はてなキーワード: もつとは
冷やしぶっかけうどんに、ごぼう・かぼちゃ・大葉・なす・まいたけ・にんじんの天ぷらが添えられている
見た目はめっちゃうまそうだし、うどんやでここまで天ぷらおしてるの珍しいなと
いろいろ事前にしらべてうまそうだったし天ぷらって自分でやらないしスーパーのもおいしくないしと思って食べてみた
そしたら失敗した・・・
天ぷらって天つゆとか塩で味つける前提のくいもんだったことを思い知らされた感じ
百歩譲って揚げたてなら天ぷらだけでも素材の味とかしておいしかったのかもだけど、作り置きのせいかもう冷えてたし・・・
bukkake用のつゆはもちろんあるけど、ほぼうどん用の量しかなくて天ぷらどうやってクエっていうんじゃ?って感じだった・・・
ネットの評判だと高評価ばっかだけど、マジで天ぷらをどうやってくってんのか気になるわ
やたら天ぷらに卓上の七味をつけてる人がいる理由がよく分かった気がした
でもこの天ぷらをみるに、ごぼう天もでかいだけで味がしないだろうから食べるのしんどそう・・・
まだふつーの店みたいな小さいやつでスープにつけて食べられるほうがよさそうだわ
ちなみにうどんの麺は若干透き通っていて、ふくおかのうどんなのにやわやわじゃなくて、かといってさぬきほどシコシコしすぎってほどでもない程度にコシがある感じでおいしかった
つやつやきらきらしてる
ウン十年前に長崎バイオパークで食べた絶品の冷やしうどんを彷彿とさせるうどんだった
席に座るまで30分かかったから時間と体力に余裕があるときじゃないと行けないなあ
朝10時半開店なのに並ぶくらいだし
小1の時はゴリラというあだ名の女子がいじめっ子から守ってくれた
ゴリラと言われていたけど俺より背が低くクラスで一番かわいい子だった
でも気が強くて男子と対等に渡り合うからそういうあだ名を付けられた
相変わらずいじめっ子はいてゴリラ女子はいなかったけど他に守ってくれる子達もいた
小5の時、いろんな子から一緒の班になりたいと言われるくらいの人気者になった
小6の時、女子2人に呼び出されあんたのあの糞生意気な妹をどうにかしろと言われた
二人は妹と同じバトン部だったけど、スポーツ万能の妹への妬みだったのだろう
人一倍気が強くて男勝りの性格の妹には直接言えないから気の弱そうな俺に言ってきた
妹とは毎日喧嘩してたけど流石にそんなこと聞き入れられるわけが無いから口論になった
そしたら女子の1人が、あんたの笑い顔がキモい、ビンボウニン、ボットン便所と言った
家が貧乏、汲み取り式トレイというのは一番触れられたくないことだった
みんなが陰口を言っているように思えて人間不信になり他人との距離が測れなくなった
人の目を見て話せなくなった
親しい人でもそれが例え友人でも気安く下の名前で呼べなくなった
まだ男子とは話せるだけましだった
女子が集まって話していると悪口を言われているようで怖くて近寄れなくなった
告白したこともされたこともラブレター1通貰ったこともなかった
バレンタイデーとか卒業式の第2ボタンなんてどこの世界の話って感じだった
でも対人恐怖症がまだあって電車通学がつらかった
たまに行く合コンで連絡先を交換したいと言われるようになった
脛を蹴られたこともある
俺がどれだけ酷いことを言われても先輩たちは見て見ぬふりだった
盆休み明けに先輩たちがよく出勤してきたなもう辞めると思ってたと驚いた
ストレスで十二指腸潰瘍になっても上司から会社に来いと言われた
そのうち上司が説教するとそれがモニター映像のように見えるようになった
上司はお前は瞳孔が開いている、脳のスイッチを切って俺の話を全然聞いてないと言った
