はてなキーワード: デザインとは
増田はそこまでデザインの仕事が好きではなかったんだろうな。本当に好きという情熱を持っていれば、下手だろうが辛くなろうがこれしかないって立ち直って続けられる。環境を変えてでも。
年は全国126校の学生から、581作品の応募があったなかで、最優秀賞に選ばれたのは、宮崎県の高校生、ショタさん(16)だ。
https://anond.hatelabo.jp/20211215104424 の続き
前述の通り騒動は運営の火消しも仁藤氏の撤退も早かった。結局当事者たちはバックレてるだけだが、まあ結果オーライだ。温泉むすめ騒動は私にとって理想に近い場所に軟着陸した。
この度初めて温泉むすめの基本設定や各キャラのプロフィールを読み込んでいった。まあ相当にボロボロだ。日本神話や神社制度にほぼ知識がない人が作ったであろう神さま設定。師範学校が何をする場所か知らずに命名してるっぽい温泉むすめ師範学校。各温泉むすめのプロフィールも泉質などとリンクさせているのは玉造温泉とか嬉野温泉などほんの一部で、大概は観光ガイドから抜き書きしたような観光地情報で大喜利をやっているだけだった。素人の仕事かと思ったら、プロデューサーが温泉ソムリエだと知って二度びっくりした。もう少し真面目にやってほしい。
ただ、ゲームアプリでそこまで練られた設定を目にすることもないので、温泉むすめの設定が特別ひどいということはないだろう。さいわい温泉むすめは実際の温泉地との結びつきも強いし、温泉地からのフィードバックも貰ってプロフィールの補強がなされていけばいいと思う。
この温泉むすめプロジェクト紹介ページの中で、私が気になった、いやはっきり気に入らない文言がある。
温泉むすめの物語の概要を紹介する段落の後ろに加えられた。“なお、温泉とお酒は切っても切り離せない関係のため、年齢不詳である神様であればお酒は飲めるだろうとして神様の設定が考案されました。” という一文だ。神さま設定の前に酒が先にあった。
すぐ直前に、温泉むすめは“人間と同じように赤ん坊として産まれ、温泉の源泉のように地域の人たちに大事に守り、育ててもらいながら、人と同じように歳を取っていきます。” とある。全然年齢不詳じゃない。人に取り上げてもらって産まれ、全員誕生日も判明してる。だいたいお酒を飲んでもいいのは成人であって年齢不詳の少女じゃない。
温泉むすめは全員例外なくセーラー服を着ているので、イラストは明確に「セーラー服を着た女子学生」として発注されている。飲酒設定が先にあるのに何故そんな未成年と誤解させるデザインにしたのか。アサヒビールのCMの乃木坂46おとな選抜でも誰も制服は着ていない。お酒とは切り離せないのに何故温泉むすめを未成年アイドルとしたのか。
“温泉とお酒は切っても切り離せない関係”とされている根拠も分からない。
温泉施設付属のレストランで見かける家族連れのお父さんもバイカーの爺さんもロードバイクのおっさんも山奥の現場帰りの兄ちゃんも酒なんか飲んでいない。ビールを飲んでいるのはバスで温泉に来ている高齢者の団体くらいだ。
環境省や大学などの温泉地の選択や温泉地での過ごし方を問う調査でも、温泉へ行くのに酒を目的とする回答はほとんど見られない。料理、温泉の効能、ロケーション、が温泉に望むことのほぼ全てだ。
温泉利用者調査で男女に有意差があるのは、男性は日帰り温泉利用が多く、女性は滞在型の利用を好み旅館の設備を気にすることなど。温泉の泉質や効能を気にするユーザー層は男女同程度で、男性も美肌の湯を指向して温泉に来る。グルメ、スイーツへの興味も男女同程度で、男でも酒よりスイーツを欲しがる。ユーザーは温泉に酒を求めていない。
温泉むすめは少女でなければならなかった。温泉むすめには飲酒させなければならなかった。
その結果、神さま設定が考案され、人間の少女には許されない行為が温泉むすめには許されるようになった。日本神話風ファンタジーワールドを構築するその動機が、温泉むすめから人権を奪うことだったと、その一文で思いきりぶっちゃけている。その文がなくても説明ページは完了していたのに。
私は、温泉むすめを使役する人には温泉むすめをタレントとして扱ってほしい。神さまでもいいけど、人間と同じように大事にしてほしい。神さまに祭り上げる代わりにろくでもないことを押し付けるんじゃ軍神と変わらんじゃないか。仁藤氏が指摘したような炎上プロフィールも同じで、私にはあれはアウティングにしか見えなかった。何で事務所提供の紹介欄にネガティブな情報を書かれなきゃならないんだと。
温泉むすめはフィクションの存在で何を書かれても何をされても実際には傷つく人はいない。温泉むすめの存在しない人権を守ろうとすることで、温泉むすめで商売をしている人たちの権利がないがしろにされていると主張するオタク論客たちがいるが、露悪にも程がある。技能実習生が来なくて商売上がったりの農園や工場かよ。
