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はてなキーワード: 根付とは

2017-03-18

デモは少数者のための仕組みではないのか?

デモを行なう中で動員数を誇示したり、街中で大声で怒鳴り散らかしたり、大通りを塞いだりすることは、多数者でなければできないことのまさにそれであり、社会に生きる人々の自由闊達生活妨害しようとする行為であり、およそ投票に並立する民主主義権利行使であるとは思えない。

デモとはこのような、議論否定しようとするものとは正反対のものであり、数がものを言う投票では示すことのできない、多数派とは異なる有用意見を持った少数の人々が自分の考えを発信する場であり、そういった有用意見政治に取り入れて民主主義を豊かにするための仕組みではないのか?

多分今まで俺が日本で言う「デモ」に違和感を感じてきたのは潜在的にこういうふうな考えをしていたからだろう

どうにか、ああいう風な「デモ」が続けられることも、デモ存在否定されることもなくなって、デモ投票に並ぶ民主主義の柱として根付くようになってくれればいいんだけどな

意見お願いしま

2017-03-17

abemaTV見てて凄いことに気がついた ジャニーズがいないんだ

サイバーエージェント制作バラエティジャニーズが出てこないのはなんとなくわかるけど、ヒットチャート特集にも邦画にもドラマ再放送にもジャニタレが一切いないことに気がついた。特にドラマジャニタレを一切見ないのはなんかちょっと異常な感じがした。

そういえば、ジャニーズって昔からファッション雑誌の表紙にジャニタレが載ってたら雑誌公式ページの表紙画像を黒塗りさせるくらいにネット配信に厳しかったような。

もしかしてテレビオンデマンド配信ネット同時配信が未だに全然根付かない原因って……

2017-03-11

カメラキャメラ

昔、カメラキャメラと言って、それを何とか定着させようとしていた人がいたけど、結局根付かなかったな。やっぱりカメラの方がいいやすい。

今年で6年経った

http://anond.hatelabo.jp/20110602193012

この増田から6年か。

 

福島は未だに復興されてなくてもはや避難先に根付いてしまった人たちもいるらしい

震災直後では火の海になった気仙沼話題になったけど、こっちのほうは復興したのかな

って、調べてみたらインフラは概ね治ってきたみたいだけど産業震災前の60%程度しか復興していないみたい

http://www.pref.miyagi.jp/uploaded/attachment/608418.pdf

まああんだけの被害があったらそうそう治らないよね

 

原発の方は、東芝原発LNGに大博打を張って結局半導体産業日本から手放すという大失態をしたのが印象的だった

世界では再生可能エネルギーが続々とグリッドパリティを達成しているのに何たる惨状

しかネット社会ではこの状態になっても未だに「反原発放射脳疑似科学的」とか「再生可能エネルギーは役に立たない」とか悪評が目立つ

思うに最初反原発が今のしばき隊の連中に見つかって変な色がついたのが悪かったんだろうな

あれさえなければもっと受け入れられた選択肢だと思ったんだけど

2017-03-04

幸せになる方法(後編)

幸せになる方法(前編)

http://anond.hatelabo.jp/20170304120801

さて、前編では「何故俺が不幸なのか」を考察し、納得するところまでいった。

後編では「そんな俺が幸せになるにはどうすればいいか?」を考察したい。

長いので3行で

幸福必要な要素は「自己実現と成長」「独立マイペース」「つながりと感謝」「前向きと楽観」

・俺には「つながりと感謝」が圧倒的に足りていない。

・俺の「溢れる金と時間」を「つながりと感謝」と交換すれば解決

⇒俺は幸せになるぜ。

幸福感を感じるために必要な項目

最初に「何を持ってれば幸福感を感じるのか」をまとめておこう。

色々と記事や本に目を通していたところ、前野隆司さんの「幸せメカニズム」という本が参考になりそうだった。

それによると、幸せを感じるためには以下の4つが必要だそうだ。

自己実現と成長

独立マイペース

・つながりと感謝

・前向きと楽観

一人で素晴らしいサービスを作っている俺としては上記の「自己実現と成長」「独立マイペース」「前向きと楽観」は満たされていると実感している。

ただ一つ「つながりと感謝」だけが圧倒的に足りない。

つながりと感謝

俺は「収入が上がれば、幸せになるだろ、普通に考えて」と思っていた。

そもそもなんでこんな勘違いをしていたんだろう?

この謎が氷解した。

実は俺以外の多くの一般人にとって、「収入が上がれば、幸せになる」というのはだいたい正しいのだ。

何故なら、日本人の大多数である会社員公務員にとって「収入が上がる」というのは「昇進して地位が上昇する(つながり力アップ)」ことによって副次的にもたらされるからだ。

たとえば俺みたいに年収3000-4000万円といえば会社員であればそこそこ大きな企業取締役レベル収入になる。

そのくらいの地位になると、「可愛い部下が尊敬眼差しで見てくる」だの「地域に顔が効くのでツテがある病院で好待遇を受けられる」だの「数百人の部下を持つトップとして君臨する」だのということがあり良い感じの「つながり」が大きくなる。

から、多くの人にとって「昇進して地位が上昇する(=収入が上がる) ⇒ つながりが増える ⇒ 幸福感に繋がる」わけだ。

しかし俺の場合は「昇進とか無くて地位とか無いけど収入が上がる ⇒ つながりは増えない ⇒ 収入は高いが幸福には繋がらない」となるわけ。

俺には「つながりと感謝」が圧倒的に足りていない。超ドライ

なんでこんなことになったんだろうって思い返したところ、そもそも俺は次のような性質を持っている。

自由が好き

効率が良いのが好き

個人プレーが得意

この性質を満たして仕事をしようと思うと「極力他人と関わらない」という仕事スタイルになってしまう。

一方で、自分に合ったスタイル仕事をしていたため、能力を十二分に発揮することができ、仕事自体はうまくいき、収入は上がっていったわけだ。

逆に言うと、つながりを重視して「自由」「効率性」「個人プレー」という俺の性質放棄すると俺は力を発揮できなくなり、「自己実現」「マイペース」「前向き」といった他の幸せ要素を阻害することになってしまう。

では、どうすれば俺の性質をある程度考慮した上で「つながり」を増やすことができるだろうか?

