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はてなキーワード: 化身とは

2015-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20150808002744

そういうのは、神様が言ってくれないと説得力無いわー

適当な感じでいいから神様がその教えを増田に伝えてくれるまでの流れを聞かせてよ

あ、増田神様化身っていうパターンでもいいけど

2015-07-09

フジテレビってウヨからは一時期の韓流で嫌われてサヨから邪悪化身産経配下からって嫌われてるのか

2015-06-30

自発的徴兵という概念を見て思ったが

貧困女子性風俗へ飛び込んでいくのも同じことなんだよな

「女は最終的にカラダ売れるからいいよなー」とかのんきなこと言ってる人はそこらへん考えるべきだ

俺たちもいつ炎の化身安倍様にカラダ売るかわからなくなってきたんだぞ

2015-02-26

ラノベの「よく出来た」ボーイミーツガールテンプレート私論(中編)

さらにこの遭遇の多段階化は、それが単なる素朴な設定の開示であっても十分な効果をもたらしうる。『小説秘密をめぐる十二章』において河野は谷崎の「少年」を例にあげ、少年が穏健な家庭の子であることがほのめかされることによってこそ、のちの異常性愛への没入のインパクトが強化されるのだ、と指摘しているが、ラノベはこれをより極端かつわかりやすく行っていると言ってもいいだろう。

例えば『マリみて』における第一の遭遇が「印象的な絵面」であるとは述べた通りだが、そこで一度教室の場面を挟んで理想の素敵な女性像として有名なヒロインの評判が語られ、お礼を言いに行ったところで第二の遭遇が生じる。そこで描き出されるヒロインは、自分の嫌なことから逃げ出すためになりふり構わず主人公を利用し、スールになるよう強要するというものであり、主人公(ならびに読者)のヒロインに対する見方は大きく変わることになる。設定だけを見ればこれは新規性のあるヒロイン設定とは言い難い。が、筆者はこの遭遇から十分な意外性を受けており、それは河野が指摘した例と同じ効果によるものと考えている。

同じく例えば『イリヤの空、UFOの夏(以下イリヤ)』の深夜の学校プールにおける第一の遭遇は単純なものであるが、ヒロインの手首に埋まったものに気づいたところで物理的異質さが、そして「なめてみる?」「電気の味がするよ?」において精神的異質さが明かされる。なぜそれがインパクトをもたらすかと言えば、それはヒロインの設定の奇抜さではなく、それまでの描写彼女の異質さを感じさせるものではなかった、という一点に尽きると筆者は理解している。

溺れて必死主人公にしがみつきビート板を使って恐る恐る水泳を教わり、やっと少し泳げるようになる、という一連の「普通女の子であることの描写こそがこの急転直下を強力無比なものにしているのであり、だからこそ「なめてみる?」の異様さが際立つのである。もしここで気まずそうに手首を隠してヒロインうつむき押し黙るといった、つまり普通女の子」がしそうな行動がなされていたとすると、全くつまらない遭遇と化すことはすぐにわかることと思う。

多段階化していつつも見方が変わらない遭遇だとどうなるかの例としては『IS』が挙げられる。教室でのヒロインとの再会という第一の遭遇ののち、寮が相部屋であることが発覚するという二度目の遭遇が発生するが、出会前後主人公ならびに読者によるヒロインへの見方に全く変化がない。『マリみて』や『イリヤ』と比較して意外性が無く、筆者にとってはひどく印象の薄い遭遇である

最後見方は変わるものの一拍置いていない(つまり段階化されていない)例について触れておきたい。冒頭で触れた『俺ガイル』は最初の遭遇から間髪入れずにその「意外性のある性格」が開示されるものであり、多段階化されていない。なるほど『俺ガイル』におけるヒロイン毒舌はそれだけで魅力のあるものであり、それは単独で読者の興味を引くことができるものだとは言えるだろう(筆者も決して嫌いではない)。しかしそれは「レイアウトの仕方」ではなく「描写の仕方」による効果であり、ヒロイン毒舌がそれ単独で魅力を得られるほどのものではなかった場合、実に陳腐でつまらないものだと筆者は考える(逆に言えば描写力が優れていればなんとかなる、ということの証左でもあるだろうが)。

余談

念のため補足しておくと、陳腐な遭遇しか用意できない作品は全て駄作である、と述べたいわけではない。例えば『狼と香辛料』は荷台にもぐりこんだ裸の美少女が狼の化身だと明かすという意外性に乏しい遭遇であるが、ではこの作品が駄作かといえば筆者はそれほど悪くない作品だと思っている。ただし、その遭遇にインパクトを受け、興味を抱くことは無かったことも確かである。ここで張った伏線クライマックスで回収しているため最後まで読んでみればなるほどと思えるが、もし立ち読みで眺めたのであればその場で本を置いていたと思う。

関係構築のための行為類型の整理

ボーイミーツガール」の関係構築では、主人公ヒロイン恋愛感情が醸成されることは必須ではない(例えば『トリニティ・ブラッド』では恋愛感情は仄めかしすら無い)。一方で両者間の信頼関係の構築は必須と言っていいと筆者は考える。また信頼と似た効果を持つものとして敬意も有効機能する。

さて、関係構築とは主人公ヒロインの一方が他方に何かをすることによって培われるものと言っていいだろう。その内容は小説それぞれによって様々であるが、一段階抽象化してみると次のような行為類型化が可能であると思われる。下記で全ての行為類型化されているわけではないが、いくつかまとめた上で、それらをどう組み合わせることが効果的な演出になりうるのかを述べたい。

秘密の共有

遭遇の類型として「秘密漏洩」を上げたが、あれが当人の意に沿わざるものであるのに対し、「秘密の共有」は意図的に自らの秘密を相手に共有するものを指す。

秘密の共有」は信頼の表明がなされたという暗黙の読者の認識が得られる点で効果的であり、そして「秘密」は多くの場合プライバシー同義である。軽度な秘密から徐々に重大な秘密吐露へと段階を踏まえて内容は変化する。軽度な秘密の典型例は電話番号を教える、住所を教える、そこから一歩進んで自室に入れる、といったものが挙げられるが、最も多用される「秘密」は「過去」であり、昔の笑い話といった軽いものから過去トラウマまで「過去」は幅広く使える便利な「秘密」であり、重さを任意コントロールできるという点で優れている。

こうした秘密の共有は信頼の表明であると述べた通り、一定の信頼があった上でなされることで読者に違和感なく受け入れられるものと考える。十分な信頼がなされたと読者に理解がされていない状態でいきなり重い過去吐露を始めるヒロインなどは、自己陶酔中のメンヘラ設定を明らかにしたいのでもない限り慎むべきだろう。

観察による発見

涼宮ハルヒの憂鬱』における曜日髪型の関連の指摘や、『俺ガイル』における主人公ヒロイン友達がいないだろうという指摘など、観察によりヒロインのなにかに主人公が「気づく」ことを指している(ヒロイン主人公のなにかに気づくことも含む)。これはヒロイン主人公評価を改め敬意を抱くきっかけとして、また主人公ヒロインに対する評価を改め、敬意を抱くきっかけとしても効果的に機能する。

