はてなキーワード: 結果とは
自分が気に入ってるところは、褒めてもらいたくないのかね?
がんばって痩せても、素敵な髪型にしても、ネイルや化粧が決まっても。
それらは、「本人が努力した結果だと類推可能だから」褒めてもよし?
ほとんどの人には、長所と呼べるものがあって、でもそれを誇示できないから、さりげなく褒めて欲しい物なんだ。
そこに敏感な人は、他人から好かれるね。当然。
で、全員がそうなれと。
NTのように、他人の心理状態を看破して、的確に褒めてよいところを見出して、褒めろと。
胸や顔を褒めて欲しい人もいるだろうが、そうでない人もいる、それを的確に随時判断しろと。
すごいね。
なるほど。
書かれていない事を確認も兼ねて書きます。
補足・訂正があればして下さい。
子供を育てる事への経済的負担が、以前と比べ大きく2、3人目の(もしくは1人でさえ)子供を生む事へのリスクが大きい。
当然、出生率は下がる。
20ミリシーベルト問題だが、実は放射線医学専門家は引き下げを主張したが、
文部科学省側が20ミリシーベルト維持を押し切った、という未確認情報がある。
真相は未確認だが、私見では「さもありなん」という気がする。
より深刻なんじゃないか、と思う。
「自分たちが気付きあげた教育メソッドこそ最高」と固執して方針転換が遅れたり、
他学会から「教育界の常識を否定」された際にも直視しなかったりする。
例えば「教室の天井高は高ければ高いほうがいい」と教育界では信じられてきて、
文部官僚は地方自治体から申請あった「天井高の規制緩和」をかたくなに拒否してきたが、
しぶしぶ埼玉県で認めたところ、「かえって天井高が低くした方が、児童は心理的に落ち着く」という
あるいは「教育効果を上げるには少人数教室が最善」と教育関係者(文部官僚も日教組も)は主張し続けているが、
経済学者から「少人数教室にすると、トップ層が切磋琢磨しなくなり、かえって全体の平均学力は落ちる」と
今回の件についても、文部官僚は「屋外での体育活動が重要」とか
「子を疎開させて親と別離することは精神的に問題」という「もっともらしい理由」で
「できるのであれば20ミリシーベルトを貫いて、中通りで極力平常どおりの教育をしたい」という思惑を貫こうとしている。
彼らは「体育活動が重要」「親子のコミュニケーションが重要」という「従来からの教育メソッドの固執」という発想しかできない。
緊急時には、それこそ体育授業の1年間停止とか学童疎開という非常手段も求められるのに、
そういう「従来の延長線上からかけ離れた措置」を文部官僚は非常に嫌がる。
前例踏襲主義、という点では、文部科学省、もっと言えば旧文部省こそ、「官僚の中の官僚」である。
福島の児童の不幸は、官僚の中の官僚に学校運営権を牛耳られたことである。
現代社会で商品を売ろうと思ったら、広告宣伝は欠かせない。商品がどれだけ売れるか、どれだけ利益をあげられるかは、広告にかかっている。それゆえに、どの会社も大量の費用を広告宣伝に使っている。その結果として、雑誌や新聞が(比較的)安く読めるし、民放地上波テレビは無料で見られる。現代文明を代表する生活スタイルであるテレビ視聴を成り立たせているのは広告宣伝なのである。
商品がとても酷い場合ですら、テレビコマーシャルと営業マンの売り込みで、売り上げナンバーワンということもある。製品の品質が重要なはずのセキュリティソフトでもそういうことがあるのだ。
消費者は商品の質ではなく、テレビコマーシャルで示される商品イメージによってどの商品を買うかを決めているのである。それは結構高い買い物である車であっても、また、その後の人生にとって重要な家やマンションであっても、商品イメージが購入の強い動機になっている。商品のイメージと実質の差から、広告宣伝費が支払われているとも考えられる。そして広告宣伝費によってテレビ局や雑誌社は成立しているのだ。
農畜産物も同様に、テレビコマーシャルとブランドイメージで購入されている。むしろ日本の高い農畜産物を消費者が購入しているのは、ブランドイメージがあればこそだと言えよう。
消費者は広告宣伝によって作られた商品イメージによって商品を買っているのだから、何らかの別の原因によって商品イメージが低下すれば、商品を買わなくなるのは当然である。
また、広告宣伝関連業界にとってみれば、せっかく作り上げた商品イメージが、別の理由によって低下するのは実に嫌なことであろう。それゆえ、広告宣伝関連業界は声を大にして叫ぶのである。
「風評に惑わされないで!」と
自分の中で悔しいというか、本当に人生で忘れられない一日になった。
ただ無力。自分の無力さを恨んだ。
自分の無力さは当然知ってる。
それなりの幸せも感じたこともあった。
自分がどこまでできる役者なのか、力量はわかってるつもりだ。
今回は、自分の無力さを改めて感じた。
見方を変えてみる。
自分の与えられた役は、主人公の人生の転機にアドバイスする友達Aといった所か。
全くもって、仕事にならなかった。
エキストラにもなれなかった。
メールや電話でのアプローチをしたり、時には嘘をついてみたり。
下準備をしてから、この仕事に挑めたら、結果は変わったんじゃないかと思う。
本当に悔しい。
1人で部屋で焼酎を飲んでいる。
20代半ばにして、こんなの初めてだ。
彼の勢いはすごかった。
今年に入ってから、そんな印象を受けていた。
あっという間に会社を辞めた。
そういえば昔からそんな事を言ってた。
1年くらい前に飲んでる時に、「カフェの経営がしたい」みたいな話をしていた。
ただ、話していても、経営のビジョンとか、戦略はまったくないし、
カフェである理由は無かったし、カンブリア宮殿に出演するような経営者にありがちな
「情熱」や「熱量」が全くなかった。
彼が心配だったのと興味本意で。
彼の友達に会おうとおもった。
ちょうど飲み会に誘われた。
ルームシェアしている人の家で飲むという。
そこに1人異彩を放つ30代女性がいた。
彼はその場では言わなかったが、後に彼女の事を「師匠」と呼んだ。
その時は何にも知らなかったので、ただ適当にやり過ごしていたのだが
突然ゲームが始まる。
調べてみると、ほとんど同じ手口みたいだ。
そのゲームがネットワークビジネスの魅力を体験できる、いわば入り口となっている。
気になった点が3点。
一斉に、みんな示し合わせたように、机を片付け、ゲームに興じる。
複雑なルールを知っているメンバーが、知らないメンバーの横にいて、教えていく。
「師匠」が崇拝されすぎ。そして正体不明すぎる。
なんで「師匠」が自分にとって何もメリットを与えなそうなガキ共を集めて
あまりにも違和感があったので、純粋な疑問を「師匠」にぶつけてみる。
「なんであなたはこんなゲーム大会をしていて、こんなに若者が集まってるんですか?」
「お金儲けをしたいなら、僕だったら同じパイが減るんで、良い情報を教えて、ライバルを増やしたくないですけど」
「師匠」はこういった。
「えっ?何でそんな事聞くの?みんなに楽しんでもらいたいからだよ。あなた何か辛い事でもあったの??」
とんでもない。こっちが悪者かよ。
帰って、インターネットの書き込みと照らし合わせた。
彼にメールを打った。
「もしかしたらキミは騙されているかもしれない。ちょっとだけ時間をもらえないだろうか。」
彼と2人で会った。
彼に会う前に、マルチ商法(ネットワークビジネスと言うらしいが)についてネットでそれなりに調べたので、たくさん質問した。
「ああいえばこういう」という会話はこういうものなんだろうと初めて知った。
だけど、似たような出会いが、mixiを使って全国的に多発している。
1回目は集団で行うゲームに参加、
3回目はセミナーへ参加(関西で強行スケジュールで開催。ネットワークビジネスの素晴らしさを徹底的に叩き込む。)
この流れは天文学的では無い。
日本全国に起きているんだ。
作られた流れなんだよ。
何人も似たようなケースに巻き込まれて、書き込みが出回っているんだ。
彼は「インターネットに溢れているのは継ぎはぎしたデタラメな情報。負けたやつが書いているだけ」と言った。
それはそうかもしれない。
だけど、初めてその情報を見せたのに、全く受け入れなかった。
少しも、疑いの目を持たなかった。
昔のキミだったら、そんなことあったか?
