はてなキーワード: 「ゲーム」とは
これらの疑問はどれも共通の誤りを含んでいる。
それは、「人生を外側から見なければ答えを出しようがない」という点である。
つまり、「何にとって」意味があるのか、「何の」役に立つのかという目的語を定めなければ意味が定まらない。
意味が定まらないということは議論の俎上にさえ上げることができない。
たとえばドラクエをしている人に
と聞けば、
「レベルを上げるためだ」
と返ってくるだろう。
ところがこの答えは「ゲーム」という狭い枠組みの中の話でしかない。
→シナリオを進めることはゲームをクリアするために意味がある。
となって、それ以上は辿れない。すなわち「スライムを倒して何の意味があるのか」という疑問には、
【ゲームをクリアするうえで】という限定指示が暗に付属していると解釈せねばならない。
これがもし「【人生において】何の意味があるのか」という疑問だったならば、
とでも答えないといけない。答えが変わるということはすなわち元の疑問が全く違う疑問に変わっているということだ。
ところで冒頭に上げた疑問のうち、
これはいったい、「何にとって」なのか?
「他人にとって」、ならば、まだいい。
厳密には、「他人の人生に対して何か満足度を上げるようなことができるのだろうか?」という疑問になる。
これは疑問として成立する。
「俺の人生の意味」なんていうのは、「俺の人生」が一度終わってみないと確定しない。
しかし、「俺の人生」が終わっているということは、「俺」はもういないということである。
いない対象にとってどんな意味があるかという疑問は、疑問として(語用論的に)成立していない。
一応、死後の世界の存在を仮定すれば、その疑問を持つことは可能であるが、
神ならぬ我々には死後の世界の詳細がわからない以上、その疑問には「絶対に回答できない」。
絶対に回答できない疑問は、やはり疑問として成立しない。
という主張にある。
細かいことを言えば、効用関数とかリスク選好度はどうなんだとか色々突っ込むところはあるのだが、それよりも最も重要なのが、この主張は
ということだ。
言うまでもなく、この比較は、「人生を外側から見なければ評価できない」ことの典型的な一例である。
生まれた場合と生まれない場合の評価を、期待値で測るのか、期待効用原理で測るのかはたまた他の方法なのかは反出生主義の主張からは読み取れない部分だが、
いずれにせよ彼らは「生まれない場合の評価はフラットにゼロである」ということを前提としている。
ここがクリティカルな誤りだ。
我々は人生内部のことしか検知できないため、そもそも生まれない場合の評価をすることができない。
いわば、生まれない場合の評価はNullであり、Nothingであり、#N/Aである。
死後や生前の世界が存在しない場合、評価値が存在しえないという意味の#N/Aであり、
それが存在する場合、正当な結果を知りえないという意味で#N/Aだ。
#N/Aとの比較結果は当然#N/Aであり、前提が成り立っていないことがわかる。
(追記)
これに対する言及です(忘れてた)
この世に絶対的な両側しかないような考え方するやつってネットに多いよな
白か黒か思考って言うやつ
普通に超悪い奴と超善い奴の間に段階的に人間が配置されてるに決まってるだろ
そこの差をきちんと読み取れよって話
あと、「その言葉は定義がきっちり定まってないから議論する意味が無い」みたいなやつ
あれもおかしい
自然言語なんてのは大概そうだよ
定まってないなりに、誰もが持つ中心的なイメージがあって、誰もが当てはまらないと思う領域があって、
サッカーも指す人と指さない人、囲碁も指す人と指さない人、一本道ノベルも指す人と指さない人、
だけどもそれをもって「ゲーム」という言葉そのものが意味をなさないとは言えない
スマブラは(それを知ってる人なら)誰に聞いてもゲームだろうし、オナニーは誰に聞いてもゲームとは言わない
そういう「幅」をとらえることが重要なわけ
はてぶでもコメントしたが、書ききれないのでこっちで書く
ジャンル分けからして難しいような変なゲームがたくさんある。プレステ黎明期っぽい雰囲気があるがそれ以上のものを感じる。「ゲーム」という枠そのものが好きならやらない理由はほぼない。これは探し続ける限りそれなりに無限にできるから俺は平常運転でやってる。最近はGetting over itが面白かった。
・ADV
かまいたちの夜みたいなサウンドノベルが好きだけど、特に書いてなかったので。一本のゲームを長い時間遊びたい、という意味だったとしたらこれとかインディーズゲームは答えになってないかもしれんが。
・Civ4
特に書いてなかったので。ターンベースシミュはじっくり考えられて楽しい。XCOMも良い。RTSの方が好みだったらアレだけど。RTS良いのでないよなぁ。Dota系はやたら出てる気がするが。Dota系がRTSよりすぐれているという事なのかね? そういやdota系に関する言及はあるけどLoLやDota2は?