温泉地において、飯坂真尋や小野川小町は商材でもお店の備品でもなかった。我が町のアイドルとして扱ってくれたし、温泉むすめを盛り上げよう、応援しようという熱も浴びた。推しがいることの喜びと、新しいことを始めているという大きな自負を感じた。温泉むすめのコアファンとの交流は出来ていないが、彼らも温泉むすめを消費するだけのユーザーではないと信じている。行く先々の温泉地で先達の温泉むすめファンたちのマナーの良さ、情熱について聞いていたからだ。これはおっぱい出せばチョロいオタクが飛びつくなんてコンテンツじゃない。
私は藤沢を舞台にしたアニメが作られるたび江の島へ行く。「きみの声をとどけたい」を見て、「青春ブタ野郎は ゆめみる少女の夢を見ない」を見て、そのたび江の島へ行き、島の茶屋あぶらやに「TARI TARI」のノートがまだ残っていることを確認する。新しい聖地を巡ることも楽しみだけど、いつまでも作品を覚えてくれている人のいる場所を辿ることもまた楽しみだから。
温泉むすめにも人の思い出になる力があると思っている。会ったことのない温泉むすめに出会うことも楽しみだけれど、飯坂真尋には来年も、五年後も、十年後も会いに行きたい。
私は、温泉むすめが、温泉ユーザーに温泉の泉質や効能の情報を提供し、温泉地の歴史や観光地、施設の案内をして、レストランやカフェ、名産品のナビゲートをしてくれるインフラになることを願っている。パネルに付いたQRコードを読めばマップや風景画像、声優の音声ガイダンスに繋がるなんてあれば楽しいじゃないか。初めて訪れた温泉地でも温泉むすめを見つけることが出来れば安心できる、そんなアイコンになってほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20211215104205 の続き
半年の間を置き、2021年3月9日、駅メモ!の新たなイベント「駅メモ!で巡ろう!観光大使温泉むすめの温泉街」がスタートする。アプリは死んでも温泉むすめは死なない。
小野川温泉、松島温泉、飯坂温泉、鳥羽温泉郷、南紀勝浦温泉、湯村温泉を巡るミッション。しかも今度は温泉地の最寄り駅だけでなく、温泉街まで足を運んでいくつかのポイントを踏破しなければならない。手に入るユニットは小野川小町、松島名月、飯坂真尋、鳥羽亜矢海、南紀勝浦樹紀、湯村千代。さらに8月6日、三朝温泉の三朝歌蓮、玉造温泉の玉造彗が追加になった。
この新イベントの温泉むすめは全員が温泉地の公認キャラになっており、温泉地では駅メモ!とのコラボキーホルダーも販売されている。こちらから探しにいかなくてもパネルもグッズも待っていてくれているのだ。前回の駅メモ!コラボ開催時は、有馬、道後、尖石(台湾)しかなかった温泉地公認を一年で6か所増やし、さらに次の一年で層雲峡、湯原、湯郷、奥津、三朝、塩原、玉造、松江しんじ湖と8か所増やしている。運営の機動力がやっぱりすごい。
だいたい騒動中に巷間で出回っていた「5年以上続くプロジェクト」「多くの温泉地から公認」「観光庁の後援」などのフレーズは相当な過大広告で、半数くらいの温泉むすめはここ一年くらいの間に温泉地に突如出現したキャラでしかない。
むしろ、世間に浸透していくのはこの先のことだろう。公認はまだまだ増える。
温泉むすめ巡りを続ける。まずは新温泉町の湯村温泉へ。温泉観光協会で湯村千代のパネルを撮影し、キーホルダーとタオルを購入。パネルには「湯村温泉観光大使」のたすきがかかっている。流石は公認キャラ、貫録を感じる。湯煙でけぶっている街を歩き足湯に浸かる。ここは吉永小百合の「夢千代日記」で有名な温泉地なので吉永小百合の銅像の写真も撮り、ドラマ資料館である夢千代館を見学。ドラマの風景を再現した展示場で、湯村が胎内被曝者である夢千代の街として新温泉町と広島市との友好の橋渡しとなり、吉永小百合の平和活動の大きなバックボーンとなっていることを学ぶ。最後に薬師湯で温泉を使い帰路につく。
次は南紀勝浦温泉。南紀勝浦樹紀のパネルは、レンタサイクルの並ぶウッドパネルのオシャレな観光案内所ではなく、古ぼけた温泉旅館組合の事務所内に設置されている。この温泉むすめにも「観光大使」のたすきがかかっている。パネルの横には驚くほど多種の南紀勝浦樹紀グッズが並んでいる。つい最近コラボが始まったばかりのはずだが本当に機動力がすごい。勝浦は冬のまぐろ祭りや太地町の落合記念館で落合専用ガンダムエクシアを見学するなど何度も訪れているので観光はあっさり済ませる。勝浦漁港のカフェでまぐろバーガーを食べて、年期の入った建物の天然温泉公衆浴場はまゆで温泉を楽しんで帰る。
鳥羽温泉の鳥羽亜矢海は、鳥羽駅そばのショッピングモール鳥羽一番街にいた。キーホルダーは隣接するレストラン兼農産物水産物の直売所である鳥羽マルシェで購入できた。一緒に伊勢茶と伊勢米とアジの干物とカキとサザエも買う。鳥羽の温泉にはあまりいい思い出がないので代わりに松阪で温泉に入って帰った。
鳥羽亜矢海のデザインはみんな大好きメリーちゃんの牛木義隆さんで、肌色成分多めなのにスポーティさが支配する健康的なデザイン、リボンやスカートの裾に入れた和柄紋、ダイビング由来の手の込んだ小物、結い上げた長い髪を下ろせば大きく印象を変えられそうな変身の余地も作って、本当に最高の仕事だった。海の街のご当地キャラデザインとして傑出した完成度がある。鳥羽はあまり好きな街ではないが鳥羽亜矢海だけは推せる。