この人は厳しい人だったがいつも社員の退職理由は人間関係が1位と言っていた
だから直属上司はこの人のいる前では絶対にパワハラをしなかった
俺もこの人には何も言わなかったが、それでも全てを察していた
元上司が俺の悪い噂を流していたが、それを信じる人は少なかった
新しい直属上司も嫌な奴だったけれど、元上司より100倍マシだった
でも相変わらずコミュ障だったから同期や先輩から合コンに誘われても断っていた
人数合わせで強制参加の合コンで連絡先を交換したいと言う人がいた
でもやっぱり二人だけで会うと口下手だから1回会って終わりだった
その後の合コンで会った何人かと連絡先交換したけど2回会えればいい方だった
結局、いつまでたっても彼女はできなかった
社会人3年目の時、大学のゼミ同級生の男1人と女1人から飲みに誘われた
同僚女子は普通にしていればかわいいのに、笑うと目も口も一直線の変顔になった
口元には薄っすら大きめのアザがあり笑うと引き伸ばされて目立った
俺は彼女とは初対面なのになぜか臆せず話せた
飲み会後、1週間経っても彼女の満面変笑顔が忘れられずゼミ男に相談した
ゼミ女子に連絡したら実は彼女を俺に紹介したくて飲み会に連れて行ったのだと言った
2人とも凄く性格がいいのに彼氏彼女がいないと聞いたからだと言った
ゼミ女からなぜ当日に彼女と連絡先を交換しなかったのかと怒られた
あなたは人が良すぎる一刻の猶予もないのを全く理解していないと言われた
ゼミ男は飲み会の翌日には彼女の連絡先を聞いてきたぞと衝撃の事実を告げられた
とにかく急げ1秒たりとも逡巡する暇はないこの電話を切って今すぐ行動しろと言われた
初めて二人だけで会った日
ランチを食べた後ショッピングに行くとメンズ服屋に連れて行かれた
彼女に着せ替え人形みたいにあれを着ろこれを着ろと試着させられた
店員の前でも平気でかわいいかわいいを連発するから恥ずかしかった
その間ずっと変笑顔全開で楽しそうだった
俺が人前でかわいいって言われるのは恥ずかしいからやめて欲しいと言うと
まだまだ男らしさ女らしさが求められる時代だった
自分の笑い顔のほうがよっぽどへんてこだと言った
それを俺が笑ったら、笑いすぎ失礼すぎると怒られた
それまでにもそういう風に思ってくれた人はいるとは思うけど
口に出して面と向かって言ってくれた人は彼女が初めてだった
俺はずっと無理して男らしくしようと背伸びしていたと思う
彼女にそう言われて肩の力が抜けた気がした
ここでこんな文章を書くくらいにはこじらせている
それだけだと、増田のお母さんが同性愛者かもと決めつけるのは違う気がするな
こんな文章を綴る気になったのは丁度そんな時に夢で思い出させられたからだ。
僕はきっとこれからもこの思いに蓋をして、また何でもない時に思い出して苦しんで。
そんな気持ちを引き摺らない為にこうしてここに思いを吐き出し、決別しようと思う。
今まで文章らしい物なんて書いた事がないから読みにくいかも知れないが、もし、もしも貴女に読んでもらう事が出来たなら最後に伝えたい事がある。
届くかも分からない、届いても実らないラブレターだがそれは貴方がそれ程素敵なひとだった何よりの証拠だから胸を張って読んで欲しい。
僕は小学校の時から給食が嫌いだったから母親の作るお弁当を食べられる学校に進みたくて中高一貫の私立校の受験勉強に努め無事進学した。
そこにはマイナースポーツの部活があり、勉強しかせず好きな人なんて考えたことも無かった僕は「スポーツで活躍すれば漫画の世界みたいなモテモテ人生が送れる!」と思いその部活に入部した。
