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2024-10-31

F井電機の思い出

昔の職場が派手に爆発四散したので思い出を語ってみる。

とっくの昔に退職たから、今回の件の内部事情全然知らない。

期待して開いた人はごめんね。


大学の推薦で選考受けた。

写真やってたかカメラ関係メーカーに行きたかった。

一次面接で志望理由説明したら「うちカメラやってないけど?」

募 集 要 項 に 書 い て あ っ た ん で す け ど ?


調べてみたら2ちゃんねるブラック企業リストにも載ってた。

大学の推薦で受けてるから無碍に扱う事も出来ず、真面目に選考受けつつも落ちる事を祈っていた。

無 事 採 用 。


リーマンショックの影響が色濃い時代だったので、内定出ただけマシかって事で入社

本社入社式と新人研修だけ受けて、そこから中国工場に3か月間放り込まれる。


F井電機は「FPS」と言われる生産方式採用していて、カンバン方式カイゼンによる効率化が特徴。

要は昔えらい人たちがトヨタ工場研修を受けて「すげぇ!」ってなったトヨタ生産方式(TPS)をまんまなぞってるだけ。

FPS無限改善」とか言ってたけど「無限ではねぇだろ」といつも思ってた。

このFPSを学ぶために新人中国工場ライン工として送り込まれる。


工場広東省のド田舎にあるので娯楽はなく、自動的工場の寮に缶詰状態になる。

休みの日はたまに先輩が深圳に連れてってくれたりはあったけど、基本的工場周辺の飲食店スーパーに行くぐらいしか出来なかった。

工場で一緒に働くのは更にド田舎から出稼ぎに来てる兄ちゃんちゃんで、自分中国語話せなかったけどメモ帳漢字筆談で割となんとかコミュニケーションできてた。

無愛想な人もいたけど、フレンドリーな人も多くて異文化交流が楽しかった思い出がある。

ただ、自分たちがその辺の工員の10倍の給料を貰ってる事だけは絶対黙っとけと言われてたので、交流しながらずっと心にわだかまりがあった。


肝心の研修の方は、まぁキツいながらも面白かったかな。

ただ、それ以上の学びはそんなになく「こんなに金と時間かけてやるほどの研修か?」と思った。

研修の終わりに配属希望を聞かれたので、ライン担当していた製品部署希望した。(当然カメラじゃない)

