はてなキーワード: はてな界隈とは
みなさんは移転賛成/反対どちらでしょうか?聡明なはてな界隈だとさっさと移転しろ(賛成)が多数なのでしょうね。うーん、正解!
でも我らが余貴美子、じゃなかった小池百合子さんも当然移転したいだろうに、今回ペンディングということで、少しだけ、猶予期間を作りましたね。これには事情通なみなさんから批判がかなり上がっておりますが、私(都民、築地周辺)から見ると、みなさんが言うほど愚策ではなかったのではないかなと思っています。
というのも、前提としてこの移転、誰が主役なのか、誰が一番影響を被るのかということなんです。
a. 都民
c. 築地で働く人
誰が一番影響あります?ボリュームで言えば a > b > c ですよねー。でも、2020年あたり限定で言えば重要なのは c > b > a で、2020年を超えると、c > (超えられない壁) > b ≒ a くらいな感じでしょうか。cがいないと成り立たないですもんね。
結局今回の猶予期間、都民の金でまかなうんだろ!無駄無駄!とお思いでしょうが、それはそのとおり。というものの、それで移転強行ってのはいささか短絡的ってもんです。2020年以降、日本、というか東京がある程度プレゼンスを発揮するためには絶対に「食」が重要です。これまでどおり東京の「食」にお金が落ち続けるためには「築地的」なものが必要なんす!
ではその「築地的」なものってなんなんでしょうかね?私思うに、それは、「ある程度豊かな漁場に恵まれた小国、日本の選りすぐりの魚が、トーキョーという大都会に集まり、それが激アナログな市場に集まっている」状況かなと。でも今回の移転で激アナログなところが変わる、これはいたしかたないこととしても(老朽化!)、市場を作っていた参加者がいなくなったら、どうなるでしょう?おそらく多様性や競争はいずれ失われ、質は必ず低下します(これは2020年とかの話じゃないですよ!もっと先!先!)。結構壊滅的(築地的でない)なんじゃないでしょうか。要はc、築地で働く人が超重要なんす。
みなさんどれくらいの築地市場関係者が移転賛成だと思います?これちゃんと調べたわけじゃないですけど、感覚的には半々ですよ。(どこかの報道でも言ってたけど)大きな卸/仲卸は賛成派、小さいところは反対派に偏ってるんです。当たり前ですよね、引越し料金超高いし、いままで小さくても目利き一本で毎月十分おまんま食べれていたものの、やっぱり数百万〜1千万とかの単位で一気にお金払うのはキツイですよ。特にこういうところは従業員5人くらい、トップの年齢が60オーバーとかざらなので、まあ残念だけど廃業するか、ってなりますよね。
でもね、こういう状況だと統廃合が起こりえるんです。自分たちだけだと難しいけど、他と一緒にだったら引越し料金も半分で済む。こういうのがまとまったというのを実際にいくつか聞いています。当然破談のケースが多いんですけど、どうも結局タイムリミットで終わっていたようなんですね。今回の移転ペンディング、もしこの猶予期間だったとしたらどう思います?
統廃合にかけてみたくないですか?
築地っぽさがずっと生き続けるために。
私も映画館で映画を見るのはぜいたくだと思ってるから普段は行かない。
まあ、貧乏てことよ。
でもこの夏のはてな界隈のシンゴジフィーバーにあおられて、久しぶりに行った。
そしたら、映画館の中に入ることすら新鮮だった。
たまにだから映画館に行くだけでレジャーな感じするのかなーと思った。
映画はみんながいいと言うほどすごくはなかったけど、映画館という私にとっての非日常は楽しみました。
ちなみにポップコーンとかもちろん買わなかった。
あの甘いにおいが充満してるロビーで、家から持ってきたおにぎり食べたよw
上映中はおにぎりのにおいが隣の人に迷惑だったりするのかしら。。。と思って。
でも、上映中もみんなあの甘いにおいのポップコーンだべてたw
よぉいい感じじゃねーか。ww 俺だよ、オレオレ。
クソうぜぇ厨二が幼稚な自己憐憫に酔いながらこうやって増田で生息し、注目で上がってコメントが盛り上がる。お綺麗な文章作法云々しながら平気で他人の物を盗んで売り捌くお文士様達と、その下衆にすら届かずに劣等感に苛まれるはてな界隈にはおあつらえ向きだよな!
