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はてなキーワード: 映画館とは

2023-05-01

邦画ダメなのはジャニーズのせいじゃないし

そもそもジャニーズが出てる作品ってバンバン宣伝するせいでたくさんあるように錯覚するだけで、実際ドラマの方がバンバン出てるうえ、主演映画はめちゃくちゃ少ない。(出演を数えるなら話が違うと思うけど)

ジャニーズで主演映画やれるのはひとグループに2人いればいい方では?

ジャニーズアイドルなんかよりも

やたら湿っぽく不幸で救いようもない題材ばかり、女優を不必要に脱がせて「体当たり!」「演技派!」と絶賛したりそういうクソ邦画が多すぎる。

物語上これまた不必要女性にとっては不快なだけ、一部の男には「ご褒美」の性暴力描写女優チャレンジたらこれまた「体当たり!」という謎の賞賛を浴びる。

そういう上の方のおじさんのニタニタしてる顔が見えるのが気持ち悪い。

同性愛を題材にした映画では「同性愛としてではなくどこにでもある愛の話…」と殊更に同性愛を強調しないことをやたらと主張したがったり、「当事者以外に演じさせるな!」と普段憤慨している当事者が別の作品で非当事者同性愛者を演じている作品を絶賛していたりなんかクサイのも湧いて出てくる。

そもそも映画館にわざわざ足を運んで1900円も払って観に来てくれる価値があるのか?と製作者側は全く考えていないとしか思えないつまらないジメジメ邦画には本当に腹が立つ。

1900円あったらミスド食べ放題にも行けるし、回転寿司ではデブ1人が満足できて少食なら2人食べられる。確実に美味しいことがわかってる自分お気に入り飲食店にも行ける。

確実に好きな芸能人の顔やら好きなキャラ映画館の大画面で見れて、声もでかい音で聴けるなら1900円は安いと感じる人は多いけど、クソっぽい邦画ミスド食べ放題以上のお金普通に払いたくないよね。

三谷幸喜の「ギャラクシー街道」は今でも返金してほしいと思ってる。こんなクソみたいな怒りやモヤモヤを一生抱えたまま生きろと?

ギャラクシー街道」とマーベルディズニーが同じ料金なのがそもそもおかしい。

邦画お金かけられないせいでつまらない、お金がないせいって言い訳するなら、映画なんか作るな。

庵野秀明趣味みたいなシン仮面ライダーに金をじゃぶじゃぶ使えるんだからあるところにはあるんじゃないの?

漫画原作アイドルが出る映画以上の価値提供してないってだけの話なのにジャニーズ勝手に叩くなよ

オタクバカにしてないで、いかアスペ傾向のあるオタクリピート鑑賞で取り込めるか知恵を練ったらいいんじゃないの?と思うんですけどね

そもそも普通に結婚して普通に子供がいる健常者は子供を連れてポップコーンジュースも買って親が子供を連れてくんだよ

デートで行ってもポップコーンジュース買うよ。

でもデートで湿っぽい邦画選ぶわけなくない??????

まあこんなクソ値上げしたら家でネトフリ見ながらイチャイチャする方が圧倒的にコスパ良すぎます

バックトゥザ・フューチャーの3まで見放題に入ってるネトフリより価値提供しようという気概が全く感じられない。

リピート病のアスペオタクを取り込むならパシフィックリムみたいなやつ作ればいいんだよ

映画BLUE GIANT感想

映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれ世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。

公式サイトhttps://bluegiant-movie.jp/

予告編YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk

今年の二月から上映している本作は、同名の漫画原作としたアニメーション映画だ。音楽人間物語を楽しみながら、ジャズ界の独自価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。

主人公宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷仙台を飛び出し、単身上京する。東京出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校同級生素人ドラマー玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。

原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽アニメーションコラボレーション最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境存在が大きく、Netflix支配力が高まる現代において、専用施設役割可能性を示すことにもなっていた。

今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標物語性質に与えた影響について考えていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)

アニメーション技術を活かした音楽の魅力表現

映画BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。

演奏である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。

ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽空気振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語音楽映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶからだろう。

ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽演奏聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるものであることを実感するが、この映画ではアニメーション技術アイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。

また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後ライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blue舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。