解決

考えた。

俺には金と時間がある。

ついでに言うと、それなりの仕事力もあると思う。

では、この「金と時間仕事力」を「つながり」に変換できないだろうか?

そもそも「金」というのは交換手段であり、色々なものと交換できる。では「つながり」と交換できないだろうか?

直接交換する・・・というのは難しそう。「お金あげるから友達になってください」「お金あげるから恋人になってください」っていうのは本当の意味で「友達」「恋人」ではないだろ。

せいぜい悪質な「つながり」ができるだけ。

ただ、「金 ⇔ 何か ⇔ つながり」というふうに間に何かを挟んでやれば、成立するのでは?

この「何か」をウンウン考えてたところ以下の観点から訪日外国人×地方創成」のビジネスが良いのではないかと思った。

・その土地根付ビジネスなため、事業パートナーとして地元の人々との繋がりができる。

お客様として、多様な海外の方との繋がりができる。

・部下として、多数のバイトインターンと繋がりができる。

短期間で儲けるのは難しそうだが、他ビジネスで日銭は稼いでるため問題ない。

グローバル感覚あんまりないけど、興味はある俺にとって、面白みがある。

ただ、「自由」「効率性」「個人プレー」という俺の性質を妨げないよう以下の制約を設ける必要はある。

メンバーは超少数精鋭で。MAXは6人。できれば俺を含めて2〜3人程度のメンバー事業を進める。

メンバーは俺とフィーリングが合うかどうかを最重要視する(下ネタが好きというのは必須)。

書きながら思い付いただけなので、これからもっと深く検討する必要あるな。

2017-03-03

今治市獣医学部新設陰謀論……

岡山理科大(加計学園)が愛媛県今治市獣医学部開設へ 土地の入手方法について 高嶌さん解説(2017.3.1作成) - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1086386

別に市政にツテなんてない、しがない一市民だけど、モニョった。一市民としてはモニョった。

https://twitter.com/uchida_kawasaki/status/837255423824543744

3月議会で上程が重要って言ってるけど、なんで重要なんだろう。そこんとこよくわからんなあと思う。

獣医学部新設予定地は https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E6%B2%BB%E6%96%B0%E9%83%BD%E5%B8%82%E9%96%8B%E7%99%BA ここに記載のある第2地区しまなみ海道開通を契機に計画されたんだから、まあ気の長い話だよ。解説がついてるけど、長年大学を誘致するっていうものの果たせずにいた土地やんね。

そもそも地元民的には少子高齢化モロに食らってる今治新都心計画大丈夫なのって気持ちもずっとあったし、第1地区イオンモールなんか、立派な4車線道路交差点に隣接する造営地に数年来「イオンモール建設予定地」の看板と、ぽつんと置かれた動かないショベルカーけが晒しになってるという寂しい状態で。なんだったんだよあのショベルカー。一応計画死んでませんよってアリバイ作りかっての。「イオンは来るのか来ないのか」は長年今治市民の鉄板世間話ネタだったもんねえ。

それがここ数年、ついにイオンモール建設され無事開店、なんだかんだ地元企業消防署移転なんかも始まり、第2地区もだいぶ住宅地らしくなり、無駄に広いアースランドだんだん認知され始めて、って、ようやく新都心計画根付いてきたかな、ってことの果ての今回の獣医学部新設決定。長年、獣医学部誘致してるらしいよって話はぼんやり市民の間に流れてたけど、大方夢物語扱いやったもんね……特区が取れた報道にはびっくりしたよ。

http://lite-ra.com/i/2017/03/post-2957-entry_3.html

確かに、この話読むと、なんらかあったのかなあって疑う余地があるのはわかる。わかるよ。でも、

https://matome.naver.jp/m/odai/2148838721932102801

https://twitter.com/takashima724/status/837188198883176448

市民訴訟……するかなあ……。36億7千万土地無償譲渡って言われたらそりゃヤバく聞こえるけど、2003年松山大学に蹴られてからずーーーーっと塩漬けで早14年の土地って聞かされたらどうよ。無償譲渡って聞いても、まあしゃーねーんじゃね〜建ててくれるだけありがたくねーーーくらいの気持ちにはなったよ。

獣医学部のものの規模がやけに大きくて、それ日本全体の需給規模的に大丈夫なん? は思ったし、記事でもボロクソ書かれてて、だよなーーとは思った。ただ、四国獣医学部が本当に不要なのかは、四国畜産周りの人に聞いてみんとわからんのじゃないかなあ。四国、出て行ったら戻ってこんもんね……。

まあ疑惑ガチで、獣医学部が誘致できなくなったら、それはそれでもう仕方ないんやろうけど。ただ、異常な土地譲渡って話を森友学園と同レベルに受け取られるとなんか違うと思うわ。今治から比べたらあん大都会の、あんな立派な立地と同列で語られるとか勘弁してほしい。確かに広くて日当たりは良いけど、次の買い手なんてまず現れんだろうなーーー………。

