はてなキーワード: 牧歌的とは
チャットモンチーが「完結」する一方で、マスドレが今日7月4日、8年ぶりにオリジナルアルバムを発売した。タイトルは「No New World」
マスドレことMASS OF THE FERMENTING DREGSは知る人ぞ知るガールズバンドだ。厳密に言えば元ガールズバンドだが。
もともと3人の女性で構成されていたこのバンドは、11年前にEMIミュージックジャパン主催のオーディションにて高評価を受けデビューアルバム発売の機会を得たことで注目された。ナンバーガールを見出した加茂啓太郎が関わったこのオーディションは、特典としてこれまたナンバーガールのプロデュースで知られたデイヴフリッドマンと共にレコーディングが出来るというもので、ロキノン系ファンの関心を引くものだったのだ。
今はどうだか知らないが概してロキノン系ファンというものは、流行りものが嫌いだが権威主義的である。Mステ常連のバンドはリア充に食わせて、自分は雑誌経由で知ったビクターのSpeedStarやEMIのGreatHuntingが激推ししているバンドで洒落込んだつもりでいる。
当時はサカナクションや相対性理論がニューカマーとして取り上げられていて、マスドレ含めそんなバンドたちの曲を僕は下校途中にMP3プレーヤーでリピート再生していたものだ。
マスドレはデビュー前にドラマーが脱退したためサポートメンバーを迎えて活動していたものの勢いは衰えることなく、くるりのトリビュートアルバムに参加したり2ndアルバムを発表したりしていよいよ2010年にメジャーデビューが決まった。同時にサポートメンバーであった吉野功が正式にバンドに加入し、いよいよこれからと思った矢先、同年12月にギターの石本知恵美が脱退した。
ディストーションとディレイできらきらした轟音を体から絞り出すようにかき鳴らしていたそのギタリストは持病の治療のために離脱してしまった。「ひきずるビート」という曲にて歌われる
足を止めずにどこへ行くのか
ここがどこかも分からないまま
加速していくだけのビートに
いま、消えそうだよ
という一節が疾走感のあるバンドの雰囲気と相まって悲痛な叫びのように聞こえた。
オリジナルメンバーがVo/Baの宮本菜津子だけになったマスドレはぱたりと話題にあがらなくなった。追い討ちをかけるように一年後に吉野功もバンドから離れた。事実上の解散である。
バンドの持ち味である、こだまする様に響くギターとベースの音、牧歌的にもシャウトしているようにも聞こえるボーカル、破滅的な歌詞。それら全てがこのバンドが燃え尽きてしまうことを暗示していたかのように聞こえて、長い間僕はマスドレを聴くことを避けるようになってしまった。
チャットと同じようにマスドレもメンバーの離脱で空いた穴に悩まされたバンドだ。
チャットモンチーは2011年の高橋久美子の脱退でそれまでの様な活動ができなくなりさまざまなスタイルに紆余曲折した。マスドレは宮本菜津子が砕け散ったピースを少しずつ再構築していた。2組のバンドにとって時代は2011年で一旦終わっていて、それから2018年までの7年間は次の時代のための模索期間だった。
僕が好きだったのは3人のチャットモンチーであり、石本知恵美のいるマスドレだった。でももう全て変わってしまった。
マスドレの「終わりのはじまり」という曲にはこんな一節がある。
歩いて行けば
ここから続いていく道は
君の思い描く色に染まっていくよ
繰り返しているんだ
君もぼくも同じ今日のもと
バンドの解散はメンバー同士の別れではあるが、各メンバーのこれまでの功績と今後の活動は同一線上にあって決して分断されない。別れや出会いで区切られているように見えるだけ。「No New World」"新世界ではない"というようにマスドレはメンバーが変わっても、かつてと地続きで繋がっている。
僕はチャットモンチーのメンバーがすっぱり別れていくのを見届けるため「誕生」をちゃんと聴き直したい。
そして戻ってきたマスドレを迎えるためにはやく「No New World」を聴きたい。
荒らしの相手をすることは相手に荒らし行為のインセンティブを与えることであり、結果としてお互いの破滅を招くなんてことはネットに詳しいのなら知っていて当然のこと。
