はてなキーワード: エントリーとは
どりゃ!って書き殴った増田に1ブクマが着くじゃん、やったー!ってほくそ笑んでると、あれ?急激にブクマが増えてくぞ!?新着にのった!?で、アレヨアレヨって間にホットエントリー!3桁ブクマきたーーー!!んんくーー、承認欲求ーーーギュンギュン。こうなりゃ4桁狙うでしょ!!追記してターボをかけたる!
これって、追記でエントリーにあった初期リピドーな勢いがなくなっちゃうからなんだよね。あと、追記前と後じゃコメントの意味合いも変わってくるから、コメントの流れも変わってくから。
読み返して、例え誤字や矛盾を見つけたとしても、煽りコメントに答えたくなってもぐっと我慢。
これが一番だと思うんよ。
知らんけど。
http://anond.hatelabo.jp/20160622100234
この記事を書いた者です。
年間アクセス7位になっているのに気付き、久しぶりに記事作成をしようかなと思い立ったのでこれを記しています。あとゴールデンウイークに突入し、暇なのもあります(笑)
本文、追記共に当時の自分の心の澱と人には中々主張出来なかった故の断定的かつ鬱屈した感情がみっしりと記されていて、書いた当人ですら読んでて疲れました。
ただ、この記事で自分の気持ちを発散したことで実に穏やかな気持ちになれたのは確かです。
この匿名ダイアリーという場で、多くの人に自分の実際に感じたこと、体験したことの一部を『わたし』という人間が見えない場所から発信し、意見を貰う。カウンセリングに行くよりもずっと効き目の高いセラピーになりました。
発信して初めてわかったことがありました。それは、私みたいな生き方をしている人間は思っているよりもいなかったことです。
自分が多数派だなんて考えは当然ありませんでしたが、「私と同じ悩みを抱えて、苦しんでいる人は多いのかもしれない。そういう人がいるんだよって発信したら、私みたいな人間は救われるのではないか」くらいのことは思っていました。
ただ、反応を見る限りだとそうではなかったみたいです。共感以上に、私や周囲の異常性、読み物としての感想が多く、もしかしたら私自身の考えや生きてきた人生というのは、自分が思ってた以上に異常なのかもしれないということにお恥ずかしながら初めて気付かされたのです。
もしかすると、普通は越えないような轍を何個も何個も越えてきてしまい、引っ込みすらつかないのが私の人生なのかもしれない。
そう考えると、ここに記した殆どのことは、実生活の私の「墓場まで持って行く秘密」にしないと、あまりにも受け入れがたい事実なのだなぁと感じました。その位、人には理解しがたい人生を歩んできてしまったのだと。
これはとてもさみしいことです。だからこそ、インターネットで発散できてよかった。もしそうでなければ、私はこの澱んだ感情をずっと抱えたまま死んでいかなければならなかった。誰も私を理解できないと、自分だけが思ったまま。
そんなことすら、人に認められないと自認できない。
承認欲求の底知れなさを思い知りました。そして、私は、そういうことと一生をかけて向き合うのかもしれないと。
そういう性質の性格なのだから、仕方ないですよね。今はそうやって自分と向き合えるようになりました。
同人活動なのですが、Twitter中心で細々と続けています。
エントリーに関するRTが流れてくるたびにドキドキしていましたが、誰もそれを書いたのが私だとは気づいていないみたいです。今では誰も話題にしていません。インターネットなんて、そんなものです。
二次創作を描けば1000を超えるRTを頂けることもありますが、そのことに関して前よりは落ち着いていられるようになりました。というよりも、RTされるネタの書き方みたいなものを感覚で掴みました。
完全に記事を脱線するので詳しくは書きませんが(そもそも感覚なので説明も難しい)、別に絵が上手いとか特別な技量がなくても伸びるときは延びるのだから、一喜一憂していたらキリがないなぁと。
即売会は、行く回数は減りましたが参加しています。ただ、もう新刊を作ることはないかもしれません。キャラクター愛やそれを人と共有したいという感情が前よりも薄れました。
創作が楽しくなくなったわけではないのですが(これに関しては後述します)、なんでしょう。これが年をとるということなのかな。自分の中で「思い出」になりつつあるんです。
