はてなキーワード: 無責任とは
東京オリンピック2020は、もはや盛大な失敗プロジェクトとその原因である無責任な機能不全の組織の象徴としてはインパール作戦に勝るとも劣らないものになっているが、小さいレベルでは、ここ80年(あるいはもっと前からかもしれない)のあいだ我が国につねに遍在していたのではないかと思う。
みなさんの身近なところにも、どうしようもなく硬直した組織、責任者の不在(そもそも責任概念の不在)、方向転換できないプロジェクト、現場へのしわ寄せ、その結果としての悲惨なプロダクト、不合理でブルシットな手続きや書式、そういうのがたくさんあるんじゃないでしょうか。
こういうのは「構造」の問題なので単純に特定の個人に責任を押し付けて「はい解決」というわけにいかないのはそうなのだが、とはいえ、そろそろ具体的に個々の人間にきちんと帰責していったほうがいいと思う。「誰のせいにもしない(みんなのせいにする)」のも「誰かのせいだということにする」のも、問題解決にとって無益という点では同じだ。
きちんと誰かに帰責するというのは、スケープゴートを作るということではない。最終的な意思決定者の問題ならその人に。意思決定の構造の問題なら、その構造を変えられる人に。マネジメントの問題なら、マネジメントのあり方を変えられる人に。当の問題にいろんなレベルで対処しえた人々をちゃんと特定し、その人々のふるまいのそれぞれがこの問題の(少なくとも部分的な)原因だということを明確化するということだ。
構造的な問題が帰責されるべき人たちはたいてい善良で無自覚だろうが(例外的に悪い人もいるかもしれない)、だからと言って無罪になるわけではない。複数人で責任が分担されているのであれば、その分担の度合いに応じて帰責されるべきだろう。「会議」で決まったことだから、「上司」に言われたことだから、と言えば責任がなくなるわけではない。会議で提案する権限や上司に進言する権限が多少でもあるのであれば、そのぶんだけ責任がある。
加えて、問題に気づいたときにそれを誰かに帰責する(つまりちゃんと誰かのせいにする)というのもまた、自分が関わっている組織やプロジェクトに対して個々人が持つべき責任だ。「社会を変えるためには投票に行こう」というのはその通りだが、「社会は投票を通じてしか変えられない」という考えは明らかに間違っている。身近な組織をよりよくするために「ちゃんと誰かのせいにする」ということは、投票以上に社会を変える実効的な行動のはずだ。
そういうわけで、以下の意識は社会に関わる全員が持つべきと思う。
これは上流下流を問わず、おそらくあらゆる組織のあらゆるセクションに言える。
今回の東京五輪の惨状に対して個人ができることはもはや何もないかもしれないが、身近にある小さい「東京五輪」を自分でできる範囲でよりよくするという意識が共有されれば、日本の社会は多少ましになるんじゃないでしょうか。
小山田の件が無ければ謝罪で済んだ可能性はあると思うんだよね。
それなりに昔の事だし、多分今の小林賢太郎がアレを新規にやらかすかと言われると相当疑わしい。
Twitter界隈でも、完全にアウトという人も勿論いるが、謝罪すれば辞任・解任までしなくてもいいだろうという人も、小山田の件とは比べ物にならないくらい多い。
この2018年は、共産主義の父といわれる哲学者・経済学者、カール・マルクスの生誕200年にあたります。出生地であるドイツのトリーアで記念式典が開かれ、青年時代を描いた映画が各国で公開されるなど、話題を集めています。
先月創刊した、古典・名著をマンガ化する新シリーズ「講談社まんが学術文庫」の初回刊行分にも、マルクスの主著『資本論』が入りました。近代資本主義が興隆する19世紀英国を舞台に物語が展開し、『資本論』のエッセンスを解説します。若い登場人物たちのドラマは楽しめます。
けれども、原作である『資本論』が不朽の古典として扱われることには抵抗を感じます。今からみれば、経済について完全に誤った考えに基づいているからです。