松島温泉には車で訪問した。松島観光協会でタクシードライバー姿の松島名月のパネルを見て、福浦橋から福浦島に渡り松島の風景を楽しんだ。温泉は日帰りで利用できる芭蕉の湯という施設を選んだが、松島名月のパネルは主に海沿いの旅館に設置されていたようで結局出会えたのはタクシードライバーバージョンだけだった。
去年「凪待ち」の舞台探訪で石巻に行ったけど、松島の温泉はスルーして作並へ行っていた。松島名月のおかげで松島にも温泉があることを知られてよかった。
小野川温泉には米沢駅からバスで向かった。小野川温泉も以前は存在を知らなかったので、訪れる機会をくれた駅メモ!と温泉むすめには感謝しきりだ。この街は有馬温泉以来の街ぐるみで温泉むすめを活用している場所だった。至る所にポスターやポップがある。訪問スポットに指定されていた甲子大黒天には小野川小町の絵馬もあった。共同浴場滝の湯でクソ熱い湯に浸かり、キーホルダーを販売している名湯の宿 吾妻荘を訪れるとここにも当然小野川小町パネルが設置されている。もう嬉しくなってしまった。
いくつかの施設の人と話してみても、みな小野川小町に好感を持ってくれており、また温泉むすめが目的で訪れた私に対してもとても親切に対応してくれた。ただ、小野川小町よりもつい最近小野川温泉で大々的なロケを行った江頭2:50の方が遥かに街の人々に愛されているとも感じた。まあ、美少女もいいけど江頭と比べられたらやっぱり負けちゃうよな。
飯坂温泉では“最高の温泉むすめ”飯坂真尋に出会う。福島駅から飯坂線に乗ると列車が既に温泉のれんをかけた車両でテンション上がる。飯坂温泉には5年ぶりくらいの訪問になるが、駅を降りた瞬間から飯坂真尋の吊看板、観光案内所にも当然飯坂真尋。街中の旅館もロビーではなく玄関先に飯坂真尋のパネルを設置している。自販機には福島県の温泉むすめのラッピング。数えきれないほどのポップ。10を超えてからは数えるのを止めた。街が一変している。
飯坂真尋ほど地域の愛を一身に受ける温泉むすめを他に知らない。飯坂真尋は他の温泉むすめと比べて特徴的なルックスではないが、その分アレンジが利かせやすくどんな衣装でも着こなせてしまう。その特性を最大限に活かして、飯坂温泉の数えきれないほどのスポットに様々なコスプレをさせた飯坂真尋ポップが溢れている。
飯坂温泉は町出身のオリンピック選手か紅白歌手かのように飯坂真尋を訪問客に誇らしげに紹介している。アニメの聖地などではあまり見られない現象だが、飯坂真尋に限っては東京のオタクよりも飯坂温泉の住人の方が遥かに飯坂真尋を愛している。二年ほど前に借りてきただけのキャラのはずなのにどうしてこんなことが起きるのか。
宇奈月温泉がももクロに染まるのは理解できる。ももクロの熱には魅了されて当然。でも、同じくらいのテンションで飯坂真尋に熱狂する飯坂温泉はちょっと理解の外にある。
自分の好きなアニメキャラを普段アニメを見なさそうな人たちが同じように好きになってくれる様子を見るのが聖地巡礼の楽しみのひとつでもあるが、今日初めてその姿を見る飯坂真尋が多くの人に愛されていることを知って、同じように嬉しく思う。こんな経験は初めてだった。
芭蕉も浸かったという鯖湖湯の隣の鯖湖神社には飯坂真尋のイラスト絵馬がたくさんかかっている。小野川町の甲子大黒天を思い出す。超愛されてる飯坂真尋。でも、よく見るとイラスト絵馬の半分は塩原温泉観光協会プロジェクト88メンバーよりとか書かれてる。互助会だった。塩原温泉グリル三笠軒オーナーは飯坂真尋でなく自分の似顔絵を絵馬に描くナルシスト。鬼怒川温泉が近いせいで塩原温泉は行ったことなかったけど、近いうちに那須塩原の温泉むすめにも会いに行こうと思うよ。グリル三笠軒にも寄ろうと思うよ。
愛宕山の温泉神社前から飯坂温泉の街を眺め、旧堀切邸を見学、八幡神社を参拝、鯖湖湯のクソ熱い温泉に浸かってすぐまた波来湯のクソ熱い温泉をはしごし、ラヂウム最中とラヂウム玉子をお土産に買いこんで、地酒「摺上川」の4号瓶を購入して水郡線で水戸に着くまでに全部開けた。ここ飯坂温泉にはまた必ず来るだろう。
8月に三朝歌蓮、玉造彗が駅メモ!に実装されるとまた早速出かける。前日は皆生温泉で温泉を使い境港で海鮮丼を食べて松江のビジネスホテルに投宿。翌朝玉造温泉に向かい観光案内所で玉造彗のパネルを撮影、キーホルダーを購入する。駅メモ!勢が訪れる以前からも玉造彗ファンは相当数足を運んでいたようで、案内所の人も慣れた様子だ。その後、玉造温泉ゆ~ゆという洋式便器のような形状の施設で温泉を楽しみ、三朝温泉に向かう。
途中、琴浦町の道の駅で「琴浦さん」グッズが復活していないことを確認して、青山剛昌ふるさと館を見学、倉吉でお土産の梨を買ってから三朝温泉を少し通り過ぎて三佛寺投入堂を参拝、一人では崖の上のお堂まで行けない決まりなので行き会わせた年配のご婦人二人とチームで崖を登る。取って戻して三朝温泉、街には射的のある娯楽場、向かいには右翼の事務所、橋の方に向かうと大綱引資料館などという建物もある。小さな銭湯たまわりの湯で温泉に浸かり、観光案内所ほっとプラ座で「みささ温泉観光大使」のたすきをかけた声優サイン入り三朝歌蓮のパネルの写真を撮ってキーホルダーを購入する。