2017-02-21

ネットミソジニー女性が反発しても無駄

益々「効いてる効いてるwwwこれだから女感情的wwwま〜んwww」と言われるだけ。

反レイシズムだって日本人の側からネトウヨ」と言ってレイシストを叩いていたか根付いた

からミソジニーネット根付かせるためには男の方からミソジニーに反対するなりバカにするなりしなければいけないのではないか

暫くは「バカマッチョ」呼ばわりされて効果ないだろうけど

問題は、レイシストに反対する日本人は多いがミソジニーに反対する日本人男性はとてもとても少ない

2017-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20170216231706

一度社会根付いてしまった価値観というものはよほどのことがない限り変わらないのだよ。

インターネットが出来たという大きな出来事で、社会価値観が変わり始めているのも確かだが。

2017-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20170216131106

封建社会からの名残で、身分の高さ=人間価値っていう価値観社会的根付いてしまってるからね。

そうじゃないと支配階級人間には都合が悪かったから。

2017-02-15

キモオタフェミニスト

オタクが一々フェミニストにつっかかってくるのって、男性特権を目に見えて享受できない立場にあるので、実際は男に生まれたと言うだけで差別的立場にいるということが理解できないということもあるんじゃないかという気がしてきた。

恋愛弱者でもあるオタクは、未だに男女差別根付いたままの恋愛市場からは男らしくデートプランを考えろとか男らしくあることを要求されて、一方フェミニストからは男であるということで(自分メリットを感じてないのに)責め立てられる。

結局のところオタク大人にならない限りは永遠にフェミニストいちゃもんつけ続けることになりそう。

男性差別CM炎上しない理由

暴力ヒロインと言い「女に虐げられる可哀想な男」は笑って受け入れられやすい(今は過去形になるかもしれない)

男の言う「女怖い」は笑って言われるのに対して女の言う「男怖い」はシャレにならないのにも通じるだろう

これこそ男女の非対称性。前者は本気で脅威を感じていないネタ後者ガチなのだ

そして「ネタである分前者のほうが広まりやす

今のネットで「男性差別」論がやたら広まっているのも、ネタとして広まった「女に虐げられて男はつらいよ」の延長と考えられる。

だが育ちすぎた男性差別論、男の被害者意識は、「女に虐げられるのがネタとして受け入れられる」ことに激しく抗議するに至った。

ネタとして受け入れられたからこそ」ここまで女尊男卑論が広まったのだが、もう「ネタとして受け入れられる」ことは男性差別論において必要ないのだろう。ここまで育って、ネット中に根付いてしまったのだから

はてなリベラルなのに男に厳しい!!」って喚くやつらは2chまとめにでも行けばいいのに。ネット中、基本的に嫌というほど女に厳しく男に甘々なんだから

2017-01-31

甘えられない人見知り

どうでもいいことなのであまり読まない方がいいです。

私は昔から人見知りで、親の後ろに常に隠れている子だった。家族内でもそれが根付いてしまっていたと思う。人見知りでいなければいけないといつのまにか思ってしまっていた。だから感情的にはバリバリ挨拶できるのに、わたしは人見知りだから自分自分を抑えていた。

幼稚園でも、みんなでやるお遊戯が恥ずかしくて出来なかったり。幼稚園ピアノを弾かねばならない時も自分の音がもしも違っていたらみんなはどんな反応をするんだろう、と思ってしまって弾けなかった。ひとりだと弾けるのに。人見知りの自分は行動を目立たせてはいけないんだ…と考えていた。

小学校でも人見知りがキャラみたいになっていて、好きな歌は何?とか、好きな芸能人は?とかよく聞かれたのだけど、こんなわたしジャニーズがすきだとか、流行りのタレントが好きだなんて言ったら周りはびっくりして、なんで〇〇(わたし名前)なのにこの人が好きなの!?なんてなるかと思うと言えなかった。だから音楽の授業などで発表する「自分の好きな歌」が嫌いだった。自己紹介はまだ知り合ってまもない時に行うもののため、そこまで縛られることはなかった。

こんなんだけど、ハブられたりいじめられたりはしなかった。きっとわたしが何にでも「うん」と答えてしまうからだろう。嫌でも嫌と言えない。ハイカーストの子たちに従うしかなかった。いじめだとも思ってなかったし、今も思っていない。自分意思自我がなんて弱かったのだろうと思う。

あるとき亀梨和也さんが人気になり(今も人気だと思いますが)クラス流行った。当然わたしテレビを見るわけで、かっこいいな〜なんて思ってた。でもクラスでは、〇〇は亀ちゃんなんて好きじゃないよね?と言われてしまった。また来たかと思った。

またそこで「うん」と言ってしまったのだが、さすがにここまでするのは自分でも嫌だし、変わりたいと思った。

中学へ上がると学年の人が増えた。そのため、小学生ときに仲の良かったハイカーストな子たちと離れることが出来た。本当に嬉しかった。

それから自分がこんなひとなんだよって言うのを周りに出すことが出来た。どこまで自分のことを話していいんだろう、嫌だと思われてないかな?と思うことはあったけど、新しく出来た友達はしっかり聞いてくれ、逆に自分はこんな人なんだよというのを伝えてくれた。

しか家族内は何も変わっていない。控えめで物静かで人見知りなわたし根付いてしまっているから、好きなタレントが出ているテレビはもちろん見れないし(環境的には見られるけど、自分タレントに興味を持っていると知られることが怖かった)雑誌は買っても部屋で読んで奥にしまった。かわいい服が好きだったが、親の中のわたしはいつまでもジーンズシャツのような服装だったため、親の前でかわいい服を着ることが出来なかった。

自分はなんのためにこんなに制限をかけてビクビクして生きているのかな?といつも思っていたし、勇気が出ない自分が腹立たしかった。1歩踏み出すことが出来れば、きっと楽しい幼少期を過ごせただろうなあ。

