はてなキーワード: 小中学生とは
20代のころは「脱オタ」「正社員になる」が2大目標で、両者はリンクしていると考えていた。
つまり、「漫画やアニメやゲーム」より、「高級車や高級ブランド品やワインやゴルフや料亭、ディスコやクラブを貸切にしてバーティ、あるいはスキューバやスノボみたいなオサレなスポーツ」といった、ウェイ系リア充文化に足を付けている年長(バブル世代以上)の上司や取引先の偉い人たちと仲良くならなければ、大人として認めてもらえないと思っていた。
ところが、30歳を過ぎてから、勤め人を辞めても以前からの仕事上のコネは継続して在宅のまま仕事ができる身分になった。
つまり、収入は向上しなくなったが、出勤するストレスもなくなり、1日のほとんどを1人で自宅パソコンの前で作業するようになった。
すると、空いた時間はすっかり「漫画やアニメやゲーム」にしか費やさなくなってしまった。
「高級車や高級ブランド品やワインやゴルフや料亭、ディスコやクラブを貸切にしてバーティ、あるいはスキューバやスノボみたいなオサレなスポーツ」といった、ウェイ系リア充文化は、基本的にコミュニケーション消費である。
したがって、それらの文化圏に属する上司や取引先の人間と直に接する機会が消え失せると、それらに参加せねばならないという意識もなくなってしまう(元よりそれらが楽しいと本気で思ってもなかったし)
で、1人で自宅で仕事をするオタク中年を10年以上続けて痛感するのは、「漫画やアニメやゲーム」は貧乏人の趣味だなあという事実。
アニメのBDボックスはせいぜい数万円だが、上記のようなウェイ系リア充の趣味は1度に数十万、数百万円が飛んで行く。20代から収入は横ばいのまま40代になると、とてもじゃないがそんな趣味には手を出せない。
そもそも「漫画やアニメやゲーム」は、小中学生でもできる趣味だ。一方、上記のようなウェイ系リア充の趣味は使える金額の桁が大幅にあがる大学生以上が中心ときている。
つまるところ、40代でいまだに「漫画やアニメやゲーム」しか楽しみがない俺は、小学生から何も進歩してないわけである。
氷河期世代の我が同胞の多くも、もし正社員になっていたら、かなりの数がオタを完全卒業しないまでも、金の使い道の比率がリア充系趣味の方に傾いていたのではないだろうか?
【危険すぎる】子供の無断「LINE LIVE」に潜む危険性とその対抗策
いわゆる動画SNSというヤツでユーチューバーに憧れる構ってちゃんがユーザーに媚びへつらうアレだ。
Facebookでも17Liveとかいうアプリが盛んに広告を出している。
自分を動画サイトでブランディングしたいというのはまぁ、いい。
彼女らは人気者になりたい一新でお客さんの要求になんでも答えるということをするらしい。
そうするとそこには俺のようなヲッサンが群がっていかがわしい要求をするそうだ。
服を1枚脱いでとか、下着姿になって、だとか言うのだろう。
記事では親がしっかり子供をコントロールできていないのが問題だと書かれている。
そりゃあ、人気者になれるのであればなんでもするだろう。
しかも彼ら(親)は自分の娘が不特定多数のヲッサンに好奇の視線を集めているなんて夢にも思っていない。
やりたいやつはやればいい。
どっちでもいいが、子供にスマホを持たせている親は一度見直したほうがいいだろう。
いつどこで自分の娘がゆーちゅーばーに目覚めているか分からない。
かと言って、ガチ貧困家庭や虐待されてる小中学生限定、とかにしてしまうと
そこに通う子=かわいそうな特別な子、という烙印を押される事になるわけで、
そういう子にだってプライドがあるわけだから行きにくくなってしまう。
と言う事で敢えて利用者に制限はしていない、と言う所が多いそうだけど、
実際は何だかんだでこども食堂=かわいそうな子供用、と言うイメージがあるからまだ濫用されてないけど、
仮にそういうイメージが完全に無くなれば
それこそ別に金に困ってる訳じゃないけど親共働きだから食事作るの面倒、買って来たものより手作りのものの方が身体に良さそうだし、とか
食費浮いた金で私立校や金かかる大学の学費出したい、という親の子とかが殺到して崩壊するだろうね。