最初は同じ部員というだけで一目惚れもなく、部活自体が楽しかったこともあり当初の目標からかけ離れたレベルで部活にのめり込んでいた。
その熱を同期に伝播させたかった僕は貴女や同期の仲間に練習に誘い、共に高め合っていた。
秋になって自分達の道具を揃える為に顧問の車に皆で乗りこみ遠出をしたあの日。
車の中で部活の話だけでは時間が余ってしまった時、恋話にもつれ込んでいった。
僕は浮いた話など全く無かった。
今思うと羨ましかったんだと思う。
そんな貴女に負けたくない、いや、仲間なんだから同じ様になれれば。付き合う事ができれば。
僕はそんなに器用では無かった。
なんなら自身の好意を上手く隠す事もできず、性に目覚めた中学生らしい助平な男のままアプローチをしていただろう。
日夜布団の中で見ていたAVからしか恋愛の仕方を学んで来ていなかった僕にはどうしようもなかった。
でも、部活の方では少しでも格好をつけられる様に毎日努力をして、いつしか地方大会・全国大会にまで届くレベルになっていた。
と言うのも僕はその彼氏とも仲が良く、僕が貴女の事を好きな事も伝えており応援されながらも大きなライバルとして存在してくれていたのだ。
彼曰く、将来の為に勉強して良い大学に進む為に集中する、との事だった。
彼は僕に対して「次に彼女を幸せにできるのはお前だと思う。絶対に逃すなよ。そのまま大人になって結婚まで行ったらスピーチは俺がしてやるから!」なんて激励までしてくれた。
男泣きを経験したのはこの時が初めてだった。
僕は彼の将来を応援する為に、また彼の心に報いる為に真剣に貴女に恋をしようと決心した。
僕はまたここで失敗した。
振られたらどうしよう、と傷つくのを恐れて一歩を踏み出せなかった。
傷ついていたのはあれだけ素敵な彼氏と別れた貴女だというのに。
僕に残っていたチャンスはここで無くなったんだと今思う。
いつの間にか高校に進級した僕は個人枠で全国大会に出場が決定した。
全国に行ける嬉しさで更に部活にのめり込んでいった僕とは裏腹に貴女や同期の皆は県予選で敗退してしまい、勉強に段々と集中する様になっていき距離が段々と広がっていった。
結局全国では何も結果を出せないまま、貴女に何も伝える事ができないまま、部活の引退のシーズンまで向かった。
かなりショックではあったが妙に納得してしまった。
僕は大会で結果を出したくて(貴女に見てもらいたくて)練習を頑張り(勉強を怠け)その結果、何も得ることは無かった。
貴女の気持ちがどこにあるのかを考えず、ただただ自分が幸せを追い求めていただけだった。
僕の事を応援してくれていた彼には何をしていたんだ、と呆れられたが慰めてはくれた。
本当に貴女の周りには相手の気持ちを汲み取り行動する事のできる、それでいて自分の夢の為にも努力できる人達で一杯だった。
僕はやっぱり不器用だ。
僕は運良く現役で大学に受かったが、貴女は甲斐なく浪人してしまう。
気持ちに踏ん切りをつけられていなかった僕は何とかしたくてもう一度貴女にアプローチした。
まだ浪人中で勉強を頑張っている貴女を無理矢理誘って告白した。
どこまで行っても僕は一方通行の感情を伝える事しか出来ていなかった。
結果はNO。当然である。
僕の性格を知った上で「あえて」言わなかったのだろう。
就職してから自己研鑽の為に本を読む様になった僕は過去の至らなさに気付き始め、相手の事を慮る努力を始めた。
だが恋愛に対しては自身の欠点に気付いた事により奥手になっていた。
その為、彼女はできず。
偶に帰省して貴女と同期の皆と会った時には昔の性格を引きずり、「彼女は勿論、セフレだっている」なんて見栄まで張っていた。