三朝歌蓮は儚げな美少女キャラで可愛いのだけれど、その隣に立つ「宇崎ちゃんは鳥取で遊びたい!×三朝温泉」の宇崎花と赤羽根健治のパネルの方が観光案内所の雰囲気にはマッチしていた。今更だけどやっぱり温泉に制服姿は似合わないわ。
しかし、観光案内所で最も強いインパクトを残したのは、三朝歌蓮でも宇崎花でもなく、三朝温泉マスコットキャラクター湯けむり怪獣ミササラドンだった。有袋類の怪獣らしくお腹のポケットに赤ちゃん怪獣も入っている。こいつが三朝温泉の温泉むすめでも良かったのに。ミササラドングッズはタオルとストラップとシールを買う。
ほっとプラ座には他の温泉地の温泉むすめの缶バッチも売られていて、ご婦人方が入れ替わり立ち代わり缶バッチを熱心に見ていた。本当はご当地キティを探していたのかもしれない。
その後、鳥取市のビジネスホテルに泊まり、翌朝すなば珈琲に寄って砂丘に寄って岩美町で「Free!」の聖地巡礼をして余部鉄橋見て帰路についた。
その後も、駅メモ!と関係なく修善寺透子、高山匠美、白浜帆南美、十津川飛香と出会ったり、別府や奥飛騨では温泉むすめパネルの存在は知っていたけれど設置場所まで足を伸ばすのが面倒でスルーしたりした。それが今年10月までの話だ。
つづく
コメント読むまで作文乙、と思っていたが、なるほど、脳梗塞系の身体的な変容があったとすると、あり得ないことではないのか…。
クリエイティブの職場での実感としては、デザインを手慣れることは良くも悪くも身体的な習慣を手に入れることと一緒で、一度習慣になってしまえば、意識的に変えなければ同じようなアウトプットができてしまうものだと思っている。
てか、◯◯税という言い方自体なんか気持ち悪いんだけど、言うて月6,248円でしょ?
確かに年72,000円程度と考えると高いと思うかもしれないけど、昔に比べれば随分安くなったし手も出しやすくなったと思うよ。
だって昔はPhotoshop単品が10万円くらいしてたのが今じゃフォトプランとか言って1ヶ月1,000円でしょ?
(PhotoshopCS5 単体価格99,750円・CS6 単体価格92,400円)
単体じゃなくてセットもあったけど、イラレ・フォトショ・インデの3点セットが大体20万円くらいしてた訳じゃん?
今やそこにAfter Effects・Premiere Pro、その他諸々ついてきて月6,248円ですよ?
てか全部入りのマスターコレクションとかいうのが40万くらいだったわ(CS5)。前のバージョン持っててアップグレード版が16万くらい。これが今や月6,000円でっか。助かるどころの話じゃねんだわ。
まぁさー、重くなったとかようわからんアプデが〜とかは分からなくもないけどね……。
でもパソコン買い替えたら軽くなったわ。重くなったって言ってる奴らも買い換えれば? あ、金がないんだっけ。
あとAdobeのやり方が気に入らない?とか?これはよう分からん。別にどうでもいい。
ただ、高いとか高くなったってのは否定したいわ。
いや、別に選民意識とかプロ様とかそういう話じゃなくて、元々ウン十万するプロユースソフトっていう前提を結構忘れてるんじゃないかなって。
今やもっと安いソフトもある! って意見もあるだろうけど、じゃあそっち使えばいいじゃん……。
そっち使わないでAdobeを高い高い言いながら使ってるってことは結局まだAdobeになんらかの優位性があるってことで、そこ無視して安くしろって単なるわがままじゃね?
デザインソフトじゃない、お絵かきソフトとかの別のクリエイティブソフトの価格と比べてるって人もいるかもしれないけど、それなんの意味があるんだ。
Adobeじゃないと入稿データが作れない!対応してる印刷所がない!ってのもあるかもしれないけど、PDF/x-1a準拠で書き出せるならPDF入稿できるでしょ。Affinityとか。
サイトでAffinityでの入稿データ作成ガイド掲載してる印刷所あるよ。
個人ユースではもうAdobeに拘らなくても別にいいんじゃない? もうこれだけ選択肢も出てきてるなら。
だったらもうAdobeとは決別して、Adobe高い高い言う必要もないんじゃないの?
仕事で使ってるって言うんだったら、よっぽどCCは安いでしょ。1契約月6,000円でどれだけの利益を生み出してるのよって話。
話がちょっとズレちゃったけど、結局今のAdobeの価格を高い!って言う意見が散見されるのって結局、今までAdobeのソフトに手を出せなかった層も手を出せるようになったからっていう、「高い」んじゃなくて「安くなった」からなんじゃないかと思うわけよ。
もちろんパソコンの普及とかクリエイティブがもっと身近な存在になったとか、そこを見据えてAdobe自身がライトユーザー向けに訴求してるとか色々あるだろうけど、そもそもソフト買えなかったらAdobe税払うのしんどい〜なんて言えないわけよ。だって払ってないんだから。
(素人相手に商売し始めたAdobeが素人から文句言われるのは必然! ってか。やば)
改めて言うけど今のコンプリートプラン含めCCの価格設定は安いと思うよ。
イラレ使えてフォトショ使えて、動画関連のソフトも使える訳でしょ?