親も利用可の所なんかは親子で食ってく人殺到しそう、んでそういう親子に限ってやたら身なりが良かったりして
んでガチ貧困家庭の子に対しては「ああいう子がいたら環境悪くなるからああいう子には利用させないで」とか言い出す親とか出てきそう。
幼児と言うには大きいが成人男性と言うには小さい、ちょっとショタらしさを残した
数年前の神木隆之介くんや羽入くん、アニメキャラで言うと碇シンジくんのような男の子を思い浮かべる人が多いかもしれない
150cm、160cm、170cmとぐんぐん身長が伸びて、腋毛やすね毛や髭が生え
スマホを持っていない奴は
偶然見てしまった同級生のパンチラや友達に見せてもらったグラビアを必死に思い出しながら
国語の時間にはニタニタしながら辞書を開き「オイ、見ろよこれw」と【乳首】のページを指差す
本人は隣の席の友達にしか聞こえないヒソヒソ声のつもりだが教室中に丸聞こえ
今時は口頭で厳しく叱ったり物を取り上げたりするのもすべて体罰になるので教師は止めることができない
クラスメイトも「そんなこと言うのやめろよ」などと言おうものならエロワードに反応したとしてからかわれるので注意できない
親は学校での様子を知らないし知っても注意しない
子どもに嫌われたくないし躾は学校がするものだと思っているから
そんな男子中学生の顔面はちびまる子ちゃんのはまじ、山田、小杉レベル
小学生でもこれは大して変わらないし女の子もこの手のが一定数いる
稲村亜美の件もそうだけど
「何か事件があったみたいだけどやったのはまだ○歳なんでしょう、純粋無垢なかわいい子どものしたことなんだからいいじゃない」って言う奴に
文章で伝えるのはとても難しいし、
みんながみんなに同じように伝たわる
ただの私の勝手な考えなのでその辺はご了承ください。
いじめで命を絶つ子供達のニュースを度々目にするといつも思うことは「もったいないな」ということ。
「そんな事で?」と思うこともあるかもしれないけど、自分にとったらそんな事が辛いことなんだよね。
だけど私は本当に本当に学生時代のまだ人生の半分も生きていない子達が自殺をするともったいないと思ってしまいます。
今日楽しく話していた友達が明日には仲間を作り集団でシカトをし始めたり
聞こえるように悪口を言ってきたり
思い返すといい思い出はほとんどありません。
キモがられてそれをクラスの男子全員、女子もほぼ全員に言われて
みんな私をいじめの標的にしてました。
ほぼ毎日泣いていたし、2年生の頃は殆ど学校には行ってなかったと思います。
バイトも出来るし、髪も染められるし、
メイクだったり自分の中の可能性がかなり広げられる時期だと思っています
この時、いじめ受けてたときに自殺しなくて良かったなと思いました。
私は今21なんだけど、
出来ることがたーーくさんある!
食べたいものも食べれる。
まぁとにかく何が言いたいかって言うと
いじめをしてくる奴は絶対に1人じゃ何も出来ないから、これは絶対。
私はとにかく小中が嫌だったんで
作品集とか成績表とか全部捨ててスッキリしたぞ。そんなもん無くても生きていけるんだよ。
学生時代の思い出がなくても趣味で繋がった人達や新しい環境で知り合った人達と仲良くしたりすれば十分。
で、こやつらはいじめてた事なんて忘れてるから。そんなもんだよ。
学校なんて行きたくなったら行かなくていいし、その分 最低限 家では数学やらドリルやったりしたけど。
図書館行ったり、映画館行ったり、家にいてもいいじゃん。作ろうと思えば逃げ場はどこにだってあるよ。
考え方1つで何かが変わるかもしれないよということを伝えたかったんです。
中学の制服がズボンとスカート選べるなんていいなあって思うんだけど
友達にも、別に性同一障害とかじゃないけど女の子らしい格好をするのが苦手で
スカートを履きたくないという理由だけで私服通学OKの私立中学への受験を本気で検討していた子とかいたし(その子は結局公立中学行ったけど)
寒いとかパンツ見えるとかの理由でスカートの中に半ズボン履いてる子もいたし
LGBTの子への配慮もそりゃ必要だけどそういうの関係なしに好きな格好できるようにしようでいいじゃん