最後送別会では白酒をアホほど飲まされ、みんなで寮のロビーで死んでた。掃除のおばちゃんごめん。


で、本社に戻って配属先発表。

全く別製品部署に配属が決定。

流石に3か月も工場にいるとその製品について詳しくなるわけで、それを活かす部署に配属されるのかと思いきや、全く別の部署

いよいよ何のための研修だったのかわからなくなる。


部署に配属されて、先輩のもとOJTで色々と学んでいった。

人に関しては良い人が多かったかなーと思う。

ただ、雑談で話す内容が基本「社内の噂話」「ゴルフ」「女」「酒」ばっかりで、全然水が合わなかった。

技術職ってもっとオタクがいるのかと思いきやめっちゃ体育会系

そういう意味では情に厚く面倒見のいい人が多かったかもしれない。

飲み会の後に興味ないおっパブに呼び出された挙句自分の分自腹で払わされたのは未だに納得してないけどな。


仕事の方は流石にアレコレと具体的には書けないけど、とにかく会社ケチだった。

年間休日数は業界内でぶっちぎりの最下位祝日のある週は土曜出勤ってパターン

出勤日数多いか給料いかっていうと全くそんなことなはい

しか残業代はフルで出てた。定時は22時みたいな感じだったけど満額支給だった。謎。


仕事で使う文房具や工具類は買って貰えないので基本自腹。

外注するような部品は流石に経費申請するけど、ホームセンターで買えるような材料は自腹。

外注先への見積もり依頼も基本的相見積もりを取って、必ず価格交渉するようにと厳命されていた。

地元のおじいちゃんがやってるような町工場に毎回価格交渉するのが本当に嫌だった。

良い仕事してくれる相手を買い叩こうとする会社が嫌いだった。

挙句、値段だけみて中国の激安工場発注して、とんでもない品質で上がって来た部品社員が手作業リワークすんの。バカかと。


そういえば、全国にある某施設に収めた製品不具合があるのが分かって、暇そうな社員集めて全国修理行脚するなんてイベントがあった。

北海道沖縄案件に誰が行くかでザワザワしてた気がする。

自分青森担当になって、往復の飛行機ホテル2泊の事前申請?をしたんだけども、

「往路は丸一日かけて青森まで新幹線で行ってください」「復路はホテルに泊まら夜行列車で帰ってきてそのまま出社して下さい」って言われた。

行きはバカみたいに時間かけて行くくせに、帰りそんな急いでホテル代までケチ必要あるんか???(帰着日に急ぎの案件があるわけでもない

ちなみにその夜行列車普通に遅延したので、出社したのは朝の予定が昼過ぎ。なんなんだよ。

出張の時はどれだけ時間かけてもいいから1円でも安い交通手段を探せってのがルールになってて、人件費って知っとる????って感じだった。本当にアホ。

自分が辞める直前の頃は業績も悪くて出張行くのは管理職以上ばっかりで

その管理職自身役員が納得するような安い飛行機めっちゃ時間使って探すような状況だった。あのさぁ人件費って(ry


まぁ、こんな感じで人にもモノにも金払い悪いし、本当にセンスないなって思った。


あと、おじいちゃん会長自分会社を好きすぎ。

会長が本書く度に社内で配ってた。誰も興味ないのに。

「業績悪いかボーナス減らすね」って言いながら自分の功績をまとめたWebサイトとか社史とか作ってた。マジそういうとこやぞ。

社長から会長になっても、新社長の影が超薄い。裏で牛耳ってるのは結局会長

社内行事があっても「会長は、会長でないと対応できない案件のため欠席です」ばっかり。

波乱万丈なAV機器業界で90歳のおじいちゃんが舵取りしてて生き残れるわけないじゃん。


辞める決意をした一番の理由やりがいの無さだったかな。

自分設計したもの工場で量産されて市場に出ていくのは確かにおもろいよ。

でも、

自分日本設計して、

行った事もない中国工場で量産されて、

アメリカのどこぞのウォルマートで売られて、

全然知らん人達が手に取っていく

って一見すると技術者として幸せなようで、全くやりがいがなかった。

自分仕事がどこにどう繋がってるのか、自分の目や肌で感じる事が自分の中では大切な事なんだなって気付いた。

から辞めた。


会社ものづくりしても何も面白くねぇわ!!!ってなって、今は全く別の業界で生きてる。

辞める時は上司が「そんなんで世間通用するとは思えない」って言ってたけど、普通に年収増えてるしノー残業だよ。

一緒に仕事してた人たちはどうしてるだろうなぁ。無事に逃げられてたらいいけど。

追記

嘘松認定されてて草

まぁ話半分で読んでくれたらいいよ。

編集画面開いたついでに小ネタ書いとくわ

2024-10-15

虐待を耐え抜き生き残って良いことあったか??保護された施設でもいじめられるし、ジジババからは恥ずかしいってことで存在しない者にされるし、結局誰1人捕まらなかったな。それでも大学出ないと恥ずかしいとかで行かないといけないんだ。自力で。推薦制度があって良かったなほんとに。当然コミュ障から誰とも仲良くなれないし面接も落ちまくる。辛うじて入った会社入社式が地下室で行われる。この辺りで流石にまずいと思って、人に一生こき使われるのは嫌だと思って辞める。まじでいろんな仕事転々としながら資格を取る。大半は落ちたが。一生独り身だと思っていたら結婚する。その人はお前のことを大事にしてくれる人だからちゃん大事にするんだよ。いいね

2024-08-25

質問ができなかった話

前提、まずは私の母の話。


母は何でもできる人だ。

小学校から名門学校に通い、大学某国立大学。はっきり聞いたことはないけれど、思い出話を総合するとずっと主席(もしくはそれに近い存在)。

専業主婦をしていたが、家事料理完璧にこなす人。

から多分、「できない人」のことが分からない人だ。


母の教育方針に、「答えを簡単に教えない」というものがあった。

人に聞いて簡単に得た知識はすぐ忘れてしまう。だから試行錯誤して自分で答えにたどり着くべきだ、と。

これ自体はまあ、その通りだと思う。

から、母に質問しても突き放される幼少期を過ごしてきた。

例えば、本を読んでいて、知らない単語が出てきたとする。

で、近くにいる母に、「これどういう意味?」と聞く。

すると母は部屋の一角を指さして「そこにあるのは何?」と質問を返す。

母が指さすのは分厚い広辞苑

これで質問タイムおしまい。私は一人、重たい広辞苑本棚から引きずり出して単語意味を調べる。

そしてたいてい、広辞苑を指さす前に一言

「え、そんなことも知らないの?」

大げさに目を真ん丸に見開いて、びっくりした顔で、おどけた風に言う。

そして数秒、そのままの顔で私を見つめる。

多分、本気半分、冗談半分だったのだと思う。

その年の子がその単語を知っていることは当然だと、母は本気で思っている。母自身がその年齢だった頃にはその単語を知っていたからだろう。自分読書好きに育てた子だから、なおさら

