はてなキーワード: ルポとは
『生野区連続通り魔事件』の削除について 該記事は特筆性無しとの主張により数度の削除を経て、現在削除(白紙保護)という状態に陥っています。 経緯 ①(初版作成) ②Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130526(削除5、存続4)、管理者Muyo(ノート/履歴/ログ)氏により削除 ③Wikipedia:削除の復帰依頼/生野区連続通り魔事件(復帰26、削除15)、管理者Freetrashbox(ノート/履歴/ログ)氏により復帰 ④Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618(削除31、存続26)、管理者Triglav(ノート/履歴/ログ)氏により削除 ⑤(復帰強行) ⑥Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件20130629(削除8、存続1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時削除、白紙保護 ⑦Wikipedia:削除の復帰依頼#生野区連続通り魔事件 - ノート(復帰1、反対1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下 ②③④ の段階では削除、存続意見が拮抗している状況が伺えます。つまり、特筆性無しでコミュニティでコンセンサスが得られている状況ではありません。しかし、④ の段階で削除が実施され、⑤にて手続きによらず復帰強行、⑥にて即時削除(白紙保護)がなされています。そこで、⑦にてわたしのほうから手続きに則り復帰 依頼をかけましたが、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下されてしまいました。事由としては<同じことを繰り返すな>ということですが、そもそもわたしの理解ではコンセンサスなき削除状態をただす依頼であったため、<同じこと>という認識は誤りだと考えています。 本件につきまして皆様のご意見、果たして特筆性無しというコンセンサスが得られているのかどうか、をお聞かせください。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月29日 (土) 14:54 (UTC) コメント ④の削除は、②の削除で合意不十分として③で復帰した経緯を全く無視したものに見える。よって⑦が提案されたものと考える。しかし、この経緯が理解されなかったらしく、⑦が即時却下されたため、まずここで認識の違いを埋める作業が必要だと考える。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月29日 (土) 16:23 (UTC) コメント この中で一番問題なのは⑤ですね。なので⑥は当然の処置、⑦は却下されて当然です。一方、②から④の判断が適切だったかどうかは削除依頼を隅から隅まで熟読していないので、判断は控えます。--JapaneseA(会話) 2013年6月30日 (日) 01:11 (UTC) コメント ②および④では、「特筆性あり。存続すべき」ということの妥当性を保証できるような情報がついに提示されなかった、ということでしょう。ですから、少なくとも④については、それぞれの経緯を踏まえた上での、問題のない判断だったと言えます。(個人的には、③では「復帰すべき」とするコンセンサスが得られていない状況だったので、復帰が適切だったのか、少々疑問に感じています。結果論ですが、あのまま「復帰せず」でも良かったのではないかと・・・)⑤は行為として最悪なので論外、⑥は当然の処置、⑦は却下されても仕方がないでしょう。⑦は、削除状態を「正す」のではなく「質す・糾す」依頼であったというふうに私の目には映っています。--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 02:26 (UTC) コメント 各依頼について、 ②の時点では存続意見より削除意見のほうが妥当(この時点から資料にニュースでは不十分、以後の経過次第では復帰可能と示唆されています)。 ③については削除依頼で不参加の利用者が多く参加した(何故最初の削除依頼で意見を言わなかった方々がこれほど参加したか原因は予想できますが)ため、意見の合意が出来てないという理由。 ④については意見が十分に出尽くしWP:DP#CLOSEで言うところの『審議がまとまった』(自分は削除意見と存続意見の大勢が出揃ったと解釈しております、意見がまとまったという意味ですと『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあります』と相反するものになるので)ところで、削除意見のほうが理にかなうという判断。 ⑥はGFDL違反が絡む案件。 ⑦は新たな材料が無いため③,④の焼き直しとなることは自明。 現状ではこういう解釈をしており、どの管理者の行為についても問題は無いものと考えます。そもそも特筆性を問題にされている案件なのに二次資料の提示がされないことが現状での特筆性の無さを示していると考えます。よそでも言ったのですが『現状では確認できる資料が新聞レベルでありその域を越える資料が提示されていないため、特筆性(WP:GNG)を担保する二次資料(WP:PSTS)がないためウィキニュースか最近の出来事止まりということです』。 ④において無効撤回も含め賛否コメントの内容を大分すると 削除意見「現状特筆性が無い、特筆性を裏付ける資料が無い、特筆性を担保する資料が出てきてからでも遅くは無い」27「ウィキニュースの範疇,報道量の不足」4「雑報である、単なる嫌韓感情」1 存続意見「犯行理由等が特異,人種にまつわる事件」10「特筆性の理由は不適」1「特筆性はある、資料は十分」11「ネットニュース,削除依頼などで多く関心を持たれている事が特筆性の証紙」3「発展性がある」3「削除に足る要件を満たさない」2「議論不十分」1「事件の大小は問題無く十分百科事典的」1--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC) 分量が多いので若干見落としがある可能性などは否めませんが、だいたいこんなところです。加えて一度コメント入れて議論しない方もいますので編集者間の審議の合意は無理です、審議の内容であるコメントや議論に基づき管理者・削除者が削除の提案に合意をすることはあるでしょうが。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC) コメント 大勢という文言を使ってらっしゃる方がいますが、基本的にWikipediaは多数決ではないと思っています。ですので、④の時点で「削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています。この間違いを糺そうとしたのが⑦の当方依頼および今次の議論提起です。削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティのコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティのコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です。多数決ではないんです、コンセンサスが取れているかどうかなんです。何回も書いているんですが、ここの観点でのご意見を伺っているのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:21 (UTC) コメント ヒートアップしすぎです。お茶でも飲みましょう。いま、生野の件の参加者を平等に招集したところでありますから、皆さんの意見を聞きましょう。 もう一点。返信を乱発するのはよくないので、私のコメントの一部を撤回しました。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月30日 (日) 05:30 (UTC) 仰ることはわからないでもないのですが、本議論を提起したことによりこちらWikipedia:投稿ブロック依頼/BlueSkyWhiteSunでわたしにブロック依頼がかけられています。わたしがブロックと決したならば、本議論も自動的にクローズとされてしまうでしょう。あまり時間は残っていません。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:37 (UTC) 『大勢』は『たいせい』であり大体の状況という意味です。すなわち削除意見、存続意見が大方出揃いコメントの傾向が定まったということです。 