・PUBG
チェックしてるだろうけど、こっちはFPSやTPSと違って殺しあうことそのものが目的ではないよ。アンロックないし。
CSGOはCodみたいにわいわい撃ち合うというよりは、連携とかの方が重いわりとコミュニケーションゲームみたいなとこはある。アンロックないし。
いまさら感あるけどやっぱおもろいわ。nethackやその派生、angbandや変愚蛮怒はさすがに今の時代にはあってないけど、ジャンルで言えば新しいのもどんどんでてるしね。Crypt the necrodancerは脳の処理能力の限界に挑んでる感あって良い。
テレビゲームばっかりじゃないよ。ってことで。こっちはもうありすぎてどれとかあげられないけど(やってるかもしんないし)カタンから人狼からそれこそ無限にある。著名なタイトルならネットでもできる。
こういうの見ると、すんげー昔に読んだ南場智子(もしかしたら違う人だったかもしれない)の話思い出す。
うろ覚えだけど政府とか役人とかの集まりに行くと、企業として取り組んでることが「医療」とか「介護」とかだとすごく褒めてくれるのに「ゲーム」っていうと途端にくだらないものを見るような目をされるとかいうことだったと思う。
それで「お前らだって娯楽は必要だろうが、と思った」とかいうふうにまとめられてたんだけど、そういうことなんだよな。
ネット使った事業を虚業って切り捨てたり、プロゲーマーを仕事としてバックアップしなかったり、そういうツケが今の日本の企業活動の停滞の原因になってる気がする。
ゲーム性でもガチャでもオートスキップ不可でも処理がクソ重いことでもない。
どうしてやりたい時にやれない苦しみがわかるか?
足並み揃えて一気にやってもらった方がツイッターのトレンドに上がりやすいもんな?
ふざけんなクソシステムでやってるこっちの身にもなれ。
俺たちは広告塔じゃねえんだぞ。
100万歩譲って新規イベントは許そう、だが復刻まで自由に進めれんのはどう言うことだ。
種のわかってるビックリ箱大事そうに守ってるの見ると本当にイライラするんだよこっちは。
塩川へ
お前の言う「外圧」とはなんだ?
お前はゲームがめちゃくちゃになるのを防ぐために「外圧」をはね除けているのか?
「ゲームをやりたい時にやりたい」という俺の気持ちはゲームをめちゃくちゃにするのか?
塩川よ、お前はゲームではなく、マーケティングがめちゃくちゃになるのを防ぐために「外圧」をはね除けているのではないか?
そもそもガチャシステムを採用してる以上この二つは不可分な所もあるだろう。
だが全てが分けられない訳じゃない。
マーケティングではなくゲームで俺たちを広告塔へ変えさせてくれ。
増田より
Youtubeでスマホゲームのタイトルを検索すると、おおよそ「ガチャをするだけの動画」が検索される。
顔を映して、ガチャで出るキャラやアイテムに一喜一憂するだけの。そして「今回は勝ちましたバイバイ」「負けました」みたいなコメントで終わり。
驚くべきことに需要はあるようで再生数はそこそこある。いくつ再生したらいくら貰えるかはわからないけど、なんとなく「負けました」みたいなのを上げるってことはガチャ代金ぐらいは稼げてるのかなとか思う。
こんなもん、ゲームをどこまで知っているかも関係ないから、俺が知らんゲームインストールして3万円いれて「ぶっこみます」みたいな動画と内容はさほど変わらない、まさに誰がやっても同じわけだ。(再生されるかどうかは別として)
いっちょ前に「ゲーム」ってタグ付けしてるけど、どうかんがえてもあの悪名高いHIKARUとかがやってた「クジ全部ひいてみた」の類だろ。
【ニコニコ生放送にクリエイター奨励適用で年収2000万になる生主も!不正ポイント取得が横行していて運営のずさんな管理に不満の声も!】
この記事は10月より適用されたニコニコ生放送のクリエイター奨励プログラムについて記載しております。
※はてブロの特製上画像を直接貼れないのでリンク先で見てください
niconicoの投稿作品に対し、プレミアム会員収入の一部を原資として奨励金(クリエイター奨励スコア)を支払う制度
1点=1円で換金でき動画投稿や生放送をすることで収入を得られる制度
生放送の場合はコメント数が多いと1来場で5円くらいにもなります。
こちらの方は類型来場者数120人くらいコメント数1200くらいで1来場につき5円くらいもらえてる計算になっています。
動画投稿時代からこの制度を悪用したポイント不正取得が問題視されていましたが、生放送にも対応して不正取得が増加しました。
・コモンズ運営のチェック体制がずさんなため不正なポイント取得が横行している
・第三者の著作権、肖像権などを侵害していても生放送は長時間の枠が多いことと一日に登録されるクリ奨の枠が多すぎてすべてをチェックしていないため違反があっても見逃される
(例①:対象外のゲーム放送でもクリ奨登録してすり抜けてポイント取得している事案が発生。現在生放送ではごく一部のゲーム以外はクリ奨対象外。)
(例②:ニコニコ許諾楽曲一覧に載っていない曲を流してもすり抜けられている。)(http://license-search.nicovideo.jp)