たとえば「等価交換」という考えです。マンガ版ではパン屋と八百屋が売れ残ったパンと野菜を交換し、その交換が成り立つのは互いの商品が同等の価値を持つからだと解説されます。
何となく納得してしまうかもしれません。しかし人が物を交換するのは、相手の物が自分の物と同じ価値を持つからではありません。もしそうなら、多くの買い物客がスーパーやコンビニを出たとたん店に引き返し、不良品でもないのに、買ったばかりの商品を返し、お金を取り戻そうとするはずです。同等の価値を持つことが交換の理由なら、商品とお金の交換を何度繰り返しても、人は満足するはずだからです。
しかし現実にはそんなことをする人はいません。買い物客は、払ったお金よりも買った商品の価値が大きいと思うからです。一方、店の主が商品を手放すのは、逆に商品よりもお金の価値が大きいと思うからです。
つまり交換が成り立つのは、同じ物(お金も物の一種です)でも人によって価値の大小が違って見えるからなのです。
ここからわかるのは、物の価値とは、それを作るためにかかった労働量などの客観的な基準で決まるのではなく、人それぞれの主観によって決まるということです。この事実は1870年代、オーストリアの経済学者メンガーらによって明らかにされました。経済学の歴史上、革命的な発見といわれます。
しかし、それ以前の世代に属するマルクスは旧来の考えにとらわれたままでした。1867年に全3巻のうち第1巻が出版された『資本論』は誤った古い考えによって書かれたため、つじつまの合わないおかしな主張が多いのです。「等価交換」はその一つです。
もっとおかしな主張は「剰余価値」です。マルクスは『資本論』第1巻でこう述べます。商品の価値はすべて労働によって生み出され、その価値どおりに市場で売買される。ところが資本家は商品を売って得た代金のうち、労働者には一部を賃金として支払うだけで、原材料費などを除いた残りは利潤として自分の懐に入れてしまう。いいかえれば、労働者が生んだ価値の一部には対価を払うが、残りの価値(剰余価値)には払わない。これは実質的な不払い労働であり、不当な搾取である、と。
これは商品の価値は労働によって決まるという、誤った考えから出発しています。実際には、商品の市場価値を決めるのは労働者の働いた量ではありません。消費者の心に基づく選択です。私たちは買い物をするとき、商品の製造にかかった労働量を調べたりしません。
もしマルクスのいうように商品の価値が労働量で決まるなら、大規模な設備を使い人手を省く資本集約型産業よりも、サービス業など人手を要する労働集約型産業のほうが利益率は高くなるはずです。しかし実際にはそのようなことはなく、長期ではあらゆる産業の利益率は均一化に向かいます。ある産業の利益率が他より高ければ、その産業に参入する企業が増え、価格競争が広がって利益率が低下するからです。
マルクス自身、『資本論』第1巻でこの矛盾を認め、あとの巻で解決を示すと約束しました。ところが第1巻を出版した後、なかなか続きを出さないまま、16年後の1883年に死んでしまいます。
あとを引き継いだのは盟友フリードリヒ・エンゲルスです。エンゲルスはマルクスの遺した草稿をもとに、第2巻を1885年に出版します。しかし矛盾の解決は示されませんでした。読者が不審に感じることを警戒してか、エンゲルスは序文で、解決は次の第3巻で示されると予告し、経済学者たちにこんな「挑戦状」を叩きつけます。この矛盾をどう解決するかわかる者がいたら、第3巻が出版されるまでに見せてもらいたい、と。
そこから9年後の1894年、残りの草稿やメモを取りまとめ、ついに第3巻が出版されます。エンゲルスはまた序文を書き、前巻での「挑戦状」に応えて多数の論者が矛盾について論考を発表したが、どれも的外れだった――と勝ち誇ります。それでは第1巻の刊行から27年もたってようやく出版された最終巻で、マルクスは矛盾をどのように解決したのでしょうか。実は、解決できなかったのです。
