はてなキーワード: 自明の理とは
https://anond.hatelabo.jp/20191012161120
の続き
本誌連載一話目からずっとアンケ出して単行本買って毎週感想や考察を楽しんでいたのにアニメ化してから本誌感想を検索するとアニメ新規原作未読勢の原作既読者への「死ね」とか「殺す」とか「クソ」とか罵詈雑言がすごくて気が滅入る ネタバレ踏んだまでは百歩譲るとしていや原作を買えやと許す気にもなれんが付随するのが死ね殺すだよ そこで読者への殺意が湧いちゃうんだ、原作の購入意欲じゃなくて…すごいな、僕にはとてもできない
「ネタバレ配慮しない人が多すぎ民度が低くて引く」「鬼滅で検索したら/二次創作漁ったらネタバレくらった」
被害者のような言動をしてるが単行本も本誌のバックナンバーも電子で買える今の時代に原作未読のまま原作読者のせいでネタバレ踏んだ!って騒ぐの、よくよく考えると分からない、謎だ、これってトリビアになりませんか?
消費者からすれば訳が分からないよな、なんできちんとお金を払って楽しんでいる側が責められなきゃならないんだ…? 理不尽な殺意地雷です
後半どんどん雑になっていくのはネタバレルートが自業自得むしろなんで被害を受けたと訴えようと思った?レベルに救いようがなくなっていくからです
地方だから入荷遅い? 電子あるだろ インターネット見てネタバレ配慮しろとぎゃーぎゃー喚いてるのに電子版にアクセスできないわけもないだろうし…分からない…
何のサービスでも検索したらその情報が出てくるのは当たり前だろ お前は分からないこと知りたいこと気になったことを検索したらそれについて詳しい情報が出てきたことがないのか
二次創作って基本原作を知ってる人間がやってるからそこに原作のネタバレがあるのは当たり前だろ 二次創作の二次って何の二次だと思う? 原作の二次なんだよな 一次情報である原作のネタバレが含まれているのは自明の理だと思いませんかあなた?
自業自得で勝手に苦しむのはいいが一人で孤独に苦しんでくれ あなたのせいでネタバレ踏みました!って逆恨み呪詛をばら撒くな 本誌ネタ感想考察二次創作のせいでネタバレ踏んだ死ねとか言ってるお前のことだぞ
そういう輩を見るたびにこいつは原作に金を落とす気のないキッズと判別できるのはいいがアニメ化を機にこんな精神低年齢者に目をつけられてしまった原作が不憫でならないんだよな 原作未読勢のせいで肝心の原作ファンが当初のように楽しめなくなってしまって本末転倒なんだよな 最初こんな言動取るのは中学生か高校生だろまあ仕方ないかと思ってしまったけど中学生高校生ごめんな、普通に18歳以上とか成人済みの発言だったわ、世も末 ネタバレを死のように恐れるならそもそもインターネットをやるな いやその前に原作を買え 宗教上の理由でできないのか? 購入厨に先越されると悔しくて泣けてくるのか?
最初は配慮してたけど4月から半年経っても原作漫画の一巻も買わない人間、ネタバレのせいで漫画見る気萎えた!とか言うけどこれどのみちなんだかんだ言い訳して公式に金を落とすタイプの人間じゃねえんだわ、もっと早く気づけばよかった
インターネットのせいでネタバレ踏みました配慮してください人間、原作を買ってないんだよな
原作を買う気のない人間のせいで原作買ってる人間が遠慮を強いられるのおかしな話なので無課金厨は配慮しろ
アニメ派に人権はあるけど自衛もしないできない無課金厨に人権はないよ
更に言うならきちんと購入して原作を支えているファンを加害者扱いしてキッズ呼ばわりする側の方が読者の人権を侵害しているよ
本誌も追わず単行本も読まずそのくせ自分からネタバレに繋がる検索をして死ねだの殺すだの不平を言って読者の足しか引っ張れないような奴は目を瞑ってどっか隅っこに挟まって口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きててほしい
https://anond.hatelabo.jp/20191012162403
というか円盤グッズ買ってくれるかもしれないしと配慮してきたよ
でも「お金ないから原作買えない、アニメのみで楽しみたい」って言ってる人間を見ていくらネタバレ配慮したところで原作漫画の一巻も買えない人間が漫画全巻より高い円盤を買ってくれるわけがないから無意味だと目が覚めた
アイス売りに暗雲たちこめ、ジメジメとした嫌な暑さがまとまわりついてきた。
そんな俺たちの状況なんて弟は露知らず。
というより興味もないだろう。
今のあいつにとっての急務は、もっと捉えどころのない“何か”だ。