イラレとフォトショで動画素材作ってAfter Effectsでカットごとに編集してPremiere Proでそれくっつけてたりしてたときにこれ6,000円やばない???って思ったよ。
過去の価格と付き合わせてそれでも高いと思うのなら別に使わなきゃ良いわけで。
いやいややっぱりイラレじゃないとフォトショじゃないとAfter Effectsじゃないとダメなんだっていうならそこは単純に価値じゃん。
取引先が……周りの環境が……だから実質選択肢がない、仕事で使うなら結局Adobeって言うなら、先述の通りよほど月6,000円は安いと思う。
要は趣味ユースでAdobeに囚われるっていうシチュエーションがよう分からんのだよな。
あ、たまに必要だからってCSシリーズを大事に使ってたタイプの人がCCに乗り換えるとコスパ悪くなるのか?
使用頻度やシチュエーションからしてコンプリートプランではないだろうし、だったら1万円以内で新しい環境に移行できるのでは……(イラレ・フォトショの代替ソフト想定だけど)。
(追記:Affinity想定だと14,000円だった)
繰り返しになるけど、仕事で使うなら月6,000円は安い。趣味で使うなら他に選択肢はあるでしょう。って感じ。
ここまで長文書いといてなんだけど、別にAdobeを擁護したい訳じゃないんだわ。
じゃあなんなんだっていうと、昔は数十万したものを今や1ヶ月数千円で使える状況に対して「高い!」って言ってる連中を叩きたいんだよね。
まぁ、どうしても「高い」Adobe税()を支払いながらCC使いたいなら、定期的に解約ページに飛んで初年度半額や2ヶ月無料のキャンペーンでも受け取ってなさいってこった。
条件は不明だが(一定期間以上の利用? セールのタインミング?)、解約しようとすると上記のキャンペーンを提示されて引き止められるんだよね。ただ、キャンペーン適用のタイミングで契約が更新されて、契約期間も延長されるからそこだけ注意な。(契約期間中に解約すると解約手数料が取られる)
「ケーキを切る時って『こっちが大きい』とか『苺をもっと』とか大騒ぎ」
などとナレーションで言っておいて、何故デコレーションがこうなのか?
そこまでわかっていて何故イチゴを偏って配置するのか?
このまま切ったら戦争が起こるだろ。
『ケーキの切れない非行少年たち』などと揶揄するが、俺だってこのケーキを目の前にしたら戸惑うわ。
どう切るのが正解か?
一旦イチゴ全部を別の皿にでも避けておいて、カットした後に載せる?
だったら最初からイチゴが6個なら60度につき1つ、8個なら45度につき1つ均等に配置しておいてほしい。
そのヤマザキですら昨今の食べる前の映え感最重視の風潮に流されてしまったのであろうか?
実に嘆かわしい。
比較的オシャレなヘアサロンのデザインカット(という名前のシャンプーなしカットのみ30分対応)が、2000-3000円でやれるコースがあったから行ってきたけど、結構よかった。
まぁ内実は、時間が埋まっていない美容師の人が、完全に手が空いているよりはいいよ、くらいの対応なので、接客自体はすごくテキトーなあしらいだったが、こちらも特にチヤホヤしてほしい気持ちも、カット中に話したい気持ちもないので、ニーズが噛み合っていたといえる。
いつも切ってもらっているところの美容師さんは、店長ということもあって接客・カット技術ともに文句なしのクオリティなんだが、家から近い・早い・安いことを考えると、割安デザインカットを選択する余地はけっこうあるな。
【汚いので閲覧注意】
金曜日のことだ。前日のバイトを終えて倒れるように寝込み、それなりに快適な朝を迎えた金曜日。
その日は注文をかけていたヨウジヤマモトの服を受け取りに行く用事のために全身ヨウジで固め、最近おろしたスニーカーでるんるんと学校に向かっていた。午前に講義がひとつあり、その後に店に向かう予定だった。
学校へあと5分くらいのところ。学校の近隣に公園があり、その脇道を抜けているときだった。不意にお腹に違和感。体調の不備はそれまで全く感じていなかったはずなのに。一瞬違和感を覚え、ちらりと横を見やるとトイレらしき建物があった。いや、まだ大丈夫だろう。何しろ学校まで数分だ。トイレに行くにせよ私立大学の綺麗なトイレでゆっくりと用を足したい。私の思考はまだそんな楽観を許す程度の余裕があった。
やや歩みを早めた瞬間、不意に放屁が漏れた。嫌な感覚が尻から滲む。これ、出てない??????
