はてなキーワード: バーリトゥードとは
それも初期や幕間の霊界探偵 浦飯幽助のノリを求めちゃってるわ~~~~。
かぁ~~~~~っ折角っ冨樫先生が帰ってきたのに、ハンタの気分じゃないわ~~~~。
死後強まる念だよ。
呪霊だよ呪霊。
呪力でちゃんとトドメを刺さなかったせいで呪霊になってジャンプ読者を呪ってるとしか言えないね。
かぁ~~~~~~っとんでもねえ「恩返し」があったもんだわ。
これはもう完全に意識してるよね。
アンサーソングも良いところだよ。
それこそ幽☆遊☆白書連載終了から今日までの芥見下々という一読者の物語の終局でしょ。
これぞまさに始まりと終わりのプロローグからの終わりと始まりのプロローグであり、ザ・ライトスタッフのTHE RIGHT STUFFというわけですよ。
いや~~~~~~本当さあ1億部のファンレターとしか言えないような何かだけどさ~~~~~~それでもハンタと入れ替わりでこれかよっていう。
つうか作中で「先生と入れ替わりかと思った」「つーかもういいっしょ」とか言わせてるもんな~~~~。
入れ替わりとかじゃなくて世代交代ですよみたいな感じですかね?
か~~~~~~~~~っそれでやることがハンタ連載再開直前に読者のフィールを霊界探偵編に合わせてくるとか「怨返し」だろコレは~~~~~。
ハンタは今もうバリバリに魔界編みたいな状態なのに、そこで読者が霊界探偵的なのを求めだしたらもうチグハグだろ~~~~~~~。
凄いな~~~~~~~~~師匠を超えたいから正々堂々ではなくバーリトゥードで迎え撃つってことかよ~~~~~~~~~~~~。
芥見下々~~~~~~~~~~~~~やべぇ~~~~~~~~~~~~
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20240920/1726843365
これをヨイショするってことは
法華狼の基準とやらが
寄り添うのと随分と違うんだな
すっかり鳴りを潜めましたあん気取り乙
「ナイーブ過ぎると認めるべきだと思うよ」いまいずこにおわす?
結果にミエナイキコエナイ或いは悪し様にみなして踏みにじってヨロシサンダルォ
罷り通る世界線でマラサイ天秤気取っていたりはするまいねちらほらぞら…
それは転落斜面の屑天秤じゃあないのか?
バーリトゥードを出したり引っ込めたりではなあ
https://anond.hatelabo.jp/20230725231257
まず、日本語の「ミステリ」というのは挑戦状という意味なんですよね実質的に。
推理小説・ミステリー小説といった表現を使う場合は、「ミステリ」を含めるけどそうじゃないものも含んだ集合になる。
推理小説でない「ミステリ」もあって、数学の問題文の如く脚色を一切排除して「このような事件があった場合、5W1Hはどのようになりますか?」とだけ問いかけた場合は小説としては成立しないけど「ミステリ」としては成立する。
ミステリの世界において「禁じ手」と呼ばれるものがあるのは、それが読者と作者の戦いであるから。
もしもこれが単なるエンタメであったなら、「面白いなら何でもあり」となるけど、ミステリはエンタメであると同時に勝負でもあるので、そこにフェアプレーの精神が求められる。
もちろん試合形式としてバーリトゥード(なんでもあり)を採用しているミステリもあるけど、それは事前に共有していなければいけない。
ボクシングの試合中にキックをしてはいけないけど、キックボクシングの試合なのにキックが卑怯だと言ってるならそれは言ってる側の頭がおかしい。
ミステリで重要なのはこのルール部分をどこまで共有できているかなんですよ。
このゲームはこういうルールで行いますという宣言が上手で、それをちゃんと守った上で読者の裏をかけるミステリがいいミステリ。
館シリーズが評価されているのは「ルールの提示の上手さ」と「ルールの中で型を破ることの上手さ」の二つなんですね。
ミステリを読むときに意識したいのが「語られてもいないものを勝手に思い込むな」というものがあります。
これが本当に重要。
ミステリの書き手というのは「如何にして嘘をつくこと無く読者を騙すか。もしくは嘘をついた上で『見破れなかった俺が悪い』と読者に思わせられるか」を競っている節があります。
思い込みの激しい読者というのはこれと相性が悪く、すぐに「いやこれはルール違反だろう」と口にしてしまうんですが、それだと楽しめないのがミステリなんです。
手品を見に来て「本物の超能力者だと思って信じていたのに」なんて騒ぎ出す客がいたら迷惑ですよね?
