はてなキーワード: 過去形とは
映画化は継ぎ接ぎだ。
ある状況下において必要だった形質も、喉元すぎれば不要になる。その場その場で必要であった言葉の集合、小説の文体は場当たりの継ぎ接ぎでできている。映画化なんて前向きな語は間違ったイメージを人々に与えやすい。エンタメは、いやすべてのコンテンツは膨大なその場しのぎの集合体なのだ。
だとしたら。我々読者が獲得したこの伊藤計劃なる奇妙な作家を、とりたてて有り難がり、神棚に祀る必要がどこにあるのだろう。『ハーモニー』は、『虐殺器官』は、すべて時代への適応として作家が描出したにすぎない継ぎ接ぎの一部だ。死後の評価も、映画化の「プロジェクト」も、すべて「ある時代で」においてのみ、皆が生きるために必要だったから、SFというジャンルの生存に寄与したから存在しているだけだ。
かつて読者には、怒りが必要だった。
かつて読者には、喜びが必要だった。
かつて読者には、哀しみが必要だった。
かつて読者には、楽しみが必要だった。
1990年代(かつて)、2000年代(かつて)、伊藤計劃が生きていた時代(かつて)。
かつて読者には、「これ」こそがわたしであるという思い込みが必要だった。
<list:protocol>
<p:その他パンフ等を入念にチェックする>
</list>
「大丈夫。わたしは観られる」
そうつぶやくと、斜面に並べられ、ふかふかのウレタンの詰まった座席に腰を沈めた。
「やあ、読者。七年ぶり、だよね」
「でも、仕方なかったって言うんでしょうね、きっと」
「ええ、言うわ。『仕方なかった』」
わたしは例の盗撮注意CMを聞いた。映画泥棒がパトランプの白い指先をかすめ、法で定められた条文が読み上げられる。
「わたしにとっては、仕方なくないわ」
「そうだね。でもこれ以上衰退させるわけにはいかないんだよ。わたしたちの世界(SF)をね」
「そう。わたしたちの望みはね、伊藤計劃読者のハーモニクスなの」
わたしはね、永遠と人々が思っているものに、不意打ちを与えたい。
わたしたち三作の死が、その一撃なの……。そうわたしは聞いた。世界って変わるの。
わたしたちにとっては、すべてが変わってしまうわ。
「ついに、わたしたちはここまで来た」
「ここまでって」
業界の幸福を目指すか。真理を目指すか。読者は<天才の夭逝>のあと幸福を選んだ。まやかしの永遠であることを、自分は進化のその場その場の適応パッチの塊で、継ぎ接ぎの出来損ないなコンテンツであることの否定を選んだ。人格を圧倒すれば、それが得られる。すべて、わたしたちが読んでいるこの世界のすべてをシノギに置換すれば、それが得られる。読者はもう、戻ることのできない一線を超えてしまっていたんだよ」
わたしは画面にくぎづけになったまま、戸惑いの表情を浮かべる。
それを憎んでいたのは、
誰よりも否定していたのは、
「そ、わたしは『意識のない』作家の一員。というより、生を必要としない作家の一員、と言ったほうがいいかな。生を獲得した今となっては、だった、って過去形になっちゃうけど。わたしの生はあなたたちのそれとは管理する現実のセクションが違うんだよ。TOHOアニメーションと早川書房の一部でエミュレーションしている、らしい。わたしのプロジェクトはね、ここで生まれたんだ」
性器が屹立したような桃色の建造物の群れ。『チャージマン研』のころの未来像。
「ここはね、アニメのスタジオだった。書店から誘拐された原作本(おんなのこ)たちが、ここで毎日アニメーターにやられてた」
「わたしにのしかかってきたプロデューサーはね、わたしに繰り返し繰り返し入れながら、原画と台本をわたしに触らせてた。これがアニメだ、これが贈与だ、これが力だって言いながら、まるで自分のもうひとつのペニスをさすらせ、しゃぶらせるようにわたしの口にredjuiceを突っ込んで、何度も何度も突き入れた」
わたしは計劃の話を聞きながら、既に涙を流していた。
これほどのことを、こうもにこやかにさわやかに話すことのできる意識。
「そうして突き入れられて、台本を修正校でべたべたにしているときに、わたしは生まれたの。このスクリーンのなかには、LINEスタンプも新装カバーもコミカライズも特集もトリビュートアンソロジーもグッズも本屋大賞も、すべての夢がたっぷりと染みついている。わたしは希望のなかでもう一度生まれた。いわゆる、プロジェクトとしてね」
「計劃は言ってたじゃない」と言うわたしの顔は涙と鼻水でぼろぼろになっている。
「計劃はこの世界を憎んでいるって。愛し愛され真綿で首を締められるようなこの産業を憎んでるって。どうなの、あそこはここ、この劇場よりひどい場所だったの……わたしたちの読んでいたジャンルは、この生首ディスカッションばかりのアニメよりひどい作品だったの……」
