20ミリシーベルト問題だが、実は放射線医学専門家は引き下げを主張したが、
文部科学省側が20ミリシーベルト維持を押し切った、という未確認情報がある。
真相は未確認だが、私見では「さもありなん」という気がする。
より深刻なんじゃないか、と思う。
「自分たちが気付きあげた教育メソッドこそ最高」と固執して方針転換が遅れたり、
他学会から「教育界の常識を否定」された際にも直視しなかったりする。
例えば「教室の天井高は高ければ高いほうがいい」と教育界では信じられてきて、
文部官僚は地方自治体から申請あった「天井高の規制緩和」をかたくなに拒否してきたが、
しぶしぶ埼玉県で認めたところ、「かえって天井高が低くした方が、児童は心理的に落ち着く」という
あるいは「教育効果を上げるには少人数教室が最善」と教育関係者(文部官僚も日教組も)は主張し続けているが、
経済学者から「少人数教室にすると、トップ層が切磋琢磨しなくなり、かえって全体の平均学力は落ちる」と
今回の件についても、文部官僚は「屋外での体育活動が重要」とか
「子を疎開させて親と別離することは精神的に問題」という「もっともらしい理由」で
「できるのであれば20ミリシーベルトを貫いて、中通りで極力平常どおりの教育をしたい」という思惑を貫こうとしている。
彼らは「体育活動が重要」「親子のコミュニケーションが重要」という「従来からの教育メソッドの固執」という発想しかできない。
緊急時には、それこそ体育授業の1年間停止とか学童疎開という非常手段も求められるのに、
そういう「従来の延長線上からかけ離れた措置」を文部官僚は非常に嫌がる。
前例踏襲主義、という点では、文部科学省、もっと言えば旧文部省こそ、「官僚の中の官僚」である。
福島の児童の不幸は、官僚の中の官僚に学校運営権を牛耳られたことである。