元々の英語版の『Wikipedia:Deletion policy』にある『Deletion discussion』によると「削除依頼に参加する編集者は削除するか否か見解を出せる」「可否は多数決により決まるわけではない」「参加者は各々が自分の見解について説明し方針を参照する」といった内容であり、利用者の間で合意形成をするのではなく、利用者各自が見解を述べ管理者・削除者に対し合意を得るというのが本義であると考えます。そういった意味ではWikipedia:削除の方針の削除依頼のところは主語が省略されており誤解を招きやすい表現です。 自分は削除依頼は利用者の間で合意形成をするものでは無く、個々人の意見が集まったところで管理者・削除者が判断し閉じるものであると解釈しております。今回の件に関しては存続方の見解が削除方の見解に比べ具体的な証左に欠けていたのではないかと考えます(特に資料が新聞・ニュース止まりで特筆性を押し出すには力不足であったと見ております)。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 08:03 (UTC) すべての合意は利用者間でなされるものと理解しています。管理者等は利用者間の合意に背くことはできないと存じます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 09:47 (UTC) 特筆性という『弱い』制約にしたがって削除するには合意のレベルが低い。合意が取れているのか自体も明瞭でない。--60.34.102.131 2013年6月30日 (日) 07:46 (UTC) コメント 「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています」とおっしゃられている方がいらっしゃるのでコメントします。そもそも、④の時点で「削除票が存続票より5票多いから削除しました」などという低レベルな判断・処置が行なわれたのではなく、削除票、存続票の中身をよく吟味し、検討して、総合的な判断の結果として、④で対処なさった管理者の方は「それぞれの投票時のコメント内容を見る限り、削除が妥当」と判断なさった、ということです。ですから、「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当』という解釈」があったかどうかということは問題になりませんし、④の時点での管理者の方の判断には「糾す・糺す」必要のあるような間違いもありません。「削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティのコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティのコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です」とのご意見については、結局のところ、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは多数決主義ではありませんから見た場合に、意地悪な言い方をすれば「全有効投票数における削除票の占める割合がある一定量以上でないと『削除』という判断を下せない」ということになってしまいます。そもそも、「削除票が相当な大勢を占めねばならない」とする根拠が不明です。ウィキペディアでは票の数でコミュニティのコンセンサスが得られたかどうかが決まるわけではありません。投票の際に、どのような理由を述べるか、が重要なのです。ぶっちゃけた話、仮定の話として「方針文書・ガイドライン文書と照合した上で、具体的に理由を述べた削除票5票」と「個人的・主観的な理由を述べているだけの、適当な理由付けの存続票5票」があったとした場合、表面的には「票が同数」ですが、これは「存続」以外では判断できないということなのでしょうか。そういう事ではないと思うのですが・・・。「多数決ではないんです、コミュニティのコンセンサスが得られているかどうかなんです」との仰せですが、一連のコメントを拝見する限り、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めねばならない。大勢を占めていなければ「削除が妥当」とするコンセンサスが得られたことにならない」という意見は、削除票を不当に軽く扱うものであると思います。その理屈ですと、「票の中身を検討する必要性」が度外視されているように感じますし、何よりもまず、「削除票と存続票の扱いや重さに極端な差をつけている」ように感じますが、ウィキペディアにおける「票」の重みは、「投票時のコメントの中身」によって決まるのであって、「削除票だから軽い」「存続票だから重い」というわけではありません。削除票が相当な大勢を占めていたわけではないことをもってコミュニティのコンセンサスが得られていないとするのはかなり無理があるのではないでしょうか。投票時のコメントの中身や説得力次第では、表面上の票数とは関係なしに、票数が少ない側(④のケースだと、「削除」側)の主張が通るケースもあるでしょう。しかし、④のケースでは残念ながらそうではなかった、ということでしょう。長文失礼いたしました。(結局のところ、「④の判断は誰が何と言おうと間違っていた。④の削除処置を糺し、正すために、記事を復帰すべきだ」ということなのでしょうか)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 08:18 (UTC) コメント そういうあなた自身が存続票の存在を不当に軽くみているとしか思えません。中身中身と仰いますが、一体どこで削除票には中身があり、存続票には中身がないということがあきらかになったのでしょうか。存続票に中身がないといっているのはあなた個人であってコミュニティはそのような判断はくだしていません。くだしていない以上、双方の見解票は同等の重みをもって扱われるべきでしょう。なお、「正す」「糺す」論については本論とは無関係なため割愛させていただきます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) 返信 (BlueSkyWhiteSunさん宛) 票の「中身」は管理者の方が判断材料としてよく読むわけです。そして、その結果として、記事は削除になったり存続になったりする、ということです。私は「存続票に中身がない」とは一言も申し上げておりません。強いて言うならば、存続票が削除審議に与えた影響力の結果は、管理者の方々のご判断(処置)に現れているのではないでしょうか。なお、「(存続票の中身についての判断をコミュニティが下していない以上)双方の見解は同等の重みを持って扱われるべき」とおっしゃられていますが、そうであれば「(削除票の中身についてもコミュニティが判断を下していない以上)存続票と削除票は同等の重みをもって扱われるべき」ということです。ということは、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という意見は説得力を失います。なぜなら、票の重みについていかなる予断もないはずの状況で、最初から「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」(語釈に忠実に言うならば「削除票は議論において相当な力を持つ中心勢力・メインストリームとならねばならない」となるでしょうか)とすることは妥当性がないからです。「相当な大勢を占めない限り、『削除票』を投じても記事は削除にならない」ということであれば、存続票に比して、削除票がクリアすべきハードルが高い(「相当な大勢」を占めねば考慮されない)という状況を招きます。しかしながら、「双方の見解は同等の重みをもって扱われるべき」であるおっしゃれたということは、「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という見解は撤回又は否定されたものと考えられます。なぜなら、「削除票の側だけ、クリアすべきハードルが高い」ということはなくなるからです。(翻って、存続票について考えた場合、存続票も「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」とお考えなのであれば、まだ話はわかりますが、一連のコメントを拝見する限りはそのようなお考えは読み取れませんでした)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 11:06 (UTC) あー、ごめんなさい。同等に扱われなければいけないのは「双方の見解」ではなく、「双方の票」ですね。これはわたしの2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC)のコメントを読んでもらえればわかると思います。それと作成された記事はWikipediaでは存続が基本です(誰でも勝手に記事作成はできますが、誰でも勝手に記事削除はできませんよね)。記事に対して削除すべきというのであればそれ相応の根拠がなければいけない。その根拠をまとめたのが削除の方針です。