それなのに大々的にあんなキャンペーンを打ってしまったのは愚策もいい所だったよね。
誰も幸せにならんよ。
他人の揚げ足は取らない。
溺れた犬を棒で叩かない。
肉染みを加速させる下品な遊びを「牧歌的」なんていうクソど田舎村社会インターネッツはさっさと終わりにしよう。
いい加減次の時代に向かうべきだ。
日曜日の夜、はてブを見ていたら衝撃的なエントリーがあがっていた。
はてな古参の有名ウォッチャーであるhagex氏の訃報だった。
「低能先生」の件は画面のこちら側で見ていたので概要はわかるが、まさか事件に発展するなんて.....、というのが正直な思いだ。
特段関わりがあったわけではない一般のはてなユーザーなので(ネットコミュ症なので関わりのある知り合いがいない)、何かを書くのは筋違いなのかもしれないと思っているのだけど、後味の悪さともやもやを持て余して増田に投稿するにした。
この件はとてもショッキングなできごとすぎて、追悼エントリーをあげているみなさまと同じくとても動揺している。
はてなのアカウントをとったのは、はてなブログの正式版がリリースしてからしばらく経った頃。
風の噂ではてなは殺伐としていてやばいときいていたので、おそるおそるアカウントをとって使い始めた。
その2、3年前くらいの時期に、当時twitterでイケてる感じを演出していたイケハヤ氏やはあちゅう氏のアカウントをフォローしていたのだけど、どこかひっかかるところがあって、その違和感を紐解きたくて探した時に読んだのがhagex氏のHagex-day.infoの両氏に関するエントリーだった。
(多方面から考えたくて、いろんな人が書いている両氏に関する言及を読んだので、hagex氏のエントリーだけを読んでいたわけではない。)
両氏に関しては結構厳しいことを書いてあるエントリーが多くて、”まあそう考える人もいるんだろうけど、そんなに厳しく追及するほどのことかな?”くらいに思っていた。
しばらく追って見ていたのだが、なんとなくだけどもそこには一定のラインがあったように思う。
初心者の私には線引きがよくわかっていなくてなんとなくこの辺くらいまでがボーダーラインみたいな空気感がある気がする。
古参の方々から見るとおそらくプロレス的な要素の線引きがきちんと見えていて、ここまではプロレス的ないじり、というのがあったのではないだろうか。
ただ、最近はそのプロレス的な部分をプロレスだと思われていないのではないかな(私のように線引きのラインがわからない人もそこそこの数いるのでは?)という点において、インターネットっぽい危うさを感じていたのも事実だ。
はたから見ていると、hagex氏のウオッチは下品ではあるけれど、だからこそ規範をかなり強く意識しているのだろうな、と感じられるところがあったり、どことなく牧歌的なインターネットを信じているような感じは最近ちょっといいなと思っていたけど。
私がはてなにやってきた頃はすでにインターネットはインターネットでなくなってしまったのだなと感じていたのだけど(はてなのコミュニティはそういった流れに逆らっているように思えて、最後の”牧歌的なインターネット”の作法を頑なに守ろうとしているところが個人的にはとても好きではてなにやってきたのだけど。)今回の事件はそれをことさら、それを強く感じさせられたし、今後について考えさせれる。
リアルがつらいときに箱庭的なインターネットには何度も救われてきたので、それがおそらく完全になくなってしまったこと、また事件がはてなという場で起こってしまったことをとても悲しく思う。
混浴に行ってみたい。
温泉やサウナが好きなので、絶滅寸前のこの文化を亡くなる前に一度でいいから経験してみたいのだ。
家族連れとか爺ちゃん婆ちゃんなど、老若男女でひとつの温泉に浸かり、まったりと過ごす…
なんて日本的だろうか。こんなの温厚で平和な日本でしか成立しないんじゃないか。
ヌーディストビーチも紳士的な空間だっていうし、混浴も牧歌的なのんびり空間なんだろうなー
いいなー行ってみたいなー
でも男一人って行きにくいじゃん?