高校へ上がってからは周りの子が色濃く、それに流されていったし、親もあまり自分にかかわらなくなったこともあり、徐々に自分を出すことが出来た。親の「もう高校生なんだから」という思いもあったのだろう。

幼少期は自己中心的感情支配されることが多いらしいが(医学的に)わたしは一切そんなことがなかった。これは今も変わらないが、親の顔色を見ながら発言したり、大人の機嫌を損ねないようにしなければいけない!と思ってしまうからだと思う。その奥には、怒られるのが怖いってのがあるからだけど(笑)から育児記録とかアルバムを見返すと、手のかからないわがままも言わない子、なんて書かれている。悲しい。がんばって人見知りな静かな子を演じるのだって辛かった。そんなこと親には言えないけど。わたしだって好きなものがあって、かわいい服がきたかった。それもこれも自分が悪かったんだろうね。甘えることが出来なかった。これが欲しいとか、これをしてもらいたいとか言えなくてなかなか辛い思いをした。言ってくれなきゃ親もわからないだろうからそんな子どもイライラもするよね。

ずっと書いてたらどんどんふのほうこうへ

今は社会人で親元を離れてバリバリ働いているが、やっぱり初対面の人と打ち解けた後は小さい時を思い出してしまう。

から子どもが産まれたら、思う存分甘えさせてあげたい。たとえ人見知りだとしても、何かあったらすぐに相談してもらえるような親になりたいな。

2017-01-30

http://anond.hatelabo.jp/20170130094007

アメリカは元々キリスト教文化ボランティア根付いている&子供の為に親が動くのは当たり前、って文化があるから

熱心にやりたがる人が多いってだけ。

んで、何だかんだで何もやらない=変な家庭と思われるから事実上強制だという話も聞く(つまり日本と変わらない)。

増田の家庭がそういう輪から外されてるとしたら、そりゃ「ガイジン」だからだよ。

日本PTAだってガイジン」は最初からから外されている事が多い。

知り合いの、アメリカ人結婚した日本人妻は皆熱心にやってるなあ。

ただでさえ母親ガイジン子供ハーフで他より浮きがちなのに

更にアメリカ人社会に溶け込む努力もしないとなると孤立するんだってさ。

PTAだけではなくママ友付き合いなんかも日本より遥かに濃くて大変そう。

駐在族のようににいずれ帰国予定ってなら、浮いても別にどうでもいいんだろうけど

彼女らは永住するし、子供アメリカ人として生きていくからそうもいかないしね。

2017-01-11

本気で日本でのジェンダー同権のこと考えてるはてなーの男なら、この国の男尊女卑根付いてしまった男達を変えようとすることがいかに困難であるか悟って今すぐ自殺するか大量に男を巻き込んで自爆するくらいはやるはずなんだよね

まり本気でなんて考えてない、上っ面だけ

2017-01-02

無題

自分価値が本気で見いだせない。

自分社会的には無価値のような人間なのだが、自分が生きていることに違和感がある。

生きている意味なんて人それぞれだが、もうない人には安楽死くらい用意してほしく思う。

死ぬ=悪いことというイメージ(固定観念)が深く根付いているように思うのだが、自殺などの死を選ぶ行為がそこまで悪とされている根本的な理由とは何なのであろうか?

人に迷惑をかけるからという意見が多く感じられるが、これ以上生きているほうが結果的迷惑をかけるように思えてならない。

なぜ無価値な人が生きている社会なのだろうか。

早く死にたいものである

2017-01-01

元旦営業日かで妄想する、ブラック

去年の電通過労自殺問題から労働環境改善が各方面話題になっているが、

その取り組みに積極的かどうかを、元日営業状況を見る事で、

自転車で街中をサイクリングしながら妄想してみた。

スーパーマーケット

バローの様な中規模系や地元チェーン店は、ほぼcloseだった。

openザ・ビッグトライアルなどの安売り店、

やはり安売り店は休めないのかと妄想。只し,業務スーパーはcloseだった。

イオンイトーヨーカドーの大型ショッピングセンターopen

大型店はもはや、インフラとなりつつあるのかもと妄想

家電量販店

ノジマコジマ open

ヤマダ、K's電気 close

と、会社によってまちまちだが、ヤマダは混乱期から脱却しつつあるのと、

顧客満足度が高いと言われているK's電気は、余裕があるのかもと妄想する。

・外食チェーン

地元だけのチェーン店個人店はほぼclose。

全国規模のファミレスや回転ずし、牛丼店やファストフード店はほぼopen

飲食業界は相変わらずの厳しさなのかと妄想

そんな中、closeだった道とん堀やよい軒は、飲食界の新しい労働環境

構築しつつあるのかもと妄想

ホームセンター

カインズホームケイヨーD2コメリ等はclose

元旦需要は高そうだが、昔から元旦営業しているイメージはないので、

その文化根付いているだけなのかもと妄想

アパレル

ユニクロライドオン、西松屋シマムラなど、すべてopen

アパレル系は、ファッション好きな従業員労働力搾取の場なのかもと妄想

アミューズメント

ゲームセンターボーリング場、ネットカフェパチンコ等はすべてopen

これ系は昔から正月は稼ぎ時なのは変わらない印象。

自動車関係

ディーラー中古車販売店、買取店はclose。やはり正月から大きな買い物はしないのだろう。

自動車用品店は中古部品店はclose 全国チェーンのイエローハットもclose。

ただスーパーオートバックスopen。車好きの従業員労働力搾取の場になっていなければいいが…と妄想

・その他

ブックオフヤハードオフなどのブックオフ系列はどこもopenだった。

暇な正月に行く定番場所として昔から

大型本屋ツタヤのどのレンタルDVDショップ需要があるので、

その括りで古本屋open理解できるが、

パソコン部品家具洋服中古品店もオープンさせてしまうのは、

グループ店ならではの文化が、優先されてしまっているのではないか妄想

驚いたのは紳士服店とメガネ店、見た限りでは

全ての元旦からopen店ばかりだった。

紳士服はやはりアパレル関係に部類されるのだろうか。

メガネ店では朝礼で、通りに向かて全員で大声で挨拶していたり、

駆け足で通りを掃除していた風景を思い出すと、

元旦営業は当たり前という文化根付いているのかもと妄想

ただ両カテゴリ共に元旦需要があるのかな…?