だがな、朝っぱらか酔っぱらってんじゃねーぞ?
オマエのやってんのは「ちっくしょー、遅刻して先公に怒られたぜ、なんで俺だけ?!」とか悪ぶってるクソガキを、もうちょっと貧乏なバカガキが「俺なんか給食費が払えずに学校これなかったんだからな? ナマ言ってんじゃねーよ」って殴りつけてるようなもんなんだよ。不幸自慢か貧乏自慢か知らねーが、こういう勝負に勝つ為にはテメーがいかに恵まれてないかがポイントなんだ。
女も同じ事やってるだろ? 「アタシ10万も貢いだのにフられちゃったー」「フン、アタイなんざ恋愛は無縁よ。ガキの頃からババァに店の男の相手させられたもんさ」みてーなな。
書くのは自由だ。でもウゼーんだよ、ウゼーの。だったら俺がそれを言うのも自由だろ?
幸せじゃいけないのか? オマエより恵まれた連中はみんなオマエより忌むべき存在か?
くだらねぇ。テメーはただ羨ましがってるだけなんだよ。金があるからなんだ? 容姿がよけりゃ幸せか? テメーの価値基準の基はどこだよ。知性か? 文章力か? 地位か? それともコネか? 馬鹿じゃねーのか?
世界が狭いんだよ厨二野郎。他人と比べなきゃ立ち位置が分からねーんだろうがよ。
オマエが使ってるパソコンだかスマホだかはな? 大儲けしてるメーカーが廃棄物をリサイクルして作ったもんだ。貨幣価値も環境意識も低い国で危ねぇかどうかすら分からないガキが有害物質まみれの煙と水に塗れた中で野焼きして取り出したレアメタルや金属を安く買い叩かれてな。
オマエは今朝何を食った? 食ってないにしてもどんなところで雨風を凌いでる? 服は何を着てる? 風呂にはいつ入った? 医者に掛かった事はあるか? 図書館にはいつ行った? 電気はどうだよ?
地下鉄で囲まれて命と財布を交換したことはあるか? 重油が足りなくて貨物列車を押した事は? 知り合いにドブ浚いした女は何人いる? 薬物キメなきゃ日雇い現場にすら辛くて行けない気持ちがわかるか?
キリがねぇだろうがよ。テメーはクソ狭いテメーの周りで自分よりちょっといい生活してる相手だけを見てグチグチグチグチ妬んでるだけなんだよ!!
こうやって恨み言だけ書くなら勝つ為にはどんどん不幸にならなきゃならねぇ。俺はテメーみたいのと付き合うはゴメンだ。
たくさんコメント貰えてよかったな! 朝っぱらから気分悪くてしょーがねぇよ。テメーのご立派な文章がどれだけみんなを勇気づけてるかよーく考えてみりゃぁいい。
何が罪びとだ。少しはモノ考えやがれ。
じゃぁなクソ野郎。
1
その人物がどんな人間なのか、とか、属性に欠点があればそれを指摘するとよい。
「20代後半かな?」、「筆者は弱いものの立場を経験したことは無いだろう」などもいいフレーズだ。
2
啓発的な文章の場合、「きれいごとだ」、「現実には仕事でいっぱいいっぱいだから他は自由に生きさせろ」
的な発言は向上心の少ない人間や挫折した人間の共感を容易にえることができる。
3
なるべく早めのブコメをつける。
4
「的を射ている」など、誤用が一般的になったフレーズなどを逐次指摘するとよい。
それに1を加えるとなおよい。「的を射ていると書いている人間に慎重さについて語る資格はあるのか」などがいいだろう。
5
生き死にに関する権利を主張する。
6
http://anond.hatelabo.jp/20160702203952
実はこの増田記事数年前にも別口で上がってたりするんですけどね。
まぁ、それは置いておきます。
本題は別です。
如何にあの女性が偏見に満ち満ちていて、日本人男性を無意識の内に差別しているのか?