ただそれをそのまま言うのははばかられるからちょっとおどけて言ってみているだけ。毎度そう言うのはもはや鉄板ネタみたいな。


それが堪らなく嫌だった。

驚いた母の顔を見る度に自分の愚かさを突き付けられる気がして心底惨めになった。

今思えば、母に懇切丁寧に教えてもらいたかったのかもしれない。言い換えるなら甘えたかったのかもしれない。

つの間にか、母に何かを聞くことは避けるようになっていた。知らない単語に遭遇したら一人で広辞苑を開くようになった。


母の教育方針が良かったのか、幸運にも私も母には遠く及ばないが、ほどほどに誇れる程度の学歴を手に入れた。

同時に、他人に何かを聞くことが全くできない人間になっていた。

からないことに遭遇すると、他人に何かを聞いて解決しなければならないときになると、おどけて驚く母の顔が脳内に浮かんで何もできなかった。

結果、空気を読むことだけが上手い人間になった。

あらかじめ他人言動をとにかく観察し、脳内で何度もシミュレーションし、自分絶対に失敗しないように。そればかり考えて過ごすようになった。

おかげで失敗しないから、大人ウケは良い子供だったけど。


大学生になり、バイトを始めた。

例によって空気を読みながら仕事無難にこなしていたが、ある時かなり大きな失敗をやらかした。

詳細は省くが、原因は私がその日の業務を正しく理解していなかったことだった。そのせいでお客さんに迷惑をかけて社員さんに尻拭いをさせてしまった。

当然ながら叱られたが、その時に社員さんから言われた。

「なんで何も聞きに来なかったの?きっと分からなくて確認に来てくれると思って待ってたんだよ」

怒ってる、という感じではなかった。

かに諭すように言われた。

衝撃だった。大人質問するのは悪いことではないのかと。馬鹿にされるようなことではないのかと。

寧ろ聞きに来てほしかった、と言われて、それは許されることなのだと、自分価値観がひっくり返された。

それ以来、かなり頑張って質問をするようにした。

おかげさまであの時以上に大きな失敗はせずにバイトを終えることができた。


今年の4月社会人になった。

今は親元を離れて一人暮らししつつ、新しい環境で働いている。

当然ながら新入社員にとっては分からないことだらけ。入社式の翌日の研修では、講師から貴方たちの仕事質問することです」と口を酸っぱくして言われた。

今はとある現場に入ってあちこち駆け回る日々を送っている。

ありがたいことに同じ業務担当になった先輩がかなり優しい方なので、ご厚意に甘えさせてもらってあれこれ聞きながら業務にあたることになった。

先日、先輩から貴方は何でも聞いてくれるから仕事やすい」と言われた。

ようやく、小さいころにかかった呪いが解けてきたような気がする。

それでもやっぱり、「これ分からないな」と思った瞬間、目を丸くした母の顔が頭の片隅にちらつく。

本当の意味で、この呪いが解ける日は来るのだろうか。

2024-07-28

大手企業の『ブラック新卒研修』の実態。1ヶ月で辞めた俺が見たもの

俺は今年の春、超有名な大手企業入社した。世間的にはホワイトだと思われてる会社だ。でも、あえて実名は伏せる。だって、これから書くことが本当だってバレたら、会社はどうなるかわからんからな。

入社式は華々しかった。でも、そこから地獄が始まった。

まず、毎日朝5時起床。研修は7時開始で、23時終了。睡眠時間は実質4時間くらい。「これが社会人洗礼だ」って上司は笑ってた。

研修内容? クソみてぇな暗記ゲームだよ。会社歴史から社長愛人名前(これマジ)まで、全部丸暗記。覚えられないとビンタ。「愛のムチだってさ。

毎日誰かが失神してた。救急車? 呼ばねーよ。「甘えんな」の一言で終わり。

俺は1ヶ月で限界がきた。退職願出したら、「会社の恥になるな」「親を泣かせる気か」って脅された。

でも、逃げ出せて良かった。今、この話を書いてるってことは、まだ生きてるってことだからな。

みんな、憧れの大企業に入る前によく考えろ。華やかな表の顔の裏に、こんな闇が潜んでるかもしれねーぞ。

2024-06-20

anond:20240620144708

そりゃ「店長1人が男で残りはパートのおばちゃん」みたいな職場は大量にあるから統計取るとそうなるんじゃない?

扶養からはずれない程度に家計助けたい女性がたくさんいるか構造上そうならざるを得ない

普通企業だけ見たらわりと半々のとこも多いと思う

入社式やるような規模だったら、女性総合職も多い

anond:20240620143253

新卒時に入社式にはでましたか

事務員はほぼ女性営業技術者男性しかいませんよね

そういう体制が男女別定員制度です

こういう男女格差は縮まらいか女性家計を支えられないんですよ

anond:20240620140538

正規雇用デフォルト男性枠ですよ

新卒時に入社式でなかったんですか?

そういう過密労働職は出産や育休に配慮してるんですか?

経営者妊娠という休職期間を損失としかみてませんよ

2024-06-15

サマンサタバサ2018年入社式真剣佑が現れていかにもサマンサタバサ女子がワーキャー言ってる動画が定期的に流れてくるけど、

大半の人は昨年冬季賞与がなしになったかと思うとスッとする

2024-06-14

そもそも囲碁の一番おもんないところは盤上が無からはじまるところだから

将棋チェス麻雀リバーシカタンも、盤上が無から始まるゲームなんかほとんどないから。

五目並べくらいか

五目並べはどこから始めても戦況にたいして影響ないゲームだしな。

トランプですら"手札"からはじまるゲームほとんどでしょ。

 

囲碁が圧倒的におもんないのは盤上に何もないところから始めないといけなくて

どこに置いたらどうなるかの展望がまったく見えないところだから

これもう1000回くらい言ってるけど。

まぁ初手真ん中に置けばいいとして、じゃあそれに対してどこに置けばどうなるの?

どうにもなんなくない?