もう一つ意外だったのはセリアやダイソーなどの100円ショップがclose

安売り店は営業していそうだが、当てはまらなかった。

労働環境はいいのかもな~と妄想

最後に感じたのは、日本人なら基本、正月は休もう、という事。

それでもサービス提供しなければならないなら、その日は特別賞与従業員に大いに振る舞おうよ。

そしてお客も割り増し料金を払おうよ。

正月くらい、客がそのサービスへの感謝を形にしてもいいんでないの?

元旦からクロネコ宅急便が届いて、驚いちまったのと同時になんだか申し訳なくて

わず「すいませんでした」って謝っちまったよ…。

2016-12-21

http://anond.hatelabo.jp/20161221031136

話ずれるけど相手にもちゃんと性的指向が設定されてるドラゴンエイジはともかく、スカイリムとかの世界ってみんなバイってことなんかな。その辺りがちゃんとしてないと、なんか文句言われそうだからとりあえずシステム上は関係なくできるようにしましたって適当さが見られてなんか嫌。もちろん、上げられてるようにその程度のことすらできないジャップ国の差別精神根付いた企業に比べたら対応してくれるだけマシではあるのだけれども。

2016-12-19

安倍総理北方領土対応で見えてきた日本の終わり具合

まず、俺は右翼寄り中道気取りだという立場を表明しておきます

安倍プーチン会談について

右翼側として北方領土は全島返還現実ラインでもせめて二島返還確定が

まれていたと思うが

現実プーチンとお友達になれた安倍首相が感動に震え

経済協力という名の支援を行って終わり

父ちゃんのやってきた日ソの平和条約に踏み込んだゾ!という安倍首相の感慨はさておき

右翼からすると、アカに歩み寄り、金をバラマキ、北方領土は棚上げで、とくに褒めることはない

それどころかブチギレても良いはずだった

安倍首相の忠犬と思われた産経新聞もさすがにキレていた

ところが、今回の安倍プーチン会談国民全体の支持率

あの毎日新聞調べで60%近い支持を得ているのだ・・・

> 毎日新聞は17、18両日、全国世論調査実施した。

> 今回の日露首脳会談を受けて、北方領土問題解決する前に北方領土で共同経済活動を行うことへの賛否を聞いたところ、

> 「賛成」との回答が59%で、「反対」の25%を大きく上回った。

> 今後の北方領土問題の進展に「期待する」は60%、「期待しない」は29%。

> 安倍内閣支持率は11月の前回調査からポイント増の51%、不支持率は1ポイント増の32%だった。

ここから見えてくるのは、国民右傾化ではなく・・・

バカ化だ

勝手に「保守思想根付いた」と好ましく思っていたのがバカらしくなる

右派自分から見てもこの国は終わっている

思想なんてない、テレビで見てなんとなく良いと思えばなんとなく支持する

そういう奴らばっかになってしまったのかと・・・

日本人の信念なんてないのかと

国民がここまでのバカの集まりとなると一体この国の何を保守すればいいんだ

経済協力で島が帰ってくるなら竹島尖閣問題なんておきてないんだよ・・・

目を覚ましてくれよ

2016-12-06

[] 遠藤周作沈黙』 ※追記

なんかマーティン・スコセッシ監督人生五指に入るほど好きな映画監督)が遠藤周作の『沈黙』を映画化したらしいので、積ん読していたのを読んだ。以下はそのメモ(間違ってるかも)。

どうもテーマは以下の3つらしい。

信徒がどんなに辛い目にあっても神が彼らを助けもせずに沈黙しているのは何故か(神はいないのではないか

クリスチャンと言えど、拷問に対する恐怖から踏み絵を踏んでしまう心の弱い者もいる。これら弱き者は救われないのか。

日本キリスト教が伝来しても、それは日本特有の何かに変容してしまって、本来キリスト教日本根付かないのではないか

テーマ① 神の沈黙理由

結論:神は沈黙しているのではなく、信徒に寄り添い、その苦痛・苦悩を分かち合って下さっている。

◇考えたこと:神がいるならなぜ苦悩に満ちた人生で何か声をかけてくれないのか、とは誰しもが考えたことだろう。それに対する卓抜な回答だと思う。辛い人生の慰めになる。

本作の元ネタの1つはヨブ記だろうけど、この解釈ヨブ記に逆照射すると面白いかもしれない。信徒に苦悩を与えるヤハウェと、それを分かち合ってくださる「仲保者」(=キリスト)ということになるか。

テーマ② 弱き者は救われないか

結論:弱き者も救われる。弱き者には弱き者なりの苦悩があり、踏み絵を踏むことを拒否して拷問を受ける信徒と変わりはない。

◇考えたこと:これも大変慰めになる。誰しもが踏み絵拒否できる強い信徒ではないし、むしろ弱き者の方が大多数だろう。そんな中でのこの結論は心強い。

テーマ③ 日本キリスト教受容

結論:書いてない?