白人優位主義的な視点から日本社会を見たときの下劣さ、性に対する無自覚な傲慢さがこれでもかと炸裂したとんでもない記事でした。
逆にはてな民の一部にはあの女性に賛同したりして取り上げてる人もいましたね。
話を変えますが全体を俯瞰してみたときにこれはちょっと面白い現象だなぁと思います。
こういった性に対するポリティカルコレクトネスを考える人というのは従来のステレオタイプで捉えるのであればいわゆるフェミニズムの人でした。
ところが今回のコメント欄を見るとわかりますがはっきり言うとポリコレ的発言をしているのは男性です。
あの女性が如何に偏見だらけなのか、まなざしに対する揶揄、性別反転、人種問題。
あらゆる角度から件の女性がいかにレイシストなのかを分析しています。
これって従来はフェミニストがマチズモ的男性に対して行っていた手法ですよね。
ところがどうも最近のはてなではその手法を男性側から女性側に当てはめるという事例ちょこちょこと出てくるようになってきている気がします。
つまり、「フェミニストがそういう手法が良いといってるんだし、俺達もやってみようか」というところでしょうか。
その結果、はてな界隈のフェミニストの中で差別的発言や偏見に満ちた発言をする人は容赦なくぼこぼこにされ始める現象が起きていると・・・
将来的にどの方向に向かうかはまだわかりませんが注目していこうかなと思います。
SNSが普及し始めてから色々な趣味のサイトに参加して、はてブや匿名の増田と関わる機会が何度もあった。
至極まっとうに社会生活している人も、職業不詳の人も居たけれど色々な世界が見れて楽しかった。
そういったきっかけでコメ欄でやりとりして、メールで何度もやりとりするようになった長い付き合いのメル友も増えたしSNSと増田は切っても切り離せない物だと痛感した。
そんな経験の中で出会った、長くはつき合いたくないなと思った言動・行動をしていた増田たちを紹介。
仲間内でよくやるような身内ネタ、下ネタを公共の場で大声でやったり
ファミレスで携帯ゲーム機やカードゲームなんかをやり始めたり、同人誌やグッズを広げてワイワイするような増田。
SNS上でとても仲が良いって理由だけで、マブダチみたいな対応を平然としてくる増田。
実体験だと、地方から遠征してきた増田を家に泊まらせた時に無断で冷蔵庫の中身を利用された時は「お、おう…」ってなった。
●斜に構える増田
とりあえず何でも叩く増田、頭が良さそうな事を言うが自頭が弱い事が多い。
本人は叩かれ弱い。
何かしらの分野で特筆した実力を持っているため、その部分でイキるが社会的地位・価値は低い増田。
日常生活のリソースをほぼそれにつぎ込んでいる為、一般常識に乏しい→日常会話が困難である事が多く趣味以外の部分で非常に付き合いづらい。
めんどくさい、関わりたくない、以上。
視野が狭く独りよがりな思考の増田になりがち、自分の考えは間違いなく正義で自分を脅かす事柄はすべて悪みたいな。
一度社会人経験を経て現在定職についていないフリーターや無職の増田も同様(再就職活動中の増田は除く)。
§
逆にまともな増田の特徴は
○結婚している
○はてな界隈以外で異性の友人が居る
○定職に就いている
SNSが普及し、はてブロでも見ることが多くなった昨今の増田がこの先生きのこるには
昔よりもコミュニケーション能力がより問われる時代になったって事なんでしょうかね。
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トラックバック - http://anond.hatelabo.jp/20160613164503
ばーーーっかじゃなーい?