(例③:他人を映したり、他人の画像を載せたり、他人の放送をミラーしたり、Youtube動画など他人の作成した動画や画像を流していても長時間放送だとほんの数分なので侵害していてもチェックされない)
・来場者水増しツール、コメント水増しツールであからさまな不正でも見逃されている
・ニコニコモンズには通報機関がないため不正をユーザーが通報できない
・TSを消しても適用されるため不正なことで稼いでることを著作権、肖像権保持者に連絡しても確認してもらえないため隠蔽できる
ニコニコリスナー全体でこの問題を共有して声をあげて運営の管理体制を強化してもらい不正を減らすしかありません。
私はすでにニコニコモンズ問い合わせ窓口にこの件を報告しました。ですがテンプレのような回答しか返ってきませんでした。なので多くの方が問い合わせしたら変わると思います。
◆問い合わせフォーム(http://commons.nicovideo.jp/inquiry)◆
クリエイター奨励に登録している生放送か見分ける方法はコンテンツツリーに「この作品はオリジナル作品表明をされている為、親作品がありません」という表示がでていたら99%の確立で登録しています。99%なのは一部の例外があるため。
■第三者の権利を侵害した作品をクリエイター奨励プログラムに登録する行為
[具体例]
・市販の映像ソフト(DVDソフト等)の映像や画像を無断で登録した
・ブログや他のサイトで他人がアップロードしていた作品を無断で登録した
・他人のライブ演奏や出し物の模様をビデオで撮影し無断で登録した
・他人の私生活を暴露するなどのプライバシー侵害につながるような内容を含んだ映像を登録した
・個人の人格・名誉・声望等を傷つける内容を含んだ作品を登録した
◆今回このブログでは10月より適用されたニコニコ生放送でのクリエイター奨励プログラムの不正について書いていきたいと思います。
つい先日大手生主の野田草履がクリ奨のおかげで年収2000万円になるとツイートをしてとても大きな反響を呼びました。その他の大手生主もこぞってこれだけ稼げるとツイートや放送でポイント収支を見せていました。
ですが実は規約違反しているのにも関わらず不正にポイントを取得できている生主が多いということがわかりました。
横山緑という生主が壊死ニキという人物を無断でネタに放送に晒しています。
上記に書いてあるクリエイター奨励プログラムの規約を見てください。
・他人の私生活を暴露するなどのプライバシー侵害につながるような内容を含んだ映像を登録した
規約にひっかかっていますがこの放送のクリエイター奨励は現在も継続中です。
ではなぜ今も継続できているのかと言うとコモンズを管理している運営のチェック体制が甘いからです。
このときの放送時間は1時間になりますが壊死ニキが映っていたのはほんの数分です。
本来不正がないかチェックしなければならない運営が放送をずさんなチェックをし見逃しているということです。
・個人の人格・名誉・声望等を傷つける内容を含んだ作品を登録した
このような規約違反をしているのにも関わらず不正にポイントを取得しているということです。
また他に話題になっている不正で多いのが放送のBGMにニコニコ許諾楽曲一覧に載っていない曲を流していても見逃されることやニコ動、Youtubeなどの動画を流していても見逃される、ゲーム放送をクリ奨登録しても見逃されるということがあります。
生放送は最低でも30分、長くて6時間もあります。そして毎日大量に登録されるので人件費を考えるとチェックできないのは明らかです。
現在ニコニコ生放送では任天堂のゲームであってもクリエイター奨励に対応していません。
つまり運営によるチェックが行われておらずすり抜けできているということです。
このことを疑問に思った私は話を聞いてみると
このような発言をしていました。
このように運営による見逃しを期待して違反にも関わらずゲーム放送をクリエイター奨励に登録している生主がいるのが現状です。
このような不正が通ると真面目に頑張っている人へ分配額が減り不正をしている人だけが得をする機能になってしまいます。
そうなっては本末転倒です。
◆また、とあるゲーム生主が公開していたゲーム放送でもポイントをもらえるかもしれないという不正方法も出回っています。
②放送終了前に放送タイトルをゲームのタイトルからゲームに関係ないタイトルに変える
このような隠蔽を行うとゲーム放送でも高確率でチェックをすり抜けできるという話まで出ています。
コモンズ運営がこの問題を認識しているかはわかりませんが、運営のチェックがずさんなことを利用した不正が生放送にはたくさん出回っているということです。
今後このほかにもあの手この手で不正にポイントを取得しようとする輩が出てくると思います。
◆一番やっかいなのは来場者水増しツール、コメント水増しツールであからさまな不正も見逃されている点です。
◆TSを消しても適用されるため不正なことで稼いでることを著作権、肖像権保持者に連絡しても確認してもらえないため隠蔽できる
◆以上が現在ニコニコ生放送のクリエイター奨励プログラムで問題になっている不正です。
これだけの不正を減らすにはどうしたらいいかという問題ですが現在コモンズには通報機能がありません。
なのでニコニコユーザーがみんなで声をあげてあの手この手で運営にこのことを伝えることが必要です。