たとえばこの増田は「これ書いてる増田はミステリ全然読まないのね。」と言ってるんですけど、これって元増田のどこにも書いてないんですよね。
書いてないはずのことを自分の思い込みで書いてある前提にしてしまう。
これだとどんなミステリを読んでも「いや今のは反則でしょ。ウチの島じゃノーカンだから」と憤慨するだけに終わりかねない。
ミステリの面白さというのは「自明」と「予断」の隙間にものを挟む遊びのようなものなんですよ。
この増田みたいな早とちりがちな物の見方をしてしまうとそれを楽しむのがかなり難しくなりますね。
そこを注意してもう一度十角館の殺人を読んでみて欲しい。
今すぐじゃなくて20年後ぐらいでいいですよ。
トリックを忘れた頃にでも。
言うなれば漫☆画太郎の作品に「これ作者は脳の病気なの?」ってケチつけるようなもんでしょ。
ニセコイも僕勉も倫理観と論理的思考が完全にガバった登場人物と世界観の中でちょっとエッチでドロドロの恋愛模様が展開されるが、登場人物全員脳みそがぶっ壊れているので地獄のような世界の中ではハッピーエンドで終わるというラブコメの王道作品だ。
そもそもラブコメっていうのは元々頭がおかしいジャンルなんだ。
性別が逆転する温泉の存在やら範馬勇次郎や拉麺男と戦えそうな格闘技の存在なんぞより、登場人物のぶっ壊れた価値観(特に倫理観!)の方にヤバさを感じるはずだ。
狂ってなければラブコメではなく、頭がおかしくなければ成立し得ない。
考えてみれば当たり前だ。
ラブコメとは無数の多角形が織りなす複雑怪奇な地獄の恋愛模様を、青春という免罪符の一言で笑えるなにかとして昇華しようという奇妙奇天烈な文化なのだから。
リアリティショーやバチェラーのようにその下世話差に対して自覚を持ってなどおらず、コメディであり漫画であり愛の力が全てを解決するのだから綺麗なのだと言い張るバーリトゥード。
生き残ったものだけが正しく、死んでいったものには慈悲の欠片も与えられない。
そもそもコメディとは冗談で誰かを傷つけ世界を破壊するのが日常のジャンルである。
ラブコメとは蓮阿というセンシティブ人間関係においてコメディを持ち込むというジャンルなのだから、そこには人間の持ち合わせるありとあらゆる倫理など一欠片も残っていないのだ。
断言しよう。
ラブコメを描けるのは、人でなし・狂人・サイコパス、この3種類のどれかだけだ。
ラブコメに真っ当な倫理を求めること自体がそもそも間違っているのだ。
ラブコメは倫理観を捨て去ることを作品の根底においたジャンルなのだ。
コロコロコミックでうんこちんこが出てくるのを衛生観念の欠落だと本気で怒っても仕方がないだろう?
同じことだ。
描いている人間は人間らしい感情を漫画に持ち込もうなんて気持ちはとっくの昔に捨てている。
常識に乗っ取り、読んだ人間が立派な人格の持ち主になれるようになんて1ミリも考えていない。
ラブコメ漫画家とAV監督だったらまだ後者のほうが「たとえ創作物の中でも人間からうばっちゃいけない最後の尊厳ってあるよな」って気持ちを持ち合わせている人間の率は高いだろう。
分かったら「NOT FOR ME」の旗印のもとに巣に帰るがいい。
4ヶ月前、僕は合同誌の誘いを受けた。
内容はSさん原作のアンソロジー本、ようは「うちの子二次創作合同」だ。少しイヤミっぽい書き方だが作品名をボカす為、何卒容赦いただきたい。
「うちの子」とは大抵の場合その人が創った一次創作キャラクターの事である。それの二次創作本を原作者主催で作るのだから公式アンソロジーと呼べるかも知れない。
かなり内輪ネタ感はあるがSさんとリプライを交わしたこともない自分に声がかかったのは意外だったし嬉しかった。
数年前にHPにあったイラスト、ショートストーリーに強く惹かれ何枚かファンアートを書いたことがある。それを見て招待してくれたのだという。
自分の作品が見られ評価されるというのは創作者にとって一種の麻薬である。僕は気分が高揚するのを感じながら了承の旨を伝えた。
自分で言うのは変だが僕は二次創作が得意だ。真骨頂と言ってもいい。
映画、小説、漫画、動画、あらゆるコンテンツを見ても一番最初に考えるのは「自分ならどんなストーリーを作るか」だ。