CTRL+H置換、30秒位で痛さと恥ずかしさが分かるよねー。
リアルで何回会ったとしてもそれで相手のすべてが分かるつもりなのも、カテゴライズしてマウントするのも、付き合って相手を変える能力もないのは分かったからレイシズム撒き散らさないでくれるかなー? あ、釣りなの? ふーんそう。増田ってよく馬鹿にしてるけど2chそっくりだもんねー。ネタって言えばぜーんぶ本気で書いてないことにできるし恥ずかしくないもんねー? キッツイなぁ、こういうのが同じサイトにいると。あーまた釣られちゃったー。あーあ。(嘲
http://mubou.seesaa.net/s/article/438251943.html
この記事を読んで、本当にそうだな、自分が読みたいと思えるものを書かなければブログなんてつまらないなって改めて思ったので、書いてみた。
はてなブログを何ヶ月かやっている。
動機は、ここのところはてブで議論になっているブログ収入。アドセンスとamazonアフィリエイト。もう何がきっかけでブログ飯やはてなに行き着いたのか忘れてしまったのだけど、暇な時間に何か書いて月数万儲かるならお小遣いになるのでいいなくらいの感じで始めた。
元々文章を書くのは好きで、ブログサービスを渡り歩きながら日記みたいなものを書いていた。そんなに読者がいるわけではないのだけれど、ネット歴だけは長いので、当初はブログ、ここ何年かはTwitterでフォローしあったりしつつ、なんとなく好きなテイストの人たちとゆるく繋がり続けることができていて、まあ満足だった。
はてなブログは、この日常垂れ流し的なものではなく、お金を稼ぐならターゲットを絞ろうと思い、主婦的な分野の中の、あるテーマのネタを持っていたので、それに沿った記事の作成から始めた。でもとんとPVや収益とやらは増えなかった。
他のはてなブログを観察していると、はてな界隈で見られるようになるには、どうも、
①鉄板的なテーマがあること(ブログ論、PVや収益報告、自分が選んだ〇〇ベストX選+アフィリエイト、食レポ+アフィリエイト、ノウハウ+アフィリエイトなど)
②はてなブログを巡回し、スターなりブクマをつけて顔を売るのが必要であること
がなんとなくわかってきた。
まず手軽そうな②からやってみた。これはものすごく面倒くさかった。
スターなら読まずに適当に連打すればいいのだが、正直あまり効果はない。
ブクマの場合は、割といい確率で向こうもブクマを返してくれ、PVにつながるようになってきた。でもブクマはそこそこ読んで内容に言及する必要があるので、正直興味がなかったり話が合わなそうなブログにそれを続けることがあまりにも苦痛で、途中で挫折した。
ちなみに、最終手段として、中身をほとんど読まずタイトルだけで判断して、「参考になりました!」「そんな方法があるんですね、私もやってみます!」みたいなテンプレコメントを貼り続けるのもありではあったが、それをやる勇気はなかった。
続いて①をやってみた。テーマからブレるのはちょっと嫌だし、薄いというか、自分が検索していて当たると舌打ちしたくなるようなキュレーションメディアの記事みたいで嫌だなと思ったのだが…これが効果があった。
ホッテントリというほどではないが、二桁のブクマがついて、それまでの数倍のアクセスが来たのだ。
②をやっていて、多少、ブクマの初動をつけてくれる人がいたというのもあったからかもしれない。
そうやってPVが増えると、それまで、これ壊れてるのかな?と思うくらいクリックがなかったアドセンスにも収入が入るようになった。とはいえ一日最大数百円程度だったけど、それでもそれまで閑古鳥だったので、ものすごいことに思えた。
それで、①を続けることにした。
が…これまた途中で苦痛になってきた。
自分が検索で当たると舌打ちしていた、キュレーションメディアみたいな根拠に乏しい薄い記事。
はてなブックマークのホッテントリに入ってきて、読んでみたもののつまらなくて「読んで損した!」と思うような記事。
そういうのをまさに自分が書いているのだ。
自分の素の文章や日記が、他の人が読んで面白いというようなほどものとは全く思っていない。
けれど、自分が楽しんで書いているか…罪悪感なく書いているか、自分が読みたいと思って書いているかがこんなにモチベーションとか、自分のブログを好きになれるかどうかに関わってくるとは思わなかった。
そしてそれを月に数千円のためにやるのもなんだかバカバカしくなってきた。主婦が片手間でやる程度のブログなんてこんなもんだ。文章の才能があるか、文章のクオリティを上げるか互助会頑張るかとかのなんらかのよほどの労力をかけない限り、ブログなんかでは儲からない。痛感した。
でも、時々、日常生活の中で、あ、これはネタになるかも、アフィリエイト貼れるかも、と思うと、なんというか一度その道にハマってしまった因果を感じ、また自己嫌悪に陥っている。
はてな界隈だと、東京オリンピックなんてさっさと返上しろというのが意見の主流だけれど、
なんだかんだいって、4年後の夏には、それなりに盛り上がるだろうし、
選手が活躍さえしてくれれば、「やっぱり東京オリンピックをやって良かった」というのが、世論の主流になると思う。
なぜ、そう思うかといえば、長野オリンピックの時のことを思い出すからだ。
長野オリンピックの招致が決定したとき、今回の東京とは比べ物にならないくらい、盛り上がってはいなかった。
1991年のことだから、すでに、バブルは崩壊の兆しが見えていて、
まあ「失われた20年」がそのあとやってくるとは思っていなかったけれど、
不景気の入り口で、あんな土建屋がもうかるだけのプロジェクトやって大丈夫なんかという雰囲気があったし、
西武鉄道のグループ総帥、堤義明を中心にした政財界の利権のためだと、みんな思っていたからだ。
しかも当時、ウインタースポーツのスターといえば、フィギュアスケートの伊藤みどりくらいで、
(実際、92年のアルベールビルで銀メダルは取ったが、長野には出てない)、
日本で冬季オリンピックを見たい、という需用自体が、それほどなかったんではなかろうか?