好きなキャラやCPをきっかけにして、Twitterでつながったり、Skypeをしたり、自分で本を書き、人の書いた本を読み、萌えて転げて、アフターや日常でも仲間同士で集まって、そのキャラの話で花を咲かせて。
そういう光景を見かけると、楽しそうだなという感情にはなるのですが、参加したいなという気持ちにはならなくなってしまいました。
でも、気の合う子とのおしゃべりは今でもとても楽しいです。みんな会ったときは10代でしたが、今では大人になりました。結婚している人は多くないですが、会うとキャラの萌えを語るより、近況を話すことのほうが増えました。
そんな私をつまんない人だと感じる人は、どんなに仲良くしていたとしても離れていきます。でも、それでいいんだよなと。
今、一緒にいて楽しい人だけが「オタク友達」なんです、きっと。そこから先の「普通の友達」になるためには、それだけじゃ足りない何かが絶対必要になってくる。そしてそれは、誰とでも芽生えるものじゃない。だからこそ、オタクの友達はあまりにも即物的。でも真の友情が芽生える可能性もあるから、バカに出来ないなって思います。
Twitterのフォロワー数だって同じです。繋がるのに何の不自由もないからフォローされてるだけであって、共通項がなくなればそこで終わりです。だからこそ、数に拘るのは無意味なんだと思います。ずっと見てくれる人や、たまの落書きを何年も変わらずにいいねしてくれる人こそ、大切にしなきゃいけない人なんだと思います。相互片道関係なく。
ここまで書いてきて、また自分の「●●でなければいけない」癖が文章に反映されていて、苦笑しました。
誰かに伝える文章は、例えそれが自分に課している制限だろうと断定的に書くことで人を不快にさせるみたいです。それもここで知ったことです。
難しいですよね。でも「私はこう思うけど、あなたはどう考えても自由だよ」とその度に書くのはくどいと思うのでここで一回書いたことで許されようと思います。許して下さい(笑)
二次創作への情熱が薄れるかわりに、最近は一次創作が楽しいです。
まだ公表していません。それなのにこんなに楽しいことがあったのかとびっくりしています。
物語という形にすることで、自分の意志を表に出すことができる。そこには何の制限もありません。もちろん物語としての整合性を整えるのもひとつの楽しみですが、どうしても自分の主張したいことがあるなら、オリジナルのキャラクターにやらせる分には誰も文句は言えないのではないかと気付きました。
悪い部分もあってこその人間。仲のいい友人に見せると、とても生き生きと動くキャラクターだねと言われ、お世辞でも嬉しいです。
ここで数人が「実録としてエッセイマンガにしたらどうか」とコメントされてましたが、いまでもそれをする気はありません。やはり私は、事実をそのままマンガにするのは好きじゃないみたいで、だったら一次創作のキャラクターに、何らかの形で搭載したいです。
主人とは、つかず離れず上手くやっています。私も多少ちょろまかすという事を覚え、小遣い以外に稼いだ分から少し抜いた分で友達とランチへ行ったりしています。意外と気付かれません(笑)
私の場合、ささやかな幸せを幸せとも感じてなかったことがそもそもの間違いだったので、今はそこを目標に生活水準を下げています。意外となんとかなります。
一年経った今、自分のことを牙を抜かれてチワワになった狂犬みたいだなと思いますが、それでこのままチワワになれたらもうけもんです。
尖って尖って、非難されるような自分だったからこそ、なれるものがある。
それを誰かにバカにされたり情けないだなんて言われる権利なんてきっとない。
他人の人生を私が生きることが出来ないように、私の人生は私にしか生きることができなかった。
それがどんなに汚い生き方でも、一般的には努力の足りない人生でも、誇りに思っていいことだ。
そんな風に、思います。
そう思えるようになったきっかけは、間違いなくあのエントリー。
なんてステマ臭の強い記事なんだろうと思うけど、本当にステマじゃないです。最後まで読んでくれてありがとうございました!面白みがなくてごめんなさい!相変わらず長い!ただの感謝の気持ちです!