少なくとも、タケモトさんの家で麦茶を飲むことが、そこに含まれているとは思えない。
「この部屋、寒くない? タケモトさん」
「カロリーを消費していないからだろ。エネルギー使いながらだと、これくらいが丁度いいんだよ」
タケモトさんは大人であり社会人でもあるが、そんな彼も長期休暇をとっていた。
「むしろ門前払いしなかっただけありがたかったと思え。こっちはやることがあるってのに」
弟のことはそっちのけで、タケモトさんはデスクワークに勤しんでいた。
この様子だと暇つぶしには付き合ってくれそうもない。
アテが外れた弟は、冷房のききすぎた部屋で冷やかすのが精一杯だった。
「この社会は誰かが休んでいるときも、誰かは働いてなきゃダメなんだよ」
つまり働く人がいない場合、そのシワ寄せは休んでいる人にくるってことだ。
「タケモトさんの働いている所、人手不足ってやつ?」
「そういうわけじゃねえが……いや、無能や怠け者を数に含めないなら、人手不足と表現してもいいか」
少し間をためて、噛みしめるようにタケモトさんは答える。
その無能や怠け者のことを思い出していたのだろう。
「休みなのに休めないなんて大変だね」
「別に休もうと思えば休める。オレがやらないなら、他の奴がやるだけだ」
「えー、じゃあ、やらなくていいじゃん」
「ガキのお前には分からねえかもしれんが、“休む”ってのと“何もしない”ってのは違うんだよ」
「“休む”と、“何もしない”……」
実のところ、俺がさっき言っていたことと大して変わらないのだが。
まあ身近な人間より、そこら辺の誰かが言っていることの方が響く年頃なのだろう。
「それは大人だったら分かること?」
それは遠回しに、「お前は無能・怠け者の予備軍だ」と言われているように弟は感じた。
「ガキは無敵だ。時間をドブに捨てても肥やしになってくれる。だが“大人の時間の無駄”は“正真正銘の無駄”だ。何の意味もない」
そして、続く言葉に弟は体を震わせる。
単に冷房のせいで体温が低下しただけなのだが、弟はタケモトさんの言ったことに身震いしたと錯覚した。
そもそもタケモトさんの家を訪ねたのはそれを聞くためだったはずだが、弟は今になって思い出したらしい、
「“やりたいこと”をやればいいんじゃないか? ないのなら見つける」
「“やりたいこと”って?」
「そういうのは自分で探すもんだろうが」
タケモトさんは露骨に舌打ちをした。
無理もないだろう。
片手間にするような話じゃないし、それにつけても弟の対応は手に余る。
「じゃあ……“やるべきこと”をやっとけ。そうしていれば、やりたいこともいずれ見えてくる」
それでも仕方なく、投げやり気味にタケモトさんは答えた。
「“やるべきこと”……」
「それぐらいは、さすがに分かるだろ」
「……宿題だ!」
「そうだ、宿題をやれ」
こんだけ理屈をこねておいて、結局は大人が子供によく言う、自明の理である。
「宿題という気がかりを失くしておけば、じっくり考える時間もできる!」
「そうだ、後顧の憂いを絶つんだ」
だが弟にとっては青天の霹靂といってもよかった。
捉え方が適切かどうかなんて、さして重要ではない。
歴史の偉人たちの言葉を借りるように、同じくタケモトさんの言葉を都合よく解釈したまでだ。
「善は急げ。宿題は己の宿る場所にある。マイホーム、ゴーホーム。さっさと家に帰れ」
「うん、ありがとう! タケモトさん!」
粗雑に囃し立てられながらも、弟は勢い良くタケモトさん宅を去った。
「……ま、やりたいことが見つかった時には、既にやれなくなってる……なんてこともあるがな」
弟が出て行ったのを見送ると、タケモトさんは意地悪そうに呟いた。
内心、だいぶ苛立っていたらしい。
○朝食:なし
○夕食:人参とサッポロ一番を茹でた後冷やして、大根おろしを乗せたもの
○調子
むきゅーはややー。
今やってる仕事は、ざっくり言うと「自分たちは悪くない」という言い訳の資料作り。
過去の資料をまとめたり、パッケージ製品の挙動をまとめたり、検証用の仕組みを作ったりと、色々あるんだけど
その中でも面倒なのが「自分たちじゃなく、別のチームが間違ってる」と告発する資料を作る作業。
これがまあ、面倒臭い。
半ば自明の理でも、万が一間違ってると報復戦争が始まるので、丁寧丁寧に歌うよお。
まだ何日休むか決めてないけど、ガツンと1週間丸々休もうかなあ。
○グラブル
虹星晶1253/2900。碧空の結晶266/380。
自分が共同体をベースにして考えており、「個人の自由のために同性婚を許容すべき」派ではない、というのはご理解のとおり。
