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2023-07-26

まぁ素人でもわかってるようなことを表でみっともなく発言してる訳だし

後は職人連中が誰を半殺しにするんだろうなぁとは思ってる

 

自分たちゴルフボールの使い方教えてるんだから、教えた人がその身を持って勉強の成果を確認するのは大事なことだと思うよ

2023-07-24

100点を目指している人は認知がゆがんでいる

完璧主義で正解以外全部アウト

これは認知がゆがんでいる

こだわりの強い職人などは認知がゆがんでいるといえる

2023-07-22

昨日のあすけん健康度数は79点。

カルシウム塩分お菓子アルコールが過剰。外食すると塩分アルコールしょうがいねアルコール濃度は低めの酒を一杯飲んだ。

運動は歩きで補った。6000歩くらい。公園の脇道を、ICL手術の話をしながら歩いた。手術費用コンタクトレンズの長期的な費用比較すれば高いということはない、なるほど。でもやっぱり目に何かを入れるというのは怖いと直感的に思う。このままではサイボーグ化、義体化をする技術確立しても、手術が怖くてできそうにないな。

睡眠は63点、5時間23分。完全にミスって早起きアイマスクを寝ながら外していた。寝ぼけの職人技だ。ニャースをゲット。こいつはきっと働き者。

2023-07-20

anond:20230720191543

職人さんが物買い足したかったら困るだろうなぁと思った

2023-07-17

君たちはどう作るか

宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』を見てきたんで、ある程度ネタバレありで感想書きなぐっておこう。

ネタバレありだからね。

正直、観る前に想像してたより悪くなかった。

テンポも悪くないし、人間関係に緊張感もある。

作画が徹底的に心象風景に寄っているのも、職人芸の趣があった。

火災とか草原の描き方なんて、ゴッホともセザンヌともなんだか判らんけどとにかく印象派的に歪みまくっていて、主人公の高熱に魘された夢のような心が伝わってくる。

田舎の家も、当初は主人公の内心の萎縮ぶりを示すかのように何もかも巨大で、玄関なんてどこの古刹の大伽藍かと見紛う巨大さであり、今に残ってたら家ごと国宝になりそうだ。

もちろん、本物はせいぜい田舎豪農レベルなのだろう。

心象風景として東大寺大仏殿並の巨大建築に見えているだけである

敢えて心象風景とわかるように表現している事で、主人公が実際には父の後妻を嫌っていない事も想像がついた。

なぜならすんごく清潔感のある優し気な美女として描かれているかである。嫌っているなら心象風景でそうはならない。

初対面から一目ぼれレベル主人公は慕っていたのだろう。

でまあ、作品は途中から塔の中パートと、塔の外パートという二輪構成で進んでいくのだが、

まあ、なんだ、ここから批判が多くなる。

まず塔の中パートだが、なんというか、とにかく意味があり過ぎる。

これは褒めてない。

宮崎駿もののけ姫辺りから、やたらと意味のあるものを描こうとするようになってしまってるように思える。

1シーン毎に意味があり、多分本人に質問すれば「このシーンはこういう意味がある」と全部答えてくるだろう。

まり寓話的で哲学的記号的で、イソップ童話とか不思議の国のアリスとか、そういう感じの、「意味の塊」として作品を作ってしまっているのが塔の中パートだ。

ハウルとか千と千尋とかでも顕著だったけど。

これの何が悪いって、妄想が爆発してないのである

ムスカラピュタの雷をぶっぱなしたシーンに意味なんてないだろ。王蟲がペジテのドーム食い破ったのも意味なんてないだろ。

あいう爆発するほど格好いいシーンに意味なんてないのだ。

「どうやお前らこんな凄えの見た事ないだろ。俺も見た事ないから作ってやったぞ。見て驚け。」

という作り手の妄想の大爆発なのだ

妄想を爆発させるためにそこには当然無理がある。歪みがある。そのシーンを効果的に描くために、他のシーンで入念に爆発物を積んでいる。

その無理、その歪みが、ある人には滑り、ある人には刺さるのだ。

本人が見せたいのは爆発の部分だが、関係なく歪んだ部分が受けたりする。それが創作快感である

ところが、この作品含めて後期宮崎はその「見た事ないだろ」をやらない。庵野もだけど。

なぜなら、名前が売れて裁量が大きくなった事で、作りたいものを作れるようになったからだ。作りたいものは作ってしまい、もはや「こんなの見た事ないだろ」が無い。

庵野はその無理のなさを、その歪みの無さを、オタク知識で埋めてシン・ウルトラマンやシン・仮面ライダーを作った。

そこにはTVエヴァのような溜めに溜めた便秘解放のような妄想の爆発は無く、無い物を何とか絞り出した感のある細長いウンコしかない。

一方、宮崎駿はそれを哲学記号で埋めてこの作品の塔の中パートを作ったのだ。これは最早宮崎駿のバランス感覚のみで構成された世界から、やたらとデジャヴがある。

もののけ姫と変わらずに「鎮まりたまえ~鎮まりたまえ~」とやってるし、千と千尋と変わらずに仕事やらされたり禁忌に触れて怒られたりしている。

でてくるのもやたら思わせぶりな妖怪連中である。思わせぶりなだけで、記号であるために特に伏線とかない。どういう存在説明されてフェードアウトする。

エンタメに徹するなら、塔の中はクトゥルーばりの別の星・異星文明でも良かったはずだ。せっかく宇宙から飛来した謎物体的な設定があるんだから、一気にスターウォーズ世界になっても良かったのだ。