どうしても混浴っていうと、どうせエロ目的だろって言う奴がいるんだけど
まず女性がいたら普通の男なら目逸らすでしょ。それが礼儀でしょ。
むしろ混浴は女性がいて当たり前なんだから、なんとも思わんでしょ。
デート中はずっと彼女のことしか見てなくて、他の女性は目に入らない。
あと、仕事帰り背中がが痛くて痛くて、「男性も女性も気軽にお立ち寄りください」っていう看板見つけて少しでも楽になるならとセブンイレブンの二階にあるマッサージ屋にフラッっと立ち寄ったら(女性もお立ち寄りくださいの看板とセブンイレブンの二階っていう日常的な風景で完全に油断した)、
全裸でベッドに寝かされて一番やってほしかった背中のマッサージは光の速さで終わって、そこそこ美人の若い女性にチンコとケツの穴まわりをくすぐられ続けたんだけど、
「ちんこは彼女にいじってもらわないと何も興奮しねえなー」と思ってたら
マッサージの女性に「抜いてほしかったら追加で6000円」とか言われて、1ミリも勃起してないちんこ見てよくそんな台詞吐けたな、と思ってそのまま店出て普通の整体行った経験をもつ俺が
彼女も別に露出狂という訳でもない。純粋に温泉が好きなだけだ。
ワニのいる混浴いない混浴とがあるので純粋にワニのいない混浴行けばいいだけじゃん、とタカをくくってた。
ワニがいる混浴は経営者がやる気なくてボロボロで不衛生な傾向がある、と聞いていたので、ちゃんとした混浴なら大丈夫だろうと。家族連れがよく来るので安心なところもあると聞くし。
(ワニとは、混浴に覗き目的で入るオッサンのことで、ワニの如く温泉の隅っこで獲物に狙いをさだめてジッと動かないことから、こう呼ばれる)
が、混浴でググれば混浴ブログがいくつか出てくるんだけど、これがどれも異様。
顔にモザイクこそかかってるが、普通に他のお客さん映りこんでるし。ふざけんな。
で、ブログの最後に「メルマガの会員になってくれた読者さんにはブログで公開できなかった特別な写真を公開…」とか書いてあるの。
なんか嫌な予感がして別のブログ見たら、
今度は別の女がこれまた混浴に行くまでの道中の写真はっつけてて、もちろん風呂に着いたら入浴シーン。
で、おったまげたね。コイツは全裸。ブログの下にいけば女の全裸の入浴写真で溢れてるの。
で、ここも顔にモザイクかけてるけど他のお客さん映りこんでるし。
で、ブログの最後に「ここで公開できなかった写真を販売します」とか書いてあるの。
ブログのコメントも「○○さんの身体は素敵だぞえ、特に腰のクビレとうなじに良さみがある。小生も一緒に○○さんと入浴したいでござる。この日入浴した男性客が羨ましい限りぞなもし」的な気持ち悪いオッサンのコメントで73件くらい埋まっとる。
で、決まってブログの文句は「決してエロ目的ではなくて、混浴は若い女性でも楽しめる素敵な文化だと広く認識してもらうために私が女性代表として…」とか偉そうな言い訳垂れてるんだけど、
女一人で運営してるみたいな空気出してるけど、写真は女一人がポーズ決めてる写真ばっかりで、つーことは絶対カメラマンいるだろ。カメラマン絶対おっさんだろ。
この時点でもう嫌~な気持ちになって、怒りが沸々と沸いてきた。
露出狂カップルのくせに「ワニのせいで混浴という素晴らしい文化が失われようと…」とか絶対書いてあるのも腹立つ。
いや、混浴にカメラ勝手に持ち込んで露出撮影会やってるテメーらが一番迷惑だわ、ボケ。
もし俺が入浴中にカメラ持ってきたカップル入ってきたら絶対帰るわ。
以前ホテルの大浴場で寛いでたら、カメラ持った親子が入ってきて、子供の入浴シーンを俺の真横で撮影しだして、ほんと不快だったの思い出したよ。速攻あがってフロントに文句言いに行った。
実際、ゆっくり混浴入ってたのに、こいつら変態撮影カップルのせいで不快になって帰った一般客がどれだけいるか。
他にもこのようなブログは何個かあって、大体「健全に混浴を…」と言い訳しながら女の全裸入浴写真が貼ってあって、会員限定、メルマガ限定、などブログによって方法は様々だが「特別な写真を公開」する手段を最後に紹介して終わる記事が多い。
メルマガや会員限定記事は、結局「特別な写真」とやらの販売について案内されるだけっぽい。
つまり、健全な温泉ブログという建前で変態カップルの露出狂写真で商売してるだけなのだ。
混浴のイメージを悪くするどころか旅館の毀損しちゃってるよ。これじゃあ。
晒された旅館は、訴えてもいいと思う。
なんか若い女が温泉でオッサン数名に囲まれてる写真なんか最高にきしょい。
「ワニ男にジロジロ見られて怖かったんだけど、紳士的なおじさま達に守っていただきました。そんな紳士的なおじさま達と感謝の意味をこめて記念写真!ワニ男がこちらを恨めしそうに睨んでました」みたいなこと書いてあって、
いやー、こいつらのせいで一気に混浴行きたくなくなっちゃったわ!