現代においてなお「個人」なるものが集団から屹立して成立しているようなタフな社会は到来していないと思う。個人主義者、あるいは単純にネオリベが勘違いしているのはそこのところで、彼らの多くは集団から多大な恩恵を受けつつも「個人の自由」を過剰に追求する、要するにただのフリーライダーであり、それを「上手いやり方」だと勘違いしている。みんなある程度読み書きができて理屈が通じてそれほど暴力的でなくてルールに従順で…という社会が、どれだけの無償の努力によって成立しているか考えたこともないお坊ちゃん達だ。そもそも個人主義というのは歴史的に見ても相当特異なものの考え方であり、次の、その次の世紀にまで引き継がれるスタンダードな思想になるとはとても思えない。よって、自分はそもそもそこに基盤をおいて考えない。
(2)「制度」が社会の現実を反映するという発想こそが近代主義
少し考えて欲しいのだが、ごくごく一般的な庶民が、二人も三人も嫁をもっている前提のストーリーが、古典作品にあるだろうか?
王様や貴族、商人、といった「社会的に富と権力を抱える支配層」が妾を複数置くという話はいくらでもある。それをもってあなたは「制度としては一夫多妻だった」と言いたいのだろう。しかしそれはむしろ、妻を複数もつ彼らが「慣習的な一般常識を超越しうる存在であった」ことを示しているに過ぎないのではないか。つまり、一般庶民、村や町といった所に住む普通の人々にとって、二人、三人と恒常的なパートナーシップを結ぶことは、むしろ非現実的であったことを示しているに過ぎないのではないか? 中国の古典にも純愛の話(一夫一婦)はたくさんある。日本の昔話でも、じいさんとばあさんがペアで出てくることは多いが、嫁や夫を複数持つという状態が「常識」であったりすることはほぼない。イスラム世界は一夫多妻だろうという声もあるだろうが、イスラムの戒律が厳しくない外国に行き、経済的にものすごく恵まれた状態でない限り、結構すぐに嫁から不満の声が上がるというよ。一夫多妻(あるいは多夫一妻)を、民衆の多数の同意の下、安定的に運営してきた共同体なんて、むしろ現実に存在するのかな? 男女の誕生比率が世界の何処でも大きく変わらない限り、簡単に破綻するのは自明の理屈と思うけど。
近親婚の話は、上の個人主義の話との関連で、特に補足する必要は無いな。
もっとも、増田の言ってることは十分面白い。別に頭から否定したいわけではなくて、こうして意見交換をするのが思考実験としても面白く思っているので、「あえて」反論している所もあるよ。一応。
「キモくて金のないおっさん」と「活気ある街作り」の関係性について考えてみる。
KKOにはくたびれた感がある。
となるだろう。
「家に帰ってもなにもやる気が起きない」
「容姿に優れない」「経済的に優れない」「中年男性」という3条件を満たしていても「KKOらしさ」のない人間もいる。
例えば「見た目のよくない売れない中年芸人」などがそれである。
「見た目のよくない売れない中年芸人」は「キモくて金のないおっさん」という条件を満たしながら「応援」されて成功する場合がある。
逆にKKOの条件を満たしていなくても「くたびれた感」があると忌避される。
金を持っていても「くたびれた感」があれば周囲からは嫌煙される。
(KKOは「おばさん」も含む場合がある。性別も重要ではない)
すなわちKKOを構成する3条件とは、根本的なポイントではない。
3条件を満たしていても「くたびれた感」がなければKKOらしいとは思われない。
くたびれた感の反対を考えてみると「活気」ということになる。
となるだろう。
個人レベルでKKOを脱却したいのなら「くたびれた感」を消して「活気」を出さなければならない。
よく「見た目には清潔感が大切」と言われるが、それは本質的ではない。重要なのは「活気」である。
「KKOは自業自得」という言説も「活気」を出せば解決できるという理屈に基づくのだろう。
世間にとって「活気がない」=「悪」というのはあえて言うまでもない自明の理なのである。
だから、そこはわざわざ語られない。だが、心当たりはあるだろう。
シャキッとしなさい。元気を出しなさい。背筋を伸ばしなさい。笑顔を絶やしてはいけません。
ただしKKOもなにも好き好んでくたびれているわけではないのかもしれない。
強いられている「低賃金長時間労働」が原因と考えることもできる。
KKOと低賃金長時間労働については鶏と卵の関係なのかもしれない(その辺は後述)。
本邦では「活気ある街作り」が試みられている。
いったいなぜ「活気ある街作り」を目指しているのか明確なところはわからない。