一応コモンズにはお問い合わせフォームがあるので抗議文を送るのがいいでしょう。
問い合わせフォームは上のほうにリンク貼ってるのでそちらから飛んでください。
このことをより多くの方に知っていただくためにみなさんの拡散が鍵となります。
ツイッターや放送、動画などにして拡散していただいてかまいません。
どうかよろしくお願い致します。
4亀の記事を読んで。
フィジカル(肉体的)スポーツ、インテリジェント(知的)スポーツ、テクニカル(技量的)スポーツといった伝統的な分類のほか、
近年ではローケーションに注目したマリンスポーツや、道具に注目したイー(電子的)スポーツなどの新しいジャンルが開拓されている。
また、「スポーツの分類」として
スポーツ技術、記録などの向上を目指し、人間の極限への挑戦を追及する選手のスポーツを「競技スポーツ」と言う。
例えばオリンピックなどが挙げられる。
それに対して、老若男女、だれもがスポーツに楽しみを求め、健康づくりや社交の場として行うスポーツ、身近な生活の場に取り入れられているスポーツを「生涯スポーツ」と呼ぶ。
としている。
上記のスポーツの分類から見れば、「レクリエーショナル・スポーツ」に限りなく近い「競技スポーツ」という印象。
自分は主にFPSとDTCGのプレイヤーであり、歴は10数年ほどの若い人間。
とあるFPSタイトルでチームとして日本代表となり、韓国に渡ったことがある程度(自慢)
現状では、ゲームプレイを主体として継続的に一定額以上のお金をもらい続けているゲーマーではないかと思っています。
プレイスキルの有無は関係ないと思っています。ゲームプレイで見ている人を楽しませることが目的。
野球にせよサッカーにせよチェスにせよ、スポーツが何故「面白い」と感じるのか。
この3つが、見ている人に理解出来るよう周知する事だと思います。
ルールが理解出来なければ、何をもって勝利/敗北とするのか分かりません。
また、そのプレイヤーは、何の意図があって行動をしているのか、見る側は理解出来ません。
理解し得ない行動を見て楽しむことは、お笑いでないと不可能です。
例えば肉体的スポーツの場合、多くの人が学生時代に体を動かしているため、プレイに対しての凄さが分かります。
さらに言えば、日常生活において体は常に動いているものなので、プレイがいかに困難かということが「直感的」に分かります。
Eスポーツの場合は、「ゲーム」をプレイした事がない人が「直感的」に凄いと思うことは困難ではないでしょうか。
ゲームならではのグラフィックの凄さは感じる事が出来るでしょう。
しかし、プレイに関しての凄さは、「直感的」な、いわゆる「おおげさ」なプレイでないと凄いと感じれないのではないでしょうか。
肉体的スポーツでも同じかと思います。スポーツは楽しみや感動を共有出来る人と続けないと難しいと思います。
1人でも観戦やプレイに行く人はいます。しかし、その後には何らかの情報をTwitter等で発信しているのではないでしょうか?
高校卒業後にゲーム系の専門学校に入学し、就活を経てゲーム会社に入社した。
幼い頃からゲームは好きだった。自分が「オタク」と呼ばれる人種であることも自覚していた。
しかし専門学校に入学し、ゲーム会社に入社をし、様々なゲーム好きを自負する人々に出会い、私は「ゲームが好き」なのではなく、「好きなゲームが好き」なだけなのだと気が付いた。
このふたつの違いは、創り手になってしまった今の私には致命的なまでに大きい。
私は好きなゲームだけが好きなのであり、「ゲーム」というコンテンツが好きなわけではないのだろう。
いくつもある好きなもの、そのひとつとして「ゲーム」が存在しているだけ。
正直に言うと、頑張らなければいけないゲームは苦手だ。
飽きっぽい性格のためレベリングは途中で挫折するし、ハラハラするのが苦手だから対人戦も得意ではない。
オンラインゲームのレイド戦とかギルドとか、ほんとに勘弁してほしい。
なぜ知らない人間に、ゲームの為に自身の時間を強制されなければならないのか。
でも、ゲームはやらなければいけない。
なぜなら私は「クリエイター」で、ゲームに触れることは義務であり仕事だからだ。
もちろんスプラトゥーンの前作の売り上げや人気、今作発売からの怒涛の勢いは理解していた。
それを理解しながらも、私はスプラトゥーンに今日まで一切触れたことがなかったのだ。
しかも「wiiUもスイッチも持っていないから」というゴミのような理由から、だ。
スイッチが手に入ったらやろう。でも今、手に入らないしなあ。そんな言い訳を脳内で何度繰り返したことか。
そもそもゲーム会社に入社することが決まっているなら、スイッチぐらい予約しておけという話である。
そんな私がスプラトゥーンのプレイに至った経緯は簡単、会社の都合である。
スプラトゥーンやろうぜー!いぇーい!なるほど、わかりました。参加します。そんな感じ。
で、プレイした。
会社の人と対戦をした。
気が付くと3時間が経過していた。
いつの間にか終電を逃していた私は都内のネカフェに転がり込んで、今、これを書いている。
普段ノベルゲームばかりやっている私は、久々に心の底からこう思った。
ゲーム下手な私は全く勝てない。チャージと塗りの使い分けも上手くできない。
でも、楽しい。