混浴のイメージ上げたいとかいって、女の全裸入浴写真出しちゃ逆効果でしょ!
風呂に浸からず全裸でポーズとってるだけの写真とか、もはや混浴関係ないでしょ!風呂メインのブログやってて何でお前がメインなんだよ!いい加減にしろ!
ちゃんと健全に混浴紹介してる真面目なブログもあるのに、こいつらせいでバカみたいじゃないか。
なんか勝手に一人で読み違えてて
「鳩山さんなら消費増税しなかっただろうなあ」っていう牧歌的な空想話かと思ってたら、
全然そうじゃなくて「民主党政権が続いていたら消費増税しなかった」って話だったのか。
そんなわけない。
三党合意の付帯条件について云々していたけど、
景気条項違反だとか消費増税の適否に関する反対論は一切してない。
少なくとも景気条項は数値上クリアできていたんだから当然だよね。
その経済手腕の拙劣さから、景気条項をクリアできていなかった場合に限られる。
それは多分あまり好ましい話ではないと思うんだけど、実際の民主党幹部の言動を見ると、
たとえ数値目標をクリアしなかったとしても、消費増税を断行していた可能性が高い。
そもそも景気条項の導入には一貫して消極的だったからね、民主党上層部は。
ちなみに震災処理とか何とかは、あれ以上のことを期待するのは無理だと思ってる。
サカオタ増田です。
普段サッカー関連のブクマではあまり見かけない一部idの、今回の解任劇について怒り嘆くタイプのサカオタを嘲って小馬鹿にするようなブコメに反論をしたくなった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.footballista.jp/interview/44512
増田はサカオタなので、Jリーグ欧州各国リーグやACL、CL、CWCなどのクラブチーム選手権、W杯、EURO、コパアメリカなどの国別対抗戦や、欧州の親善試合やら予選なんかも隙あらば見るくらい、雑多にアホのように、現地で、または画面越しにサッカーを見ている。特にW杯やEUROなんかの国別対抗戦は短期開催&時差で寝不足フラフラだが見る。
そんな増田が、W杯のような国別対抗戦を楽しいと感じるその最大の魅力は、「抗えない俺たちのサッカー性」への哀愁である。
スーパースターのスーパープレーや、ダークホースの快進撃や、うちの子(応援しているクラブチームから選出された代表選手)の活躍をハラハラドキドキと待ちわびたり、という楽しみは当然である。
が、1か月寝不足でフラフラ、仕事にも支障が出かねない鑑賞行動を取るのは、出場各国のそれぞれの「俺たちのサッカー」からの逃れられなさに、しみじみと浸るのが本当に楽しいからだ。
サッカーにあまり興味がない方の中にはひょっとしたら驚く人もいるかもしれないが、今年のロシアワールドカップには、イタリアとオランダは出場できない。どちらもサッカー強豪国である。
イタリアはW杯優勝歴4回でドイツと並んで優勝回数歴代2位、オランダは優勝こそしたことはないが決勝や準決勝の常連の強豪国である、が、彼らは欧州予選で負けた。
世代交代に失敗したということもある、イタリアについては自国リーグが汚職やらなんやらでスッカスカのぼろぼろになったこともある。欧州予選がとてもしんどいという大前提もある。
イタリア、オランダ、どちらの国も、激しく「俺たちのサッカー」な国である。