この序盤の何がどこにつながってるのかよくわからん時間帯。

この辺がマジで退屈。退屈っていうか不快

 

会社に入ったら入社式の後に「じゃあ好きに仕事して」って言われてほったらかされたらブチ切れるでしょ。

もろちん、5年後の自分の姿を想定してそれまでにやる必要のある仕事を逆算して、

じゃあとりあえずこの仕事してみるか!って思える人もいるだろうけどさ。

99%の人間はそして僕は途方に暮れる、でしょ。

 

からほとんどのテーブルゲームは初手の選択肢をぐっと狭めた状態で始まる。

将棋ですら最初のほう何動かしていいかわからんからおもんないっていう人めっちゃいるのに、

から始まる囲碁なんかおもんないの極みだろ。

 

からもう今のルールのままで囲碁めっちゃ流行世界線は諦めろ。

囲碁はおもんない。マジで

2024-04-09

親友が狂ってきてる

俺と親友出会い就職新卒の時に面接で知り合って、入社式でも顔をあわせて、そのまま同じ支店になった。

それから親友が異動になっても俺が転職してもちょくちょくラインしたり飲んだりする仲だ。

俺は勝手にこいつを親友と呼び、そして俺にとって親友と呼べる男はこいつだけだった。

 

結婚前は、親友も俺も遠距離恋愛をしていて、彼女居住地が近かったので、一緒に長距離ドライブ彼女に会いに行ったりした。

当然、親友彼女結婚式も出席した。

俺はその頃、もう彼女と別れていたけど、目一杯親友人生の門出を祝った。

 

親友は、あまりかしこくはないが、まじめで、要領が良くて、人当たりがよくて、どこか気品があって、それでいてなんだかミステリアスで、男女ともに人気があるタイプというか、なんだか華がある男だった。

でも同時に、どこか他人に心をひらくのが苦手で、他人に対していつも批判的で、本音のところで素直じゃなくて、人を慕ったり、こびたり、大事にしたりするのがヘタだった。

かまってほしいのに、かまってもらうのがヘタ。

愛されたいのに、愛することはできない。

第一印象がとてもいいぶん、親しくなればなるほど欠点が目立つタイプで、よくトラブルを起こしては「人間関係リセット」をやってしまうやつだと知ったのは、最近だった。

そんな男だったので、親友にとっても、親友と呼べる友人は俺だけだった。

 

コロナ禍でも釣りに行ったりしていた親友と、昨年の夏頃から連絡があきらかに薄くなっていった。

先月ひさしぶりに会うと、近況報告もそこそこに、奴はビジネスバッグから封筒を取り出した。その封筒には、筆文字で書かれた屋号のようなもの電話番号や住所が記されている。そこから降りた畳まれA3よりすこし大きいくらいだろうかといった紙が出てきて、ビール枝豆のとなりに広げられた。

「数年前に、一緒に担当だった●●さん、覚えてる?占い師がいたろ。いっしょに四柱推命を占ってもらった。」

それを聞いて思い出した。そういえばそんなことがあった。言われてみたら、その筆文字で書かれた屋号も、なんだか見覚えがある気がした。

「ほら、俺が33歳の年。運命的な出会いがありって。このときはお前と笑ったよな。俺指輪してたのに、占い師のくせに不注意だって。」

そう、親友結婚していた。俺は結婚式にも出席したし、親友はずっと指輪をつけているタイプだった。真面目な男だ。遊んだりしない。

「いたんだよ。ほんとうに。運命の人が。」

そういう親友の目はとろけていて、なんだか別の人みたいだった。

ふと親友の手元を見ると、指輪を外していた。

その晩の親友は、今までの、人当たりがよさそうにふるまいつつどこか2面性があって、ドライだったり斜に構えたりするところが完全になくなり、素直で純情でロマンチストで、恋愛に夢中で他に何も見えないといったような、気持ち悪い生き物に見えて、とてもつらかった。

 

そう言えばかつて、「俺も結婚したいなあ」なんていうと、親友から子供がほしいならいいとおもうけど、そうでないならしなくていいと思う」と言われたのを思い出した。

親友は早くに結婚し、その頃は結婚7年目とかだった。結婚7年目というのが、実際どういうものか俺はわからないが、親友のところに子供はいなかった。

まり親友はいわゆるDINKS的なものを目指していると勝手に思っていたので、つまり好きで子供が居ない夫婦関係でいると感じていたので、そのせりふに違和感を感じたものだった。

 

親友から嫁さんの話、ぐちものろけも、聞いたことはない。

こちから、本気やノリや茶化しや冷やかしでその話題を振っても流されるので、いつからか触れなくなった。

家を買ったことは知っていた。

からそれなりに関係が良いのだと思っていたのだが、これよりあとになって、「家を買ったのは快適な家庭内別居のためだった」と知らされた。

 

親友の嫁さんと3人で会ったこともかつてあるし、俺はそれなりに嫁さんのことも知人であるつもりでいた。親友と嫁さんは、大学時代サークルの先輩後輩で、甘い雰囲気というよりも、仲間としての連帯意識が強い夫婦関係に感じていた。

親友にとったら初めての彼女だったのが今の嫁さんで、そんな嫁さんがそんな関係だったもんだから

からまり、もしかしたら今の不倫相手との恋は、

自分を失うような恋は、初めてなのかもしれない。

ふつう10代かそこらで済ませて、あとから青臭すぎて痛くて恥ずかしい思いでとして振り返ったり蓋をしたりするような恋は、親友にとって初めてだったのかもしれない。

 