削除の方針を適用するためには根拠を述べて審議を通さなければいけないのです。なかでも削除方針ケースE(特筆性)は立証が難しい、というかほぼ不可能。であるならば、コミュニティの大勢を以って判断するしかないわけです。それが最前から繰り返しているコミュニティのコンセンサスです。もし、コミュニティの大勢が一致していない場合、つまりはコンセンサスがない場合、ケースEについては削除主張者は根拠立証不可であり、作成された記事は基本存続の原則に立ち戻るわけです。つまり、「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」ということはないのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 11:36 (UTC) コメント 私はもう、この事件に関連する議論はもう疲れたのであまり参加したくないのですが、会話ページにお知らせがありましたので、お知らせがあったら必ずコメントする義務はないのですが、一応コメント残しておきます。あと機種依存文字である丸囲み数字は代替できる時には使用を控えるべきかと思いますが・・・。 まず私からすれば、②の削除措置は私個人としては問題のない事だと思っていましたが、まぁ仮に合意が取れていなかったとしましょう。そのための③があり、現に復帰しました。私からすれば、復帰する合意も取れていないので、削除の合意が得られていないとする意見に対して復帰の合意が得られていない意見が出なかったの不思議なのですが、復帰依頼で十分な人数と期間を持って議論をすべきという意味合いがあったのかもしれません。では、その間で特筆性を有する資料をどなたか提示したでしょうか?私は無かったと考えています。特筆性が「ない」の証明は複数の状況から総合的に判断するしかないですが、特筆性が「ある」と証明するのは、たった1つの資料を提示すれば済むことです。それを悪魔の証明というかヘンペルのカラスというかは分かりませんが、そういうことです。 なお、⑤に関しては論外です。仮に前の復帰依頼で削除の合意が得られていなかったとしても、それは復帰の合意が得られている事と同義ではありません。議論を無視した復帰は方針に反します。したがって⑥の削除は全く問題ありません。 そして⑦についても問題ありません。というか、この議論もほぼ同義かと思います。④の削除でも言われていますが、記事の復帰にはこれまでに挙げられたもの以外の、全員とは言わずとも10人中8人くらいが「この事件には特筆性がある」と言える資料を提示すべきです。私はこの議論に対して最初から削除派を貫いていますが、そのような資料が提示されれば考えを変えますし、提示されても尚考えを変える気がないと判断するのでしたらいつまでも納得しない人としてコメント依頼を提出するなどの事は構いません。ですが現状では、はっきり言ってしまえばそういう現状を変えるような客観的な根拠を提示せずに復帰に固執する方が納得しない人に該当するのではないでしょうか?そして、各議論で「削除票と存続票は拮抗している」という意見が散見されますが、多数決主義ではないという方針は何度も述べられていますが、仮に票数を数えるとして、存続票のどの程度が中身の濃い、具体的な意見を述べていたでしょうか?依然出た意見とかぶるものもありますが、存続票が多いのに削除を断ずるのは不当だという意見は、中身の濃さを見ずに存続票と削除票のそれぞれの重さをないがしろにする意見かと思います。 --Kiruria281(会話) 2013年6月30日 (日) 08:33 (UTC) コメント 票の中身論については上にコメントしましたので割愛します。特筆性においての削除(削除ケースE)やその他の削除ケースは、削除要件によって削除を行うものです。そして、そのケースに該当しない場合、多くの記事同様、存続が適用されるわけです。削除を訴える側は自らの主張にともない、削除要件を立証する必要があると理解します。立証が不可能であれば削除を申請することは不可能です。ケースEについてはもっとも立証が難しいものでしょうが、コミュニティとして記事の特筆性がないという判断がくだれば、立証に代えることも可能でしょう。コミュニティとしての特筆性がないという判断、すなわち、コミュニティのコンセンサスが得られるかどうかが、ケースEの適用是非を決定するということになると考えます。しかるに本件の数次にわたる投票がなされている現況を顧みれば、コミュニティのコンセンサスが得られていないのはあきらかです。それを問うているのが本議論です。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) コメント 私は②には参加してませんが、読み返すと④の時以上に、②の存続票が酷過ぎるなと感じました。5対4と言ってもスピード違反の論理な意見が二つにそれと同調する意見だけでは、他の削除票と同価値と呼べるものではないでしょう。②の時点で削除で決着ついたと言わざる得ないでしょう。その後状況の変化があったわけでも、加筆されたわけでもない④の削除が正当か不当かなんて論じるまでも有りません。⑤⑦に至っては問題外でしょう。加筆さえされて充分量の内容になったのであれば、復帰に協力でもしますが、現時点ではあり得ない話です。--あな34(須魔寺横行)(会話) 2013年6月30日 (日) 09:25 (UTC) コメント 票の中身論については上に述べましたので割愛します。充分量の内容というのはどの程度の量か、具体的にご提示いただけますか。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) コメント 論点を整理します。ケースE(特筆性)による削除は立証は難しい(これは削除側にとっても存続側にとっても同様)、したがってコミュニティのコンセンサスを以ってその有無を判断せざるを得ない。本件については長期にわたってその特筆性の有無が審議されており、直近の正常審議の行われた④の投票においてもコミュニティとしてのコンセンサスが得られている状況ではない。票の中身云々については立場によってお互いが相手の票の中身を判断して良いものではなく、基本的にその票の重さはいずれのものであっても同等に扱うべきである。なお、わたし自身の特筆性を有りとする論拠は日本では稀有(初?)なヘイトクライムであること、外部のニュース媒体からWikipedia編集に関して報道があった、こちらも稀有(初?)なケースであることです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC) コメント 二度同じことを言うのもなんですが、削除の方針について日本語版のベースとなっている英語版では利用者各自が方針に則り削除すべきか存続すべきか意見しその審議内容から削除者・管理者が判断するようです。日本語版でもWP:DP#CLOSEに『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあり
http://anond.hatelabo.jp/20130529230131 の続きです。長くて途中で途切れるため分けました。このエントリで紹介するのは以下の本です。
影響を受けたブログは20冊の本を取り上げていた訳だが、自分で真似をしてまとめていく内に20冊よりもずいぶん多くなってしまった。なので、上記4冊は似たテーマなのでまとめて紹介することにする。この節は日本人の自伝だ。
「名人に香車を引いた男」は昭和の将棋指し(棋士)の升田幸三名人の自伝。羽生善治さんがもし生きていたら是非将棋を指してみたい棋士の方だと聞いたことがある。
生き方はなんとも痛快。昔の人のバンカラな感じというか、そういう感じが良く出ている。この人のように、どんな人にも自分の本音を話せる人は今日本の中にいるだろうか。そして、名人になった時の一言が心に残る。
「八十歳のアリア―四十五年かけてつくったバイオリン物語」は糸川英夫さんの自伝だ。この方はロケットが専門の研究者で、戦時中は戦闘機の設計に関わっていたり、戦後もロケット開発に関わっていたりする方だ。戦後間もない時期は失意に沈んだ時期で自殺も考えるほどの状況だったが、バイオリン製作がきっかけで少しずつだが自分を取り戻していく。そのバイオリン製作には完成までに40年以上もかかった。そのバイオリンとは――。
升田幸三名人、糸川英夫さんの両氏とも戦争の影響が人生に大きくのしかかる。その点でまとめさせてもらった。それと、両氏の著作とも読んでもらえばわかるが、自由だ。それ以外はあまり共通項はないけれど、読んで楽しい本だ。重い話はないし、読みやすい本なので手に取ってみてほしい。
「記憶の切繪図」は「フェルマーの最終定理」の中で登場する志村五郎博士の自伝。「フェルマーの最終定理」の中でサイモン・シンさんは志村さんにいろいろインタビューしている。その中で数学における「良さ」とは何なのか、それに答えるシーンがある。その答えが簡潔なのだけれど、それ以上無いくらい志村さんの数学のとらえ方を表しているように思え、興味があって読んだ。