きっと皆は察してくれていたんだと思う。
「僕が傷つかない為には仕方ない」
全国転勤で飛び回る中、地元の近くに異動が決まった。
ラストチャンスがあるかもしれないと考えた僕は貴女に連絡をした。
遅かった。いや、スタートラインに立っただけでアプローチができると思っていた自分が愚かしかった。
相当参ったのか酷い風邪を引いた。
ただただ泣いた。
だがそんな事は無い。
皆等しく頑張っていた。
元々貴女の周りにいた異性は須く相手の事を慮り、努力ができる人達だった。
結婚式、披露宴の間、僕はずっとビールを煽り続けていた。貴女と顔を合わせる事なく。
僕はここで貴女を諦める。
その為に来たのに最後の最後まで自分が傷つく事を誤魔化すためにアルコールに逃げたのだ。
恋愛を諦めて一年経った今、僕に罰としてあの日の記憶が夢として思い出された。
それとも、貴女諦めきれなかった未練がそうさせたのか。
逃げる為に煙草を燻らせながらこうして文をしたためる。
逃げるなら違う方向へ。
最後に。
僕は貴女のことが好きでした。
この恋が実る事は無いけれど、僕も貴女と同じ様に素敵な人達に囲まれた人生を目指してもう一度頑張ろうと思う。
貴女に負けないくらい新しくできた友達、伴侶と幸せに生きていきます。
候補者以外の安倍へのヤジが合法な時点で、候補者である俺らが違法なわけがない
北海道のヤジも、俺らがやったヤジも全く同じ
音量がデカかろうがなんだろうが定義が曖昧な以上、ヤジであると一括りにされる
https://twitter.com/nemoto_ryosuke2/status/1790019943834227068
つばさの党・根本良輔氏「安倍氏へのヤジが合法で俺らが違法なわけがない」 選挙妨害疑い
https://www.sankei.com/article/20240514-MEYMGQ723FF3ZIBV7ZBVDTKSJI/
これなんだけど、これを読んで成程と思う人も結構いるらしいけど他人のいうことを純粋に信じちゃう人の良さなら嫌いじゃないし悪でもないよ
まともに問題も理解してないのに、グダグダと話をひっくりかえすしかしないためにこの言説を使う人は悪かもしれんがな
信じちゃう人はともかくとして仮にも政党の幹事長がこれを言うのはどんなもんよと思うので見てみるよ
公職選挙法の選挙妨害は225条で今回はおそらく1項1号と2号の問題となると思うけど、とりあえず2号の方で見るね
第二百二十五条 選挙に関し、次の各号に掲げる行為をした者は、四年以下の懲役若しくは禁錮こ又は百万円以下の罰金に処する。
二 交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、又は文書図画を毀き棄し、その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき。
演説を妨害して選挙の自由を妨害した場合に罪となるという規定であり、妨害の方法は別に規定してないわけだ
と言っても意味なくて、せめて言うなら「ヤジのせいで安部氏の演説が妨害されたのに合法だった」なの
一応言っておくと、この事件で選挙妨害は争点になってないので選挙妨害の事案として持ち出すのは不適切なんだけど、なんであいつは逮捕されないのっていう部分で持ち出したのでまあいいか
別に法律とか知ったこっちゃない層ならヤジが問題なんだで吹き上がってもいいけどまがりなりにも政党の幹事長なら公職選挙法の条文位は知っていないと困るでしょ