原作者が組み上げた土台の上で自分の思うがままにストーリーを展開させるという楽しみ方。オリキャラを出すわけではないのでメアリースーとは違うと思う。
子供の頃から日常的にやっていた事だが、多種多様な作品を見てネタの引き出しもバラエティに富んだ今、考え出すと止まらなくなる。
久しぶりに物語を読み返し、設定を思い出したところで僕の頭の中では無数のアイデアが浮かんでいた。
シリアス系、ギャグ系、まったり系……どれも捨てがたいが一番得意としているギャグで行く事にした。
構成を整える為、メモ帳に思いついたネタを書き出していったのだが珍しく指が止まった。
僕はネタ出しの際、とにかく頭の中のものを全て出し切ってから取捨選択を行うので何故この段階で固まっているのか自分でも分からなかった。
最後に入力した行を見返した時、自分の異常さに無意識のうちに反応したのだと理解した。
ニュアンス的には銀河鉄道999のメーテルが「行くわよネジ!」と言っているようなネタだった。
Sさんの作品は人の生き死にが関わってくるシリアス系の作品だ。こういった作風に対する二次創作ではブラックユーモアや軽いノリを入れるのが僕の好みだった。
商業で展開してる作品(同人だが東方Projectも含む)の二次創作を行っていたときは気にしていなかったが、ここで初めて原作者の存在を思い出した。
このネタを見たとき、Sさんはどう思うのだろう。怒るだろうか悲しむだろうか。
自分が原作で主催の合同誌だ。載っている作品は全て見るだろうし、第三者からしても「Sさんはこの人の作品を認知している」という事になる。
それは僕にとって非常に不都合だ。
今までやってきた二次創作は原作が手の届かない大手だったからこそ自由にやれていたのだ。
少々グレーではあるが二次創作者は同人即売会などでひっそりと本を出し、原作サイドは見て見ぬふりをする。この暗黙のルールに僕は守られていた。
だが今回は違う。原作者に認知され、認知されたことも認知される。同人であって同人ではないのだ。
二次創作ということに変わりはないが僕がやっていた二次創作とは全く異なるものである。
咲の天江衣が手足を折られている絵も描いた。東方のミスティアローレライが呪歌を歌う本も描いた。
原作ファンから嫌悪感を抱いたコメントをもらった際は「嫌なら見るな」のAAと同じポーズをして全く気に留めなかった。
何故なら悪意を持って絵を描いているわけではないからだ。後ろめたさや罪悪感は微塵も無い。
ただ思いついたから描いただけ。絵のメッセージ性を考察するだけ無駄だ。何も考えてなどいないのだから。
思い返すと僕は一次創作をやった事がない。だから一次創作者、原作者の考えが分からない。
以前エヴァンゲリオンの最終章を観に行ったが映画館を出て考えたのは二次創作のことだ。
作品が織り成す表現、意図、メッセージは頭になかった。ただボケっと観ていただけで精々CGのクオリティにビックリしただけだ。
その後暫くするとYouTubeに考察動画がアップされ、それを観て理解した気になった。作品の深みが分からないまま。
一次創作において一番大変なのは世界観、キャラクターの設定だと思う。優れた設定さえあればほぼ自動的に物語が出来ていくというのを作家の誰かが言っていた気がする。
Twitterで見たのは複数のキャラクターを何もない部屋に閉じ込めた時、どういった反応を示すかが瞬間的に思いつく作品は優れているというものだ。
自分の好きな作品をいくつか試してみたところ面白いようにキャラクターが動き出す。個性豊かで磐石な設定が築かれている証拠だ。
個人の感性が関わってくるので同じ作品でも結果が異なるのは当然だがキャラクターの性格上ありそうなアクションを起こすはずだ。
何もない部屋ですらちょっとした物語が始まるのだから二次創作というバーリトゥードでは無限に話を広げられるだろう。
二次創作しかしてこなかった僕は一次創作における土台の作り方を知らない。コツなどではなく根本的なものから知らなかった。
やっと絞り出した設定を見返しても有名作品の劣化コピーか、足して割ったような歪なキメラで作品としてのまとまりが無い。