第3巻でマルクスは、商品の価値は投じられた労働で決まるという理論と、異なる産業で利益率は均一化するという現実は「一致しないかのように見える」と改めて述べますが、その矛盾の解決は示しません。その代わり、資本主義が発達した国ほど利益率の均等化が迅速に進むという現実を認めるだけです。これは結局、商品の価値は労働で決まるという第1巻の理論を放棄したものです。
メンガーと同じオーストリアの経済学者、ベームバベルクは1896年に出版した著書『マルクス体系の終結』で「マルクスの第3巻は、その第1巻を否認している」と指摘し、マルクスは解決でなくごまかしを示したという他の経済学者の厳しい意見に同意します。第1巻で述べた剰余価値の理論が間違っているなら、それに基づき展開された、資本家は労働者を搾取するという主張は根拠を失います。ベームバベルクは『資本論』を「カルタ札で組み立てられた家」、すなわち砂上の楼閣だと切り捨てました。
マルクスが第2巻以降を生前出版しなかったのは、この破綻が修復不能だと気づいたからともいわれます。そうだとすれば、学者としてかろうじて誠実だったといえるでしょう。
今の世界ではこうした経緯を無視し、マルクスを見直そうと無責任な声が高まっています。欧州連合(EU)のユンケル欧州委員長は記念式典に出席し「平等の実現のために力を尽くした」と功績をたたえました。
しかし20世紀の社会主義諸国崩壊が示すように、破綻した論理を土台に未来を築くことはできません。マルクスが話題となる今、それこそがかみしめるべき教訓のはずです。
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO3064412017052018000000
すばらしいまとめ。エンゲルスの隠蔽手法は百家争鳴論を思い出す。矛盾ばかりで骨格ができていない思想だったから、虐殺国家が生まれてしまったのだろう。
私達が欲しいのは「金」と「数字」であって、感想は別に求めてません。
それを理解していない消費者が多すぎるから苦言を呈させていただきたい。
何でこんな日記を書こうとしたのかというと、某匿名掲示板で「コンテンツについて不特定多数の人と楽しみを分かち合うことは普通に価値あることでは?」と言われて
あまりにも気持ちが悪くて吐きそうになったからです。その掲示板の流れの中の文脈で言うと、要するに、「作品を褒め合う馴れ合いのコミュニケーションに価値がある」と言われてたんですね。
もうね、馬鹿かとアホかと、小一時間問い詰めたい。
素人同士が書く作品の感想には、ハッキリ申し上げて「良い感想」も「悪い感想」もありません。
わかりますか?
「消費を促すコミュニケーション」に価値があるのであって、それが「楽しみを分かち合うこと」である必要性は全くないんです。
貴方達が何かを褒めていて、それが消費を促すならそれは価値があることです。
逆に、貴方達が何かを貶めていて、それが消費を促すなら、それも価値あることなんですよ。
文春砲だの何だのと言って他人のゴシップを語って他人を傷つけて、ネガティブなコミュニケーションが生まれようがなんだろうが、文春が売れてるならそれは価値があることなんですよ。
「不特定多数の人と楽しみを分かち合うこと」という馴れ合い自体には何の価値もありません。深く胸に刻んで欲しい。
数字は欲しいですよ。
何万RT、何万いいね、これは消費を促す傾向がありますからね。だからいいねとリツイートは欲しい。統計的に。
そういう意味で、「数字」は欲しい。でもね、感想は要らないです。
ハッキリと申し上げてしまうと、書き殴られた素人の方の感想を作品の軌道修正に使うことはあまりありません。
購入後のアンケートなどの意見は参考にしますが。SNS上のコミュニケーションは無駄なので観測していません。
ここから下は個人的な意見です。商売人としての意見ではありません。
何で今のインターネットって、正しく自分を卑下できない人がこんなに増えちゃったんですか?