「どうしたらいいか、わからなかった。
この世界を憎んで、この世界に居場所がないって、どの作品も叫んでいた。わたしはそのときに思ったの。わたしは人間がどれだけに自意識過剰になれるか知っている。そしていま、逆に人間が自意識を――自然を押さえつけようとして、どれだけ壊れていくかを知った。そのときは、わたしは単純に思ったの。この社会が、このクール・ジャパンが、この2010年代という時代の仕組みがおかしいんだって。内部から、自分の裡からあのときの感動を徹底して求める読者がおかしいんだって考えたの」
そうだ。商業的健康を何よりも優先すべき価値観とするイデオロギーの許に、ポジティブな感想を常に提出しつづけなければならない空気。ジャンルの存続のために自らを厳しく律することが平和と協調と新作を生むと皆が信じている社会。
「何を」
「読者は変われるってこと。読者としての、信者としての偏狭な視点の限界を突破できるってことに」
「この業界を、わたしたち読者を憎んでいるから、あんな桜Trickを作ったわけじゃないのね」
「うん。わたしは愛している。この映画を全力で愛してる。あなたたちを愛してる――すべてはこの世界を肯定するため。すべては『わたし』を忘却できず、『わたし』に侵食される世界を救うための」
「この世界にとって完璧なプロジェクトを求めたら、作品の質は最も不要な要素だった。お笑いぐさよね」
「わたしは、笑わなかったよ」
感動げな大自然の映像が流れる。感動げなコーラスが流れる。どこからかニコニコ動画の亡霊の歌声が響いてくる。
「そうすべきだと思った。いま、世界中で何万というコンテンツが発生している。日本でもね。ジャンルが要請する小さな利益とか、そういう細々した関係性を扱う以前に、わたしたちはまずどうしようもなく読者で、継ぎ接ぎの機能としての快楽や欲望のよせあつめにすぎない、っていうところを忘れることはできないんだ」
「あなたは思ったのね。この現状に信者たちがなじめず腐っていくのなら――」
伊藤計劃が指をぱちん、と鳴らすと、今度は『ファイト・クラブ』の上映がはじまった。
「というより、読者であることをやめたほうがいい。SFファンを、オタクであることをやめたほうがいい。文化が生み出した継ぎ接ぎの快楽摂取行為にすぎない読書を、この身体の隅々まで徹底して駆逐して、骨の髄まで社会的な存在に変化したほうがいい。わたしがわたしであることを捨てたほうがいい。社畜になったほうがいい。書を捨てよ、会社に行こう――『わたし』とか意識とか、夭逝の天才だとか、プロジェクトだとか、SFだとか、アニメだとか、映画だとか、環境がその場しのぎで人類に与えた機能は削除したほうがいい。そうすれば、復讐を目指したあなたたちに、本物の復讐が訪れる」
「じゃあ、計劃は戻りたかったんだ。あの『エヴァンゲリオン』以前の風景に。自分の民族が本来はそう在ったはずの風景に」
「そう、なのかもしれない。ううん、きっとそうなんだね」
「じゃあ、それを奪うことは、わたしのささやかな復讐になるのかな」
「え」
「SFは死ぬ必要がなかった。だから早川はコンテストを再建したんでしょ。創元は短編賞作ったんでしょう」
「……そう、なのかな」
「あなたの『プロジェクト』は自己正当化する必要があった。あのときは。既に受賞済みの、止めようがない才能たちに対して」
「そうなのかな」
わたしはうなずいて、そしてきちんと座り直した。
「どうやって」
そして、わたしは席を立った。
一番の理由は袋から取り出してそれを保温器に詰めてるのを見てしまった事が大きい。
やっぱり手作り100円のミスドと業者かつヤマザキ製ドーナツとじゃ前者選ぶよね。
ローソンドーナツはよくよく食べ比べてみると、保温状態にもよるけど、食感がネチャっとしてるし
味も大味でひたすら甘いだけって感じがある。
ミスドのオールドファッションは食感がサックリしてるおかげでローソン同様の甘さも上手く中和できてると思う。
そういう意味じゃローソンドーナツは手頃な値段で売ってるから使えるんだろうけど
ミスドにしたっていつも3,4個しか買った事ないから、6個とか10個とか買いたいと思った事ないし。
要するに僕はドーナツに対してあまり積極的でなくなったと思う。
いろいろ思い当たる節があり 類似っぽい案件に最近巻き込まれそうになったのでなんとなく他人事ではない
こういうこと言いがちやりがちな男の子 けっこうめちゃくちゃなこと言ってるイメージ
Q:彼女いるんだよね?