それは、インターネットの情報は負け犬が嫌がらせで書いているだけだ、信用するなと
もっとたくさん、話をしたけども、あまり思い出せない。
自分のセリフは、「何かを盲目的に信じ込んでしまっている状態」の彼には、あまりに響かなすぎた。
「師匠」のやり口やビジネスモデルを全てわかった上で、取り組むなら、これはもう止められない。
実は、そのレベルを期待していた。
「師匠」と同じステージにいてくれれば、それの方がまだ良かった。
彼は、まだ「利用されている」人間にしか、本当に末端にいる存在にしか見えなかった。
もしかしたら、夜通しネットでネットワークビジネスについて調べた自分の方が、
情報をもっているのかもしれない、とすら思った。
ふと気づいた。
ただ、自分のやっていることって、こっち側の世界へ留まれっていう勧誘なんだ。
よかれと思って、人は宗教やマルチ商法に、周りの人へ紹介して巻き込んでいくのだろう。
悩んだ末、あまり彼について考えるのを辞めようと思った。
だが、どうだろう。
間違いなく、あらゆる手段を使っても、解決する道を探るだろう。
これから先、自分が「他人」に与えられる何かは何なのだろうか?
自分はまた、こんなケースがあった時に、「他人の人生だからさ」と少し大人ぶった、そんな態度をとってしまうのだろうか。
せっかくのGWもこんな気分では何も楽しくない。
彼へのメールを考えていた。
1つだけ、お願いがある。
キミは、たくさんの人を、ビジネスに巻き込んでいくのだろう。
個人や企業や、もしかしたらコネがなくなって、昔の友達にも声をかけるかもしれない。
そして、何かしらの商品を売るのか、仲間を増やすかをするのだと思う。
その相手の人生に、キミが入り込むんだ。
他人の人生もあるってことだ。
巻き込んだ人の、この先の人生を、真摯に受け止める責任を持って欲しい。
もしかしたら、キミの勧誘により、その人が失敗したり、嫌な思いをするかもしれない。
「あなたの自己責任だ。あなたの努力が足りないから上手くいかないんだ。」
キミがセミナーで習った、基本的な考え方のスタンスは、こういったものだと思う。
だけど、キミがその人を巻き込んだという自己責任の事を、忘れないで欲しい。
これから出会う人に、ちゃんと、良い面も悪い面も、伝えてあげて欲しい。
それじゃ、うまく売れないなら、仲間を増やせないなら。
嫌な思いをさせないような、完璧なフォローをしてあげて欲しい。
どうか、優しい心を忘れないで。
見えなくさせてしまう要素が、このビジネスにはあると思うんだ。
書いていて思うんだけど、本当にお節介極まりないと思う。
自分はもうキミとはかかわらないよ。
応援したいんだけど、価値観が全くもって違う自分は、キミの足かせになってしまいそうだから。
お互い頑張ろう。
また笑って話せる日がくると良いな。
その人生を背負うことの出来ない弱さでもあり、
その人生を自由にさせてあげたいという優しさでもある。
寛容さを持っている人間でありたいという、ただの自分のエゴでもある。
自分の人生だったら主役張ってるけど、他人の人生だったら本当にちっぽけな存在なんだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110430220227
Amazon.co.jp: 民主主義がアフリカ経済を殺す 最底辺の10億人の国で起きている真実: ポール・コリアー, 甘糟 智子: 本
結局ブログも設立せず、増田に投げ売り堂の4月の結果を書き殴ります。
UU:471
PVが3月より落ちたんですが、増田フィーバー抜きだとこれが今のところ精々ですね。
詳細は以下の Analytics の PDF に。
とりあえず宣伝力等思いつかなかったので相変わらず Twitter 中心の情報発信になりました。
訪問者のうちリファラー無しが3割、Twitter 3割。徐々に Twitter の流入数が増えてきてます。
フォロワーも、明らかにオタ関係興味無さそうな人が増えてきてますが、徐々にその筋に興味がありそうな人が増えて嬉しいです。
投げ売り堂の機能は主に以下の機能を実装したりして徐々に機能を充実させています。
・要望があった 「フィギュア」だけでなく「DVD・BD」「ゲーム」の商品のタブ切り替えで見ることが可能に
DVを受けて周りに反対されても別れられなかったことがあります。
状況が悲惨になればなるほど、何故か離れられなくなり
結果、彼氏の浮気が本気になり、何をされても依存する私が逆にうざくなってきたのか
その後、その彼氏と正反対の優しい男性に告白され、前の彼氏に未練もある状態でしたが
その人の誠実さに惹かれることもありつきあうことに。
今、つきあって4年目、色々とありましたがそれなりに幸せです。
強引で感情的な行動に男性を感じてしまう、言ってしまえば根っこはM気質。
その人に相当の覚悟がない限りはやっぱりあなたとお付き合いしても同じ事を繰りかえす可能性はあります。
いい人と付き合っても、何かが違うと別れてしまう人も結構見てきました。
逆に、俺様系にうんざりして優しい人とさっさと結婚してしまう人も。
こればっかりはタイミングもあるんでしょうが。
http://anond.hatelabo.jp/20100207193032 の日記の続き
私は家にあまり帰らないので内情がどうなっているのかは電話で聴くことが多い。私はあまり実家に帰りたくないし、話すべきことなんてもう何も無いと思っている。しかしどうでもいいと思っているわけではない。毎月3、4万円は家に入れようと思っているし、今月も5万円をクロネコメール便で送ったのだ。
母から電話がかかってきて、「会社はどう?」と聞かれた。無愛想に「ふつー」と私は答えた。その時はこんな取るに足らない会話で終わった。
数日後また母から電話がかかってきた。生活保護を申請した旨を伝えられた。
生活保護については、私は母親に申請した方がいいと以前提案していたのだ。だから、そのことには別段驚きもしなかった。ただ、そうか、と思った。その申請が通ってお金が振り込まれるまでの間、滞納している家賃を払わなければ強制退去になってしまうとのことで、それで私にお金を送ってほしいと母は言った。
また別の日に父親からも電話があった。私は父親とはまともに会話したことがない。父親を前にすると私の中の言葉が消えてなくなる。ただ父親の発言に対して「うん」と相槌をうつだけになってしまう。