余談ながら観察力のある主人公であることを印象づけることは、特にバトルものにおいても有効機能するように思われる。例えば『禁書』や『バカとテストと召喚獣』、『エスケヱプ・スピヰド』はいずれも勝利をつかむきっかけとして敵に対する観察と気付きを用意しており、そこから作戦を練っている。最終的に単なる力比べになり、最強能力である主人公必然的に勝利するという陳腐さは、しかしそうした観察と気付き、そこから作戦演出が事前になされていることで読者に対する一定の納得感を与えるように思われる。もちろんそうしたものがなくとも最強主人公が敵を圧倒する物語に興奮できる読者がいることは事実だが、それにウンザリする読者も相当数いることも事実である。より幅広い読者を意識するのであれば、そうした演出一つを入れておく価値は十分にあると考える。

共通点の発覚

秘密漏洩、共有や観察による発見など、なんらかの情報が得られる行為類型の結果として、共通点、すなわち似た者同士であることが発覚することは相手に対する親近感を惹起する。これは読者にとっての共通点でも同様であり、感情移入共感を誘う要素と言っていいだろう。

親切

素朴な行為であるがゆえに、信頼と好意を「少しだけ」喚起する点で高い効果を持つ。例えば大きな好意が得られる「救助」は大仰なものであり、特に好意や信頼を寄せてもいない赤の他人に対してそうした行為をする人物は、十分な理由けが無い限り胡散臭いヤツという認識を与えるだけだろう。

これに対して「親切」はそれが当人にとって大した手間でない場合に実行されるものであり、人間関係破綻していない限りは合理的な行動として読者に受け入れられ、その結果ほんの少し信頼と好意が得られることが自然に読者に認識されることになる。『シャナ』において主人公ヒロインコーヒーを持って行ったこと、『とらドラ!』において主人公が朝食をヒロインにも分けてやったことなどはこの好例と言えるだろう。

呼称の変化

相手を名字で呼ぶのか、名前で呼ぶのか、といった呼称の変化は古典的ながら現在も極めて強力にその認識の変化を読者に理解させる。『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるあだ名であったり、また『デート・ア・ライブ』のようなヒロイン名前を付ける、という行為も同じ効果を持つと言えるだろう。

なお、呼称の変化は一度しか使えないものではない。ある呼称を用いたのち、それを使わなくなる、という演出はその呼称を用いるようになること以上にその変化を強調する。遭遇時においてではあるが、こうした「呼ばなくなる」ことを用いた好例としては『星界の紋章』があげられよう。

依頼に対する承諾

一方から他方へなんらかの依頼(命令を含む)がされ、受け入れられることを指す。このとき、その依頼は明示的なものであるとは限らない。「ボーイミーツガール」における両者間のほとんどはこれに該当するが、物語を先に進める意味合いが強く、関係構築に向けて目立った効果をもたらすものではない。

一方でこの行為類型が「期待に応える」を伴って実行された場合はまた異なった効果をもたらす。最初からヒロイン主人公に対して好意を表明していたり、信頼を寄せていることが暗黙に前提となっているような「ボーイミーツガール」は珍しいものではなく(『イリヤ』『ベン・トー サバの味噌煮290円(以下ベン・トー)』など)、また物語の途中でヒロインが全幅の信頼を主人公に対して寄せるようになるものも多い(『SAO』『ココロコネクト ヒトランダム(以下ココロコネクト)』など)。

こうした例においてヒロインから主人公へ強い信頼に基いて依頼がなされている場合、依頼の達成に失敗することが強力な効果を持つ。ヒロインから主人公へ依頼した仕事の達成に主人公が失敗し、しかヒロインがもう一度仕事を依頼することは主人公に対する深い信頼の表明として機能する上、主人公が次こそヒロインの信頼に応えようと努力する様は概ね読者の共感と応援を得られると考えられる。

例えば『ソードアート・オンライン(以下SAO)』ではヒロイン主人公仕事を依頼し、主人公成功し続け、それをもってヒロイン主人公に惚れこむという構造を取る。一方で『とらドラ!』においてはヒロイン主人公に対して依頼した仕事は失敗し続けるが、ヒロイン主人公失望することは一度としてなく、最後ヒロインから主人公に同じ仕事を改めて依頼するという構造を取る(定義を読んでいれば誤解は無いと思うが、本稿ではいずれも1巻の内容のみを対象としており、シリーズを通してどうかは検討範囲である)。両者を比較してみると、筆者は『とらドラ!』の方がよく出来ているという認識を持つ。

依頼に対する拒否

AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜(以下AURA)』で繰り返されるような単なる拒否効果を持たないが、相手に対する尊重を以て拒否することは(一時的にはともかく)相手の不快を買うものではなく、むしろ信頼と敬意を勝ち得る効果を持つ。『マリみて』において主人公ヒロインからスールの依頼を拒否したことは典型例と言ってよく、『のうりん』におけるデビークの手助けを(これまで助力を惜しまなかった)主人公がしない、ということもこの一形態と言っていいだろう。

この時、主人公にとってはその依頼を受けた方がメリットがあることが望ましく、そうした自分利益を捨て、相手に嫌われる覚悟の上で拒否することはヒロインのみならず読者からの信頼も勝ち得る効果があると思われる。

好意の表明

単純な愛の告白のような直接的な好意の表明に限らず、嬉しそうに何かをする、微笑むといった行動によっても十分に好意の表明として読者に認識される。物語最後の場面においてヒロインないし主人公がこの行為類型を取ることが多く、ハッピーエンドとしての印象を読者に意識づけることで効果的と言えるだろう(『イリヤ』や『ALL YOU NEED IS KILL』がハッピーエンドか否かは意見の分かれるところであろうが)。

相手に伝わる形で行われるそれと、相手に伝わらない形で行われるものがあり、特に本人のいないところで信頼や好意を表明することは読者の理解共感が得られやすいように思われる。好意の表明は繰り返し使うとむしろ好意薄っぺらさを強調することになりかねないが、『ココロコネクト』のように相手に伝わらないところでそれがなされる段階を踏まえてから、相手に伝わる形でこれを行うことは効果を増すと思われる。

救助と自己犠牲

窮地に陥ったヒロイン主人公が助け出す、という行為類型は『禁書』『AURA』など非常に古典的ながら多くで用いられるものである。救助された側から救助した側に対する好意を含む感謝が読者に理解されやすい点で効果的だが、あまりにもわかりやすく、またありがちなものであるがゆえに陳腐な展開という印象を読者に与える危険性がある。

例えば『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるプールで絡まれヒロイン2を主人公が助け、それによってヒロイン2が主人公好意を抱く、という展開は筆者にとってひどく陳腐ものであった。

他方で『俺の彼女幼なじみ修羅場過ぎる』におけるチンピラ侮辱されたヒロイン2を主人公が助ける展開や、『さくら荘のペットな彼女』におけるラブホに連れ込まれかけるヒロイン主人公が助ける展開はそれほど嫌いではない。