はやる心臓。足の向きはやや迷いを残しながらも公園内部に逸れていた。一瞬の判断。この公園にはトイレが2つあるのか、幸運にも目の前にもトイレらしき建物がある。問題は、その建物がどう見ても改装中であったということのみである。ぐるぐると唸る腹を尻目に公園を見渡すと、「改装中。仮設トイレへ→」の文字列が目に飛び込む。仮設トイレへと駆け込む。刹那。肛門括約筋がまともに機能していないとしか考えられない速度でぎゅるぎゅるぎゅる、と液状のものが尻から伝う感覚。もう漏れてんじゃんこれ。漏れてるよ絶対。がんばれパンツ(下着)。脳内でパンツの吸便力を信じながらドアを開け、リュックを床に投げるように下ろす。仮設トイレの床に誰のか知れぬ糞尿が散っていることなどこの際厭うことはない。いまは何よりも私の臀部が一番汚い。ズボンを下ろす。しかしここで孔明の罠が発動する。その日私が履いていたズボンはヨウジのややデザインの入った服なのだ。脱ぐのに「ドローストリングを外す」「ボタンを外す1」「ボタンを外す2」という3工程がある。くそが。パンツにやや重みを感じ始めている。雑にズボンを下ろしながら同時にパンツも引き下げる。便座を確認している暇はなかった。尻を突き出すと破裂音と共に大量の便が噴き出した。完全にお腹壊してる。起き抜けに飲んだプロテインを冷水で割っていたのがよくなかったのかなあ。そんなことを考えながら足を震わせていた。シャツとロングコートにかからないようにずり上げていた気がする。しかし尻は私に構うことはない様子だった。
排便が一旦落ち着き、後ろを見やると的は完全に外れ、便座の縁にべっとりとこびりついてしまっていた。パンツにももちろん付着。床にまでこぼれてはいないようだった。頭はやけに冷静だった。履いていたスニーカーはブーツテイストのもので、脱ぐのに苦労しながらも全て脱ぎ、ズボンとコートを脱いだ。仮設トイレなんかにコートをかけられそうな突起はない。よく見ると壁に釘の頭が迫り出している箇所がいくつかあったので、そこに無理やりコートのタグ部分を引っかけ、ズボンはボタンホールを引っ掛けてなんとか両手を使えるようにした。トイレットペーパーを尻に挟む。尻からこれ以上便が垂れないようにしたかった。私の肛門括約筋は信用ならなくなっていた。そのまま半回転し、便を掃除する。汚した場所から便を取り除き、手洗いの水を使って水拭きする。なんなら尻も水に濡らしたペーパーで拭き、尻表面に付着した便を取り除く。もう講義なんてしったことか。受け損なうとあとが辛い講義だったが、こっちはうんこ漏らしているんだぞ。
掃除を終え、パンツはトイレ内のトイレットペーパーの芯を入れる用にかけられていた袋に突っ込んできた。公園内のゴミ箱に入れようか迷ったが、汚物を持って公園をうろうろするのが恥ずかしいのと申し訳ないので、そこに入れることにした。これも申し訳ないきはしたが、コットンなので燃えるはず。一緒に捨ててくれと願う。
ノーパンでズボンを履く。流石に学校には向かわず帰路に着く。あまり感じないものの、ズボンやシャツ、コートに便が付着している可能性は高く、そのまま講堂に入るわけにはいかなかった。
なんで自分がこんな目に。毎日学校をこなし、バイトで日付変更直前まで労働し、なんとか論文を書かなきゃと日々教員に詰められながら生きているのに。何かしたか? 先日まで休んでいたダイエットもその日から再開しようとしていたのに。最近心身や生活の調子を崩しており、色々気合を入れ直して頑張り直そうとしていた矢先だった。
恨みながらとぼとぼと歩く。ワイヤレスイヤホンからはKing Gnuの新曲「一途」がリピートされ続けていた。漏らしている間も、惨めに掃除している間も。でも私は帰り道でその曲を変えられなかった。変えてしまったら、その曲を聴くたびに思い出してしまうだろうから。
帰ったらすぐに洗濯をせねば、そう思いながら足を急がせ家に向かう。ひとは余りの負荷がかかるとどうってことなくなるんだと思う。これが派手に転んでズボンは破れるわ擦りむけるわ程度だったら泣いてしまっていただろう。でもうんこ漏らすともう何にも考えないんだね。脳が機能停止した感じ。「最悪」の二文字が脳内に居座ったままただ家に。そうして家に帰ったら、奇跡的にシャツとコートには付着しておらず、ズボンも多少で住んだのですぐつけ置き洗い*2の後に洗濯機を回して外干しを遂行。そんで今に至るってわけ。もちろん生活は崩しっぱなし。全部最悪のまま。服は臭ってなさそう。不幸中の幸いかな。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211210/k10013382681000.html
最近やたらと「かわいそうなんかじゃない」「かわいそうって言うな」というのを聞くんだけど、
個人的にはそれもどうかと思うんだよなあ。実際に障害によって困難さが生じているのは確かなのに、
それを覆い隠して無理矢理ポジティブに捉えようとするって、結構危険だと思うんだが。
「障害は個性」(こっちは『個性』って別にポジティブなものに限らずブスとかデブとかも個性だと思うので別にいいと思う)は駄目で、「かわいそうなんかじゃない」はいいとはおかしな話だと思う。
まあ当の障害者自身が「かわいそうって言うな」と言っているなら分かるけど、
「かわいそうなんかじゃない」と決めつけるのもそれはそれでどうなのか。
あと正直ここに出ている「ヘラルボニー」のデザインって、デザインそのものは特に良いとは言えずあくまで「障害」がある人が描いたという前提ありきで売れてるデザインにしか見えない。
上手くいっているとしたら単に健常者の弟達にビジネスの才能があったってだけの話じゃないのか。
アイデアにもキャラクターにも著作権は発生しない。著作権は「デザイン」に発生する。だからトレースは違法。公式画像を流用したグッズ販売も違法。二次創作は合法。
ただし、例えば公式と誤認させる(または誤認されることが容易に予想される)行為は不正競争防止法的な問題があるとか、例えばVtuberの場合は人格権の問題があるとか、著作権以外の論点が生まれる場合も度々あるがな。
俺が好きだったゲームはMTG、マジック・ザ・ギャザリング。
TCGの元祖、「遊戯王」「デュエルマスターズ」の元ネタとかって説明されることが多くて、名前だけは聞いたことがあるって人もいるかな。
ゲーム自体もとても面白いのだけど、今回は主にゲーム性じゃなく、それ以外の部分で俺が惹かれた要素と、「好き」が過去形になった理由について書いていく。
ゲームプレイヤーにも勝利を求めるガチ勢、楽しさを重視するエンジョイ勢と色々いると思う。
(俺はガチ勢ってのも互いに本気で勝利を追求する遊び方を楽しんでる人って考えてる)
他のとこは知らないけど、MTG界隈では競技(ガチ)⇔カジュアル(エンジョイ)って表現を使ってた。
競技なんて言うと「カードゲーム風情がスポーツかなんかのつもりかよ」って思うかもしれない。
まずは俺が惹かれたMTGの要素の一つである競技性を語らせてくれ。
ゲーム=競技ってことで、その競技性ってのはつまりプレイヤーがどれだけ本気で勝ちに行ってるかの指標って感じかな?