それでも、東北・上越以来、久しぶりの開通となる長野新幹線の工事が進んだり、
志賀高原では、難易度が高く見せ場のあるコースをつくりたいスキー連盟と、コース設営が自然破壊だとする地元環境団体がもめて
そもそも、長野というのは、当時、冬季オリンピックの開催地としては最南端で、
年によっては、十分に雪が降らないこともあったりしたもんで
「利権のためにオリンピックなんか呼びやがって、まったく、今からでもやめられないのかね?」という世論は
それなりに蓄積されていた気がする。
当時は今ほどネットが成熟してなかったから、今ほどそれが顕在化することもなかったけれど。
そうこうするうちに開会式の日を迎えたのだが、それでもまだ、盛り上がりには欠けていた。
放映時間の時差の関係で真昼間に開会式を挙行しなければならなかったので
花火や照明をつかった鮮やかな演出が使えなかったというのは、確かに気の毒なのだが、
大体、浅利慶太がなぜ総合演出を手掛けることになったかといえば、
自民党の御用文化人だったから、というのはみんな分かっていたことで、
そもそも、あの人は、確かに政治権力に近づきつつ、日本においてミュージカルを「ビジネスとして成立する」ものにまで育て上げたのは
物凄い功績だと思うけれど、まあ、芸術家(演出家)としての評価は推して知るべしである。
ちなみに、先ごろ亡くなった蜷川幸雄は、すでに80年代には「世界のNINAGAWA」の名声を得ていたんだけれど。
これも、「オリンピックなんて、偉い人の利権とコネで進められている」ことの一つの証拠と思われていた。
開会式当日、なぜか、現代風にアレンジした巫女風の衣装をきて聖火台に点火する伊藤みどりの姿は、
なんだか、見てるこっちが恥ずかしくって、
日本女子フィギュア初の銀メダルをとった偉大な選手に、なんてことをさせるのかと憤ったものだ。
なぜかBGMにはプッチーニのオペラ、「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」が流れていたが、
あれは、かつて政治力を駆使して、イタリアでこのオペラを演出したことのある浅利慶太の自己顕示欲とコンプレックスがないまぜになった
選曲だったと信じている。
当時、伊福部昭は存命だったし、坂本龍一も、今ほど政治的な色もなくて純粋に「教授」として尊敬されていたし、
久石譲だって、すでに「宮崎アニメの作曲家」として評価を得つつあったのに、なんでそういう人たちに作曲させないで、
そんなこんなで、開会式を迎えても盛り上がらなかった(当社調べ)長野オリンピックだが、
日程を重ねるにしたがって、日本中の人々をテレビにくぎ付けにすることになった。
それは、日の丸飛行隊の、活躍であったり、キング・オブ・スキー荻原の雄姿であったりの、素晴らしいドラマがあったからだ。
スキージャンプ団体で、大雪が降りしきる中、原田雅彦が大ジャンプを決め、後続の船木選手を、
今にも泣きそうな顔で「ふなき~! ふなき~!」と見守っていた映像をご記憶の方も多かろう。
このとき、団体メンバーから外されメダルを取れなかった悔しさが、
結果としてレジェンド葛西紀明を生んだ、ともいえる。
閉会式の司会が萩本欽一、というのも、当時、「オリンピックについて決めている偉い人たち」のずれ具合を
如実に示す出来事だと思われていて、
すでに萩本欽一は「テレビ的に過去の人になるつつあるタレント」だったし、
欽ちゃん的なボケとかツッコミっていうのは、日本人同士で通じるもので、
あのノリを世界に向けて発信したら壮大に滑るんじゃないかと、自分の周りの人たちはみな心配していたが、
なにしろ、競技自体が盛り上がって、会場に集った選手たちが盛り上がってくれたせいか、
萩本欽一も、さすがに、わきまえた人なのか、
いわゆる「欽ちゃん節」は抑えて進行していたし。
かくて、無事、オリンピックは無事終了し、ウインタースポーツに新たなスターと伝説が生まれ、
テレビには「感動のオリンピック総集編」みたいな番組が溢れることになったのである。
その後、長野の財政がオリンピックのせいで、けっこう苦しいことになったらしいとか、
西武の株式をめぐるごたごたで有罪となり、表舞台から退場したはずの堤義明は、
いつの間にか日本オリンピック委員会の最高顧問になっていたらしいとか、
いろいろあるのだけれど、
選手さえ、頑張ってくれれば。
「身分」を「階層」と読み替えれば、近頃はてな界隈の一部で論じらえているハイスペ同士の恋愛や結婚がそれになるわけね。
ホットエントリのこの記事はその典型で、価値観が合うことを志向して自分と同等以上の学歴や職歴を求めているのであり、額面的なカネありきではない。
話題)これは合うの大事、非常に重要。食事、料理、スポーツ、音楽、映画。全部好きだから趣味に無関心な人ムリ。趣味共有したい。そして正確には話題じゃないけど頭わるい人ムリ、私が仕事の話しで「この買収価格どうよ?」と言ったらレスポンスはして欲しい。専門知識はもちろん求めているわけではないけど頭良い人てその場でインプットされた情報を理解してついてきてくれる、そしてアウトサイダーだからこそ持てる気付きを与えてくれる。そういう人がいい。
収入)カネカネいったけどあんま気にしてない、1000万円だろうが2000万円だろうがどっちでもいい。あんま生活クオリティ変わらないし。金!て言ってたのは億あればいいよ?私の生活も変わるから。でも多少の増減で生活なんて変わらない。
ここで一つ気づいたのは生態、話題の条件を突破する人は大体それなりに収入ある。収入が高い人が好きなのではなく好む生態、話題の人は自然と収入が高くなってる。
まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。
先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。
元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。
大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。
ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービスの利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います。
しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギーク(ナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています。
勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています。
私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームとコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます。
回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログやホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。
私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすいバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。
ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。
私は長年使っているとは言いながらも、所謂「はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。
コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。
これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。
最近、はてなブログやブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。
かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットのサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。
前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません。
私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーをはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。