その違いはなにかといえば、おそらく単純にその救助行為主人公にとってリスクの低いものか高いものか、という点と、救助の際に主人公が負傷している、すなわち自己犠牲を伴う点にあるように思われる。救助は主人公にとってリスクのあるもので、かつ、怪我を追ってまで勝ち得たものであるとき、救助された女性から主人公に対して寄せられた好意の大きさは「それだけの価値のあるもの」として裏付けられると考えられる。

その意味で、無傷でほとんどリスク無く救助したことで得られた好意ほとんど無いに等しいはずであり、にも関わらずヒロインが大きな好意を寄せる状態となり、そこにちぐはぐさと薄っぺらさを感じるように筆者には思われる。

禁書』では記憶喪失し、『AURA』では中二病世間露出し、『俺妹』では自分変態だと言って父親へ立ち向かい、『タイムリープ』では自分過去未来)が変わろうが知ったことかと手紙を書く。自己犠牲主人公がこれまで大事にしてきた何かを失ってでもヒロインを守ろうとする意思の明示としても機能し、ゆえにその対価として大きな好意と信頼が得られることに読者は納得がいくものであろう。

後編へ続く

2014-10-14

インターネットは良貨より悪貨を好む

もう増田を始めて1年近く経つ。

匿名しか書けないようなことをストレス解消で書いてきた。

有る事無い事無い事無い事無い事無い事。

実際には無かった事ばっかり。

それを他人劣等感をくすぐる形で、倫理的にもとる書き方で書きまくった。

そんで叩かれまくった。

叩かせてやった。

ま、いわゆる釣りだ。

まあ別にいいんだよ、俺の妄想フルボッコにするのは。

でも、300とか500とか、わかりきった非難で埋まるブコメを見ると、

お前ら他に言うことないのかと思ってしまう。

想像力の欠片もなく、ただ叩くだけなんだよね。

何の生産性もない。

しか劣等感が透けて見える。

俺に友達が沢山いたら居酒屋で酔っ払ってぐだ巻いて発散するような、馬鹿らしい愚痴に付き合っちゃって。

リアルだったら絶対にスルーされるような、何の価値もない愚痴に踊らされて。

バカだねぇおい。

別にそれだけならいいんだけど、俺の釣りホットエントリ化すると、みてらんないわけ。

お前らのちっぽけな正義感だか他人説教したい欲だかのために、

もっと有益情報を発信していたはずのブログ記事が1本、ホットエントリから外れる。

1本ぐらいならいいけど、俺の他にもアホらしい増田で釣ってる奴はいるし、

積もり積もってネット無益情報であふれることになる。

これはネットの持つ本質的問題点だ。

悪貨は良貨を駆逐する。

なぜなら誰もが良貨を好むから

出し惜しみして悪貨だけが流通するようになる。

ネットは逆だ。

ネットでは誰もが悪貨を好んでいる。

リアルスルーされる、なんの生産性もない、ヘドロみたいな増田ホットエントリ化する。

反撃してくる心配のない相手を、思う様殴りつけたいからだ。

ようするに中学高校時代イジメと同じ心理だ。

しかも叩きやすいように叩けるポイントを用意してやってるんだから大義名分もばっちりだ。

ちっぽけな自分が、一瞬だけ正義鉄槌を下すヒーローになれる。

劣等感でビクビクする自分を隠しながらな。

それを見て俺は笑う。

こんなありえない嘘に釣られてやがるよ低能どもってね。

お互いに得しかしてない。

から釣りは無くならない。

同じように増田で釣ってる他の奴らも、似た感情持ってるんじゃないかね。

たらこの言う嘘を嘘と見抜く力が必要かいう話じゃねえんだよ。

ネットで嘘をつく人間が居なくならないのは、嘘をつかない人間がそれを望んでいるからだ。

から無くならない。

絶対にな。

2chは無くならない。

今の増田が無くなっても匿名実名が入り乱れるネット空間は無くならない。

人々が欲するからだ。

mixiに疲れて、facebookは近所付き合い程度で済ませて、そろそろtwitterも息苦しくなってきたんだろ?

無理すんなよ。

悪い事じゃねえよ。

人間、そんな、明るい部分ばっかじゃねえよ。

暗い部分は増田にでも吐き出しとけ。

そんでみんなでごっこ遊びしようや。

正義の味方ごっこ、悪魔化身ごっこ。

白けるような暴露はなしでな。

それが皆の望みなんだ。

2014-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20140727020812

コンプライアンス化身と言われるくらいリテラシ高いわよバカ

意識だけは高いけど知識は低いってことでしょ?

それ、リテラシ高いとは言わないよ。

コンプライアンス化身って、単にガチガチに頭固いだけで、

それもあなたリテラシ低くて取り敢えず全部禁止しておかないと!

っていう頭だからそうなってるんじゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20140727015727

あんたって誰よバカ多分人違いよバカ

悪かったわね大企業しかいたことなくて

コンプライアンス化身と言われるくらいリテラシ高いわよバカ

嘘よそんなこと言われてないわよ

ちなみに私はこのPOSTした人間

http://anond.hatelabo.jp/20140727000337

最初に話題を振ったから興味深く見てただけよふんっ

2014-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20140726021334

俺、わりと普通にエリートだけど

インターネットで俺自慢して承認欲求の充足もするよ?