上手くなってから楽しくなったのではなく、私は最初から、下手なままでも楽しかったのだ。
スプラトゥーンは対戦ではあるが、敵を倒すことが全てではない。リザルトは「どれだけ多くの面積を塗りつぶすことができたのか」で決まる。
そして塗りつぶすことは、ただボタンを押すだけでできる。だから下手くそでもちゃんとリザルトに貢献できる。
基本操作に慣れてくると、今度は敵を倒してみたくなる。ひたすらペンキをまき散らしていれば、初心者でもキルはできる。
下手な自分が敵を倒し、倒した相手の名前が画面下に表示された時、私は満面の笑みを浮かべていたのだ。
たかだか3時間しか遊んでいないため、私はスプラトゥーンに対して適切な講評を述べることができない。
だが、これだけは確実に言える。2が出た今更、ようやく気付いた事実。
スプラトゥーンは間違いなく、革新的なまでに面白い「遊び」だ。
ハードが無い。難しそう。対人戦苦手だし。ガチ勢多いし。疲れるし。
そんな理由をただただ並べて、自ら「遊び」を遠ざけていた。
ゲーム会社に入社して3ヶ月、肩書は「クリエイター」というらしい。
何がクリエイターだ、ふざけるな。
こんなに面白い遊びを知らない奴が、ゲームクリエイターなどであるものか。
スプラトゥーンを未プレイだった私は、間違いなくゲームクリエイターではなかった。
そして残念なことに、スプラトゥーンで遊んだ今も違うのだろう。
なぜなら私はスプラトゥーンを作れない。誰かの価値観を揺るがすゲームを、今の私はきっと作ることができない。
ゲームをやろう。たくさんのゲームをやって、それを誰かと共有しよう。私は間違いなく、「誰かと遊ぶこと」が好きなのだ。
この決意表明じみた文章を読んでくれたうちの一人にでも、私は、私が「クリエイター」として作った遊びを届けたい。
とりあえず、クリエイター駆け出し・ひよっこ新入社員の目下の目標は、スイッチを手に入れるという激ムズクエストをクリアすることである。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
君が考えた対策を当ててあげよう。
「どっちも大事」、何も分かっていない。
では何か。
答えは簡単だが、その前に君は知っておくべき2つのことがある。
1つ目は、「取捨選択の天秤に乗せるものは、とても細かくてはいけない」ということ。
君が天秤に乗せるべきは、正確には「ゲーム」と「彼女」ではない。
例えば親の葬式があったとして、それを彼女のデートよりも優先するのは、別に「彼女」よりも「親」が大事だからというアンサーになるわけではないだろ?
そして2つ目は、物事の比重は不変であり、常に一定ではないということだ。
「ゲーム」と「彼女とデートをすること」で、いつだって「彼女とデートをすること」を選ぶわけではない。
何が比重を占めるかってのは、「ゲームでいまいいところ」だから、「期待の新作の発売日で早速やりたい」とか、そういう些細な理由で十分だ。
「『ゲーム』と『彼女』ならいつだって彼女を選ぶが、『ゲーム』と『デート』ならゲームを選びたい気分のときもある」ということだ。
つまり答えはこうだ。
実にスマートな回答だな。
もちろん、それで納得するかどうかは君たちの問題だが。
元ますだのfgoも、婆さんのkofも両方プレイしてたし、二次創作にもかかわってるので、おもしろくみさせてもらった。
kofにしろFGOにしろ、キャラかっこよすぎるし、ファンの裾野が(ゲームの難易度にくらべて)ひろすぎるし、その裾野をひろげるのに二次創作がかかわったことをいやがってはいないので、そういうことはよくあるしこれからもあるだろうとおもう。
ま、公式が最大手であればファンは幸せなんだけど、なにか足りないとおもって二次創作にいくんだけど、やっぱり公式以外は最大手じゃなかった、ってなる。でもやっぱり二次創作さがす。
そういうファン心理はあるし、二次創作者の立場になってみたらもっとわかる。
表現を磨いてたらそこらの訓練が必要なゲームなんてクリアできない。表現してる時点で、「自分のプレイしているもっと難しい「ゲーム」をクリアしてる人だ」と認めるべき。
もひとついえば、天は二物を与えないっていうことだとおもうよ。正直、絵を書いてる人、エモすぎてゲーム能力が十分でないとおもうもん。
思い入れつよすぎてへんなキャラをへんな場面でつかいたがるし。
ひとついえることはゆるゆるで、どんなファンでものみこめるゲームがいいゲームなんじゃないのかね。
SNKの倒産はまた違うとおもうけどねー
Switchを一日触ってみていちばん満足感が高かったのはOSの出来だった。
まずゲームとそれ以外(ニュース、ストア、設定など)が区別され、
ストアはこれまでのようなごちゃごちゃ感がなく商品情報が綺麗にまとまっている。
購入ボタンは目立つところにあるし、購入リスト機能もちゃんとある(VITAには無かったんだよな…)。
これからゲームが増えてきたらごちゃごゃしてくるかも分からないが…。
細かい機能がすべて「アプリ」という形で切り出されてホーム画面に置いてあった。
その点、Switchは「ゲーム」という一点にものすごく集中した作りになっていると思う。
「グーチョキパーで勝負がつく世界観」の中に入ることが大きいんじゃないのかな?