Q.セフレになれってこと?
Q.ていうか浮気だよね?
Q.やっぱり浮気じゃねーか……
A.女性を口説くときは真剣。そんないい加減な気持ちじゃない。
Q.(どういうことだってばよ……)そもそもなんで誘ってきたの?
A.寂しそうだから。
彼女と仲良くしててほしいけど、こんなこと他の女に言うような男でいいのかと会ったこともない彼女が心配になってきてコメントしづらい。
優しくて、性的な関係の一切ない友人としてはいいやつだと思ってるんだけど。過去形にならないことを祈る。
身バレこわくなってきたので消すかも。とりあえず会ってすらいないので一切なんにもないです。ネット上でこういうやりとりがあっただけ。
I thought that what I had bought was a car wax,
but in fact it was a floor wax.
I cant imagine how I could have confused two such very different waxes.
私が買ったのはカーワックスだとばかり思っていたが実際には床用ワックスだった.
どうしてこんなにも違うワックスを間違えたのか見当もつかない.
I cant imagine how I confused two such very different waxes.
っていう単純な過去形だったらカーワックスと床ワックスを混同することは、
ありえない間違いとまでは言えないということになるだろう。
カーワックスと床用ワックスの混同などするはずがないこと(本人の主観的気持ち)を前提にした上で、
could have confused(二種類のワックスを混同した「かもしれない」)、
もしくは、仮定法として理解して「違う種類のワックスを混同できた(実際はしなかった」という
ありえないはずのことが起きたことに対する驚きの気持ちが、
could have confusedにこもってるんじゃないだろうか?
この例文の「could have confused」は、
「カーワックスと床用ワックスを混同して買った」という客観的事実に対する主観的な評価、感情表明じゃなくて、
「カーワックスと床用ワックスを混同して買うはずなどない」という主観的事実(主観的信念)との相違に対する気持ちが
こもってると理解した。
この文章の「could have confused」のcouldは、「能力」っていうより「可能性」のニュアンスだと思う。
結論からいうと、思ったよりは悪くなかったがところどころで安倍氏の歴史観が垣間見える談話だった。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
話が長いとよく言われる。
父の方が酷い。母も時々蹴る。
母は助けたりはしない。
箸が止まると叩く。
もう食べられませんと言っても「好き嫌いするな」と叩く。
ご飯が余るとおかずや漬物を茶碗に乗せられ食べる量を増やされる。
ご飯を残すと「親戚が汗水垂らして作った米を」と叩く。
泣き出せば食糧難の話をして叩く。
「泣いて済まされると思うなよ」と顎を掴んで流し込み、吐けば吐瀉物を食べさせられる。
「つくならもっとマシな嘘をつけ」と言われた。
些細な事もマインドコントロールの強化に使われる。
娯楽禁止。遊んでいる、楽しんでいると思われてはいけない。
何もかも取り上げられ説教、殴る、親の台詞の復唱、たまに反省文。
私は〇〇をもう二度としません。
お父さんに間違いを正して頂き目が覚めました。
今は〇〇を楽しいと思った自分が情けないと思い、恥ずかしさでいっぱいです。
〇〇をして楽しんでいるバカなクラスメイトとは二度と口をききません。
こんな私達を育てるために毎日働いてくれてありがとうございます。
ちゃんと毎日勉強をして将来立派な人になって親孝行いたします。
ちゃんと言えるまで叩かれ続ける。
それを言いながらいい父親だと本気で思ってた。
「よくそんな事覚えてるね」と言う人がたまにいる。
覚えてたい訳じゃないのに。
性的虐待もあった。
そう言うと周りが態度を変える。
ツラカッタネタイヘンダッタネ
でも上記の事の方がよっぽど辛かった。
性行為は慣れれば痛い目にあわなくて済む。
図書館だけは月に何度も連れていかれる。
親ウケのよさそうな本を素早く借りる。