さっき突然ZOZOTOWNからメールが届いて、何かと思ったら会員登録完了のお知らせだった。
一瞬迷惑メールかと思ったが、どうも違うようだ。
最初の会員登録完了のメールには個人情報が記載されていなかったのだが、注文完了のメールには名前、住所と、当然ながら購入したものが記載されていた。
何が言いたいのかというと、僕は突然ZOZOTOWNの会員登録プロセスの不備により、見知らぬ人の個人情報を手に入れてしまったのだ。
通販サイトの会員登録プロセスは、入力したメールアドレス宛に会員登録用URLを送るものが一般的だと思っていたので、ZOZOTOWNのような大手通販サイトがこのようなサイト完結型の会員登録を行っていることに驚いた。
また、会員登録ミスの連絡をするにしても、個人情報に関する規約に同意した上で僕の個人情報を株式会社スタートトゥデイに提供しなければならないことから断念した。(フィッシングサイトである可能性が否定できないため)
スタートトゥデイの社員の方、このエントリーを見たら、5月2日0時6分にhから始まるメールアドレスで会員登録され、0時8分に衣服購入したアカウントを探して購入者に連絡してください。
現在位置: トップ 佐賀ニュース 行政・社会 玄海原発の再稼働同意 共産、社民が撤回迫る
前日に山口祥義知事が表明した玄海原発3、4号機の再稼働同意に対し、質疑した臨時県議会
前日に山口祥義知事が表明した玄海原発3、4号機の再稼働同意に対し、質疑した臨時県議会
正副議長の選出や委員会構成などを決める佐賀県議会の臨時議会が25日、開会した。九州電力玄海原発3、4号機(東松浦郡玄海町)の再稼働に関し、山口祥義知事が同意したことを報告し、共産党と社民党の議員が緊急質問を行った。県民の理解は得られていないとして撤回を迫ったが、山口知事は拒否した。
議会冒頭、山口知事は再稼働に同意したことについて、13日の臨時議会閉会後に、九電の瓜生道明社長や世耕弘成経済産業相と相次いで面談したことを報告した。県民の意見を聴くなどしてきた過程を総合的に勘案し、「現時点では一定程度原発に頼らざるを得ない」などと述べた。
緊急質問には、徳光清孝議員(県民ネットワーク)と井上祐輔議員(共産)が登壇した。県民の理解が得られたと判断した理由や安全性に関する疑問など、知事の姿勢をただした上で、「容認は撤回すべき」と迫った。山口知事は「知事という職責を非常に重いと考えている。撤回するつもりはない」と答弁した。
傍聴席では再稼働に反対する市民がやりとりを見守った。山口知事の答弁に「同じことの繰り返し」「県民の声に応えて」などと失望の声が漏れた。
会期は3日間。26日は委員会構成などについて各会派で調整し、最終日の27日に正副議長、各委員会の正副委員長などを決める。
証明写真を撮る仕事をしているが、これから自分が使う写真のサイズを把握していない就活生が多いように思う。
大抵若い人がリクスー着て来るので「ああ就活生か」と分かるのだが、「サイズは何ですか」との質問に対し、
「……」←恐らく分かってない
就活の写真なんて大抵4x3なのに、それすら把握してないってマズイんでない?ESに使う写真の規格や仕様は必ず書かれてるんだからその確認はしてから来てくれ。
そのついで、企業側にも頼みがある。
最近はWEBエントリーだか社員証だかでデータ提出を求める所も増えてるのだが、ロクに仕様提示せず就活生にぶん投げるな。
少なくとも「◯x◯の比率、◯ピクセルx◯ピクセル以上、◯バイト以下」ぐらいの指示はくれ。
データ欲しい人もハテナ、コッチもハテナ、それでダメだった時クレーム来るのはコッチだ。いい加減にすんな。
何にせよ、事前の確認はしてくれ。提出先によってはサイズも変わるから、そこら辺全部確認してから来てくれ。
あとはこっちの仕事だから全力でイケメンor美女に撮りにいくし、バッチリ真正面ビシッと撮るから、あとは任せてくれ。
あと就活頑張ってください。
http://anond.hatelabo.jp/20170421230049
「(深夜)アニメの原作不足」自体は事実だが、元増田氏は「原作不足」の意味を誤解していないか?
そもそも「原作不足」というのは「アニメ化企画を通せる原作の不足」の意味であって、
「面白い原作の不足」や「アニメ向きの原作の不足」といった話ではない。
アニメ業界にはそれなりに優秀なクリエーターがたくさんいるわけで、中身だけの話なら
「並の原作やるよりはアニメとして面白くなりそうなオリアニのネタ」なんて皆大量に抱えている。
それでも原作付きをやるのは
「原作付きなら原作版元の出資が見込めて製作委員会の目途がたちやすい」
からだ。
アニメの企画の判断にあたっては「原作の面白さ」はほとんど意味がない。
「この原作なら作者がパチ化OKだから、そっちから出資呼べそう」
といった「企画の通しやすさ=製作委員会の座組みしやすさ」が原作選定の第一の基準であって、
実は「面白さ」どころか「売れそうかどうか」すら二番手、三番手の条件だというのが実態。
制作会社にとっては「自社が制作元請けになる企画の成立」が第一であって、
売れようが売れまいが実入りに大きな差が出ないケースが大半。
極端な話、制作系のPにとっては
「弱小出版社の雑誌だから売れてないがこの原作は面白い。アニメ化すれば円盤5000枚はまず売れるはず」という作品より