皆が本気で勝ちに来るような方法って?そんなの簡単な話だ。商品を付ければ良い。皆が本気で勝ちに来るような商品って?これも簡単。「金」に決まってる。
今でこそゲームの大会に賞金が出るのなんて当たり前だけど、今から30年近くも前から「ゲーム」自体を主体に賞金制の大会があったってのは凄いことだと思う。
次にその大会の規模、まずGP (グランプリ)。世界各国で行われて、誰でも参加が可能。コロナ以前には日本国内でも年に4~5回開催されてて、最高人数は2500人程度、2000人↑は当たり前って感じでかなり大盛況だった。
優勝で大体100万円くらいで、結構大金だけどガチ勢にとって同じくらい大事なのが上位入賞者に与えられる副賞。
PTは世界各地で行われる。各国の強豪が集って、各々が練りに練ったデッキを持ち寄り優勝を目指す大会。賞金は優勝で500万円くらい。多くの競技者はこの舞台を夢見て、焦がれて、狂ってた。
このPTって舞台はMTGやってる奴には本当に羨望の的なんだ。昔はニコ生で、今はTwitchで配信してて、海外でやるから時差があったりで眠たさ堪えながら噛り付いて見てた。
さらにもう一つ大事なことがあって、MTGにはプロプレイヤーって呼ばれる存在がいる。
「プロ」の定義は論の種にもなる事なんだが、一つ明確な線引きがあってプロ・プレイヤーズ・クラブっていうMTGを制作した大元であるWoTC(ウィザーズ・オブ・ザ・コースト)社が公式に制定した制度。
これはプロポイントってポイントを稼いで、それが一定数溜まったらそれぞれブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナと順にランクが付与されてボーナスが貰えるって仕組み。
このプロポイントを貰えるのが前述のGPやPTなどのグレードの高い大会。
誰でも参加可能なGPでも、このプロポイント1点取るのに結構苦労するんだが、MTGのプロプレイヤーはこのポイントを求めて世界各国を飛び回ってGP、PTに参加するってのが常だった。
国内だけだと4~5回と書いたGPだが、世界ではほぼ毎週のように行われてるので、プロやプロになりたい奴らはポイントを、PTへの参加権を求めて世界を旅してた。
WoTC公式からも「PLAY THE GAME, SEE THE WORLD」って言葉でその行動を奨励してた。
俺はこのプロプレイヤーってものに強く強く憧れた。最初はただゲ-ムが面白くてやってたんだが、次第に戦えるようになって、勝てるようになって、大きな大会にも出るようになった。
俺はいつの間にかこのゲームに狂ってたんだ。狂うのも悪くないけどな、好きなことに狂えるならそんな幸せなことはない。だから狂いが醒めてしまった俺からみると、未だに狂ってるような人を羨ましく感じたりする。
ここまでが俺がMTGを好きだった理由。ここからは好きじゃなくなった理由。
上に書いた競技性と、それを織り成す制度ってのが、俺がMTGってゲームに惚れた一つの要素だったわけだ。
結論から述べる。俺がこのゲームを好きでなくなったのは崩壊とも表現したくなる度重なる制度の変更が理由。
最も絶望するのは、それが他でもないこのゲームを作り出したWoTC社が原因となることだ。
2016年の初めあたりにWoTC社の社長が変わった。度々この社長がやり玉に上がる。
本当に社長のせいなのかは分からないが、実際にこの時期からWoTC社は数多くの制度変更を打ち出す。
色々と細やかな変更はあったんだが最大級のヘビーパンチが、2018年末のこと。
その内容は、前述したプロプレイヤー制度の廃止。そしてそれに代わる32名の定員でのMPL(マジック・プロリーグ)という新しい制度への移行だった。
元々、プロプレイヤーって呼べるような人間は世界に数百人いたと思うんだが、それに対してMPLの32名という枠はどう考えても少ない。
プロ制度の廃止に伴ってプロポイントも無くなり、世界を股にかけて飛び回る意義も失われた。
過去のプロ制度は、本気で目指して努力すればギリギリ手が届きそうと思わせてくれるいい線引きだった。
それに対し、MPLってのは百戦錬磨のトッププロが競い合う中で、そいつらを蹴落としてようやく入れるような場所で、明らかに必要となるコストの大きさが違うんだ。
MPLからあぶれたプロプレイヤーも、プロを目指していた競技勢の人々も次の目標となるものの遠さに驚いたと思う。
(ちなみにこのMPLももうすぐ終わっちまうらしい。それ以降のプロに対する制度の説明は現状一切ナシ。
推測の域を出ないが、界隈で多く見かけた意見は前制度にかかるコスト、金銭的負担の軽減が目的というもの。
PTのようなアメリカ、ヨーロッパ、時にはアジアなどで行われる大会の場合、世界各国からプレイヤーや運営する人材を派遣するだけでも多量の金がかかる。