そこから進めて、「現代日本主人公の迷い込む異世界として描く」まで手が伸びても良かったはずだ。

ところが、そういうエンタメに走らず、やたら寓話的な見たような話で埋めてしまうのが今の宮崎駿である

ブチ切れるセンス・オブ・ワンダーではなく、賽の河原の石積みみたいなひじょーに心象的なもので埋めてしまうのが今の宮崎駿マイブームである

そういう「意味」だけで構成されたパートからストーリーなんてあって無きがごとしである。断片的な寓話職人芸でつなぎ合わせた取り留めのないタペストリーである

一方、塔の外パートは違う。庵野と同じく、オタク知識で埋めている。

人力車描写一つ、言葉遣い一つ、看板一つ、食事のお膳一つから、「当時はこうだったんだぞ」という聞いてもないのに披露されるオタク知識臭がする。

多分、キャノピー実在ナントカ式とかそういう裏打ちされた設定があるんだろう。田舎がどこの県のどこの地方かも絶対決まってるねありゃ。

っつーことで塔の中パートより終わってる感のある塔の外パートだが、そこで主人公父親が妙な存在感出してるおかげでかなり良くなっている。

というのも、この父親ある意味主人公と後妻という二人の問題元凶と言える一人であり(まあ、亡くなった実母の方がより存在感は大きいが)、更に経営者であり金持ちで何でも自分で決めてしまタイプ

というジブリ作品ちょっと見ないタイプキャラからだ。

こういうタイプは、通常は出て来ても悪役なのだが、この作品ではそれを悪役として描かない。塔の外の部外者として描く。(大叔父と血のつながりもないし)

そんなわけで、このキャラについては宮崎駿の才能の爆発が感じられるのである

経営者であり第一線でもある、という後期宮崎駿が手にした立場意図せずに作り上げた鬱屈爆薬になってこのキャラに込められているのだろう。そのせいで、後半になって妙に生き生きしている。

主人公の心象にだけフォーカスするなら、後半の塔の外パートは要らなかったはずだ。少なくとも、もっと小さくなり、警察とかが来て事務的に進むのがセオリーだったはずだ。

しかし、おそらく宮崎駿はこの父親を描くことに創作快感を感じたのではないかと思う。

なんかもう藤井聡太ばりに全く失着を犯さず最善手を打ち続ける主人公の代わりに、

この父親勝手にやらかすし勝手決断するし部外者でありながらガンガン行くしで、

前半には明らかに狂言回しだったこキャラけが、後半に「キャラ勝手に動いた」を感じさせるのである。作中で唯一、記号を感じさせないのがこの父親である

そんなわけで、ち密に意味を積み上げて作り上げたであろう全体の印象を、後半の父親がぶっ壊して変になっているが、その父親がぶっ壊した所こそが個人的には最も見ごたえがあった、という何とも評しがたい作品である

まあ、悪くなかったよ。

でもね、道徳副読本を作りたいんでもなければ、作品作る時はもっと一点の妄想・一点の美意識に全賭けしましょうや監督

2023-07-16

君たちはどう生きるか」の中身があまりにもぶっ飛んでて

からあんまり言及されてない気がするんだけど、最初の5分くらい?最初のシーン。

度肝を抜かれたんだけど。

どうしよう、宮崎駿ってまだ成長するの…って引いちゃうくらい。

作品がどうとかは一旦置いといても、あそこだけでももっともっと薦められるべきなのでは?

あれを見に行くためだけでも行ったほうがいいよね。

ジブリってあくま職人芸的な側面に評価が集まりがちな雰囲気があったし、

スパイダーバースを見た時に日本アニメ表現ってもうとっくに負けてるのか…って膝が折れがちだったけど

あの映像を見た瞬間に現代アニメトップラインにいきなり躍り出た感じがした。

もしくは全然自分が知らないだけで、今のアニメってあん映像が当然なの?

その場合はぜひおしっこちびっちゃうような鮮烈な映像表現が見られる最近アニメおしえてください

あんなとんでもない絵が二時間続いたらどんな中身だったとしてもみんな黙ってたかもしれないね

君たちはどう生きるか ネタばれあり・見たけど意味わからんかった人

追記

たくさん読んでくれて嬉しい。元は友人とのTwitterDMが下書きになっていて雑な文章から申し訳ない。なので以下、こちらの意図が伝わってないコメントに返す。

・この物語の各パーツ・キャラを現状のジブリメタファとする解釈はこの児童文学作品矮小化していると思う。あまり好きではない

→全く同意見で、書いた通り普段テクスト的に解釈するのが好きです。矮小化されてしまってるのもそうなので、これだけが「正解」だとは微塵も思ってないし書いた通り自信はない。今回は宮崎駿最後作品、って思いが自分に強すぎて作家周辺の解釈がまず出たのだと自己分析している。作品のもの解釈海燕さん他書いているのがよかった。

映画も見てないし原作も読んでないけど、なるほど(以下略)

→お前みたいなやつがいちばんダメ。観ろ。観ずになるほどすんな。


一般向けではないというけど、次世代へのバトン家族の話って極めて普遍的で、ジブリ宮崎駿のことを知らなくとも皆それぞれ自分物語を重ね合わせて見ることができる作品だと思うよ