◇考えたこと:神の存在聖書というテキストで表されている以上、そこには解釈が入らざるを得ないし、解釈に際してはその人の人生観世界観がそこに入り込まざるを得ない。

その意味で、西洋キリスト教日本キリスト教は違うと言われても、そらそうだろうという感じだった。

おわり。一読目だし、『切支丹屋敷役人日記』がいまいち理解できてないしで、間違ってるかも。

日本小説だけあって、論文ネット上にpdfでいくつか転がっているので、読んでみたい。

[追記]

本作にまつわる良いQ&Aがあったので貼っておく。

http://q.hatena.ne.jp/1344564565

2016-12-05

日本人は本当に考えて喋っていないのか?

http://anond.hatelabo.jp/20161204095016

驚いた。全く真逆感想だ。アメリカといっても、サンフランシスコのイケイスタートアップからウォール街クオンツからシカゴコンサルまで、全く違うだろうけど、5年以上東海岸の米系企業に籍をおき、向こうの地でもそれなりに働いてきた自分からすると全く同意できなかった。あくま個人的感想であるけど、いくつか反論してみたい。

会議でも日本みたいに「喋らないやつはダメだ」みたいなことは言わない

俺が米系企業日本支社に就職したとき最初に「会議発言しないのは存在しないのと同じだ」と言われた。少なくとも俺の5年以上の経験で、会議に出て黙ったままただメモを取っているアメリカ人は見たことがない。

誰かが発言しない会議があると「君は何も喋ってないけど、この会議はそもそも必要なのか?」と言われる。真顔で。

これは、日本アメリカコミュニケーションの違いも大きい。例えば、日本人が「お世話になっております表題の件ですが…」と書いているうちに、アメリカ人は「ok」の二文字だけで返信する。件名が「ok / EOM」で本文なし、なんてメールも多い。

必然的に報告だけの会議というのは少なくなるし、会議というのは発言をする場であるということが意識として徹底されている。

本国から来たマネージャーは、日本人会議に出席していながら全く発言しないことに驚く。日本人は、会議という場が意見をぶつけ合う場にも関わらず異常に萎縮しているように見える。間違ったことを発言したら怒られるのではないか、と。俺自身はどんな馬鹿質問をしても怒られた記憶はないが、発言しなかったらマネージャーに呼び出されてアドバイスされたことがある。

人には「考える時間」があるとわかっていることだ。向こうにはディベート文化があるし、PCが叩き込まれいるから、「どう答えるか」についてちゃんと考えている。

元増田アメリカ大学ディベートを見たことがあるのだろうか?ディベートというのは、(悪い言い方をすれば)いかに黙らずに早口屁理屈を言い続けるかを競うスポーツだ。イエールでもハーバードでもエリートが日々「どんな論点をどんな立場でも」ディベートに勝てるかを検査し続けている。(チョムスキーは、深い思索のないディベートリーマン・ショック引き起こしたと言っていた)アイビーリーグ卒業生が多い会社はそういうディベート文化根付いていて、会議スピードが異常に早い。

日本は「考えていない人」が幅を利かせて、そういう人が「すぐ喋る考えていない人」をコミュニケーション能力があるとか、自己主張ができているとか、そういう理屈を付けて評価するからね。

アメリカ人はちゃんと主張する人を好む。給料上げてください」って言うと結構上がる。言わないと上がらない。大抵の企業では「1/1」という、マネージャーと一対一で話してアピールする場が設けられていて、そこの場でどれだけ自分が頑張ったかを語らされる。

それは、年功序列が薄いことと裏表だ。アピールできるやつはずんずん登っていくし、うだつが上がらなければそのままか、クビになる。だからボスアピールすることはむちゃくちゃ重要ポイントだと考えられてる。

日本人のように「頑張っていたらいつか認められる」なんていうことは考えないし、キャリアというのは自分アピールして掴み取るものだという意識が徹底している。

アメリカ人は本当に考えながら喋っているのか?

これはもう匿名ブログ宿命上、想像しかかけないのだけど、元増田あくまで「日本人」として接してもらっていたのではないかと感じた。それも日本人が多い多国籍企業の。

アメリカ人特にサンフランシスコとかシアトルあたりの)は英語できないやつには慣れているので優しいし、日本人が入るような会社なら、シャイなのも知っているから話も振ってくれる。カリフォルニアなんか白人が4割しかいない。インド人の聞きづらい英語四苦八苦し、イタリア人コーヒーブレイクには付き合う。多国籍企業とはそういうものだ、と割り切っている。

そして、文化が違うこと、ネイティブじゃない言語で話す人との仕事の仕方をきちんとわかっている。だから、口ごもる人にはちゃんと時間をくれるし、わかりやす英語を使おうと頭を捻ってくれる。それはポリティカル・コレクトネスに近い。(日本人だって日本語が下手な外国人がいたらじっと聞かないか?)

日本人が考えずに喋っているとは思わない。むしろもっと怯えずに発言すればいいと思う。どだい、会議というのは話すためにある。ただ単にボスの報告を聞くだけならメールでいい。わかっていないことがあれば空気を読まずに質問すればいいし、気になったことがあれば深く考え込まずに発言すれば良いのだ。

いささか乱暴な言い方ではあるけど、日本人もっと適当でもいいからどんどん発言するべきだ、と言うのが個人的結論である発言することが時間無駄になるようなメンバー会議に居る事自体おかしいのだ。

最後

素晴らしく有能で深い思考を持っている日本人が、発言しないために低い評価に甘んじているのをよく見てきた。とてももったいないと思う。少なくとも、米系企業で働こうとしている人は、とにかく何でも良いか発言する癖をつけたほうが良い。わからないことがあれば聞く、考えていることがあったら意見を言う、適当でも良いか改善ポイントを言う。発言量を増やすだけでキャリアが変わる。

そんじゃーね。(ちきりん風に)