まるで10代の少女のように占いなどを真に受けて、運命なんて言葉を甘く利用して。

「俺は離婚するつもりだ。不倫相手といっしょになりたい。お前は応援してくれるよな。結婚してなかったことにするつもりだから学生時代の友人や、今の職場人間とは関係を切る。転職もする。でもお前だけは応援してくれるよな」

 

俺が親友だと思っていた男はこんな邪ないきものだったのか。

恋愛感情ってのが人をそんなに狂わすのか。

それとも、そんなになるまで嫁さんとの不仲を抱え込んでしまって狂ってしまったのか。

俺はこいと親友で居続けたいのかな。

今まで親友と思っていた男とこいつが同じ人物と思えない。

でも、親友ならこんなとき正しい道に導いてやるべきだ。

でも離婚って正しくないのかな。

離婚って間違ってんのか?

こいつは本当は子供が欲しかったのかな。嫁さんに拒まれていたんだろうか。それなら、乗り換えたい気持ちもわかる。

 

頼んでもいないのに親友が見せてきた今の"恋人"の写真が頭にこびりついて離れない。

どこにでも居そうな、特段ブサイクではないが決して美人ではない、無理やり褒めるなら、きれいというよりは可愛らしい女の子だった。

親友にとっては絶世の美少女らしい。その魔法が解ける日も怖いが、不倫相手は嫁さんといわゆる正反対の見た目をした女だったのも、また怖かった。

2024-04-04

市役所入ったけど周りとの格差が辛い

新卒公務員になんてならなければよかった。

なんと研修が一日もなく、入社式終わったら配属された部署普通に業務が始まった。

民間企業に行った友達は、いまだに毎日本社近くのホテルや寮に同期集められて毎日研修したり一緒にご飯食べて仲良くしたりわいわいやってるっぽい。


面接理系科目無理すぎて公務員以外受からない自分が悪いけど、同じ新卒なのに扱い違いすぎてつらい。

自分がいい企業からない無能だったから仕方ないかもしれないけどさ、それでもせっかくの新卒なのにあんまりの扱いでつらい。どうせこれから長い間労働という名の苦役に耐えないといけないなら、せめてはじめぐらいちょっとくらいはしゃがせてほしかった。

2024-04-01

新入社員時の思い出

強く生きようと心に誓ったあの日。そのおかげでスキルを蓄積して上手いこと立ち回って今に至るので、この時の経験には感謝している

わけねーーーーだろばーーーーーーーーか!!! その工場今潰れそうになっててざまあああああああ!!

2024-03-30

新人時代トラウマを思い出したので吐く

この増田 https://anond.hatelabo.jp/20240328145307 を読んでいて、新人歓迎会トラウマを思い出したので書く。


新卒就職したのは、大手電機からリストラ分社され投資ファンドに売却された地方製造業…に、グループ内人派遣を行う人材派遣会社だった。

当時はリストラ分社化された直後で、まだ元グループ本社からの出向社員も残っていたし、元グループ会社看板も、営業網も使えていた。

それにに加えて、リストラ分社化された後で「これで迅速な意思決定ができて伸びるぞー」と言うお題目が信じられている頃でもあったと思う。

からか、当時入社するプロパー入社式はそれはそれは華々しく行われていた。


いや、華々しく行われていたのを、私たち派遣会社経由組は、敷地の隅にある人材派遣会社事務所のちっぽけか打合せ室の窓から見ていた。

プロパー新人記念写真撮影をしているのをみて、私たちはあっちいじゃないの?と少しは思うが、当時ピッチピチの新卒で疑問に思うこともなく。

派遣会社事務所から何かしら訓示を受けた覚えがあるが良く覚えていない。

簡単事務的な話だけだったので、そのまま配属先となる職場から主任が迎えに来て、職場へと向かった。大部屋式の事務室である

課長の所で軽く挨拶した後、課員に特に紹介されたりもせず、大部屋の端にガラス張りのパーティションで囲まれた「OA室」と呼ばれる部屋に連れて行かれ、ここがお前の席だと座らされた。

周りには同じく派遣できている人たちが数人いるが、みな黙々と仕事をしている。一応会釈はしてくれるが特に会話もない。部屋の中にはサーバと古めかしいブラウン管モニタがついたCAD端末がうなり声を上げている。

15インチスクエア液晶DELLの型落ちデスクトップを渡され、いきなり赤が入った原稿に従ってWord文書を直していくと言う仕事を振られた。

当時ピッチピチの新卒で今のようにくたびれていなかった私は、緊張して違和感を感じる暇も無かったというか、違和感を感じるような知識も無かった。


それから数日して、プロパー新入社員挨拶にやってきた。「全員集まれ」と声がかかって大部屋の中心にみんなで集まり、彼らが新人だと紹介される。実際に配属されるのは8月お盆明けからだが、と聞かされた。