→この辺りは宮崎駿自己言及普遍的テーマを重ねて両輪でやっている気はする。


・あの作品登場人物実在ジブリ周りの人物に置き換える読み方はわかるけど非常に下品だと思っているので、する人を否定はしないけど、それが正解だと言って押しつけたりする風潮にならなきゃいいなと思っている。

→おおむね同意見で、自分ホッテントリに上がったことが押し付け風潮の一助になるのは避けたい。作家論は作家論でしかないし、それは基本的に狭い解釈になってしまうから、「正解」ではない。ただ言葉遣いとして、この人が作家論を「下品」としているのは、なんというか令和だなぁと思った。


前半はまぁ、とりあえず置いておいた撒き餌みたいな稚拙解釈なので、「正解」ではありません。(一貫性形成願望をとりあえず満たしておくために書いた、と思って欲しい)

しろ、この作品は唯一解を求めたがることも含めた後知恵的な意味よりも、もっとプリミティブな意味を伝えようとする作品だと思います。だから自分感想本質は後半です。そこのところ言葉足らずだったみたい。



追記ここまで


初日に見に行って、いろいろ考えつつ見たが、たぶんほとんどの人が「意味わからん(けどジブリっぽくて面白い!)」ってなるやつだと思ったので、自分なりの考えを書いてみる。ちなみに全然自信はない(その理由最後に書く)


見た人の多くは、ラストにかけてのメインストリーラインがよくわかんねえとなると思うけど、同時に物語にいくつもの象徴比喩が込められていることも、なんとなく察すると思う。

個人的結論を先に書く。(自分普段テクスト論的に物語を読むのが好きなのだが、作家論としてこの作品が見えた。)

まず、内容で感じたのはセルフオマージュの多さ。「紅の豚」の死出飛行機葬列が海の船になったり、ハウルの泥の人形が殺生できない住人になったり。老人の描き方はジブリの各種キャラを思わせたり。

オマージュ元には特にトトロが印象に残るように思って、抜け道や森から出た暗がりの風とか、ワラワラとか、宮崎駿トトロ気に入ってたんやなと思わせた。まあワラワラ鈴木敏夫の入れ知恵な気もするし、観客へのサービスって感じかな。

そしてここから感じたのは、宮崎駿人生が細かく千切られ散りばめられてるということ。


ていうことで、物語の根幹と宮崎駿人生に準えてラストで明かされる物語の根幹をよんでみる。やっぱりラストについては大事だよな。

結論から書けば、空から降ってきた大岩宮崎駿の才能、ギフト宮崎駿は大叔父でありあの世界は宮崎駿によって作られた作品の集合でジブリのもの。その血を引く主人公宮崎吾朗や孫だと思われる。ただし、内面宮崎駿投影されていて二重のモデルがいる主人公になっている。駿はジブリを継いで欲しかったが、吾郎拒否した。ジブリは駿の引退宣言とともに崩壊して、皆それぞれの暮らしにもどった。端的に言えば、それら経緯への駿の内面告白、なんだと思う。つまりスタジオジブリ(と駿)のために作られた物語なんだと思っている。


昔。降って湧いた才能に取り込まれた駿は、作品世界から出なくなった(家庭を顧みなかったりしたんだろう)。そして世界創造に励み、海や森の美しいファンタジー世界と、ユーモラスで残酷な鳥に代表される多くの愛すべきキャラクターを生み出した。

時々挟まれた、大岩が怒ってるとか。あれは才能から来る作品へのこだわり、そこから発される憤怒なんだろうな。時々駿キレてたし。

ただ、老いてきた。積み木を重ねられなくなった。積み木を安定させることも苦労するようになった。だからこの世界ジブリ後継者を探して、館に主人公ら血族を引き寄せ始めた。(この辺りの傍迷惑さについての自覚が、人生を総括し始めた老境の駿らしい感じがする)

関係ないけど、インコの王は唯一宮崎駿に謁見できて最後世界ぶっ壊したし、たぶん鈴木敏夫なんだろうなと思う笑

そして物語ラスト吾郎ジブリを継ぐのを拒否し、焦ってしゃしゃり出た鈴木敏夫がぶっ壊してジブリ崩壊した。でもそれを受け入れて?(この表現は適切じゃないかも。ただ眺めて?)老兵は去る、ってことを、ラスト宮崎駿は表したかったのだと思う。

総じて、人生全体を眺めて、ある程度中立的感情も整理しながら、比喩的な物語人物に落とし込んだ。そして達人のアニメーションで、それが分からなくとも万人が楽しめる2時間にした。

主人公が、みずから頭を傷つけて、それを最後最後告白し、汚れているか自分は継げないとジブリ世襲拒否するシーン。

あれはなんかほんとに個人的事件が、駿や吾郎にあるんかなて感じもするけど。いずれにせよ、今まで子どもイノセントに描いた宮崎駿が、この主人公にはドロドロしたものを罪悪感と共に植え付けているのは、自身自分の子どもみたいな、客観的に見られないし理想化もできない存在としてマヒトを描いているんだと思う。そしてそれが「真の人」って名前なのが、正直な曝け出しなのかなって感じさせる。

でもここは、ちょっと未整理。

まあたぶんに一義的な狭苦しい解釈なんやけど、とりあえずここまでは言語化できた。


ただ、ここまでこうして書いた考察について、正直自信がないというか、こうして作品言語化されることを拒否している作品である、ということことを、作品を見ている最中からずっと感じてきていた。