「これアニメ化しても円盤売れないと思うが、「売れると言いきって大口を乗せる材料」はあるから出資を集めやすいな」
「固定客がいて底堅い売り上げを見込めるか」
を満たすのが難しいジャンルなので、大きな原作供給元になるのは考えにくいと思われる。
製作委員会に出資できないような弱小出版社/ゲーム会社、アニメ出資に渋い姿勢の出版社の作品に、
いくら大量に面白い/アニメ向きな作品があっても、それは原作不足を解消しないのと同じ。
唯一「海外ゲー原作」は、あちらの大手パブリッシャーで「日本市場重視」するところが出てくれば
(現状まず考えにくい話だが…)目のある話かもしれんけど。
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追記
元増田エントリーに「売れる原作不足なだけ」という趣旨のブコメが散見され、
それは確かにその通りなんだが、それだけではまだぬるい、というのがこのトラバの趣旨。
SHIROBAKOの三馬鹿Pを思い起こして貰えばいいが、ああいう
みたいな発想は、(アニメの内容ではないにせよ)まだ売り上げを通してではあってもファンを見ているだけぬるい。
1クール100本に迫る帯アニメ企画が成立する世界というのはそんなぬるさでは実現しない。
もはや売り上げですらなく、出資者の思惑だけを読んでいれば、作品を作れるのが製作委員会方式の辿り着いた現在。
「出資者は一件一件はたいした損ではないし、たまには儲かるので騙されていることになかなか気づかない」
というのが味噌。
「誰も得しない作品を大量に垂れ流していても、大量の制作会社が一応食える」というシステムであるからこそ
「製作委員会方式」は「ビジネスモデルの革命」と呼んでいい画期的な方式なのだ。
まあ法人を相手にしてるだけで情報商材ビジネスに近しい構図なんで、
才能のある人っていいですよね。自身に満ち溢れていますし、とてもあこがれます。
僕はそんな生き方はできないと思います。凡人ですから。でもそれでいいんです。
※後で読み返したらすごい長い文章になってしまいました。ホントすみません…
僕は彼には才能があると思います。頭もとても良いです。
話していて楽しいですし、いろいろなことを考えて生きているなぁ
僕のようなどこにでもいるポンコツ大学生とは違うなぁと感じます。
昨日、1年ぶりに彼に会っていろいろと話をしました。
彼は僕よりも1つ学年が上なので、就職活動について少し教えてもらおうという下心もありました。
彼は持ち前の行動力とバイタリティを活かして、大学の勉強以外にも
積極的にインターンや企業の人事の方とお話をしてきたそうです。
そんな中で、ITベンチャーのインターン等に行く中で自分の共感できる理念を持った企業に出会い、
内々定を貰ったと話してくれました。半年近く彼は悩んだそうですが、
彼のやりたいこと「世の中をよりよくするための仕事をする」という目標のもと、
そこのITベンチャーに就職することに決めたと言っていました。
そこの企業はベンチャー企業としては大きく、その道を志す人にとっては有名だそうですが
残念ながら僕が知らない企業だったので、ホームページを見ながら
どんなことをやっているのか教えてくれました。
ホームページを見た瞬間、正確には経営理念と事業内容を見た瞬間でしょうか—
なんだかすごい嫌な予感がしました。
自分の感情を文字に起こすのは難しいのですが、『すごい嫌な予感』としか表現できない感情が湧いてきてしまったのです。
おそらく僕は彼に嫉妬してしまったんだと思います。きっとそうです。僕にはできないことをしているから。
将来も決まっていて、やりたいこともあるから。そうであってほしいです。
『その会社やめておいたほうがいいんじゃない?』とは言えませんでした。
彼がその判断に至るまでの過程や歳月を鑑みたときに、僕が感じてしまった一過性の感情および感覚で
そう僕は考えました。
繰り返しになりますが、彼には才能があると思います。頭もとてもいいです。仕事だって人よりはるかにできるでしょう。
彼が誰だって知っているような有名企業にエントリーすれば、おそらく内定をいただけると僕は信じています。
僕はそうしてほしかった。21歳という年齢は若いですし、そこで社会人としてのキャリアを始めることは
決してマイナスにはならないと思うのです。僕から見た彼の印象は『寄り道』をすることを嫌っているような、そんな印象でした。
やりたいことが俺にはある。だからそこへ行くんだ。そこで俺の理想を実現する。寄り道なんてしてられない。
実にシンプルな行動論理だと思います。でも僕は彼に『寄り道』をしてもらいたかった。
それが一見無駄に見えることであっても、実際に無駄だったとしてもです。
彼は生き急いでしまっているのではないでしょうか。
僕が彼に有名企業に入ってほしいのはどんなに企業の中が腐敗していたとしても、
その企業が日本の中心にあって日本を動かしてきたことは否定のしようがない事実であり、
入れる機会と才能があるのならば入社しても決して損にはならないと思うからです。
入社してみて、
実際に働いてみて、気づくことだってたくさんあると思うのです。
それを現時点で放棄するのはもったいないことではないでしょうか。
たぶんそれができるだけの能力と権利もあると僕は思っていますし…
