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はてなキーワード: 映画館とは

2023-05-09

anond:20230509081916

また文字読めない奴かよ ここマジで頭悪い奴が急にわいてきていつもびっくりするわ

文字読めなかったみたいだからもう一回書いてあげるけど

失礼とかクズとか言い始めるならそもそも末端で交渉を始めようとする時点で金払おうが払うまいが救いようがないほど失礼だし、普通に次の時間の予約を取るなり管理してる映画館側に言えよっていう

こう書いてんだろアホか?俺はそもそも他人に席を譲ってもらおうなんて考えたことがないし、未来永劫やることはない

俺は絶対にやらないが、仮にやるならせめて金を持ち出すなよボケって話でしかない

そもそも予約時点で席が分かれるのわかってんだろ 社会常識を持っていれば、そこで金払って変わってもらおうじゃなくて次の時間の上映で隣接した席を取ろうって思うもんなんだよ

要するに・・・って書きたいならちゃんと要約してくれ それはお前の願望であって俺の意見の要約ではない

要するにお前みたいな下種と一緒にすんなって話だ

anond:20230509080525

いや普通に無料ダメ元でお願いして、ダメだったらすみませんでした、で終わりの話ではって感じではある

この程度の話で端金でどうこう言われたら自分ちょっと腹立つな逆に

金が動いてないならまぁ金関係なく善意の話だなってフラットに考えられるけど、

ひとたび金の話になった瞬間、先行して予約とった事実とかこれから時間位置を移動して予定が狂ったりするいろんな労力こみこみでこの値段だって勝手に値付けしてお前は俺の労力をその額だと思ったってことかって思う 100円のプレミア品を事後に100円で売るのかって話とも似てる 例えばデート中に急に金の交渉をしてくる奴とかいたら内心はらわたが煮えくりかえりそうだわ 金払えばいいってもんちゃうぞっていう

失礼とかクズとか言い始めるならそもそも末端で交渉を始めようとする時点で金払おうが払うまいが救いようがないほど失礼だし、普通に次の時間の予約を取るなり管理してる映画館側に言えよっていう

このあたりは人によって常識が違いすぎるので、リプライを見る限り多分このあたりの肌感覚は伝わらないだろうというのもわかる

移動後の席が最後列とかならさすがにちょっとなめんなよって感じだけど、まぁ今回の例くらいなら単に横に移動するくらいだろうからちょっと動けばえーやんとは思うが

まぁでも一回譲ると調子に乗る奴らも多いからそういうの嫌がって譲らん人の気持ちもわかるしいずれにせよ末端で交渉すんなってそこに落ち着くわ

映画館カップルに挟まれ映画みたいもんなんだろうか

https://twitter.com/hatsume1122/status/1653677456291930113?t=RcGgzTuBUrmG8T-BaES9Sw&s=19

家族挟んで離れた席しか取れなかったカップルが、隣で見れるように席変わってくれませんかって聞いてきて変わるわけ無いだろバーカッて言ってるツイートがバズっていた。

予約もしてない無能カップルに、予約で得たこの席で見るという権利を奪われてなるかー!!ってTwitter陰キャ達が騒いでいるが、一つ席がずれる事をそこまで憎む意味がわからない。