みんながゴミだからいいんじゃないですか。世界の石ころが全部ダイヤモンドだったらダイヤモンドに価値なんてなくなっちゃいますよ。
匿名での意見や言葉というものに一切価値はない、という方が気持ちがいいじゃないですか。
『誰でもない何か』という最高の無価値を、何故投げ捨てようとする人が多いのか理解できない。
この世で無法というものは最も価値があるものなのに。素晴らしき自由と無責任を何故自ら捨てようとするのか理解できない。
そもそも、この世界で価値がある文章というものには全て値段がついています。このテキストに価値がないのと同じです。
つまんねーんだよ死ねカス作者どんな教育受けてきたんだ?というテキストと何万文字にも及ぶ誉め言葉は同価値で0円だということです。
本当に価値のある誉め言葉ならnoteでも何でも使って、有料記事にしてみればいいじゃないですか。
価値があるということは責任があるということです。有料のコンテンツにはその分の責任が発生します。
しかし、無料の感想なんてものには何の責任もいらないんですよ。それでいいじゃないですか。だから他人が自分の好きなコンテンツをけなしていても、それを修正しようとか思わなくていいんです。
クリエイターと消費者を繋ぐのは馴れ合いのコミュニケーションなんかじゃない。金です。
だからね、別にいいんですよ。別に作品をけなそうがなんだろうが金を払ってくれるならどうでもいいハズです。
万人に褒められるような作品を作るなんて責任負いたくないんですよね。息苦しくてやってられないですよ。
でもね、支払ってくれた金分はキッチリ楽しませますよ。それ以上の責任は負いたくないということです。動作不良修正以上のアフターサービスはクリエイターの保証外じゃないと嫌なんです。
褒められるために頑張るのではなく、金のために頑張る。これが一番素敵なことです。
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追記:はてなブログにも同じものを投稿しました。こちらのほうが読みやすいかもしれません。
https://bibokj.hatenablog.com/
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インタビュー中心の雑誌で、二二の時に創刊して、もう二年が過ぎた。
五年間顔を合わせたことのない隣人、
今は閃いたことを全部やるようにしている。
インタビューをしてると、
関係ないけど「スティービー・ワンダーは必ず綺麗な女を選ぶ」とか
そんなエピソードも大好きだ。
そんな僕にとって、"いじめ"って、昔から凄く気になる世界だった。
例えば
この会は新聞を発行していた。
確かに彼の髪は油っぽかった。
誰かが彼の髪にライターで点火した。
といった話を聞くと、
とか思ってドキドキする。
だって細部までアイデア豊富で、何だかスプラッター映画みたいだ。
僕自身は学生時代は傍観者で、人がいじめられるのを笑って見ていた。
ぶっ飛ばすポジティヴさを感じる。
「ディティール賞」って感じだ。
どうせいじめはなくならないんだし。
「頑張って下さい」とか「死ぬのだけはやめろ」とか、
嘘臭くて吐き気がした。
いじめられた側の人がその後どうやって
いじめを切り抜けて生き残ったのか、
昔読んだ『ロッキング・オン・ジャパン』の小山田圭吾インタビューを
思い出した。
自分が嫌でどうにかなってほしい
まず産んでほしいなんて頼んでないしこんな生き苦しい世の中に生まれたこと自体が間違いだった
産まれたくなかった
かと言って死のうと思うとそれはそれでお金も時間も労力もかかる
もしこの世にお金を払ったら誰にも迷惑かけずに死ねるサービスがあったら間違いなく利用する
いなくなりたい 誰からの記憶からも自分がいた痕跡すらも全部なくなって
迷惑をかけてはいけないっていう考えがずっと頭にあるし辛いのは自分だけじゃないっていうのも全部全部重荷でしかないのにその考えが頭から離れなくて
自分が辛すぎて抱えきれなくても他人に迷惑をかけてはならない、他人は私より辛いのだからって思い続けて
結局死にたさだけが募っていくしもう死んだほうが早い
何もない
どうしてこんな世の中に無責任にも人を生み出すのかが理解できない
その子のことを一生養っていくつもりもないのに
全部が嫌すぎる
どうにかして死にたい
選民思考じゃないけど世には生きていれば世の中にたくさん貢献できたろう人が死んでいく一方で
自分みたいに何もできない何もないようなのが生きているのはあまりにも理不尽
せめて生きたい人のために死にたい人が臓器移植して生きたい人は生きて死にたい人は死ねる制度とかがあればいいのにね
っていう投稿がきっと溢れてるんだろうなって思った
早く全部が終わればいいのに
Twitterに書こうと思ったけど