僕は何といえばよかったのでしょう。
このエントリーがどうかバズって世の中の
・不在着信だけ残す人
と
・いきなり電話してくる人
に届いてほしいと思う。以下、このエントリーでは上記の人のことを「電話野郎」と呼ぶことにします。
僕は電話が大嫌いだ。もともと人と直接話すのが苦手だということもあるのだけど、
・相手の時間を奪う行為で、相手の時間や行動を拘束・制限する行為だということ。
このことをまずわかってほしい。
電話はリアルタイムで応答が必要なので、何かをしながら電話はできないんだよ。
相手の都合をどうか考えてください。
そんなのわざわざ電話してくる必要ある?という内容のものだったりする。
次あったときに話せば良くない?とかそんな内容。
だからなおさらそんなくだらないことで電話してくるなよ、と思ってしまう。
そんなくだらないことで、あなたの都合で僕の時間と行動を拘束しないでくれと思う。
相手の都合をどうか考えてください。
用があるならまずメールかLINE、チャットで要件を言ってほしいと思う。
もっというとメールかLINE、チャットですまない?その話、と思ってる。
その上でもしどうしても電話で話をしたい・電話でなければいけななら、
「●●●の件で、いついつ頃に電話する」って事前に言えよ。
「今何してる?」とか「明日ヒマ?」とか要件を言わない人もいるけど、
これも同類。
なんでやりとりが増えるようなコミュニケーションの仕方をするのか理解不能。
こっちの都合を聞きたいなら具体的に言えよ、と思う。
メシいこうとかの誘いなんだろうけど、
たとえ時間があってもその内容によっては
そんなことに時間さくヒマはねーよってのは皆あると思う。
不在着信だけ残すやつもたいがいで、なんで要件を留守電に残さないんだよ。
めんどくさいんだよ。
相手の都合をどうか考えてください。
実際の声で伝える必要があったり、電話で話さなければいけないこともあると思う。
混みいった話とか口頭で話をしないといけない場面はたしかにある。
でも、そのときにやっぱり「いきなり」電話するのは失礼だし非常識だよ。
事前の連絡がある上での電話は話が早い。
電話を受けるほうが内容をある程度把握した上で話しがはじめられるし、
いつ電話がくるのかも予定をあわせることができる。
本当に仕事できないやつしかみたことないです。無能が多いです。
相手の都合をどうか考えてください。
仕事においては電話野郎の話は、電話でなくてもいいことがたいがいだけど、
電話で済ますことでその後どう仕事に影響するかを考えていないし、
想定もできていないやつが多い。
それに電話して自分の手もいちいち止まっていることに気づいてない。
それが次に繋がるからです。
電話はなにも残りません。
口頭でのやりとりばかりしてたもんだから、
あとあと言った言わないになったり、馴れ合いになって、
どうかメールや他の手段で記録にのこるやり取りをしてください。
相手の都合をどうか考えてください。
もしいまあなたが親しい人や近しい人に
それは間違いないです。
自分らはそんな仲じゃないしお互い気を使っていない
これまではそれでよかったかもしれない。
相手の都合をどうか考えてください。
本当にそうと言いきれる自問してほしい。
これまでどおりの関係性では続けられないでしょう。
人の感情は、変化していくのです。
いまはよくても必ず変わる。
人間関係のもつれというのはかならず一方の感情の変化が起点です。
相手の都合をどうか考えてください。
でたくないときはでなきゃいいってだけの話じゃんっていう人もいると思います。
そのとおりですけど、それは相手への配慮が足りないと思います。
相手の都合をどうか考えてください。
あと親しいからって夜9時以降に電話してくるやつもいるけど、論外です。
相手の都合をどうか考えてください。
受けた側がいろいろ考えないといけないことが多い。
これは精神的拘束です。
・あとでかけ直すというのも面倒
僕はこれですごく悩んでた。
なんで電話してきたのかを考えるし、かけ直すのも本当にいやでたまらない。
で、いやいやながらも折り返しの電話をして相手が不在だった場合そこでまたモヤモヤする。
ずっと気になる。
その後、電話かかってくる→不在→かけなおす
だけど最近はもう気にしないことにした。
いきなり電話してくるようなやつや、不在着信だけ残す電話野郎は、
相手の都合をまったく考えていないので、こちらも無礼で構わないですよね。
相手にするだけ馬鹿らしいしこっちが悩んだり気が病んだりするのはもう勘弁。
僕の方針はこうだ。
・いきなりの電話は基本でない。
・留守電のメッセージがない不在着信だけの場合は折り返さない。
・不在着信は気にしない、無視する。
とはいってもやっぱり気になるのは気になるんですけどね。
相手の都合をどうか考えてください。
別の手段でも連絡してくるもんです。
それを見て、あ・これは緊急のやつだなと思ったらすぐに折り返すことにします。
あと、世の中にあるネットの予約フォームや問い合わせフォームなんかで、
ネットでわざわざ予約や問い合わせしたのに電話で返してくるバカサービスは滅びろや。
サービス提供側だっていちいち電話でリアルタイムに応対できないから
ネットでシステムで受けつけてるんでしょ?なんで電話で返してくるの?