断ってカップルに挟まれ映画見て君は幸せになるんか。

自分幸せより人の不幸を願う日本人オタク気質が出た話だなと思うなどした。

2023-05-07

倍速でもいいから画面だけ見てくれ

ながら見する奴が多いんだよ最近

ニコニコツイッターのせいで根付いた実況文化の影響もあるのか知らんが画面をずっと見てねえんだよ。

スマホとか別のディスプレイとか見てるわけ。

あのさあ……「主婦料理しながらでも話がわかるように全部セリフ説明するのがテレビドラマの最強方程式」とか知ったことっちゃねえんだよ。

その感覚で作られたドラマってマジですげーつまらねえから

登場人物が状況をセリフで全部説明するせいで結果的感情の部分を表現してる時間取れてねえし、内容も他のことしながらでもついけるようにそもそもペラペラだしさ。

そりゃあんなの倍速で見られても仕方ねえよ。

最初から普通に作った作品の30%ぐらいの内容しか載せてねえんだからさ。

それでよ……その感覚映画もながらで見る奴がいんだよ。

ふざけんなっての。

映画なんて映画館で画面に集中してる前提で作ってんだから瞬きより長い時間目を離せる用に作ってるわけねえだろ。

倍速でいいから画面にずっと齧りついてろっての。

内容わからねえから考察サイトであとで確認したとか言ってんじゃねえよ。

倍速でいいから2回見ろよ。

マジでよ……ながら見文化いい加減辞めろよ。

タイパ重視で作品ゴミにしておいて知らん顔してるっててんじゃこっちのが100倍害悪だろ。

つうか最近ドラマアニメも実況コメント目当てみてな作りしてるのマジで辞めろよ。

いい加減ちゃんと作れ。

つうかそのノリで映画まで作ってる奴らいんの本当頭おかしいから辞めてくれ。

なんで映画までながら見前提で全部セリフで喋って説明すんだよ。

無音演出とか最近マジで減ってんだよなあ。

無音が続いても画面が続いてたら問題ねえだろうに……ラジオドラマと間違えてんのか?

ほんまふざけた客とふざけた作品ばっかになってんよな。

こんな事になるならもうテレビドラマとか全部なくそうぜ。

アイツらのせいで文化壊れてんだよ

anond:20230507213553

席で見かたが変わらないなんて映画館エアプか?

スピーカーに近いとうるさいし扉に近いとなんか定期的に光入ってくるし端っこだと微妙に画面斜めだしいちばん真ん前だと首痛いんだよ紺屋の白袴

映画館座席って事前に指定で買うもんなんだから、交換を申し出たらそりゃ嫌がられるのは当然としか思わなかったし、交換を申し出るという発想がそもそも無かったからびっくりした

都市伝説であってほしい、絶対遭遇したく無い

この感覚おかしいと言われるのは全然納得できないや

座席にこだわりがないとか、隣になれないの可哀想だなと思える人は変わったら良いとは思うけど、正しさの話をするなら座席指定で買ってるものを後から変わってっていうのは間違ってるとしか言いようがなくないか

から交換を申し出ること自体不快感を抱くのだって普通に正常な反応でしょと思ってしまった

とはいえ譲った場合と譲らなかった場合のそれぞれの配置によっては変わった方が良いケースもあるんかな、知らんけど…

それはそれとして、ここから妄想フィクションの話ね。カップルに頼まれ座席を代わってしまったがためにアリバイに利用されたり何かしらの事件に巻き込まれ主人公存在しそう 知らんけど

飛行機乗る前に手荷物を運んでほしいって頼まれても絶対に断らなきゃいけないみたいな話にちょっと似てるかも

映画行くのに事前にネット予約しない奴は脳に障害を持ってるの?

映画館で買ってる奴が結構多くて社会の先行きに不安になる

精神的な病人社会を狭く息苦しくしてると思う

この増田とか典型的病人でしょ。

https://anond.hatelabo.jp/20230507091722

 

俺も職場騒音がすげー気になってたことあるからわかるんだけど、

騒音問題って基本的聴く側の精神病だと思うんだよね。

俺もいろんな理由でその職場が嫌になってからかいの席の人の音が気になって仕方なくなった。 

実際客観的にカラ咳がひっきりなしだったんだけど前は気にしてなかったんだから俺の精神病だわ。

 

増田親族が嫌いだから音が気になるのかもって言ってるけどその通りだと思うよ。

から引っ越したら直る可能性もなくはないんだけど

既に脳の回路が「嫌いな奴の音がムカつく」から「音がムカつく」になっちゃってたら

引っ越しても今度は隣人の音に神経とがらせる迷惑キチガイ人間になっていくよね。

 

今日ホッテントリ映画館の話も健康な人には意味不明なんだけどさ

カップルに「席をかわってくれない?」って頼まれて、

別にそんなもん一席ぐらいならかわってやってもいいし

譲れないんなら断ってそれで終わりまでの話じゃん?