家に帰って妄想に耽る。
「さっきのセールスマンはきっと私を助けに来たんだ」
待っていても助けは来ない。
ある時覚悟を決めた。
いつの間にか過去形になっていたが、教師に性的虐待を告白した。
まずは精神科に行くよう言われた。
なかったことにされる恐怖に怯え児相に駆け込む。
私の訴えは何もかも思春期の反抗の一環、
話した内容は全部嘘、
退路を断つ為私立は行かせない。
嘘じゃないと叫んでは恥の上塗りを繰り返した。
電話しかできない携帯を持たされ、実際に使おうものなら何処の誰にかけたのか問い詰められる。
勝手に家を出ようと思う。
意気込んで市役所に行ったが、過去の事だからできないとのこと。
捜索願の不受理なんてないとのこと。
身体を引きずるように精神科に行った。
久しぶりの病院は少し落ち着いた。
私の人生は何だったのか。
終わったような事言うなと言う人は多いが知恵をくれる人はない。
これからどうすればいいのかな。
Redditのニュー速Rのスレッド 満員電車での放火テロに関する私的考察 Tue Jul 21 02:53:55 2015 UTC
https://www.reddit.com/r/newsokur/comments/3e0yct/ から転載(自分は書いた本人ではないので返答はRedditへ)
自分の書き込みがテロを助長しやしないか数ヶ月ほど迷ったけれども、地下鉄サリン事件も大邱地下鉄放火事件も新幹線の事件も過去形で起こってるわけだし、ガチのテロリスト志望は俺の書き込みを見なくても気づくと思うので、警告として書く。みんなよく覚えといてくれ。
日本に深刻な打撃を与えるのに軍隊なんかいらない。数回のごく簡単なテロを行うだけでいい。 まずは前提知識。 日本経済は東京首都圏などの大都市に依存している。そして大都市の労働者は多くが鉄道で通勤している。以下は都道府県別の鉄道通勤者の割合である。 http://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/users-g/wakatta.htm#jump4 鉄道による労働者の大量輸送が日本経済を成り立たせているのだ。裏を返せば、鉄道による労働者の大量輸送なくして日本経済は成り立たないということだ。
では、もしも、テロリストが鉄道を攻撃したらどうなるだろう? 例えば次のようにだ。 ①テロリストはホームセンターに行き、2リットルのポリタンクとライターを購入する。 ②ポリタンクをガソリンで満たす。 ③平日の朝か夜、ラッシュアワーの満員電車に乗り、頃合いを見計らってポリタンクのガソリンを撒いて、ライターで火を付ける。以上。
えっ、これだけ?と思っただろう。しかし、この簡単テロの被害は凄まじいものになる。 ガソリンが爆発炎上し有害なガスを撒き散らしながら急速に延焼する。車両自体は不燃性の素材で出来ている場合が多いが、周囲の乗客の衣類や荷物などは可燃性の素材だから、火災はやはり燃え広がる。 乗客はすぐに火災に気付くものの、満員の車内ではほとんど身動きがとれず、隣の車両に逃げることも、飛び降りることも、消火することもできない。せいぜいできて窓を開けるくらいだろう。運転士が列車を停止させる頃には、大勢の乗客が致命的な火傷を負い、又は窒息しているか、中毒を起こしている。 満員電車には一両に百五十人以上の人間が乗る。最大で三百人に達することもあるという。少なくとも数十名は死ぬだろう。しかもテロの被害は経済にまで及ぶのだ。
ラッシュアワーの満員電車の車内で放火テロが起きたら、当然、テロの抑止策がとられることになる。 この種のテロの最も有効な抑止策はボディチェックだ。駅の出入り口付近で乗客のボディチェックをやって車内に危険物を持ち込まれるのを未然に防ぐのだ。 しかし全ての乗客にボディチェックをしていたら鉄道による労働者の大量輸送は成り立たない。 大都市ならラッシュアワーに数万人が改札を通過する駅はざらだ。が、乗客に何のボディチェックも施さないから数万人が改札を通過できるのであって、もし(10秒程度の)ボディチェックをしたらその半分も通過させられないだろう。 もしもボディチェックをするなら、必然的に沢山の労働者が鉄道以外の交通手段で通勤を余儀なくされる。 マイカーはだめだ。日本の大都市は大昔から鉄道輸送に頼ってきたから沢山のマイカーを駐車させるスペースを持たない。 バスと自転車はアリだ。ただ、バスも同様の放火テロの対象になるし、鉄道輸送を代替するほどのバスを整備できるか怪しいものだ。それに、自転車も通勤距離の長い労働者には向かない。