他人の作品を利用して楽な工程だけやっていたから至極当然の結果と言える。
僕は感受性、0から創りだす発想力に乏しいのかもしれない。曲がりなりにも長いこと創作活動を行っていた人間が創作に向いていないとは皮肉なものだ。
つい最近ニコニコ動画で面白い作品を見つけた。『【クッキー☆ボイスドラマ】魔理沙とアリスの自己矛盾☆』という動画だ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm36353098
例のアレ、と呼ばれるジャンルのクッキー✩という作品をテーマにしているらしい。
時が流れるにつれ変化していく界隈や情勢を風刺したドラマ、だと思う。
元ネタの名前こそ聞いたことはあるものの、詳細は知らないので内容に関してはあまり理解できなかった。
ただ主人公の女の子が二次創作ならではの悩みと葛藤するシーンに少し共感を覚えた。
元々一次創作を行っていた女の子が、甘い誘惑に誘われ二次創作に手を出すところから物語は始まる。
作品の看板を借りるだけで今まで伸び悩んでいた絵の閲覧数が増えたことに気を良くした主人公はどんどんと沼に嵌っていき、二次創作に依存していく。
ある日描いた絵を見返すのだが「本当の自分が描いた絵」が一つも無いことに絶望し二次創作からの脱却を図る…という話。
特に主人公が序盤で一次創作をしていた時は左利き(ペンを左手で持っている)だったのに、二次創作を行うようになってからは右利きになり、
クライマックスでの本当の自分を取り戻したシーンでは左利き(マイクを左手で持っている)に戻ったりと主人公の心情が視覚的な対比として描かれていたのが印象的だった。
動画は立ち絵を手や足などの細かいパーツに分割し動かす切り絵アニメーションをメインで使っているようだ。
小規模の制作グループで45分以上あるアニメを作るなら確かに合理的である。それでも膨大な手間暇がかかっていることに違いはないが。
今まで見てきた作品とは違い、鑑賞後は何も考えられなかった。ある意味生まれて初めて心の底から作品を楽しめたのかもしれない。
コメントを見る限り様々な小ネタが含まれているようで理解できなかったことが一層悔しく思う。知っていれば多角的に楽しめるのかもしれないが今の僕には十分面白かった。
作品の表現、演出一挙一動に注目し、感想が出てきた事に自分でも驚いたのを覚えている。僕にとってそれくらい強烈な体験だった。
これまで僕がやってきたのは作中の言葉を借りるならば「安易な二次創作」に該当するだろう。中身がなくハリボテみたいな創作だ。
話を戻すがSさんの合同誌の誘いは断ることにした。昨日謝罪のメッセージを送信し納得してもらった。自分の無責任さと幼稚さで迷惑をかけてしまったこの事は二度と忘れないだろう。
僕なりに考えたが健全な創作には感情が必要なのだと思う。嫉妬、欲望、勿論熱意でもいい。プラスでもマイナスでも構わないから感情という名の原動力がいる。
問題はそれが狂気的でなければならないことだ。中途半端な嫉妬心、欲、熱意では筆を折ってしまうだろう。イカれてるくらいがちょうどいいかも知れない。
そして健全な二次創作には矛盾が付きまとう。原作設定との矛盾、創作においての矛盾、先程挙げたコミケの暗黙のルールだって本来は矛盾している。
その矛盾を上手くコントロールしバランスを取らなければ良い結果には繋がらない。狂気がエンジンで矛盾がアクセルブレーキ、どちらも故障したらダメだ。
狂気と矛盾、この二つを安定させられる人間はほんの一部しかいないと思う。筆を置いて時間が経たないとやる気が出ない人がほとんどだ。
僕はRTやいいね数はどうでもいいと思っているし、フォロワー数が数万人の絵師に対して特に何も思わない。原作は二次創作のツールとしか思ってないし考えなしに描きまくった。
だから失敗した。こうなってしまった。自分が創作活動で過ごした日々は空白だったのだ。
あなたの二次創作はコピーペーストを繰り返したパロディまみれになってませんか?成人向けなら自分が好きな性癖を詰め込めていますか?本当に創りたいものが創れていますか?