どこに感情的になる必要があるんよ。

 

なのに一部のブコメでは「バカ呼ばわりされて当然」だの「断るだけでストレス」だの書いてあって結構人気コメになってて

まあはっきり言って俺と同じ精神病人達だと思う。

医者じゃないから診断名が出る「病気」かはしらんけど

相手問題があるっつうより自分問題があると思うんだよね。

  

別にいいじゃねえか頼むまではタダで。

なのにもう頼まれたことすら許せねえって感情的になる奴、

俺もそうだったからわかるけど自分では自分が正しくて相手が悪いって思ってんだよな。

別に相手は悪くねえんだよ。良くもねえって言うかたいしたことしてねえ。

それに異常な激しい反応する自分おかしいんよ。

 

この世のトラブル殆どってそういう

いちいち感情的になる奴が作り出してると思わん?

自分は正しい!相手非常識だ!

それやってると周りの迷惑なのもそうだけど、自分自身が休まらないんだよね。 

大体そういうのって上には上が居るし。

上級キチガイは「隣の席のやつの身じろぎのきぬずれがうるせえ」「非常識」って言うんだぞ?

そうなったらお前等だって「このキチガイの方がおかしい」って言うんだよ。

ていうか俺はめっちゃ映画に集中してみてた時に暇つぶしで入ったっぽい近くの席のジジイきぬずれがマジでうるさかったんだよ。基地外だろ? 

   

から結局何が言いたいかと言うと

自分病気だって客観的に気付くことから治療が始まるよってことだよ。

映画館カップルと席を替わらなかった話ってさ

席交換をお願いしてきて断られたら舌打ちして引き下がった相手属性が「KKOあるいは老人(爺)の友人連れ」だったらブコメの反応真逆だったんじゃねぇかなぁと思う

指定席は譲らない方がいい

こんなツイート話題になっていた。

『また映画館にいましたよ。

「離れた席しか取れなかったから席を代わってくれませんか?」って奴ら。

代わるわけないだろアホカップル

ばーかばーか。』

https://twitter.com/hatsume1122/status/1653677456291930113?s=46&t=UvFEBu5M0FowcJERBgVctw

まあこの人は単純に譲りたくなかっただけなんだろうけど。

昔、とある人気舞台を見に行った時、前から3列目の席を取ることができたんだけど

すみません、目が悪いんですがコンタクトが取れてしまって。席を譲ってくれませんか?」って話しかけられた。

今思えばその時点でやべーけど、特にこだわりないから譲って自分は15列目に座った。

そしたらそいつ盗撮してて、その隣の席の人が「3-◯の人が盗撮してました」って通報したらしく自分に連絡かかってきた。

事情説明してなんとかなったけど、「規約に席譲るなって書いてますよ」って注意された。すみません

そんなこともあるから指定席は譲らない方がいい。

2023-05-06

ミラノ座跡の映画館たっけ~けど一回くらい行ってみて~

どうせなら3時間くらいある作品がいいけど快適過ぎて寝ちゃうかもしれないな

2023-05-05

そもそも映画館で見てないならその時点で「映画体験」になってないんだから倍速だろうが等速だろうが大差ないでしょ

ちゃんとした映画館は昔の名作をリバイバル上映しますよね?

かなりの頻度で。

それってこういう事なんですよ。

めっちゃ金かけてホームシアター作った所で映画館以外での鑑賞は「映画体験」とは呼べないんです。

たとえ劇場に居たのが自分一人だったとしても、自宅で一人で見るのとは絶対に違うんですよね。

映画館にいる時点で映画館ルールに縛られるし、自分しかいない映画館で独り占めしているって気持ちや、もしかして序盤は飛ばして盛り上がり所から入ってくる人がいるんじゃないかって予感とかがあるわけですよ。