なんのためのメールアドレスなんだよ。
メールアドレスはたしかに迷惑メールに入ったり、届いてなかったりすることもあるよ?
だけどそれは応答がなかったら電話、という手段をつかえばいいだけで、
電話で直接話したほうが予約が確実になるでしょう。それもわかります。
メールで連絡したけど数日たって連絡つかなかったときに電話をしろよ。
・なんでもすぐ電話してくるな
・電話ですぐ済まそうとするな
・事前に要件をいえ
・親しいあの人も迷惑だと思っているぞ
・いまはそうでなくでも思うときがいつか来るぞ
・どうか相手の都合を考えてください
以上です。
最近長文の増田書いても誰もブクマもトラバもしてくれない。せめてもしかしたら誰かに見てもらえたかもしれないって思ってるけど増田だとアクセス数全然わからないから本当にこの世に私が書いた増田が誰にも見てもらえてない可能性がある。悲しい。
自分のブログやってた時ぜんぜん人が来なくて悲しくてアクセス数はもういいからとりあえず誰かに見て欲しくてはてな匿名ダイアリーに思ってることを書いたらたくさんブクマもらえて本当に嬉しかった。もちろん何の報酬もないけどとにかく嬉しかった。ブクマがのびていく様子を見たくてなんどもなんども更新して新しいブコメやトラバがないかって馬鹿みたいにチェックした。ホッとエントリーに入って総合1位になったところはスクショまで撮った。
増田を書き始めた時は思ってることや考えてることがたくさんあって文章に熱があったのかな。今はもうないのかな。だから誰にも見てもらえないし、誰にもかまってもらえないんだろう。
とにかく誰かにかまってほしい。悲しい。今日も死んだように生きる。悲しい。外が明るくなってきた。悲しい。
自分は就職するのだな、というのが決定的になったのは、大学三年の正月に帰省したときだった。そのとき姉は子どもを身ごもっていて、結婚式の準備を進めている時期だったと思う。両親の住む実家はいつになく浮き足だっていて、居間に鎮座した年代物のコンポが機嫌のよい音楽を流しているのを何年ぶりかに聴いたりした。この雰囲気だったら言っても大丈夫だろうかと思った。家に着いたその晩、おそらく姉の結婚式やお腹のなかの子どものことをしばらく話したと思う、そのあとに切り出した。あのさ、大学院に行きたいっちゃけど。
予想外に、部屋の空気が一瞬で凍りついたのを覚えている。両親は言葉を発さず、コンポから流れる陽気な音楽(荒井由実のセカンドアルバムの六曲目、あなただけのもの、)がいっきに、なにか強烈な、皮肉めいた疎外感のようなものを演出する異物となって浮き上がった感触があった。しばらくして、母が重々しく口を開いた、なん言いようね、そげんお金なかよ。大学院てなんね。行ってなんすると。もとより自分も、大学院で何か研究したいことがあるわけじゃなかった、研究というのが何をすることなのかもよく分かっていなかった。ただサークルや何やで接する先輩たち、自分より二年間長く学生でいられる、その二年間は就職せずにいられるひとらのことがうらやましかった。その程度の動機だったから、突如として部屋に現れた重苦しい空気を前にして、うっかり声に出した気持ちは途端に冷え切り、しぼんでいった。なんでんなか、分かった。話を逸らすような話題もなく、アルバムが次の曲に行ってしまうまえに居間を出て階段を上がった。あのコンポが音楽を流しているのを聴いたのはそれが最後だったと思う。
*
就活ではいろいろな街へ行った。下宿していた福岡から、十分な交通費が支給されるときは新幹線や飛行機(LCCはまだなかったから、スカイマーク)で行き、そうでないときは夜行バスで行った。その土地の知人に当てがあれば泊まらせてもらうときもあり、ネットカフェに泊まるときもあった。神戸の三宮とか東京の蒲田とか、そのころネカフェに泊まったっきり訪れていない街がいくつかある。
就活にかかる交通費は多くの同級生にとって悩みの種だったと思う。専攻柄、東京に一極集中したメディアや広告、出版関係の企業を受けるひとが多かったせいもあったか、とにかくいかに交通費で破産せず就活を乗り切るかはひとつの重要なテーマとして共有されていた記憶がある。自分もそんなに多くの交通費を出せる状況ではなかったので、受ける企業の数をかなり絞っていた。当時の就活サイトが提唱する標準的なエントリー数は二十社くらいだったけれど、自分は十社も受けなかった。それでも度重なる関西や関東への移動はそれなりに負担で、特に東京の会社で選考が進むたびに片道半日以上かかる夜行バスを往復するのは楽ではなかった。