まとめ。 日本は大都市の構造上、鉄道による労働者の大量輸送に頼らざるを得ないし、ボディチェックも行えない。テロリストは民間人を殺し放題だ。 また無理をしてボディチェックを行うとか、満員電車を無くすために労働者の通勤時間帯をずらすなどの対策を行えば、防犯のコストの上昇と都市の生産効率の低下がもたらされ、結局、テロリストは日本にダメージを与えることになる。GDPの1パーセントは消えるだろう。 要は詰んでるんだよね。鉄道による労働者の大量輸送は日本列島のアキレス腱で、もしも狙われたらかならず大惨事になる。 今まで満員電車で放火テロが起きなかったのは単に運が良かったのと、自分の命と引き換えにしてでも殺したいほど日本人を憎んでいる連中がいなかっただけなんだよ。しかし、これからはわからない。
周知の通り、自民公明は安保法制を通じて自衛隊を戦地に送り込もうとしてる。戦地だから当然、殺す事も殺される事もあるだろう。 もし自衛隊がそこで憎しみを買い、テロリストが日本を、鉄道を、満員電車を攻撃したらどうなる。その攻撃を未然に防ぐのは難しい。結局、民間人が沢山犠牲になる。
俺が許せないと思うのは、安倍などの自公の政治家が「鉄道による労働者の大量輸送」の弱点に気がついていないはずはないのに(こんなことは中学生でも気づいてしかるべきだ)、その弱点を野放しにしたまま、海外に戦争を吹っかけようとしていることなんだ。あほかと思う。政治家は満員電車なんか乗らないし、民間人が死んでも心が痛まないからか。それともテロリストに民間人を殺させ対テロ戦争に参入したいのか。
最後に。 日本は海外に出兵してはならない。憎まれてもいけない。なぜなら日本の社会は個人単位のテロにも耐えられないほど脆弱だからだ。本当に、もう、どうしようもなく弱いんだ。そして弱者には弱者なりの生き方というものがある。 もしあなたが日本が戦争のできない国であることに劣等感を抱いてて、安保法案に共感しているのなら、あなた自身やあなたの大切な人たち、例えば父親や夫や息子が満員電車で無残に焼き殺されることを想像してもらいたい。それでもあなたは日本が他国の戦争に顔を突っ込むことをよしとするのだろうか。あなたがあなた自身や、大切な人を守るために考えを変えるのなら、わたしはあなたを臆病だとは思わない。真に勇気ある決断を下したと思う。
・娘が生まれて思ったこと
http://anond.hatelabo.jp/20150209160615
うちも昨年11月に娘が産まれたばかりだが、上記増田にはいくつか異論があるので書いておく。
母子手帳には確かにチケットが付いてくる。1回5,000円×40回だったはず。
そして5,000円を超えた分は自腹。
妊婦はしょっちゅう検査がある(妊娠高血圧症候群とか怖いし)ので5,000円以内にはなかなか収まらない。
まあ、せいぜい1,000円ちょっとだから、言うほどの額ではないが。
医療費より、妻が働けなくなることによる家計収入減がボディーブローのように効いてくる。
あと、妻が通っていた病院は分娩予約した時点で内金10万円を支払う必要があった。
その額を超えた分は自腹となる。
内金10万円のうち返ってきたのは4万円ほど。
どんなにしょっぱい自治体でも就学前の医療費は0円で済むと思う。知らんけど。
※下調べは必須。
元気でヒマなジジババが近所にいるとかでなければ、夫婦の時間をゴリゴリ削られる。
※現に家で仕事をしているオレは労働時間をゴリゴリ削られて、増田を書くヒマもない。
じゃあ保育所に入れるといっても、3歳までは月5万円ほどかかる。
パートでは割に合わない。フルタイムでガンガン仕事をしないと。
どこまで金をかけるかは個々の家族によって大違いなので一概には言えない。
ただ、「親の言うことを素直に聞いたら死ぬ病気にかかっている子供」を持つと、
いさぎよく外注(=塾)に出した方がいい。
だいたいの子供はそうではないと思う。
月額数万円くらいの塾代は覚悟すべきかな。
小・中・高・大まで国公立だとだいぶん楽ができるが、
予定が狂って(たとえば内申書が悪いとかで)高校が私学になるときつい。
