https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211210/k10013382681000.html
最近やたらと「かわいそうなんかじゃない」「かわいそうって言うな」というのを聞くんだけど、
個人的にはそれもどうかと思うんだよなあ。実際に障害によって困難さが生じているのは確かなのに、
それを覆い隠して無理矢理ポジティブに捉えようとするって、結構危険だと思うんだが。
「障害は個性」(こっちは『個性』って別にポジティブなものに限らずブスとかデブとかも個性だと思うので別にいいと思う)は駄目で、「かわいそうなんかじゃない」はいいとはおかしな話だと思う。
まあ当の障害者自身が「かわいそうって言うな」と言っているなら分かるけど、
「かわいそうなんかじゃない」と決めつけるのもそれはそれでどうなのか。
あと正直ここに出ている「ヘラルボニー」のデザインって、デザインそのものは特に良いとは言えずあくまで「障害」がある人が描いたという前提ありきで売れてるデザインにしか見えない。
上手くいっているとしたら単に健常者の弟達にビジネスの才能があったってだけの話じゃないのか。
でもそれ別に障害者に限らねえ話じゃん 今って芥川賞も現代アートも政治も何もかも、表現の中身そのものより「どこの陣営の誰がそれを表現したか」の方がずっと重要なんだから