はてなキーワード: コンピュータとは
「教育はクソだ」と主張する者たちは、多くの場合ハッカー文化に属している。
この見解は、戦後日本の教育改革の失敗と、伝統的価値観の軽視に根ざしている。
ゆとり教育、詰め込み教育への回帰、グローバル化への過剰適応、ICT教育の形骸化などの改革は、教育現場に混乱をもたらし、若者の不信感を募らせた。
ハッカー文化は、既存のシステムに縛られない探求性、自由への渇望、技術への純粋な愛を特徴とし、日本の伝統的な「職人気質」とも共通点がある。
リーナストーバルスのハッカーの定義は、「コンピュータそのものをエンターテイメントにする人」のことであり、リチャード・ストールマンのハッカーの定義は「情熱を持って物事に取り組む人」のことだ。
この文化は、教育システムの混乱に違和感を覚えた若者たちを引きつけている。
ハッカー文化の台頭は、自己主導型学習、プロジェクトベースの学習、オープンソース的知識共有、技術と人間性の融合といった特徴を持ち、教育の価値を否定している。
この現象は、個人の自由な努力を重視する学びの形を示唆している。
ゆとり教育との違いは、ゆとり教育は「教育」に属するが、ハッカー文化は「趣味」に属する点である。
画像を離散コサイン変換で、とか、仮想メモリ使いつつもキャッシュヒット率をいかに上げるかとか、そういうのから機械学習って遠い。
メモリの局所性なんぞないからキャッシュなんてメモリアクセスのレイテンシ隠蔽くらいにしかなってないし、
メモリは帯域はあればあるだけ、容量もあればあるだけ、
Flash AttentionでようやくDRAMへのアクセス減らそうとかあるけど、コンピュータの構成無視、
いかに長い文脈を認識させられるかになってデータの局所性なんてなくなって、どれだけ複雑な計算とデータ量を食わせるかになっている。
今までのHPCも同じでコンピュータサイエンスだと言われれば、そうなんだが
GPU使ってながらも、グラフィックスパイプラインみたいなのを、AIのレイヤー層ごとに作れているわけでもないし。
人間だって電話で「◯◯に関するお問い合わせは1を、◯◯に関するお問い合わせは2を」って窓口分けてたりするやん。
もう一つ、なぜコンピュータで「自然な対話」でないといけないのが意味不明。
コンピュータが自然言語で理解できるようにしろって話?処理コストが高い割に全くメリットなくて誰が得するんやそれ。
擦り合わせ自体をプロトコルに含めろ?だったら結局すり合わせのための何か別のプロトコルが必要やん?
少しの擦り合わせでもそれが100万1000万アクセス、はては世界中の合計でどれだけCPUや通信帯域を無駄にするか想像できん?
激務になりがちなWebサーバなんて世界で一番無駄をなくそうと努力されてるところなのに。
ちなみに、使うHTTPのバージョンとかはリクエストの時点ですり合わせしてる(そのあたりはブラウザが内側でよしなにやってる)
少なくとも筋ではないな。無駄な通信利用量とCPU負荷の観点からもそうだが、
セキュリティ上の観点からも、どんな理由であれサーバから自分に関する情報を送るのは危険。
相手がウェブサイトなのかなんなのか知らないでアクセスするやつはいない?