何で8月なんですか?と、少しは話をするようになっていた主任に聞いたところ、彼らにはみっちり新人研修があるのだとのこと。

すごいね

グループ会社から分離したけど新入社員教育は合同で行って、元グループ会社本社にて集中的に研修するんだって

すごいね

そうして彼らプロパー新人新入社員教育を受けて、定時退社している間に、自分はみんなにシェアされる雑用便利人としての立場を明確にしていった。

忙しくなると投入され、ろくにスキルも身につかない雑用をやる。どの課に所属しているのかと言うことも曖昧だった。業務調整をする上司というもの存在しなかった上に、ひとヤマを超えると別の社員の忙しい案件に投入されるため常に長時間労働であった。OJTと言う言葉すら無かったが、仕事特性上、割り当てられた仕事が終わらなければ終わらない。やらずに放置しても誰か別の人がやってくれるわけではない。溺れながら仕事を覚えていくことになる。

このように同じ職場メンバーとしての一体感が生まれる事も無かったが、一つだけ一帯運用してもらえていたものがあった。それが「タイムカード押し」である。だいたい19時30分を回ると係がタイムカードを回収しに来る。彼にタイムカードを渡すと、私が自分で押さなくてもかわりにタイムカードを押してくれるというサービスである

いや、サービスしているのはこちらか。当時ピチピチの新卒であった私は、それが当たり前だと思って、深く考えなかった。いや、考えようとしなかった。


さて、この内容を何故標記増田から思い出すに至ったのかというと、積み重なった違和感が爆発したのが、新人歓迎会だったかである


時は流れて8月プロパー社員新人正式職場に配属された。配属されて行われるのが、新人歓迎会である

今までも全体の飲み会らしきものは行われているのを知ってはいたが、私がいる「OA室」の人間は誘われることは無かった。しかし、新人歓迎会忘年会だけは別らしく、出欠席の紙が回ってきた。

私は、これを自分も歓迎してくれる会であると疑わず、出席と記入した。会費は7000円であった。高い。正直、月給額面残業代込み174,000円からその金を出すのはかなり痛かった。痛かったが、仕方が無いと思った。

そうして、久々にリクルートスーツに身を包んで、会場に着いたところ、以下の様な事が分かった。

なお、記念品として贈呈されたそのハンドブックは「仕事必要から」と言われたので私は自分で買っていた。彼らの初任給は、私が当時付けられる限度まで残業を付けてもらうのよりも、一切残業せず3万円は高かったはずである

偉い人のよくわからない話を聞いて、乾杯して。新人代表のよくわからない決意表明を聞いて。なんか意味のわからない余興が行われていたのはぼんやりと覚えているが、途中でなんか気持ち悪くなり、料理も食わずに会場を抜けて家に帰った。

今なら、7000円も払ったのだからせめて夕飯代ぐらいは浮かしてやるぐらいの図太さは身につけたが、当時ピチピチの新卒だった私にはそんなものはなかった。


ちなみに、頭の中をぐるぐる回っているぐちゃぐちゃを吐き出して落ち着けたのはインターネットであるもっと具体的に言うとこの増田はてなAnonymousDiaryのおかげである。ここで無茶苦茶愚痴を書いて、みんなにそんな会社やめちまえよって同情してもらって、やっぱりおかしいよね?おかしいよね?、と整理ができた。

そうして、スキルを磨いて、勉強して、戦略的に行動する事を心がけるようになった。

みなさんのおかげです。どうもありがとう。当時の増田がどれぐらい残っているかは、まぁ、わかんないくらい昔の話ですが。


さて、その後だが、元グループ本社ブランドが使えなくなり、営業から外され、元グループ会社格安で担っていた間接機能自分でやらなければならなくなり赤字に転落。

グループ本社から出向で在席していた人々…つまり売却に至っても本社転籍させなかった優秀な人々…が徐々に去って、さらに買収した投資ファンドからクビ切り役人みたいな連中が送り込まれプロパー社員ボーナスが年3ヶ月分吹っ飛ぶ、労働組合が元グループ会社組織から外されて見捨てられる、福利厚生が自社独自に切り替わる、など労働条件改悪、激変が続く事になる。

当然元グループ本社と共同で半年以上かけてじっくり行われる新入社員教育なんてものは翌年以降は蒸発しなくなった。新人は極簡単ビジネスマナー講座と図面の読み方みたいな軽い教育を受けて入社後数週間で職場配置されてくるようになった。

同時に、派遣社員が増える事になった。それも元グループ本社系列グループ内向けの派遣会社(つまり私の所属会社からではなく、他の派遣会社から人材が投入される。金は無いが、今までグループ本社機能依存していた部分を自社化しなければ行けなかったからだろう。

さら賃金が高い社員を中心に退職推奨と言う名のリストラが行われ、その代わりに派遣社員が加わるという事が特に現場系で進行する。更にラインまるごと海外EMSに出されるようになっていった。

しかし、プロパー社員派遣社員を切り分けて考えると言う企業体質や文化はそう簡単に変わるわけもなかった。妙な壁がずっとある。お給料から命令系統食堂の食券価格や給茶機の掃除当番まで妙な区別が残り続け、それが原因でか、不合理で業務効率が上がらないことおびただしい形だった。