私が中学生の時に制服選べたら絶対ズボンにしてただろうし友達もそうしてただろうけど性同一性障害とかタチのレズ疑惑かけられたりしたんだろうか
が、私は俳優が演じているキャラが推しなので別方面からの怒りがすごい
まとめると推しを汚しやがって許さねえといった内容です。
まずはじめに、私は原作ゲームの推しが好きで2.5には手を出す寸前だった外野だという事、そして1番辛いのはカノバレした財木琢磨に今まで尽くしてきたファンの方々だということは頭に入れておいて欲しい。
(ちなみにこの俳優が以前に一度カノバレしていることや発言が危ういことはキャストが決まった時から知っている。推しキャラの役者なので一応調べた。)
私はキャラが推しなだけなので俳優がカノバレしようがどうだっていい。
それなら触らないようにするだけだ。
しかしこの俳優は推しのアイデンティティを残した状態で彼女と入浴中な写真やらなんやらを流出させた。
いやお前ふざけんなよ…
まず風呂で写真撮るなよ裸なんだろ?とか言いたいことは山ほどあるが、何よりキャラの一部を残した状態で、というのが何よりムカつく。許しがたい。
しかも彼が演じていた推しは簡潔に表せば必要以上に他と馴れ合わないといった風なキャラクターだ。
いや女とすっげー馴れ合ってんじゃん
どうしてもフラッシュバックする。
本当に腹ただしい。
一般常識と倫理観を一から叩き直してもらってきた方がいいと思う。
「キャス変はして欲しくない」と言っている人は推しが風評被害を受けている事に何も思わないのだろうか?
これから推しは事情をよく知らない人達から「カノバレした俳優がやっているキャラクター」だと言われ続けるがそれでもキャス変して欲しくないと思うのか。
私は御免です。
推しの顔に泥を塗った俳優などさっさと降板して欲しいし今回に至っては芸能活動やめろ一生目に入るところに出てこないでくれとも思います。
推しの名前で検索したらサジェストにカノバレって出てくるんですよ、シンプルに不快じゃないですか?推しはカノバレしてないのに。
でもこういう事言うと「私は逆に好感度あがった」とか「年頃の男性だからしかたない」とか「燃料にすればいい」とかトンチンカンな事言いだす輩が絶対に出てくるんですよね。
常識的に考えてあの画像で好感度は上がらないし、彼女がいようがこんな形でなければ原作ファンまで怒らせなかっただろうし、燃料ってなんだお前推しを消費することしか考えてねえのかって頭痛くなります。
アクロバティック擁護かましてる人達は味方になってあげてる私優しいという考えや、外れた事言ってる私カッコいいといった考えを捨てて欲しいです。
まあそんな(他俳優推しの人やお花畑からの)擁護を真に受けたのか今後の意気込みとか言ってしまう彼が1番ヤベーヤツだとは思います。
目ん玉飛び出たわ
ミュはレポとかでも評判すごい良さげだったし推しキャラの顔のクオリティが高いから出てる円盤買おうとしてたけどやめてよかった。
入金前で本当によかった。
ほんとに頼むぞ
そして最後に、この俳優のファンだった方々には金も出してない外野なのに騒いですみませんと謝らせていただきます。
トンチンカンな擁護してる人たちじゃなく、今まで俳優を支えていたファンの方達にです。
一番辛いのは最初に書いたようにお金を出して支えていたファンの方です。
以上です。
今日はてなを巡回していたら、アイマス関連の記事で、アイドルが「プロデューサー」に呼びかけるから、「ファン」として見るのはダメなのかなと悲しくなった、というような話題を目にした。
それを読んで、ここのところ毎朝感じているあることを言葉にしたくなった。
ゆっきーが、ファンの呼称が「ゆきすと」に決まってから、「ゆきすとの皆さん、おはようございます!」とツイートするようになった。
これを見ていつも、ゆっきーはゆきすとではない人には言っていないのだなと寂しく感じている。
例えば、「先生、おはようございます」と言ったら、それは先生に言っているのであって、周りの友達には言っていない。それと同じ。
ゆきすとという呼称はFRESH!の生放送で決まったらしい。それを見ていないのでわからないが、イメージとしてはそのリスナーや、一部のコアなファンを「ゆきすと」と呼ぶ印象がある。
