オリンピックの開会式の楽曲を担当する小山田圭吾さんの過去のいじめ(という名の凄惨な虐待)が
世間に渦巻く東京オリンピックへの反感に引火して、大炎上を起こしている。
今、世間はオリンピックを歓迎してない。おもてなし出来る雰囲気ではない。
特に首都高1,000円増しなどの政策はオリンピックに関心ない都民にも負荷をかけるので、
このオリンピックは佐野研二郎氏のロゴパクリ疑惑、森喜朗氏の女性蔑視発言などしょっちゅう炎上事件を起こしている。
この先の展開は全部同じで、組織委員会が本人に謝罪か釈明をさせて、続行とするが、それでは不十分と再炎上、
次々と追撃されて、損害がどんどん拡大し、圧力が限界に到達して、辞任させざるを得なくなる。
オリンピック組織委員会は問題を過小評価してしまい、損切りができない。
小山田圭吾氏もこれから海外報道に飛び火して、最終的には圧力が限界に達して、切るしかなくなる。
一方でトヨタはオリンピックCMを放送しないという決断を下した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/29eb18c22249c6022a450750d97dd9dbdbb34035
既に東京オリンピックに莫大な広告宣伝費を投入しているにもかかわらずだ。
この判断の速さと正確さには舌を巻く。
そもそも東京オリンピック自体損切りしてしまえばよかったが、膨大な投資をしてしまったので、その判断ができなかった。
「国民の生命を守るためにオリンピックを中止する。この決断の信を問う。」と解散総選挙してれば菅義偉さんでも勝てたかもしれない。
おそらく秋の総選挙は都議選の二の舞だろう。強力な政府がいなくなり、不自由するのは国民の方だ。
小山田圭吾さんについてだが、30年以上前に彼と彼の仲間がいじめ(というのなの凄惨な虐待)を行っていたのは事実だろう。
彼のインタビュー記事からは知的障害者への強烈な軽蔑が感じられる。自分より劣った弱い人間に対して、当時としても傷害罪に当たるような虐待を行っていた。
そのことを成人後に雑誌で誇らしげに語っていたのは、確かに90年代の時代背景もあるだろう。
過去の事件を現代の価値観から断罪するのは不当という意見もわかるが、やはり当時としても犯罪行為だろう。
東京オリンピックの開会式の楽曲担当という彼のミュージシャン人生の最高到達点(何故彼なんだという議論は置いておく)で
30年以上前の知的障害者へのいじめで、大炎上し、彼を選考した広告代理店の担当者、オリンピック組織委員会、彼の協力者に
莫大な迷惑をかけながら、最高到達点から最低到達点に引きずり降ろされるだろう。
個人的に人生の貸し借りは最終的には解消されると思っている。言わば小山田圭吾さん10代に行った知的障害者への虐待という”巨大な借り”は
50代の人生の円熟期のまさにピークで返済を迫られているわけで、イソップ童話のような話がまさに展開している。
彼はとんでもなく苦悩しているだろうが、まさにそれは人生の貸し借りの返済を迫られているものであって、
今回の事件にどのように対応するかは小山田圭吾さんの人生の可否に通ずると思う。
(追記)
小山田圭吾氏の留任 組織委があらためて強調「貢献は大きなもの」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b4e4e3d2c6ffe2798f060409602ebfc621c5f059?tokyo2020
これは悪手だな。「高い倫理観を持って創作活動するクリエーター」という表現がとても良くない。
倫理観がないから、こんなことをしてるんじゃないかとツッコまれるし、
結局、小山田圭吾さんを切るまで際限なくダメージが膨らむ。大会は数日後なのに。
何でこんなに運営が拙いんだろう。