個人的にはここから作品本質だと思っている。

子供のころからジブリ作品を見て、宮崎駿のひねくれた人物像も知ってるから、この作品は明らかに異質だとわかる。観客へのサービス配慮)が欠けている。

はっきり言って、一般向けではない。大衆子供映画を作ってきた宮崎駿ジブリは、今までこんな映画を作ったことがない。上記のような一応に意味の通る解釈自力でできる人間はとりあえずいいが、そういうことをしない人が圧倒的多数で、それが大衆なのだ。だから、今回のような、作品の展開の速さや密度抽象度の高い映画は、一般向けとは言えない。自分が見た初日夕方の回は平日なのにほぼ満員で、しかし上映終了後のほぼ全員がタヌキに化かされたような顔をみんなしていたぞ。(正直自分もそんな気持ちだったので笑えた)

しかし、ここでそれを鑑みても面白いのが、この作品の「面白さ」は皆が感じているらしいということだ。

そして、これと同時に、自分のような批評する目線映画を見る者は、それはそれで大衆客と別な側面で拒まれている気がした。何か見る者の賢しい批評を拒んでいるように感じた。

以下に、その理由を書く。自分感想としての本質はむしろこっちだ。言語化しづらいのだが、見た人にはなんとか伝わるように書くと

宮崎駿生理的表現がほんっとにうめぇな」

となる。

例えば、食事のほおばり方。たとえば、黙ってうつむく表情。たとえば、真人うそをつくときの顔。みんな圧倒的に生き物らしい。生命力を感じる。みんないびつで、あいくるしい。(カワンゴがお説教されたアレとは本当に真逆な、きわめて何か、生命に対する賛美を感じます

これらすべてが、芝居をしている。客に直接的な理解を与える。この人物感情や、物語における人物立ち位置(正しい方向かどうか)など。あらゆる情報を、言語での理解を超越して、身体的・ダイレクトに観客へ伝わる。

作劇のうまさや間の取り方、ちょっとした身のこなしや振る舞いの描き方。それらすべてがアニメーションなのに自然で、本当にほれぼれする。達人のアニメーションは今でも健在だし、それはスタジオポロックみたいなのにもマネできてない駿の達人技だと思う。

で、それらの生理的表現が今作で上げる最大の効果は「生理的感覚として、見る者に言語範囲外で意味を伝える」ことだと思う。

自分新海誠映画が昔から好きなのだが、新海誠が「星を追う子ども」でやりたがって、でも全然できなかったようなことを、中盤くらいまでで軽々と全部やり尽くして、更に塗り替えていったような印象が途中した。)

はっきり言って、中盤以降は物語テンポが速すぎて情報量も多すぎて、物語が何を表現しているのかまったくわからないし考える余裕もなく、何もかもを押し付けられていくだけのように感じるのだが、いち観客として言えば、作劇がうますぎてずっと楽しくて画面にずっと惹き寄せられたままで、一ミリの退屈もなく最後まで面白かった。作品が何を言いたいのか理解できねぇのにコレなのまじ意味わかんねぇ。ユーモア人物の芝居とテンポと心地よさとその他あらゆる作劇でずっと作品世界へ惹き寄せ続けるの、冷静に考えてすごすぎる。

理解として言えば、言語範囲外で生理的に伝わってこようとする情報が、最速で理解できる。だから理性で作品に好悪を判断つけたくても、生理的理解が先に面白さを伝えていて、判断を保留し、物語が表す「意味」が分からない気持ち悪さをいったんわきに置く(打ち消す、わけではないのもポイント

たまたま映画見る前に考えてたのが、美輪明宏のモロの演技や紅白ヨイトマケの唄なんだけど、あれもなんか、生理的に分からされる凄みがあるよな。あれと同質の、生理に訴えかけてくる理解が、この作品の全体にあった。

から意味深がセリフ物語上の「意味」として理解できなくても、なんとなくわかっちゃうわけ。ああ、「そういうふうに」感じてるんだなぁ、って。

自分が書いたものも含め、なんか色々考察とか出てくると思うんだけど、この作品に関して自分はもうそんなのに大した意味を感じていない。いや言葉説明することは俺も試みたと思うんだけど、そういった理解や「意味」は後からやってくるものであって、それより先にあるこの一次的な身体感触の強さが、現在進行する映画鑑賞の今、圧倒的な作品だった。肌感覚で腹の底から湧き上がる力強さは、言語理解拒否して圧倒する。そんなプリミティブさ。

プリミティブな、といえばものすごく情報量が少ないように感じられるかもしれないけれど、ただそこで言う「情報量」ってつまりキロバイト的な情報多寡しかなくて、生理的な質感や圧倒的な情報の圧が含まれてない。この作品はそういった生理的な質感や圧、すごみをもってして最後まで観客をエンターテインする作品だった。面白さが言語範囲外で生理的に伝わってこようとするんだよな。

「語り得ないことに関しては、沈黙せねばならない」という言葉があるけれど、宮崎駿言語で語りえないことを語れる。対して、自分たち観客は語れないが、しか生理的理解している。