父親の「悪いんだけど、よろしく頼むなぁ」という不本意ではあるが表面上は懇願する風な声色の発言が、私を、私の未来をも束縛するような感じがして、苛立ちと自己嫌悪の綯い交ぜになったような窮屈さにうんざりした。
先日、僕は友達付き合いをしていた女性に交際を申し込んだ。結果はお断り。曰く、”気になる人”がいる、との事。
その日フラれた直後の帰り道、彼女は事情を話してくれた。気になる人には本命の彼女がいて、別れるから待って欲しい、
とずっと言われていると。ズルズルとキープちゃんをやりたくはないので、このままではいけないと思っていると。
僕は押した。
「真剣なんだ、そんな話聞いて黙ってられない。誕生日のお祝いをさせて欲しい。チャンスを下さい。」
彼女は頷き、その日は別れた。
デート当日、人力車や船に乗り、映画を見た。夜はホテルのディナーを食べてプレゼントを渡した。とても喜んでくれた。
今日は解散…という時に最後のプレゼントがあるとホテルの部屋へ通した。チェックイン前にホテルの人に頼んで
セッティングしてもらった生まれ年のワインを空け、ネックレスを渡した。とても感動してくれた。
ネックレスを首にかけ、ハグをしながら再度想いを伝えた。僕は本気なんだ、あなたを支えたい。
そばで笑っていて欲しい。大好きだ。あらゆる想いを伝えた。
彼女は何度もありがとうと言ったが、どこか浮かばない顔をしていた。”気になる人”が引っかかっていた。
話を聞くに、"気になる人"は本命彼女と同棲中。すぐに別れたいけど、本命彼女名義のアパートに居候しているから
簡単に別れられない。金つくって一人暮らししてちゃんと別れるから。愛しているのは本命じゃなくお前だから。
お前じゃなきゃダメだから、と言われ続けて半年以上経つ。転職も副業もせず、金を作ろうとしている気配はない。
自分に甘いそうだ。
平均して週に1回以上は会っていて、メールが一方的に10通以上(今なにしてる?どした?など)届くのは当たり前、
だんだん束縛するようになってきた(共通の友達のいる飲み会に彼女一人で行ってはいけないという約束を最近交わした)し、
携帯も覗かれるようになったし、ゴムなしのSEXを求めるようになってきた(彼女は元々ピルを飲んでいる)。
でも不快じゃない、その気持ちを出して彼に嫌われるのが怖いのかもしれない。彼の俺様主義をどんどん受け入れてる。
将来性のないダメ男だからこのままじゃいけないと理性ではわかるけど、会って顔を見ただけで幸せな気持ちになって
ハマっていってしまってるそうだ。"気になる人"というレベルではなく、本当は相互に依存し合っている状態にある。と言っていた。
僕は虚無感や失望感、嫉妬、愛おしさ、心配、憎悪、憤怒の気持ちがぐしゃぐしゃになって激しい動悸が止まらなかった。
僕は彼と面識があった事もわかった。共通の友人も多くいる。それも響いた。
努めて冷静に話をしながらも、涙や怒声が抑えられない時があった。
たくさんハグをした。手を握り合った。でもキスから先はNGだった。
僕は許される限りのスキンシップを取りながら彼女の状態を聞き出し、上述の話受け入れながら、辛い話をしてくれてありがとう、
という感謝の気持ちと、それでも好きだ、俺なら君をそんな風にしない。必ず幸せにすると、精一杯の想いを伝えた。
何度も言ったけど、返事はありがとう。話聞いてくれてありがとう。それだけだった。
今のダメな状態から僕に移り気して変われるかもしれない、と考えて僕とのデートに臨んでくれたらしい。
僕の事はすごく信頼しているし、私を想ってくれてる気持ちも充分伝わった、嬉しいし、
今の彼と別れて僕の元へ来たほうが幸せになれるだろうと頭ではわかるけど、今はこれ以上応えられないそうだ。
彼女は前の前の彼氏が同じく俺様系で、今に同じく振り回され、一方的に捨てられた後、俺様系ではない優しい男と4年付き合った。
優しすぎて将来性がないと思い、自分から別れた。そして今、将来性のない俺様系にハマっている。
このままじゃいけないと頭で分かっている、としきりに言っていたので、まず会う回数減らす事からはじめたら?とアドバイスしたけれど、
まだ俺諦めないから、見放せないから、好きでいさせてくれ。幸せを考えさせてくれ、何でも相談してくれ、
美味いモン食べて楽しい話もしよう。もし君が彼を断ち切る事ができたなら、その時は一緒に幸せになろうと言った。
彼女は頷きありがとう、と言った。話し始めから6時間以上、終わりに近づくにつれて、彼女はだんだん彼をかばうような物言いを
しなくなったし、スキンシップでも応えてくれるようになった。彼女の希望で共通の友人(女)を交えた僕との仲良し三人で
後日改めて話したいから、とスケジュール調整もした。少しづつ変わっていたから彼女の相談相手をしつこく続けれていれば、
いつか彼から離れられるはずだ。そう思いながら早朝、一睡もしなかった部屋を後にした。
この事情は共通の友人(女)にシェアした。事情はある程度彼女から聞いていたが、
ここまで依存が進んでいるとは思っていなかったらしく、全力で救いたいと言っていた。
てゆーか、アタシとオマエで救うぞ。オマエ面倒見ろよ、と。
あたりめーだ。今更ひけるわけねー。ありがとな。
辞任した前原誠司前外相に「違法献金」したのは、30年以上も近所付き合いをしてきた京都在住の同胞だ。鬼の首を取ったかのように騒ぐ一部政治家とメディア、あっさりと辞任してしまった前原氏に対し、団員たちは残念に思い、そして憤った。多くの日本人からも「『在日』をそこまで隔離するとは」と呆れる声があがった。
「国籍を超えた人情、善意が結果的に法律に抵触し、大臣の辞任にまで発展したことは残念」(金徳彬洛東支部支団長)、「これを正式に外国人の政治献金とするなら、ほとんどの議員が辞職しなければならない。複雑な事情を抱えているのが『在日』と議員の関係だ」(王清一京都本部団長)、「前原氏がなすべきは、在日の歴史的背景と特殊性を考慮することであり、冷戦構造の残滓とも言うべき古色蒼然の政治資金規正法の在り方を問うことだ。辞任は善意の住民としての在日の切り捨てに他ならない」(薛幸夫鳥取本部団長)。
http://anond.hatelabo.jp/20110417194312