この方も上記二人に劣らないくらい自由だ。Amazonのレビューには高木貞治さんを愚弄しているという指摘がある。しかし、だからといって謙遜して書いてもらっても一読者としてはおもしろくも何ともない。むしろそのまま出版してもらって良かった。
こう書くと志村博士はずいぶん口の悪い人で、ある種の暴露本に思えるかもしれないが、そうではなくて、要所要所に意図して書かないことがあったり、感情を押し殺した表現がちらちらあるのだ。それがあるから、志村さんの人となりがわかった。良い自伝だ。
「弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖」は少し前に東京都知事選に立候補されたり、弁護士会の会長をされていた宇都宮健児さんの自伝だ。まだ自伝を出すには早いと思うので、半生を綴った本としておいた方がよいか。
決して飾らないその人柄は文章にもそのまま表れている。豊田商事事件、オウム真理教の一連の事件、カード破産の話など、弁護士として関わった事件の数々。それらを振り返りながら、今されている仕事にも言及している。自分は法律のことは全くわからないが、こんなに多様な類型、しかもその事件が発生した時点では立法そのものが不整備だったり、法解釈が分かれていたりといった、未開拓の問題に対処するのは並大抵の法律家にはできないように思える。それをまるで飄々とこなしているような姿は、武道の達人のようだ。
気負いのなさと実直さ、そして執念を感じる本だ。宇都宮健児さんへのインタビューが下のURLにある。興味のある方は見てほしい。
この本は学生時代に講義で先生がおすすめされていて読んだ本だ。著者は高橋秀実さん。
高橋秀実さんはルポライターで、自分の体験を元に本を書く方だ。ただ、ルポライターではあるけど、少しほかのルポライターと毛色が違う。本来ルポライターは事件や事故が起きたら素早く現場に赴き、当事者にインタビューをして、それらを記事や本にする。高橋さんはそれらの事件や事故が起こって、ほとぼりが冷めたあたりでインタビューに出向く。時期がかなり遅いのだ。
元のブログでは物事には多様な見方や解釈があって、一元的に判断することは危険なことを理解するための本として「バカの壁」を挙げていた。その点では、この本も内容は似ている。面白いのは、この本ではそれが「実例」でいくつも挙げてある所だ。
ニュース番組や新聞では、大きく取り上げられていた事件・事故が、実際に現場に行ってみると「あれ?」と思えるくらい当事者たちは冷めていたり、むしろその状況が続くことを望んでいたり――。読み進めていくうちに、不謹慎かもしれないが笑ってしまうような話になっていったりするのだ。某映画の台詞の反対で、むしろ事件は会議室でしか起きていないんじゃないか?、という気持ちにもなる。
自分は単行本(ハードカバー)で読んだ。解説を村上春樹さんが書かれていた。(はずだ。確か)
堅苦しい話ではないので、気楽に読んで、何度かたまに読み返すとその度に不思議な気持ちになる本だ。
著者は西前四郎さん。半分が小説で半分がノンフィクションといった感じの本だ。
デナリというのはアラスカにある山の名前で、日本では「マッキンリー山」と言った方が通りがよいと思う。この山を登る登山家チームの話だ。ちなみに、植村直己さんはこの山で行方不明になった。(この本のチームとは無関係だろう)
厳寒期の冬山を登る人の気持ちは自分には想像もつかない。だけれども、そんな自分にも山を登るチームワークの大切さと難しさ、軽く見積もった事象が後にやっかいな出来事にふくらんでいくその状況判断の危うさや過酷さ、そして生きることへの執念といったもろもろが、響いてくるような本だ。
今の登山の装備と比べると、重かったりかさばったりしてその面でも大変だったはずだ。写真のページを見ると、そんなところも気にかかった。
この本のあと、山登りの本は植村さんの本(「青春を山に賭けて」)も読んだけれど、こちらの方が山について全く知らない自分には印象に残った。所々で登山の道具の名前(ハーケンとかザイルとか)が出てきて、イメージができない自分のような人は、出てきたところで、ググったり辞書で調べて簡単な絵を紙に描いておいて、再度出たときにその絵を眺めたりしながら読むとより読みやすいと思う。
この本は椎名誠さんが著者だ。椎名誠さんは今はエッセイや世界各地を回った紀行文を書いたり、写真家であったりとマルチ作家だけれど、この本が出たのはそうなり始めてすこし経った頃だ。
冒頭から危機的な状況である。にもかかわらず出発するのだ。この判断は本当だとしたらすごいことだ。何が危機的なのかはここでは言わないけれど、読めばすぐわかる。
全体として、椎名さんが書く紀行文は自分で感じたことをズバズバわかりやすく書いていく方法なのだが、この本はそこまでズバズバ書くと言うよりも、なんとなく「岳物語」につながるような、私小説風の書き方をしている。その書き方もあるし、パタゴニアという場所のせいもあるからか、行き止まりに向かって進んでいくようなやり場のの無さを感じる。それが途中ですっと消えて静かな感じで終わるのだ。自分はそこがとても好きだ。精神的な閉塞感がふと消えて、やさしさが残る本だ。
冬から春にかけて寝る前に少し読むのが似合う本だろう。この本は文庫版もあるけれど、ハードカバーの装幀が自分にはしっくりくる。
カヌー犬・ガクというのは、前に挙げた椎名誠さんの飼っている犬の名前だ。その犬は手こぎボートの船頭に座って川下りをするのが得意という、ちょっと変わった特技を持つ。
その犬と椎名誠さんの友人の野田知佑さんが、日本や世界の各地を巡ったときの話をまとめたのがこの本だ。著者は野田知佑さんご自身。
カナダのユーコン川を下ったり、北極(か、南極か忘れてしまったけれど)に行ったり、といろんな所に行って危険な目に遭ったり……、南国に行ってのんびり過ごしたり。少し羨ましいけれど、いざ自分が行くとなるとそんなところはとても怖くていけないようなところに行く。
犬を人間と同じように扱うという著者なので、犬が好きな人はより楽しめるだろう。元のブログとの対応としては「深夜特急」にあたるかな?(やや無理矢理だけど)
著者はM.B. ゴフスタインさん。翻訳は末盛千枝子さん。絵本だ。(やや字が多いけれど)
小さな女の子が主人公。おじいさんがピアノの調律を仕事にしていて、おじいさんとしては女の子にピアニストになってもらいたいのだけれど、女の子はおじいさんのようにピアノの調律をしたくてたまらない。そんなときに、ピアノの調律を頼まれるのだ。
あらすじで書くとそんなに心惹かれる感じは無いかもしれないが、絵の良さ、そして言葉の良さ。二人を取り巻く登場人物の面々もすばらしい。
「謎のギャラリー」のところで言及した「私のノアの箱舟」も同じゴフスタインさんの絵本だ。こちらもすばらしい。ゴフスタインさんの本はほかにも何冊か読んだけれど、この本が一番絵本らしい絵本だと思う。絵の良さはいくら文章にしたところで伝わるものではないので、図書館で借りたりして手に取ってみてほしい。もちろんM.B. ゴフスタインさんのほかの本を読むのも楽しい。
中学校で習う数学を、苦手な人も得意な人もできるかぎり楽しく考えていこう。それがこの本のテーマだ。中学生向けの数学の月刊誌で連載していた読み物をまとめた本で、著者は小島寛之さん。はてなダイアリーを利用されている( http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/ さん)ようだ。
数学は、学習が進むにつれてどんどん(指数関数的に?)難しくなっていき、小学校や中学校では好きだった人もだんだんと距離を置いて離れて行ってしまう……、そんな科目だ。なかなかずーっと数学が好きで好きで……、という方はいないのではないかと思う。おそらく数学のプロの方(数学者のような)でも、そのキャリアのところどころで難問にぶち当たり、歯がゆい思いをするのだろう。(そういう話は前に挙げた「フェルマーの最終定理」にちらっと出てくる)
そんな風にだんだんと一般人は数学から身を引いていきがちになるわけだけれど、この本は、わりと数学や算数を学び始めた頃に不思議に思えたことを延長して話をすすめようとしていく。こういう書き方はやろうと思ってもとても難しいはずだ。著者は数学が好きな気持ちと、一方で嫌いな気持ちの両方を持ち続けているような、そんな状態になるだろうから。嫌いな人の気持ちになって、そしてそのどこが嫌いなのかを共感した上で話を進めつつ、好きな人も読めるようにする配慮を怠らない。そんな書き方がされている。
この本が持つ数学へのアンビバレントな思いは、いわゆる数学(の歴史を中心とした)解説本でもなく、かといってとっても難しい数学のドリルみたいな本でもなく、わかりそうでわからない絶妙な問題の難しさと相まってなかなか類書がないと思う。くわえて、ところどころに経済学の話とかもでてきたりする。好きな人もそうでない人も読んでみてほしい。なんとなくわかりそうで手が出ないあの「数学の感じ」を思い出すはずだ。