自分最初考察意味を感じない、といったのは、考察の当たり外れよりも「こんな小賢しい考察なんぞしてんじゃねー」的なギルティ感覚がするからだ。賢しらぶってることが怒られそう。それこそ、宮崎駿に叱られるカワンゴみたいな、「意味」や思考の中だけに生きて現実に生きる生命を見ようとしていないと叱られている気が(これは完全に自分勝手感覚なのだが)する。強いて言えばそれが、本作のタイトルのごとく自分に突き付けられたお説教だったかもしれない。

一般には訳が分からなくてもいいし、読み解く材料も与えないし、理解されなくても面白くしなんか感覚的には伝わるでしょ?みたいな感じが、ただ壁を感じるし、見る人は選ぶと思う。ジブリ作品に壁を作ったことって今まであんまりないと思うんだけど、たぶん風立ちぬで少しやって、「あ、好きにやってもいいんだ」みたいなのを、それこそ庵野秀明エヴァから知ったんじゃねーかwみたいな気もしていて、そして老境にさしかかりジブリ崩壊を見ながら、いろいろなことを感じ考えながら職人芸ですべて盛り込んだのが今回の作品なんだと思った。だから一部の人批評感想特に老人の走馬灯とかボケたとかみたいなのには全く賛成できない。

2023-07-15

ヤフーニュースシャインマスカット未開花」のコメント欄老害すぎ

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6469423

ブドウ農家なら知ってる。房数を多くしすぎ、成らせすぎ、長く付けすぎ」←これがトップ

他にも、新規参入を叩いたり、弟子入りして修行しろだの、原因がわかっても海外流出するから公開するな、とかやばいコメントばっかり。

もしかして世の中の人栽培技術門外不出職人技だと思ってる人が多いの?

栽培技術農研機構や県の研究所が何千何万通りの栽培手法を、何年もかけて再現性を確かめてやっと普及させてる、ばりばり理系のものなんだけど。

今回のような原因不明病気に対して農家自身研究して次回実験するなんてしない。

なぜなら、1年に一回しか栽培できないから。

農家がやるとしたら応急処置リスク分散くらいだろう。

自分で原因を断定して次作で試すなんて怖くてできないよ。

anond:20230715202139

手工業職人に対価なんて払われてないけど……

仕事を奪われたライン工に対価なんて払われてないけど……

画風をパクられた先人に対価なんて払われてないけど……

2023-07-14

職人ぶれる言動

・その日の気温や天候をみて微妙に調整している

・素材の個性に合わせた加工をする

・まだ満足のいくものができたことがない

・毎回新しい発見がある

技術を絶やしたくない、後世に伝えたい

anond:20230713104550

板前が目の前で料理作ってくれたら見るよね。

寿司職人が目の前で寿司を握ってたら見るよね。

2023-07-13

山下達郎が断熱処理したファンの話

親方山下ァ!断熱すんのはドレンだけでいいっつったろうが!!そこはまだ職人さんが作業終わってねえんだよ!今すぐRIDE ON TIME!!(今すぐ直せの意)」

達郎「ライドンタァーイム(了解の意)」

 

anond:20230712141257

2023-07-12

山下達郎切断処理したファンの話

まず山下達郎ファンは大きく二極化しているんよな。

一つはオールディーズ(戦後1980年頃まで)音楽の深い造詣とそれに裏打ちされた初期の作品ファン

いわゆるオールディーズ音楽マニア人達

(ちなみにシティポップとして巷でよく聴かれる作品は初期に集中している)

オールディーズキュレーターとしての達郎に全幅の信頼を置いている。

ただ中期以後の達郎のサウンドは好みでないため、新譜ほとんど聴かない。

当然ジャニーズ提供楽曲基本的に興味ない。むしろジャニーズ苦手。

こんな調子からいちいち細かいことにうるさい、面倒な客でもある。

もう一つは狭義のファン(信者)。

毎年「クリスマスイブなんちゃらエディション」が出る度に買うような、達郎にとっての太客。

サウンド云々は特に拘らず、直近の作品まで全部買って聴く

多分今回達郎氏が「私の音楽必要としていない人達」として切断処理し、これに「がっかり」と声を上げている「ファン」は前者が多いのでは?

忠誠心は低いか最近の達郎は聴かないけど、「歌謡」の殻を破って洗練されたものを作ったかつての実績からダサいことはしないというブランドイメージ(これが多分パブリックイメージでもある)は今でもうっすらあって、そのブランドイメージが壊れ、更に自分らはファンでないと切断処理されて動揺しているのだと思う。

ただこれは達郎および狭義のファンからしたら「課金もしないでこんな時だけファン名乗ってんじゃねぇ」となる。

達郎にしても、切断処理することで相対的信者優遇できる。課金もしないでケチばかりつけてくる面倒くさい客もどきよりは、文句わず課金してくれる有難い信者をより優遇するのは至極当然であるし、気をよくした信者も益々推し活に励むことになる。

これだけ聞くと、いわゆる「マニアジャンルを潰す」的なもの想像する人も多いかもしれないが、達郎の場合古参マニア」と綺麗に分類できないところが興味深い。

というのも、達郎の信者の多くが古参からである

それもそのはず、達郎は基本的にサブスク反対であり、必然的顧客層はCDプレイヤーLPプレイヤーを持っているような年配者となる。たまにいる1020代ファンは両親が古参という場合も多いし、たまたまYouTubeで知って聴き始めた若者そもそもCDプレイヤーLPプレイヤーを持っていないので狭義のファンにはならない。またYouTubeでリコメンドされる達郎曲はそもそも初期中心なので、最近の曲まで辿り着かない。