ジャズを信じる」大の信念の問題

本作はジャズライブ世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーション人間関係のあり方についても、ジャズプレイヤーたちの世界文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。

ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラ状態肯定され、自助基調としたコミュニティ文化が成立している。

例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身問題から、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮無用ものとして切り捨てる態度を取っている。

しかし、自分自身問題であることと、周囲がその解決サポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身問題しかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。

ところが、ジャズプレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係コミュニケーション方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまりジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。

「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズ性質を、人間関係アプローチ転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。

この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助圧力高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。

権威に認められようとする挑戦」の物足りなさ

この作品にはもう一つ、物語性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。

大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一ジャズクラブ・So Blueステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。

ジャズマンにとってのSo Blueは、野球甲子園ラグビー花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。

JASSはSo Blue支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイ否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者凡庸人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である

また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分評価していないギタリストと共演しても、相手一定プレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分ソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界人間もたくさん集まる。駄目バンド烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。

若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズプレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。

それでも、映画演奏世界を美しく表現している―――問題をかき消す「音楽の力」

映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画BLUE GIANT』は、ジャズ美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの自助を前提とした人間関係コミュニケーション権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。

それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽けが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。

2023-04-29

中田秀夫監督ってなんでずっとホラー映画仕事があるの?

私はホラー映画大好きで女優霊、リング仄暗い水の底からむちゃくちゃ好きなんだけど

事故物件 恐い間取り

それがいる森

はヒドイ映画だった

でも、どんなに酷い仕事をしても中田監督ってリングの功績があるから

ずっとホラー映画仕事があるんよね

今年は禁じられた遊びっていうホラー映画やるらしいけど

映画館に観に行くきは失せるよね

邦画ホラーを見て、面白かったなあって思いたいんだけど令和になってからなかなかそういうことがないんよね

中田秀夫監督じゃないけど、きさらぎ駅は「がんばってるな~」って感じて好印象だった

Jホラーってホラー小説の方は面白いなあ!と思うものがずっと出版されてるけど

映画の方は残穢とかきさらぎ駅とか面白もの

はちょこちょこ出てくるけどイマイチだなぁとかつまらないなーって思う作品が多いような

来るはけっこう人気あるみたいだけど私は原作のぼぎわんが来るが好きだったか原作映像化されることを期待して映画館行ったら「あれれ?」って感想になってもた

ていうか、リング中田秀夫監督がそれがいる森みたいなひどい仕事してるのがつらすぎる

女優霊、リング仄暗い水の底からが好きすぎて、「もうあんな感動を味わうことができないのか」って悲しむのがつらすぎ

2023-04-27

anond:20230427182806

駄作だぞ

庵野「最終作だけど作り方完全に変えます

結果、有能スタッフ大量離脱

出来上がったのは関係者困惑する突貫品

 

摩砂雪とか貞本がいなくなったばかりではなく、

『男の戦い』や『最後のシ者』など旧作で重要な話は 薩川昭夫 脚本SF要素は磯だがそれらもいなくなった

▼供養の設定資料

古い資料を整理してたら出てきたので供養シリーズ第6弾。

もう20年以上前の某アニメで作った脚本回の設定。地下施設の詳細が決まってなかったのでセントラルドグマとか名称や細部を私が設定していった。他にも中盤は私が作ったセリフや展開が結構使用されているが結局全部ノーギャラ。

https://twitter.com/isomitsuo/status/823830687400636416?s=21

  

Aパート絵コンテなし、さらに作られては壊されめちゃくちゃに

Cパート時間スタッフ足りなかったかブラッシュアップしきれなかった

Dパート→とりあえず締め切りに間に合うように作った

 

本作に庵野くんと嫁の物語以上の意味は無いぞ

 

褒めるならパリアングルヴンダーを褒めてやれ

なお、ワイは褒めたが、やっぱ庵野監督のこだわりポイントだったらしいぞ

2021-03-09

不評だけどヴンダー戦艦アクション

映画館きじゃないぐるんぐるするアングル好きだよ

 