同じ著者の「解法のスーパーテクニック」も良い本だ。ただ、一冊にしろと言われたら「数学ワンダーランド」かな。ほかにも小島寛之さんの著作はいくつかあるのだけれど、自分が読んだのはこの2冊だ。なのでほかにも良い本はあるだろう。
元のブログとの対応としては細野さんの数学の本としておく。(その本を読んでないのでどこが?といわれると、単に数学つながりなだけだ)
この本は幻想小説というのだろうか。ファンタジーだ。著者はピーター・S・ビーグルさん。翻訳は山崎淳さん。
この本はとても雰囲気がよい。あらすじはそんなにたいしたものは無いんだけど、夏の早朝のような爽快な感じがある一方で、なんか少しじめっとした感じもするのだ。
Amazonのレビューがこの文章を書いている段階で4つある。で、そのどれもが作品の魅力を的確に紹介しているのだけれど、なんだかそれらのレビューだけではこの本の良さを伝えきれない感じが残る。言葉を連ねてもなかなか伝わらない感じがする本だ。
この本を自分は夏の終わりの頃に読んだのだが、その頃の陽気にとてもよく合う本だった。光の強さと日の入りの早さがこの本の主題に合ったものだからだろうか。「リプレイ」が動くSF小説に対して、この「心地よく秘密めいたところ」は静かにじっとしている感じだ。でも、どちらを読んでも同じ思いに至るはず。不思議だけれど。
著者は伊勢崎賢治さん。この方は日本の大学を卒業されたあとにインドで民衆のグループのリーダーをされて、その実績を買われ、国連の要請で東ティモールに赴任する。(下のURLに伊勢崎賢治さんへのインタビューがあるので詳しいことを知りたい人は読んでみてほしい。)
こういう日本人って(自分が不勉強なせいかもしれないが)あまりいないと思うのだ。杢尾雪絵さんくらいしか自分はほかに知らない。
ずいぶん前に読んだので細かい記述は忘れてしまったけれど、この本の良さは著者が見たこと、感じたこと、やったことが率直に書かれたところ。そして日本に住んでいる限り想像できない「危険」な東ティモールでも、危険な所もある一方で、そうでないところがあるといったような、現実の姿が伝わってくるところだ。
外見はなんかどこにでもいそうな感じのおじさん(もし本人や関係者がこの文を読んでいたら失礼で申し訳ない。すみません。)だ。だが、インフォーマルな組織における統率の方法や、戦争犯罪者をどのレベルまで処罰するのか、など、繊細な問題への対処。こういうのは前者は経営学とかで少し研究されているようだけれど、じゃあそれが実地で適用すれば問題は解決するのかというと、そうでも無いと思う。そういった「答えが見えない問題」へどうやって取り組むのか――。しかも異国の地で。
そういうことを知りたいときに読むとよいかもしれない。自分も詳細を忘れていることに気がついたのでもう一度読むことにする。それにしても久しぶりに上のインタビュー記事を読んだけれど、タフな人だ。
著者は藤本研さん。この本は、藤本研さんがおよそ半年をかけて日本を歩いて一周をした旅行記。旅行記というよりも生活記録といった方が良いかもしれない。
生活記録なので、朝は何時に起きたとか、午前中はどうしていた、お昼は何を食べた、などなどそっけない記述が中心だ。でも、そのそっけなく感じる記述が妙なリアルさを出していて、読んでいると日本ってこんなに広いんだと思わせてくれる。それと歩いてたどり着いた各地の景勝地を見るとか、そういうことも無くて、そこもこの本の特徴だ。タイトルに「大貧乏」と付くのは、宿泊をほとんどを野宿やお寺の本堂の隅を借りたりして無料でまかなうことによる。食事もとても簡素なものだ。
本のはじめに藤本研さんの歩行ルートが日本地図と一緒に図示されていて、その後にスケジュール表があって、それをみるのも楽しい。たんたんと書いてある中の楽しさ、と言って伝わるだろうか。
たまにアクシデントに見舞われるのだが、そのアクシデントがなんとなくユーモアがあるというか、おだやかな感じだ。日本一周するからと言って、気張らず、藤本研さんはたんたんと歩いて行く。歩いている途中で同士がいたりする。そういう記述もなんだか一緒に日本一周しているような気持ちにさせてくれる要因だろうか。
自分は今まで挙げた本はだいたいは図書館で借りて読んでいる。この本もそうだ。再度読みたいのだが、図書館で借りようとしたらいつの間にか消えてしまっていた。残念だ。
(まだつづく、かも。)
格差社会って言うと経済的なそれが真っ先に思い出されるし、議論の場ではまず九分九厘それなんですが、それ以外にも沢山あると思うわけですよ。
それは時として経済的な格差よりも絶望的な断絶としてあるんじゃないでしょうか。
もちろん経済的な格差は大問題です。(経済的)貧困はそこを起点として様々なレイヤーを破壊してしまいます。
人間の価値が肉体労働の出力とほとんど同じ意味だった古代社会。「技能」が発見されて職人的存在が出現した古典、中世社会。農村部では、つい100年ほどまえまで、その人間の価値は(肉体的)労働力でありコミュニティの成員としての奉仕能力であり、コミュニティ維持のための生殖能力でした。そこでは性別や年齢などのざっくりとした要素さえそろえれば、「わたしとあなた」は代替可能な存在であり、だからこそ養子なんてのもさらりと行われてきたわけです。
でも50年前、100年前、200年前に比べて豊かになった現代社会において、またWebが隅々まではりめぐらされて「わたし」や「あなた」が隠しようもなくルポされてしまう現代において、「わたしとあなたの間にある格差」という問題はどんどん肥大化してきているようにに思えます。自由や人権を教育される現代社会において「わたし」と「あなた」は自意識レベルで交換可能な存在ではありません。なにより、人間の能力が肉体的な労働から別種の労働にかわった現代社会において、「わたし」と「あなた」の間には、生産性で10倍どころか100倍以上の差がつくことも少なくありません。
(あのクソ同僚の書くコードとオレの書くコードが同じ時給換算で計算されるとか、冒涜だ! みたいな)
しかし労働x生産性に関していうと、労働市場のマッチングだと職業訓練だのという形で「なんとかしよう」という意識が社会にありますが、それ以外の格差については割合無頓着に見えるのです。
たとえばの「はい、面白いこと言って!」なんてフリにたいしてA君は上手く対応できるけれど、B君は上手く対応できない。そういうことはあるわけです。
あるいはそれは「はい、彼女作って!」でもいいし、「はい、あなたの将来を設計して!」でもいいし、卑近な話で言えば「はい、はてなスター100個あつめて」でもいい。
要約すると「なりたい自分になって」と言うことなのだと思いますが、ここに格差はあるわけです。
たとえばA君は年収500万円の労働者にはなれるかもしれない(し、その社会支援はあるわけ)ですが、「なりたい自分」たとえば「リア充」になるにはルート設計がないわけです。
そんなもん当たり前じゃないかといわれれば当たり前です。才能なんだから諦めろよ、もいま現在通用すると思います。
しかし重要な問題ではあるわけです。理由は幾つもありますが、まず、経済的な格差であればある指標を決めて社会が救済することは出来るわけですね。たとえば生活保護とか。最低賃金とか。でも、「なりたい自分になれない格差」については現在のところ社会システムでのケアが不十分。職業選択の自由とか、男女の雇用格差解消とか、それくらいしかできてない。「人気絵師になりたい」には対応していない。
15卒だけど今から就活うつになってる。理由は何のアピールポイントもないから。
大学は私立文系、留学経験もなければTOEICの成績も全然よくない。別に何か企画をやっているわけでもないし、
学生団体に所属しているわけでもない。顔も平凡、性格も普通、親も一般家庭。毎日、家と大学を往復するだけ。
成績も普通だし、かと言って体育会所属でもないし、何もできない。趣味も特技もない。
こんなんで就活のりきれるわけ?
同輩や後輩がいろんなところでいろんな活動してるの知ると死にたくなる。
新しい企画はじめました!学生団体立ち上げました!こんな組織に入って活動することになりました!
心底羨ましい。自分はまた明日も同じような1日を送って、また嫉妬して、その繰り返し。
なんでみんなそんなに色々できるんだろ。そうやって一歩踏み出そうと思える何かがあるっていいよね。
今から1年生に戻ってやり直したいとは思わない。だってどうせまた同じ事の繰り返しだから。
でもじゃあ今、なにすればいいの?何も個性のない自分は、どうすればいいわけ?
それくらい自分で見つけろとか、何もしないお前が悪いと言われたらそれまでだけど、なんで自分がそこまで拘るかって
別に現状のままで生きていけるなら全く構わない。でもそれじゃ駄目なんでしょ?
充実した大学生活送って自慢できることがある人以外は、そもそも社会に受け入れてもらえないんでしょ?
まあもう今となっては諦めもあるけれど、頭から拭えない疑問はある。
上澄みの勝者たちだけが羽ばたいていったあと、残された人たちはどうしているんだろう。
辛いことも会ったけど、なんとか就活乗り切りました!いまは仕事楽しいです!