本当に知らないんじゃなくて知っているけどあえてそう言っている可能性もあるけどさ。トランプとかと同じで正しいことより金を出す層に受けるアジを振りまいているって可能性
これでも分からんと言う人がいるかもしれんので、ヤジを持ち出すことのおかしさを別のケースで例えてみよう
人を殴って殺した奴が殺人罪を問われているときに「俺じゃなくてあいつも人を殴ってるのに殺人罪になってない。間違ってる」と言うの変でしょ
人を殴った結果、傷つけたなら傷害罪かもしれないし暴行になるかもしれないし、あるいは殴ったという語感の問題で触れた程度なら罪に問われることもないよね
人を殴って殺したから殺人罪であって、殴ったかどうかが問題ではない
それと同じでヤジが問題ではなく、ヤジの結果選挙の妨害になるのが罪になる
だからヤジで一括りにしてるわけでもないし、ヤジの定義が曖昧だから困ることは何もないの
ヤジってる時点で選挙の妨害じゃねーか、と言う人もいるやもしれんが妨害になるのは
と言われてるの(正確に言えば公職選挙法ができる前の衆議院選挙法についてだけど)
だから
音量がデカかろうがなんだろうが
と言われようと音量がデカけりゃその分演説の邪魔になるんだから、当然有罪へのプラス評価になって関係ないわけないんだよ
聴衆がどの程度の妨害で聞き取ることを不可能になるか分かんねーだろ、やっぱ曖昧じゃないかと言われたら
お前がそう思うならそうなんだろう。お前ん中では
ああ「ヤジのせいで安部氏の演説が妨害されたのに合法だった」以外にも言えることあったぞ
「つばさの党は聴衆が演説を聞き取ることを不可能又は困難にはしていない」
これなら正しい反応だと思う。それが実際にどうだったかは別として
トンネルがあって、小さい頃はそりゃ怖かったけど慣れてくると目を瞑ってでも歩けてしまった
短かったし。
で、ある日の夜中いつもみたいに懐中電灯もつけないでトンネルを歩いていたら、出口に女の人が立っていた。その時の私の身長が140cmぐらいだから20cmは高かった気がする
「君、もしかしてトンネルを懐中電灯なしで歩いてきたの?」と聞くので
「そうだよ」と返したらびっくりして
って怒られたわけよ
それで面白くなった私はそれからも懐中電灯なしでトンネルを歩いていた
その度に出口に女の人が立っていて、
毎回叱られたり、頭を叩かれたりした
不思議だったのが、トンネルを通る前に出口に女の人がいないか確かめていないことが分かっているのに出口までたどり着くと立っている
逆に出口から入口まで歩いたら、それでも立っていた。まるで私がトンネルに来る時間を知っているみたいに。まあ当時、どうしょもない悪ガキだったし、出口についた瞬間、懐中電灯の光を女の人に当ててみたり、転んだ振りして心配させてみたりもしたっけ
それで、ある日いつも通りトンネルを歩いていると後ろから誰か歩いてくる音がした。
いつもの女の人かな?と思ったけど不気味な笑い事は明らかに男の人で、怖くなって走った
転んでも、出口を通り過ぎても走った
だけど、追ってくる人は早くてとうとう
女の人がにんまり笑っていた
どうやら私が聞いた不気味な笑い声は女の人が
流していた音声で、ずっと歩いてたのは女の人だったらしい
「怖かったでしょ?これに懲りたらもう危ないことはやめなさいね」と飴をくれて女の人はどこか
歩いていった
それから帰省する度にそのトンネルで懐中電灯をつけずに端から端まで歩いてみたけど
未だその人には会えていない
名前もどこに住んでるかも聞きそびれた
分かる事は背が高いことと叱られたらなんとなく
嬉しくなってしまうことぐらい
こんな私をまた叱ってくれますか?