じゃんけんで勝つことが目的ではなくて、じゃんけんで勝負するという世界に入ることが楽しい。
勝とうが負けようが、じゃんけんの世界でグーを出したりチョキを出したり、戦略を考えることが楽しい。
これはコンシューマーだろうがスマホゲームだろうが変わらないと思うんだよね。
もちろん勝ったり強くなったりすることを目的とするなら金を積めば結果に結びつく面はあるのかもしれない。
でも、ゲームの楽しみ方って「勝つこと」だけじゃないでしょ?
その世界の中で、バトルシステムを楽しんだり、キャラクターを育てたり、他のプレイヤーとコミュニケーションしたり。
ゲームの中だけじゃなくてゲームの外でも、同じゲームをプレイしている人たちと交流したり。
そういうのも含めて「ゲームの楽しみ」じゃないのかな。
金さえあれば強くなれる、そういう側面もあるかもしれない。
いいえ。
謝ることはありませんよ。
ああ、これって被害者ぶってる割にすんげー上から目線だからキモチワルイんだって気が付きましたよ。
これで最初の回答になったね!よかったよかった。
あのね、あなたは最初の投稿からして潜在的に異性に対して嫌悪感とか憎悪を持つことが大前提になってて、それに対して自分はさも「異性の優しさを受け止められました(あくまで優しさを“受け入れてやってる”のがミソ)」「許せるようになりました」みたいなエラソーな達観を披露してるわけ。
そんでそのかけ離れているという感覚を「ゲーム」とかいう言葉にして、自分の性格を「サイコパス=感情が乏しい。同情心が少ない」とかいうところに帰結させてるの。
自覚してないんだろうけど、そういうところが自分の中では謙虚でいい人演じてるつもりなのに周囲に見下しとか選民意識みたいなキモチワルさを醸し出してるんだよ。
どんなに隠してるつもりでも、そういうネジ曲がった人をバカにする態度は文章の細かいところににじみ出るのがキモチワルイの。
わかった?まあわかんないだろうけどね。
ようするにまとめて言うと、お前は性格が超悪い。
以上
確かに敷居は低くなったんだけど
だからこそ、
皆がこぞってそれに頼った結果、
大手が作る大作までがソシャゲになっちゃったって思うんですよね。
ゲームって皆が遊ぶ環境や体験を含めた経験だと思うので、そういう意味での
敷居は下がったけど、スーファミのころのゲーム文化は失われたかなと。
心を込めたものを団体として作れた時代が終わってしまったんだなあ、ということです。
一人でもゲームがこんな簡単に作れる時勢に何を寝言いってんだ!って思うと思いますが、
それは結局、副業か、独立か、って話かで悩まなきゃいけなくて、
それについてが茨の道だと思ったのです。
趣味や可処分時間内でのゲーム作りは可能なんですが、それって限度あるので…。
本来、仕事としてやれる人が一番時間としては自由なはずだけど、
その人たちは前の投稿で書いた理由で、金策優先の作品作りが加速してるから、
つらい時勢だなあと思うのです。
小学3〜4年の頃、いじめをしたことがある。俺がいじめていた「彼」は当時つるんでた仲のいい5〜6人の友人グループの一人だった。
友人グループとは言っても、一人のリーダー格とその取り巻きのような感じだったと記憶している。俺はそのグループ内ではNo.3くらいの立ち位置だった。
詳しい経緯やきっかけはもう覚えていないが、グループの中でもヒエラルキーが下の方だった彼には、普段の遊びの中で徐々に「リアクション芸」が要求され始めた。
特に彼に障害があるとか頭が悪いとかではなかった。何故彼がそうなったのかあまり覚えていないが、外で遊んでいる最中に転んだり、何かの拍子にボールが直撃したりした際に叫んだ言葉が面白かったとかそういう事だったと思う。当時見ていたテバラエティ番組の企画のように皆で公園で「ゲーム」をしたり、学校内で鬼ごっこや缶蹴りをする中で、彼には毎度のように何か知らの試練とリアクションが求められるようになった。
そのうち友人グループの間でどんどん遊びがエスカレートしていき、彼に対する仕打ちもどんどん過激になっていった。最もひどかったときはもはや単純な暴力だった。肩パンして痛がっているのを笑うような雰囲気になっていた。
そのなかで俺も、ヘラヘラしながら何度も彼に暴力をふるったことがある。所有物を隠した事もあった。多分もっと色々酷いことをしたと思う。確か良心が痛んだと思うが、その時は良心の痛みよりも仲間内で目立つことや皆が笑うことの方が大事だった。
今思っても本当にひどいことをしたと思うし、自分の中では凄く反省している。思い出すたび胸がズキズキする。
彼の母親が学校に殴り込みに来て、いじめは終わった(と思う)。
彼の母親はクラス全員の前で、息子が受けた仕打ちや家で落ちこんでいる彼の様子などを怒りを込めて話した。
俺は、少なくともグループ内で遊ぶときには彼は楽しんでいるものだと思いこんでいた。暴力を苦痛に思っていたことがショックだった。
俺はクラスの前で立たされ、怒鳴られて泣いて、涙ながらに彼に謝罪した。それまで人前で泣いた事が無かったのでそれもショックだった。
俺はそれ以降その友人グループとつるむのをやめた。怒られたのがきっかけでなんとなく空中分解したという言い方が正しいかもしれない。