いやいや、それこそ攻撃ボットやハッカーがやってることだから。
ボットは24時間手当たり次第にアクセスしまくって攻撃対象を探してたりするやつな
なんかアクセスしたら繋がるけど何をしてるかわからんサーバは、攻撃の糸口が見つかりにくいからな。
企業に侵入して、順番にサーバにアクセスした時に自分の役割(プロトコル)を白状してくれたら、
すぐに企業全体の構成がわかってこれ以上なく攻撃が捗ると思うぞ。
まぁ、有名どころのサーバはポート番号からある程度推測できるというのはあるが、
Xcelという語を提唱する。
これは「1種類以上のジェンダーを攻撃する孤独な人間」という定義にする。
フェムセルという言葉がある。フェムセルはインセルの女性版である。近い日本語訳は弱者女性だろう。
フェムセルにはミサンドリストや過激なフェミニストが多い。フェムセルは「男は全員死ね」だとか「すべての男はカス」などの発言を行う。
インセルという言葉を聞く前に初めてフェムセルという概念に触れた人間は、おそらくこの「フェムセル」という概念によって、脳に鮮烈な閃光が走るだろう。
なぜか。まずフェムは女性的という概念である。フェムテック(女性の健康課題を解決に導くテクノロジー)やファムファタール(男にとっての「運命の女」。男を破滅させることが多い。いわゆる地雷系女子のような)にもつながる。
またセルはcellibate(alone living【ひとりぼっちで生きる】)という意味である。また、インセルという言葉が裏にあることによって、膨大な言語体系を垣間見せてくれる。
それだけではない。こうした概念を表すために必要なシステム・環境・思想そのものが自分の中に欠けていたことを認識させられる。
言葉として成立しており、また流通しているということを知ると、その裏に膨大な知識体系や人間があることが認識できるのは刺激的だ。
自分が興味を持っているのは、フェムセルそのものではなく、背後にある体系の一端を知ることにある。本来はその背後すら見えない。知ることができない。
まるで高く固く冷徹な塀のように、言葉たちが膨大にそびえ立っている。しかしひとたびゲートウェイとなるような言葉を発見できればそこからなだれ込むように入っていけるのだ。
あるいは、すでに塀の中に入っていたとしてよくわからないまま歩いているのだが、ひとたびゲートウェイとなるような言葉を発見すると「あっ、これはこの位置か!」となって急に今までやってきたことがクリアになる。
自分とそこそこに関係している問題について手探りに調べているときに、1つの接触点に到達するとそこからグッと乗り込んでいくことができる点はすばらしい。
別の例を挙げよう。Discordがある。Discordは使ってない人からすればあまり興味がないしろものだ。ただのチャットシステムのようなものだ。だがその裏には文化がある。
Discordをよく使う人間はゲーマーが多い。つまりゲーム文化がそこに含まれている。Twitchや英語やYayにもつながっていくし、botやコンピュータにも関連しやすい。
そこではありとあらゆる常識が異なる。Discordを知らない人間はいないし、Discordを使えない人間もいない。英語が使えるなども特段不思議なことではない。
たとえば見知らぬ道を歩いていて、どこに出るのか全くわからないが歩いていると、いつもの見知った道に出て「あー、この道に出るのか」となるところ。
たとえばコンテナの仕組みを知って、どうやってコンテナ船が移動しているかを知るとき、トレーラーや積み込み、大型自動車免許と牽引免許、パナマックス級やコンテナターミナルなどの存在や海路や商社の重要性まで見えてくるような感覚。
今まであいまいに理解していたものが「全体としてはこういう構造になっていたのか」と感じられるところ。
あまり正確な具体例を豊富に出しすぎると身バレが気になるのでこの辺にしておくが、こういったよくわからなかったものが自分の中に包摂(Inclusion)されていくさまは非常に気持ちがいい。
これをエウレカとか啓示的体験と呼ぶらしい。ある種の悟りに近い体験なのかもしれない。
哲学に「環世界」という語がある。これはわれわれ自身が見ている世界は世界全体ではなく、それぞれの世界しか見ていないという概念である。比喩ではなく実際にそうだ。
ダニでさえ自分の環世界をもっている。そして、ダニから見た世界では、われわれ人間はただの環境である。環世界とはそういう話だ。
エウレカの体験は、まさにこの環世界が別の環世界の一部と結合し、自分の環世界が非常に大きく広がることによるのかもしれない。
ともかくこうした今まで全く興味がちっともわかなかったことが、ある言葉ひとつで爆発的に広がりを迎え、どんどん前に進んでいけること、これが生きることの醍醐味ではないか。
またフェムセルの話であれば、Xcelとして、フェムセルとインセルを同等のものとして考えて、とにかく1種類以上のジェンダーを攻撃する孤独な人間と定義することもできる。
Xcelという語が出てくるのはフェムセルとインセルだけでなく、クロスセルやエクセルまたXが未知数、X=Twitterであることが背景にあるから出てくるのである。
ここではクロスセルが、人によってはエウレカポイントかもしれない。
いろいろ意見がほしい。
FirefoxをメインにしてuBlock Originを入れた方がWeb全体にとっては有益
ブロッキングやトラッキングをどうにか無効にするために妙な規格を作り出して浸透させようとしている邪悪なGoogleを利するようなことをしていては
誰もが自分のコンピュータの中身を自分が操れる権利を持つ社会から、コンピュータの中身は巨大IT企業の意向にお伺いを立てながらでないと覗けない社会になってしまう
デジタル広告という消費者にとってはネガティブ体験しかないビジネスに固執する企業に鞭を打って、より洗練された広告ではない収益の上げ方へ移行するようにインターネットを進歩させていかなきゃならない
