はてなキーワード: 謙遜とは
立派な仕事してるのに「自分の仕事なんかしょーもないもんですよ」と謙遜ができる人間が本当に少なくなった。
たいていの人間、勉強仕事がこんなに大変だとか、家事育児が大変だとか言って愚痴ばかり。(そしてそれをこなしている自分凄いでしょ、という心)
自分のやってることなんか誰にでもできますよ、なんてとても言えないだろう。
最近はCMとか見るとどの企業も「社会の誰かの役に立ってる」的な、なんかふわっとした良い感じのポエミーなキャッチフレーズで自社を気持ち悪いくらい賛美してるものが多い。
社長やら実業家やらが驕り高ぶって謙虚さをしばし忘れてしまっているのはまだいいが、水商売やら配達員みたいな連中まで「誰かの役に立つ大事な仕事だ」、とかそりゃ需要があるから金が入るんであって必要不可欠な仕事だし誇りを持っていいことなんかめちゃくちゃ当たり前なのに、自分に自信が持てないでそんなポエムに縋ってる姿が哀れで仕方ない。
そんな薄っぺらな当たり前のことしか言わんポエムがないと自己肯定できんのかと悲しくなる。
一番典型的なのは、昔は芸人とか芸術家なんかはめいめい自分の仕事はしょうもない、俺らは落伍者だ、道化だと自虐していた。学問ばかりをやってる研究者なんかも、自分は社会からはみ出た仙人みたいな存在であること認識していた。
今そいつらに位置するYoutuberやらなんかは完全におごり高ぶってわけわからんポエムを吐いて自分の仕事を神格化している。
研究者や専門家はまるで世界の中心にいるかのような感覚で仙人である自分を自覚せず、机上だけの論理で現実的な生活感覚のないまま好き勝手に本を書いたり、コメンテーターして世の中をかく乱している。
とにかく自分のことを良い感じに見せることしか頭にないやつが多い。
別に「自分はしょうもない人間」でいいじゃないか!そして「しょうもないなりにはそこそこやれてるな」って、内心で思ってればそれでいいじゃないか!
そりゃ誰だって内心自分の仕事を誇りに思ってるし、でもだからってそれを他人にわかってもらおうなんてしなくていいし、自分の仕事が一番偉いと思いながらも、表面上はお互い立てあってたらいいじゃないか。
日本人の謙虚さとかは、それを逃げ道にして臆病なだけの人間が増えたせいでいろいろ言われるが、やはり素晴らしい美徳だと思う。今一度取り戻してほしい。
現代では自分のことを下げて言えるのは強者の特権で、自分なんかしょうもないですって言えるほど余裕のある強者がもういないんだろうか。
けん‐きょ【謙虚】
けん‐そん【謙遜】
控え目な態度で振る舞うこと。へりくだること。「―して言う」「ご―でしょう」
■お前らなんでググらねーの?と思うこと
https://anond.hatelabo.jp/20230618030531#
謙虚(けんきょ)は、必ずしも自己評価が低い人を指すわけではありません。謙虚な人は自分自身を客観的に見つめることができ、自己評価を適切に行います。彼らは自分の能力や知識について正当な評価を持ちつつも、他人の意見や経験を尊重し、謙遜した態度を示すことがあります。 謙虚な態度は、傲慢さや自己中心的な態度とは対照的です。謙虚な人は自分自身を過度に高めず、相手に対して謙遜し、敬意を持って接します。彼らは他人の意見や知識を素直に受け入れ、学ぶ姿勢を持っています。 自己評価が低い人は、自分自身を過小評価し、自己価値感が低い傾向があります。彼らは自分の能力や価値を過小評価し、自信を持つことが難しい場合があります。自己評価の低さは、自己肯定感の欠如や心の健康上の問題の一部と関連することもあります。 したがって、謙虚な人と自己評価が低い人は異なる概念です。謙虚な人は適切な自己評価を持ちつつも、他人を尊重し、謙遜した態度を示すことが特徴です。
私は東大生であるが、『東大生なのにこんなことができません!』のような自虐のかたちをとった回りくどい自慢が死ぬほど嫌いなので、努めてそうならないように、東大生であること自体はストレートな自慢として割り切ってお話しする。