彼の母親に怒られた日の帰り道に「これから人に優しくしよう」と決意したこと、帰宅してから事情を聞かされていた母親の前で大泣きしたことはよく覚えている。
今思えばこの経験がそれ以降の俺の人格形成に大きく影響した気がする。
中学に進学した俺はクラスメイトの中でも孤立している人や転校生と仲良くするようになった。いじめていた彼を同じ部活に誘った。そうすることが罪滅ぼしだと思っていた。
あれから20数年経っているが、俺がいじめていた彼は地元に帰ると必ず会う特に仲のいい友人の一人だ。
いじめていたことが良かったなんてこれっぽっちも思ってはいない。今でも思い出すと辛い気持ちになる。
他のトラバにある
というのはその通りかもしれない。
こういう「仕返し」でいじめをするパターンもあるのかもしれないけど、遊びの延長線上でいじめるパターンが多いのではないかと自分の経験から思う。
各種ゲーム関係メディアなのかメーカーなのかブラウザ開発者なのかどこにお願いすればいいのかはわからないけど
お願いがあります
ということです
例えば「あの超大作の新作だと?」とか
「昔やったあの名作の続編だと!?」
なんて喜び勇んで見に行ったら
「ForAndroid/iPhone」
の文字
もうすごいガッカリする
なんとなく「どうせスマホだろ」とか予想ついてるけど
別にスマホゲームやそのプレイヤーの存在を否定するわけじゃないけど
これ以上この「がっかり」を繰り返していると
いつか大好きなゲームに対する情熱が冷めてしまいそうになるんだ
だから頼むからスマホゲームの情報は隔離するか、それだけ見えなくするアドオンを開発してください
お願いします
「主人公が努力しないことがラノベの売れる秘訣だ(意訳)」と言うのは散々指摘されている通り事実ではないと思います。
そもそも「ラノベの主人公」で括って一概に語れる訳がない。それが一般的な傾向に言及しているとしても。
色々な主人公が居て、それぞれ色々な特性を持っています。それは作品を素直に読めば理解できるところであると思います。
ではなぜそのように思うに至ったのか、川上氏がそのような偏見を持ち発言するに至ったその影響の大元となるものはなんだったのか、自分なりに考えました。
主人公が(何かと比べて)簡素な努力の描写で強さを手に入れたり、最初から強さを持っていたりするパターンの作品は確かにあります。それは本当にラノベに限った話ではないですし、欠点ではなく特徴でしかない。
そういった作品は「成長物語」ではないのではないかと思います。
「成長物語」ってなんだ。
「成長物語」という言葉は私が過去何度か某掲示板で見かけた単語で、「無力かそれに近い主人公が鍛錬(=努力)や葛藤をすることで身体的・精神的に強くなり、敵を倒していく」そのような物語の類型であり、そのような面白さや内容が主である作品のこと、という意味で以下使います。
ソードアートオンラインの主人公キリトを例にあげてお話しします。
(しかし、私はソードアートオンラインの電撃文庫版のアリシゼーション編に入った1巻目あたりまでしか読んでいません。プログレッシブについては漫画版で確か3巻まで読みました。)
これも某掲示板での話なのですが、アインクラッド編においてキリトがしっかり努力をして強くなっているという主張を私がすると、奇異の目で見られたりします。
「俺TUEEEE」という言葉とイメージが一人歩きしてしまった所為かと思うのですが、実際にキリトが努力をしているシーンとしては、月夜の黒猫団の話。夜にモンスターを狩って経験値を稼いでいたものが挙げられます。
ですが、それ以外で努力・鍛錬をしている印象的なシーンというのはなかなか思いつかないです。しかもそういうところを指して「努力描写が少なくキリトの強さに納得できない」と言っていたりします。某掲示板での話です。
違うんですよ、そうじゃない。逆です。
まず読者には「キリトが強い」という前提があるわけです。それに対して「強いということはそれだけ努力をしているんだろうな」と推測する。それを裏付けるための努力描写な訳です。なるほどこれをコンスタントに続けていたんだなと理解する。だから垣間見える程度の努力描写で構わない。
そしてキリトは二刀流スキルを手に入れます。これはソードアートオンラインのプレイヤーの中で反応速度が最も速いプレイヤーひとりに授けられるユニークスキルです(この事実が明らかになるのがいつだったのか失念しましたが)。これはVRとキリト自身の適正なども関わってくるそうなのですが、もっと小さな頃からVRで自分に英才教育を施した結果とも考えられます。「結果」が「努力の証拠」として提示されるわけです。
「成長物語」は面白い。そこに異論は有りません。主人公が血の滲むような特訓の中で何かに気付き、成長し強大な敵を乗り越えていく。素晴らしいじゃないですか。努力は大切なことだと子供に知ってもらいたいがために勧める気持ちもわかります。
しかしこの「成長物語」は数ある物語の類型のひとつでしかない。
ソードアートオンラインは努力の尊さを説くところに主眼を置いた物語なのでしょうか?