二次創作には二次創作だけにしか味わえない面白さ、奥深さがある。創作に携わる人間なら知っているはずだ。
ただ楽しいからといって自分を見失ってはいけない。思考を止めてはいけない。創作者としての軸を保ち続けなければならない。
サンジャポの女子ボクシングに対する張本発言が炎上しているようだ。
しかし、批判派の一部が言うように選手を馬鹿にしているようには見えない(リスペクトもないけれど)。
張本くらいの年代の人たちは「女子供は男が体張って守れ」という倫理観を叩きこまれている世代だろうし、その倫理観と齟齬が起きて困っている感じに見える。
あの発言からすると、彼には女子ボクシングが「小学生同士のバーリトゥード(馬乗りパンチ流血で決着)」みたいな競技に見えているんだろう。
もし、未来にそういう競技が始まったらはてなーも困惑するんじゃないか?(今は小学生の自己決定能力がどーので大人の女性のボクシングと区別できるが、未来もそうかはわからない)
河村市長の態度は女性を頭から自分のパフォーマンスの道具扱いしていたが、張本発言は彼の倫理観的には落ち着きが悪いくらいのボヤキだ。
女がボクシングなんて生意気だとかではなく、痛々しくて正視できないのになぜ「喜んでみている人」がいるんだ!?みたいな戸惑いだろう。
時代に合っていないし、一言謝罪は必要だろうし、女性を勝手に庇護対象扱いするのは河村の感性と地続きではあるんだけれど、さすがに同列に並べるのは違うだろうと思う。
というより、他の格闘技のほうが圧倒的に少ない。
実は総合格闘技の漫画はないわけではなく、有名所で『オールラウンダー廻(格闘団体『修斗』の空気感を強く反映している)』、マイナーで古臭い『格闘太陽伝ガチ(『PRIDE』時代の空気を色濃く反映している)』などがあり、未読のものでも『鉄風』、『ハナカク』等があるらしい。しかしほとんど無名でしかも数が少ない。
例えばなぜ総合のスタンディングは間合いが遠いのか、という視聴初心者にはまるでわからない問題から、テイクダウン(相手を倒す所作)タックルの入り方、入ったあとの攻防でどう立ち続けるか、などスタンディングから寝技に入るまですらいくつかの段階がある。寝るともっと細かい。しかしこれだけでは理由にならない。何故ならボクシング漫画にも細かな攻防が散りばめられてるし、こうした細やかさは『はじめの一歩』を皮切りにしてその後の漫画で通例となっている。例えば右ガードを上げっぱなしにして直ぐに左の返しを打つ、縦拳でねじ込むなどの試合を見るだけではわからないテクニックが盛り込まれる。
特に初心者の場合、総合で寝技に入ったあと困惑しがちだ。「この人達なんで抱き合ったまま動かんの?」が一般的な感覚だろう。漫画にする際に一番問題なのがこの地味さだ。ともかく総合のグラップリング(組技)のビジュアルは地味に尽きる。よほどの実力差がないときれいに腕とったかと思ったらそのまま頸動脈を締めてフィニッシュ、なんてことにはならない。ダラダラと抱き合って時々ポンポンと叩いたかと思ったらまた起き上がる、の繰り返しだ。人気が出にくいのも無理はない。しかしその地味な中で選手は常に目まぐるしく考えている。ハーフガードから足を抜いてサイドを取って、裸絞か腕十字の二択をかけながらバックチョークを狙い、更にこの中間にパウンドを挟んでゆく、という思考ゲームを繰り広げる。故に柔術は才能や瞬発力より学習と反復であると言われており、特に能力のうち努力の比重が高い(もちろんフィジカル面において足が長いほうが有利、体重差は関係するなどの条件は一応ある)。こうしたほぼ見えてこない攻防は柔術教習系のYouTubeを何度か見ることによって初めて理解されるものであり、そうでない限りはまるでわからずに試合が過ぎてゆく。漫画でこれを再現するには動きのないシーンをずっと続けなければならない。つまり決定的に漫画やアニメに向いていない。総合を漫画やアニメにする場合、両者が軽量級で締めや関節の攻防がスピーディーに繰り広げられるという目まぐるしい展開を技と作らなければならない。