それに映画って一緒に見る観客も含めての体験で、たとえばカメラを止めるななんてまさにそうだったじゃないですか。

お手並み拝見って気分で見に来てる人達のつまらなそうな雰囲気や、上映開始20分ぐらいで離れていく人、後半で思わず吹き出しちゃってる人、そういうのって映画館しか味わえないでしょ。

自宅で友達と見て誰かが笑っても、それは友達の家で見てるって空気の中での笑いで、静かにしなきゃいけないシアターの中で思わず溢れてしまったのは別物。

かにね、友達と一緒に家で見るとか、一人で好きなように止めたり巻き戻して見るってのもいいと思いますよ。

でもそんなの全然映画体験」じゃない。

映画として体験したって言えるのは、映画館で見たときだけでしょ。

そうじゃないなら等速だろうが倍速だろうが別に大きな差はないと思いますよ。

だってそもそも映画見方としては邪道なんですから

録画したテレビドラマを見るような気持ちで好きなように飛ばしながら見れば良いんですよ自宅で見る映画なんて。

シッコしたくなったり郵便配達が来たら自由に一時停止できるような環境で見てる時点でね、もうそれは普通映画じゃない。

おかし映画なっちゃってるわけで、そこで再生スピードちょっとぐらい変わろうがどうだって良いんですよ。

そりゃまあ5倍速とかにして声がもう聞き取れませんっていうんじゃ流石にどうかと思いますけど、倍速ぐらいならまだ言ってることは分かるでしょ。

ならどうせ大差はありませんよ。

時間の感じ方なんてそもそもが人それぞれなんだから「この速度で見ないと絶対おかしなことになる」なんてことは起きませんよ。

実際、この映画テンポ早すぎるな遅すぎるなって皆あると思うんですよ。

そんな違和感に対してリモコンの速度変更ボタンを押せれる環境にあるなら我慢せずに押してしまえば良い。

そもそもそうやって「押そうと思えば押せる環境」なんかで映画を見てる時点でもう既に何かがおかしいんだから

自分の中のルールじゃなくて、もっとずっと大きな力に支配されながら見からこその映画なんだ。

自分我慢たかどうかで変わっちまうようなルールの中で見る時点で、そりゃもう別物なんだな最初から

マリオ映画ストーリーとか批評家の話とか)

感想ネタバレなし)

映像気持ちいい

映像が良かった。このシーン、このアイテム映像解釈がこうなるのか!という驚きの連続BGM効果音のさりげないアレンジも良い。

映像テンポがよく気持ち良い。特にアクションシーン。

楽しい場面も多くて映画館で何度も笑いが漏れてた。間が絶妙なかんじ。

ピーチ姫アクションがカッコ良い。ギャルっぽい話し方に最初違和感を覚えたけど格好良いから100点満点です。

クッパが良いキャラしてる。ファンが増えそう。


ストーリーがないという議論(ややネタバレあり)

映画批評家評価が低いらしい。これはポリコレは全く無関係で、映画セオリー無視した脚本からだと思う。

映画脚本術は3幕構成とかセーブザキャットとかいろいろあるけど基本的主人公挫折するパートが必ずあるはず。

この映画普通映画にするとこんな感じになると思う(太字が改変部分)

例1)