しかし大衆に「活気ある街作り」=「善」と認識されていることは確かだろう。
元気のある街。笑顔のある街。24時間営業。バーゲンセール。ケバケバしい看板。
「活気ある街作り」とは、こういう方向性だ。
「活気ある街作り」という大きな流れの中にあるもののひとつが「弱者救済」である。
「子供の声は騒音ではない」という言説が一定の支持を得るほどだ。
「ゲームばかりやってないで外で遊びなさい」という理屈も「活気ある街作り」という文脈に繋がる。
「元気に走り回る子供」の姿は活気を感じさせる。
老人はそれ単体では活気ではない。
しかし老人が出歩くことは「年齢というハンデに負けずアグレッシブに活動」という意味を持つ。
また老人が存在することで「助け合い」という「活気」を演出するイベントが発生する。
例えば「若者が老人に電車で席を譲る」という行為は「活気」のあるシーンである。
創作物の中でも「大きな荷物を持った老人が横断歩道を渡るのを助ける」シーンを幾度となく目にしてきたはずだ。
「ハンデをものともせずアグレッシブに活動する」ことは「活気ある街作り」という方向性である。
また「車椅子に乗った人を手伝う」のは活気を演出する「助け合い」イベントである。
一方で精神障碍者は身体障碍者ほど受け入れられてはいないのが実情だろう。
それは「助け合い」という活気を印象付けるイベントとあまり関係がないからではあるまいか?
女性の存在は「女性が一人で出歩けるほど治安が良い」という意味合いで活気の演出となる。
また「女子高生」などは「活気」のシンボル・アイコンとして用いられがちだ。
権利を求める一部女性の「活動」は良く言えば「アグレッシブ」、悪く言えば「狂犬」だ。
だが、それでも「元気があってよろしい」ということなのだろう。
くたびれた感よりも「攻撃的で噛み付く」くらいの方が好感をもたらす。
ところで、すべての女性が弱者として救済されているかというと、そうでもない。
さて、ここまで読んできたら恐らく気づいただろうが「KKO」=「くたびれた人間」は「活気ある街作り」という方向性には合致しない。
くたびれた人間の周囲では「助け合い」イベントが発生しないのだ。
(なお「仕事に疲れてくたびれた人間」が助けられるシーンは活気とは言えない)
くたびれた人間の中には「仕事で疲れているのだから暇な老人に席を譲る必要はない」と公言するものさえいる。
もしも、くたびれた人間に金を与えたらどうなるか?
「つらい、しんどい、疲れた」と言いたがるタイプが街に出歩くことになる。
よくよく考えてみると、日本の街には「休憩する場所」があまりないように思える。
「休憩」は活気ある街づくりからは遠ざかる方向性であるためだろうか?
疲れやすいタイプの人間を出歩かせないために、どうすればいい?
金を与えてはならない。暇を与えてはならない。
くたびれたタイプには出来るだけ出歩いてもらいたくないからだ。
さて「くたびれた感」は低賃金長時間労働によってもたらされるのか?
世間は恐らく「くたびれた感」を生まれ持った気質と判断しているのだろう。
非KKOは「KKOに金と暇を与えても活気ある街作りには繋がらない」と認識しているはずだ。
現状を踏まえて待遇改善を要求するなら「金と暇があれば活気ある街作りに協力する」という姿勢を示すのが有効だろう。
まずは応援したいと思わせなければ、助けてはもらえない。
近年では工業立国の先行き不安とともに観光立国を目指すべきであるとの声が出つつある。
「美しい国」。国全体がそういう世界観のアミューズメントパークを目指している。
ヒントはいくつかある。アニメで言うなら「クールジャパン」「聖地巡礼」もその一環だろう。
「活気ある街作り」の集積によって美しい国が実現される。
観光立国を目指した都市景観を考えると「くたびれた人間」は存在してはならない。
活気ある街作りとは矛盾が生じるから「くたびれて帰宅する人」の姿を目にしたくない。
くたびれた人間を隠したい気持ちは特に「観光」を意識する人種ほど強いだろう。
観光に携わる人間ほど「景観に害を与える」くたびれた人間を敵視しているはずだ。
さらに政治家や資産家などの決定権を持つ人間も観光を強く意識しているだろう。
そのような人間が決定を下すからKKOはいつまでも救済されない。
根本的には、そろそろ「活気ある街作り」という方向性自体を見直すべき時期であるように思う。
他国の観光立国を見ても必ずしも活気ある街作りを目指す必要はないように思える。
観光には活気どころか「ゆったり感」「のんびり感」の方が求められているのではあるまいか?