ボクシング漫画は効能がわかりやすい。こう殴ればこう効く、こう殴ればジョルトカウンターだ、といったビジュアルでの説明がそのまま通用する。ボクシングが思考ゲームではない、頭は使わないと言ってるわけではなく、見た目がわかりやすいのだ。
しかし総合は微妙な違いを上手に絵として伝達しにくい。試合ですらわからないのに、同じビジュアル重視の漫画・アニメで十全に理解されるわけもない。
実は今日のYouTube界ではもはやボクシングのほうがマイナースポーツ扱いである。畑山・竹原・渡嘉敷のご三方が出演するチャンネルも総合格闘家の朝倉未来をゲストに迎えてやっと跳ねるという具合で、井上尚弥以外は完全に下火だ。京口紘人の防衛など一般人はほぼ知らない。
が、いわゆる格闘技と言って未だに思い浮かぶのはボクシングないしプロレスである。なぜなら総合格闘技興行である『PRIDE』が外資に買い叩かれて空中分解し、『K-1』が財政破綻で解体された後、日本の格闘シーンには長い空白期間が存在したからだ。後にキックボクシングなどが日の目を見ることはなかったし、K-1の再生と『RIZE』や『KNOCKOUT』と神童・那須川天心の訪れを待ち、更には『THE・OUTSIDER』『RIZIN』の登場を待たねばならなかった。一般市民がプロレスとボクシングが格闘技だという認識を持つほどに、格闘技は忘却されていたのである。
総合格闘技の知名度は『RIZIN』次第になってしまったが、これからというところでコロナが襲いかかってきた。試合は国内の選手だけに限定され、海外の強豪と試合をするチャンスは潰えた。また、同時に国内のバンタム級王者マネル・ケイプが海外の総合格闘技団体大手の『UFC』で連敗するという事態が起こり、今もまた危機的状況にある。
こうした浮き沈みの激しさから題材化する事が大変難しい。キックの場合でも再生した現『K-1』の安定からメディア化の波が起こってもおかしくはないが、ルールがいわゆる肘ありと首相撲ありのムエタイルールとは程遠く、漫画化するにしてもキックの代表格として扱うには難しく感じられる。
総合は細かすぎる技の数々、見た目の地味さとわかりにくさ、競技人口の少なさとマイナーさなどが相まって漫画家が難しい分野である。キックはボクシングと同じく題材化しやすいものの、マイナースポーツ感がさらに強い。
ちなみにタイトルからして『メガロボクス』を思い浮かべた人も多いだろうが、ボクシングと言うよりボクサーの生き様が焦点であり、今回は語らなかった。『メガロボクス』単体なら長文を書けるほどに好きだが。
追記01:競技として完成されつつある総合格闘技と古き良き異種格闘戦はだいぶ毛色が違う。細かく言えば総合の始まりであるバーリトゥードと今日のMMAは別物と言っていいし、ストリートファイトと総合格闘技もだいぶ違う。そんな意味で刃牙は異種格闘戦あるいはストリートファイト的だし、総合の範囲を広く取りすぎると述べたいテーマから逸脱する。『エアマスター』はストリートファイト的な上にファンタジーが多く、リアリティよりも勢い重視なので総合漫画とは言えないし、修羅の門もファンタジー(技についての意味)武術漫画で総合とは無関係だったり。
けして上記漫画がつまらないと言ってるわけではなく面白いと思う。ただ総合じゃないよねと。あと『史上最強の弟子ケンイチ』に触れてなかったけど、詳しくないのに言うのも気が引けたし、『ツマヌダ格闘街』は読みたいけど読んでなかったのでほんとすまん。
追記02:柔道漫画を上げる人がいるけど、柔道と柔術じゃグラウンドの攻防がまるで違う。そしてMMAの柔術と競技柔術でも全く違う。競技漫画として柔術と柔道が比肩するという意見は的が外れている。
続き
でも、顔の印象は春信からかなり変わったのがわかるかな?