だって楽しいじゃん他人に差を見せ付けるのって

現実じゃなんだかんだいってやれないしさ

つーか、エリートだって上に行く奴ほど承認欲求化身みたいな人間だよ

褒められて嫌な人間なんていないいない

「褒められても嬉しくない人間」がいるだけ。

2014-07-22

3股かけてた女って、これサイコパスだよ

http://news4vip.livedoor.biz/archives/52031839.html

サイコパスねこれ。

サイコパスについては、もっと周知した方がいいように思う。


自分も似たような女に遭遇したことがある。

見た目も振舞いも結構可愛らしいし、かなり清楚に見える女の子だった。

でも中身は悪魔のような女の子だった。

はっきりいって全然からなかった。

どういう行いをしていたか

その1.ある女の子が、ある男のことを好きだと聞きつけたら、その男にモーションをかけて告白させ、振る

その2.適当な男をターゲッティングして、モーションをかけ続けて告白させ、振る

その2.告白されたらその一部始終を周囲に言いふらす

その3.振った男カウントを計上して周囲に自慢する

その4.既に付き合っているカップルの男を奪って浮気させる

その5.浮気相手の彼女宛にわざと間違いメールを送って修羅場演出する

小さい子供が蟻の巣穴を破壊するがごとく、

人の感情を弄ぶことをゲーム感覚で楽しんでる。

たぶん今でもやっている。

今なら既婚者相手に家庭崩壊ゲームをやっているんじゃないかと思う。

楽しいから、以上の感情はたぶんない。

人の感情が乱高下してぐちゃぐちゃになっていく様子を楽しんでいる節があった。

罪悪感は「電車の中で人にぶつかった程度」にしか感じていない。

正に悪魔化身しか言いようがない。

正直、こんな人間普遍的存在することに恐怖を覚えて、しばらく女性不振になった。

突然、普通女の子がこのような変貌を遂げることがあるのかと。

だが、この女は「サイコパス」という人格障害者だということに気づいたおかげで、

誰しもこうなるわけではない、とわかって安堵した。

仮面を被っていてわかりにくいが、サイコパスには極力関わらない方が良い。

あ、こいつサイコパスだ、とわかった場合、逃げられるものなら逃げたほうが良い。

また、サイコパス性質は、健常者には逆立ちしてもなれない。

からサイコパスの被害に遭った人は、

運が悪かったというか、そいつ特別人格破綻者だったということで、

普通の人とは切り離して考えると良いと思う。

まず、サイコパス、という人格破綻者を知ることがとても大切だと思う。

2014-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20140616131145

 いわれてみたら、男性の「ブサイク芸人ネタもあんまり好きではないんです。

 自虐とか、相方や先輩後輩の突っ込み面白いんだけれど、芸人さん以外のMCがそれを口にすると、いらっとします。

「は? この台本書いた人、そこまで顔がいいの?」

「それ読んでる女優さん、美の化身クラスで美しい容姿でしたっけ?」

って、感じます

(実際には大抵の芸人さんって、不快感をもよおす容姿の人って少ないですし。

 「美ではないが、愛嬌があり、決して醜ではない」

 だからこそ、テレビで何度も目にできるんです。

 むしろ見苦しいほどの目立ち方が無い普通容姿から髪型アクセサリブサイク演出しているだけの人の方が多いです)。

 久本雅美さんの自虐ネタ初老~」も笑えるし、不細工芸人を相方さんがブサイクというのも抵抗がないんですが、

ナレーション

っていう、相棒でもなんでもない人が言ってる感が嫌なんです。

 『お前、彼女の年齢、っていうか周囲の女性の年齢に突っ込みいれる立場じゃないだろう?』

って感じるんです。

 リアルでそういう事象があるからでしょうね。

 全くもってネタになってないんですよね、私にとっては。

 他の女性は、そのへん感じないのかしら。

 私の周りの一部男性が、無責任女性の年齢をいじるからそう感じるだけなのかもしれませんが。

 いやいや!

 やっぱり私の周りの一部、限定じゃありません!

 日本全体を見渡すと、やっぱり男性の多くは女性の年齢をいじってることが多いですよね。

 男性の年齢をいじることは、EDネタ以外であまり見受けませんが。

 その辺を連想するからいらいらするのでしょう。

 「他人の年齢いじってるお前何様だ?」感が漂うというか。

 

2014-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20140504003410

1000越え釣りエントリ10本以上書いてる

コツさえ掴めば割りと楽勝やで。

特に釣りやすいのがライフハック。誰でも知ってるような話をちょっと掘り下げて味付けしてやればこの通り。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20120319033827

700辺りに最初の壁があって、その次に1100の壁があって、最後に1700辺りの壁がある印象。

最近はてなにも飽きたから盛大に晒して終わろうと思ってるわ。

他の増田も言ってるけど、承認欲求の充足以外にメリットは無いな。

まぁ、俺は承認欲求化身からしかったけどさ。

2014-03-26

喪服の死神という非モテ化身。あるいは汚い顔と罵られた人間の末路

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2

徹底した自己開示と執拗自己解釈による独演を社会提示した喪服の死神

幼少の個人的出来事からネット右翼アベノミクスまで論じ上げた喪服の被告人意見陳述は、他者による分析を拒む防壁として構築されたが、ひとつだけ、さらりと流されて違和感を放つ、セクシャリティカムアウト。

陳述で同性愛告白し、ボーイスラブ二次創作での人気に執心したことを事件の発端とするも、彼はセクシャリティに関してだけは、言及を拒む。

自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学学歴バスケマンガでの成功ボーイズラブ二次創作での人気の3つになります

31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります

自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけをしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。ですから厳密には「自分が欲しかったもの」云々の話は、藤巻氏を標的として定めるきっかけにはなりましたが、動機の全てかと言われると違うのです。

「手に入れたくて手に入れられなかったもの」「何か」「自分が欲しかったもの」。

執拗自己解釈を行う喪服が、ひたすらに言及を拒む「何か」は、すなわち、セクシャリティの肯定である

喪服のまとめサイト的な自己ツッコミは、非モテ自意識には向けられて、彼は饒舌ウェブ上に氾濫する非モテキモオタ類型コピーを演じて見せるが、一方で、自らのセクシャリティたる同性愛については、まるで《安価》が付けられていない。

本来なら最も語られるはずの内心、セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とみる自意識代替されている。

動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から自分人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。

汚くて醜くて無惨、自らを汚物と信じた喪服。

もし彼が自身と違う肉体を持つ他者に性欲を向けること、例えば空想の中でオークに成り代わり女騎士を犯すことで充足できるセクシャリティなら、あるいは始めから性的な身体をもつと社会的に扱われている性別なら、自らの身体性が「汚くて醜くて無惨である」と信じながらも、少なくともはじめの一歩を踏み出すことはできただろう。

ヘテロセクシズムに覆われた社会において、セクシャルマイノリティは「自分セクシャル存在である」と現実世界に足を踏み出せない限り、または誰かが手をさしのべてくれない限り、それがマイノリティとして否定された経験だったとしても、はじめの一歩を得られなければ“セクシャリティあるもの”として存立できない。

彼の「本当のセクシャリティ」は否定すらされなかったかもしれない。喪服は何の理由もなく、つまりホモオカマと罵られたのではなく、身体的なものをあるがままに、母親に汚い顔だと罵られた過去を呪った。それは純粋な身体性の否定であってホモフォビアとの遭遇ですらない。

ホモフォビアとの遭遇は、「ホモと笑われるのが辛かった」と、その苦しみを語ることで、自らを疎外されたマイノリティとして位置づける。

しかし、喪服は否定なき同性愛者。

喪服の空想におけるセクシャリティは、思春期ボーイズラブによって徹底的に肯定された一方で、彼の現実セクシャリティ、喪服が“手に入れたくて手に入れられなかった”身体性の肯定は、同性愛の自認と同時期に行われた“汚い顔”と身体的否定によって抑圧される。

自らを汚物と信じた喪服は、現実セクシャリティ、それによって他者と繋がる身体性を否定して、汚物は誰かを愛することもできないと、性愛を禁じてすらいる。

自分愛する人を失ったのではなく、愛する人が初めからいないのです。ここ15年くらい殺人事件交通事故被害者遺族が、自分たちの苦しみや悲しみや怒りをメディア上で訴えているのをよく見かけますが、自分に言わせれば、その遺族たちは自分よりずっと幸せです。遺族たちは不幸にも愛する人を失ってしまいましたが、失う前には愛する人存在したではありませんか。自分には愛する人を失うことすらできません。