パート冗長さは島編並みのうんこだったけど

メカ美術だけはすごくよかった。楽しい

https://anond.hatelabo.jp/20210309140920#

2023-04-26

近隣映画館(※40分ほどかかる)ダンジョンズアンドドラゴンズも新カメレイトショー、もしくはもうやってない

勘弁してくれー

2023-04-24

定年過ぎた親父が色気づき始めて気まずい

 タイトルの通り、親父が色気づき始めた。息子の俺より年下の女の子と知り合ってから

 きっかけは親父が趣味でよく通ってた映画館ワーカホリックな親父がよく仕事帰りにレイトショーを見に行ってたところ、そこのレジ打ちバイト女の子に覚えられてよく声をかけてもらってたらしい。

 でもこの3月おしまい(就職するから)だってことを教えてもらった親父が、まぁもう会わないしと就職祝に何か(名刺入れだったか印鑑入れだったか)を渡したところ、就職先の業界が偶然にも親父の仕事と一緒だと判明し、それきっかけで連絡先交換。マジかよ。

 で、また色々と話したときにその子就職先にブラックのケを感じて心配になった親父が飯の場を設けて、詳しく話聞いたら何か更に縁があったらしい。その子就職先が親父の昔の職場とか、まぁそんな感じ。とにかく、本当にすこぶる偶然たまたま縁ができて、ちょろちょろ連絡とってるみたい。

 俺もその話聞いたときはすげぇ偶然もあるもんだと思って、まぁ若干心配になって又聞きしたその子の話を調べてみたけど、別に嘘は言ってなさそうなんだよな。本当に偶然気が合って偶然友達になってるみたいな感じ。いいことだと思ったよ。就職して俺が実家からいなくなってから寂しそうにしてたし、友達が増えるなら悪いことじゃないって。

 でも、かれこれウン十年仕事一筋でろくに見目も気にしてなかった父親から年末に帰ってきたとき着てた服はどこで買ったんだ」って聞かれると、ちょっと気まずいよ。

 そっか……気にするようになったんだ…………いや別にブランド教えるのはいいんだけど、これ普通に若者向けだから年相応かというとちょっと微妙かもだけど…………そうか…………。

 いや、うち夫婦仲がいいわけじゃないし、正直母さんはだいぶクソなので、何で離婚しないんだろうって家出ときから思ってたしさ。生活に彩りが出るならいいんだよ別に。俺も年末に親父と映画館行ったときに会ったんだけど悪い子じゃなさそうだし、まぁちょっとでも小綺麗にするきっかけになったなら全然さ。

 でも何だろう、この気まずさは。夜とかぼんやりしてるとふと思い出して胸がごろごろする。俺がこの前盛大に振られたばっかだからドラマばりに運命力引いて甘酸っぱいことしてる親父をやっかんでんのかな……。

声出しOKライブ

「声出しOKライブだったからずっと歌ってた!楽しかった!」

っていう奴もいるくらいだからライブ始まる前に映画館くらい注意喚起して欲しい。2000円払って隣客がクソな映画でもキレそうになるのに、10,000円近く払ったライブでこれやられたら殴りそうになる。