出世作は、現代風にいうなら、昆虫図鑑、鳥類図鑑、貝図鑑的な写生もので(狂歌(和歌のパロディ)が入ってたんだけど)、その精巧なスケッチは博物学的にも価値がある。
お化けの絵の師匠から、写生でヒット、で美人画の大家になる、というのは浮世絵の世界ならではな感じで、普通、伝統的な日本画だったら、一派の画風を継ぐのが弟子の役目で、勝手に画風を変えるなんて許されないものだが、そこは画家ではなくイラストレーターたる浮世絵師、バーリトゥードで売れそうな絵にどんどん転身していく。
https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc156956
だいぶパッチリ系になってきたのはわかるだろうか。
指の感じもふくよかで、儚げな印象はもはやない。
みんな同じ顔なのに、表情がある。
なぜ同じ顔なのに表情が違って見えるのは、自分には今でもなぜだかわからない。
キャプテン翼みたいな感じだ。
みんな同じ顔だし、喜怒哀楽も同じ顔、それなのに、キャラの区別も表情の区別も出来る。
まず、富士びたい。
江戸の男性陣は生え際フェチで(今でも日本画は生え際にこだわりがあるらしい。個人的にはどうでもいいんだが)
ひたいは狭めで、台形がいいとされていた。
富士びたいをベジータひたいと勘違いしている人が多いが、正しくは、逆台形(ソリコミのヤンキー)の逆である。きれいな台形の額ということである。
あと、歯並びも重要だったらしい。
現代において、正しい噛み合わせとされているのは、上の前歯が下の前歯よりもわずかに手前にかぶさるのが理想らしいが、江戸時代の美人は、上と下の歯がピッタリか、若干下の前歯が手前にくるのを美人とされていたらしい。
そういえば、欧米人には八重歯の可愛さだとかアヒル口の可愛さが理解できないという話を聞いたことがある。
変な歯並びや口のかたちに萌えたりするのは江戸時代からの伝統なのか。
次に、若干マイナーなところで、鳥高斎栄昌をあげる。
歌麿と同様にドアップが多いのと、あと自分が単純に好きだから。
https://data.ukiyo-e.org/met/images/DP142137.jpg
栄昌は鳥文斎栄之という絵師の弟子で、鳥文斎栄之はすごく品がある慎ましやかな女性を描いたのだけど(栄之に比べたら、歌麿が清楚系といってもせいぜい素人JD、栄之のそれはお嬢様)、これまた師の画風とは一転。
(これを執筆しながらわかってきたのだけど、自分は素人もののAVが好きらしい)
このころ、だいぶパッチリ目になってきた。
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc221599.jpg
アニメ絵っぽくなってきたのがわかるだろうか?
お次また少しだけ時代進んで渓斎英泉
キーワードは「デカい頭」、「猫背」、「生活臭」、「睫毛すごい」
上睫毛もした睫毛もボーボー、小さい目を少しでも大きく見せようと、ゴキブリの脚みたいに太い付睫毛をつけまくったJKみたい。
浮世絵と萌え絵が同じ進化をたどっているなら、萌え絵の行きつく先はブス専のように思えてならない。
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/exhibition/2014_yositosi_kunitika/01.jpg
http://morimiya.net/online/ukiyoe-syousai/ukiyoe-images/yoshitoshi/itasau.jpg
それぞれ画題は
「けむそう」「いたそう」
ちょっと前に困り顔メイクがブームになったが、時代は繰り返すのかな。
それ以降については、浮世絵は日本画家(芸術として認知された人々)の系譜とイラストレーター(挿絵画家、広告画家)の系譜に分かれていくのだが、後者についていく。
俺が好きなのは油絵や日本画じゃなくて、版画なので。江戸も明治も大正も昭和も、芸術より商業印刷が好きだ。
有名どころで、竹久夢二
このころになると二重瞼が多くなってくる。
竹久夢二というと、女性の社会進出の象徴的な絵を描いているわけで、
ここでエロ談義ばかりですっかり忘れてたけど、女性の社会進出=快活=二重瞼説に戻す。
しかし、江戸時代でも役者絵(男性の絵)は、ものによってはけっこう写実的なところがあり、最小の線ながらも、顎の丸みやエラの張りかた、小鼻や頬の膨らみかたがわかったりするのだが
(もちろん、それがいいというわけではない。完全にデフォルメしてる絵や、本人無視で理想象で描いてる絵もある。歌舞伎堂艶鏡あたりはかなり写実的。東洲斎写楽なんかはデフォルメしてるものの、ちゃんと顔の膨らみは想像できる。)
女性の顔となると、江戸から明治大正にかけて、ずっとずっと平面の中にしか存在できない顔だなと思う。
顎の膨らみがどうなっているのかわからないし、チークは入っているのに、頬骨のでっぱり具合がさっぱりわからない。
