はてなキーワード: レジェンド葛西とは
はてな界隈だと、東京オリンピックなんてさっさと返上しろというのが意見の主流だけれど、
なんだかんだいって、4年後の夏には、それなりに盛り上がるだろうし、
選手が活躍さえしてくれれば、「やっぱり東京オリンピックをやって良かった」というのが、世論の主流になると思う。
なぜ、そう思うかといえば、長野オリンピックの時のことを思い出すからだ。
長野オリンピックの招致が決定したとき、今回の東京とは比べ物にならないくらい、盛り上がってはいなかった。
1991年のことだから、すでに、バブルは崩壊の兆しが見えていて、
まあ「失われた20年」がそのあとやってくるとは思っていなかったけれど、
不景気の入り口で、あんな土建屋がもうかるだけのプロジェクトやって大丈夫なんかという雰囲気があったし、
西武鉄道のグループ総帥、堤義明を中心にした政財界の利権のためだと、みんな思っていたからだ。
しかも当時、ウインタースポーツのスターといえば、フィギュアスケートの伊藤みどりくらいで、
(実際、92年のアルベールビルで銀メダルは取ったが、長野には出てない)、
日本で冬季オリンピックを見たい、という需用自体が、それほどなかったんではなかろうか?
それでも、東北・上越以来、久しぶりの開通となる長野新幹線の工事が進んだり、
志賀高原では、難易度が高く見せ場のあるコースをつくりたいスキー連盟と、コース設営が自然破壊だとする地元環境団体がもめて
そもそも、長野というのは、当時、冬季オリンピックの開催地としては最南端で、
年によっては、十分に雪が降らないこともあったりしたもんで
「利権のためにオリンピックなんか呼びやがって、まったく、今からでもやめられないのかね?」という世論は
それなりに蓄積されていた気がする。
当時は今ほどネットが成熟してなかったから、今ほどそれが顕在化することもなかったけれど。
そうこうするうちに開会式の日を迎えたのだが、それでもまだ、盛り上がりには欠けていた。
放映時間の時差の関係で真昼間に開会式を挙行しなければならなかったので
花火や照明をつかった鮮やかな演出が使えなかったというのは、確かに気の毒なのだが、
大体、浅利慶太がなぜ総合演出を手掛けることになったかといえば、
自民党の御用文化人だったから、というのはみんな分かっていたことで、
そもそも、あの人は、確かに政治権力に近づきつつ、日本においてミュージカルを「ビジネスとして成立する」ものにまで育て上げたのは
物凄い功績だと思うけれど、まあ、芸術家(演出家)としての評価は推して知るべしである。
ちなみに、先ごろ亡くなった蜷川幸雄は、すでに80年代には「世界のNINAGAWA」の名声を得ていたんだけれど。
これも、「オリンピックなんて、偉い人の利権とコネで進められている」ことの一つの証拠と思われていた。
開会式当日、なぜか、現代風にアレンジした巫女風の衣装をきて聖火台に点火する伊藤みどりの姿は、
なんだか、見てるこっちが恥ずかしくって、
日本女子フィギュア初の銀メダルをとった偉大な選手に、なんてことをさせるのかと憤ったものだ。
なぜかBGMにはプッチーニのオペラ、「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」が流れていたが、
あれは、かつて政治力を駆使して、イタリアでこのオペラを演出したことのある浅利慶太の自己顕示欲とコンプレックスがないまぜになった
選曲だったと信じている。
当時、伊福部昭は存命だったし、坂本龍一も、今ほど政治的な色もなくて純粋に「教授」として尊敬されていたし、
久石譲だって、すでに「宮崎アニメの作曲家」として評価を得つつあったのに、なんでそういう人たちに作曲させないで、
そんなこんなで、開会式を迎えても盛り上がらなかった(当社調べ)長野オリンピックだが、
日程を重ねるにしたがって、日本中の人々をテレビにくぎ付けにすることになった。
それは、日の丸飛行隊の、活躍であったり、キング・オブ・スキー荻原の雄姿であったりの、素晴らしいドラマがあったからだ。
スキージャンプ団体で、大雪が降りしきる中、原田雅彦が大ジャンプを決め、後続の船木選手を、
今にも泣きそうな顔で「ふなき~! ふなき~!」と見守っていた映像をご記憶の方も多かろう。
このとき、団体メンバーから外されメダルを取れなかった悔しさが、
結果としてレジェンド葛西紀明を生んだ、ともいえる。
閉会式の司会が萩本欽一、というのも、当時、「オリンピックについて決めている偉い人たち」のずれ具合を
如実に示す出来事だと思われていて、
すでに萩本欽一は「テレビ的に過去の人になるつつあるタレント」だったし、
欽ちゃん的なボケとかツッコミっていうのは、日本人同士で通じるもので、
あのノリを世界に向けて発信したら壮大に滑るんじゃないかと、自分の周りの人たちはみな心配していたが、
なにしろ、競技自体が盛り上がって、会場に集った選手たちが盛り上がってくれたせいか、
萩本欽一も、さすがに、わきまえた人なのか、
いわゆる「欽ちゃん節」は抑えて進行していたし。
かくて、無事、オリンピックは無事終了し、ウインタースポーツに新たなスターと伝説が生まれ、
テレビには「感動のオリンピック総集編」みたいな番組が溢れることになったのである。
その後、長野の財政がオリンピックのせいで、けっこう苦しいことになったらしいとか、
西武の株式をめぐるごたごたで有罪となり、表舞台から退場したはずの堤義明は、
いつの間にか日本オリンピック委員会の最高顧問になっていたらしいとか、
いろいろあるのだけれど、
選手さえ、頑張ってくれれば。