私は違うと思います。
脱線しますが、ソードアートオンラインを読んでいくと、ゲームの中であるのに「死」や「性暴力」という強い現実の要素が登場したり、現実の剣道場でゲームのスキルが再現出来そうになる。ユウキは自分の人生を終える場所としてゲームの中を選択し、アリシゼーションは記憶を無くしたキリトが、精巧に作られた「ゲーム」の中をひとつの世界、つまり「現実」として認識するところから始まる。
どうも「現実」と「ゲーム」の境を敢えて曖昧にしていくことで、「ゲームに真剣に向き合うように促されている」そのような物語ではないかと思います。
もちろん、勧善懲悪ものの面もありますし、フルダイブ型のゲームという仕掛けを使うことで、効果的に努力の尊さを解く、そういう成長物語もあり得るのではないかと思います。でも、このソードアートオンラインはそうではないだろうと思います。
だからこそ、主眼でない努力の描写は、垣間見せたり、証拠として結果を書くだけに留めてあるのではないかというのが個人的なソードアートオンライン観です。
纏めると、キリトはしっかり「努力をして成長している」が「成長が主眼の物語ではない」ので垣間見せたり、証拠としての結果を見せるにとどまっているのだろうということです。
ダンジョンの攻略や事件の解決で奔走する姿は多く書かれていますが、所謂鍛錬というか努力の描写の量は「成長が主眼の物語」だとすると少ないと感じます。
「成長物語」として見るからおかしく見える。そもそも成長を主眼に置いた物語ではなかったりする。そう言った勘違いが、ソードアートオンラインに限らず様々な俺TUEEEE主人公ものと呼ばれるラノベの批判に見受けられます。
そのようなところが勘違いの原因になっていたりするのではないかと思いました。
正直、このようになんでもかんでも「成長物語」としての観点で見てしまうのは、少年漫画誌の作品を読んで育ったせいなのかとも勘ぐるのですが、それは少年漫画誌に対する偏見ですし、その少年漫画誌の作品にも最初から強い主人公で、成長物語でない作品というのはそこそこの数存在すると思います。
5歳の時から約22年ぐらいずーーーーーーっとありとあらゆるゲームを遊んできた。
電源有の家庭用機に携帯ゲームにPCゲーム、アーケードの格ゲーに音ゲーにメダルゲー、将棋なんかのボードゲーム全般に、遊戯王からMTGなんかのカードゲーム、ダーツにビリーヤード…今思いついたのだけとにかく羅列してみたけど目に付いたものや誘われたものなんかを手あたり次第にやって遊んで楽しんできた。
ところがここ半年ほどでゲームに対する情熱と言うかやる気と言うかなんというか、そういうものがだんだんと薄れて行ってるのを感じ始めて、ついに一カ月前から、体調の悪い日や入院してた時や冠婚葬祭の時以外は一日だって欠かした事のないゲームをしない日々が続いている。
仕事が終わってどれだけ疲れてても10分でも触ってたのに。そしてさっき風呂の中で、何処かで見たこんな言葉を思い出した。
本当にどこで見たのかさっぱり思い出せないんだけど、確かにどこかで昔見た。
雑誌かもしれないしネットかもしれないしここだったかもしれない。なんか思い出した。
この文を見た時には鼻で笑った。「んな訳ねぇだろ!死ぬまでゲームやって遊ぶわ!」って。
うん、確かにその通りだった。飽きたわ。
一瞬の気の迷いで後悔しないようにって事と、ちょっと距離を置いてみようと思って、先月と今月の5日にデカデカと「ゲーム」と書いてそれを赤い丸で囲っておいた。