LGBT当事者書籍として頻繁に持ち出される「ボクの彼氏はどこにいる? - 石川大我」と比較すれば、タイトルに違いが現れている。

今ではオープンリーゲイ公言する政治家である石川大我が、自分は人を愛するに足る存在であると信じることができた一方で、喪服の語る言葉は「愛する人が初めからいないのです」である

愛する人がはじめから喪われている、すなわち、自らの性愛が喪に服しているからこその喪服の死神であり、一文字で暗喩された「喪」とは非モテを示す。

2000年代2ちゃんねるはてななど、ウェブ上で隆盛した「非モテ」とは、自らの身体性あるいは性価値に対する自己否定キモいと罵られた汚物のような人間は誰かを愛するにも不足するという絶望を、自らに対して自己否定レッテルを貼り付けることで自己肯定転嫁する、クィアにも似た試みであるが、やがて、彼らにはじめから内包されていた自己否定によって自壊した。

あくまで非モテと呼ばれたことで、モテるか否か、恋愛関係にあるか否かという状態や能力について論じられてしまった非モテだが、彼ら非モテ、あるいは非リアといった類似物も含めて、彼らは「そうであること」に価値を見いだすのでは無く「そうでないこと」によって存立し、非モテを成り立たせていた人々は状態や能力を求める人間ではなく、藁にもすがる思いで自己否定レッテルに飛びついた人々である

自分がどれだけ汚物か、気持ち悪いか、失敗しているか、誰かの指摘に先んじて自己開示をし、誰に言われる前に自らを否定する、終わりなき自己否定スパイラルは、非モテの名の下に集った人々に、わずかばかりの肯定を与えた。

自己否定レッテルにより肯定される彼らの自意識の中核にあるものは、唯一、自らをキモいと思い込まざるを得なかった幼少期の経験に由来している。

しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。

冗談はさておき、明け透けに申し上げますと「こんなキモい奴は死刑でいいじゃないですか!」という気持ちです。

幼少期、まだ子供の非モテたちに向けられたキモいという言葉は、思春期セクシャリティが開花する時期を真っ黒に塗り潰す。

汚物に等しい人間は誰かを愛するにも不足するという絶望は、彼らのセクシャリティ現実を生きる他者に伝えることを禁じて、彼らの性愛は空想へと向けられていく。

従って、彼らは漫画記号を愛でる者、オタクになった。

本来ならば健全セクシャリティが鎮座する位置は、自らを汚物とする自意識に取って代わられ、歪な自意識は癒やされること無く成長と共に発展し、ウェブ上で隆盛したモテない男に由来する数々のミームに乗っ取られた怨執甚だしい精神構造を完成させた一方で、耽美世界を描いたボーイズラブ二次創作を愛した喪服の死神

現実では“自分のような汚い顔のキモブサメン”と自嘲して、空想では女性世界性愛に耽溺している。

喪服のチグハグセクシャリティの表出には、彼の現実と空想、性の繋がりを感じさせない。

「何か」が欠落してしまっていた。

ウェブ上での自己開示および匿名対話からの反応を慰撫とする行為は、今や誰もが行っており、本来なら十分にウェブの中で機能して、現実世界で怨執を露呈する必要はない。

だが、喪服の自意識歯車は、ウェブの言論歯車と噛み合わなかった。

喪服の自己対話精緻であって、他者解釈に先回りして応答し、全体としては分析をさせる余地を与えないほど堅牢であるも、彼の脳内インストールされたウェブ言論と、彼自身の対話においては、歯車の噛み合わないチグハグさが漏れ出している。

このチグハグさは、喪服が扱ったネット用語に明瞭に現れている。

さら自分は生まれてから一度も恋人がいたことがありません。その道のプロお金を払うという手段を含めても性交すらしたことがありません。恋人いない歴=童貞歴=年齢です。自分ネットスラングで言うところの「魔法使い」です。

喪服が自らの性について語る言葉は徹底してウェブ上の異性愛社会で用いられる言葉であって、セクシャルマイノリティの為に用いられる言葉は現れない。

ゲイ社会で用いられる言葉も、LGBTを構成する言葉も無い。

自らを異性愛者の視点から同性愛者」と規定し、異性愛者の非モテが用いた造語で「キモメン童貞魔法使いw」と自嘲し、「ボーイズラブ系の二次創作」と腐女子言葉で性指向を空想している。

喪服の自己対話には、セクシャルマイノリティが自らをセクシャルマイノリティとして規定する言葉が、どこにもない。

というより、喪服がウェブ本心を語ろうとも、それに噛み合う言論の歯車はあっただろうか。

ローカルルール同性愛者の投稿が禁じられたモテない男性板。

非モテから同性愛者を斥けてミソジニーホモソーシャル産物断罪するセクシャリティ論。

女性たちのホモソーシャルであるボーイズラブ二次創作世界

最後だけは、本当に、ひとつだけ、自己否定トンネルのなか視野狭窄した彼が自らのセクシャリティ本心を発露して、肯定されうる場を見たならば、思春期から愛し続けたボーイズラブ二次創作を介した他者による肯定だったのかもしれない。

しかし、喪服が創作するには、表現原動力たる空想の世界耽美であるも、空想と同一の肉体を持つ彼の身体性は汚物であって、空想と現実を繋ぐ彼の言語空間ウェブ上で構成された非モテミームに乗っ取られており、格差は恨みを募らせていく。

何より、彼には努力をする気概が無かった。

喪服が、セクシャリティの肯定を得るために行わなければならなかった努力

本当なら、とても近しい接触によってなされるセクシャリティの肯定は、喪服においては、女性たちが作る社会における創作表現に対する賞賛という、とても遠い彼方からの肯定の可能性が、ただひとつ自己否定トンネルに差す光として見えるのみ。