2023-04-23

anond:20230422124340

映画館とか博物館とかよりも、田舎の子供、それもある程度勉強したい子供にとってもっと切実なのは

まともな高校が家から遠すぎることだと思うよ。

地元の上位高はだいたい市の中心部かにあって、そこまで通うのに片道2時間かかったりする。

人の少ない山間部などには底辺しかない。

塾や予備校も同様。

しかも終バスが午後7時とかだったりして遅くまで残れない。

遅くまで塾に通ったり部活をしたければ親に迎えに来てもらうか原付で通学することを認めてもらうしかない。

それでも逞しい子は通学バスの中で英単語を覚えたりしてる。

都会の子も遠くの高校に通ってて意外と通学に苦労してるケースもあるみたいだけど

田舎場合は上位校に通いたければ片道2時間を呑むしか選択肢がなかったりする。

大学生になれば独り立ちして都会に住めるけど高校生にはそれもまだ早い。

まあ離島とかだと高校の時点で親元を離れることを強いられるけど。

そんな感じなので子供大学受験のために家族で市の中心部に引っ越すケースすら実際にある。

それも家族理解が得られた場合の話で、家族理解が得られなければそんなことも起きないわけで

進学を目指す子供にとってかなりでかいハンデだよね。

ちなみに中学はどうかというと、田舎には中学生が通える範囲私立中学がゼロだったりするので

中学受験という概念そもそもほとんど存在しない。移動手段以前の問題

2023-04-22

新興宗教宗教二世に生まれた話

首題のとおり。

知人になんて話せない悩み、葛藤、苦しみをこの場を借りて吐露させていただきたく。

皆さんご存知大規模新興宗教の創◯じゃない方(統一うんたらでもないしオウム関連でもない)の信者家庭の二世として生まれた。

外見はごくごく普通の家庭。

都市部に30年ローンで戸建てを購入し、両親共働き二人兄弟の、なんともありがちな家族像という感じ。

物心付いた頃から頻繁に“支部”に連れて行かれ、同年代の子どもたちと一緒に、時には“御法話”を聞いたり、時には遊んだりしていた。

教団の映画が公開されたら映画館に数回は連れて行かれた。

(もちろんそれ以外にも、一般的習い事をしたりという、一般的社会的生活も送っている。)

あるとき両親が離婚した。

教団では常日頃から人に優しく、人と仲良く、的なことを教わっていたので、子どもながらに離婚することって信者としてどうなのと思った記憶がある。(ちなみにその後しばらくして教祖離婚した。わけが分からん。)

無論子ども意思など関係なく両親は離れ離れになり、今でこそもう何とも思わないけれども、当時とても悲しかたことは覚えている。

ただ、幸い何不自由なく有名私大奨学金無しで通わせてもらい、誰もが知っている大企業就職することもできた。

両親の離婚はつらかったけど、何不自由ない、寧ろ人並み以上の生活をさせてもらったことにはとても感謝している。

さて、問題はここから

信者、それもいわゆる宗教二世は恐らく特に世間が思ってる以上に、新興宗教というもの世間から受け入れられないものであるということをよく理解しているし、世間から差別にも近い視線に恐怖し、あるいは肩身の狭い思いをしている。(と、思う。稀に堂々と周囲に信仰告白をする人もいるけれども、それはかなり信仰度合の高い一部の人だけだと思っている。)

自分は、自分がこの宗教信者であるということを死ぬまで他の人には話せないし、話すつもりも全くない。

墓場まで持っていく、とはまさにこのことだと思う。

しかし一方で、この宗教の“教え”については、そんなに間違っていないと思うし、自分価値観オリジンとなっていることは認めざるを得ない。

教義としては「愛・知・反省・発展」という4つの要素を常に実践せよということを教え込まれたが、それ自体はまったくもって正しいことだと思うし、そのためか、教団の信者さんたちは皆、優しく、誠実で正直な人ばかりだった。

世間一般的な水準に照らし合わせると、皆がいわゆるいい人だった。

手前味噌ではあるが、自分自身もその要素をある程度は持ち合わせた人間に育ったと思っている。

まり何が言いたいかというと、信仰のことは一生教団以外の人にカミングアウトすることはできないが、一方で教団を悪く思っているかというと、必ずしもそうではない、ということ。

神の存在(それが教祖かどうかはさておき)や輪廻転生は信じているし、誰も見ていなくとも善い行いを重ねることで死後天国に戻れる、ということも信じている。

かといって教団に積極的コミットしたいわけでもないので、社会人になってからは教団とはだいぶ疎遠になっているし、いわゆるお布施も直近数年は全くしていない。

でもこんなだから信者以外の人とは結婚は難しいし(相手方迷惑をかけるのではないかと思ってしまう)、かといって信者とは結婚したくない。

その結果人生恋人を作った経験なし。

この先もできる見込みなどない。

自己責任論を突き詰めた結果、自己肯定感が皆無(寧ろマイナス)で奥手な人間が出来上がってしまった。

人生詰んでいる。

いい大学出ていい企業に勤めても、宗教二世という事実が全てを差し引く。

この先何を糧に生きていけばいいのだろうか。

先行きが見えない。

そんな中、先日教祖様が他界した。

最近教祖様の実子が次々と破門され、しか教祖様は二回り以上も年下の女性再婚してたし、教団も組織としてはきな臭くなってきてしまったので、ここいらが潮時なのだろうか。

(ちなみにYouTuberをやっている長男も、破門前はノリノリで教団の映画とか音楽とかやっていたので、破門後の諸言動もあまり信用していない。)