フォロワーとかに心配されるのも顔の知られている友達に見られるのも全部全部いやだからここに書いてしまった
早く死にたい
nanaminonanamino 京アニ事件の犯人は精神鑑定の結果完全責任能力が認められてるんでしょ。統合失調症に対する偏見を持っているのは増田の方だよ。
2021/07/21
https://b.hatena.ne.jp/entry/4705733946799076258/comment/nanamino
これとかもそうだけど、「差別を指摘するほうが差別」みたいなのはあまりものの役に立たない意見で、言う側のストレス解消くらいにしかなっていない。
作者はメインキャラクターを退場させるために、世間的な偏見を受けやすい属性と思しきキャラクターを使った。自然災害とかではなく。
それが一番手っ取り早かったからか、考えに考え抜いたからかわからないけど、とにかくそうした。
しかし受け手側だって、あれを見てその属性(病気)を連想する人がそれなりに数いるくらいには世間的偏見がある。そもそも取りざたされる事件の犯人だって、その病気じゃないのか?と検査される程度の“偏見”があるわけだろ。
どこかで誰かが釘を差す必要はあるよ。子供が読むときは保護者がそれをできればいいし、成人が読むときは、物語を楽しむ自分とは別の自分がそれをする。そしてそういうストッパーが期待できない読み手の可能性も考えておかなければならない。その結果がこれだ。逆説的には、指摘に対して反発する(自分の内面で解決できていない)人がいるから指摘が必要みたいな感じになっている。
作品中に「この物語には特定の病気を持つ方への誤った認識を助長するような表現がありますが~」みたいな現実に引き戻すメッセージを入れない代わりに、批判的視座を外部委託することで、ひとたび自分の好みの作品にケチをつけられたと認識するや許せないと思う感情を抑えられなくなる都合はよいが面倒な客の相手をしてもらえるんだから、作り手側は万々歳だ。それはそれで無責任な話だけど。
小山田さんのケースみたいに大きな仕事をやる際に、過去の失言や失態を理由に炎上する事が増えてきた。
炎上させてやろうと普段から虎視眈々と狙っている人物にとって、ターゲットとなる人物が社会的に注目を集めている時は絶好の機会だ。
通常の炎上とは比べ物にならない社会的ダメージをターゲットに与える事ができる。
逆に言えば一定以上の社会的地位のある人物にとっては戦々恐々というところだろう。
記憶の片隅にすら残っていない様な過去の行いが火種となり、人々が共有する無責任な正義感に引火する事でとんでもない火力の炎上案件になりえるのだ。
それが因果応報と言えるかどうかはさておくとして、なんとかそうなる前に対処したい、防げるなら防ぎたいと考えるのが人情というものだろう。
全くなんの瑕疵も無い清廉潔白な人物というのはそうはおらず、過去を遡っていけば大抵なんらかのやらかしは見つかる。
過去の価値観ではさほど問題視されていなかった事柄でも、現代の価値観では致命的な過ちとして扱われる事もある。
炎上を仕掛ける側はタイミングを選べるが、炎上を防ぐ側は事が起こってからしか対処できない。
となると炎上を仕掛ける人物を特定し。そういった人物を炎上させる、炎上まではいかなくとも発言の信用や信頼を毀損させる事が重要になるのだと思う。
「こいつの発言は信用できない」とネット上で評価される様にしてしまえば良いのだ。
世間では発言の内容よりも誰がそれを発言したのかが重要で、ネット上でもそれは変わらない。
信用されていない人物が他人の炎上の火種となる事は難しい(流石に小山田さんの様なケースは火種が大きすぎて炎上してしまうとは思うが)。
それが拡散する前に件の人物のアンチが現れ、その発言内容を無効化しようと動くからだ。
これもまた無責任な正義感の現れであり、人々の共有する無責任な正義感を如何に自分達に都合の良い形に留めおくかが重要になるのだと思う。
これからの時代は自分達を如何に良く見せるか? よりも如何に対立する相手を悪く見せるかが重要になっていくのではないだろうか。
日本よりもネット社会において先行しているアメリカの事例を見ても、これからは他者に悪を擦り付ける事を重視する時代がしばらく続くのだと思う。
障碍者を虐待していた小山田圭吾に五輪の音楽を担当させて、政府がそれを承認し、NHKがそれを放送するわけですから、誰にも迷惑かけてない大麻使用の芸能人すべてを復権してくれないとなー。
=引用ここまで=
今回は小山田圭吾の件で一丁噛みしている町山智浩ですが、大麻使用芸能人を擁護する程度に留まるだなんて、パトリック・マシアスにパワハラしていた頃の町山智浩にタイム電話で聞かせたら「オメエのtweetは退屈なンだよ! 一般人がオメエに訊きてえことはソコじゃねえだろ!」と怒鳴られるのではないでしょうか?