1. 何をやってもうまくいかないマリオ兄弟マリオ起業に弟を巻き込んだと責められている。

2. 弟を連れ去られ救い出す決意をするマリオ

3. ピーチ姫との修行

4. クッパとの決戦。クッパを追い詰めるマリオ

5. 実はピーチ姫は裏切っていた。「ごめんなさい王国を救うにはこれしかなかったの」罠にハマり捕まるマリオ

6. ルイージと力を合わせて牢を脱出クッパを倒す

例2

1. 何をやってもうまくいかないマリオ兄弟マリオ起業に弟を巻き込んだと責められている。

2. 弟を連れ去られ救い出す決意をするマリオ

3. ピーチ姫との修行

4. クッパとの決戦。クッパを追い詰めるマリオ

5. 実はルイージが裏切っていた「いつまでも兄貴ヅラするな。僕はお前が嫌いだったんだ」ルイージに叩きのめされ失意のマリオ

6. 再び立ち上がりルイージと対決。溶岩に落ちかけたルイージの手を掴む。「お前がどう思おうと、僕にとっては弟だ」

7. 兄弟で力を合わせクッパを倒す


上の5に相当する挫折パートがないんですよね。批評家違和感を覚えるのはその辺かも。

ただ、これはファン向け映画なのでマリオキャラの仲間割れとか過度なドラマファンは求めていないと思う。だからこれで良いんだ。

いちおう、ドンキーマリオ主人公「バディとの友情としてみるとだいぶセオリー通りな感じなのですが・・・ドンキーマリオ登場人物でないからうーん???友情出演と思って見ていたのに中盤であれ?こいつシナリオ的にメインキャラだなって

2023-05-04

先日映画館に行って実写版リトル・マーメイドパネルを見掛けたけれど

前面のアリエルよりも後ろの海中にいるトリトンアースラの方が目立ってて苦笑

やっぱり肌の色が違うとこうなるよなー

どうせ主役を黒人にするなら血縁者も全員黒人で良かったのに

anond:20230430234701

モノレール運転席でアンジェが言ったのは「命を掛けても」ですね。

4/30の舞台挨拶イベントによると、映画館音響設備が良い映画館ではギリギリ聞き取れて、

そうでない館ではほぼ無音になってしまったのだとか。

2023-05-02

anond:20230502143056

映画館ロビー電話ボックスみたいな個室カラオケが置いてあったわ

歌声だけ盛大に漏れたから止めて欲しい

マリオ映画増田観てきたよ滝手観出す間を甲斐絵の織間(回文

おはようございます

映画スーパーマリオ観てきたわよ!

ほんと珍しく封切り当日に映画なんて観たことなかったわよ。

ってぐらい観に行こう!って映画館に飛び込み前転で行って

オープニングの前の任天堂スーパーマリオのシーエムで泣いてしまいそうなほどそんな思い入れは無いんだけど

私のスーパーマリオデビュー戦はスーパーマリオ35で

もうあれはひっちゃかめっちゃかの1-1のステージクッパが何匹もバトル勝ち残っている終盤には出てくるというカオスさがスーパーマリオなのね!って思って

Switchで色々遊べるスーパーマリオがあったのでそれで遊んでみたぐらいの私のスーパーマリオ歴なんだけどね。

なんかでもゲームの画面がそのまま動いてこれもうゲームにしても面白いのかもね!って思うぐらいなワールド

これなんかどっかで見たことあるキノコ王国!って思ったら

あれだわ、

スーパーマリオランのキノコ王国!ってあれがもっと密度ギュッキノコ王国を集めた感じの景色だったのよね。

あとマリオ普通に家族がいたのがちょっと発見で、

身内はルイージしか知らなかったのに

マリオたちの父母も出てきてて結構情報多めだわ。

ピーチ姫別にカマトトぶっているお姫様じゃなくて、

自ら文字通り私自ら出る!って勢いで戦いに行くあれファイヤーピーチになるとき服の色が変わるのが最初意味が分からなかったけど、

ああ!そう言うことねってマリオファイヤーマリオになるのと同じ理屈なんだわ!ってプログラムをあとで読んで腑に落ちまくりまくりまくりすてぃーだったわ。

私が好きだったのはファイヤーフラワーのお花畑が綺麗だったし、

ドンキーコングと戦うときステージはてなブロック叩いてアイテムゲットしたんだけど、

マリオそれになるんかーい!って意表を突かれたわ。

あと、

ノコノコが意外と強いってことよ。

おまえそんなワザ秘めていたんかーい!って

踏んづけて蹴飛ばされるだけじゃなかったんだわ。

そう思うと緑の亀のノコノコ見方がまた変わるわよ。

あんた強いのね!って言って言えそうなレヴェル。

総じて良かったけど、

オープニングの前のシーエムのマリオ映像が一番泣けたわ!