昨年育休より復帰
が、いざ復職するも具体的な分担の話はできないまま
私がほぼリモートの一方で夫は地方の役所づとめで毎日遠距離通勤(片道1.5時間、平日朝は6時には出て帰りは20時近く)もあり、復職前と変わらず平日ほぼワンオペ状態が半年以上続いてました
仕事で色々あったこともあり、育児家事分担が妻である私に偏ってると感じ分担の見直しの相談を持ちかけました
ここでよくなかったと反省はあるのですが、前段で他の家庭での話を出してしまいました
うちの会社の同世代以下の男性陣がかなり育児に協力的な人が多く、奥さんが専業でも平日終業後は育児家事専念してる、などの話を聞いた直後でしたので、その話を夫にもした後に分担の話を切り出しました
今思うと、比較され気分も悪かったかとも思いますが、こちらもいらつくことに、返答として「人は望めば望むほど更に望む」といった主旨の話を夫が切り出しました
(イラつきマックスで詳細忘れましたが、当時よく読んでいた仏教関連の話から引用したそうです)
更に「具体的に何すればいいの?」と聞かれたので、保育園の準備や朝ごはんの用意など、いまの通勤形態でもできる内容を挙げました
ここでまた、聞き方が人を馬鹿にしているとしか思えないもので、私が「保育園の準備」などと言うと「あとは?」と、こちらが分担したい家事育児を挙げるのに対して、ただ一言「あとは?」を繰り返すのみです
今思えば仏教の話にある、望めば望むほど、を繰り返しの問で気づかせようとでも思っていたのかとも思いますが、私としては話し合いする気もないとしか受け取れないし、真剣に相談したかったのに対してバカにされているとしか感じられませんでした
その場は私が呆れ返ってしまいそれ以上の話ができずだんまりモードで話し合い(?)も打ち切りとなりました
それ以降、望めば望むほど、と返され傷つくのが嫌で愚痴も相談もできなくなりました
今度話しをするとしたら、離婚を切り出すときくらいかなと思います
本人も言ってましたが、家事など「やれるところはやっている」※ので、ゴミ出しや洗濯干しなどやってもらっているところも確かにはあるので、その多少の支援と一緒の空間にいることの辛さとの天秤がいずれ崩れたときが決断のときかなと思います
(※夫が「やれないところ」は否が応でも私が対応してる点を言った上で上記の流れになった点もあったのを書いてて思い出しまたイラつきが再発してきました、、)
いないと思って全部自分でやるほうが精神的には楽なのではという割合が最近増えてきました
直近だと飲み会に関しても思うところがあったものの、仏教の話切り出されるのが怖くて思うことを言えませんでした
子供2人目も考えたかったですが、現段階では産後の負担を考えて(かつ生理的にも)到底無理そうです
年齢的にも難しい齢に踏み込んできているところだったので、もともと考えどころではあったものの、こういった事情で諦めざるを得ない状況になってしまっているのは自分としても結婚当初は想像もつかず大変残念なところではありますが、そういった相手であることを分かりきれずに選んでしまった自分の落ち度でもあるかなと思い、自分自身を無理やり納得させている状況です
吐き出しどころもなくモヤモヤしてましたが、せめてもの決断のときの証跡にでもどこかに残しておきたかったのでここに投稿させていただきます
解像度を上げるには膨大なエネルギーがいるが、地球の外周ぐらいの長さの加速器ではひも理論の検証には不十分
これを考えると、「じゃあエネルギーが無限にあれば無限小の理論が実現できるのか?」という話になるが、無限のエネルギーなんてもんがあるのか?
そんなものがないのだとしたら、人間のもつ解像度じゃ離散スケールの中で生きているってことになるよな?
では時空はどうだ?これは離散的なものなのか、って話になる
そもそも、観測によってズームインしていけば際限なく拡大できると考えるなら、空間も時間も無限に観測できるという話になる...と一見すると思われる
どっちがいいと思う?
今Xperia 1 IVつこてて、残価設定ローンが終わるとこで次を探してるんだけど。
Pixel 8a にするなら、毎年「a」シリーズで下取り出して交換してこうかなって。
Proにするなら今まで通り2年ごとの交換サイクルかなって思ってる。
Xperia? Xperiaはなあ、もう卒業かなーって正直思ってる。生産数が少なすぎるのかコスパがもう現実キツい。
I IVも正直微妙だった。光学式のズーム機能とかいらねえっつーんだよな普通に。それだったら魚眼レンズでもつけてくれよって。
ロースカツなのかヒレカツなのかでも話が変わるし気分の問題でもある
ロースカツなら一口目に脂を欲しているか否かだがロースを頼んだ時点で脂を欲しがってるから脂身の多い端っこから行くことが多いだろう
俺は一口目は何もつけず肉の味と現在の味覚を確かめてから味付けを考える派
物足りなければソースでいく
ただしつけもの
テメーはダメだ
ぶっちゃけ増田的にはこれ愚問でしかないんだけど、たぶんみんなタイトルだけ見て完全にこの記事の内容勘違いして想像してると思うんだよね。
この記事は、実はその勘違いがどっから起きてんのかって話です。
夏目漱石の有名な一節「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と、昨今みんな当たり前のように理解したつもりで使ってる「政治的な正しさ」が日本語の乱れによってどんな風に誤って解釈されているか。
まあこの辺でちゃんとしてる人はもう気づいてると思うけど、それは「的な」という便利ないいかげんな日本語表現から来てるよってことを述べる記事でござんす。気づかなかった君こそ読もう。
「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」って言葉は、国語の授業で「こころ」を読んだ中高生はたいてい知ってる。
ときには授業のあとにクラスで、冗談めかして馬鹿だ馬鹿だと言い合う遊びが流行ったりしただろう。
でもその意味を本当には理解できているのか? 「精神的に向上心のないもの」とは何だ? 「精神的にでなく向上心のないもの」とは何が違うんだ?