その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。
はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザーの比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社のインターネット事業担当になったというキャリアです。
はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています。90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。
その頃、ちょうどあるECサイトのコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービスが炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログに商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかいう現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。
今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。
自分語り方面に脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログのアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログ、はてダから始まって、livedoor、goo、Excite、Seesaa、Jugem、FC2、楽天、MSN、ドリコム、ウェブリブログ、ドブログ、Yahoo、ヤプログ、アメなんたら……
でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。
なんだこりゃ、殺風景なサイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。
ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。
純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギークな技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。
人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景な非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。
そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。
今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービスが外来の大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeもWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。
そんな中、日本のドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。
はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端なネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代のヒーローだと思ってたんですよ。
はてなブックマークでソーシャル・ブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookやTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。
だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通りや中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……
何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。
私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思います。ちょっと極端なことを書いたら「フロムダ先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。
はてなブログの目次記法は便利だと思うんですけど、他所のニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。
ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。
つまり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。
もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログにだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。
最近のはてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。
一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。
こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。
だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔な漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。
むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネットの醍醐味であり爽快ですらありました。
……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザー側コミュニティによるチェックと自浄作用が働きます。はてブはうまいことそういう機能を果たしてきたと思うんですよね。
でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーのモラルもありますが、サービスの構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。
海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。
この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドラインが専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。
これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。
別に、ネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブは牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思います。Twitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……
ただそういう人達がごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。
というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。
※最近、ある有名人気ブロガーのブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。
この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手な心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。
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