イタリアサッカーは緻密な戦略に基づいた堅い堅い守備が特徴、オランダサッカーといえば華麗なパス回しとサイドアタッカーによる全方位性・攻めダルマサッカーである。これはもう、増田が子供のころの何十年も昔からずっとそうである。イタリア代表も、攻撃的にならなきゃだめなんじゃなかろうかと変化しようとした時期もあったが、結局上手くいかずW杯予選に敗退した。オランダ代表が守備を見直そうとした感じは伝わってこなかったがw(その辺もオランダらしくて大変カワイイが)、偉大なるロッベン、ファンペルシの後の世代交代もイマイチで予選に沈んだ。
増田が観察している限りでは、彼らは、変わりたくても変われない、捨てられない俺たちのサッカー性を抱きしめて当惑し悲しんでいるように見えた。
サッカー強豪国かつサッカーが文化になってる国(日本における野球例えや相撲慣用句と同様、サッカーが文化になっている国はサッカー例えが日常的に使用されたりする)では、むしろ「俺たちのサッカー」は、勝てない理由になるようなものでもあるのだ。
W杯本戦には出場できるが、イングランド(まるでラグビーのようなラン&放り込みサッカー。あれはあれで良いものだ)や、スペイン(世界中で流行したティキ・タカもこの数年は斜陽)も、「俺たちのサッカー」を抱えて、長い不遇の時を過ごした経験がある。
この10年ぐらいでサッカー見だした人はスペイン強くて当然と思ってっかもしれねーが、それ以前のスペインはむしろ「無敵艦隊wwwww」と笑われる、見てておもしれーけど勝てないと言われるサッカーをずっとやっていた。イングランドも、現代ではそのサッカーはもうアレでナニだと自国民からすら思われているが、ずーっと牧歌的な筋肉量がものを言うサッカーをやっている。スペインは変わる気なさそうだがイングランドは変わろうとしては失敗している。
ヨーロッパ勢だけではなく南米勢もだ。ブラジルが母国開催のW杯でやらかしたのは記憶に新しいと思う。ブラジルは強い個性でクリエイティブなプレーを見せるのが俺たち!という「俺たち観」があるが、それでは勝てないねとなりリオ五輪ではなりふり構わず「俺たち観」を引っ込めて優勝を勝ち取った。南米のもう一つの雄アルゼンチンは、歴史背景もあってイタリアに似た性格悪い系の守備が堅いサッカーである。そういえばアルゼンチンはコンスタントにW杯や南米大会で結果出してるからか、あまり「俺たち性」に対して疑義を抱いている様子がないように見えるし、「アルゼンチンのサッカーは底意地が悪い」みたいな言われ方に誇りを持っている様子すら感じられたりするときがある。実際すごい良いですよアルゼンチンのサッカーね。ほんと好き。
W杯で優勝したことある国の数は8カ国しかない。ブラジル(5)、イタリア(4)、ドイツ(西含め4)、アルゼンチン(2)、ウルグアイ(2)、イングランド、フランス、スペイン(各1)である。
ウルグアイの意外っぷりが際立つが、増田はJリーグで、フォルランが若干気の毒な状況下であっても見せてくれた素晴らしいプレーの数々を生で数度見ているので、ウルグアイやっぱすげーなと妙な納得感もある。
つい増田の好きなサッカー話に脱線してしまう、フォルランは置いておいて、たった8カ国しか優勝していないのがW杯であり、並んだ8カ国の顔ぶれの納得感がすごい。
どの国も「俺たちのサッカー」を愛し、その愛の深さ以上に俺たち性に由来する辛酸を舐めてた長い歴史もともに持っている。これが文化であって、このレベルに来てはじめて「俺たちのサッカー」なのだろうと思う。
翻って、日本は。
「俺たちのサッカー」探そうぜ!とひとつなぎの財宝を探すようなキラキラしたオールマイティのお宝だと思っていないだろうか、みなさん。
ショートパス中心、バイタル小さめに保ちながら俊敏性と組織力で相手をかき回す華麗なサッカーが、日本における「俺たちのサッカー」なのだろうか。
本当に?