この先どのように自分人生を全うしていくのか、真剣再考しなければいけない。

願わくば伝統宗教(できれば神道)の宗教二世に生まれたかった。

酔っ払って記した文章につき、とりとめのない記載である旨、ご容赦いただきたく。

anond:20230422061616

虐待といういいかたは違うと思うけど、文化レベルが全く異なってしまうのは事実としてある。

電車バスもあって、中学生高校生映画館とか博物館とか美術館とかスポーツ観戦とかに日帰りで気軽に行ける場所は恵まれてる。

自転車でいけばいいとか、チャリでどこまでも行けるとか、田舎を知らない人間意見すぎる。


山間のド田舎育ちの人間からすると、自転車交通手段にならない。なぜなら坂道が多すぎるし、そもそも人間が歩くことすら想定されてない道が多すぎるので。人が全然歩かないので歩道の整備があまりされてない。あるのは狭い車道スーパーとかも自転車置き場は存在しない。みんな車だから広大な駐車場はある。

それなりに栄えてる地域に行くまでに、車で走ることしか想定されてない道か、そうでない完全な山道などを走る必要があり、自転車や徒歩で行くなんてとても気軽にできることではない。暗くなったら特に遭難事故による死の可能性が高い。

てか、峠を越えないといけないような道、自転車で行けるわけないだろ。いや小野田坂道くんは峠越え往復90キロでしたっけ?同じくらいか。実際やる人いるんかな。できる? 自分は無理。夏休みの一大イベントとしてはありかもしれんが、まあそんなレベル

じゃあ公共交通機関を使えばと思うでしょう。

ですが電車なんかそもそも存在しません。個人感覚では電車があるところは田舎じゃない。

あるのは対キロ区間制のバス。1、2時間のれば1500〜2000円、日に2本とか3本とかしか出てない。これでもバスがあるからマシな方。ない地域もあるので。自分場合バス停まで徒歩15分くらいだったから一人で行けたけど、住んでる場所によってはバス停まで車で送り迎えしてもらわないと乗れないという、都会からするとよくわからんことが起きます

そんなレベルだと日帰りで学生だけで映画行くのすら結構な一大イベントなんよな。

朝9時にバス乗って映画館のあるところまで行くので2000円、11から映画ご飯で2000円、15時に帰りのバス乗って2000円、17時過ぎくらいに家着くって感じ。

合計6000円くらいかかるわけで、バイトできない学生には結構すごいインパクトじゃない? そう頻繁に行けるもんじゃない。

で、自分場合観光地でもないマジの田舎ゆえ博物館美術館も身近には存在しないので映画館よりさらハードル高い。公共交通機関でいくなら一泊必須。帰りのバスに間に合わないので。

バスターミナル駅まで行くのに1時間半、そこから電車に乗って、駅着いてからまたバス移動とかをしないと辿り着かない場所なので。学生だとやっぱこれも夏休みとかじゃないと無理。


で、ここが最大のハードルで、そもそもそういう場所に住んでると、休みに一人または友達と行くという発想すら浮かばないんだよ。

週末遊ぼうと友達と話をしたとして、やるとしたらお互いの家でゲームするとか勉強するとかだし、映画見るって言ったらネトフリかアマプラ映画館行く発想が全くない。

美術館とか博物館も、社会見学とか修学旅行とか、家族旅行で行くところという思考になってる。次の休みに行く場所として思い浮かばない。

自分たちの見識が狭いことに気づかない。生まれからずっとそうだから

今はネットでなんでも見れる分多分マシになってるけど、昔は多分もっと酷い格差があったんだと思う。

ネトフリなかった時代にうちの町にもレンタルビデオみたいなのがあったんなら、そういうのを借りてみんなで見ることはできたと思うけど、そんなレベル

映画館もない、公共交通機関脆弱田舎に住んでる子供は、子供だけじゃなんもできないと思ってるよ。


自然で遊べみたいなこと書いてるブクマもあったけどそんなもんやってるよ。それしかねえんだわ。

川で泳いだり山で遊んだりしたわ。それしかいからね。それしかないんだよ。わかる?