そもそも「東大生である」という絶対的な価値を前にして、自尊心の足りていない馬鹿共が東大生の欠点を探すことで優位に立とうとする捻くれた根性に問題があるのであって、こうした人々に対してはもっと努力しとけバカが、と全ての東大生が思っているのでご容赦願いたい。
先日、知人に誘われて新しいコミュニティに所属する機会があった。趣味の集まりのようなもので、メンバーは決して大学生ばかりという訳ではなく、社会人が大半を占めるコミュニティである。こういう状況に置かれると、東大生は決まって一つの問題を抱える。
どのタイミングで東大生であることをカミングアウトするか、である。
今回の場合、私をコミュニティに誘ってくれた先輩(非東大卒)がおり、私のことをメンバーに紹介してくれる流れだった。
コミュニティ共通の趣味の話題から入り、私が大学生なんです、という話までした段階で、先輩がすかさず「こいつ東大生なんですよ」と先にカミングアウトした。そして先輩は相手の反応を待たずに「こいつ天才なんで、マジで話通じないですよw」と続けた。
私はこれを受けて、「なんて事言うんすか!w」「そんなコトないですからね」というように反応した。
このように他人が先に行ってくれるカミングアウトとイジりを、私はとても助かる、と感じる。
この場合は先輩の驚くべき気遣い能力に支えられている部分が大きい。
別の例を挙げる。
私は大学の近くで接客業のアルバイトをしている。その職場は大学生が多く、シフトの多くは2人体制であり、客が来ない暇な時間などは初対面の相方であってもよく話す人が多い。
先日も初対面の大学生が相方になり、しばらく他愛のない話をしていたが、成り行きで相手が大学名探りを開始した。多少はぐらかしたものの、大学生ですか?→何年生ですか?→大学この辺ですか?のデスコンボを喰らい、やむなく東大をカミングアウトした。
読者の方々は飛び抜けた経歴などお持ちでない方が多いから経験がないだろうが、相手の想像力の範疇を越える経歴であるとカミングアウトした時、相手はびっくりしてお世辞しか言わなくなる。すると当然、自分に残された道は謙遜のほかにないのである。
大抵の東大生は、謙遜のレパートリーを複数用意している。ギリギリで合格しただけとか、『東大王』の面々とは比較にならないとか、そんな具合である。
しかしいくら手の込んだ謙遜カードを切ろうが、相手にとっては「いやでも東大はすごいですよ」が最適解のままなのだ。
こうなるとしばらくお世辞と謙遜のループから抜け出せない。しかもこの謙遜というのが非常に繊細で、「東大なんて大したことないですよ」なんて言おうものなら相手の大学を地に堕とすことになるからとても気を遣う。
1つ目の趣味コミュニティの例では、先輩が相手より先に「東大生の扱い方」を示してくれたことで、私は「お世辞を言わなきゃいけない相手」から「(もちろんネタで)イジってもいい相手」になることができた。
もちろんここからお世辞ルートに入ることも十分にあり得るが、少なくともバイトの例よりはだいぶマシである。
東大生にとってこうしたコミュニケーションが面倒な理由として、アイデンティティに占める「東大生」の部分が非常に大きいことが挙げられる。これは大学生一般に言えることだが、大学生が大学名を明かさずに自己開示することは不可能に近い。
学部にしろサークルにしろ、大学名抜きにして話は広がらないのだ。
東大生は、その大学名が無限謙遜編への片道切符なのだからどうしようもない。
つまるところ、大学生の最も一般的な会話のツールとしての「大学どこ?」を自分から訊くことができないし、相手に訊かれたらお世辞がほぼ確定するしで、初対面の会話がかなりのストレスになるのである。
ここまで読んでいただいた上で、こうしたストレスへの対処も予防も存在しないと考えている。まして東大生にお世辞以外の話を振ってほしいとか、相手の立場を考えて話題選択をしてほしいとかそういったことは期待していない。