これも喩えるなら、ラーメン二郎に1、2回だけ行った人をジロリアンとは呼ばないのと同じ。
ゆっきーの中での定義はわからないが、少なくとも自分はその放送も聴いていないし、成人式イベントにも行けなかったし、次のライブも行けないし、ゆきすとを自称できるレベルのファンだとは思っていない。
だから、今まで自分にもかけられていた「おはようございますっ!」が、突然一部の人にだけ言われるものになってしまって、とても寂しい。
もしかしたら自分は「ゆきすと」の端っこくらいにはいるのかもしれないが、単にフォローしているだけのフォロワーもきっといて、そういう人は完全に「おはようございますっ!」の対象から除外された。
ESDを辞めたことで、より大きな世界に羽ばたいていくのかと思ったら、今のところより小さな世界に目を向けているように感じる。
まあ、でも。
そんなことを書きながら、1月25日の、呼称がゆきすとに決まった報告ブログを読んでいると、なんだかとても楽しそうだし、思わずにっこりしてしまう程度にはゆっきーのことが好きだし、ゆっきー可愛いし、元気だし、可愛いし、好き。いっぱい好き。
FRESH!の生放送も気にはなっているが、月額1,080円は安月給の身にはとても高い。
ゆっきーは高い。
次のライブの特典会、握手会が物販2,000円、チェキ会が物販4,000円とのこと。ESDの無料ライブや、1枚540円の『開運!招福!炎天歌』のことはもう忘れよう。一度安売りすると、なんでも高く見えてしまうのはマクドナルドと同じ。
数日前にはてなーがファンクラブの話題で盛り上がっていたが、「お金を持っていない小中学生のファンは置き去りか?」みたいな意見には、個人的には「そうです」と思っている。
慈善事業ではないのだから、何にしろお金がかかるのは当然だし、お金がない人は、自分の出せる範囲で楽しむのはすべてにおいて同じ。
同人活動やめようかな、という迷いの話
タイトルも含めて、とりとめなく自分の同人活動を振り返ったり脱線したりするだけの話です。
ありきたりな前置きですが本当にまっとうな思考の人間による文章ではありません。
小中学生の頃は、好きな作品に触発されながら、毎日のようにノートやコピー用紙に絵を描いていた。多いときは週に10作品以上ビデオ録画をしてアニメを観て、絵を描いていた。
当時SNSがあったのか知らないけれど(それこそ2chしか記憶がないし、2chはSNSではない)、とにかく今のようにSNSが当たり前の時代ではなく、また家族にも友人にも、誰にも披露するわけでもないのにアニメの感想やゲームレポをイラスト付きでたくさんかいていた。多少、「アニメディア」や「ファンロード」の影響があった。
はじめて二次創作の本らしきものを作ったのは中学2年の頃だった。鉛筆で描いた漫画をコピー用紙に印刷して、ホチキスで留めただけのもので、しかも複製せず一冊しか作らなかった。
次に本を作ったのは高校1年の頃で、友人3人と合同誌を作った。その時はペン入れしたりトーンも使ったりしてアナログ原稿を作った。オンデマンド印刷本だった。はじめてイベントに出て本やラミカを頒布した。
ほぼ同時に、その頃から徐々に界隈に広がりはじめたデジタル原稿にも挑戦して、これもオンデマンド印刷ではじめての個人誌を作った。
どちらも、自分の漫画はネタも作画も本当に拙くて酷かったのを覚えている。
漫画を描くのは普通にイラストを描くよりも、何倍も難しかった。
それからしばらく受験や何やらで忙しくなって、本は出さなかった。暇を作ってはイラストを描いたり、鉛筆描きの短い漫画くらいは描いていた。
高校を卒業したあたりからpixiv、Twitterを始めて、二次創作の世界を広がりを感じた。自分はpixivにらくがき程度のものを少量しかアップせず、ほとんど見る専と言ってもよかった。
大学生になり、大きなジャンルにハマって、描く量が一気に増えた。人生で最大級に大きなハマりっぷりで、グッズにも相当お金を使ったし、それまであまり買っていなかった同人誌もたくさん買うようになった。大学生で時間もあったのか、熱に浮かされたようにずっとそのジャンルのことを考えていたし、ずっと絵を描いていた。Twitterの二次創作アカウントも作り、大学2年か3年のあたりだったか、ついにそのジャンルで本を出し始め、イベントにも出はじめた。