では、一般人が町山智浩に聞きたいこととは何でしょうか? それは、小山田圭吾のイジメ自慢インタビューを擁護する人間たちが口にする「90年代にはワル自慢、悪趣味自慢を許す鬼畜系ムーブメントとでも呼ぶべき風潮が存在した」という主旨の主張に関してです。
この鬼畜系ムーブメントの有無については、90年代当時に物心ついていた年齢の人たち同士でも、認識には差と言うかグラデーションがあるようです。ムーブメントそのものの有無について、私の個人的な見解を述べると「有った」という人の記憶も「無かった」という人の記憶も、半分づつ当たっていると思います。「有った」と記憶している人は、何らかの形でその狂った風潮とその産物に触れた人間で、「無かった」と記憶している人は、そのような狂った風潮に触れなかった人間というだけのことです。
個人的見解としては、鬼畜系ムーブメントは「限られた領域の、少数の人間による、小規模の狂ったムーブメント」と言っても構わないと思います。だから、あんなムーブメントに触れたからと言って別に偉くも何ともないですし、むしろ「無かった」と記憶している、鬼畜系ムーブメントに触れなかった人の方が正常なのですから安心して下さい。
こういう鬼畜系ムーブメントに触れたことによって「自分は他の人間とは違う!」と、己が偉くなったと勘違いした人間が何をするか知っていますか?一例を挙げると、何か「切り株映画はセカイのシンジツを描いている!」とか馬鹿なことを言うわけです。耳(目?)にタコが出来るほど聞いた、この"切り株映画讃歌"の決り文句を此処で持ち出したのは、別に牽強付会ではありません。
例えば、90年代の鬼畜系ムーブメント、悪趣味系アンダーグラウンド文化を象徴するような出版物として『危ない1号』という鬼畜系ムックがあります(このムックは、90年代の半ばから終わりにかけて発行)。その執筆陣の中には、町山智浩と柳下毅一郎の名前を確認できます。
また別の例を挙げると、一部の精神疾患罹患者が示す"電波"妄想及びそれに翻弄される彼らを、特殊漫画家・根本敬が「電波系」と呼び始め、面白コンテンツとして消費するような悪趣味な風潮を生み出したことは有名ですが、この「電波系」を面白がる風潮に乗っかって雑誌『宝島』『宝島30』でも記事を掲載したり、別冊宝島を出したりしていました。その頃、彼らの言う「電波系」に該当する人が店主として経営する喫茶店に行って、店主が示す奇妙な言動などを陰で嗤ったり面白おかしく記事にしていた人間の一人に、町山智浩がいます。宝島における根本敬の担当編集者は、町山智浩でした。また、根本敬のツテで「電波系鬼畜ライター・村崎百郎」という悪趣味なギミックによるデビューを果たした編集者・ライターの黒田一郎は、ペヨトル工房時代から柳下毅一郎の友人でした。蛇足ですが、根本敬は、嫌韓/嘲韓ムーブメントを生み出した張本人の一人でもあると私は思います。
ここで幾つか例に挙げたのは一部に過ぎませんが、90年代の鬼畜系、悪趣味系の系譜を辿れば、その中に旧体制『映画秘宝』の源流の一つが有ることは確かです。あるいは、悪趣味系のムーブメントを作り出したのと同じ人間たちが生んだものこそが、旧体制『映画秘宝』と言っても過言ではありません。
さて、今回ようやく小山田圭吾は断罪の火刑場に引かれていく羽目になった訳ですが、爆笑問題の太田をはじめ有象無象のギョウカイジンは、小山田圭吾、Rockin' on、Quick Japanを擁護する為に「90年代には悪趣味系が流行ってたという、時代の空気も考慮しないと」などと言っています。
これらの擁護を見た時に私が感じたのは、関東大震災当時の朝鮮人虐殺事件や、戦争当時の性暴力や虐殺のことについて「当時の時代の空気を考慮しないと」と言う人間を見た時に似た気持ちです。
百歩譲って、90年代当時「一般人」だった人間が言うならば、たとえ許容は出来なくても、まだ理解が可能です。90年代後半からはインターネットが少しずつ一般人に浸透し始めていたとはいえ、Twitterのような高い情報拡散性と手軽さを兼ね備えたSNSの普及以前には、まだ名も無き一般人が社会的な流行や風潮を生み出すレベルの情報発信を行うことは、事実上の不可能に近かったからです。また、虐殺事件などにおいて、武装した多数の暴徒を目の前にして怖じ気づいた一般人が、独りで立ち向かうことができなかったと告白・懺悔するのも、これもまだ理解は可能です。