それの何が恵まれてんだ。なんもないんだよ。

自然を駆け回ってたけど虫は嫌いなままだし、釣りできるわけでもないし、その辺に生えてる草食べるわけないんだから自然を駆け回っていたという事実だけで別に学びはさしてない。多少野の花の名前知ってるくらい。生きるための知識をつけようと思って遊んでるわけじゃないんだから自然で遊ばせておけば豊かな人間性が育まれるわけではない。

選択肢があって、いろんなものを見られる、そういう文化で育った人間の方が豊かになる確率上がるでしょ。

田舎は多様なものに触れる機会が少ない分、むしろ見識の狭い人間になる確率が高いよ。

anond:20230422084723

映画館コンサート赤ちゃん幼児敬遠されるのって、騒ぐからでしょ?

じゃあなんで騒ぎ出すの?って、理由はいろいろあるけど、だいたいは子供にとっては退屈だったり、音がデカくて不快だったりするからじゃないの?

赤ちゃんなら2-3時間もすれば腹が減ったりオムツが濡れたりして泣くだろ

我が子に不快な思いさせてまで映画コンサートに行きたいんだな

おひとりさま』次はあんたらだ

世間の連中がタバコに何をしたか

飲食店だけじゃなくパチンコ屋でさえもタバコは吸えなくなり。

マンションベランダでさえ禁止されている。

ろくな科学的根拠なんてどーせない。間接喫煙証拠を薄めに薄めて拡大解釈して

ベランダからお隣りさんへの健康被害に無理やりつなげてるんだろう。

おひとりさま』聞いてるか。

世の中の連中って実は、ほどほどの合理性しか持ってないんだよ。

奴らは、世の流れ、世の流れ、を連呼してあらゆる場所からタバコ排除してきた。

日本人を動かしてるのは合理性じゃない………… 同調圧力だ。

あいつらは決して容赦しない。まわりの顔色をみて排除する機会だと思い込んだらとことん追い込む。

いま、赤ちゃんの子連れの母親だのに寛容になるって流れができつつあるよな?

おひとりさま』よ。

静寂と一人の時間をこよなく愛するアンタ。

人と関わらずにゆったり過ごすことでストレス癒してるだろうアンタ。

言っとくが、アンタの居場所は、未来社会のどこにもないぞ。

さっきも言ってる奴がいたが、まさしくコンサート会場や映画館図書館、今にあらゆる場所でファストレーン優遇措置がひかれ、多かれ少なかれ、赤ちゃんたちが入り込んでくる。

俺は別に赤ちゃん嫌いじゃないから苦しくはない。

もしいたら可愛がりたいと思う。まあいないけど。

だけど迫害経験した身として、未だに何の反省もなく喫煙者をそこかしこリンチしてくる「普通の」人の邪悪さ(奴らは本当にどこにでも現れる!)、寛容さを標榜しつつリンチスルーするエリートさんらの残酷さを目の当たりにした者として、忠告する。人間に期待するな。

ひとたび正義という名の免罪符を手にしたら、人は欲望のままに異分子を蹴り始める。

炎上も同じ現象だよ。

あれってやってる奴が苦しい顔をしてると思うか? 殴らざるを得ないコブシの痛みを痛感してるとでも? 俺は違うと思うね。

連中は真顔で、だが内心は嬉々としてお祭り騒ぎに参加してる気分で支配欲をぶちまけてるのさ。

経験はないが状況が向いてくればたぶん、俺もそうなっちまうんだろうな……。

それでも正直、もう殴られる立場にはなりたくない。

おひとりさま』には同情するよ。早めに覚悟を決めて諦めがつくといいな。次はアンタらだ。

anond:20230422084723

本当にこれ。

コンサート会場や映画館では子ども騒音カットするための耳栓が使えないって指摘もある。

だけど、イヤホンを使えばいいと思う。

いまの技術なら演奏映画の音声を観客のイヤホン無線転送するのは不可能じゃない。

もちろんコストはかかる。

でもそれを余計なコストとして払おうとしないのが、赤ちゃん子連れ排除なのよな。

子連れ不寛容なのはまだまだあるぜ。コンサート会場、映画館

飲食店だけじゃない。

静けさを前提にした文化エンタメは、本質的赤ちゃん連れを排除してる。

子連れへの寛容さのフロンティア。少しづつ押し進めていこう。

映画館にファストレーンが導入される日がきっと来る。

それはそう遠くない未来だとオレは信じている。

映画館映画を見ている間は自分を辞められる」というのは特権階級だけの話

大抵の人は辞められない。

頻尿の人はRRRを見ることは出来ない。大福を食べても尿意は止まらないし、水を飲まなくても尿は出る。オムツを履いて映画館に行くという変態プレイが許容されるのはエロ漫画世界だけ。