有望なスタートアップに入社して、事業を伸ばして、上場したい。ストックオプションを使ってお金持ちになりたい。
そんな考えはもう古い。
勢いのないスタートアップとは、資金調達のニュースが結構前に出たきりあまり露出がなく、社員数も増えていない、停滞していそうなスタートアップのことである。
私は歴10年ちょっとの中堅もとい中年エンジニアなのだが、エンジニアとしての実力は贔屓目に見ても中の下程度だ。
しかし、勢いのないスタートアップでは私のような凡庸な人間であってもとても重宝される。
勢いのないスタートアップの経営陣は能力が高くなく、すごい社員もあんまりいない。
みんなすごくないから、黙々とほどほどに仕事をしているだけで貢献を認めてもらえる。
つよつよエンジニアがすごいスピードで開発しているのを見て劣等感を感じることはないし、よくわからないエンジニアリング議論を浴びせられることもない。
勢いのないスタートアップは知名度がなく採用競争力も弱いため、エンジニアに対してとっても優しい。
万に一つも辞められたくないからか、ガラス細工のように扱ってくれる。
ツーブロックなゴリゴリ営業がとってきたよくわからない案件に巻き込まれることはないし、上の人が勝手に引いた謎スケジュールのために残業させられることもない。
勢いのないスタートアップに転職してから、自己肯定感が高くなり、体調も良くなった。
転職時に年収も100万くらいあがったし、入社してからもなぜか50万くらいあがった。
「謙遜してるだけで実はちゃんと実力があるんでしょ?」と思われてしまうかもしれないが、本当にそんなことはない。
私は今までコピペとググり力でなんか雰囲気で開発をしてきただけのエンジニアなので、本当に中の下だ。
中の下というのも言いすぎなくらいで、下の上か、下の中かもしれない。
最近少し開発スピードが早くなったと言われたが、その理由もChatGPTが登場してくれたからだ。
ChatGPTのおかげでググる時間が減り、コピペがとても捗っている。
話が横道に逸れたが、私のようななんちゃってエンジニアレベルの人間にはぜひ勢いのないスタートアップへの転職を勧めたい。
これからもずっと勢いのないままでいてください。
朝日新聞が見出しでブラジル大統領の発言を「持論」と切り捨てた。
「『持論』に否定的意味はない!辞書見ろ!」とか国語辞典マニアの人が怒り出しそうだけど、否定的意味を感じない人は国語が弱い人としか思えないにゃ。ここで切り捨てられない話をする人には「話した」「述べた」「語った」「考えを示した」などの言葉が添えられる。
試しに過去の朝日新聞の国際ニュースで他に「持論を展開」という言葉が使われた人を取り出すと、トランプ、北朝鮮、プーチン、ロシア高官、パレスチナ首相、韓国革新系主張が出てくる。このメンバー見ればメディアの「持論」の使い方が見えてくる。謙遜して自分で自分の意見を「持論」と語るのはいいけど、報道機関に勝手に使い分けされるとな。
1年前に増田で、マスコミの「主張」の使い方が「持論」化してると話題になって、実際に調べてみたら当時ロシア側で「主張」が多用されてたことが明らかになったことを思い出した。
オレオレFCはアウェイで川崎フロンターレと1-1で引き分け。4連勝はならなかったが、5試合負けなしとなった。0ー0で迎えた後半4分に先制を許したが、1点を追う後半10分から201cmFWトーマス・ノレジーを投入。すると、後半37分にノレジーのポストプレーから、最後はMF奈良田のミドル弾で追いつき、2年前の王者から貴重な勝ち点1を掴んだ。
【写真】川崎と引き分け、サポーターに挨拶するオレオレFCイレブン
停滞ムードを豪州人ストライカーが流れを変えた。1点リードを許した後半10分「起点になれてなかったし、警告を貰ったから」と野河田彰信監督は精彩を欠いたFW森永を代え、ノレジー投入。高さと強さを生かして、最前線で起点を作り、好機を演出すると、後半37分だった。MFジュシエのクロスを胸で落として倒れ込みながら、後ろにパスを出すと、飛び込んだ奈良田が、豪快ミドルで追いついた。