夜行バスが発着するのはたいてい新宿の西口だった。あるとき、行きのバスに乗っていた添乗員さんと、帰りのバスでも鉢合わせたことがあり、乗り込みざまそのひとが、就活ですか、がんばってね、と声をかけてくれた。あのひとはたぶん、その数日間だけじゃなくてずっと、何十往復も、あの片道半日はかかる夜行バスに乗りつづけていたのだと思う、いまも乗りつづけているかもしれない。西新宿のビル街を歩くと時々そのことを思い出す。
支給される交通費で収入を得るモデルを立てていたひともいた。関東の実家や知人のところに滞在しながら、東京の会社をたくさん受け、それぞれの会社に対して福岡〜東京間の交通費を申請して利益を得る手法だったと記憶している。あるいは近場であれば、実際には18きっぷで移動しながら新幹線のぶんの交通費を出してもらう方法もあったらしい。これは静岡の会社に大阪から来ていた子が教えてくれた。会社でいっしょに最終面接を受けたあと、内々定をほのめかす説明会から帰るバスの中でのことだった。その子はすでに他社からも内々定を得ていて、ほんとうはそちらに就職するつもりだと言っていた。第一次安倍政権のときで、少なくとも経済政策はうまくいっていて売り手市場だったから、そのように交通費収入を得る目的で、実際には就職する気がない企業の内々定までを得る学生はその子だけではなかったと思う。二年後にはリーマンショックが起こって、ふたたび新卒市場は氷河期を迎えた(らしい)。もし自分が大学院に進み、二年後に就活をしていたら、たぶん学部のとき受かったところには受かっていなかっただろう。
職を得るためにスーツを着ることは苦ではなかった。それは公立の小学校から高校までをずっと制服で通わなければならなかったのと同じ程度の義務だと思っていた。大卒でそれをしなくてよい人生がどういう仕組みで成り立っているのか、そのころさっぱり想像がつかなかったし、いまでもその仕組みを十全に理解しているとはいいがたい。いずれにせよ、そうしたものは自分には関係のない、自分に与えられた生の可動域からは逸脱するものだと思っていた。もちろん、自分を取り繕って面接官に良い顔をすることとか、所与の経歴と志望動機を矛盾なく有効に繋げる作業を会社ごとに行うこと、そうした虚飾じみた行為への疲れはあった。リクナビやみん就のサイトを見るのも好きではなかった。けれど仕方のないことだと思っていた。ほかに生きられる道があるとも思えなかった、だからメンタツも読んだ、SPIも受けた、そうこうしているうち、他人に自分を矛盾なく説明するために用意したぎりぎり嘘でない物語の数々は、徐々に内面を染めかえ、自分のなかに元々あったそれらと区別がつかなくなっていった。照明がおとされた夜行バスの車中で、自分は眠れずによく手を組んで、いろいろな願いごとをしていたけれど、どうか今度の面接が通りますように、内定が取れますように、そういうこともふつうに願った。
*
先日、はじめて海外旅行に行った。羽田から仁川経由でニューヨークへ向かう機内の十数時間を体験しながら、ああ、これは博多から東京まで夜行バスでかかったのと同じくらいだなと思った。
夜行バスに乗っていたときの自分にとって、海外旅行も宇宙旅行も似たようなものだった。どうせ行けないのだから費用や行きかたなんて調べても意味のない、視界に入れたってしょうがないもの。行けるわけのない外国の遠さよりも、見慣れた田んぼ、そこにある変わらない暮らし、そういったものに思いを馳せるようになるのは、そのときの自分にはごく自然な成り行きだったと思う。だから新宿の街も好きではなかった。東口のネットカフェに泊まったり朝から歌舞伎町の銭湯に入ったりする小旅行を、楽しんではいたけれど、駅の通路に浮浪者の排泄物のにおいが漂っていたのを強烈に覚えてもいた。長く住むところではないと思った、その都市に、けっきょくいまは福岡に下宿していたのよりもずっと長いこと住んでいる。
去年はじめて実際に調べた、二月のヨーロッパやアメリカへ渡る往復航空券の値段は、盆や正月のラッシュのなかを新幹線で実家に戻るのと大差がなかった。どうせ行けるわけがない、他に選べる道もない、と見過ごしてきたものごとの数を考えた。けれど、そのときはたしかに、それが自分の視界に映るもののすべてだった。その視界が十分に広くなかったとして、いまを測るための物差しとしては省みることかもしれない、けれど責められるものではない。いまとむかしの自分は違う、同じものでない、そのことは互いの存在を妨げない。一応は自分のお金で大学院を出て一年が過ぎ、将来の自分から先借りしているお金を返しはじめて半年が過ぎたいまはそう思っている。