もしも努力の果てに肯定が得られたとしても、彼に与えられるのは二次元ベールを通した、空疎であたたかみの無い接触である

喪服は、呪っただろう。

喪服が手に入れたくて手に入れられなかったセクシャリティの肯定を、可能性として見いだしたボーイズラブ二次創作賞賛を得る者を。

空想における愛情は、現実における怨執へと置き換わり、耽美世界肥大化した自我は、現実世界自己表現を求めて、自走する。

喪服が見た光の絶望的な遠さは、彼が呪いを向ける対象への距離に変わった。

ボーイズラブ二次創作

喪服に残された肯定的表現手段は、呪いを振りまく脅迫状の郵送に変わった。

喪服が望んだ「何か」、口にすることすら拒んだ人の暖かみによるセクシャリティの肯定は、自己否定の結末として、無機質な統治権力による罰として具現化する。

「『何か』に罰され続けて来た自分がとうとう統治権力によって罰されることになったのか」

恐らく重度のネット依存だった喪服の実生活、喪服が生きた思い出の中にも、彼のセクシャリティを、わずかにも肯定した「何か」は存在しなかったはずだ。

喪服は、斑目晴信オタク濃度を感じたように、キモオタ秋葉原に得るしっくりと来るさまを感じ取ることが出来ただろうか。

喪服は、ボーイスラブ二次創作を手に取るとき、美しい男を愛する女性の為に作られた空間に踏み入れた、汚物に等しい男を見る目に、何を感じ取っただろうか。

喪服は、セクシャリティに、疎外を感じてはなかったか

喪服は、自覚することはなかっただろう。

喪服は、徹底して、自らのセクシャリティを、完膚なき自己対話によって、自己疎外した。

執拗に繰り替えされる自己解釈は、彼が求めた「何か」の中核を、自らに気付かせないための自己防壁として機能する。

自己疎外された人々が、自らに自己否定レッテルを貼り付けることで、健全精神ギリギリのところで保った非モテ論理

2000年代に爆発的に流行し、2010年代の始まりと共に終わった非モテは、童貞を中心とするヘテロセクシズムであり、同性愛者の喪服を救わなかった。

喪服が愛したボーイズラブは、あくまで女性ホモソーシャル世界であって、男の喪服を救わなかった。

セクシャリティを否定された者たちが、自らを疎外されたマイノリティと位置付けて語るLGBTは、セクシャリティはじめの一歩を踏みだせた者たちのための論理であって、非モテの喪服を救わなかった。

身長×体重×年齢》と、身体性をコード化して他者と繋がる様式を持つゲイ社会は、身体性を否定された喪服を救わなかった。

身体性を否定された喪服がセクシャリティ育むべき思春期に愛したものは、空想における同性愛であり、彼を耽美世界に誘い込み、彼の自我肥大させて、現実を呪った。

非モテにすらなれなかった「非・非モテ」の喪服の死神、怪人801面相こそが、性愛社会を呪う非モテ化身である

2014-03-21

無題

わたしの妄想の中には「悪婆48」と言う架空アイドルグループがある.

悪罵48のやり方はとにかく汚い.金の亡者と言ってもいい.限定グッズを求めるファンの心をくすぐり,同じCDを一人何百枚も買わせようとする.ここでわたしの妄想高まる

何故それほどまでにアコギな商売を臆面もなくやるのかといえば,その売り上げ純利益が,悪婆48を出演させてくれるテレビ局への莫大なリベートとして使う原資だからなのだ

もちろん表向きにはやれない.だから担当プロデューサーへの個人的な闇賄賂とか,果ては枕営業も行うだろう.

そうやって悪婆48はテレビへの露出が増え,それを見た視聴者の中から新たなファンが生まれて悪婆48に貢物をするようになっていく.

カネと欲望のエンジンが止めどもなく加速するエコシステムだ.

しかプロスポーツや芸能などのノベルティグッズ・ビジネスというのは多かれ少なかれ同じようなものかもしれない.

そこで思い出すのは,スティーブン・キング小説『ニードフル・シングス』だ.

生きるためには全く必要のない物,ただ人々それぞれが愛する芸能人やらスポーツ選手やら文芸芸術やらのグッズを扱う店.

だがその店の店主は実は悪魔化身で,その店からものを買う人は知らぬ間に悪魔の企みに加担して街を滅亡させていく.

そういう小説を読んだ経験があるから悪婆48などという架空アイドルグループ妄想してしまうのかもしれない.

※この増田はあくまで妄想であり,実在企業アイドルグループテレビ局エコシステムとは何の関連もありません.

─────────

そういえば去年の元日秋元康さんがNHKに出てきた時はほんとにうまいこと言う,面白いことを言う,革命を起こすカリスマだなあこの人と思ったが.しかしその後の「あまちゃん」で,古田新太と当のNHKが彼の存在コミカライズした時はやられたーと思った.

2013-10-08

はてなの詩

現実に選ばれなかった人に耳元でささやく声は

Go to hell? それとも Go to heaven

いや、Go to Hatena!だ

Hatena! Hatena! 

どんなに嫌おうが村の重力から逃れることはできない

なぜなら村の化身こそ・・・から

あなたの書き込みある所、ネットはどこでもはてな村になる

2013-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20130919132325

増田は先輩から受けた暴力を(あえて暴力と断言する)主観的エール、祝福、激励、叱咤と捉えてポジティブな影響を受けたかもしれない。

けれど、万民がそういうとらえ方を出来るとは限らないわけだ。それは増田の個人的な体験であって外部へ敷衍できない。

そもそも真実増田脳内に発生した幻想であって、先輩がどんな気持ちで暴力を振るったかなんてのは計りようがない。ただ単に「増田がそう感じた」という体験があるだけだ。

ポジティブ暴力行使を容認した増田は、自分の後輩にどんどん暴力を振るってゆくとする。そして、それは後輩にはそれがポジティブに受け取られる保証はない。

「だから体罰暴力として規制せざるを得ないんだよ。

増田有益効能をそこから引き出せたかもしれないけれど、それは再現性がない。たまたま有益だったひとりの意見で、数百倍の被害者を出すわけにはいかない。

前者と後者の違いは、手数の違い、平手か拳の違い等あるものの、現代的に解釈されてしまえば「暴力である

すっごい乱暴な理論だよね。僕は頭が悪いので、その乱暴さが容認される意味が理解できない。

体罰暴力を混同することを増田は「乱暴な理論だ」とのたまうわけだけど、自分ひとりの体験で社会制度しかセーフティーを切り飛ばそうという増田は「乱暴の化身」だよ。

2013-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20130521142302

子どもの夢を壊す子どもというのは己の知識量でもって周りから頭抜けたいというタイプで早い話が中二病の萌芽期みたいなところがあるので、

サンタクロースは昔は実在したけれど初代サンタが働けなくなってから協会を作って結社化して全世界に広がっていて、大人の男女が子どもを持つと(大抵は彼ら自身の親から結社に勧誘されて正式に『サンタ』として登録され活動することになるんだよー」

みたいな中二風味の組織話に仕立てると効果がある場合があります

ただし、自分が夢を壊されて傷ついたので他人の夢も壊してやる的に逆恨み復讐が混じっている場合はこの手の詳細を仕立て上げるやり口は不信を招いて逆効果なので注意が必要です。

そういう場合は「昔々北の国に聖ニコラウスという聖人がいて…」と本当のサンタ歴史を語って、このようにして子どもたちにプレゼントを配るという行為サンタという名の善意化身したんだよと正直にしゃべるといいです。

2013-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20130504005857

で?だからなに?資本主義ってものさしの1つでしょ。歴史の長さ、文化貢献、社会貢献ものさしは沢山ある。

お金大事って人たちの中で、やってれば? べつに、資本主義観点で、すごいなってのは否定しないよ。

 

だけど、万民に認められたければ 複数の価値観ベクトルを持ったら?

というかまさに、アパレルというか、ファッションブランド 上位をガンガン 買収している資本主義化身で勝つ歴史も長い

ルイビトンモエヘネシー グループに 資本主義観点で文句つけるというのは 面白いけどな。

 

やつら、エルメスすらも買収を企てた資本主義の鬼でかつ、有名ブランドで かつ、歴史あるブランドを買い漁ってて 

ヨーロッパブランドで 世界最大規模なんだが

どこに、欠点があるんだよ。

2013-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20130123021243

お金もくれずに笑顔だけくれる人にあなたはどれだけ優しくできるの?