試合後、奈良田は「ほとんどトーマスのゴールです」と謙遜したが、ノレジー本人は「奈良田が見えたので、私が決めるより彼が決めた方が良い」と判断した結果だった。
19日のルヴァン清水戦を視察した野河田監督は川崎対策として登録にMFがいない6ー4の3ー3ー3ー1を採用。序盤から主導権を握り、相手ゴールに迫り続け、川崎の守備陣を翻弄したが「その割には決定機は少なかった」(野河田監督)。ノレジー投入後はシステムを4ー2ー3ー1にして、息を吹き返した。
「出来れば勝ちたかったです」。試合後、ノレジーは引き分けを悔やみつつ「川崎相手にも自分達のやるべき事はできた。チームは正しい方向に進んでいるし、成長を実感している」と手応えも口にした。
次節29日は昨年王者・横浜Fマリノスをホームで迎え撃つ。相手のマスカット監督は同じ豪州出身。ノレジーは「横浜Fマリノスという素晴らしいチーム相手にしっかりといいプレーを見せ、勝ちたいです」と力を込めた。
○野河田監督「前半はプラン通りやったけど、決定機は少なかった。(同点ゴールは)まあ、アレを見越してトーマスを投入したけどね(苦笑)。ただ試合自体は反省点が多かったので、修正して次(横浜FM戦)に繋げたい」
○FW森永(地元での一戦も精彩を欠き、後半10分で途中交代に)「何も出来なかったし、交代されて当たり前。監督からも”何も出来てへんかった“と言われた。(横浜FM戦は)出れるかは分からないが、今日の反省を次に生かしたいです」
○…川崎はホーム初勝利を逃した。後半4分に、MF脇坂がボレーシュートを決めて先制。だが、後半37分に同点ゴールを許した。
鬼木監督は「最後に勝ちきるという意味で言うと、球際のところで何度もこぼせば、ああいう失点になる。勝たなきゃいけない試合で勝てなかった。それがすべてだと思う」と悔しさをにじませた。
20、21年と圧倒的な強さで連覇を果たした名門はここまで15位と苦戦。脇坂は「情けない」と悔やみ、ベテランMF家長も「チームとしての甘さが最後のところにあった。結果が出ていないことに対して自分も含めた選手が責任を感じるべき」と厳しい言葉を口にした。
今が底辺すぎてできるだけ言わないようにしてる
つーかわざわざ自分からいうほどすごいことでもないと思ってるし、そうでなくても社会人になったら学歴とか関係ないと思ってる
おれみたいなクソでも入れたくらいなんだから
それでもそれを知ってるそこそこ年いってる人が飲み会とかで代理自慢みたいにばらしちゃうときがあってほんとに恥ずかしい
運河よかっただけーとか社会人になったら大学なんて関係ないですよーとかいって話そらそうとしても、
またまた謙遜しちゃってーやっぱりそれによって最低限のなんちゃらは見える・わかる・はかられるもんだよ
みたいにフォローされて誘い受けみたいになっちゃっててほんまつらい
はー・・・
Twitterを観察すると、そこそこ多くの人がAIイラスト生成に取り組んでいて驚く(専用アカウントを作成している人が多い)。
最近では、「AI術師」や「AI呪文者」などと自称することが増えており、「描く」ではなく「生成」「出力」と表現する人も多い。
これには、謙遜的な意識があると同時に、「絵師」という呼称を避けて独自の文化を築きたいという意図も感じられる。
(なんとなく違和感があるが、「絵師」という言葉が定着したように、AIイラスト文化も進むことでこの呼び方が定着するかもしれない)
AIイラストは一般的には否定的なイメージがあるが、生成者同士のコミュニティでは当然そのような忌避感はない。手を出してなくても、技術的進歩として肯定する人もいる。
この肯定側のポジティブな感情と、世間の否定的なイメージがどのように関わり合い、変化していくかは未知数に思える。
現在は大きな論争は起きていないが、生成側のモラルに問題がある行動が増えると、Winnyのように邪悪な存在とみなされる可能性がある。