ただ、個人的には代替エネルギーと原子力が相互排他的であると考えるのはおかしいと思います。早い話、太陽光発電は昼間にしか発電できない以上、出力調整ができない原子力よりも、ピーク時に稼働される火力・水力を代替する方がよほど技術的にも本筋です。
代替エネルギー=太陽光ではないし、風力・地熱・高温岩帯・潮汐など夜間も発電可能な代替エネルギーのほうが多いです。また、エンド寄りで充放電してピークシフトする技術も研究されています。
原発に対するリスク評価・費用便益比評価は、3.11以前と現在ではまるで変わってしまいました。そのことは原子力研究者たち自身も反省の弁を述べ、他国の原子力施策が相次いで大きな転換を迎えつつあることにも表れています。そうした現状を無視して「原子力は出力調整ができないから現状維持、火力・水力は代替エネルギーに置換」と主張するのは、技術的にもSTS的にも的外れなソリューションです。
また、 id:koseki は、代替エネルギーと原子力が技術的あるいは運用的に「相互排他」だと指摘しているわけではありません。原子力発電は、エマージェンシーの際には被災地での直接人命救助に割けるリソースを廻してでも最優先で事態悪化を食い止めなければならないほどのリスクがあること、そのリスクのモジュール化による低減が困難なほど大規模な系にならざるを得ず、現に全体の統御をしあぐねていること、(そして私から見れば、現時点での想定賠償金だけで日本最大級の「優良企業」が消し飛びかねないほどの潜在的コストを孕んでいたこと)…などの現実を前に、「長期的観点での原子力からの脱却・転換が必要」だと認識したうえで、それを置き換える存在として代替エネルギーの話をしているだけです。
地元の同意がなければ立地できないというのがまず一点。あとそういうことを言い出せば病院や工場を街中に建てるのも許されないということになってしまいます。何事も程度問題でしょう。
今となっては、原子力発電には「想定外の事態が起きたときには、周辺地域の住民がその土地での生活を永遠に放棄しなければならないほどの危険性もある」というリスクが内在したことがわかっているわけですが、当時の福島原発周囲の地域住民は、そうしたリスクを含めた適正なアセスメント情報を開示されたうえで受け入れに同意してはいないでしょう。不完全な情報提供に基づく判断について自己責任を負えというのは、特にこうしたビッグサイエンスが絡む(≒専門家集団と一般市民のあいだにおける情報やリテラシーの非対称性が著しい)問題においては、あまりに一方的な話です。
また、地元での調整の結果、病院や工場の街中への建設が許されないというケースは当然ありましょう。ただし病院や工場の費用と便益は(法令による環境アセスメントがなされている限り)基本的にローカルスケールに収まるものです。しかし、原発はそうではない。現状でも国家〜超国家規模のコストを生み出している。4号機の使用済燃料プールが水素爆発により「注水」されるという偶然がなければ、さらに大きな被害を生んでいたことでしょう。
程度問題の「程度」がまさに問題なのです。
誰にでも優しかった可愛いはてなは、春休みが終わると、似合わない金髪のソバージュに、真っ赤なルージュをひいて、校門の前に停まる黒塗りの高級車にのって汚い男の前で股を開く下卑たアパズレに変わっていた。
はてなブックマークは大きな改悪をブックマークコメントに施した。
その改悪の要旨は、
・デフォルト表示コメントをスターのついた人気コメントと新着コメントに限定
・全てのコメントをすぐに一覽で見られない
というものだ。これははてながその本質をかなぐり捨てるような、大きな改悪だ。
新着コメントとスターの多くついたついた人気コメントだけを表示するというアプローチは極めて旧世代的だ。旧世代とは、ベストセラーしかおかない本屋、人気歌手のCDしかおかないCDショップ・・・時代とともに滅びさろうとしている『人気のあるもの、新しいものだけが価値あるものだ』という『恐竜の頭』的考え方のことだ。この馬鹿げた考え方を恐竜のロングテールで引っぱたいてきたのが、Amazonであり、appleであり、はてなだったはずだろう。
いまさらになって、恐竜の頭を選択するのは、はてなの自殺というしかない。
スターがついたものは見るべきコメントではない、ただ単に10人の人が気に入ったということだ。10人の人が気に入ったということは、そのコメントが『僕にとって』価値のあるものだということにはならない。上地雄輔のブーンブンシャカブブンブーンがいくらヒットしていても、僕にとってはオリモノ以下の廃棄物なんだから。
見るべき価値のあるコメントはユーザーごとに異なる、異なるからこそ楽しいし、多様性が生まれる。ユーザーがコメント一覽の中から探す、探すのもまた楽しい。そのニッチなコメントを評価しあい、好意を好感しあうのがはてなの楽しさだった。
その過程を台無しにすることで得られる利益はなんだろう?たぶん、「たいして見やすくもない、見やすさ」だろう。見やすくもない見やすさを目指すために、本質的な価値を犠牲にするのは、度のあわないメガネを買うために内蔵を売り払うようなものだ。誰にも利益なんてありゃしないんだ。
50000000歩譲って、人気のあるものか新しいものが見るべきものであるという旧世代のアプローチが現在においても価値をもっていたとうしよう。
けれど、「人気がある」ということを判断する為の指標として、はてなスターを使おうというのならば、間違いだとしかいえない。なぜなら、はてなスターは個人が何個でもつけられるから価値の基準になりえないからだ。AKB48の曲がいくら売れようとも、誰もが知っている国民的歌謡曲にはなりえないのと同じで、一人が何度も投票できる人気投票は人気投票として機能しない。そんな曖昧模糊とした基準で見るべきコメントを抽出する意味があるなら教えて欲しい。
ブックマークコメントが改悪されてから、明らかにコメントを書きこむユーザーが減った。
昔の「ニッチなコメントでも誰かが見てくれて評価してくれるかも」という楽しい期待が失われたからだ。どうせ新着からも落ち、人気コメントにもならず、誰にも見られないコメントなんて誰も書こうとは思わない。当然の結果として、コメントの数も多様性も面白さすら減った。一部の常連のコメント頻度も下がった。濃い人達が積極的にブックマークをしなくなり、クズみたいな手垢のついた胡散臭いライフハックばかりが目立つようになった。
なおして
なんでこいつこんなに被害者ぶってるんだ?