さらに少子高齢化の加速する日本において今後も「活気」という方向性で勝負するのは厳しいだろう。
「都市景観を守るためにKKOを隠す」方向性が無理となれば「KKOの存在にあわせた都市景観」を考えなければならない。
「活気ある街作り」という映像のリアリティをなくしてしまえばいい。
近年、転職した時に退職しましたブログを書くのが流行りのようなので書いてみる。
今転職しようか悩んでいるシステムエンジニアの人がいたら参考になれば。
ずっと小さいベンチャー企業を渡り歩いているせいで、インフラからバックエンドからフロントエンドからなんでもフルスタックでやってきた(人がいなさすぎてやらざるを得なかった)。
近年は自分も開発しながらマネジメントもするプレイングマネージャだった。
社名を出す勇気はないので出さないが、まあまあ有名なWebサービスをやっている非上場企業から、ある業界で手広くいろいろやっている一部上場企業に転職した。
2社の業界は全く違う。
年収は現状維持で変わらずに転職したのだが、これは自分にとってかなり上出来。
というのも前の会社が小さいベンチャー企業で、CTO的な立場で役員に気に入られていたこともあって、相場よりも大分高い給与をもらっていた。
なので、中規模以上の企業の基準ではこの年収では無理ではないかと考えていた。
というか実際それが理由で最終選考で断られた別の中規模企業もあった。
元が小さい企業というのも、大中規模企業への転職には足かせになった。
小さい企業のため、チームがせいぜい10名程度になるため、「PM経験あります!」とアピールしても、「10名程度じゃね〜」と軽く見られて響かないのだ。
エージェントを使って転職活動したのだが、そういうことはやる前から予測していたので、ダメ元で大中規模の有名企業を受けてみて、ダメなら有望なベンチャー企業を受けてみる、くらいに考えていた。
そしたら運良く経験やスキルセットがぴったりハマる企業がタイミング良くみつかり、1次面接でほぼ内定な感じでさらりと決まった。
で、なぜ大中規模の有名企業を志望したかというと、小さいベンチャー企業に疲れたのとそろそろある程度安定した環境で働きたくなったからだ。
小さいベンチャー企業は本当に波が大きい。
上手くいっているときは高級ホテルで盛大なパーティー開いちゃったりするくらい羽振りが良いが、ちょっとつまずくとすぐ単月で赤字決算になる。
大体主力業務1本でやってるから、その一つコケると会社全体が存続の危機になってしまう。
そうして経営危機を迎えると、「ここままではダメだ!会社に変革を!新しいことに挑戦しよう!」と会社の空気がなるのだが、「そうはいってもこれ以上悪くしたくない」という役員の保守的な気持ちも働いて、結局「失敗しないように挑戦しろ」というそれってつまり挑戦じゃないよねこれまで通りってことだよねっていうがっかりな指令がでて、やる気のある社員のモチベーションを下げる。
そうなるとスキルとやる気のある社員から抜けていくのは自明の理だ。
私もその一人だ。
前の会社は上層部を営業チームが占めているせいで、売上至上主義な会社だった。
そのため、ユーザビリティやシステムの堅牢性などは全く関心がなく、10年前のシステムが現役で動いているような有様だ。
少し前まではそれでもなんとかなっていたが、近年になりついにユーザとGoogleに見放されてしまった。
システムを革新して良いサービスを提供する競合他社に取られ始めたのだ。ユーザもSEOも。
役員はSEOコンサルを使ってシステム的に小細工すればSEOは取り返せると信じているようだが、それは10年前のSEO対策だ。
下手なことをするとスパムと見なされてもっと悪くなるよとは伝えはしたが、適当にいい加減なことを言うSEOコンサルを盲信していて、聞く耳は持ってもらえなかった。
そんな会社だが、ある程度自由にやらせてくれる風土もあったので、俺が担当しているところはどんどん勝手に新技術を取り入れていった。
事前に確認取るとOKでるのに時間かかったり、NGになったりするので、本当に勝手に作って、事後報告してた。
AWS上でReact+RoRのWebアプリを立ち上げ、ElastiCache、ElasticSearchなどなるべくAWSのサービスを使ってクラウドネイティブで動くようにした。
APIはAPI Gateway+Lambdaでサーバレスで動くようにした。
AWSに関して教えてくれる人は社内にはもちろんいないので、全て独学で習得した。
この行動が良かった。
もし前の会社で会社に言われた仕事だけしていたら、今頃どこにも転職できないしょうもないおっさんエンジニアになっていただろう。
だから、ベンチャー企業への転職を考えているエンジニアは、いつまでもそこにいれるとは思わないでほしい。
会社にエンジニアとして成長できる機会がないのであれば、自分から作っていかないといけない。
そして、会社の方針と自分の考え方が一致していることはとても大事だ。
それが違うと、経営危機の時に頑張ろうって気になれない。