この言葉は作中で計二回用いられている。一度めはKが何気ない場面で「私(若き日の先生)」にかけた言葉。そして二度めは、それを反復して「私」がKにやり返した言葉だ。
最初の場面にはただこう書かれている。
つまりKにとって「精神的に向上心のないもの」とは、ただ「日蓮の事について取り合わなかったもの」のことなのだ。
次の場面には、これをもうちょっと細かく解説した文がつけられている。
Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味も籠っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。
ここでは「精神的に向上心のないもの」とは、一言で言えば恋をするものということになっている。
もうだいぶ見えてきた。実はこの「精神的に」という言葉は、君たちが思ってるよりだいぶシンプルで、現代となっては時代錯誤過ぎて本気には取れないような内容なのだ。
spiritually
そう、Kにとっての「精神的に向上心のないもの」とは、ただ単に宗教的精進をしないものということなのだ。
普通の向上心、つまり立身出世とか勉学の追究とか、そういう現世利益とは程遠いという意味で、わざわざ「精神的に」とつけているのだ。
これは英語のpolitically correctの訳語なので、英語で調べるのが手っ取り早い。オックスフォード英英辞典のcorrectの項目には、こんな類似表現が紹介されている。
environmentally correct
環境的に正しい、とでも訳そうか。これはどういう意味だろうか?
普通に考えれば、平易な日本語で言う「環境に優しい」くらいの意味だろう。まかり間違っても、本音では違うんだけど環境に配慮して用意した建前、なんて入りくんだ意味ではないだろう。
それなのになぜ、「政治的に正しい」という表現になると、そのような皮肉を含んだ偽善的なニュアンスをもつものになると考える人がいるのだろうか? 同じニュアンスで「優しい政治の」くらいにふんわり理解しても良さそうなものなのに。
結論を言えば、これはひとえに「的な」という便利な、それゆえに乱暴に使われがちな日本語表現の問題から来ている。もちろんそれと、そういう曖昧さを悪用しようとするずるい詭弁愛好精神にもよるものだけど、これを言い出すと話がややこしくなるので触れません。
「的な」という言葉は、上で見てきた例のように、英語の名詞から作られた形容詞を直訳するための便利な接尾語という側面がある。この場合、もとの英語の意味内容をそのまま適用して、その名詞の事柄に関するものというくらいのニュアンスしか持たないとおおらかに解釈しておくべきだ。
しかしここに何故、もっと皮肉なニュアンスが含まれると勘違いしてしまいがちなのか。
君たち的にはどう思う?