それはどこでも見れる。フェイスブックでもツイッターでもどこでも。それはもう消化不良気味だからいいよ。
じゃあそれ以外の人は、どこでなにしてるんですか。それが分からないから、未来がこわい。
わかってらいww
うすうすと条件だけだとだめぽい(自分が)というのはわかってたのでどちらかというと恋活系のmatch.comとyahoo!パートナー選んだけどそれでもだめなんだよ。心が折れたんだよ…あたしゃどんだけ少女漫画の中の主人公なんだよ…乙女もいいかげんにしろよ三十路だぞっておもってるけどもーねーアボカドバナナかと
ただ、家だけはなー買ったら長い間住むんでしょ。独身でいいと思う家と世帯持ちでいいと思う家とさらに子どもができてからいいと思う家って違うくね?それを一人で決断しちゃうの?なんかほかのことも相談なく決めちゃいそうなひとだなーと思っちゃったよ。あとローンの支払とか含めて家計どうすんのっつう話もあるし。平たく言えば借金もちと変わらんわけだよ。アピールポイントじゃねーよ(少なくとも自分にとっては)
政治の事は本当によくわかっていないのだけれど、橋下という人を筆頭にして年金等の既得権益の見直しをしたい一派が居るらしい
その一派は扇動のようなやり方で人を焚きつけているようで、結果としては既存の権益は見直されるが
実力主義の世の中になり、煽られている人の大多数が被害を被るらしい
ところで私には一切の実力及び能力はなく、他人に誇れるようなアピールポイントは持たない
橋下派による革命というのが本当に起きるのであれば、起きた先で淘汰されるのは目に見えている
私を取り巻く状況は今より悪くなるだろう
だが、現状よりは改革後の方が公平である様な気がするので、どちらかと言えば改革を支持したいと思っているのである
このように自身にとって不利益でも理に適った側を支持する、というのは資本主義下の民主政治において推奨されていないのだろうか
佐野はそういう風には書いていないだろう。ただし橋下がそのように攻撃するのも、戦術上は当然の話。
そこの理論武装が出来ていないから、叩かれればひっこめざるを得なくなっただけ。
角栄は、何が書かれようが、公人ならば仕方がないと割り切っていた。角栄失脚の原因となった立花隆のレポートにしても、反論はしても立花自身には敬意を示していた。
いわば前世代のそうした政治家の度量、言ってみれば「品格」に頼り切ってルポルタージュ作家は仕事をしていたわけで、「品格?そんなものは知らん」とちゃぶ台をひっくり返す恥も外聞もない橋下のような政治家が出てくると簡単に手玉にとられてしまう。
それは、結局、佐野を含むルポ作家が、何を書くべきか、どこまでを書くべきか、どう書くべきか、きちんと理論武装と考察を重ねることを怠ってきたから。
だから橋下のような態度をとられると、「品格がない」とかどうしたとか、自分が批判した相手に自分に対して配慮を示すことを求めるような、感情論的な無様な批判しかできない。
それが問題の本質。
数年前ぐらいから、秋葉原の片隅に、なんか怪しげな看板を出しているマッサージ店が少しづつ増えてきている。
最初、マッサージ店かと思って入ったら、30分3千円ぐらい取るくせに、形だけ肩や足を揉むだけ。女の子はまるっきり素人で、「なんだこの店は?」と思った。
会話の方で楽しめるかというと、アキバの話題には全くついてこれず、ニコ動の話題すら通じない。意味がわからない。
こんな店、すぐ潰れるだろ、と思っていたが、案外、潰れない。潰れないどころか、同類の店が目立って増えてきた。
ということで、改めてその手の店を7件ほどはしごしてみた。解ったことは以下のとおり。
□ リアル女子高生が多い。16歳とか17歳とかいう子が普通にアルバイトしてる。←!!!
□ 夏休みに、短期で効率良く稼ごうと思ったら、アキバのリフレ店にヒットした。
□ 短期のアルバイトなので、店の方針とかカラーとか、あんまり関係ない。
□ マッサージの上手い下手は、人によって全然違う。例外的にとても上手い子も居る。
□ びっくりするぐらいアキバの事を何も知らない。
□ アキバといえばTVで放送されてるイメージでしか知らない。
□ もともと短期で稼ぐことしか考えてないので、アキバの事を知ろうともしてない。
□ 意外と苦労人。鬱病の話とかすると、食いついてくる。
客層としては、やっぱり「女子高生」っていうキーワードにヒットしちゃう男性客がポイントなんだろうな。草食系男子としては、風俗店のフェラとか別にどうでもいいから、それより、肩でも揉んでもらいながら、リアルJKと世間話できることの方に価値を見出す男性客も多いのさ。メインの目的がJKとの世間話だったとしても、建前上はマッサージ店、という体裁を取っていることも、草食系にはありがたい。もし、話が合わなくて、盛り上がらなくて2人で沈黙することになっても、肩をモミモミしてもらって、気持ちいいフリしてれば間が持つ。何も無しで沈黙状態になるより100倍まし。
で、そのお店のうちの1つで、こんな一幕があったのさ。
俺 「マッサージ上手いねー。それ、お店で教えてもらっただけじゃないでしょ」
JK 「うん。お母さんに教えてもらいながら、よくやってるの。」
俺 「お父さんにはやってあげないの?w」
これを聞いて、何か、色々繋がったわ。想像してみてよ。以下は俺の妄想だけどね・・・
母子家庭で、経済的に厳しく、家にはパソコンもネット環境も無い。スマホも厳しいレベル。夜は疲れたお母さんにマッサージとかしながら、TV見たりしてる。で、夏休みに短期のアルバイトで稼ごうと考えた。なるべく高給の所がいい。探したら、アキバのリフレ店が見つかった。お客さんにマッサージをする店らしい。マッサージならいつもお母さんにしている。だから、私にも出来るはず。普通の子より上手いはず。お店は意外とちゃんとしていて、変なお客さんはお店が追い出してくれるらしい。これならだいじょうぶ。お母さんに相談したら、OKしてくれた。で、ここにきた・・・と。
でもね、ちょっと自分の高校生時代を思い出してみてよ。40になって色々考えるに、なんだかんだ言っても、やっぱ高校生時代って大事じゃない。大事な思い出が色々詰まっているよね。輝かしい青春時代ですよ。
ところが、彼女らの青春の一ページには、アキバでコミケ帰りのキモオタ相手に肩を揉んだり足を揉んだりしながらキモいオタ話に付き合わされた思い出が刻み込まれてしまう訳orz.
申し訳なさすぎる・・・罪悪感ありまくりで楽しむどころじゃない。
いっそ、「てめぇみたいなキモオタとは口も聞きたくないんだよ。金だけ払ってさっさと帰れや!」と内心思っているに違いない態度丸出しのJKも実際、居たりして、でもでも、むしろその方がM男的にはこの上ないご褒美(だめだこいつ早く何とかしないと
でね。もう一つ気になったのは、年齢が16とか17とかいう子が多くて、18歳になると、逆にこの手のリフレ店では減っちゃうぽいんだ。サンプル数少ないけどね。これが何を意味するか、カンの良い人なら想像付くよね。18歳になれば、キャバクラとかデリヘルとか、リフレ店よりもっと割のいい仕事があるから、この子達はきっとそっちに行っちゃうんだ。
一方では、AKB48とか、華やかな一面のあるアキバの片隅では、こんな事が起こってるんだよ。なんかもうね、
つって全力で叫びたい気分ですよ(コミケ帰りにJKリフレ店を7件もはしごしたお前が言うな
この手のお店を規制するのは多分、簡単。規制する条例でも1つできてしまえば、あっというまに全部吹き飛んでしまうだろう。お店自体も、いつ規制されて廃業する事になっても大丈夫なように、店舗には全然お金がかかってない。しかし、規制した所で彼女らの経済状態が改善されるわけでもない。こういうお店が無くなってしまったら、もっとアングラな方へ行ってしまう子も居るかもしれない。
これ、このままでいいんスか。わかんない。わかんないよ。みんなも、ちょっと考えてよ。
追記:
そうだろ。いまどき、ネット環境のない生活なんて信じらんないだろ。それから、貧しい家庭に育ってない奴は、いまどき、そんな家庭が実在するなんて想像もできないだろ。俺は、今回こんな散財しちゃったけど、貧乏だよ。だから、話の端々から、リアルな貧困を感じ取る事ができてしまったんだ。
ちょうど、こんなエントリーを書いてくださってる方が居たので紹介するよ。
[本]【読書感想】ルポ 子どもの貧困連鎖 --- 琥珀色の戯言
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20120815
俺が死んでこの問題が片付くなら、喜んで死んでやるわ。
amazonのレビューで書こうと思った文章。政治的話題はセンシティブであり、また以下の文章は特定政治勢力を糾弾しているようにもとらえられるため、匿名のこの場に晒す。
【以下本文】
保守の視座より昨今インターネット上に跋扈する「ネット右翼」を考察する特集目当てに購入。
「ネット右翼」関連の記事は「週刊金曜日」や「現代の理論」といった左派系雑誌では掲載されることはあったが、保守系の立場を取る雑誌で特集されるのは珍しい。そのため先述した左派系雑誌のように、ネット右翼の持つ歴史認識等に関する批判は見られなかった。さて、同特集ではネット右翼の無知蒙昧さなどを憂慮する保守系知識人らの、ネット右翼に対する注文に紙幅が割かれていた。読者層や同誌の論調を鑑みた場合致し方ないのかもしれないが、ネット右翼という現象の考察を期待していた小生にとっては少し不満が残った。一方、安田浩一のルポタージュや阪大の辻大介教授の調査分析等は興味深く拝読した。
「正論」や「文藝春秋」、「世界」、「現代の理論」といったオピニオン雑誌とは若干毛色が違うため、オピニオン雑誌や研究紀要ほどの深い考察はなされていない。しかし保守の立場から「ネット右翼」という現象を捉えたという点において、同誌の特集は示唆に富むものであるといえるだろう。
【以上】
「ネット右翼」と普通の右翼は峻別する必要性があり、また「ネット右翼」は従来の保守潮流から遊離した存在としてとらえるべきであろう。また、保守的立場をとる人々は、「ネット右翼」と袖を分かつ必要があるのかもしれない。
何で喪男にしないの?
