだろう。
ボーカロイドといえば初音ミクだが、バーチャルユーチューバーでそれに相当する存在といえば間違いなくキズナアイだ。
自分はキズナアイが出てきたわりと初期から追っかけてきた。最初の動画投稿が2016年末頃だが、2017年の1月頃にチャンネルがBANされるという事件がありその直前に見始めたのを覚えている。
その頃のチャンネル登録者数はまだ1万人にも満たなかったので、いまや200万にも届きそうな勢いを考えるとキズナアイファンとしては古参と言っても差し支えないと思う。
この頃に自分がキズナアイの動画を見るきっかけになったのは4chanという有名な海外掲示板である。
実を言うと今の本格的なVtuberブームが起こる以前に何度か小規模なVtuberブームが起こっていた。
当時はVtuberと言える存在はキズナアイただ一人だったのでキズナアイブームと言った方が正しい表現だろう。
このキズナアイブームだがその中心は日本ではなく海外であった。
そしてそのブームに一役買っていたのがこの4chanという掲示板である。
ちょくちょくこの掲示板を見ていた自分だが、ここのゲーム板でキズナアイをサムネにしたスレッドをよく見かけており、ある時何の気なしに開いたのを覚えてる。
確か最初に見た動画がキズナアイが炭酸風呂に入るという趣旨の動画で、ペットボトルの中をキズナアイが突っ込むシュールな映像を見て妙なもんが出てきたなあ・・・と最初の感想はそんなもんだった。
スレッドではやたらはまってる人が多く、これ面白いのか?と半信半疑で過去動画をあさり、とある回のUnityアセットの親子モデルセットを買ってワーイ友達ができたよーとアイちゃんが喜ぶという企画を見て
「あっこれはコンテンツとして面白いものだ」と確信したのを覚えている。
4chan内ではアイちゃんにハマる人が続出していた、キズナアイスレが立つと即効で伸びるような状態だった。
4chanは画像掲示板なので字幕入りのキズナアイの動画はすごく相性がよかった、関係ないスレッドでもキズナアイのドヤ顔(smug ai-chan)に字幕が入ったのスクショをよく見かけた。
最盛期には乱立するレベルでキズナアイスレが立っていたほどである。
ところがこの4chanのゲーム板ではe-celeb(Youtuberなどのネット有名人)に関するスレッドが禁止されていた。
スレの乱立に反発する人も当然多かった。ほとんどゲームとは関係ない話題だから当然である。
最終的にはゲーム板でのキズナアイスレは禁止となり、日本に関する板に総合スレが立ち、キズナアイ関連の話題はそこに集約されることとなった。
こうして4chan内のキズナアイブームは一息つくことになる。
とはいえ、それ以降もフェイスブックのアニメ関連のページで紹介されて話題になったり、キズナアイのDiscordチャンネルができたりと4chan外の海外コミュニティでも緩やかなブームが続いていき、後の大ブームとなる下支えを築いていった。
そして、この第一次Vtuberブームとも呼べる現象だが、実はもうひとつ英語圏とは別に中心となった場所があった。
自分は韓国語がわからないので詳しくはわからないがどうやらキズナアイブームは4chanよりも韓国の方が少し先行していたらしい。
これは初期から動画を見ていた人なら確実に覚えていると思う。初期のコメント欄が英語と韓国語にほとんどしめられてたことを。
自分が覚えているのはやたら韓国語が多くてたまに日本語を見かけてプロフィールを見ると単に日本語のうまい韓国人だったりとか、
アイちゃんは韓国語がわからないからなるべく日本語で書き込もうみたいな呼びかけをしている韓国人がいたり
字幕をつける速さで韓国と英語どちらが先か争ってたりだとかそういう初期の頃のコメント欄の雰囲気だ。
この辺の雰囲気は初期の動画を見れば今でも確認ができるし、17年の1月31日にはツイッターでアイちゃんの「韓国からのコメントが増えて嬉しい」とツイートしているので見て取れる。
日本語のコメントが一番多いという状況は実はここ最近の状態なのだ。
もちろんある程度は日本人もいたわけだが間違いなく初期のキズナアイを支えていたのはこの韓国や英語圏のファンが中心である。
では海外のオタクでキズナアイがブームになってた頃、日本のオタクたちは何をしていたのか?