ただ、そうして、会社は一応は黒字になった。筋肉質になったと宣伝しているがリストラ黒字になるまでやるからリストラなのであって、黒字になるのは当たり前である

そのタイミングで、元グループ会社本社最後まで持っていた20%程度の株式を完全に売却する事になった。完全に手切れである。私が入社して6年ほどが立っていた。

そこで、私が所属している派遣会社も完全に撤退する事になった。元グループ本社グループ内向け派遣会社であるからである


最後に、その後私がどうなったかを書かせてほしい。

かつて敷地内にあった派遣会社事務所はとっくになくなっていた。同期もみんないなくなっていた。

そして、私に提示されたのは、派遣会社から派遣元の会社正社員として転籍しないか、今と同じ仕事を続けられるよ、という誘いだった。

もちろん、断った。


会社側は、まさか正社員になれるのに断ってくるとは思ってもみなかったようである。それはそうだ。特に人事部門などは、痩せても枯れても元大手企業工場地元で最も安定した職場で誰もが就職したがる、と言う御山の大将であったからだ。

から自分たちの仲間に迎えてあげることが最高の報酬だと思っていた節があった。だからせっかく人事に交渉して入社できるようにしてやったのに恩知らずが、みたいなことを言われたこともあった。

さて、断った結果どうなったかとと言うと、派遣会社としてはもう派遣業を拡大していないこともあり同じ地域では仕事がないといわれた。そのため別の地域に転勤になるがよいか、と。もちろんOKと言った。願ったり叶ったりだ。

そうして新しい派遣先を探るからと言うことで、改めて所有している資格などを申告せよという事になった。コツコツと勉強してとりためた資格などを開示した結果、ちょうど人手不足タイミングと重なり元グループ本社のR&Dに派遣が決まる。

引継ぎ屋マニュアル作成をこなしながら異動の待機している間に、こんどはなんと所属派遣会社グループ本社吸収合併される事が決まった。

本社のR&Dに派遣ではなく異動という形で、あっと間にグループ本社正社員になることができた。神風が吹いたと言える。


そうして今ではそれなりに暮らしているのだが、そんな今でも「新人歓迎会」と言われると、あの悪夢新入社員一年目が、悪夢ホテルでの夜が頭をよぎるのである

からみなさん、相手所属がどこだとか考えずに新人には優しくしてあげてほしい。あなたにとっては毎年来る新人かもしれないけれど、新人にとってはたった一度の新人時代なのだから

また、新人の皆さんも、なんかおかしな事があっても人生何事も塞翁が馬である。よいこともあれば悪い事もあるが、前向きに、やってきたチャンスを掴んで離さない程度の握力を常に鍛えておく事ができれば、道は開いていくのである

頑張ってほしい。

2024-03-29

東京の桜の開花

今日は無理そうだから明日かな〜

久しぶりに桜舞う入学式入社式になりそうだな〜

日本の春はこうじゃなくっちゃ

anond:20240319142904

上場企業入社式、どこの企業採用も「若干名」だった時代ことなんか知らんだろうな。

入社式会議室で30分ぐらい。辞令出して終わり。社長あいさつとかあったのかな。覚えてない。

2024-03-27

上場企業に受かったぞ

小林製薬入社式やめます

この絶望

コロナ禍でありとあらゆる行事が中止になった世代だと思うとかわいそう

2024-03-23

就活真実:1年で終わらない驚きの事実勝利への道

この内容は、あなたの考えを変えてしまうかもしれません。ぜひ、自分の目で確かめてください。

現在あなた就職活動に関して誤解をしている可能性があります

今ここでその誤解に気付いて、甘い幻想からさよならしましょう。

あなた普通に頑張っています。みんなと同じように努力し、部活受験活躍たかもしれません。高校受験大学進学も順調で、両親の支援も受けてきたかもしれません。

しかし、就職活動が目前に迫る中で、いくらかの不安がよぎるかもしれません。でも、大丈夫だと思っていませんか?

先輩たちの話を聞いていても、卒業までに何とか内定がもらえそうだし、最終的には就職できると思っていませんか?