大学院に入ってからは、1年目はびっくりするほどイベントに出ていた。2~3ヵ月に一度はイベントに出ていた。これは自分にとっては驚くべき頻度だった。ジャンルがとても盛り上がっていたこと、また院生の研究生活がわりと孤独だったことも大きな要因だったと思う。いろいろなご縁をいただいて、アンソロジーに寄稿させていただくことも何度かあった。
この頃——というよりずっと昔からだったが、自分は本当に締切が守れない人間だった。個人誌についてはそれが顕著で、新刊を落とすか、割増入稿をするか、常に二択だった。
ただ本当にだらしないせいだと思うけれど、病気か?と本気で疑いたくなるくらい、ギリギリになるまで原稿に手をつけなかった。心を改めるどころか、年々それは酷くなっていった。
さすがに研究論文の執筆が佳境を迎えたころは同人活動を控え、修了までの1年間は本を出さなかった。イラストはたくさん描いていたけれど。
社会人になってから、以前よりずっと絵を描く時間が減った。社会人になってからの同人活動は大変だと聞いてはいたものの、身にしみてそれを感じた。社会人1,2年目は本は出せないだろうな、と学生を終える前にも思っていたけれど、いざその状況になってみると、それでも本を出したい、という思いが湧いてきた。同人活動をしばらく抑えていた反動だった。
久々に本を出した。……酷かった。
全然時間が足りず、というよりは原稿計画がしっかりしておらず、後半の作画は目も当てられなかった。ストーリーも読み返すと良くなかった。
かなり、後悔した。
それでも買ってくれる人や、感想を送ってくれる人がいて、とても励みになったし、次は頑張ろうと思った。
わりと昔から自分の作品を貶したくなる癖があった。癖というか、実際本当に、自分は話作りが下手だったし、それを補うほどの努力もできていなかった。
それでも、見てくれる人、買ってくれる人がいる中で自分の作品を貶すのは失礼だと思って、なんとかこらえてきた。
また新しい本を出した。
……前よりもっと、酷かった。
あんなに前回後悔したのに、まるで活かされていない。反省できていない。明らかに時間をかけられなかった。努力できなかった。
イベントから日が経つほど心は冷え冷えとしてきて、多少通販もしたが、これ以上世に出すのが耐えられない、と感じて、早々に打ち切った。
最低限、きちんとした本——手抜きせず、自分が納得できるもの——を出すことができなくて、自分の所業ながらただただショックだった。
「何がなんでも出さなきゃ」、という思いだけがあまりに強かった。
納得できないならどうして無理矢理出してしまったのか。落とす、という選択肢はなかったのか。いつもすべて過ぎてから、後悔が襲ってくる。
今はかなりマイナーなCPを描いていて、こんな自堕落ぶりで同じ界隈の人にも申し訳なくなったし、自意識過剰かもしれないけれど、CPのイメージが悪くなるのではないかとまで思っている。それでもまだ、好きだから描きたいという思いはある。
しばらく、休んだほうがいいんじゃないかと自分でも思う。実質最近は大きな仕事を任されていて、同人活動は休止状態に近い。
でも今までの休止期間以上に極端に絵を描かなくなっていて、それが少し怖い。
もしこのまま、絵が描けなくなってしまったらと思うと、漠然とした不安が頭を埋める。
絵を描くこと、同人活動をすることは、自分の人生においていつの間にかとても大事なことになっていた。10年くらい前は、なんとなくいつかは絵を描くこと、同人活動をやめる日が来るんじゃないかなと思っていた。「こういう職に就いてこういうことをしたい、それに打ち込みたい」と、自分の創作とは関係しない夢を当時は持っていて、同人活動の時間が自然に淘汰されるのだろうという予感があった。けれど今になって、これからもしばらく同人活動を続けていきたいと思ったし、その終わりが見えてしまうのが怖くなった。
同人活動は趣味に過ぎないと思う。つらいなら、できないなら、やめてしまえばいいと思う。
休止じゃなくて、……本当にもうやめてしまおうか?