転職するときの面接は、受けるこちらも会社を査定する場なので、その辺も良くみてほしい。
業界全体において今自分がどの位置にいてどのくらいの価値のある人間なのかわかるからだ。
まず職務経歴書を書いてみてほしい。
記憶をなくすことは簡単で、人間という生物の死だけで考えればそれは実に単純に起こり得ることなのだけど、そういう観点でいえば人間の個なんてものは記憶の連続性がそれを個だと信じさせているだけに過ぎなくて、自分は自分かも知れないと疑うことでしか自分を証明できないことはかなり昔から言われていることなのだから、つまりはそれでしか証明できないという点においては人間なんて存在はすべて共通であり、自分が個だと信じているものは結局記憶の連続性というまやかしでしかないのであれば、そもそも自分が他の存在を観測できることにこそ魂の存在を疑う余地があり、それは記憶とは本来べつの存在なのだからどの生物においても観測できるということこそが個の証明にほかならないと考えれば、それはつまり万物が等しく他を観測できる、それは記憶に残る残らないは別として例えば接触できるということだって認知できると置き換えられる点において、自らがどのような物質に変化しようともその観測≒認知が可能という状態なのであれば個は存続しえると考えたほうが自然だとするならば、人が人として生きる死ぬに一喜一憂する姿こそが滑稽であり、たとえ死を迎えたときにそれが記憶の連続性が失われたことだけを憂いての死だとするなら、それなら過去すでに失われた記憶は等しく死を迎えていることになり、つまりは生物が生物として本能として備えている死を恐れるということだけが人間を活かし続けていることにしかならいのだから、死にたくないと強く考える生物だけが生き残っている結果論でしかないものに進化などという言葉を名付けたことがおごりだと理解できるはずで、生きることも死ぬことも本来意味を持たず、死にたくないと強く願うものだけが死にそこねているという皮肉な運命から逃れるには、本能に刻まれた恐怖の内側に首を突っ込んでみなければ見えてこない世界があるとした上で、ならばここでまた話しを戻すと、観測≒認知をしているのはどの次元の存在なのかという問題につながるのは自明の理である以上、皆が皆自分だけが個だと信じているものの先には観測が行き着く別の次元が存在していて、つまりはそこにこそ本来認めるべき個があると結論にたどり着かざるを得ないとなった時点で、全ては死を迎えると同時に本来の個に帰納することが証明される。君は死ぬことで目覚める。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ここだけの話、私も少し前までは誰が作ったか見分けがつかなくてな。
今でも百合とか薔薇とか、右とか左とか、リベラルの種類やPCあたりは正直なところ記憶が怪しい。
ブクマの多さがホッテントリに密接に関係している以上、「ブクマしている人間がしょうもないから」というのが答えになってしまうな。
まあ、あくまで君の主張に則った上での回答だが。
つまり、その「“しょうもない”中に君が含まれていない」というのが本質的な回答になる。
君がその“しょうもない”人間に加担した覚えがあるなら自明の理だが。
今回学ぶべきは、「大局的に見れば、しょうもないモノの方が遥かに多い」ということだ。
その次元内では、しょうもないと思っていないからブクマしているかもしれないし、思っていてなおブクマしている人間だっているかもしれない。
幸か不幸か、私の質問会場はしょうもなくないことが多いが。
スープにできた膜を食べる仕事も大概だが、こっちはまだ理解できる方だからな。
昔の日本でも敵討ちは認められていたから、そんな感じになるだろうな。
そういったものを題材にした演目もいくつかあるので、私刑行為ってのは古今東西需要があったわけだ。
私が知っているレベルの時代劇とかでも、基本的には悪い奴らを非合法な手段や、超法規的措置で成敗するものが多いしな。
とはいっても演目になる程度には、理想と現実が異なっていることの証左でもあるが。
多くは返り討ちに合うか、そもそも仇相手と出会うこともないまま旅の途中で死んでいたようだ。
武家とかは仇を討たないと家督を継げないなんていう風潮もあり、嫌々やらされることも珍しくなかった。
つまり何かを公に認めるということは、しがらみも多くなりやすいってことだ。
まぁ、顔がちょっとぐらいブサイクでもおっぱいが大きければ、全然それでOKだし、むしろ地味巨乳的なお得感あるよね。
うん。顔のブサイクさはおっぱいで十分にカバーできる。これは間違いない。
もし仮におっぱいが小さかったとしても、おしりとかさ、太ももがムチムチーみたいのあるじゃん?たまらないよね!!おっぱいに引けを取らない属性よ、これは。
でもさ。おしりや太ももとか、むちっとしてなかったとしてもさ、何かいるじゃん? なんかこう、しゅっとしていてスレンダーで、スタイルがいい感じの子。
よしんばスタイルがイマイチだったとしても、というよりはむしろ太っていて一般的には「デブ」みたいにカテゴライズされる体型だったとしてもよ?