私もSwitchで遊べるマリオをやろうと思って遊びたい気持ちはあるんだけど、

今はスプラトゥーン3のヨビ祭中だし、

もうさ、

昨日は勝てず調子悪くこんな時は寝るに限るわね!って調子だった。

気分転換にそうねマリオでも遊んでみるわ!

うふふ。


今日朝ご飯

チョコパンね。

ずっと続くどこまでもってあの歌のようにチョコパンかーって

渋々と思いながら食べるのは良くないわね。

たまには美味しいのなにか気分転換違うもの食べたいわ。

デトックスウォーター

ホッツ緑茶ウォーラー

お茶を入れるガラスの容器と私がルービーを飲むガラスのコップがそれを使うと足りなくなるので、

2つガラスカップを買って増えたか

洗い終えているストックが増えて運用やすくなったわ。

また私の好きなガラスのコップのことについては書くわね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

日本映画館って神経質な奴が多くて嫌になる

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2137100

マナーマナーうるせーんだよ、好きにリラックスして見させろよ。

言っておくけど、神経質バカばかりの映画オタクが集まって文句言ってるのは日本だけだからな。

アメリカでそんな奴いたら、社交性のない負け犬からな。よくて無視、悪けりゃボコボコだぞ。

映画館でスマホを開くのをどうこう言ってる奴は病的に神経質になってると自覚しろよ。最初に聞いた時になんでダメなのか全く意味不明だったわ。まあ、今も意味不明だが。

日本映画館はクソ神経質バカが仕切ってるからオワコンなんだろ。

2023-05-01

電車男再放送

ジンカマさんが電車男に「(エルメスたんに)オタクってバレたらどうすんの!?」って言うセリフがあったんだが、約20年前はオタクであることは昔性犯罪で捕まった過去があるレベルで隠さなければならないことだったのだということをふと叩きつけられた。

いっき深夜アニメ鬼滅の刃(実際めっちゃ面白かったけど)が国民アニメだなんだと幼稚園から会社の定年後再雇用の大先輩の皆さんまでこぞって映画館に走ることになる未来が来るなんて夢にも思わなかった。

anond:20230501210954

それはそう明記してあるだろ。

映画館は「持ち込まないで下さい」と明記している。

あたま大丈夫か?

anond:20230501204751

かに高いとは思うんだけど、コスパのことを考え始めるとそもそも映画館に行かずにネトフリとかで見たほうが良いしな。

anond:20230501204751

森田 直紀|Naoki Morita

@Naoppcom263

·

2020年5月9日

【補足】

映画館収益源(利益率)」

広告費(100%)

興行収入(大体50%)

飲食売上(恐らく50~80%)

・物販売上(恐らく15~30%)

映画館チケ代値上げで治安良くなるならむしろTOHOに行くべきなのかなんなのか

邦画ダメなのはジャニーズのせいじゃないし

そもそもジャニーズが出てる作品ってバンバン宣伝するせいでたくさんあるように錯覚するだけで、実際ドラマの方がバンバン出てるうえ、主演映画はめちゃくちゃ少ない。(出演を数えるなら話が違うと思うけど)

ジャニーズで主演映画やれるのはひとグループに2人いればいい方では?

ジャニーズアイドルなんかよりも

やたら湿っぽく不幸で救いようもない題材ばかり、女優を不必要に脱がせて「体当たり!」「演技派!」と絶賛したりそういうクソ邦画が多すぎる。

物語上これまた不必要女性にとっては不快なだけ、一部の男には「ご褒美」の性暴力描写女優チャレンジたらこれまた「体当たり!」という謎の賞賛を浴びる。

そういう上の方のおじさんのニタニタしてる顔が見えるのが気持ち悪い。

同性愛を題材にした映画では「同性愛としてではなくどこにでもある愛の話…」と殊更に同性愛を強調しないことをやたらと主張したがったり、「当事者以外に演じさせるな!」と普段憤慨している当事者が別の作品で非当事者同性愛者を演じている作品を絶賛していたりなんかクサイのも湧いて出てくる。