お前らが散々私腹を肥やして津波対策を置き去りにした結果が今の惨状だろ。
実際多数の人が被害にあってるのに、「周囲の人が冷たいんですぅ~。」か。
頭おかしいんじゃねーの。
ひさびさに時間を忘れて考え事をするという状態になった。
ゲームに熱中してて1日が過ぎるというのはけっこうざらだけど、考え事でというのはかなり稀なこと。
たぶん2時くらいにそういう状態になって、気づいて時間を確認したら3時間以上もたってて驚いた。
なんか特に過去のことを振り返ってるとすごい無駄にした感がすごい。まったくの無駄ということでもないにしても。
こうするべきだったああするべきだった、無限に分岐点が浮かんでくるけど、だからといってその時の選択がそれらと比べていい結果をもたらしたともかぎらない。バタフライエフェクトじゃないけど、きっと今と同じ程度には悲しい結末になってるのだろう。ある事が結末を迎えたときに振り返るのは女々しいと個人的には思うけど、一度だけはいいのかもしれない。なんかまだまとまりのない思考を垂れ流してるような状態で特にこれといった結論が得られたわけでもないので、オチなしの文章になりそうだ。終わらせ方がわからない。ここまで書いて消すのもあれだし、だから無理やり好きな小説の登場人物の台詞で閉めようと思う。
「自らに恥じることがないのだ。それでも処断と言うなら、黙って死のう。」
内定をいただいて以来、業務関係の連絡が全くない会社とその会社に新入社員として入社した人の話です。
入社式でした。小さなIT企業なので3畳ほどのスペースで辞令を社長からいただきその後簡単な自己紹介をしました。4月中は研修を行うと聞いていましたが、実際は資格の勉強と社会マナーなどが収録されているDVDを2週間、プログラミング実習を別課題各1週間だと聞かされました。その時、やたらOJTというい単語を上司の口から出ていましたが、OJTという単語を確実に勘違いしている。
4月4日~
コンサル主催のセミナーにも向かいましたが、基本社内で資格の勉強をずっとしておりました。渡されたDVDは会社のPCで見ることはできませんでした。おそらく、大量の常駐ソフトによるメモリ不足、コーデック関係のどちらかだと思います。再生30秒ごとに数分止まるという無駄な時間が過ぎていき、とてもイライラしたことを覚えています。本当に私は今月入社することになっていたのだろうか。その割にはあまりにも準備がされていなかった。DVDを見せるなら正常に再生できるか。何か説明をするのならあらかじめ話す内容を決めておいているのか。そして大抵の説明の最後に「なにか質問はありますか?」と聞いてくる。質問するほどの内容を説明していないのにこの自信はなんなのだろうと思いました。DVDは結局個人的に借りて家で見てレポートを書くことにしました。会社のPCで再生できるように奮闘した結果がかくかくな再生では非常に時間の無駄だった。
会社への不安と不条理さと試されている感が交錯しながら2週間を終えました。
来てそうそう配属について連絡がありました。配属といっても自社開発はなく客先常駐のプロジェクトでした。「新人 PG 架空の経歴書 事前面接」このあたりのキーワードでピクピク来る人とは仲良くなれそうです。研修後半の課題が出されました。使っているPCがとても遅い。コンパイルが遅い。IE起動が遅い。無駄な常駐ソフト。
新人が一人で客先常駐って時点で、完全に終わってることを自覚しなさい。 - @katzchang.contexts のエントリを何回か見ました。元の増田が削除されているのが残念です。
どうやら新人が一人で客先常駐に行かされるらしいです。その事前面接をしました。前述したとおり架空の経歴書を渡され、ある事ない事しゃべってきました。どこの会社も行っているからという理由は弊社でそれを行う理由にはならない。もう今週くらいになると自分自身でキャリアプランニングをしている。最長2年の間に架空ではない経歴書を書けること。いつ会社を辞めるのか。それまでに自身に課さねばならないタスクはなにか。それらをGWにじっくり考えるつもりだ。
その他
話の中で人があまり出てきていませんが、ほとんど接しなかったためです。今年の新入社員は私一人だけでした。一日中会社にいてやること済ましてそのまま帰ることも何度もありました。たまに掛かってくる上司の電話口から声が小さい事を指摘されました。ずっと黙ったままの作業していて、発する声が元気なわけありません。それ以降、ぶつぶつつぶやきながら作業をすることにしました。社内には私しかおりませんので当然注意する人もおりません。
俺は「糞を掃除する」側になった覚えが無いから特に同意する気持ちは無いけど、なんか心打たれるものが有るというか、格好良い文章だ。多分他の多くの人はそつの無く批判もされない文章を書こうとして結果的に論点をぼやけさせてしまうのに対し、この人の場合は自分の体験をそのまま、物事を一面的に、考え過ぎず素直に、思った事をありのまま書いているからこれだけの迫力が出るんだろう。
あと幼少時の一人称が「ぼく」な点から察するに投稿者は男なのか。殆どの一人称が私なのと文体で女だと思ってた。
汚れ仕事ををやる
「を」が一つ多い。
金がないってのは、そういうことだよな。
どんな発電所がどこに建てられるかは単に地域間の貧富差では決定しない。
日本の地域間連系送電網の経済的分析 http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/05j033.pdf
には、土地代は幾らか、土地の面積はどの位か、電力需要の高い地域から近いか、地形的にどんな発電所が建てられるか、貯水池の渇水期、凍結、降水量事情は水力発電が可能な程度か、炭鉱が有るか、大容量の電力連携系統が有るか、等様々な考慮すべき要素が挙げられている。福島県に原子力発電所が建てられたのは「金がない」からではなく「金がない事も含めた諸条件が揃った」からだ。
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3) 電源別平均的出力当敷地面積と建設費
電源別の代表的発電所についての出力当敷地面積(m2/kW)については、
石炭火力発電、原子力発電、石油火力発電、LNG火力発電の順に面積が小さくなっていることが観察される。
石炭火力発電については貯炭場*4、灰処理場などを併設する必要から敷地面積が極めて大きく、
原子力発電については、原子炉・発電設備などの面積は小さいが放射線管理のため
「周辺監視区域」という空地を設定する必要から敷地面積が大きくなっている。
「あそこで作っている電気は、全部東京のほうの人たちが使っているから、実はあの発電所がなくなっても、このあたりに住む人は困らないんだよ」
福島県民も東京電力の有する福島県第一原子力発電所の電力を使っている。
また糞を掃除する、つまりは発電所を押し付けられる側は一方的に押し付けられていたのではない。1990年代前半迄は東京電力と東北電力は電力を季節毎に融通し合っていた。
福島の原子力 - 科学映像館 http://www.kagakueizo.org/2011/01/post-332.html
14分40秒
発電所で起こされた電気は、ここ、新福島変電所を通して首都圏に送られると同時に、東北電力の送電線に由って地元でも使われます。
日本の地域間連系送電網の経済的分析 http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/05j033.pdf
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1-4-2. 最大送電(kW)計画の推移 (図1-4-2-1.~-3.参照)