あの包容力は抗いがたい魅力があって、デブ専というフェチがあるのも、まったく頷ける話だ。
スタイルがシュッとするでもなく、ぽっちゃりしているでもない、っていう外見的には顕著な特徴の無い無個性派ってのもある。
でもでも!下世話な話だけど「いえいえーあたしベットだと凄いんです!!」的な期待もあるわけじゃん?逆に期待しちゃうじゃん。
「えっ?!こんな地味なのにっ?!」みたいにさ。
そうすると、もうその地味な無個性ってのが、実はもう全然地味でも無個性でもなく、何ていうかむせ返るようなエロスを感じてしまうよね。
うんうん。ありなんだよ。むしろそういう子ほど俺は狙っていきたいよ。
しかしながら、蓋を開けてみると実際には、そこまでの性の技は身につけておらず「あーし、マグロ女でーすっ♪」っていうことも、現実には往々にして起こりうる。
だが待って欲しい、それはそれでこれから自分の色に染めていけるという伸び代というか、可能性というか、無地のキャンバス的な楽しみがあるということで、
顔はさほど可愛いとも言えず、おっぱいは大きくなく、スタイルはグラマーでもスリムでもなく、外見は至って地味だけどエッチな事はそんなに頑張りたくもない、という子も中にはいる。
だけど、人間と人間の関係性には「趣味があう」とか「波長が合う」みたいのってあるじゃん?そういうのってめちゃくちゃ大事なんだよね。実際のところ。うん。「趣味があう」これとても大事。
だから趣味があう女の子は、もうそれだけでずーっと一緒にいたいと思うよね。
上の方で書いていた、顔だのおっぱいだのに関する話は、この際忘れていただいて構わんよ。
うーん。だが話してみると、どうだろう「どうもこの子とは趣味も、波長も合わなそうだナア」って子もひょっとするといるかも知れない。
いやいやいやいやいや!そんな弱気でどーすんの?女は気立てよ。気立て。
少しぐらい合わなそうって思っても、メチャメチャ性格が良い子かも知んないじゃん?
そういう子には、男がバシッとエスコートしてあげないとネ。
ガーッっと行って、ガツーングワーンと男気を見せればいいんだよ。
本人が短髪好きなのはわかるけどさあ…
いや、ゆうきまさみの漫画に萌えを求めるなってことかもしれないけどさ
バーディーだけは好きだったよ。バーディー美人でスタイルよくてかわいいし
でも野明も外見がかわいくないし、じゃじゃ馬のメインヒロインもかわいくないし、この前完結した白眉のなんとかいうのに至ってはでかい身長の上に女性性を排除したとしか思えないような短髪
はあ~
ゆうきまさみの連載とか始まる度に、一応目を通して、また短髪ヒロインかよ、って気になる
ヒロインがいつも同じ髪型っていうんだと、あだち充もそうだけど、あれはまあそれなりに髪がボブくらいまではあるし、スタイルもいいからいいよ
女書くの苦手なんだろ、ってわかるのにじゃじゃ馬みたいな展開にしたり下手に恋愛要素入れるしさあ
なにがしたいんだよ
小学校四年時
家から漫画を持ってきて読むことにした。我ながら中々のワルである。
読んでいたのはスーパードンキーコングのコミカライズ作品というキワモノ。
それをクラスメイトのメガネ君に見つかって珍しいから読ませてと頼まれて読ませてあげて以降
お互いの漫画を学校に持ち寄って休み時間に読むというのが俺とメガネ君の休み時間の定番になった。
クラスで漫画を読むなんてことをしていれば当然目立って、先生にチクられて怒られたら辞めようくらいに思っていたが
そうはならずに読書仲間が一人二人と増えていき、あっという間にクラス中に漫画の回し読みが蔓延した。
読書仲間の増加で漫画の供給が追い付かなくなってきたので、俺は家にある漫画を教室のロッカーにストックした。
すると読書仲間もそれに追随してくれて教室のロッカーがあっという間に漫画だらけ。