会社携帯を持つことが義務付けられている人は映画館でもバイブを常に意識する必要がある。特に自衛隊はそれが顕著。映画を見ている間に遠くで災害が起こり、それに気づかないで2時間の間報告義務さえ怠りましたは許されない。

色盲の人は普通の人と同じように映画を見れないし、時には色盲であるが故に重要情報を見落とすだろう。まして盲目であれば……盲目の人でも音を楽しむために映画館に行く人はいるだろうが、その人は映像を見ることが出来ない自分という存在から離れることは出来はしない。逆に難聴人間にとっては映像だけしかそこに存在しない。

単に語学力や読解力が試されることもある。吹き替えのないアクション映画必死字幕を追わされたり、訛りの独特なニュアンスを感じ取れなかったり。外人の顔は区別がつきにくいが、相貌失認気味の人間であればそれはなおさらで、時には登場キャラクターが少し髪型を変えただけで誰が今どうしているのかを見落としてしまうだろう。

映画館映画を見ている間は自分自分であることを辞められる」というのは、自己の心身や能力に纏わる事柄によって映画鑑賞に支障が起きない人間が一時全てから離れて自由になれる権利を有して初めて起きる現象だ。

本当に完全にこの条件を満たせるのは日本人の半数程度だろう。

それは十二分に特権なのだ

当たり前に誰にでも起きうるものとして扱うのは辞めてもらいたい。

自分が恵まれているという自覚を持ってから口を開けないのなら、ソイツは令和に相応しいポリコレが身についてね―ぜ

2023-04-21

アメトーク読書芸人見てるんだけど、「自分が読んだ本について分かりやすく楽しそうにこちらが興味を持つ様に語れる人」ってほんと魅力的だなと思う

読書をしなくなって幾星霜の自分省みると、全く面白みの無い人間だなと思う

(本が手元に無いと困るので常に持参していたのは電車通勤していた時代だ。すごく昔。スマホで読まない時代

あの頃は本当に読書が捗った。そもそも仕事の帰りに毎日本屋に寄るし、休日本屋古本屋に行っていたわ

それでも少しは読んでいたけど、今の仕事になってからラノベすら読まなくなった)

読書どころか、映画も見なくなって久しいので語れるものが何一つ無い

数年前まではアニメを見ていたからまだマシだったけれども汎用性の無い話題だしな。遂にはそれすら語れなくなった

文化的ものに全く触れずに生きている

見ているのはお笑いバラエティのみよ

ほんで、読んでるものpixiv素人小説(しかもオリジではなく某ジャンル)。それのみ!!!!

エンタメ刹那的。余韻を感じる様なモノに全く触れない

あーあー

本屋映画館も美術館もどっこも行かない

(それどころか課金してるサブスクすら全然使わない。意味もなくネトフリ・huluアマプラ・dアニメに金だけ払い続けている。お気に入りだけ溜まる)

人としての余裕の無さが笑える

体を鍛える精神的余裕も無いから体力無くていっぱいいっぱいで余計に心が荒むという悪循環

明日仕事忙しさだけが心にかかってクサクサする

もうダメ

追記:アメトークビビる大木本棚を見ていて、ケンコバと同時に「コージーパウエル…」と呟いてしまいました

そういえば大木さんはロックにも造詣が深いんだよね

東野さんとリッチーについて語っていたのが印象的

https://miyearnzzlabo.com/archives/78398

自分は「RainbowStargazer」派です。コージーパウエルドラムが好き。そしてディオ様の声が好き

あー。人の本棚見てると、買った本全部売ってしまう悪癖が悔やまれるんだよな

やっぱ読んだ本は並べておきたいじゃん

でも置ききれないじゃん

から売っちゃう

そんで読書記録とか付けてないから何読んだか全然覚えてない

それでも「これだけは売らん」って本がいくつか有るなあ

ヒコロヒーも大好きと言っていたサリンジャーとか。フラニーとゾーイー特にお気に入りだな。ちょっとイライラしながら読み進めて、最後昇華される感じが良い

2023-04-20

anond:20230420143456

フラッシュモブ死ぬほど嫌いで休日喫茶店か自宅で勉強読書するのが何よりも好きで、キャラ付けじゃなくて本気で人混みが嫌いで都会のイベントには金貰っても参加したくなくて、