そう思う時もある。でもそれがやっぱり怖い。
自分の不甲斐なさで好きだったことがつらくなって、自滅以外のなにものでもなくて、本当に馬鹿だなあと思う。
いい年になりつつあるが、浮いた話もとくにない。結婚というのも、同人活動をやめるきっかけとしてよくあることなのだろうか。知り合いでは結婚しても同人活動してる人がたくさんいるけれど。
仕事をして、日々が、月が、年が過ぎていく。仕事は嫌いではなく、むしろ好きだ。でも絵を描かない日々は、少しずつ自分の心を色褪せさせている気がする。
これからどうするかは、まだ決められていない。
「同人活動続けようよ、あなたの作品は素敵だよ」と言ってくれる人よりも、「あなたの作品はこういうところがダメ。活動姿勢もダメ。改められないなら、つらいならやめてしまえば?」と言いきってくれる人がほしい。
でもそれも独りよがりで、続けるきっかけ、またはやめるきっかけが他人からほしいだけなのだと自分で思う。方向はどうあれ、背中を押すか蹴るかしてほしいだけなんだと思う。
よしなしごとは、以上です。
弱気なこと、不安なことを言える機会がなかったので、ついここにしたためてしまいました。
読んでくださりありがとうございます。
前提として「簡単なHTML、Javascriptを扱えるレベルの方」というのとかたまに見るけど、そもそもスタートからして認識がズレているので、元教師から、現実を伝えますね。
クラス生徒30人いるとして、8割の24人は50分授業の間に課題を終えられる、という前提で書きます。
スマホ世代なので、画像をアップロードとかはわかるけれど、xxというフォルダからxxというファイルを開く、コピーする、そしてxxというサーバーのフォルダに提出、という作業から教えないといけません。さらにいうと、ダイアログが使えません。
スマホとか慣れてるだろーっていうオジサン世代に、わかりやすくいうと、デスクトップ環境とコマンドライン環境くらい、違います。そもそも、デスクトップにアイコンがないと、スタートメニューを押すことさえ気づきません。
これが現実です。残念ながら、大手ベンダーが大量導入した完成されたシステムを使って、パワポでプレゼン、ワァ─o(。´・∀・`。)o─ィ♪うまく出来たねー、ワードでプリント作り、ワァ─o(。´・∀・`。)o─ィ♪印刷できたね、が現状です。
管理する人が大変なので、「先生~パスワード忘れましたー!」という子供が出たら50分の授業がそれだけで終わってしまうので、つねにゲストログインでPCを使います。ですから、クラウドで何か作業させるとか、Googleほにゃらら使わせるとか、まず無理です。クロームブックなんて夢のまた夢です。アカウントという概念がないので、サーバーサイドのサービスを使う授業なんて出来ません。
ネットは子供が勝手にYouTubeみて、ヽ(゚∀゚)ノ うぇ────ぃ♪ってならないように、教育委員会や自治体のプロキシーでチェックする仕様が多いので、そこがコケると地域みんなこけるという環境が当たり前。かりにそうでないにしても、どこかでアップデート始まったらもう大変なことに。先生遅いですー!ちょ、ちょっと待ってなさい!キンコーンカーンコーン!・・・という環境でまともな授業なんて準備する気になりません。
ですから、アプリ的にタッチタッチタッチワァ──o(。´・∀・`。)o──ィ♪で終わる、そして最後に成績つけられるように、何かしらの成果物が「紙」で出せる、「プレゼンして終わる」という流れで、先生は、あーやっと1学期\(^o^)/オワタ。というのが日常です。
そしてそれを誰かが解決しても評価は上がらないし、それをやる予算もないし、そもそもそんな折衝面倒だし、誰も改善しようとは思いません。Windowsアップデートとかほんと怖いですよね。
ですから、ネット上に、多くの小中学生向けのプログラミング教材があったり、誠意で作ってくれたりするのですけども、ごめんなさい、現場はこんな感じなのです。
つまり、この環境でも教えられる教材にしてください、ということが言いたいわけです。せっかく作っていただくからには。
ダメな子で、本当にごめんなさい。
とにかく公立の小中学校でパソコンを教える、っていうことはこういうことなののを知ってもらえればと思います。今はみんな子供もスマホやってるでしょーって思うのは間違っていないのですが、とにかく「ファイル」って概念がありません。せめて、投稿とかアップロードとかまでです。スマホに強くても、PCには強くない、ということです。