それだと今ほど売れないんじゃないでしょうか。
「男なら俺じゃん」
「男にしたらリアル」
はありましたが
「男にすればいいのに」
は見かけませんでしたよ?
あれが非難を浴びたのは
「重大な事件のルポ映画作っといて犯人像を面白半分に変えたら事件の性質すら歪むでしょ!」
って話であり、
一般的にエンターテインメントで
「華やかだから」「可愛いから」って理由でキャラが女の子になるのは
すごーーーくよくあることだし、あなたもいちいち批判してないんじゃないでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20120726034545
増田はずいぶん昔から見ているけれど、書きこむのは初めて。書き方間違ってたらごめんよ。
とりあえずおつかれさま。
旧帝の文系、体育会に属する部活の副キャプテンという、就活するのには悪くないポジションだと思っていたけれど、内定が出たのは一社だけ。
就活が進むにつれて必死度は増していき、終わるころにはどこか天狗になっていた鼻もぼっきぼきに折られていた。
○気負わないこと
元増田の文章を読む限り、頭が悪いとは思えない。資格も三つ、簿記もあるなんて本当にすばらしいと思う。(自分は自動車免許だけだった)
自分を客観的に見ることが出来ていると思うし、研修を受けたのなら仕事というものに関して理解もあるのだろう。
ただ、一点気になったのは
"落とされるたびに泣いちゃうくらい気合入れて企業と対してきた。"
という部分。
元増田のようにスキルを持っていて、「仕事とはこういうもの」といったイメージ(悪く言えば固定観念)を抱いている人が、肩肘張りながら面接に来られると、きっと人事は「うっ」ってなるんじゃないかなあ。
自分の身の回りには、その会社のことなんて全然調べずに面接挑んで選考ぽんぽん進んだやつや、「なにがやりたいの?」と聞かれて「とくに考えてないっす」とか言って内定もらったやつもいた。
そういう話を聞くたびに、自分は「あいつはきっと地頭がいいんだ。基礎能力が優れているから、適当な答えをしてもよかったんだ」と考えていたけど、途中から「むしろそういう人間を企業は欲しているのではないか」と考えを改めた。
能力がある人を欲しいなら、全部中途で集めればいい。
わざわざ新卒で取るということは、能力云々よりも「教育しやすいかどうか」という点が非常に重要になってくるのだと思う。
つまり、それは「素直さ」や「従順さ」ということになってくるわけだけれど、元増田の文章からはこうした要素があまり伝わってこない。
自分をありのまま出すよりも、色々と試行錯誤して、自分をつくって面接に臨むような感じだ。
なんでこんなことを言うかというと、就活中盤まで自分もそうやって就活に臨んでいたから。
就活に失敗し続けると、自分のやり方が悪いのだと思っていろいろテクニック偏重型になりがちだと思う。
けれども、そこはぐっと我慢して、ありのままの自分を出すよう意識してみた方がいい。
教育する方としては、その人がなるべく自分の本質をさらけ出してくれた方が、きっと教育しやすい。
たとえありのままの自分はクソだ、わがままだし暗いし、と思っていても、「そういうもの」とわかっていれば教育する方はきっとやりようがある。
もし、どうしても素を出したくないというのならば、就職王が言うように、嘘が本当になるまでまず自分を騙すことから始めないといけないんじゃないかな。
○短く話す
元増田はきっと面接で一言も言葉が出てこないタイプか、それともべらべらと能弁に話すタイプか、としたら後者のタイプではないかと推察する。
けれど、限られた面接時間の中で、面接官の意図を完全につかむことは不可能であるから、出来る限り受け答えは短くした方が良い。
完璧なエピソードを練り上げても、面接官のききたいことは案外別かもしれない。
例を一つ挙げると、
と聞かれたとする。そこで、
「一番苦しかったことは、大学受験で失敗してしまったことです。なぜ自分が失敗したかというと~」
のように「原因」を軸に話を展開していっても、実は面接官は「その苦しかったことをどのように乗り越えたか」というように「克服の手段」について聞きたかったかもしれない。
アピールポイントをエピソードに練り込むことは大事だけれど、それよりももっと大事なのは、相手の質問の意図を正確につかむこと。つかむまでは、ひたすら短く、短く。
○落ちた理由を聞く
たいていお祈りメールには「選考についてのお問い合わせは一切お受けできません」とか書いてある。
けど、そんなこと気にせず、電話やメールをしてみる。どうせ自分には二度と関係ないところだ。
電話だったら、出た人事の人が自分を担当してくれた面接官だったりすると、案外教えてくれたりする。
聞き方としては、「落ち続けていて、本当に困っているんです」「○○企業の人事としてではなく、△△さん個人の印象で構わないので」とか言うと良い。
聞くこととしては、
・面接の中で、良かった点、悪かった点
・気になった点
とか。
自分はアピールする際に、人から聞いた「どういう人間に見えたか」とあまりギャップがないようなアピールを心がけていた。
もちろん、こうしてもらったフィードバックも盲信しないこと。
できるだけ量が集められるといい。
ほんっと偉そうに書いたけど、なにか少しでも元増田の役に立てばうれしい。
ヤれそう、もしくはヤりたいから。
はっきり断言出来る。これ以外に理由はまったくない。皆無。
どんな詐欺写アイコンよりも、どんな今日のアタシの手料理写真☆よりも、どんな意識の高い発言よりも、どんな出来女アピールよりも。また逆に、どんな私ダメ女アピールも、不細工なスッピン写真も、仕事での失敗も、愚痴や深夜のメンヘラ発言も。一切合切が無意味。
お前にマンコがついている。それだけだ。それだけが理由だ。
お前みたいなバカな女はちやほやされると簡単に喜んでつけ上がるのを男子は知っている。
そして、ネットはコミュニケーションがリアルに比べて非常に簡単にとれる。なんなら最近はたった140字でいい。全く違う女のケツ引っぱたたきながら、アニマルポジションでピストンしてる最中にだって、お前の深夜のメンヘラツイートに「大丈夫?」ってものの数秒でリプライが出来る。突かれてる女すら気付かない。そしてお前はそれで喜ぶ。そこにお前がどんな女だろうと関係ない。お前のマンコだけが目当てだ。そしてお前はそれで喜ぶ。お前は喜ぶ。
肉便器はそれを弁えろ。お前はその程度の人間だ。リアルをネットで切り売り(ダダ漏れとは良く言ったものだ)して、お前が買ってるのはこういう男子からの肉便器を見る目線だ。娼婦と同じだ。
いいから黙ってヤらせろ。
詳しい返信を頂き、ありがとうございます。
まさか、ここまで詳しく解説いただけるとは思いませんでした。
けれども問題は「まがいもの」であることそのものではないのです。歌われることは「まがいもの」でも構わないのです。
確かに、「まがいもの」でない歌を探す方が難しいでしょうし、仮にあったとすれば別の名前で呼ばれると思います。
「まがいもの」でない小説は、小説ではなく、「ノンフィクション」や「ルポタージュ」と呼ばれるように。
これは、一言で言うと、歌詞に描かれている恋愛関係や人間関係が、非現実的ということでしょうか?