「すごーい」「たのしー」
糞アニメを持ち上げて幼児退行するという趣味の悪いゲームに興じていたのが日本のオタクなのだ。
そして結果はどうか?
一目瞭然である。
今やけものフレンズは身内のゴタゴタと大企業の勝手な都合に振り回された挙句に見るも無残な状況であり。
バーチャルユーチューバーは未来あるベンチャーや技術者、クリエイター達の手によって一つの時代を築こうとしている。
当時の日本のけものフレンズブームにのれずに陰で海外のオタク達とキズナアイ動画を見ていた自分としては
「これの初期を支えたのは俺達だよな!日本のオタクとか大したことねーよ!」
と4chanや韓国のオタク達と肩を抱き合いたい気持ちになるのだ。
余談だが今のオタクの最先端をもうひとつ挙げるとしたポプテピピックであるが。
この原作者である大川ぶくぶの才能を見出していたのも海外ファンの方が遥かに先行していたこともつけくわえておきたい。
追記
前からこの匿名で書ける日記というものを書いてみたかった。ので、書いてみる。
最初はどうでもいいことを書こうかなとも思ったけど、結局今一番吐き出したいと思ったのは昔の恋愛の話かなと思ったのでそれについて吐き出そうと思う。
多分というのは、未だ本当に好きだと思えるのが同性の人しかいないから。
それでもバイだと言うのは、今まで付き合ったことがあるのは全員異性だから。
でも、やっぱり最初に好きになった同性のあの女の子が今でも一番好きなのだ。
それは今やただの思い込みというか刷り込みというか、たぶんそんなような何かなのだと思う。
だとしても忘れられない。
私は彼女と小学高学年の頃から肉体関係を持っていて、中学二年生になる前に、ある時ぱったりとやんだ。
だけどそれ以降、その話はタブーとなっていた。私から話すこともなかった。でも私はあのときの、最中の彼女を見て好きになったのだと思う。
今でも思い出せるし、未だに夢に出てくることもある。汗のにおいを嗅ぐと、必ず彼女のことを思い出す。するときもお互いにシャワーなんて浴びなかったから、汗臭かったんだ。
彼女とは小学生からの付き合いで、中学は違ったけど、高校は自分が同じところを志願してまた一緒になった。
クラスは違ったが部活は同じだったため、放課後はいつも一緒にいた。中学の時からもちょくちょく遊んでいたが、更に遊ぶ頻度が増えた。
とても充実していた。お互いに親友と言える仲だったと思う。
ショックだった。
彼氏だったらきっと、諦められたと思うのに。
同じ女に負けたのだ。つらかった。こんなことなら、告白してみればよかったと思った。もう遅かった。
でも私はそんな気持ちとは裏腹に、「おめでとう」と言ったと思う。
家に帰ってから、泣いた。
それからは彼女どころではなくて、暫く彼女どころか周囲の人間との連絡を断っていた。
あの時は精神的に不安定だったと思う。一日中家に引きこもってネットに依存していた。
高校は結局通信制のところに転校した。週に二回通えばいい、楽な学校だった。
友達はできなかったが、学校と言っても授業を受けるわけではなくただマークシート式のレポートを進めればいいだけだったのでとくに不都合はなかった。
ネットでは順調に友達も増えて、一日中Skypeしていたりととても充実していた。
ある時、ネットで知り合った男の人、A(仮名)と付き合うことになった。
既に10年ほど前の話なので記憶が曖昧だが、私はAのことがきっと本当に好きだったのだと思う。
恋愛気分を楽しんでいたフシがないとも言えないが。それでも恋愛的な意味で好きだったと思う。
いや、恋愛気分を楽しんでいたというより、初めて自分の女の部分を求められたという事実が嬉しかったのかもしれない。今になっては分からないが。
ともあれ、私はこの時初めての彼氏が出来た。
でも、長くは続かなかった。
彼は私と知り合った後にニコ生を始めており、夜に一日一回の放送を行っていた。それは付き合うことになってからも変わらなかった。