クラス生徒30人いるとして、8割の24人は50分授業の間に課題を終えられる、そして、そこで成績をつけなくてはいけない、というミッションを先生はこなさないといけないのです。みなさんは好意で「xxを理解してもらう」というミッションで作られるかもしれませんけども、教師は「xx君の成績をつける」という目標で毎回毎回の授業をこなしていくので、そもそも目標が異なる、というところをスタートにしてもらえると幸いです。
はてぶコメントで、座学でアルゴリズムっていうのがありましたが、はい、そうです。座学が出来ればそれがベストですね。穴埋め問題とか試験も作りやすいですし。ただ、学習指導要領でとりあえずは実習のコマもやらなくちゃいけなくて、でも現場はそんな感じでこなすだけの実習です。
ブコメで「「××の概念がない」「○○を知らない」の連呼だが、教えればいいのでは」という指摘がありましたが、ご指摘はもっともですが、年間指導計画のそれぞれの時期でのそれぞれの到達度が設定されていますので、それらを教えるにもそのリソースをどう捻出するかという問題も当然出てきますね。
いろんな意見やブコメを見て思ったんだけど、皆さんどうやら40人以上の人間を同時に動かして同一ゴールを50分以内にさせる、という大変さの前提がわかってらっしゃらないのだと思った。そりゃそうだよね、人生でそういう経験はまず無いものな。セミナーやプレゼンはあったとしても、8割型アウトプットを時間内に出させる、というところがまあ想像しがたいよね。40人に講義やセミナーすることはあっても、同時に作業させる、というのはまずないものな。うーむ、そこですな。
好きだった作品があって二次創作にも手を出してみたけど、その界隈の人でやたら個人について踏み込んでくる人がいて嫌になってしまった。
本人にはぐらかされるとその人と仲のいい人に聞いて回ったりしていたらしく、余計嫌になった。
誰と誰が付き合ってるとか付き合ってるように見えるとかそういう話を聞いて回ったり、話し込んだりしてるのも嫌だった。(小中学生かと思った)
何人かが関わって作る本に呼ばれなくて、主催にねじ込みに行ったという話を聞いてうんざりした。
他の二次創作者より質の高いものを作ろうとしてるのは分かる。分かるけどそれを他の人に強要してるという話も聞いてうんざりした。
自分が読みたくて自分のために作りたいと思っていた話について、そういうのは気にせず作って発表すればいいと思っていても、コソコソ言われると思うと作る気になれない。コソコソ言われるまではどうでもいい。コソコソ言っているということが本人のところまで届くのがうんざりだ。
別に自分は有名でも人気があるわけでもない、二次創作をちょっとだけやっていた作品ファンだったけど、正直そういう人たちへのうんざりがあって新作も二次創作だとかも素直に楽しめなくなった。(距離を置いてからほとんど情報を自分からは取りにいっていない)
バカがと思った。言いたいことはいくつもあるがとりあえず二つに絞る。
さっさとやれや。さもないと悲惨なことになる…という煽りは正直インチキ宗教の勧誘と同じだ。
私は友人に誘われそういうところのセミナーを一時間ばかり聞いていたことがあるがそれをしないことがどうして悲惨かばかり滔々と語っていた(8割くらい)。似ている。
もし加入すればこんないいことがあります(聞いてると詐欺としか思えないが)を少し主張する分インチキ宗教のほうが幾分ましかもしれない。
昔オウム真理教が終末論ぽいのを説いて事件を引き起こし結構な問題になったが、冷たく例えるとそれ。いうなれば結婚真理教。
あの手のインチキ宗教勧誘は1000人煽って一人でもバカが引っかかれば成功なんだけども結婚煽りもそれでいいのかね。
結婚教の連中はそれでもいいのかもしれないが。
誰でもいいからとか本当に正気かこいつと思う。ちょっとでも孤独の恐ろしさ知っていたら出てこない発言だ。
私には偽装派遣で一人誰も知らない連中ばかりのIT派遣にたたき出されて死が頭にこびりつくレベルの孤独に1年苛まれた経験がある。
私に限らないならもっとひどい例もある。時折起きる小中学生のいじめ自殺や去年自殺の原因が発覚して大問題になったTENNさんの事例だ。
端的に表するとはなから一人の苦痛が0から1とするなら周りから全く受け入れてもらえない私が経験した悪夢が50から精々100くらいだと思う。
そこにいじめが入り時々発生する自殺学生の悲劇はきっと桁が上がって1000くらいだろう。彼らには逃げる選択肢がほとんどないからな。