地域間連系送電に関する一般電気事業者の8月最大送電(kW)計画によれば、
大需要地である東京・関西の最大電力需要に対し、それぞれ東北、九州・四国などから大規模な
送電が行われていることが観察される。
東京、関西は1990年代前半は送電であったものが1990年代後半から受電に変化しており、
反対に東北、北陸は1990年代前半は受電であったものが1990年代後半から送電に変わっている。
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2) 東 北 (図2-1-1-2a,b. 参照)
東北においては、夏期に水力資源が豊富であり需要期に東京へ連系送電を行っている。
一方、冬期においては水力発電所が渇水・凍結により運用できない問題があり、1990年代
前半においては東京・北海道から連系受電し需要を賄ってきた。1990年代中盤以降東北及び
いやあんたそもそも北海道電力や東京電力や日本原子力発電の電気を福島県民として使っていた事を忘れる以前に知らなかったろ。関東人として福島県に罪悪感を抱く一方東北人として北海道や関東に罪悪感を抱かないのはちぐはぐだ。
要旨を作った。各論の(6)の根拠が良く分からないので、勝手に補足した。
一連のライブドア事件における堀江貴文氏の刑事事件について、最高裁の上告棄却決定がなされて、懲役2年6ヶ月の実刑判決が確定した。
執行猶予付ではなく実刑判決が出されたことについては重いという意見があり、他方で、軽すぎるという意見もある。
では、そもそも裁判所自身は、どういう理由からこの量刑を相当と判断したのだろうか。
これは是非とも判決の原文を読むべきだと思う。
そこで、以下に、東京高裁での控訴審判決の判決文の抜粋を引用する。興味がある人は読んでみてほしい。その上で議論するほうが、より的確なものとなるだろう。
なお、量刑を最初に判断したのは第1審判決(東京地裁)であるから、そちらを引用するべきかもしれない。
もっとも、控訴審判決を読めば第1審判決の内容も概ねわかる上に、高裁がなぜ地裁の判断を是認したのかもわかるから、一石二鳥だと思う。
以下の抜粋は、「量刑不当」の主張に対する判断の部分である。もし、全文を読んでみたいという方がいたら、判例時報2030号127頁または判例タイムズ1302号297頁を図書館等で調べれば読める(これには解説もついている)。
主 文
理 由
(中略)
7 控訴趣意中,量刑不当の主張について(上記3の〔4〕参照)
論旨は,要するに,被告人を懲役2年6月の実刑に処した原判決の量刑は重すぎて不当であり,被告人に対しては刑の執行を猶予するのが相当であるというのである。
そこで,原審記録を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討すると,原判決が「量刑の理由」の理由の項で説示する内容は,おおむね相当として是認することができる。以下,若干補足的に説明する。
本件各犯行は,被告人は,P2の代表取締役社長として関連する多数の企業体であるP2・グループの中枢に位置し,グループを統括する立場にあったものであるが,上記2のとおり,P2の取締役で財務面の最高責任者であったP6らと共謀の上,東証が提供するTDnetによって,同社の子会社であるP3がP5社を株式交換による買収及びP3の平成16年12月期第3四半期通期の業績に関して,虚偽の事実を公表し,もって,P3株式の売買その他の取引のため及び同株式の株価の維持上昇を図る目的をもって,偽計を用いるとともに風説を流布したという事案【原判示第1】と,P2の業務に関し,平成16年9月期決算において,3億1278万円余りの経常損失が発生していたにもかかわらず,売上計上の認められないP2株式売却益及び架空売上を売上高に含めるなどして経常利益を50億3421万円余りとして記載した内容虚偽の連結損益計算書を掲載した有価証券報告書を提出したという事案【原判示第2】から成る。
投資者を保護し株式投資等の健全な発達を図るためには,上場企業に関する正確で適切な情報の開示が求められ,客観的な情報に接する機会の少ない一般投資者にとっては特にその必要性が大きい。そのために,証券取引法(現在は,「金融商品取引法」と題名変更されている。)が定めるディスクロージャー制度が有価証券報告書の提出であり,自主的規制の制度としてあるのが東証のTDnetであり,いずれも関係者には有用なものとして評価されているところである。
被告人らの犯行は,経営する会社やグループ企業が,時流に乗り発展途上にあって,飛躍的に収益を増大させており成長性が高いということを実際の業績以上に誇示し,有望で躍進しつつある状況を社会に向けて印象付け,ひいては自社グループの企業利益を追求したもので,このような動機というか戦略的意図には賛同することはできず,上記ディスクロージャー制度の信頼を損ね,制度そのものを根底から揺るがしかねない犯行であって,強い非難に値するというべきである。
その犯行態様も,会計的側面や税務処理の面で必ずしも法的整備ができておらず,実態の不透明な民法上の組合としての投資事業組合を組成し,これをP2株式の売却に形式的に介在させ,あるいはP2株式の売却益がP2側に還流している事実が発覚するのを防ぐために,P17組合のように日付けをさかのぼらせてまで組成した組合をスキームに介在させている。そのために経理の専門家である監査法人や公認会計士を巻き込んで,殊更にスキームを巧妙,複雑化させたりしているのであって,悪質といい得る。
本件犯行は,結果として,株式投資等の健全な発展を阻害し,投資者の保護という面で深刻な悪影響を及ぼしたと認め得る。そして,犯行発覚により,P2は上場廃止となり,多数の株主に投下資本の回収を極めて困難にして多大な損害を被らせたといい得ること,また取引相手等の関連企業やその従業員にも少なからず影響を与えたことがうかがわれ,社会一般に与えた衝撃にも無視し得ないものがあるとうかがえ,結果は重大といってよい。
また,本件犯行は,上場企業としての社会的責任の大きさや企業経営者として当然持つべき責任を顧みず,被告人を始めとする経営陣が自ら主導し,あるいは各事業部門の担当者や子会社の者に指示を出すなどして,組織的に敢行したものである。P2の唯一代表権を有する者として,被告人の指示・了承等がなければ,本件各犯行の実行はあり得ず,その意味で,被告人の果たした役割は重要であった。
原判決は,「量刑の理由」の項において,「被告人は,自己の認識や共謀の成立を否定するなどして,本件各犯行を否認し,公判廷においても,メールの存在等で客観的に明らかな事実に反する供述をするなど,不自然,不合理な弁解に終始しており,前記のとおり多大な損害を被った株主や一般投資者に対する謝罪の言葉を述べることもなく,反省の情は全く認められない。」と指摘しているのであって,十分是認できるのである。被告人の規範意識は薄弱であり,潔さに欠けるといわざるを得ない。当審において取り調べた被告人名義の「上申書」と題する書面によれば,「(P2の株式の分割につき,)今では,一度に100分割するのではなく,もっとゆっくり分割していけばよかった,少し急ぎすぎたのではないかと反省しています」とか,「株式市場に対する不信を招いてしまったことは悔やんでも悔やんでも悔やみきれません」などと現在の心情をつづっているが,自己の犯行についての反省の情はうかがわれない。
以上によれば,被告人の刑事責任を軽視することはできないというべきである。
弁護人は,量刑不当であるとして種々の事情を主張しているので,主な所論について,当裁判所の見解を示すこととする。