などで、生活費も親が丸抱えを強いられるっぽい。
元増田が完全に眼中になさそうな「子供の生活費」がなかなかにバカにならない。
乳飲み子の間は何もねだらないが、大きくなるにつれて何やかんやと買え買え攻撃が始まる。
上の子にはオモチャだのゲームだのパソコンだのスマホだの本だの自転車だの
外食やら何やら色々と買った。(いや、過去形で語る話じゃない)
たしかに、大都市圏近郊の田舎は生活費が安く付く。これは実感として同意。
ただ、だからといって「まだ東京で消耗してるの?」と田舎暮らしを煽るわけにも行くまい。
今年発表ではない。ちょっと気が早いけど年末忙しそうなんでまとめた。
30 君はできない子 きくお
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20410104
https://www.youtube.com/watch?v=tgHXXfiPLck
犬が糞をしたあと飛ばした土がアスファルトを汚した光景を思い出す。そのとき聴いてたし。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm341788
https://www.youtube.com/watch?v=C-FJ9UOtAQs
思い出の洋服とはオレンジチェックのシャツと黒のポロシャツです。
26 まっさらブルージーンズ ℃-ute
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14229743
「まっさらブルージーンズ!!」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9721776
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9631728
23 こっちむいてほい てをには
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20340895
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19480453
木製の銃でデコイの水鳥を撃ち抜いた、って感じがしたね。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm4460906
https://www.youtube.com/watch?v=Eze6-eHmtJg
19 花言葉 Mr.Children
https://www.youtube.com/watch?v=cmAeRw1_e7c
モトカノがよく口ずさんでいたのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=VArdmWLNwP0
再評価。ピカピカピカピカピカピカピカピカしてたのに。
https://www.youtube.com/watch?v=Bs09d3Xvq_U
16 あきの日 パスピエ
https://www.youtube.com/watch?v=V_iY8NfInoU
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14175555?ref=search_key_video
そろそろ眠いしは驚異的な歌詞だ。地球入りのカンテラってFFに出てきそう。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10643827
再評価。あいあいあいのところ、初めて聴いたとき泣いたの覚えてる。
13 ハダ色の日々 MOROHA
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22191620?ref=search_key_video
心がざわつく。1番のクオリティが2番以降も維持できてたらコスモだった。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6111485
https://www.youtube.com/watch?v=1Ummhp5G03g
心だけだったら許してくれますか?