それならば、「ワールドイズマイン」を「根が暗い」と指摘している点は納得がいきます。
「関白宣言の女性版だ。」との指摘もありますし。実際に、「ワールドイズマイン」に歌われているような性格の女性とは、良好な関係を築けないと思います。
なお、この質問の意図ですが、元増田の「根の暗さ」の意味が解らなかったんです。
捻れや歪み、悲しみ…そのものを選ぶこと、歌うこと自体は今に始まったことでもなく、決してまずいことでもありません。
最初に上記引用部分を読んだ時、「根の暗さ」とは、「内向的」や「内省的」や「陰気」という意味なのかなー、「死」や「別れ」を歌っていることなのかな。たしかにVOCALOID楽曲には多いなーと思いました。で、納得しかけたんです。具体的には、小林オニキスのサイハテ(http://www.nicovideo.jp/watch/sm2053548)、もじょPの丸子橋まで(http://www.nicovideo.jp/watch/sm7085927)、なんとかPのキツネ目のあの子(http://www.nicovideo.jp/watch/sm14240097)とかを想像していました。それで、実際にランキングを見たんです。そしたら、「ワールドイズマイン」や「メルト」が入っているから、「根の暗さ」の意味がわからなくなりました。それで、思わず聞いてみたんです。
で、利用者は無人本屋のドアを電子マネーで開錠し、利用者は蔵書を探索する。
(普段は電気も通っていないが、開錠した段階で電気が点いてICタグなども作動)
思い通りの本を見つけたら、セルフ決済を行って、無人本屋を出る。
というか、デポジット制にしておいて、
「入店時に10,000円を差引いて、
1,000円の本を持ち出した場合は、差額9,000円を電子マネーに入金する、
何も買わない(=何も持ち出さない)場合は、10,000円を返金する」
或いは、会員制、ないし入場料制にしてもいい。
「1日中鉄道本を読みふけって、結果買わなかったら、入場料の500円だけ取られる、
買い物したなら本の代金も取られる」という感じ。
以前なら、
「多摩ニュータウンの片隅にあるような本屋に行こうにも、そもそも道に迷う」
というのがあったが、幸いなことにナビシステムが発達してきたから、
その点の懸念も払拭される。
以上は「本」で例示したが、ほかにも「コレクターグッズ」とか「フィギュア」とか
「同人誌」とか「前衛芸術品」とかでも、このような無人店舗が成り立つかもしれない。
要は、電子マネーを使った入退店管理、ICタグを使った決済を応用すれば、
無人店舗が開ける、ということ。
そして、
「お目当て品を買いに行くのなら、交通費も厭わない」というマニア心理があれば、
神保町のような店舗集積がなくても、マニアの方が無人店舗に行くんじゃないか、という仮説。
この案のキッカケは、江頭2:50が、
「いわき市に救援物資届けたついでに、福島第一に潜入試みた」というルポ本を著し、
それを見て「いわき市まで買いに行きたい」というはてブコメントが多数あったため、
「ならば、ブックツーリズムが成立する余地があるんじゃないか」と直感した次第。
境港市(水木しげる出身地)ならオバケ・妖怪に関する古本・漫画・同人誌を集積して無人店舗展開すればいいし、
新潟市(水島新司出身地)なら野球に関する古本・漫画・同人誌を集積して無人店舗展開すればいいし、
北九州市(松本零士出身地)ならSF漫画・古本・同人誌を集積して無人店舗展開する、
そうすれば立派なブックツーリズムだ。
bbaacだった
http://www.egogram-f.jp/seikaku/kekka/bbaac.htm
かなり自分勝手で我儘なタイプですが、分析力や判断力はかなり高く、大人の思慮と云うものは、十分に持ち合わせて居ますので、相手の出方や反応が或る程度予測出来た上で、自由奔放に振る舞っている様な所が、見受けられるタイプです。云うなれば、横着を決め込むタイプともいえます。理想の高さや責任感、道徳心などは極く普通のタイプですし、周囲の人々に対する思い遣りや同情心なども極く普通です。欠点は唯一つ、我儘と妥協を知らない事です。今後は、他人に対する気配りを疎かにしない事が肝要でしょう。
無茶苦茶を云うタイプではありませんが、結婚生活に馴れて来るに従い、配偶者に対してかなり自由奔放に振る舞うタイプです。家庭の内外に於て、主導権を振るいたがります。セックス面では、濃厚なプレイを追求したがるタイプで、自分勝手な所が多いでしょう。身分相応の生き方が出来るタイプなので、経済的な破綻を招く様な事は少ない筈です。配偶者を選ぶ場合のポイントは、気配りが細やかで、趣味やセックスを貴方の好みに合わせて呉れそうな相手を選ぶ事が、大切でしょう。
職業適性
好奇心が旺盛で、想像力、分析力が優れて居ますから、小説家、コピーライター、ルポライター、ゴーストライター、新聞記者、雑誌記者などの文筆業か、芸能、芸術関係の自由業に適性が多いでしょう。真面目腐った職業や、堅い一方の仕事では、すぐに興味や意欲を失って、永続的に欠けるでしょう。
対人関係
人付き合いが下手なタイプで、相手の神経を逆撫でしたり、相手の気に障る様な事でも、平気で云ったり遣ったりするのが、最大の欠点です。今後はもう少し、細やかな気配りの欲しい所です。貴方が適当な我慢や妥協をする事を覚えたら、素晴らしく均整のとれた性格になるでしょう。
性格 かなり自分勝手で我儘なタイプですが、分析力や判断力はかなり高く、大人の思慮と云うものは、十分に持ち合わせて居ますので、相手の出方や反応が或る程度予測出来た上で、自由奔放に振る舞っている様な所が、見受けられるタイプです。云うなれば、横着を決め込むタイプともいえます。理想の高さや責任感、道徳心などは極く普通のタイプですし、周囲の人々に対する思い遣りや同情心なども極く普通です。欠点は唯一つ、我儘と妥協を知らない事です。今後は、他人に対する気配りを疎かにしない事が肝要でしょう。 恋愛・結婚 無茶苦茶を云うタイプではありませんが、結婚生活に馴れて来るに従い、配偶者に対してかなり自由奔放に振る舞うタイプです。家庭の内外に於て、主導権を振るいたがります。セックス面では、濃厚なプレイを追求したがるタイプで、自分勝手な所が多いでしょう。身分相応の生き方が出来るタイプなので、経済的な破綻を招く様な事は少ない筈です。配偶者を選ぶ場合のポイントは、気配りが細やかで、趣味やセックスを貴方の好みに合わせて呉れそうな相手を選ぶ事が、大切でしょう。 職業適性 好奇心が旺盛で、想像力、分析力が優れて居ますから、小説家、コピーライター、ルポライター、ゴーストライター、新聞記者、雑誌記者などの文筆業か、芸能、芸術関係の自由業に適性が多いでしょう。真面目腐った職業や、堅い一方の仕事では、すぐに興味や意欲を失って、永続的に欠けるでしょう。 対人関係 人付き合いが下手なタイプで、相手の神経を逆撫でしたり、相手の気に障る様な事でも、平気で云ったり遣ったりするのが、最大の欠点です。今後はもう少し、細やかな気配りの欲しい所です。貴方が適当な我慢や妥協をする事を覚えたら、素晴らしく均整のとれた性格になるでしょう。