思い出してほしいのだが、日本がW杯に初出場して以来、あまり多くはない勝った試合のほとんどすべてが、相手の攻撃や崩しにしつこく食らいついて、ボールをハラハラ爆弾のように皆で回しながらキープして、耐えて耐えてワンチャンでゴール、というパターンのほうが勝ち試合のパターンとしては多いのではないか。俊敏性と組織力に加えて持久力でコンタクトの弱さを補う、ど根性サッカーだろう。
自分が応援してるチームの試合って見ている時はアドレナリンが出てるし、勝とうもんならもういろんなこと忘れてしまうが、実は国際試合における日本代表の「勝ちパターン」は、ど根性サッカーである。個の選手のキープ力がない分パス回しでなんとかしのいでるのを、「俺たちのパスサッカー」と勘違いして見ている人も、実は少なくないのではと思っているのだ、増田は。
観戦してると興奮だけはあるんだよど根性サッカーって、手に汗握るシーンも増えるし。その興奮を充実に置き換えて「パスサッカー=充実」みたいに勘違いしてやしないだろうか。何のためのパスなのか、というところまでちゃんと「パスサッカー」なのだろうか。
増田は、今の日本のサッカーでスペイン代表やFCバルセロナのようなティキタカが出来ているとは全く思わない。しあと10年ぐらいでも出来ないんじゃないかと思っている。代表で見られるパス回しはどちらかと言うとハラハラ爆弾型であって能動的なパス回しからの崩しなんてさせてもらえないことのほうがほとんどだし、Jリーグを見ていても「プレッシャーがかかった中で正確なプレーができる」という日本サッカーの大きな課題はあまり克服されていないよなぁ…としみじみ感じる。これは欧州でやってる日本人選手でもなぜか代表戦になるとプレーの精度が落ちるので、こういうのが日本の「俺たちのサッカー」なら、増田にとっては納得感はすごくあるのだ。
コンタクトプレーじゃ勝てないからビクビクとパス回ししてワンチャン狙いだ!という、チマチマしたサッカーが「俺たちの日本サッカー!」と自虐的に誇るのであれば、増田も大いに賛同できる。
だが、多分だけど「俺たちのサッカーを!」と簡単に言う人たちの頭の中の俺たちのサッカーはもっと格好いい、W杯獲った時のスペインみたいなの想像してるのではないだろうか。
あと今の日本式の「俺たちのサッカー」ではW杯を獲れる日は金輪際来ないと思う。もっと先に獲るべき国がある。攻めダルマ・オランダとか。永遠の当て馬・ベルギーとか。チリやメキシコなんかも日本よりずっとW杯に近い。どころかそのうち中国あたりに抜かされても全然おかしくないと思う。
日本らしいサッカーを、オールジャパンで、という言葉は、JリーグからCL、国別対抗戦まで舐めるように消費するサカオタにとっては、虚しさと「他の強豪国ばかにすんでねーわ」という怒りである。
繰り返すが、「俺たちのサッカー」は、それを手にしたら無敵になれるようなものではなく、むしろ「逃れられない俺たち性という弱点」の裏返しでしかない。
たくさんのサッカー強豪国が、「逃れられない俺たち性」の上に、対戦相手に最大のリスペクトを払いながら相手を打ち破れる「穴」を探してつけ込める戦術を叩きこんで、それでも勝てないかもしれないのが、ワールドカップという大会なのだ。強豪国オランダは一度も優勝したことがないんだぞ。EUROで20年以上前に一回優勝したことがあるっきりだ。それでも増田はサカオタとして、オランダ代表の捨てられない俺たち性を目撃しては哀愁と感動を覚えるのだ。それがサッカーだと増田は思う。「俺たちのサッカー」がまるで希望のカードのようにありがたがることが、かなりくだらないことだと思う
あーあと、元のフットボリスタの記事は「短期決戦のW杯のチームの作り方はクラブのチームの作り方とは違う」という話がさわりの一つだと思うのだが、そのあたりについて言及しているブコメがなかったのも、君らもうちょっとこう、小柳ルミ子のように年間2000試合とは言わんけどもう少しちゃんとサッカー見てからわしらサカオタのこと馬鹿にしてほしいわと思いましたよ。
なぜ怒り嘆いているかということ自体、具体的なひとつひとつについては、下記のnoteがよくまとまっていると思ったので言及はしない。
https://note.mu/hatonosu/n/nac5433ccc430
ただ、この記事のブコメ、http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/hatonosu/n/nac5433ccc430 の中で一つ、文句を言っておきたいブコメがある。
ハリルホジッチ監督の手腕をどの程度評価するかは、その人のサッカーの好みの問題と何を目的にしているかによってかなり幅広に分布すると思うが、100点満点の高評価だという人はいないと思う。あくの強い監督であることは有名だったし、サカオタ界隈では就任時からこれは揉めるぞーと冗談が交わされていた。ただこの時期にそんな理由で解任されるほど低評価だとは思えないということと、その理由が子供じみてばかばかしくて、未来がないから怒っているということのほうが大きい。元のnoteの記事から読み取れるかと思うのだが…、単に上げ足を取りたいのだろうか。