そもそも映画館にわざわざ足を運んで1900円も払って観に来てくれる価値があるのか?と製作者側は全く考えていないとしか思えないつまらないジメジメ邦画には本当に腹が立つ。

1900円あったらミスド食べ放題にも行けるし、回転寿司ではデブ1人が満足できて少食なら2人食べられる。確実に美味しいことがわかってる自分お気に入り飲食店にも行ける。

確実に好きな芸能人の顔やら好きなキャラ映画館の大画面で見れて、声もでかい音で聴けるなら1900円は安いと感じる人は多いけど、クソっぽい邦画ミスド食べ放題以上のお金普通に払いたくないよね。

三谷幸喜の「ギャラクシー街道」は今でも返金してほしいと思ってる。こんなクソみたいな怒りやモヤモヤを一生抱えたまま生きろと?

ギャラクシー街道」とマーベルディズニーが同じ料金なのがそもそもおかしい。

邦画お金かけられないせいでつまらない、お金がないせいって言い訳するなら、映画なんか作るな。

庵野秀明趣味みたいなシン仮面ライダーに金をじゃぶじゃぶ使えるんだからあるところにはあるんじゃないの?

漫画原作アイドルが出る映画以上の価値提供してないってだけの話なのにジャニーズ勝手に叩くなよ

オタクバカにしてないで、いかアスペ傾向のあるオタクリピート鑑賞で取り込めるか知恵を練ったらいいんじゃないの?と思うんですけどね

そもそも普通に結婚して普通に子供がいる健常者は子供を連れてポップコーンジュースも買って親が子供を連れてくんだよ

デートで行ってもポップコーンジュース買うよ。

でもデートで湿っぽい邦画選ぶわけなくない??????

まあこんなクソ値上げしたら家でネトフリ見ながらイチャイチャする方が圧倒的にコスパ良すぎます

バックトゥザ・フューチャーの3まで見放題に入ってるネトフリより価値提供しようという気概が全く感じられない。

リピート病のアスペオタクを取り込むならパシフィックリムみたいなやつ作ればいいんだよ

映画BLUE GIANT感想

映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれ世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。

公式サイトhttps://bluegiant-movie.jp/

予告編YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk

今年の二月から上映している本作は、同名の漫画原作としたアニメーション映画だ。音楽人間物語を楽しみながら、ジャズ界の独自価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。

主人公宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷仙台を飛び出し、単身上京する。東京出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校同級生素人ドラマー玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。

原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽アニメーションコラボレーション最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境存在が大きく、Netflix支配力が高まる現代において、専用施設役割可能性を示すことにもなっていた。

今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標物語性質に与えた影響について考えていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)

アニメーション技術を活かした音楽の魅力表現

映画BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。

演奏である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。

ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽空気振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語音楽映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶからだろう。

ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽演奏聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるものであることを実感するが、この映画ではアニメーション技術アイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。

また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後ライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blue舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。

ジャズを信じる」大の信念の問題

本作はジャズライブ世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーション人間関係のあり方についても、ジャズプレイヤーたちの世界文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。

ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラ状態肯定され、自助基調としたコミュニティ文化が成立している。

例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身問題から、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮無用ものとして切り捨てる態度を取っている。

しかし、自分自身問題であることと、周囲がその解決サポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身問題しかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。

ところが、ジャズプレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係コミュニケーション方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまりジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。

「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズ性質を、人間関係アプローチ転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。

この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助圧力高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。

権威に認められようとする挑戦」の物足りなさ

この作品にはもう一つ、物語性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。

大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一ジャズクラブ・So Blueステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。

ジャズマンにとってのSo Blueは、野球甲子園ラグビー花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。

JASSはSo Blue支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイ否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者凡庸人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である

また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分評価していないギタリストと共演しても、相手一定プレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分ソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界人間もたくさん集まる。駄目バンド烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。

若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズプレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。

それでも、映画演奏世界を美しく表現している―――問題をかき消す「音楽の力」

映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画BLUE GIANT』は、ジャズ美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの自助を前提とした人間関係コミュニケーション権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。

それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽けが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。

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