2016-12-03

「正しいことを幸せだと思っている」真面目さと、生きづらさの正体。

私はとても真面目だ。制服スカートを折ったことも無いし、メイクをして学校へ行ったことも無い。課題は確実に出していたし、授業中自分から話したり、先生に横暴な態度を取ることも無かった。

私は母子家庭で育ったが、祖母と兄と母と一緒に暮らしていて、親戚同士の仲も良好だったため、たくさんの人に愛されて育ってきたと自負している。小学生の頃いじめられ、中学校に入ってから全く学校に通えなくなった時も、母が私のためを思い「どうして学校に行かないんだ」と怒られたことがあるこそすれ、無理やり学校へ行けと怒られたこともなく、なんなら「中学三年間なんてこれから人生に比べれはちっぽけな時間なのだからゆっくり休めばいい。好きなことをしなさい」と言ってくれたおかげで、私は無事に高校へ進学した。

多少の家庭問題はあれど、それでも余るくらいに私は愛されてきた。ひきこもろうがどんなに反抗しようが、それでも常に私の心配をしてくれる人が周りにいて、私は本当に幸せ者だと思う。

だが、私は自己肯定感が低い。自分に自信なんて全くないし、取柄といえば真面目なところくらいだと思う。

こんなに愛されてきたのに、どうして私は自己肯定感が全くと言っていいほどないのだろうと、ずっと考えてきた。そして出た答えが、「真面目であること、そして正しいことを幸せだと思っている刷り込み式の考えにある」だった。

私たちは皆、努力すること、我慢すること、気を遣うことが美徳と学んできた。私も小さい頃からそう思って生きてきたし、うちはマナーにも非常に厳しい家庭だったため、それが当たり前だと思っていた。

確かにそれは素晴らしい考え方だし、共存必要なことであると思う。けれど我々は、その考え方にとても苦しめられているのではないだろうかと、今となっては思うのだ。

私は言いたいことを言わないと気が済まない性格で、物事をはっきりと言っている。喧嘩をするときもそうなのだが、いくら怒っても、いくら自分気持ち吐露しても、なんだかすっきりしないことに気が付いたのだ。

言いたいことは言っているし、きちんと相手にも伝わっている。「私はこれが嫌で、こうだからあなたがどうしてそういうことをしたのかがわからない」と、自分意思を伝え、相手も「そうか、わかったよ」と言ってくれているにも拘らず、気持ちが晴れない。伝えた直後はすっきりしていても、後々「あの時自分はこう伝えたけれど、本当に自分はそう思っているのだろうか」とまた思い直し、そうしてまた、相手改善してくれたことも、「やっぱりそれは違う」となり、それを延々と繰り返し、問題が全く解決しないのである

これについて私は、本当に長い間悩んでいた。「相手はちゃんと私が言ったことを受け止めてくれて、改善もしてくれたのに、どうして私は満足できないのか」と、常に自己嫌悪状態で、本当にこれだけで死にたくなるほど悩んだ。

悩んで悩んで、どうしたらいいのかと頭を抱えて悩んでいたある日、答えはふっと降りてきた。

いくら気持ちを伝えてもすっきりしないのは、本音を伝えていないからだ」と。

そりゃそうだろう、と思われるかもしれないが、そこで出てくるのが、「正しいことを幸せだと思っている」なのである

すぱっと言ってしまうと、私たちは常に正しさを基準に生きている。そしてそれこそが一番の問題なのだ

本音というのは、自分の本当の気持ちのことだ。喧嘩をし、自分気持ちを吐き出してもすっきりしないのは、「一般的な考えを踏まえたうえでの本音」だからなのだと思う。

私たちの中には、意識的しろ無意識的にしろ正しさが基準として根付いていて、「本当はこう思っているけれど、それを言うことは正しくない」と、どこかで自然セーブをかけているのだ。そのせいで、本音を言ってもすっきりしない、だって「本当はこう思っているけれど、それを言うことは正しくない。だからこう言ったほうがいいし、そのほうが幸せなのだから、という謎現象が起きてしまうのである

そしてそれが起こる原因は、「真面目さ」にある。真面目な人は、全てのことを正しいか正しくないか判断してしまう。それは、自分気持ちですらその天秤にかけてしてまうのだ。

それはとても恐ろしいことだ。どんなに嫌なことでも、ただ「正しくないから」「正しいから」と、そのふたつで判断されてしまう。この恐ろしさを、私たちは皆持っているのではなかろうか。

真面目な人が鬱になってしまうのは、これが大いに関係していると思う。仕事を辞めたくても、どんなに体調が悪くても仕事をし、学校に行き、頑張ってしまうのは、それが「絶対的に正しいこと」と思い込んでいるからだ。かくいう私もそうだったので気持ちはとてもわかる。自分では気付かないうちに、自殺という選択肢しか残らないところまで自分を追い詰めてしまうのだよね。

だらだらと書いてしまったので結論を書くと、「正しいことが幸せなのではない。正しくないことが不幸せなのではない」ということである

以前母と話したときに、私が「ホームレスを見ると悲しくなる」と言ったら、「案外あの人たちは幸せなのよ。縛られることもなく、気楽に生きていけるから」と言われ、そうかと思った。自分が思っているよりも、他人は不幸せなんかじゃない。本当に心の底から辛い人なんてそうそういないのだ。

「正しさを基準判断し、他人を不幸と決めつける人」に言いたい。

正しいことが、必ずしも幸せではないということ。正しくない人が全員不幸なんかじゃないということ。自分の「幸せである条件、または物差し」――たとえば死に物狂いで頑張ることとか――から外れている人が不幸だなんて、そんなことは絶対にない。