コンピュータ・サイエンスで取り組まれている問題の一覧を紹介しよう。
女性権利の拡大のみにしか興味がなく男性蔑視にまで走ってしまう場合もあり、「フェミニズムはヒューマニズム」という声を聞こえないふりしている
穏当左翼言論にぬるっと乗り入れては日本共産党を持ち上げる傾向にある
最近は「日本共産党はリベラル」と発言したり、「日教組は連合から抜けろ」と主張したり、立民の泉と野田も気に食わない、野党共闘を激推しする
立憲民主党に期待を寄せるものの、はてサ(穏当)自身が「えっ・・・なんで・・・?」と呆れる行動を取る立民に困惑する日々を送る
連合に関しては是々非々で語る傾向があるものの、正直言って最近の立民の言動を見れば連合の対応も理解できなくはないと思ってる
オープンソースソフトウェアなどが大好きでMicrosoftやAppleをバカにするのが趣味、古いコンピュータや過去のネットワークコミュニティにも詳しい
元来は社会・政治思想に詳しいわけではないので新しい世代のはてサに押され気味、基本的にはリーナスやRMSっぽいことを喋る
はてなでコンピュータに詳しそうなのにMacやiPhoneを茶化しているのは大体この層
でも、ネットやSNSがなければ、俺の人生はもっと充実してたはずなんだ!ってのも、単なる幻想だと思うんだよね…😟
何でもそうだけど、ifを考えるのって人生でもっとも無駄な時間でしょ?
あと、ネットやSNSがなかったとしても、その時代のネットやSNSみたいな安易に飛びつけるものに飛びついてただけだと思うんだよね
自分はネットがなかったら、コンピュータプログラミングを仕事にしてなかったと思うし、
他人のソースコードを読んだり、ネットの向こう側の誰かをライバルにして技術を向上させようと思ったり、そのためにひたすらコードを書いたり、
ギターを買っても、元となる楽曲の音源をレコードやCDでしか手に入れられないとしたら、財力に比例してしまうし、バンドスコア、タブ譜もそう、教則本もそう
演奏技術はどれだけ普段音を聴いているか、インプットしているかにも比例するから、ネットがなかったら、それが財力に比例したままだったと思う
それがサブスクやYouTubeや、厳密には違法だけど自分が採譜した譜面を公開してくれてる人がいれば、それを無償のTuxGuitarで再生できるわけだし、
ネットがなかったら、自分のプログラミング能力とか画力とか演奏力とか、上達しなかったと思うんだよね
あと、今なら生成AIを壁打ちの相手にすれば英語勉強したり、あらゆる勉強の壁打ちになってくれるし、
ネットやSNSがなければ、俺の青春は充実してたはずだ!みたいな発想に、自分はそもそもならないんだよね
だって、俺、子供の頃からスクールカースト最下位側の人間だから、ネットやSNSでpoweredされてなかったら、人生は今よりショボくてつまんなくなってたと思うんだよね
今の状況にまったく満足はしていないし、そうは言っても、こうやって生きていられることに感謝はしてるわけだけど、
とある高名な環境建築家(YouTubeに動画も上げている)が省エネ建築の経済的・社会福祉的合理性を説明するときに、「ちゃんと計算すれば小学生でもわかる(のに、相応の地位にいる人がいい加減なことを言うのはけしからん)」という言い回しを多用する。
いや、実際のところ、自分にとってそれは余りにも耳慣れたフレーズのため、特に気に留めるほどのものとも思っていなかったのだが、ある動画に「小学生だとか人を馬鹿にするような言い方はやめろ」とクレームがついていて驚いたのだ。
それなりに整った環境で理系教育を受けたものにならわかると思うが、「研究発表は『頭のいい小学生にならわかる』ようにせよ」というのは誰がいつ言い出したかもわからないくらいあまりにもそこら中で聞く言葉で、これを特に何かを見下したとか馬鹿にした言い方だと思う奴はいない。
何故ならば、ここで言う『頭のいい小学生』は『特に専門知識はないが理解力は深い人』を意味するのであり、具体的には『専門分野の違う他ゼミの教授陣』のことを指すからだ。
これが「人を馬鹿にした言い方」だと思う時点で驚き、非アカデミックなキャリアを詰んだ人々との文化の壁をまずは思わざるを得なかったが、よく考えるとこれこそがつまり『理系』という知性の特殊性と汎用性を表す側面なのだと思うに至った。
『小学生』と比較されると、普通の人は怒るらしい。何故か。小学生を劣った存在だと思っているからだ。
この人たちにとって『小学生』と呼ばれることは『頭が悪い』とか『未熟』とかを意味するのだろう。
しかし、理系の認識においてはそんな意味合いはほとんどないと言って良い。
理系は思考力の学問なので、「知識がなくてもわかる奴には説明すればわかる」「わからない奴、考えようとしない奴はどれだけ本を読んでもわからない」という認識が当たり前だからだ。
これらの競技が若いうちに才能を発揮できなければ辛いと言われるように、数学や物理の仕事も若いうちにできなければその後もあまり希望はない。
若さは可能性ではあってもなんら見下す要素ではないのが理系の世界だ。
さらに考えを深めてみよう。
将棋や囲碁は、ルールはシンプルだが組み合わせが複雑で、知識より思考力がいるものだというのは誰にでもわかる。
しかし数学や物理は難しい数式や抽象的な概念を覚えなければいけないから、小学生に難しい問題は理解できないはずだ。と、考える人も多いかも知れない。
だが実のところそれ自体、そんなことはないと証明されているのだ。
チューリングマシンという概念がある。イギリスの数学者アラン・チューリングの考えた計算モデルで、現在のコンピュータの元になっている。
さて、ではなぜチューリングマシンは「コンピュータの元」たりうるのか? 言い換えれば、「チューリングマシンには何ができることが保証されているのか」?