更に女子が少女漫画を持ってきだすと、漫画持ってない奴が図鑑を段ボールで持ってきたりして
こうなってくると貸し借りのトラブルが発生するのは自明の理である。
そこで図書委員だったメガネ君の提案で貸出票と管理用ノートを作成。
俺とメガネ君は貸出票の作成と管理に追われて漫画を読む暇もなかったが、
お互いを館長・副館長と呼び合って楽しくやっていた。
漫画図書館の名声は他所のクラスにまで広がり、俺はいい気になっていたが
他クラスの奴が借りにきだした時点で、担任の先生からストップがかかった。
先生はクラスで漫画図書館が運営されていること、その首謀者が俺だということを見抜いていたのだ。
教室が漫画だらけなんだからバレて当たり前っちゃ当たり前なんだが……
先生は「授業に支障はきたしていない」「皆で楽しく図書館運営している」といことで黙認していてくれたのだ。
ただ他所のクラスにまで波及してしまっては担任一人で責任を負えない。
という訳で柔軟剤のデメリットを述べた上で香水をダイマしようと思う
「柔軟剤の香りに迷惑してる」という人にも「香水ってあのくっせえやつだろ?」という人にもぜひ読んでほしい
香水の中で最も持続性の高いパルファムでも香りが半日強持つくらいなんだが、柔軟剤は一週間経っても平気で匂いが残る
この点から香水の方が柔軟剤より周りにかかる迷惑が少ないことが分かる
みたいなものをよく耳にする
そもそも天然香料とは自然の植物から抽出できる量が決まっているため高価なのだが、それがなぜ柔軟剤に入っていると考えられるのか不思議でたまらない
「香り付け」と「繊維を柔らかく仕上がる」という役割を同時に果たす必要がある柔軟剤と、単なる香り付けの役割しか持たない香水を比較したとき、香水の方が安価に同等の品質を手に入れられるのは自明の理だろう
上では「柔軟剤の同等の質の香りなら香水の方が安い」という結論に至ったが、本物を知る大人にはぜひ天然香料の香水を纏ってほしい
香水は良いブランドさえ選べば天然香料メインで調合されているものが多い
値が張る香水と良い香水は必ずしもイコールではないが、香水は購入時に出す札が増えれば増えるほど期待以上の結果が返ってくる
あれをつけるのが許されるのは中学生までだ
ここまで読んだお前は「どうせこいつも香水臭いんだろwww勘違い激クサ香水野郎ってよく道ですれ違うからなwwwwww」
と思っただろう
ではお前は自然に香水を纏っている人とすれ違ったことがあるか?
おそらくほとんどの人はないだろう、なぜなら自然に香水を纏った人はすれ違う程度では分からないからである
人に迷惑をかけないよう上手く香水をつける能力を磨くことによって日常的な場面での気遣い能力もあがり、そのことによって他人を惹きつけるオーラが出るのではないかと推測する
香水の纏い方の正解とは、他人と抱き合った際に「あれ?香水つけてるの知らなかった」と言われることだ
どこにどの程度つけるかは香水の濃度や纏う人の性別によって変わるためここで言及することは避けるが、ポイントは「服で隠れる場所につけること」だ
さぁ君も香水沼においでよ
近親憎悪とか同族嫌悪とかいうまでも無く、オタクを最も憎んでいるのはオタク自身に他ならない。
「自分はオタクだがあいつらほど酷くはない」「あいつらはオタクの中でも最低」等というのは決まってオタクだ。
これは、あらゆる集団・組織には必ず一定確率で危ない人間が存在してしまい、同じ確率でも母数が大きくなればなるほど増えてしまうため大手ジャンルで見られやすい。さらに、害のないオタクは目立たず害のあるオタクが目立つという自明の理も関係してくる。
しかし世間から見ればこれらは全部同じ「気持ち悪いオタク」である。
オタクの敵はオタクだが、世間の敵は「気持ち悪いオタク」なのだ。よって「気持ち悪いオタク差別はあった」と言うべきだったのだ。