もちろん、時が経つとデジタル作画や3DCGのように受け入れられる可能性も高い。正直どうなるかは分からない。
なので、AIイラスト文化が良い方向に進むためには、世間は忌避感を受け入れ、抑圧された状態を維持する方が、結果的にモラルが生まれやすいとも思う。
「術者」「出力」という語句を用いるのは寧ろ良いことのような気がしている。
某所で「声優のような絵ができた」と実写調のイラストをアップロードされていたが、プロンプトを確認すると声優名が記載されたloraが使用していた(恐らく、写真で学習したものが配布されている)。
彼は無邪気にその絵をアップロードしたんだろうが、誰かに補足されてTwitterあたりで拡散されると、炎上してた可能性は十分にあった。
https://anond.hatelabo.jp/20230416015338
手取り18万の独身女に向かって「結婚しないの〜?」「子どもはかわいいよー」とか言う割に
平気で「子育てしんどーい」「お金がなーい」ってどの子持ち女性も口を揃えて無邪気に言う。
そういうことを無邪気に言う女性の旦那はだいたい大企業に勤めていたり年収1000万以上だったりする。自分は時短やパート。しかも実家もそれなりに太くてタワマンとか住んでる。
お金とか体力がすり減っていくのはわかるから、一時期は黙って聞いていたが、自分の状況と彼女たちの状況を照らし合わせた時、ある時、自分の方が詰んでると気づいた。
子育てしんどい。ローン返済しんどい。教育費大変。独身とか子なし既婚にまで愚痴を言うくらいしんどいのなら、無理すんなって。
そして、しんどいだの金ないだのこちらに言うのは、半分うわべで、案外楽しんでるのも知ってる。その人たちのSNSを見てると、休日家族で出かけた写真だの、「子どもを産んで人生の意味が変わった。産む前と全然違う」みたいなことを書いてたりもする。
素直にキツイ。
「子育てしんどい」「お金がない」がこちらを気遣っての謙遜だとしてもキツイ。ましてや「子供を産んで人生の意味うんぬんかんぬん」とかも結構キツイ。そういうのは子持ち同士でやってくれ。
彼女たちは、派遣社員とか不妊治療してる人とかのことをどう思ってるのだろう。平気で口にするのですごいなと思う。
彼らは選んでその状況にいるのではない。あなたたちは結婚も出産も無理矢理させられたのだろうか。
うら若き独身女性が、子あり女性の言葉に傷ついて涙を流さないことを祈る日々です。
数年経った今でもため息つくな。
ぼんやりとそんな概念はあるっぽい人は9割に近いかもしれないけど、「返ってくる」とは? ベースどっち周りだっけ? とか、△だっけ四角だっけとか知らない
(ア、アウトってのがあるんだっけ? って先日話したとこ。シャアとアムロとガンダムが居る、ぐらいの知識)
野球詳しそうな人が多すぎて無駄に謙遜しちゃうのも知らない人多く見えちゃう原因かもね
ちなみに、自分は高校の体育でラグビーをそれなりにやったはずだけど、トライで何点か入ってなんか蹴っても入って、ボールを前に投げちゃだめ、ぐらいしか覚えてないからラグビーのルールわからんって言う
バスケはトラベリングぐらいまで押さえたらなんとなく形になる? ダブドリとかは目をつぶって
テニスやら卓球やらもルール知らない人とやる時はサーブどこに入れるとか、自陣でワンバンしてからとかは気にしないでまあそれっぽく成立はする
どんどん話が変わっていってる気がするけど、自分が沢山居てラグビーやろうぜってなったら、
・最初の時点で全員スクラムに参加してるので、押し勝った後次のプレイに入るタイミングがわからん
(こないだのW杯でみたのとか思い出した↓)
・足で後ろにいる人にボール蹴るんだっけ?
・あとはなんとなく横に広がって斜め後ろにパス
・守備側はタックル(上半身行っていいのか、掴んでよいのかとかはわからん)
・トライしたら点入る 3点か6点ぐらい
(アメフトと違うみたいな知識あるからトライ地点の延長上じゃなくてもいいんだっけ)
・パントってやつあったなぁ、攻撃に使うんだっけ? ピンチの時の緊急避難?