しかし「90年代鬼畜系ムーブメントの流行」を根拠にして、小山田圭吾を擁護しているギョウカイジンの多くは、既に90年代にメディア活動、芸能活動をし始めていて「ムーブメントを作り出す、或いは、影響を与えることが可能だった立場の人間」ではないですか。「オレたちギョウカイジンは、お前ら一般人と違って、世間を動かせるんだよ!」という考えの持ち主だったはずです。例えば、爆笑問題の太田は、当時から過激な発言が売りだったのだから、得意の毒舌で小山田圭吾を「アイツ、イジメ自慢して格好悪いな!」とか攻撃することも、やろうと思えばやれたはずです。反権力的な言動がウリのミュージシャンや文化人も同様です。なのに、それをやらなかったのは、結局は彼ら自身の打算や保身が理由でしょう。ならば彼らは「90年代の時代の空気や風潮」のせいにするのではなく、せめて己自身の問題として「打算や保身、我が身かわいさから、自分という個人は、小山田圭吾の蛮行を批判せずに見過ごした」とハッキリ言うべきなのです。先に虐殺に立ち向かえなかった一般人を例に出しましたが、90年代当時のメディア関係者や芸能人が「当時の空気」と言い訳するのは、関東大震災当時に「不逞朝鮮人」などと世間を煽っていた官憲の人間が、いざ朝鮮人虐殺が起きたことの批判を受けたら「時代の空気が」と言い出すのと同じぐらいには無責任且つ卑劣だと、私は思います。
更に、小山田圭吾を擁護する人間たちを卑劣に感じるのは、彼らが小山田圭吾のしていることを勝手に「過去の話」にしようとしているからです。私は「していること」と書きました。そうです。あの暴力事件を犯して以来、そして雑誌インタビューによって一般人に広く認知されて以来、小山田圭吾は被害者に対して謝罪も償いもせず、謝罪や反省を促す一部のファンからの真摯な声さえも無視し、逃亡し続けているのですから、これは「したこと」ではなく「していること」つまり「終わってしまった過去の話」ではなく「継続している現在の話」です。小山田圭吾の盟友である中原昌也も、小山田圭吾のしていることを「あの頃は」と「終わってしまった過去の話」にしようと画策した卑劣な人間の一人です。渋谷系って本当にダサいですね。石原慎太郎を罵倒することは出来ても、オトモダチのギョウカイジンの悪さは批判出来ない、そんな自称"反権力"作家は、毎朝鏡を見て恥ずかしくなったりしないんでしょうか。
長くなったので、今回は一旦ここまでにします。
オリンピックの開会式の楽曲を担当する小山田圭吾さんの過去のいじめ(という名の凄惨な虐待)が
世間に渦巻く東京オリンピックへの反感に引火して、大炎上を起こしている。
今、世間はオリンピックを歓迎してない。おもてなし出来る雰囲気ではない。
特に首都高1,000円増しなどの政策はオリンピックに関心ない都民にも負荷をかけるので、
このオリンピックは佐野研二郎氏のロゴパクリ疑惑、森喜朗氏の女性蔑視発言などしょっちゅう炎上事件を起こしている。
この先の展開は全部同じで、組織委員会が本人に謝罪か釈明をさせて、続行とするが、それでは不十分と再炎上、
次々と追撃されて、損害がどんどん拡大し、圧力が限界に到達して、辞任させざるを得なくなる。
オリンピック組織委員会は問題を過小評価してしまい、損切りができない。
小山田圭吾氏もこれから海外報道に飛び火して、最終的には圧力が限界に達して、切るしかなくなる。
一方でトヨタはオリンピックCMを放送しないという決断を下した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/29eb18c22249c6022a450750d97dd9dbdbb34035
既に東京オリンピックに莫大な広告宣伝費を投入しているにもかかわらずだ。
この判断の速さと正確さには舌を巻く。
そもそも東京オリンピック自体損切りしてしまえばよかったが、膨大な投資をしてしまったので、その判断ができなかった。
「国民の生命を守るためにオリンピックを中止する。この決断の信を問う。」と解散総選挙してれば菅義偉さんでも勝てたかもしれない。
おそらく秋の総選挙は都議選の二の舞だろう。強力な政府がいなくなり、不自由するのは国民の方だ。
小山田圭吾さんについてだが、30年以上前に彼と彼の仲間がいじめ(というのなの凄惨な虐待)を行っていたのは事実だろう。