付け加えると、ハリルホジッチ監督をことさら低評価に喧伝していたのは、主にスポーツ新聞や老舗系サッカー雑誌のネット記事中心、要するに「旧メディア」側だということは言っておきたいのと、彼ら旧メディアのバッシングはトルシエの時のほうがむしろ激烈だったなーとか、オシムが代表監督だった時もオシム特有のけむに巻く言葉の尻を捕まえてイライラさせられる記事を垂れ流してたなーとも言っておく。もっといえば、JFAのちょうちん持ちのような記事が出来る理由は、PV乞食な側面もあるだろうが、W杯本戦や再来年の東京五輪の取材融通やメディアパスの確保量を考えた忖度はあると思う。
長々しい文章をつづっているうちに2時間が経過し、なでしこの予選も、忖度モードでオーストラリアとともに本戦進出が決まりそうである。いやーめでたい。
男子代表は俺たちのサッカーを貫くのだろうから、その俺たち性から醸される悲哀を私も楽しむことにする。もちろん応援もするが。
今は、牧歌的でシンプルな男女間の対立ではなくて、「リッチ・男女」vs「貧困男」vs「貧困女」という三すくみ状態になっているような気がしている。
性別差ではなく経済格差がより問題意識としてクローズアップされる、一方で簡単に覆せない規模の社会・経済格差において上流(ワインスタインのセクハラ事件のような)はまだ男性優位である、というマダラ色になっているからこそのカオスというか。
大昔のフェミニズムは、「自由に恋愛する・性向を表明することを社会的に禁じられた女」という社会のなかで育ったが、今はそれはかなり解消されているからというのもあるのでは。meetooの迷走やエマ・ワトソンへの非難なんかは、そもそもフェミニズムの流れ自体が次のフェーズの手前で迷走しているから結果的に怒ったことという気がする。
ちょっと話はずれるが。
今は、牧歌的でシンプルな男女間の対立ではなくて、「リッチ・男女」vs「貧困男」vs「貧困女」という三すくみ状態になっているような気がしている。性別差ではなく経済格差がより問題意識としてクローズアップされる、一方で簡単に覆せない規模の社会・経済格差において上流(ワインスタインのセクハラ事件のような)はまだ男性優位である、というマダラ色になっているからこそのカオスというか。
おばちゃんの個人的な意見としては、「経済的に自立してるけど好みの男はマッチョで頼れるタイプ」、とか寝言っぽいことを言えることは、むしろ大事だと思っている。ただしこれは経済格差の緩やかな解消が社会で共有されていく未来が前提ではあるけど。
社会・経済的な自立度合いと性的な好みが直結する必要はないし、むしろ、「社会的に自立している=養いたいタイプが好み」であれ!と押しつけるのも違う。典型的なジェンダーロールの押し付けだから。
男だって稼ぎの多寡とは関係なく、守ってあげたいタイプの女だろうが自分で生きていけそうな野性味ある女だろうが、どっちがタイプとして表明したっていいし、そうあってほしいと思うし。
実際、昨今の2、30代の上流男性は、同じ社会階層の(社会・経済に自立的な)上流女性とカップルになるケースも増えているしね。そうすると社会階層も固定化しやすくなるし、あんまり好ましくないなーと思ったりはするが、これも男女論ではなくて貧富論になっちゃうから、フェミニズムの中だけで話す話ではなくなるというか。
昔はTwitterなんてないから個人サイトとかYahoo!掲示板なんかをヲチってたわけだけど、その頃からヲチに気付いておまえみたいな反応をする奴はいくらでもいたよ。
サイトを閉じる奴もいれば、ムキになって反論しつづける奴、2ちゃんねるに乗り込んで暴れる奴もいた。
というか2ちゃんねるの「怖い」「近づいちゃダメ」という空気はそういうヲチャとヲチ対象のエンカウントによって醸成されていたんだよね。
「2ちゃんねるっていう『荒らし』の巣窟があるから気をつけろ」みたいな。
単なるキモオタどもを実態以上に薄気味悪がる一般人の過剰反応。
現状の労働基準法が正社員を保護しすぎる法律だというのが財界の統一見解で、確かにそれは一理はあるのだが
一方で日本は労働者保護のための社会的な土壌がほぼないため、ストライキすらまともにできないからね今や。
このまま米型の雇用フォーマットを運用しちゃうと労使ともにうまく機能しないだろう。
一方で、米型の雇用が本当にうまく行ったかというと、トランプ出てきちゃったわけで。
今までの労働者の使い方も、労働者の権利の確保の仕方も、どちらも合わなくなってきている。
そもそも先進国は、すでに労働者の数=利益の額、というシンプルで牧歌的な資本主義からはとうの昔に卒業させられており、
消費の中心者である中産階級層が減少する「痩せる」のは、企業側としても困った事態であるはずなのだが、