プロプレイヤーへの報償も同様に、目に見えて分かりやすい直接的なコストのために制度が見直されたのだ…と。
競技性がMTGの魅力の一部でしかなく、皆が皆一様に求めていたものではないとは思うが、ゲームの人気の一端を担うものであった事も確かだ。
俺はWoTC社がそれを軽んじ、踏み躙ったように感じた。
WoTC社はそれ以外にも目先の利益に捕らわれた焼畑商業的な業務方針を繰り出した。
MTGには、「とあるカードセットで禁止カードを連発してしまい。開発陣は社長室に呼ばれて𠮟られた」という有名な逸話があるんだが、現在のMTGでは2017年から毎年新しいカードセットから禁止が生み出されている。
それ以前は偶発的なデザインミスで、禁止せざるを得ないようなことはあったものの、毎年のように禁止カードが続出している状況はおかしいとしか言いようがない。
ゲームデザインは非常に難しいことだとは思うが、発売からわずか17日で禁止が出たと聞いたときは流石に目を疑った。
本来の焼畑であれば、別の場所を耕作すればよいだけだが、MTGでいう土壌とはプレイヤーの事だ。容易に開墾できるものじゃない。
こうした事によって(俺の)WoTC社への信頼は地に墜ちることとなる。
人は信頼があるから金を落とし続ける。だから企業は顧客満足度なんてパラメータを得るのに躍起になるわけだな。
信頼=金ではないが、信頼≒金ではあるんだ。
友人にWoTCへの呪詛を吐き散らす奴がいたが、WoTCがクソなのなんて衆知の当たり前の事で、それを一々言ってる自分がおかしいのかもと言われて笑っちまった。
まず渡辺雄也は今例えるなら、「MTG界の大谷翔平」と言って差し支えない日本プロのトッププレイヤー。
競技シーンを知る人に「日本一上手いプレイヤーは?」と聞けば大体の奴はナベかヤソって答える。
次にマークド。これはカードに目印をつけて、裏面から見ても何のカードかを識別できるようにするっていうイカサマ。
事件の経緯は以下。
渡辺雄也選手は大会でこのイカサマを行ったとして失格処分を受ける。
↓
後日スポンサー(Cygames)と共に反論する旨の声明を出す。
↓
WoTC社はこれに対し報復とも考えられる重い罰(30ヶ月の出場停止、殿堂除名、MPL除名)を与えた。
・ジャッジや対戦相手などによって容易に物的証拠を作ることができてしまう。
・十数年間、イカサマなんてほど遠い、クリーンなイメージ像からこの裁定が下るなんてありえない。
俺は当事者以外があーだこーだ言ってもしょうがないと思ってる。
けど、一つだけ信じてるのは渡辺雄也って選手はイカサマなんてしなくてもこれまでの実績を疑わせないくらい強いという事。
この件でWoTC社に失望したのは、声明に対して納得のいく証拠の提出を一切することなく、異例なほど重い30ヶ月という罰を科したこと。
反則行為で失格になった時点で罰が与えられる事、それ自体は仕方ないことかもしれない。
しかし、求められた調査の開示がない事、不当に思えるほどに重い罰、あらゆる説明が足りなさ過ぎた。
結果的に日本を支えてきた英雄が不本意に、容易に、軽々しく選手生命を絶たれたとしか見えなかった。
この件を皮切りに実際にMTGを辞めたやつも何人か確認してる。
献身的にずっと日本のMTG界を牽引してきた人物でも、不透明な組織の指先一つで活動を終わらせられる可能性があるなんて、信じられないよな。
こんなとこで文句言ってんじゃなくて問い合わせろって?日本のWoTCに何か言っても無駄だ。
日本公式が駄目なら英語なり使って本社に言えって?俺は自分で声を挙げたことはないが、海外プロプレイヤーのWoTCへの不満がたまに流れてきてもゴミみたいな制度を連発してるあたり何言っても無意味ってことだな。
こんなことが続く内に、WoTC社に期待する方が悪いという風潮が当たり前になった。
面白くてゲームを初めて、企業に嫌気がさして、ゲームへの興味も失せた。
これが、俺がゲームを「好き」じゃなくなった経緯。
この手記が、MTGの魅力の片側から見た一方的な意見であり、カジュアルに遊んでる人が今も楽しくしてるのは知ってる。
まぁタイトルにある通り「愚痴」だからな。聞いて欲しかっただけだ。
こんなこと書きながら2,3年後にはMTGやってるかもしれないけどな。
滅茶苦茶ネガキャンしといてなんだけど、ゲームは本当に面白いので興味あれば触ってみて欲しいという思いはある。
今ならマジックアリーナって無料で始められるアプリもあるし。DCGの中では本当に金のかからない部類だしね。
カードゲームが趣味だったおじさんのか弱い嘆きを聞いてくれてありがとう。
書いてる最中に、存在すら知らなかったPTの代替となるCS(チャンピオンシップ)とやらが行われていたらしく、久しぶりに配信を見た。