私もリスナーの一人として放送に参加し、放送終了後に個人で通話をしていた。
しかし、私は一人の女リスナーが参加したことによって彼の対応に嫉妬し、放送を見るのをやめた。
放送は一日一回と言っても、一枠(30分)だけとは限らなかったためだ。放送終了後の通話も、あまりできなくなっていた。
そのあと、ある時彼女のことを思い出した。なんだか悲しくなって、私は考えるのをやめた。
その時期はAと付き合う前に親しかった友人と、毎晩寝落ち通話をしていた。
本当にただ寝るためだけの通話。友人が深夜の3時に帰ってこようと、寝落ち通話ができないと寝れなくて、必ず待っていた。
彼を結果的に裏切ってしまった罪悪感といろいろな感情がまぜこぜになって、情緒不安定だった。
その頃はまだクソスペPCだったため、初めてバイトをしてゲーミングPCを買った。
クランに入って、新しい友達がたくさんできた。クラン外の人とも仲良くなって、色んな通話に参加するようになった。
それと並行して、MMORPGも始めた。そこで一部のクランの人とギルドを作った。身内ギルドで人数は少なかったけど、普段行くIDは4人までだったからちょうどよかった。
人のいる時間はFPSをして、人が少なくなったらMMOでレベリング。バイトは半年ほどでやめた。学校は行っていたが、それ以外は引きこもりをしてゲームを満喫していた。
暫くすると、私達のやっていたFPSは停滞期を迎え、過疎化が進んだ。そのため私たちはMMOをメインに活動することとなった。
その頃にはゲームシステムもある程度理解しはじめており、MMO内でのフレンドも増えた。
その中に、B(仮名)という男がいた。
Bは常駐chのそこそこ強いギルドのギルマスで、ch内でチャットをして知り合ったのがきっかけに仲良くなった。
Bともう一人の大きいギルドのギルマスと私との三人でギルマス会議なんていうSkype会議を作って、三人で別ゲーをするほど仲が良かった。
そしてある時気づいた。自惚れではなく、Bは私のことが好きだということに。
Bは私よりも年下で、可愛がっていた自覚はあるがそれ以上の感情はとくに抱いていなかった。
その時にも、彼女とのことを思い出した。
それで私は、もしかしたら彼女のことを忘れられるかもしれないと思って付き合うことにした。
初体験はなんてことなかった。Bは可愛かったし、そこそこ楽しめた。
Bは童貞だったし私は処女だったのでセックスはそこまでいいものではなかったが。
でも、彼女のことは忘れられなかった。結局、Bとも半年ほどで別れた。
そのあと、もう一人同じゲームで知り合って付き合った。
その時の私は正直彼氏が欲しいというわけではなかったし、まだその時は彼女のことを考えていた。
だから、そのことを伝えたら「それでもいい、忘れさせる」と言ったから半信半疑で付き合うことにした。
期待はずれだった。あんなに自信ありげだったのにセックスは下手くそで性格はクズ。最初に言った言葉も全部嘘。その場のでまかせだということが後に発覚した。
結局コイツはやりたいだけだったんだな、とあとから気付いた。こんな馬鹿に騙される私も私だった。
ゲームは飽きつつあった。
ここまで書いて、私はとんでもないクズでビッチなのだと思った。
いや、ビッチかどうかは知らないが確実にクズではあると思うし、貞操観念もどこかおかしいと思う。
うーん、貞操観念についてはなんというか。あまり価値がないように思っているんだけど多分変なんだと思う。でもどうでもよかった。
あの時は女としての快楽を得られたら彼女のことを忘れられるかもしれないと思っていたし。
このあと、彼女から久しぶりのLINEがきて彼女の働いている男装ホストバーに客として行くことになったがあまり脈がないことに感づいたもののやっぱり好きだと思ってしまった。
まだ好きです。これは恋愛感情なのかなあ。一回フラれてみたらスッキリするのかな。いや、そんな勇気ないんだけどさ。