今回はとなりのヤングジャンプ
メンバーの中で特段目立ったことをしていなかったキャラを、ここにきて主体で喋らせるあたり、バランス感覚はあるなあと思った。
過不足の話をするなら、まあもっと語れることはあるんだろうなあと思いつつ、それなりにちゃんと畳んだあたり力量は感じる。
それにしても、『わびさびティールーム』のときも思ったけれども、このスッパリ終わらせる感じは、ジャンプよりもチャンピオンを髣髴とさせるなあと思ったり。
まあ、連載についての方針を知らないので、普通に完結しただけかもしれないけれども。
なにせ、如何にもな少女マンガっぽい作風で、となジャン目線で見た場合は浮いてたからなあ……。
もちろん細かい差異はあるから別にパクりだとか真似しているだとかそういうことを言いたいわけではないけれども、ガワが実質同じでその中身に特筆した魅力を感じられないと、凡庸だという印象がどうしても拭いきれないんだよね。
結局、漫画の供給が飽和している時代で評価されるものを出そうとするなら、既存の作品より優れているか、珍しいテーマやプロットで勝負するのが近道なわけで。
それを踏まえると、定番の話を割と高いクオリティで仕上げたエントリーNo.3『蒼の閃』のほうが、ド直球勝負な分印象が良いかもしれない。
ただこの手の読み切りのプロットにありがちな人間ドラマ、設定、起承転結きっちりできているのは地力を感じる。
メタ的にみればこじ付けもいいところだけれども、ちゃんとキャラの能力の設定や、話のテーマに繋がりを持たせているのも悪くない。
さて、第三回のシンマン総括。
とはいってもこれまでの感想で色々と語ったので、今さら語ることもあまりないんだけれども。
ヤンジャン本誌も読んでいるので、はがきは既に出している状態で感想書いているし。
インパクトなら『ヒトリアソビ』が突出しているが、いかんせん主体となるネタが下品なので特定の層からウケが悪そう。
『灰とリコピン』、『蒼の閃』、『シゴソウ』は特筆するものが少なくて個人的に微妙。
『蛉目奇譚』はかなり気合入っているしプロットも良いと思うんだけれども、情報量の多さと絵柄のクセに辟易する人もいそうな気がするので未知数。
『FLYend!』は前半の世界観の説明が、というか全体的に説明くさくて、ストーリー構成も読みきり的にいただけないんだけれども、逆にそこに将来の展望をする人は少なくなさそう。
プロットの、テーマと見せ方が最も好みなのは『ブルーフォビア』だけれども、他の優勝候補になるエントリー作と相対的にみてみると特筆するようなものが少なくて、影が薄い印象はある。
本エントリー内に記載されていた内容を削除し、書き換え後の内容も削除いたします。
潜在的に今回と同様の破綻を招くのではないかと自身が考えている業態を説明し、
旅行者が旅行商品を選択いただける一助となればと考えておりましたが、
部外者による半可通な解説であるとするコメントに星が集まる状況を鑑みても、
今回の事態を適切に判断できる方からすれば、甚だ不適切な内容でしか無かったと反省いたしました。
上記の通り、自身の行いたかったことに対して、自身の理解が浅はかであったと思います。
解説の内容は現在の業界を知る方からすれば誤っている内容であるかと思いますので、
誤った内容を元に判断される旅行者が出ないよう、書き換え前、書き換え後、いずれの内容も、転載はお止めください。
特に、書き換え後に関して、不愉快に感じられた方がおられましたら、お詫びいたします。
本件に関して、既に出国されてしまった方が、全員無事に帰国されることを祈ります。
せいぜい週に1、2回、ホットエントリーを流し読みする程度にしか使っていない。
昨日も、ちょっとした空き時間にホットエントリーを眺めていて、
”総理になって「VR蓮舫」に追及されてみない? 民進党が開発”
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1703/27/news120.html
寒い企画だと思ったし、政党助成金の無駄遣いなんじゃないかとも思った。
そこで、
けっこう笑ってる人も多いんじゃないかとか、
コメントを見てみることにした。
袋叩きだった。
あろうことか、「蓮舫を殴れるならやりたい」のようなおぞましいコメントに複数スターが付く有様だった。
恐怖したし、
絶望した。
それでも、
そんなに叩かないといけないことなんですか?