フィギア化がすごく難しそう。
ほぼ同時期にこの手の絵の祖と思われる人があと数人いたんだが、名前を思い出せない。
近くを見ているような、遠くを見ているような、瞳の焦点が微妙にあってないのは、浮世絵の役者絵(男性のね)に近い気がする。
とまあ、瞼が二重か一重かはとにかくとして、眼でモテる方法を教える。
黒目、とくに瞳孔部分が大きいほど、モテるらしい。
黒目が大きいほど、柔和で優しそうにも、セクシーにも見える。
漫画なんかでは、催眠術にかかったような描写のときに、光彩と瞳孔を区別しないで描かれたりする。
古くは、アトロピンという薬剤を点眼することで、瞳孔を広げて美人に見せる術があったとかなかったとか。
薬剤なんか使わなくても瞳孔を広げる方法がある。
簡単に言えば、暗がりである。暗がりで美人に見えるのは、そのせいらしい。
逆にいえば、カラーコンタクトは最悪だね。
せっかく瞳孔が広がっても、レンズの模様のせいでそれが見えない。
あと最初の頃に戻るけど、一重なら、セクシー系を目指したほうがいいと思うな。
日本人は、すごく面食いなようで、内面重視というか、外見によく合致した内面を求めるというか。
まあ、そんなこんな。
模造品ビジネスのことだけじゃないぜ。
いや、それだって凄いけど。
たとえば、中華系企業が役員とか顧問とかにアメリカの元政治家を起用するとかさ。
そんでもって下請けのブラック企業とそこの労働者まるごとアフリカに輸出して、開発援助の見返りに独占契約っていう名の資源強奪とかさ。
しかもそれが元国営企業だったとか聞くと、もうクラクラするよ。
死刑囚つかって新薬の臨床実験とかやってるのって、アメリカと中国くらいだろ。
既存のジャンルでこれだもん、ITとかバイオとか、前例も法も追いついてない分野でアメリカ企業対中華系企業のガチ喧嘩がみれると思うと胸熱だよ。
よくよく考えたら増田って自分で使うの初めてだなあ。とりあえず本当に特に取り留めのない事を取り留めのない文体で改行もせず雑々と。
はてな使い始めて幾年か経ってはいるけれど、未だに「はてな村」なるモノが一体どういった物体で何処に存在するのか全く分からない。
いやまあ分かった所でどうなるって事も無いし何となく得よりも損の多い事柄な予感がするのでなんともいえないのだが、ブクマとか巡回してたりとかするとちょいちょい耳に入ったりはするのでどうにも気になって仕方がない。聞く所によるとバトルブロガーなる戦闘民族が集まっていて日がな公開日記であるはずのブログを使って議論討論暴論……とは名ばかりの「高度なボキャブラリを使用した口汚い批判」を繰り返しているとか何とか。完全に風の便りとか風説とかだけの印象でだけの話だけど碌な場所な気がしない。しかし「はてな村」とか堂々と名前が付くぐらいにははてなの中でとても重要な位置を占める場所なんだろうなあとは思うし一度は拝んでおきたい。いやいやもしかして自分が気付いてないだけでもう既に実ははてな村の領土内に入っているのかもしれない。知らんけど。一体どこからがはてな村で何処からがそうでないのか全く一切合切皆目検討もつかないが、道端の所々で「otsuneは見ている」とか看板が立ててあったりするしこうやってどこかで何でも良いからくっちゃべってればその内村民の誰かが村の所在を口滑らせて喋ってくれるのではないかと期待してのことだったりはする。……いやさ、自分でもブログは持ってるんだけどさ、弱小ブログで記事かくよりも増田で書いた方が絶対反応もらえるじゃん?何のためのブログなのかっつー話ではありますけども。
いやさ、村民に絡むことが出来たらそりゃあもう僕の知名度も鰻上りだと思うわけですョ。そもそも匿名である増田の反応でも上手くいけば有名ブロガーの目を引いて戦争に持ち込む事ができるわけですし。というのもなんか分かんないけど定期的に青二才なる人物と増田の誰かとの間でたびたびブログの体裁をとったストリートファイトが行われているのを見て思っただけなんですが。主題が何なのか全く分からないのでどっちが正しいのかとか知らん。青二才先生が名実ともに青二才なのかもしれないし、増田さんがただの高分子粘着質なアンチってだけな気もしないでもない。もとい、基本部外者なのでどっちでも良いっちゃあ良いんですが、多分にああいう「文字を使え、後は特にルール無用のバーリトゥードだぜっ!」みたいな環境とやらがはてな村の正体なんだろうなあなんて考えると無視したら村への道が閉ざされてしまうし寧ろココは積極的にお二方の邪魔でもした方が良いんですかね。もとい。
後はほぼ知らない。ファッ……ハックル先生とかは何気に中の人がかの有名なドラッカーが云々の著書なスキンヘッドの某氏だと聞くしコレはもう取り入っていけばはてな村どころかテレビ出演も夢じゃないんじゃないすかね!?それはないか!
……大体全部勢いで書いたけど、まずもって村の人間じゃなくて普通の人間から文体でドン引きされそうなのでコレはないな。いろんな意味で。