ここ数ヶ月連絡なんて取ってないけど、それでも告白する勇気もフラれる勇気もまったくない。
フラれるくらいなら一生、昔の親友だってことを彼女が覚えていてくれればそれでいいかなって思う。
そう、フラれるくらいならただの親友、でも一時期は一番仲の良かった親友だった、ってその思い出だけで飾られていたいと思った。
以上です。
文章とか色々めちゃくちゃだし、今こうやって文章にしてみたらすごく嘘くさくて作り話みたいだと思った。でもいいや。
もしよかったら、これを忘れる・吹っ切る方法だけ教えてください。
有名どころだとまよチキみたいな作品。まあお嬢様と執事だけどそれはそれ。
「お嬢様の好きな人を好きになってしまった」みたいな葛藤が好きで好きで。
親友の好きな人を好きになったみたいな展開と似たようなもんだけど、感情の問題と立場も関わる問題だと重みがまた違うからこれがいい。
こういう設定のが好きなんだけど、どういうわけかほとんど見ない。どういうわけもなにもお嬢様とメイドが出てくる作品自体そんな多くねえよって話なんだけどまあ見ない。
最初に挙げたまよチキくらいしか知らなかった。ニセコイで鶫がメインヒロインだったら良かったんだけどまあご覧の有様だったしね。
それで最近、政宗くんのリベンジが師匠ルートになったみたいな話を見かけたので読んでみた。
アニメを見た記憶だとどう見ても愛姫ルート以外にねえだろと思ってたから半信半疑だったんだけど、おお、確かに師匠ルートもあるわこれ。
贔屓目除けば愛姫に行くか師匠に行くか半々くらいだろうけど、いやいいわこれ。どっちかわからない辺りが凄くいい。アニメ見ただけじゃこんな展開になるとは思わなかった。
師匠が泣く展開だったら俺も泣く自信があるけど、こんな好みな展開もないので楽しみ。
それと最後に、ジャンル問わず他にこんな設定の作品あったら教えてください。
色々勧めてくれてありがとうございます。
リゼロ→レムラムはメイドだけど主人は男だったような気が……? 他にも出るんだろうか。見てみます。
ハヤテ→あったねそういえば……うんまあちょっとあれだけだと。
GS美神→おキヌちゃん調べたけど幽霊なのにメイドなのか。読んでみます。
赤髪の白雪姫、エリザ様、ゼロ魔→葛藤が少ないとちょっとまた別嗜好ですのですみません。
小煌女→試し読み読んだらページのコマの置き方が面白かった。読んでみます。
OBC→ミュセルが姫様の従者だったらなあ。アニメの後葛藤したのかわからないけど。
ファイアボール→ロボだよね……? ほんとにある……?
メイドガイ→あるの!? アニメ見た記憶だけだと全然信じられないんですが読んでみます。
茨の城→ミステリーにもあるのか。評判良さそうなので読んでみます。
ホワルバ→もうちょっとこう手心がありそうな感じのものがいいです、すみません。
かにしの→「メイドの方は攻略対象のヒロインではない」ぐぬぬ。小説のほうではあるっぽいしやろうかなあ。
今日の月姫スレと信じて開いた→すまぬ…すまぬ… 翡翠は個別ルートでも裏側に関わらなかったり幼馴染だったりする辺りどストライクなんだけど、葛藤しないねそういえば。秋葉が義妹だからだろうか。
風俗ではなくて
・○○クンみたいに丁寧な口調で主張は少なく考えすぎなところがあるけど聡明
・実は大きな目標があって地道に努力してるけど成功できるか半信半疑で迷いがあるがそのことを俺は知ってる
そんな女の子が
・こちらのムチャに心配してる上で気遣って怒られたい、怒り眉のまま鼻を指でちょんっとされたい
・こちらの変態性を理解した上で自分も興奮を得ていることに動揺しつつも続けてくれる
・ちょっと調子に乗ると間抜けな面やノリがおかしいけどそこは俺が陰ながらフォローしていきたいです
・お尻が大きい上に何かと転んだり落ちてきたリしたときのクッションが俺
あとこちらが押すべき場面で押さず煮え切らない態度をとったら前に一気に攻めてくる一面も持ってると助かるんですが…