所論の〔1〕は,原判示第2に関する有価証券報告書の提出は,過去の粉飾決算事例等と比較して,粉飾金額等が少なくて軽微であるという。
控訴趣意書に引用摘示された過去の粉飾決算事例の多くについて,その粉飾金額を確認して比較する限りは,本件の金額は少ないといってよかろう。しかし,中心的な量刑因子は各事例ごとに異なるのであって,粉飾金額の多寡のみが決め手になる訳ではない。現に,原判決は,「量刑の理由」の項において,まず,本件は「損失額を隠ぺいするような過去の粉飾決算事例とは異なり」として,「粉飾金額自体は過去の事例に比べて必ずしも高額ではないにしても」と断り書きを述べた上で,「投資者に対し,飛躍的に収益を増大させている成長性の高い企業の姿を示し,その投資判断を大きく誤らせ,多くの市井の投資者に資金を拠出させた犯行結果は大きい」旨説示している。このような視点からの分析,すなわち損失隠ぺい型と成長仮装型とに分けての評価,すなわち後者では粉飾金額は高額でなくても犯行結果は大きくなるとする評価には注目すべきものがあり,本件に関しては上記説示の結論は是認できる。もっとも,成長仮装型の事例はまだ少ないから,一般論としてこの評価の手法が是認できるかは,慎重を要するであろう。さらに,所論は,引用摘示した過去の粉飾決算事例の悪質性を強調したり,多くの関係被告人が執行猶予に付されているなどという。しかし,当裁判所は,引用摘示した事例は量刑上の参考資料としてある程度役立つと考えるが,受訴裁判所でない以上その具体的内容について正確に知る術はないし,上記のとおり,あくまでも量刑因子は事例ごとに異なるのである。結局,所論〔1〕は採用し難いといわなければならない。
所論の〔2〕は,P2株式の株価につき,粉飾した業績の公表や株式分割により,不正につり上げられたものではないという。この主張は,原判決の「量刑の理由」中の,「粉飾した業績を公表することにより株価を不正につり上げて,P2の企業価値を実態よりも過大に見せかけ,度重なる株式分割を実施して,人為的にP2の株価を高騰させ,結果として,同社の時価総額を(中略)増大させた」との説示に対する反論であって,P2株式の株価の動きを全く検討せず,しかも,株式分割の意義・効果を全く無視した見解であるなどというのである。
しかし,関係証拠によりP2株式の株価推移を見ると,平成15年4月1日の終値が12万1000円,同年7月1日が73万5000円(株式10分割前に換算),同年12月1日が272万円(株式10分割前に換算),平成16年1月5日が452万円(株式10分割及び100分割前に換算),同年9月1日が526万円(株式10分割,100分割及び10分割前に換算)と急速に値上がりしていることは明らかである(原審甲12号証)。
さらに,所論は,関連して,P2株式の株価の上昇は,企業買収の発表や新規事業開始の発表,粉飾が問われていない事業年度における適時開示のほか、株式市場全体の傾向によるものであって,本件の平成16年9月期の適時開示における粉飾した業績の公表は影響していないという。しかし,株価の上昇原因が単一ではないことは当然のことであり,本件犯行における粉飾した業績発表や上記の度重なる株式分割という人為的なものも影響していることは否定できない。
また,所論は,関連して,株式分割については,東証が当時積極的に推奨していた制度であり,度重なる株式分割の実施を不当視するのは制度の趣旨を理解していないという。確かに,東証が,平成13年8月ころ,上場会社に対して,個人投資者層を拡大するとの観点から投資単位の引き下げ促進について協力要請をした事実がある(原審弁17号証)。しかし,P2においては,約1年間に10分割,100分割,10分割と3度も株式分割を実施しているところ,東証が,延べにすると1年間で1万分割というような極端な株式分割とか,それによる弊害については想定していなかったものと推測できる。したがって,所論のように,東証が株式分割等を一方的に推奨していたとまでは評価し難いのである。また,株式分割自体は理論的には株価とは中立的な関係にあるから,実際には分割後に株価が上昇することも下落することもあり得るであろう。しかし,極端な株式分割の実施は,投資者の投機心を煽ることになるのであって,現にP2が平成15年11月に公表した100分割では,前日の終値が22万2000円であったのが,分割後の平成16年2月24日には100分割前の株価に換算すれば31万2000円となっている(原審甲12号証)。結局,所論の〔2〕は理由がない。
次に,所論の〔3〕は,P2株価が急落したのは,本件の強制捜査が原因であり,原判示第2の有価証券報告書提出の発覚が直接の契機ではないという。すなわち,原判決が「量刑の理由」の項における「本件発覚後,株価が急落し,」という説示との関係で,平成18年1月16日に東京地方検察庁が原判示第1の事実を被疑事実としてP2本社等を捜索したことが契機となったというのである。
この「発覚」の端緒は強制捜査の開始であろう。しかし,被告人らが犯罪に係る行為に出たから捜査が開始されたのであって,その結果,P2の提出した有価証券報告書の虚偽内容が判明したのである。そして,それまで上昇の一途をたどっていたP2株式の株価が急落したのであり,まさに原判決の「本件発覚後,株価が急落し,」のとおりである。所論が,関連して,P2が,多くの優良企業を連結子会社としていたとか,潤沢な資金を保有し財務状況には何ら問題はなかったなどというが,このような事情と本件株価下落とは関係のないことである。結局,所論の〔3〕は理由がない。
次に,所論の〔4〕は,原判決が「量刑の理由」の項において,「企業会計が十分整備されていない投資事業組合を悪用し,会計処理を潜脱したものであり,正に,脱法を企図したことは明らかである」と説示している点に関して,本件当時は,投資事業組合において出資元の株式が含まれる場合における株式売却益に基づく配当金の計上方法について統一的な方法が確立しておらず,企業会計の実務においても明確な指針は存在しなかったのであるから,「会計処理を潜脱」等というのは当たらないという。
しかし,自社株式は,親会社のものを含めて,その処分差益は「その他資本剰余金」に計上するとの確立した会計基準があったのであり,原判決の説示意図は,実務において,投資事業組合を介在させて悪用するような事例を想定しておらず,悪用防止のための会計基準とか指針が確立していなかった状況下で,原判示第2の犯行はその点に着目して,まさに悪用されたというものである。このことは,原判決の「本件犯行は,資本勘定とすべきものを損益勘定にしたという単に会計処理の是非のみが問題となる事案ではなく」との引き続く説示により明らかである。したがって,また,所論が,関連して,被告人が「投資事業組合からの配当金をP2の連結決算において損益勘定に計上してはいけないとの認識を有する契機がないまま」とか,「P2の連結決算において売上計上が許されないものであると当然に認識できるものではない」などと主張する。しかし,本件では,投資事業組合が独立した存在を否定すべきであり,そこからの配当金という概念は無意味であり,主張自体失当である。この点はさておくとしても,上記のような認識があったからこそ,組合を複雑に介在させたといい得るのであって,指摘の点は量刑判断においても理由がないのである。結局,所論の〔4〕は理由がないことに帰する。