なのでごちゃごちゃ文句言う層はむしろライト層であり、信者はむしろちゃごちゃ言う人がふるい落とされて残った後の純度の高い古参なのだ

そして達郎は元からお金落とさな自称ファン新規さんは元々相手にしておらず、今回のことも自分矛盾咎めず鷹揚にお金を出してくれる信者以外は客じゃないという、従来の姿勢再確認しただけなのだ

サブスク時代は誰もが潜在的顧客なので、そもそも客の定義が達郎と世間とで異なっている。

別にアーティストが客を選ぶのは自由だけど、自分らを客だと思っていた世間は客じゃないと拒絶されたら驚くよね。

達郎自身が自他共に認める相当面倒臭い(よく言えばこだわりの職人気質)人だけど、昔はむしろ面倒臭い客を歓迎すらしていた。

からその時代を知る人ほど今回の切断処理に驚いているのだと思う。

よく今回のことは職人気質が出たせいと擁護されるが、むしろ職人ゆえの緻密さが失われた結果だと思う。

こんな雑になったのはメンターでもあった大滝詠一氏の死の影響が大きいのではないか

面倒臭い達郎に輪をかけて面倒臭い話を振ってくる人がいなくなり、周りはイエスマンしかいない状況だと、思考や振る舞いが雑になるのは仕方ない。

あとは歳だよね。70だもの

から切断処理された俺たちは達郎はジャニーズの人になったのだと諦めて、タッキーのTOBEでも応援しようぜ。

正直音楽的にはこっちの方が期待できる。

anond:20230710020252

anond:20230712085538

どちらかというと海外の方が職人大事にしてる定期

テニス選手ラケット破壊するのはアンガーマネジメント

いや、棒を持たせたら怒りに任せて叩き折るって、凶暴性そのものやん。

コートは痛むわ、カーボングラスファイバーは飛び散って危ないわ、そもそもあのレベルラケットって職人バランス取りしてすげー丁寧に作ってるんだぞ。

テニスプレイヤーは一度自分が使ってるラケットメーカー見学に行って、職人から話を聞く位の教育はすべき。

結局利己主義の塊なんだよ。あいつらって。

2023-07-11

イタリア名工ドン・ピシャリ氏が由来の言葉である

anond:20230711101304

彼はイタリア南部名家職人である

当時イタリア南部はいい加減な職人しかいなかった。

しかし彼の作る家具には寸分の狂いもなく、ガタつきも緩みもない様子を敬意をこめて”ドン・ピシャリ”と呼ぶようになった。

そこから転じて様々な要素が狂いもなく合致する様が”ドンシャリ”と言うようになったのである

  

しかし、それを快く思わない者もいて、人間性のない四角四面言動や取り付く島もない様な物言いを、敬称ドンを抜いて”ピシャリ”というようになった。

それが日本に伝わり、「どんぴしゃり」「ぴしゃり」という言葉になっていったというわけである

この話は、史書である南イタリア連合起源(United South Italy Origin:USO)800ページに記載されている

2023-07-10

anond:20230709120331

ネットだと未経験が入りやすいみたいな話がありますが、実際は元電気屋とか元水道屋の元職人達が多いので、未経験で入ってきたっぽい人達が苦労してるのを見てきました

やっぱりそうか… 就活中で気になってたけどやめとくわ、役に立ったよ、ありがとう

anond:20230708012636

北九州出身で、大学進学で上京して以来20年以上東京に住んどるんやけど、日々の食事でそんなに口に合わんっち感じたことはない。

言っても東京は、いろんな土地のもんが寄せ集まっとるけん、昔から東京江戸)の味みたいなもんに遭うことは、あんま無いかもしれんね。

ラーメン普通に豚骨を食っとるし、ここ十年くらいでうどん讃岐うどん系(香川の人には異論あるかもしれんけど)がメインになった感があるね。

日本のものだけやなくて、本格的な海外のも食べられる店がたくさんある。

フレンチイタリアン中華はもとより、スペインロシアタイインドアラブ、実にさまざま。自分はどれもそれぞれに好き。ナポリピッツァを食いたくなるときもあれば、無性にグリーンカレーを食べたくなるときもある。

いろんな土地うまいもんが食べられるのが東京の良さやと思っとるよ。

やけど、これが昔から東京の味なんやろうなぁ、と思うもの出会うと確かにそんなに好きじゃないのかも、と思う時はある。

佃煮とか天ぷらとかが甘辛く味付けしてあるやつなんかは、口に合わんなと感じる。

もんじゃ焼きは、味は好きちゃあ好きやけど、焼くのめんどいお好み焼きでよかろうもん、と思う。

だけど、これだけは言っておきたいのは、寿司江戸前に限るってこと。

しかに、ネタの新鮮さで言えば漁港近くがいいかもしれんけど、それを美味しく食べるなら刺身で良い。

寿司として食べるなら、職人仕事を楽しむもんやと思う。その職人の練度で言うと、やはり江戸前が一級品やね。豊洲で食べちゃり。

あと、自分地元のものがすごく好きかと言われると、別にそうでもなかった。

筑前煮とか全然きじゃないです。

山下達郎氏について

氏について特に思い入れはないのだが、自然と氏の発言音楽が耳に入っている中で、以前から何となく感じていた違和感が、今回の騒動ではっきりしたので少し書いておきたい。

以前から、氏は、(伝聞なので発言不正確かもしれないが)市井の人のために音楽をやっているとか、自分は一介の音楽職人だとか、そういったことを常々発言しているという話は耳にしていた。しかし、彼は数十年前から一線で活躍し、莫大な富を築いてきただろうし、以前はレコード会社役員もやっていたいわば音楽貴族なわけだ。それなのにことさら自分イノセント存在に置こうとするその不誠実さがどうにも受け付けない原因だったのだ。