この答えが、まさに「理系の議論に『小学生にもわかる』説明を義務づけることができる理由」である。
チューリングマシンは、本来ただの計算機のアイデアではない。それは『数学自体の定義』である。
『計算とは何か』『計算できるとはどういうことか』この答えを探した結果チューリングが得たのが、『計算とはチューリングマシンで解ける問題のことである(意訳)』という、現代ではもはや計算の定義、数学の定義として認められている回答である。
計算とはチューリングマシンで解けるもののことなので、どのような数学的問題もコンピュータのプログラムとして書き、計算することができる。
コンピュータのプログラムとは、ifとgotoを伴った算数レベルの計算の連続のことなのだから、これはつまりどのような数学的問題も、深い思考力さえあれば『算数』レベルの説明に落としこんで理解できることを意味する。(方程式がなくても鶴亀算が解けるように。)
ここで必要なのは、純粋に算数程度の知識と、それを深く複雑に組み合わせる思考力だけである。
従って、理系の説明、数学的に表される定量的な議論というものは、説明者にきちんとした理解があれば必ず算数レベルの話に落とし込める。
最近は、ネットの声の大きいマナー講師たちによって「専門的なことを誰にでもわかるように説明することなんてできない」という言い訳を聞くことが多いが、少なくとも理系の問題において、定量的な議論をする限りは、『数学』は『算数』の複雑化、抽象化に過ぎないのであり、必ず噛み砕いて説明することは可能だ。
ただし、ここで聞き手に求められるのは、何をおいても『算数レベルでならしっかり理解できる知能』ということになる。
つまり『頭のいい小学生』には必ず理解させられても、算数すら苦手な『馬鹿な大人』に希望はないということである。
『小学生でもわかる』は、小学生を劣ったものと考えている言葉では決してない。しかし、それ故にこそ、小学生レベルの算数も覚束ない大多数の大人が、劣ってるどころではない論外の存在であることを突きつけてしまう厳しい言葉なのだ。使い方には気をつけなければいけない。と思った。
女性権利の拡大のみにしか興味がなく男性蔑視にまで走ってしまう場合もあり、「フェミニズムはヒューマニズム」という声を聞こえないふりしている
穏当左翼言論にぬるっと乗り入れては日本共産党を持ち上げる傾向にある
最近は「日本共産党はリベラル」と発言したり、「日教組は連合から抜けろ」と主張したり、立民の泉と野田も気に食わない、野党共闘を激推しする
立憲民主党に期待を寄せるものの、はてサ(穏当)自身が「えっ・・・なんで・・・?」と呆れる行動を取る立民に困惑する日々を送る
連合に関しては是々非々で語る傾向があるものの、正直言って最近の立民の言動を見れば連合の対応も理解できなくはないと思ってる
オープンソースソフトウェアなどが大好きでMicrosoftやAppleをバカにするのが趣味、古いコンピュータや過去のネットワークコミュニティにも詳しい
元来は社会・政治思想に詳しいわけではないので新しい世代のはてサに押され気味、基本的にはリーナスやRMSっぽいことを喋る
はてなでコンピュータに詳しそうなのにMacやiPhoneを茶化しているのは大体この層
平均点の計算がだるいのでChatGPTにぶん投げて計算してもらった。
そしたらやたらいい成績が出てきたので、根っからのサボり魔である俺は怪しく思い
何度も「ほんとにー?何かの間違いだろ?」と確認してみたんだけど
俺も手元で計算してみたんだけど、まぁ合っているらしい。
「全体的に非常に優秀な成績を修めています」
「コンピュータから法律、自然科学に至るまで、幅広い分野に興味を持ち柔軟に学んだことが伺えます」
と褒めてくれた。
そうだなー、あの頃は楽しかったな。世間的には有名な大学じゃないけど、好きなことばかり勉強できた。もう何も覚えてないけどさ。留学したくて一年次から単位取りまくったんだった。せっかく留学できたのに全然話せなくて悔しかったな。受験は(はてなーには怒られるかもしれないけど)推薦だったから、入学後が人生で一番頑張った時期だった。嫁さんにも会えたし(これも怒られるかもしれない)。