……そう、つまりこういうことだよね。口語のブロークンな表現として、「オレ的には」「アイツ的には」なんて言い方で、その人にとってはそうだけど、他の人には必ずしも理解されるわけではないよっていうエクスキューズの言葉に使われているからだよね。
でも注意深く考えてみればわかるけど、それは一般の形容詞を作る場合、特に外国語を訳して作られた言葉の場合には何の関係もない、あくまで「的な」の複数の意味内容のひとつにすぎないんだよね。それこそ、「口語的」にはそうだけど、堅い術語では違うわけ。
こういう解釈で「精神的な」「政治的な」を解釈したら、本来の意味が薄れちゃう。「政治的な正しさ」に建前だとか皮肉な意味なんてないし、「精神的な向上心」は「気持ち的に高まる」みたいな曖昧な意味ではない。
増田的には、みんながもっとこの点に注意深く、誠実になってくれることを切に望むよ。将来展望的に。
漫画とかで首にキスマが…!みたいなのあるけど実際首につけるの結構難しくない?
めちゃくちゃ、もうギャグ漫画みたいにオーバーに強めに吸うか噛むかしないと駄目じゃん
でも情事中にそんなズオーッ!ってやらないじゃん普通 というかやってたらヤバくない?
ある男性アイドル(よく知らない)の首元に赤い跡あったから「キスマだ!彼女いるんだ!」みたいな噂が流れてるらしいんだけど、嘘でしょ?って思った
じゃあセックスしてる最中、馬鹿みたいに音立てて首吸ってる時間があったってこと?なんなんだもう
もしかして自分がコツを掴んでないだけで、簡単にキスマ付けられるテクニックがあるの?そして皆それを会得してるの?
でもネットで調べて出てくるコツなんか殆ど試したけどな 全部駄目だったよ
次の日の朝まで残る跡なんかとてもつけられない どうやるんだ
あと、まさかめちゃくちゃ噛んでるとかないよな?
朝まで残る跡ってめちゃくちゃ噛まないとできないと思うんだけど 絶対痛いじゃん
キスマつけよ!ちゅ!みたいなノリじゃないじゃんもう
なんなんだよキスマって
そのじいさんが亡くなった。
昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。
安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。
そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。
正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。
実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。
母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。
じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。
じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後部座席で笑っていた。
寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。
じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手ずから彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。
そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。
その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。
そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。
それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。
死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。
最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。
最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。
父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。
父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。
父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。
亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。
ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。
(ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった)
そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。
こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。
生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。
生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。
じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。
それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。
ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。
私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。
私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
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6/22
父の死は、私にとってとても大きな出来事で、父のことを書きたいと1年間思い続けているけど、整理がつかずになかなかかけずにいます。一部ですが少し吐出せて、それを読んでもらえてうれしいです。
私が書いた別の読みたいというブコメをみかけたので、かなり以前に書いた増田ですが、お年寄りの話題・肉親の死が出てくるものを2つほど貼っておきます。
※ビービーの車名直しました。廃車するとき泣きながら見送ったのに間違えてしまった、ご指摘ありがとうございました。
俺はさ、これでも自分なりにがんばって、増田で盛り上がるネタを探して投稿してるんだ
楽しそうにしてるみんなをみるのが好きなんだ
たとえばこれ。
https://anond.hatelabo.jp/20230715190309
これは昔の俺のネタ増田を非公開セルクマしたやつ。そしたら400ブクマついた。
みんないろんな歌詞あげてくれて嬉しい。
ただ文句も言われるのは悲しい。
「その三つは意味あるだろ!」とかさ。
これでもさ、他からネタを探して、オリジナリティもつけて、ツッコミどころも入れつつ、みんなが挙げやすいような例を考えてるんだよ?
本当に意味が分からない歌詞は挙げない、それはみんなが挙げてくれるから。
自分は盛り上げ役で、みんなが主役なんだよ。
でも叩かれるのはやっぱり辛い。
もちろん「叩き台」としての「三大◯◯」だからさ
叩かれるのはある程度仕方ない
でも、バズらない時だって何百回もあるんだよ?
そんな完璧な例示を毎回できるわけないんだ
しかももちろん無料でなんの見返りも求めず(いやみんなが喜んでくれるのが一番なんだけど)やってるんだからさ
もう少しだけ優しくしてほしいって思ってしまう
ま、いいや!
湿っぽくなってしまった。