今回の騒動についても、喜多川家との強い繋がりを持ち、芸能界の裏も表も知り尽くしているであろう氏が、ジャニー氏の所業について何も知らなかったというのは考えにくいにも関わらず、あくま自分は知り得なかったとカマトトぶっている。また、松尾氏は、氏とのこれまでの関係に最大限の敬意を払った表現をしていたのに、氏は、松尾氏とはメールをたまにやり取りする程度で会っていないなどと敬意のかけらもない態度に終始している。自分純粋無垢で悪行については知らないし、今回切った相手のことも自分にとって大したことないというわけで、不誠実にも程があるだろう。

自分は、基本的音楽家の発言や行動と創作した音楽とは切り離して考えており、例えば人間性が最低とされる音楽家や犯罪を犯してしまった音楽家の音楽聴くことはあるし、ましてやそれでCDを回収したり配信を停止すべきとは思わない。しかし、氏については、不誠実さが度を超しているのであって、これはどうにも許せない。

キャンセル」までは主張しないが、これから理解あるファンに囲まれて片隅でひっそりと活動いただき、私の視界には入らないで欲しいというのが、切なる願いだ。

2023-07-09

清掃会社人材不足マジでヤバい

本当に人手が足りないし、猫の手も借りたいぐらい人手不足になった結果、外国人を雇う事になった。

もう外国人を雇い続けて1年になるが、これが頗る評判が悪い。

仕事漏れややり方に不備があるので指摘しても、カタコトの日本語で「ハイ、ワカリマシタ」とは返ってくるが何度言っても改善されない。

本社に早く日本人雇ってくれ仕事が回らんと伝えても改善されず。金がないんだろう。発注側も安い清掃会社を使いたいので、もうこのまま安い清掃会社従業員として致命的なミスでもして、「少し値が張ってもまともな清掃会社を使おう」と思わせるのが俺か社会的役割なんじゃないか?とさえ思った。

またとある日、外国人自分の入館証をトイレに誤って流したと言っていた。意味わからん。流す前に気づくだろ普通トイレじゃなくて誰かをビルに入れるために横に流したんじゃねえか?とさえ思った。

入館証トイレ流しの件と再発行の話がビル管理会社に届きこっぴどく怒られ、「従業員反省文書かせてくれないか?再発されては困る」と言われた。俺も対策してえけどうっかりでトイレに流す意味がわからねえもん。一応現場では入館証をポケットに入れず常に首にかけて携帯するというルールを再度周知はした。当該のベトナム人も「ハイ、ワカリマシタ」といった。そしてオーナーの言う通りに反省文書かせた。ベトナム人の彼なりの計らいではあったんだろうが英語がびっちり並んだ反省文が返ってきた。律儀に書いてくれてありがとう。俺は英語が読めないので、そのまま管理会社に渡した。管理会社部長は「これはふざけてるのか?」とブチキレた。俺は上の空でこの仕事に別れを思った。

そんなこんなで数ヶ月前に、久々に日本人が入ってきた。中年の清掃経験がある男だ。挨拶もしっかりしてるし、現場の清掃員の七割が外国人なことに少し戸惑いはしていたが、俺は久々にホッとした。

しかし、勤務開始から3日後にビル利用者から最近入った清掃の男が階段掃除しながらスカートの中を覗いてくる」とクレームが入った。俺は覗きの現場を見てはいないので、片方の意見だけを鵜呑みに新入り中年咎めることが出来なかったので一先ず保留にした。そして翌日別の女性からクレームが入ったので、これは本物かもしれない懸念が出た。

休み前に「階段で清掃員にスカートの中を見られて不快だったというクレームか入った。新入り中年さんは本当に見て無いとは思うが、神経質なお客様もいて以前からこういうクレームがあったので(ちなみに過去に一度も無い)、階段の清掃中は極力仕事だけにフォーカスを当ててくださいね、なんかあったら遠慮なく私に相談してください。」と伝えた。

そうすると新入り中年さんは顔と禿げた頭を真っ赤にして「俺じゃねえよ!!!!!!」と怒鳴りだした。「おまえは見てないと思う」という仮置きしたのにこのブチギレ方は「あ、こいつは本物だわ」と確信した。

そのままロッカーから私服を取り出しそのまま外に出ていったので飯でも食べに行くのかなと思ったら駐車場から新入りの奇声音となにかものを壊す破壊音が聞こえたので急いで見に行ったら粉々になったマキタ掃除機と脱ぎ捨てられた作業服が転がっていた。新人中年は帰ってこなかった。入館証をトイレに流したベトナム人は「新人中年サン、チョトおかしいよ?」と困惑した表情で溢し、俺は本社から従業員教育が悪い」と叱責され、減給を言い渡され、仕事を辞める決心がついた。

俺の指導力も不足していたんだろう。新しく入ってくる人間がまともに仕事をしてくれない外国人やばい日本人の二択で、彼らをまともな清掃員に育て上げる能力は俺には無かった。