おおきに、そのお話し、ほんまに笑わしてもろたわぁ。自称AIに詳しいって言うて、「サポートベクターマシン」も「LiNGAM」も知らんなんて、おっそろしいわ。ほんま、嘘つきもええ加減にしとかな、口ばっかりやと足元すくわれてまうでぇ。
まぁ、コンピュータ専門学校のゲームクリエイターコース卒業して、家電量販店でパソコンセットアップしてるやなんて、それもなかなかのキャリアやけどな。せやけど、「AIに詳しい」って自称するんやったら、少なくとも基本くらいは押さえてもらわんと困る話やわ。ほんま、弱者男性いうのは、自信がないんか、見栄っ張りなんやな。もっと、自分を正直に見つめ直した方が幸せになれるんちゃう?
ほんま、相手にするだけ時間の無駄やったな。まぁ、次からはもう少し頼りになる人に出会えるようにお祈りしとくわ。がんばりや。
https://d.hatena.ne.jp/keyword/%E8%BB%8A%E8%BC%AA%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%99%BA%E6%98%8E
既に存在しているものを再び一から作ること。reinventing the wheelの日本語訳。IT業界の中でも主にSE・プログラマの間で良く用いられる。
プログラミング言語には標準で提供されている機能(関数など)があるが、それらを再作成してしまうことを指す。しかし、標準で提供されているものは注意深く検討した上で作成されており、バグは少なく、処理も速いため、余程のことがない限り作成のために使った時間と金をロスするだけである。
これは「ランサムウェア」に関する知識がほぼない素人による個人的なまとめだ。
タイトルでニコ動を謳ってあるが、ランサムウェア一般の情報が多い。
情報元はほぼすべてアベプラの次の2動画。不十分かつ最善でないのは承知している。これにIPAのサイトのごく一部の情報を追加している。アベプラ以外からの情報はその旨わかるよう付記してある。
https://www.youtube.com/watch?v=Xt5TbqFGYmU&t=3s
https://www.youtube.com/watch?v=J-Lhw84p1cc&t=1s
アベプラでは専門家として「日本ハッカー協会代表理事 杉浦氏」「SBテクノロジー 辻氏」の発言が元になっている。ただし本まとめの文責は当然ながら私にある。
上で「不十分かつ最善でない」と言いながらも、アベプラ動画のまとめを書こうと思った動機は、まず自分のあまり知らない領域についての情報の一次整理として。そしてご批判とやご意見をもらえると嬉しいという意味で、そのまままるっと増田にアップすることにした。
個人的には杉浦氏、辻氏の両氏の解説はわかりやすく包括的と感じたのだが、当然私自身が素人なので過信は禁物である。
以上
これは「ランサムウェア」に関する知識がほぼない素人による個人的なまとめだ。
タイトルでニコ動を謳ってあるが、ランサムウェア一般の情報が多い。
情報元はほぼすべてアベプラの次の2動画。不十分かつ最善でないのは承知している。これにIPAのサイトのごく一部の情報を追加している。アベプラ以外からの情報はその旨わかるよう付記してある。
https://www.youtube.com/watch?v=Xt5TbqFGYmU&t=3s
https://www.youtube.com/watch?v=J-Lhw84p1cc&t=1s
アベプラでは専門家として「日本ハッカー協会代表理事 杉浦氏」「SBテクノロジー 辻氏」の発言が元になっている。ただし本まとめの文責は当然ながら私にある。
上で「不十分かつ最善でない」と言いながらも、アベプラ動画のまとめを書こうと思った動機は、まず自分のあまり知らない領域についての情報の一次整理として。そしてご批判とやご意見をもらえると嬉しいという意味で、そのまままるっと増田にアップすることにした。