次に,所論の〔5〕は,原判決が「量刑の理由」の項において,「本件各犯行は,被告人が,P2の平成16年9月期の連結経常利益の予想値について,前年度の実績値である13億円を上回る20億円として公表することを強く希望し,さらに,同予想値を30億円,50億円と上方修正させ,その達成を推進してきた結果にほかならない」と説示している点に関して,予算策定より前の時点において,P27やP32の買収に際して投資事業組合を使ったP2株式の売却というスキームはあったのであるから,業績予想値の上方修正は,株式交換により発行されるP2株式の売却益が生じたことの結果にすぎず,業績予想値を上げることを達成するために株式交換を行ったものではないと主張する。
しかし,この主張は,検察官が答弁書において指摘するとおり,被告人がP2株式の売却益を連結上の売上げ・利益に計上することができないことを認識していなかったとの前提に立つものであって,この前提が間違いであることは上記のとおりである。被告人は,本来計上の許されないP2株式の売却益を連結計上することにより,業績予想値を高くして更に上方修正させたのである。所論の〔5〕は理由がない。
また,所論の〔6〕は,原判決が「量刑の理由」の項において,「被告人は,(中略)結果的に,本件犯行による利益を享受しているといえる。現に,被告人は,平成17年にP2株式約4000万株を売却して約140億円の資金を得ているというのであり,(中略)これを量刑上看過することはできない」との説示に関して,被告人が自ら保有していたP2株式を売却して得た資金は,本件とは無関係であり,量刑上不利益に考慮すべきでないというのであり,加えて,被告人が自己の保有株式を売却した平成17年6月27日は原判示第2の有価証券報告書提出から約7か月後であって,提出日前営業日の終値は371円であったのに,それ以下の357円で売却しているなどという。
しかし,P2の大株主であった被告人は,本件犯行に至るまでに株式の時価総額を増大させ,ひいては自己保有株式の資産価値を増大させていたのであり,そして売却により多額の資金を得ていることは事実であるから,原判決はこの事実をとらえ,「結果的に,本件犯行による利益を享受しているといえる」とし,「量刑上看過することはできない」と説示しているにすぎないもので,是認できる。売却時期とか売却値を格別問題としている訳ではない。所論の〔6〕は理由がない。
最後に,所論の〔7〕は,原判示第1のP3の適時開示及び四半期開示について,原判決が「量刑の理由」の項において,「その利欲的な動機は強く非難されるべきである」と説示している点に関し,東証の規則により公表事項とされていたものであって,積極的に株価を押し上げようという意図があったものではなく,同種事案と比べて悪質ではないと反論するものである。
しかし,株式交換によるP5社の買収は,それによりP4ファイナンスが取得したP3株式を売却して利益を得,さらには,P4ファイナンスの親会社であるP2に連結売上計上することによって利益を得ようとの企てであったこと,その際P5社の企業価値を過大に評価してより多くのP3株式を取得しようとの目論見があったことも明らかである。
また,株式交換による企業の買収やその企業の業績が好調である旨を公表することが株価上昇に影響することは明らかであるから,実際に株価が上がった否かに関係なく,株価を押し上げようという意図があったことも否定できない。したがって,投資者保護という企業情報の開示制度の趣旨を考慮すれば,その虚偽性はそのまま悪質性に通じるというべきである。所論の〔7〕は理由がない。
その他所論が原判決の量刑理由について論難する諸点を十分検討してみても,是正すべきような誤りはないというべきである。
そうすると,被告人が,P2・グループのすべての役職を辞したこと,マスコミ等で本事件が社会的に大きく取上げられ,厳しい非難にさらされるなど,一定程度の社会的制裁を受けていること,前科前歴がないこと等,被告人のために斟酌すべき事情を最大限に考慮しても,本件が執行猶予に付すべき事案とまではいい難く,被告人を懲役2年6月の実刑に処した原判決の量刑は,その刑期の点においてもやむを得ないものであって,これが重すぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。
(中略)
平成20年8月5日
っていうことわざが日本にはある
これはどういうことだろうか
つまり、偉大な先人が『人を批判する人間の大半は、自分が批判しているものを自分の中に持っている』という真理に気付き、その真理を広めた結果、そのような真理に周囲の納得がいったので、このことわざが生まれ今の世まで生き延びてきた、ということだ
「地球温暖化防止には原子力発電を」--グリーンピースの創設者らが提言
有力ベンチャーキャピタル、Accel Partnersのゼネラルパートナーを務めるPeter Wagner氏は、原子力を動力とする自動車が10年後にはサンフランシスコの街を走っていると予測している。
原子力で動くといっても、Wagner氏が考えているのは間接的な利用形態だ。自動車に原子炉が設置されるわけではない--サンフランシスコで開催中の「Venture Capital Investing Conference」のパネルディスカッションでも、同氏はそう説明している。むしろ、石油の価格が高騰を続け、地球温暖化が日に日に悪化する現状を考えると、エネルギー源としての原子力について、米国民も容認に向かうはずだ、というのが同氏の見解だ。
Wagner氏が考えているのは、原子力発電により送電網に電力を供給し、この電力を使って各ドライバーが電気自動車を通常のコンセントから充電するというシナリオだ。また、ガレージの屋根にソーラーパネルを取り付け、これを使って充電することもおそらく可能だろうという。
「規模およびコストを考えたとき、(化石燃料消費の)上昇を押しとどめられる存在は原子力をおいてほかにない。原子力の復活は、当然の論理的帰結だ」(Wagner氏)
電気自動車は、実際に道路を走行しているものはまだほとんどないものの、少数ながら支持者を増やしつつある。なかには、ほぼ電気だけで走るプラグインハイブリッド車を趣味で造っている人たちもいる。また、新興企業のTesla Motorsは、オール電気のスポーツカーを7月に発売する計画だ。
とはいえ、原子力は政治の世界ではいまだに敬遠されている。また、一部の科学者は、地球温暖化対策として原子力を用いるべきではないとの考えだ。たとえば、憂慮する科学者同盟(Union of Concerned Scientists)は3つの問題点を指摘している。1つは核廃棄物の問題、2つ目は壊滅的な被害をもたらす大事故の危険性、そして3つ目は原子力発電所がテロリストの標的にされる危険性だ。それでも、最近になって原子力への注目はにわかに高まっている。環境保護団体Greenpeaceの創設メンバー、Patrick Moore氏も原子力に目を向ける1人だ。同氏はGreenpeaceを離れたのち、環境保護団体のGreenspiritを設立し、原子力発電を支持する姿勢を打ち出している。
その主張がさまざまな議論を呼んできたMoore氏は2005年4月、米国議会の小委員会で次のように証言している。「Greenpeaceも含めて、環境保護活動家の大多数は過激な方向に走り、周りが見えなくなっているように思う。その結果、米国の増え続けるエネルギー需要を満たし、エネルギー源を確保していく手段として原子力を利用すればそのメリットは非常に大きいことは明白なのに、この点を見落としてしまっている。米国が常に増大するエネルギー需要を満たそうとするなら、この国の原子力産業は活力を取り戻す必要があるし、成長の余地を与えられなくてはいけない」
※5年前の記事です。