私たちは正しくなくていい。正しく幸せになろうとなんかしなくていい。

私たちには、「不真面目に幸せになる権利」があるのだから

2016-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20161130180629

30-40代向けの音楽を多く流すのは

1)番組の決定権を持つプロデューサーがその世代 自分が分かる企画を通し勝ち

2)「CDを買う」文化根付いているのがその世代 なつかしさによる購入を狙えるため、レコード会社に喜ばれる

3)新規収録をする制作費がないので、過去映像を流せば0円←これが主原因

2016-11-28

ジャニオタから見たSMAP

SMAPファンでは無い

SMAPは数年前から後輩と絡みが無い

そもそもSMAPという存在は後輩とあまり絡まない。中居番組に出る(うたばん)くらいだった

周りと差別化することで特別感を演出していたグループ

Jフレ』にSMAPが居ないのは、別に派閥どうのこうのという時期では無いことをはっきり言っておこう

紅白大トリCDTV特別ライブみたいなことをしていたので、ジャニーズカウントダウンライブにも出ていない

疎外されていたわけではなく、ただそうやって売っていたのだ

故にSMAPメンバーは後輩たちとの関わりが薄い

明らかに変わりだしたのは2010年くらいだったと思う

ファンの目の前に分かりやすく『派閥』が生まれた。ジャニーor飯島orジュリー

かいことは省くが、嵐の人気上昇などが影響していることは間違いない(それだけではない)

嵐がゴールデン番組を持ったので後輩や先輩と普通に共演していたが、今まで通りSMAP積極的に行わなかった

SMAPと共演する人は、ほぼいつも決まっていた。しかもその共演者は、嵐とは共演しなかった

それで「おかしい」ことがバレはじめた

ただ、一つ言いたいのは、この『派閥』は当初は紛れもない『戦略』であったということだ

別のリーダーをもっている班同士が、別の人脈で仕事の幅を広げて、タレントを売り込んできた

まさか片方が独立しようと思っているなんてことは、考えもできなかったが

SMAPが不仲だからやめたい、と言い出した件について

不仲なのは別に最近始まったことでも無いと思う。不仲でもそのままやっていけたと思う、そういうグループだったはずだ

ジャニヲタとしてSMAPがなんか変だなと思ったのは、特典商法をしだした時だ。2013年

複数買い推奨、バックヤード招待、ファン交流パーティーイベントではなく、パーティー)を特典につけた

おかしい。SMAPはこういう商法をするグループでは無かったはずだ、というのがその時の印象

メンバーも流石にそこで、CD売上がかなり下がってきていることには気づいたんだと思う

そうやってメンバーの目に危機感を写すことは若手のアイドルには有効だが、SMAPの年齢だと引き際を考えるメンバーも居ただろう

あれから3年と考えたら、色々腑に落ちることもある

まぁここまでゴタゴタする必要は一切無かったと思うのだが

ジャニオタとして、SMAPを見たとき

彼らの人気が絶頂時代の売り方は決して後輩に還元されるものではなかったし、SMAPその他みたいな売り方になっていたことも納得がいってないファンも多いと考えている

あげく現在SMAPファンが後輩を叩いて叩いて叩きまくっているので、ますます避けられている感がある

ただSMAPを嫌いになれない理由もある

SMAPを慕っていた後輩がかなり多いことだ

間違えないでほしいのは「SMAPと親しかった人が多い」というわけではない。関わりが無いので、親しい人は少ない

SMAP本人たちも後輩たちと接点が無かったので、いまだに後輩たちと接するのが全員ド下手だと思う(フォローしてくれないので後輩たちは緊張してしまい、ろくに喋れなかった)

でも多分どこかで「SMAPを目指そう」という意識が後輩たちにはあったのだと思う、もしくはジャニーに『目指せ』と言われていたグループもあるはずだ

ジャニーズは代々「アイドル意識せず正直なことも言いなさい」文化マッチから根付いているので

派閥とか無視して「SMAPと共演したい」「SMAPみたいになりたい」という後輩たちはずっと居るし、騒動後もその声は止まっていない

現在の現状と、解散について感想は無い。無いというか、まったくまとまっていない。考えないようにもしている

でもこういうことも、終わってしまえば考えることも無いのかもしれない

今のうちに、と書いておいた

いつだってジャニーズは、本人たちだけ見たら美しいのだけどな~

女の世界は怖い、という偏見がある。

女、という性別に生まれて思うことをつらつらと。

もし産まれる際に自分性別を決められるなら男に生まれたかった。

生理とか人間関係とか、面倒くさい。

メイクとかファッションとか清潔感とか、むしろ男のためというより女の世界で生きるためにあるよね。

そういいながらも私は、まだこの世界を捨てられないので世の慣習に寄り添っている。

私は女子校だったし、良い女性も周りにたくさんいた。

でもなぜだか女の世界は怖い、というイメージが植え付けられている。

そのイメージは、ある一部の女性によって作られたものだと思う。

彼女らは、はっきりとした口調で相手を拒絶しない。

ねちねちとした噂話を笑いながらしていた。

もちろん本人には告げずに裏で。

しろ対面で言われるほうが親切だと思った。

嫁姑問題とかもあるけど、仲良くすればいいのにと思う。

何か仲良くできない事情があるのだろうか。

ドラマとかで、意図的な女同士の対立を見てきたからそう思うのか。

女の世界怖いってイメージ根付いてしまった。

私自身はその女社会で生きなきゃいけないのに。

私は女の子ばかりが出るアニメを好んで見る。

こんな子いるわけないと思いながらも癒やされる。

男にだけ態度が変わる露骨女の子はいっそ清々しくて、別の生き物を見ているようだった。

女の子、怖い。

そんな偏見を持ってしまった自分も怖い。

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