ずっとパントしてりゃいいじゃん、って思うから多分制約あるんだろうなってパントは控える
・外に出たら、なんか両チーム並んで真ん中にスローインして、持ち上げて取っていい
かつては大学生だった。今から約20年前のことだ。地元の公立高校で必死に勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部に合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。
40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置にはいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。
これから、大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。
入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑
でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツ系からは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。
文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代はバリボーをやっていたが、大学の部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。
それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家は美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。
アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。
そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都の学生有志で集まる大学間サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都の音楽を発信しよう、みたいな団体だった。
チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。
いろんな大学の学生が集まる、しかもライブイベントのスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校も中学も高校も、文化祭でリーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。
数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風のプロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはすが現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場の下働きだった。
それで、みやこ音楽産業みたいな名前の団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近のカフェで面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。
若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学の看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。
まあ、そうじゃないと、第1回目からくるりや向井秀徳や矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。
もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。
いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。
思えば僕は、アニメや漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーはほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。
僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前の大学の女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。
そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分は臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。
それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室の座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。
ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学の学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都の方言は標準語に直している。
「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」
「高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」
「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」
(3/21追記)コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。
こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学の学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。
「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」
「法学部なんですね!! すごーい」
「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」
今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ、自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。
で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバーが乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。
……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間がモテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって、京都大学に合格した時は、中学校や高校の先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。
でも、違うのだ。大学が保証する個人の能力というのは、実社会で必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。
結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行に内定した。しかし、自分という存在に確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。
銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。
掻い摘んで話すと、社会人一年目から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品の営業がまったくできなかった。
営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子や女の子ですらそうだった。
同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都の山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。
三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。
まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大だからな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。
結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベルの会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。
それからは坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所の会計年度任用職員をクビになった。現業の仕事をするポジション(剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。
書類選考が通って、市役所の役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事未経験の自分でも内定を取ることができた。
もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。
「すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」
「事務職はもうパートさんがおるさかい。あんたには任せれへん」
「すんません」
会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。
これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニでストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。
最後に知っておいてほしい。学歴は仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカの研究で学歴と仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまり、ほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。
そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさんの愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。
――ああ! 誰かがあの肉體からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!
未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99
3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分の言葉じゃなくて申し訳ありません。
もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴と仕事能力は関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。
そもそも元から自分が出来ることをひけらかすタイプの人じゃないので、ただただ謙遜している、
あるいは、今思うように語学学習の成果が出ていなくても続ければ僕みたいになれるよってエールを送ってくれている
そう捉えるべきなんでしょうけど、
もうね、2年も勉強したらですね、ワイくん的には主体的に会議に参加出来るレベルになりたいわけですよ
ネイティブ相手にセールスとか法律のお話とか出来なくて別に良いんです
ネイティブの偉い人にこいつなら仕事任せても大丈夫そうだなってレベル目指してないし、
あ、この人が上司でも大丈夫だなってネイティブの部下に思ってもらうとかも目指してないです
ただただ、会議の置物を卒業したい、カンペ読み上げるの卒業したい(なお日本語と日本人英語に明るい人にしか通じない模様)を卒業したい
2年もね、勉強したらね、自分の専門だけは会議でまぁフツーに意思疎通が出来る、
はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー😭
え?なんで?アラフォーだけど、若手が優秀だし、これから若手だけちやほやされるようになって、もう若手じゃなくなった自分は「そろそろプレイヤーやめてマネージャー側の仕事やってくれんか」みたいに言われて、教育で疲労したところで使い捨てられ、教育した若手からは「老害!消えろ!」って思われるし、もう死にたいよ。
あなたやあなたの家族が傲慢な価値観を持っているから生きたいと思うだけなんじゃないの?日本人は、謙遜とか遠慮とか「譲る心」を持っていることが何よりの美徳や道徳なんだから、若者から老害と恨まれてまで「生きたい」と執着するのは、そういう人はいてもいいけど、日本人の美徳や道徳からは外れているし、傲慢で自己中心的な人だとは思うよ。
twitterで炎上してる記者の「にったさん」の書き振りを見て思ったけど、職業人が他者から聞かれてもいない場面で「私はプロですから」と言うことってあるかなぁ…?
普段から聞かれても無いのに「私はプロですから」と言う人って、会ったことない。
ある技能や行いを褒められた時に「あ、私はプロなんで…」と謙遜したりケースは時々見かける。
自ら「プロ」と吹聴する人って、本当の達人か、自信がない人の両極端な気がする。
みんなはどう?
福岡のローカル番組で、県内でも録画してまで見るor全く見ないの両極に別れる「地元検証バラエティ 福岡くん。」という番組があります。
うちは前者で、昨日も初の東京との同時放送版をリアル視聴と、家族で晩ごはん食べながらTVer版を見つつ、謙遜してそうで偉そうないつものスタイルに笑いながら見ていたのですが、
娘がふと「東京の人は番組のキャッチコピーである『福岡県民以外は1ミリも面白くない』状態なのではないか?」と言い出し、
確かにTwitterを見ても福岡県民とQUOカードに釣られた人の反応は見られるものの、関東圏で見た人の反応が皆無で、はてなの皆様でもし視られた方がいらっしゃったらおもしろかったのかどうか聞いてみたく、ここに記した次第です。