今のところはまだ世界中くまなく探せば「簡単に売りつけられる相手」は見つかるので、財界としても労働運動側としても見てみないふりをしているのだろう。
中国が消費社会化した、次は東南アジアだ、その次はアフリカ北部もまだ残っているし。アフリカ中・南部も都市部ならまだまだ「消費社会化」できる。
まぁこれも保ってあと10~20年で「簡単に売りつけられる≒労働力も安価」な人々探しも、ネタが尽きて終わりを迎えるだろうけど。
社内の叱る声がうるさい。会社を辞めたい。
最近転職して入った会社、事務所がそれほど大きくなく、同じフロアにあるミーティングスペースの会話は聞き耳を立てなくても聞こえる。
スケジュール遅れなど、いわゆる炎上案件について上司が社員に対して叱っている声が週に数回のペースで聞こえる。
コンピューターシステムの開発会社で、自社製品もあるが受託による開発がおもな業務。ひとつの案件は、だいたいひとりが担当して、そのサポートに人がついたりつかなかったり、という規模感。
上司が理不尽に怒りをぶつけてるっていうわけでもなく、非は叱られている社員にある雰囲気なのだけど、そもそも管理できてない上の問題と言えなくもない。案件が集中しがちな2人の社員に対して叱ることが多いから、無理な案件を受けてしまう営業のせいとも言えるし、できると言ってしまうその技術者のせいかもしれない。
なんというか、誰の責任とか、良いとか悪いとかはどうでもよくて、ただうるさくて自分の仕事に集中できない。
これが、上司が一方的にストレスの捌け口として叱責してるとかなら、「合わないので辞めます」と言って辞められる。
しかし、いちおう会議の体を持って前向きに、仕事を進めるためにやっていることが分かるから、なんともいいがたい。オフィスが狭いのが悪いといえば悪いが、それはどうしようもない。
こんなことになる前に情報共有して対策(管理)しなさいよという不満は、あるにはある。裁量とのバランスの問題もあるから、おいそれと口を出せないけど……。私の今抱えている案件も、進捗の報告など自主的に行っているからか、多少遅れて忙しくなったり、暇があったりしても何も言われない。それはそれでいい。
転職して数ヶ月だし、その上司にも、よくしてもらってると感じるし、採ってもらったという恩も感じる。けどこんな環境で仕事を続けられるような気がしない。
どうしたものか……。
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これは余談。他にも辞めたい理由がいくつかある。愚痴ついでに、その中の一つを書く。
今の案件が終わったら、少し大きめの案件を任される事になっているのだけど、その案件をやるのがちょっと、気が進まない。クライアントの体質が自分に合わなそうだなという予感が、けっこう強めにある。
その案件に本格的に入ってしまう前に、退職してしまったほうがいいのではないかとも思う。
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今いる環境の良い面と悪い面をトータルで考えて、それほど良い面が強くなくて、悪い面が強くてジワジワ来てるっていう感じ。
今は入社したてで、それなりにやる気もあるからいいけど、これもう少ししたら心がゴリゴリ削れていくやつなんじゃないかなぁと不安になってる。
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追記
コードレビューに対して、それを指摘ではなく攻撃だと受け取ってしまう人がいて、レビューの表現を工夫する必要があるという経験が私にもあります。
上司のしていることも「指摘」であると言えなくもない、というレベルです。変に慣れてしまっている、と言われてしまえばそれまでですけども……。怒鳴っているわけではなく、若干語気が荒くなっている程度です。
たしかに、変なフォローしているようですが、実際のところ、上司に対しても、叱られている人に対しても同情のようなものを感じます。それはまぁそれとして、本文にも書いたとおり良し悪しを別にして「うるさい」のですよね。叱る内容を納得できるかできないかに関わらず。
「行動せよ」という指摘はもっともです。
転職活動に疲れ(3社くらいしか受けてないけど)、早々に内定をくれた会社に飛び込んでしまった私にも非があります。社内の雰囲気をあらかじめ知るなんて不可能のような気はするけど。
過去に小さい会社にいたことがあり、牧歌的な雰囲気だったから、お給料下がってでもそういう会社で開発できたらなぁという気持ちで転職したら、あまり穏やかな雰囲気ではなかったという状況。会社の大小とか給料の多少って、そういうのあんまり関係ないんだなぁ。結局人だよね人。という反省をしてる。
また転職をするのにも、体力とお金がいる。我慢して働くのは悪いことだと知ってはいるが、まさか数ヶ月で我慢の限界を予感してしまうとは思っていなかった。
ため息しか出ない。