最初はほめられてきぶんがいいとしてもどこまで続くと思う?

お金ってやっぱり敬意の化身なんだよねとアルバイトとかやってみておもったよ。

払う人のこと考えたら丁寧に仕事しようとおもうし、

そのうちなんだかんだいってちゃんと払う気ない人からものを頼まれるどころか会うのもイヤになるよ。

学生時代友達は別だけどね。

2012-12-26

イナズマイレブン化身使いって化身フェラさせたり手コキさせたりできるのかな

2011-07-14

初音ミクLAライブ外国人感想その8

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

 初音ミクLAライブを受けた感想の多くは、初音ミク現象や初音ミク海外進出などについて触れるのが主眼であり、ライブ自体への言及は意外と少ない。その中でも以下のエントリーライブそのものに焦点を当て、その演出や音楽、聴衆の反応を報告している。既に日本から参加者による様々なリポートが出ているが、外国人が見たミクノポリス外国人向けにどう紹介しているかを知るという意味でも興味深いものである

 urlは以下の通り。

http://blog.animeinstrumentality.net/2011/07/mikunopolis-hatsune-miku-live-in-los-angeles-concert-report/

+++++以下勝手翻訳+++++

ミクノポリス初音ミクライブinロサンゼルス――コンサートリポート

http://blog.animeinstrumentality.net/2011/07/anime-expo-2011-detox-and-brief-thoughts/

 アニメエキスポ2011に関する私の第一報で言及したように、今年のミクノポリスコンサートほど私を大混乱に陥れたイベントはなかった。ミクノポリスコンサートは私の通常の経験領域を遥かに超えたものであり、そこから出てきた私の脳裏には回答よりも疑問の方がたくさんあった。まず、歌声合成を売り物にした演出の構想そのものが既に危険に満ちている。たとえ選曲が拙くなかったとしても、技術的な問題によってコンサート自体が台無しになるか、あるいは馬鹿げた振り付けによって、どんなボーカロイドコンサートも決して完全にはなり得ないのではないか

 こうした質問に回答するうえで最も適切な人間はいえない私は、おそらく聴衆の反応という意見に従った方がいいのだろう。私が見た限り、聴衆は完全に夢中になっていた。全体の意見はおそらく熱狂的な「イエス!」だろう。私が最初にいた見晴らしのいい張り出し席からは、聴衆が心から公演に参加し、そうすることによって彼ら自身の刻印ボーカロイド現象全体に刻み付けているのを見ることができた。コンサートの間、彼らはケミカルライトを爆発的なロックの時は熱狂的に、もっと優雅な曲の時はゆるやかに、あるいはミクや彼女の仲間たちが登場した時にはリズムなど気にもかけず興奮して動かしていた。

 で、私は? どういうわけか私はヴァーチャルディーヴァという観念を完全に受け入れるための心理的ハードル突破できなかった。他の多くのコンサートが有しているある種の感情一体化と同じものがミクノポリスコンサートになかったのが問題の一部にある。と言うのはつまり、私が思うにこのコンサートに人々が参加し楽しんだ理由は一つだけではないのだ。

 そこにいた人々はテクノロジーを目撃したのか? ミクと仲間たちが投影スクリーンを通じて生命を得るのを見るのは、一種のどえらい光学的な楽しみとして間違いなく極めてスリリングだった。聴衆に一息つくほんの僅かな余裕しか残さずに一つのから次へと素早く遷移したのは、目もくらむような効果をもたらした。ボーカロイドキャラは、時に特定のキャラ対応した色の光の塊から実体化することで、興奮を高めた。例えばピンク色の光が巡音ルカステージ登場の先触れとなったように。キャラの髪の毛や衣服が、彼らがステージで踊るたびにどれほど見事に揺れていたかに言及することなしに、技術面での議論を終えることはできない。中でも衣服は、懇願するような「炉心融解」の際にリンが身に着けていた黒と白のドレスや、「moon」でのミクの優雅な服装を含め、極めて魅力的だった。彼女らの服と髪はどれもキャラの動きと一緒に跳ね、揺らぎ、羽ばたき、その見栄え全てをまるで生きているかのように仕立てていた。もしテクノロジーの展示が目的なら、ミクノポリスは確かにこれらの高い期待に答えることで成功したと言えるだろう。

 人々は単にミクと仲間たちを見に来たのか? それはおそらく最も説明力に乏しい説だろう。ミク自身は、その上にファンたちが彼らの(Kylaranが書いたヴァーチャルディーヴァから引用するなら)「歌や動画という形式の小さな物語を書き込み、それが回りまわって単なるキャラを超えた生命彼女にもたらす」ための一片の白紙に過ぎない。ミクと友人たちが、いかに彼らの人格の多くをクラウドソーシングと数百ものその解釈から効果的に得ているかを見れば、何人かのファンは単に彼らの最も好きなボーカロイドキャラに属するある特定の性質を見せる特定の歌を聴くために参加していることも充分にあり得るだろう。

http://behind-the.nihonreview.com/20110707/virtual-diva-hatsune-mikus-popularity-and-the-sound-of-the-future/

 だが私にとっては、焦点はもっぱら音楽にあった。つまり私がミクノポリスで主に注目したのは、たまたま情報伝達手段としてボーカロイドを使った作曲家たちのショーケースとしての音楽祭という側面だった。そしてこれまた、いかに多数の調べるべき曲があったことか! ミクノポリスコンサート23楽曲ママ]を含んでおり(文末にセットリストあり)、例えば古典的なryosupercell)の歌「ワールドイズマインから、不明瞭な英語で歌われたwowakaの「ワールズエンド・ダンスホール」のような最近の曲まであった。ボーカロイド人間を上回っている切れ味という点から、例えば「裏表ラバーズ」やcosMo(暴走P)の「初音ミクの消失」といった、どちらの歌も呼び物となっているミクが歌詞を速射砲のように歌う部分があり、どの人間にとっても明瞭に発音するには速すぎるため単なる人間には歌うことができないような曲の演奏を見るのも、一層興味深い。

 しかボーカロイドステージ中央に陣取り注目を集めている一方、ミクと仲間たちを囲む人的要素の方が遥かに興味深いことに私は気づいた。コンサートの前に聴衆はダンスロイドによる型通りの演目を見たのだが、ボーカロイド現象が単にボーカロイド曲に合わせて踊るのが好きなだけのファングループを発生させたという事実に私は魅了された。彼女らが音楽に同期して動くやり方は、リズムメロディー視覚的側面をもたらし、歌を単なる聴覚上のものにとどまらずより多くのレベル全体にかかわるものとして表現している点で、実に楽しかった。彼女たちがコンサートの残り時間においてステージ近くにいなかったのは残念だった。人間ダンサーとミクが並んで演じる場面を見たかったのに。