彼のインタビュー記事からは知的障害者への強烈な軽蔑が感じられる。自分より劣った弱い人間に対して、当時としても傷害罪に当たるような虐待を行っていた。
そのことを成人後に雑誌で誇らしげに語っていたのは、確かに90年代の時代背景もあるだろう。
過去の事件を現代の価値観から断罪するのは不当という意見もわかるが、やはり当時としても犯罪行為だろう。
東京オリンピックの開会式の楽曲担当という彼のミュージシャン人生の最高到達点(何故彼なんだという議論は置いておく)で
30年以上前の知的障害者へのいじめで、大炎上し、彼を選考した広告代理店の担当者、オリンピック組織委員会、彼の協力者に
莫大な迷惑をかけながら、最高到達点から最低到達点に引きずり降ろされるだろう。
個人的に人生の貸し借りは最終的には解消されると思っている。言わば小山田圭吾さん10代に行った知的障害者への虐待という”巨大な借り”は
50代の人生の円熟期のまさにピークで返済を迫られているわけで、イソップ童話のような話がまさに展開している。
彼はとんでもなく苦悩しているだろうが、まさにそれは人生の貸し借りの返済を迫られているものであって、
今回の事件にどのように対応するかは小山田圭吾さんの人生の可否に通ずると思う。
(追記)
小山田圭吾氏の留任 組織委があらためて強調「貢献は大きなもの」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b4e4e3d2c6ffe2798f060409602ebfc621c5f059?tokyo2020
これは悪手だな。「高い倫理観を持って創作活動するクリエーター」という表現がとても良くない。
倫理観がないから、こんなことをしてるんじゃないかとツッコまれるし、
結局、小山田圭吾さんを切るまで際限なくダメージが膨らむ。大会は数日後なのに。
何でこんなに運営が拙いんだろう。
トイレで出産したら母親だけが逮捕されて世間からも母親だけが無責任だと叩かれ、いや父親の責任は?なんで父親の責任はスルー?みたいな話がこんなところにも、と驚いたよね
反出生界隈、なぜ私を産んだ!なぜ産んだくせに責任を取らないのだ!って、ずーっと母親の責務ばっか言ってるのよ。父親への言及と比較すると圧倒的というレベルじゃないくらい多い。父親マジ空気
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 107 | 16282 | 152.2 | 64 |
01 | 60 | 10391 | 173.2 | 58.5 |
02 | 48 | 9162 | 190.9 | 64.5 |
03 | 63 | 7622 | 121.0 | 40 |
04 | 66 | 7877 | 119.3 | 66 |
05 | 69 | 10033 | 145.4 | 47 |
06 | 80 | 9284 | 116.1 | 46.5 |
07 | 71 | 6076 | 85.6 | 42 |
08 | 55 | 6418 | 116.7 | 50 |
09 | 54 | 5755 | 106.6 | 80.5 |
10 | 125 | 12347 | 98.8 | 40 |
11 | 113 | 12789 | 113.2 | 48 |
12 | 196 | 18803 | 95.9 | 42 |
13 | 184 | 21192 | 115.2 | 48.5 |
14 | 190 | 17287 | 91.0 | 42.5 |
15 | 260 | 24961 | 96.0 | 31.5 |
16 | 190 | 16898 | 88.9 | 41 |
17 | 187 | 23178 | 123.9 | 37 |
18 | 122 | 8769 | 71.9 | 34.5 |
19 | 127 | 13820 | 108.8 | 40 |
20 | 152 | 25895 | 170.4 | 38.5 |
21 | 170 | 16052 | 94.4 | 41.5 |
22 | 233 | 13365 | 57.4 | 30 |
23 | 215 | 17055 | 79.3 | 44 |
1日 | 3137 | 331311 | 105.6 | 41 |
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