もう俺は本社と何も話したくないし顔も見たくない精神状態に陥っていて、派遣先の入館証と作業着本社に郵送し、事前に準備していた退職届内容証明で送った。

本社からの連絡先は着信拒否にし、かかってくる謎の携帯番号も着拒にしてから1ヶ月ほどで解雇通知が送られてきた。離職票が届いてなかったので、本社総務部電話で「増田だけど離職票が来てない」と伝えると「人事部から話があるそうなのでお待ち下さい」と言われたので「はい」とだけ伝えガチャ切りし、ハローワークに「退職した会社に催促しても離職票が送られてこない」と伝えた。

3週間ほどで離職票が届いた。

そんなこんなで30代無職ゴミが出来上がった。

職歴フリーターと清掃会社しかないし高卒だが、もう清掃には二度と戻りたくないし、なんなら別会社でも清掃関係者を見るのが嫌だし、ホームセンターマキタ製品を見るだけでも吐き気がする。

精神科に行ったほうがいいのかもしれないが、客観的にみてまともじゃない精神状態でも受診しないことで「自分精神的にまともかもしれない」一縷の望みの可能性に縋る事が出来、それが自分の中の精神安定を保つことが出来ている。

話が少し脱線したが、すべての清掃会社はこんな感じではないんだろうけど、給与もっと高くし競争率高めないとこの先もっと酷くなる気がする。

今は失業手当貰いながら無職中にJavascript入門書写経して「はぇ〜」って言いながら時間つぶしてる、職業訓練過去電気工事士取るのに使ったのでまた使ったらもっと職歴が汚れる。(2度も職業訓練に通ってる奴は使いたくないだろう)コンピュータって偉いな、指示が正しければ指示通り動くんだな、もう人間と接したくねえよ

追記

朝起きたらこんな誤字脱字だらけの書きなぐったような文章ホッテントリいりしてびびった

親切心でアドバイスくれた方々どうもありがとう。全部に返事はする気力わかないけど、アドバイスくれた方々だけに所々補足。

JavaScriptブラウザ上ですぐ動きが見えるので入門書買って遊んでただけで、IT系転職したいとかそういうのはないです。適応障害メンタル死んだSEの友人の話とか聞いていたのと、N予備校Githubに触れた時に「ギャッ、英語」となったので、無責任趣味として遊ぶ分には良いと思うけれども、これに社会的責任がついたら絶対病むと思います仕事にしてる人すごい。手書きコードエディタ写経するだけの仕事とかあったらやりたいけどきっとそんなものは無いでしょう。

清掃関係にも戻る予定はないですね、昔から自分能力に劣り(精神的体力のなさや頭の回転の遅さ)を実感していて、門戸の広くてハードルの低い清掃業界に入ったのも自分能力を見据えての選択でした。若い内に手に職つく別の業界に行くべきだと諸先輩方からは言われた事もあったのですが、新卒時代に圧倒的に同期より劣っていた飛んだ経験から考えて、仮に行っても多分やって行けなかったと思います

ビルメンですが、近くでビルメンを見てきたN=1から言わせてもらうと普通に大変だと思います便所の糞抜きはビルメンの仕事でしたし、ネットだと未経験が入りやすいみたいな話がありますが、実際は元電気屋とか元水道屋の元職人達が多いので、未経験で入ってきたっぽい人達が苦労してるのを見てきました。手先が不器用なので私には無理だなと思ってます。元職人達に支えられてる業界なので、未経験だらけで記録とりのルーチンはこなせても、設備トラブルによるイレギュラーには対応出来ず、現場によっては炎上火災的な意味ではなく)してる防災センターもあるとかビルメンの人からいたことがあります

電気工事士を取ったのですが、その時に手先の不器用さを痛感したのと、電気知識交流から理解できず止まっているので、適正はないですね。免許返納したほうがいいかもしれないです。家のスイッチ交換の役にはたちましたが。

清掃やってて何いってんだと思われるかもしれませんが、汚いところと暑い所が結構苦手で、トイレ掃除のたびに頭痛と胃のムカつきを感じていました。

こう書いてると働きたくない理由ばかり出てくるので、元々働きたくない社会不適合者なんだと思います

割と好感な反応もあったのでむしろ驚きましたが、本当に仕事ができない無能です。私を知ってる人がこれを読んで、私のことを真面目だとか有能だとか書かれてるのを見たら全員が全員「はぁ……?」と渋い顔すると思います。思われてるほど良い人間じゃないのですみません

とりあえず貯金失業手当もあるし、当分はゆっくり過ごして、何も考えず静かに過ごそうと思います

気にかけてくれた人達ありがとう。嬉しかったです。

おわり

2023-07-08

職人認知がゆがんでいる

認知の歪み 全か無かの思考

anond:20230708113439

パン屋はその店で焼きたてじゃないとおいしくないから、まかせられる職人づくりが難しいし、利益率が低いので地代の高い東京は厳しい。

多くのフランスパン職人を育てたフィリップ・ビゴさんの芦屋ビゴの店」でもバブル期には東京にたくさん店をだしたけど、今残っているのは1軒だけ。

パン屋経営が安定しやすいのは学校給食仕事を確保すること。まれに人の少なそうなところにおいしいパン屋があるのはそれだ。

実家パン屋朝ドラてるてる家族」も、給食仕事を失ってピンチになってた。

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