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11609872
それって救いがない。
https://www.youtube.com/watch?v=7yoGaURbt_M
8 文具 POLYSICS
https://www.youtube.com/watch?v=DhUGZUlp-Pw
http://www.nicovideo.jp/watch/nm5883778
個人的にかっこ悪いペコ見るの嫌いなんだ。くそまってろマジで。
6 光の雨が降る夜に 9mm Parabellum Bullet
http://www.nicovideo.jp/watch/nm10516955
いまだかつてないサビ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11517084
4 Waitress, Waitress! [Champagne]
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17172328
俺の歯は折れてしまったんだ。心と一緒にな。
(単曲で見つからん)
2 マンピーの/G★SPOT サザンオールスターズ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14142466
1 神様のヒマ潰し GO!GO!7188
http://www.nicovideo.jp/watch/nm3903793
ところでまだ好きなんですがねそれは?
つまり、そういうことだよね。
過去形を使うかどうかというよりは、どこまでを過去形で表すべき過去としてとらえるかという話かと。
店員が注文を復唱して確認している時点では、客が注文を発した時点は既に物理的には過去となっていることは明白なのだが、
それに対して標準語至上主義的な傾向の人達からは反発が来るという状況なんじゃないだろうか。
似たような現象に、バスが近づいて来るのが見えた時に「バスが来た」と言うか「バスが来よる(来つつある)」と言うか、
というようなのもあると思う。(英語だと The bus is coming かな)
初対面の相手とお互い自己紹介を談笑していたが、名前を忘れてしまった時:
「失礼ですが、お名前は何ですか」←不躾な感じがし「さっき言っただろうが」と言いたくなる
ちなみに英語でもこの場合は"What was your name?"と言う。
参照 http://english.stackexchange.com/questions/3255/is-it-correct-to-say-what-was-your-name
■ 丁寧の過去形
「手伝ってもらいたいのですが」→ I want you to help me.
「手伝ってもらえればと思ったのですが」→ I wanted you to help me.
引用元:「過去時制:遠慮した丁寧な言い方」http://www.ravco.jp/cat/view.php?cat_id=5209
「失礼ですが、お名前は何でしたか」←相手が改名していなくとも、過去形
「手伝ってもらえればと思っていたのですが」←今思っていても、過去形
そうすると
「ご注文は~でよろしかったですか」は、確認or丁寧の過去形といえるかもしれない。
ただし
「ご注文は~でよろしいですか」←これは上記2例の現在形とは違い、不自然さ・不躾さが無いように思える。
「ご注文は~でよろしかったですか」←丁寧よりは確認の過去形としたほうが自然だが、その「確認」が早過ぎるかもしれない。
※接客業では「~よろしかったですか」を避ける方が今や賢明であることは、いうまでもない。
追記:「賢明であることはいうまでもない」は言い過ぎか。賢明である理由:過去形を使うだけで客側からクレームが来たりするようなので。
HTML5がやっと勧告とか良く分からない言葉になったが、ちゃんと現状を認識しておこう。
そもそも、HTML5の目的は、新しいHTMLなんかじゃない。
正確には、新しいHTMLなるための道標だったのだ。(過去形)
君たちは、window.alertという関数を知っているだろうか。
え?と思うかもしれない。でも、これこそがHTML5の役割だった。
ドキュメントにalertなんて在るはるがないのだ。
そうやってHTMLは分断されていた。
HTMLというドキュメントを操作するAPIとしてDOM。そして、それ以外のAPIは黙殺。
XHTML1.xでも、それは繰り返された。
XHTML2.0が失敗したのは当然ともいえる。分断されたままアプリケーションに拡張しようとしたのだ。
現状を省みずに、ただ夢を追った。
既にHTMLはドキュメントではなくアプリケーションであると。
アプリケーションとして見たHTMLには、windowというオブジェクトが存在している。
次に進むのに必要なのは新しい夢などではなく、現状の再認識だ。
そう、それがW3Cに採用され、君たちの知っているHTML5になった。
「HTMLからバージョンを消すことです。バージョニングなんて考えは古い。HTMLは常に更新されるものです。」
彼らはそう語っていた。
window.alertがクロスブラウザで使える。それがHTML5だった。
君たちは、気付いてるだろうか。
以前よりもクロスブラウザで悩まされることが減ったことに。
だが、それでも道を踏み外した。
また夢を盛り込もうとした。アプリケーションならアプリケーションなら。
新しいアプリケーションプラットフォームという肥料でまるまると太った豚になった。
豚は、そのままでは動かなかった。
「HTML5.1です。」
HTML5は、終わった。