 ステージ上にいた人間演奏家たちもまた素晴らしかった。ミクはエレキギターベースパーカッションキーボード、及び弦楽器の奏者たちを紹介するために時間を割いた。特にエレキギターソロ演奏を通じてかなり目立っており、コンサートボーカル部分からは失われていた名人芸の要素をもたらしていた。彼のリフは「StargazeR」の間奏において活力を高めるハイオクとなり、彼が見せるテクに私はずっと夢中になった。だが何より私が印象を受けたのは弦楽器キーボードの編入だった。特に彼らが締めの「ハジメテノオト」で表現した驚くほど崇高なメロディーは、ボーカロイド過去を作り上げてきた感情をもたらしながら、一方でその希望と楽観に満ちたやさしい音によって未来への道案内も務めていた。

 そもそもこれほど多くのファンをノキア・シアターに連れてくるのに、唯一の尊大な理由があったとは思えない。テクノロジーの融合、キャラ/人格、そして丸見えになった音楽、さらにはその全ての体験が極めて刺激的だった。ボーカロイド技術はまだ音楽業界を支配するには程遠いし、そして現時点でのその化身は、まだ音楽心臓部に横たわっている本物の人間ならではのある種感情的表現に取って代わる能力を持たない。これら全てを踏まえると、ボーカロイドはこれまでも、そして今のところなお、単に物珍しい存在にとどまっている。だが私は変化の地鳴りを感じている。予め歌声を調整された歌手蔓延は、我々がヴァーチャルアイドル界に後数歩まで迫っていることを意味しているのだろう。変化の風が人間歌手を完全に吹き払ってしまうのか、誰にも分からないが、現時点で私はまだ人間歌手が負ける方に賭ける準備はできていない。少なくとも今のところは。

セットリスト

1. Project Diva desu

2. ワールドイズマイン

3. えれくとりっく・えんじぇぅ

4. 恋スルVOC@LOID

5. クローバー クラブ

6. ぽっぴっぽー

7. ロミオシンデレラ

8. 裏表ラバーズ

9. パズル

10. VOiCE

11. 1/6

12. moon

13. 初音ミクの消失

14. 右肩の蝶

15. 炉心融解

16. Just Be Friends

17. ワールズエンド・ダンスホール

18. from Y to Y

19. サイハテ

20. ファインダー

21. SPiCa

22. 愛言葉

23. StargazeR

24. ハジメテノオト

+++++勝手翻訳終了+++++

初音ミクLAライブ外国人感想その1「再生約束」逐語訳

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生約束フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」

http://anond.hatelabo.jp/20110709211718

初音ミクLAライブ外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

http://anond.hatelabo.jp/20110710234300

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

http://anond.hatelabo.jp/20110711212701

初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

http://anond.hatelabo.jp/20110712205546

初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

http://anond.hatelabo.jp/20110713211501

初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

http://anond.hatelabo.jp/20110715222900

初音ミクLAライブ外国人感想その10アニメエキスポ2011(抄訳)」

http://anond.hatelabo.jp/20110716194029

初音ミクLAライブ外国人感想その11世界彼女もの初音ミクはいかにして全てを変えたのか」

http://anond.hatelabo.jp/20110717201147

初音ミクLAライブ外国人感想その12アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験」

http://anond.hatelabo.jp/20110719031316

初音ミクLAライブ外国人感想その13「ミク:日本ヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

http://anond.hatelabo.jp/20110719203237

海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2011-06-10

自分ブス専かもと思った

前にバイトした職場で、すごい美人がいた。

信じられないというほど美しかった。

ノーメイク(化粧厳禁の職場だった)が信じられなかった。

(後日メイクした彼女をみたがメイクしてもそれ以上はほとんど綺麗にならなかったが)

佐々木希とか、仲間由紀恵かいレベルじゃなかった。

爪の形から、唇の血色まで完璧だった。

おそらく枝毛一つ無いんだろう。

などと思ってしまったりする。

道を歩いていたら見惚れたドライバーたちが事故が多発しかねないレベル

なんでそんな化粧厳禁の会社で働いてるのかは疑問だ。

しかしまあ、やっぱモテるんだろうか。

俺はあんなのに欲情できないよ。

チンコ勃てられないよ。

あんな美の化身みたいなのの前に顔を晒すのだって拷問なのに、無様な裸だとか、チンコなんかみせられやしない。

俺ってブス専なんだろうか?

2010-03-17

田原総一朗(75)、大麻使用

ttp://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1268209499/l50

大麻を禁止したのは昭和23年アメリカの政策によるもので、それまで

日本はずっと大麻を栽培してきて、服作ったり薬にしたりの貴重な農産物

だった。アメリカはなぜ大麻栽培を禁じたのか。

依存性があるからとか有害だからとかそんな理由ではない。

大麻にはタバコお酒ほどの習慣性はないし、なにより依存性の高い

ヒロポン(覚せい剤)が禁止になったのは昭和26年だから。

今言われている理由は色々あるけれど、大麻オールマイティ植物で、

存在が不都合だから。石油に代わるエネルギーになる。

肥料もいらず生育も早くたいていの土地で育ち、紙、布、薬など用途多彩で

エコ植物大麻の種は高品質たんぱく質石油化学繊維、製薬、色んな

業界にとって大麻ってのはとっても厄介な存在だったんですね。

そして、もう一つ、日本の神性を奪うこともその理由であったのかなと

思います。大麻というのは天照大神化身とされていて、天照大神御札

ことを神宮大麻と呼ぶし、神職の服も、注連縄も・・・注連縄も昔は大麻

だった。今の注連縄は残念ながらほとんど稲のワラです。

2009-12-20

超能力と魔術(超電磁砲

超能力はパーソナルリアリティ(自分だけの現実)によるものとされている。FATEでいえば固有結界主観による客観への浸食本質

対して魔術は、あくまでの法則に従う技術スキル世界の内側での話で、ルールの行使、儀礼による操作が本質

こういう対比において、学園都市レベルファイブの上位が、世界律そのものにかかわる能力なのは偶然ではない。

メタというか現実で対応するものといえば、超能力はここでは創造性を意味する。世界に新しいものを持ち込む、主観による客観への浸食

これに対して、魔術は、もっと技術的で、狭い意味知的能力だ。すでにあるルールを、別の形で転用し、利用する。それがマジック

わりと美琴ってアニメの印象では弱いと思われていたと思うんだけれど、今回で片鱗が見えたとおり、

彼女より強いのは、負けないことそのものが能力であるような(反射とはそういうことだろう)一位と、世界法則そのものに干渉する第二位だけ。

だいたい、電子というのは素粒子なので、それを自由にできるというのは、かなり世界根底構造に干渉できるということでもあり、

普通に考えても、応用の汎用性は高い。また、象徴的にも、元素化身ということは、神話的な雷神イメージでもある。

ところで、固有結界ということでいえば、とあるの超能力は、それぞれ「根源」とでもいうべき、願いの形のようなキーワードというか、

そういう意志が、能力発動のもとにある。それがたとえば、アクセラレータでは誰にも負けないこと、であったりした。

美琴が電撃使いであることの根源には何があるのか、というのも、考えてみると面白いかもしれない。

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