信じるものに裏切られて自分でその責任を抱え込み死を思い込むしかなかったTENNさんの孤独もそれこそ1000か2000の苦痛だったと思う。
孤独とは最悪そのレベルまで行きつくものだ。ハナッから一人なんて孤独のうちに入らないんだよ。
仮にそれが少しでもわかっていてそれでも一人が仮に嫌だというのなら「ちゃんといい人を探して選ぼう」とは言えるかもしれん。多分そういう人ならいるだろうし少なくとも理解はできる。
はてな村なんかに入り浸ってるせいか、あるいはここ数日のはあちゅう関連の話題のせいか、割とハラスメントには敏感な方だと思う(はてな基準ではなくて、世間一般から見れば)。
そんなおれにもついにハラスメントがやってきた。忘年会の余興の押しつけだ。
やりたいと手を挙げたわけでもないし、新卒の採用はしてないからまとまった数の下っ端もいないので、年次の低い社員数名(おれ含む)になんとなく声がかかった形だ。すごくどうでもいい。
いや、正直言って人前でふざけたり芸を披露するのは好きだ。小学生の頃からお調子者一本で通してきたんだぞ、おれを誰だと思ってやがる。
でも、それだけに、ああいうことをするのが嫌いな人や見るのもいやな人がいる人がいることはよく知ってるんだ。小中学生の頃はそれでクラスメイトに迷惑をかけたこともあったと思う。本当にごめんなさい。
だからこそ、やりたい人がやるのはいいと思う。そして自由参加の宴会でやるなら別に勝手にやってくれればいいんだ。そしてやりたくない人や見たくない人にそれを押しつけてはいけない。
会社の名前を冠した宴会で、人前で笑いものになることを強制されるのは明らかにパワハラだ。そんなんじゃ今後優秀な人間は呆れて入ってこなくなる。会社の将来を考えてもすべきではない。
翻って今回の件は忘年会だ。一年の締めとして参加はほぼ強制だし(じゃあ金取るなよな)、集まったメンバーも「やりたくない」って言ってる。よし、やめよう。
「どうしてやらない」なんて言われても「エヘヘ」とか言っておけばなんとなく流れるだろうし、必要とあらば「表出ろ」って言えばいい。それぐらいのことを思っていた。
ところがどっこい、余興に向けての集会なるものが開かれ、予定が合わなかったおれはその場のイニシアティブをとれなかったのだが、その後に聞いてみるとなんかみんなしぶしぶながらやる気なのだ。
いや、なんというか「ブルゾンちえみとかどうですか(おれはやらないけど)」「アキラ100%とか流行りましたよね(おまえやれよな)」って、ぎこちなく言ってるのだ。
いやいやいや、みんなひとりひとり話してるときは「やりたくない」って言ってたじゃん。いや、今も「いやホントはやりたくないんですけどねデュフフ」みたいな顔してるけどさ。
じゃあなんでノリノリで意見出してんの????ねえ馬鹿なの死ぬの???????????
やりたくないんでしょ?じゃあどうしてまずやらずに済ませる方法考えないの?当日だけ休むの?
それならいいけどなんで結構ノリノリなの?意味わかんねえんだけど!
おれはすっかりやらない気満々マンだったので出鼻をくじかれた。ねえ、うちの会社は別に適当な感じなんだからさ、おれらがやらなければもう伝統はなくなるんだよ。
来年からだれも嫌々やらなくてすむんだよ。そこをなんで、どうしてやる方にいっちゃうんだよ、おかしいだろ。
もしかするとみんな反抗するのも面倒だから口を合わせているだけで、おれがやめようって言えばみんな続くのかも知れない。
でも本当に何でなんだろう。そりゃあパワハラだ尊厳だなんて言い出すおれはめんどくさいのかも知れないけど、でも、でも、こういうのってよくないよ。
と思いつつ、忘年会は来週に迫っている。どうしたらいいんだろうか
社会問題を解決するのは国民全員だし、国民に選ばれた政治家だし、政権与党では?
個人的に、その体質がまずいのだと思いますよ、特にリベラルの場合
間違っていても良いし、見当違いでも良いので、せめて、自分なりに考えた「解決案の提示」くらいまではして頂きたいのですが
小中学生における良くある作文の結論に「この問題は社会全員で考えなければならないと思います」という文章のパターンがありますが、「いや、君はどうすれば良いと思うの?」ということですよ
(しかも、もう一方では、「社会では自主的に動く問題解決力を持った人材を求めています」的な話なので、大いなる矛盾だと思いますが)
あるいは、与党の政策にクレームをつけること」のみなのですか?
(今の野党やマスコミが批判されている最大の原因もそこだと思いますが)