どうしても映画館映画観に行きたいときはせいぜい日曜のレイトショー

みたいな本気のド陰キャ女に公立中学低学歴カーストトップの男をぶつけたらやっぱりちゃんと遅かれ早かれメスモードになるんだろうか

なぜ独身子ナシの僻み扱いになるのか

映画館が常時応援上映に切り替えます!って言われて静かに観たいから別の映画館行くわって言ってるのと一緒だろ

2023-04-18

anond:20230418200409

そういう時は1800円払って

まらない映画を2時間もかけて観なくてもよい権利を買ったんだ

自分に言い聞かせて

さっさと映画館を去ることにしている。

anond:20230418193841

俺はむしろ、「歴史的建物が多い」の方が気になった

自分語りで難だが昔住んでいた杉並区桃井あたりは、鎌倉時代創建された井草八幡宮とか、今川氏菩提寺の観泉寺とか、昭和アニメ史を学べるアニメーションミュージアムとかが徒歩圏にあるのだが(映画館について言えば、西荻窪が一応徒歩圏内で頑張れば吉祥寺にも行ける)、元増田的にはどの程度の水準なら要求を満たすのだろうか

引っ越したいんだけどこんな場所ある?(関東)

表題通りなんだけど、関東で以下の条件に合致する場所ってある?ちなみに一人暮らし想定です。

1.図書館映画館、大きめの本屋徒歩圏内

2.街並みが綺麗(歴史的建物が多いとか)

3.自然がある

3.家賃安め

4.都心への通勤やすさは考慮不要(完全在宅勤務なので)

2の条件が厳しいのはわかるけど、もう無個性住宅街は嫌だ

anond:20230418172459

GPT4に聴いたら、

ハリウッド映画館で、全ての観客の前で自分映画を上映し、謝罪

とか出てきてワロタ。嫌すぎ。

いま一番熱い街は江戸川区西葛西

anond:20230417153701

神奈川県ヒキニートする奴の世迷い事はともかく、いま一番熱い街は西葛西で間違いない

東西線

オフピークなら乗れる。ピークは乗れるけど隣の南砂町負け組で押しつぶされる。帰りはここと葛西で大半が下りる。東西線はマジ苦痛

行船公園

西葛西の憩い、その1

無料動物園もある公園。夏は噴水で水遊び。もちろん禁止

総合レクリエーション公園

西葛西の憩い、その2

葛西臨海公園まで続く長い公園。わかくさ公園とも繋がっていて途中で切れるが最終的には葛西江戸川沿いまで行く無駄に長い公園子供放置するとマジで居なくなる。夜は途端に人気が無くなる。

異国情緒豊か

インド系が多いのは有名でスポーツセンター近辺は顕著。大陸の感じで信号無視チャリも多い

充実した駅前

カルディ銀行飲み屋ガールズバーもある小汚いけど活気のある駅前東西線の高架下も充実している。

物価は安め

スポーツセンター近辺は安い店が多く買い物には不便じゃない。客層もそういった感じ

清砂大橋通りより南は住みにくい。

ガラッと静かな住宅街に変わり単身や共働きだと大変。同じことは葛西橋通りより北にも言える。住みやすいのはその間の部分

映画館も近い

バスに乗れば都営新宿線船堀まですぐ出れる。船堀駅前には船堀シネパルという映画館もあり週末に手軽に映画を観ることができる。

妙典よりは安い家賃

東西線沿線だと妙典が今大人気だが、そこよりは家賃物件価格も安い。なにより妙典は始発駅と駅前イオンが全ての駅で西葛西以上に駅前以外に何もない。あと都民なのも西葛西。でも隣の行徳かその隣の南行徳の方が安い。浦安ネームバリューと狭さで人が住める余地がまるでない。

色々書いたけど本当に住みやすいのは西葛西だ。

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