でも、もしそのまま勘違いを続けると、あなた就職活動は満足な形で2ヶ月で終わることはありません。内定をもらい、入社手続きも滞りなく進むでしょう。

内定式や入社式に向けての準備も、幼い頃の遠足のような楽しい気分で過ごせるでしょう。

新しい社会人としてのワクワク感に胸を膨らませながら、新生活に臨むでしょう。

しかし、期待していた生活とは異なるかもしれません。理想とはほど遠い現実に直面するかもしれません。

そんな日々に疲れを感じることなく、逆に熱中してしまうかもしれません。

でも、待ってください。あなたは今、就職活動の誤解の中にいます。そんな生活は手に入れられません。

厳しいことを言いますが、それが現実です。1年間の就職活動を真面目に行っても、結果がついてくる保証はありません。

ですからあなた就職活動は1年で終わることはありません。その間に「第二新卒」というレッテルが貼られ、劣等感を感じるかもしれません。

もしあなたが賢ければ、留年して新卒として就職活動をするかもしれません。または、院に進学して有利な地位を得るかもしれません。しかし、そのような選択時間無駄です。

ただし、学生気分が長引き、20代の全盛期を浪費してしまうだけです。

その結果、結婚の機会も遠のいてしまうかもしれません。

ですので、早めに誤解を解きましょう。今年1年での就職活動が終わると考えるのは間違いです。むしろ妥協せずに行動しましょう。

私は、就職活動が1年で終わらなくてもいいと思っています。納得がいかなければ、来年もやりますだって、新しい社会人としての新生活妥協したくないのですから

そういう真剣意思が、あなたの目指す未来を実現させるのです。

からこそ、急いで終わらせようとか、どうせ就職できるだろうという考えは捨ててください。

そうでなければ、今までの努力無駄になってしまます時間無駄にさせたくないのですから

ですから、今すぐ「妥協しない就活」と書いてみてください。これがあなたの誤解を捨てる意思表明になります

しっかりと自分の中に刻んでください。そして、あなた未来への道を開いてください。

2024-03-19

ユ〇〇ロ入社式会長あいさつ動画みたけど、典型的な押しつけ型の昭和型JTCだった。。。

いわゆるカリスマ経営者とかの並びで語られる人たちの中では圧倒的につまらないと思った。

まあ物販という形態自体がそうならざるを得ない要素もあるのだろうけど。(日本人カスタマーである以上は)。

先進性とかギャンブラーという意味ではやっぱ孫さんだね。圧倒的に面白い

あれだけの規模の会社であの年齢なのにまだベンチャーマインドがある。

追記

大丈夫君は本社では働けないから。

2024/03/29 リンク

100年前の土人かよ

孫さんや豊田佐吉ビルゲイツがそんなマインドでいたら何も生み出してないことくらいわかるだろ

他人より上に感じられてうれしいね!」

奥さん子供クリスマスパーティして楽しいね!」

気持ちよくオナニーして人生終わりだ

追記2:

孫正義は人たらしの天才。その才能で金を引っ張ってきたり金をねじ込んで資産を膨らませるのが仕事ビジョンを魅力的に語るのはそれが商売道具から。戦ってるフィールドがまるっきり違う(´・ω・`)

2024/03/29 リンク

そういうことよな。

まあユ〇ク〇も自動レジシステムとかイノベーションの部分は素晴らしいと思うけどな。

ただ、零細企業プレゼンさせた内容を丸パ〇して自社開発させたという都市伝説もあり、闇が深いなとは思う。

そんな都市伝説、なにもないとこに出てこないだろ・・・

孫さんは少なくともギャンブルはしたかもしれないが邪悪なことはしていない。

ビジョンがでかいから面白い

魅力があるってのはそういうことなんだよな。

2023-10-14

anond:20231014000221

これほどADHD/ADDのことを正しく理解してる人を初めて見た。

そう、遅刻するのは別にあなたのことを軽んじているからではないのだ。

結婚式入社式入試なら遅刻しないでしょっていうけど、するんだよ

2023-09-02

anond:20230902003034

でも入社式ってほぼ男だろ

雇用均等法なんて建前だけだぞ

高校受験ですら男女別定員制度男優遇されてるから

2023-08-12

JR東日本を辞めた11

現場配属

入社前に配属や勤務地は通知されるが、現場に初めて行くのは入社式、入社研修の後の2週間後くらい。

半年間くらいの新人研修のあとで現場での業務となる。

研修所では3食タダで出てくるが現場ではそんなことはなく、朝一番に出社して机拭きや上司お茶汲みを新人やらせるところもあるようだ。

研修所では作業前後の用具の点数確認作業ダブルチェックを徹底されるが、実際の現場ではそんなことはなく阿吽の呼吸を求められる。

全てではないが小さな作業ほどそんな傾向があり、指示がないのに準備が悪い、作業が遅いと言われながら、成長し染まっていくのだろう。自分は染まらなかったが。

飲み会

古き良き(?)日本の伝統が残っている。

とりあえずビールからまり上司のグラスを空にしてはならず、継ぎ足していかねばならない。正直ビールがぬるくなり好きではない。

だんだんと酎ハイハイボールを頼みだすと、やはり量が減ってきたらおかわりを確認しなければならない。このタイミングが難しい。

飲み干すときだと遅く、残り1/3くらいの絶妙タイミングがあるようだ。

ちなみにこれは居酒屋でも、本社ビル15階の食堂での飲み会でも同じ。

サラダのお取り分けとかも新人お仕事。誰かと話し込むことは許されず、お会計もほぼ割り勘。

2023-07-19

とある大学教授の話

ある大学教授がいた。

彼はその分野において権威だった。著書は何作もあり、そのほとんどにおいて高い評価を得ていた。にもかかわらず、彼は教育熱心でもあり、教授然とした態度ではなく、気さくに、いち個人として学生たちと接してくれていた。

わたし友達は、教授ゼミ所属していた。

教授教育は、人を信じることから始まった。難しい問いをかければ、安易に答えを出さず、まず質問者がどのように考えているかを聞いた。それを傾聴したあとに慎重に自分意見を言った。決して押し付けたりすることはなかった。ゼミの内容についていけない生徒がいれば(わたし友達はまさにそうだった)、さりげなくフォローし、適切な課題を与える。相談したいことがあれば、当たり前のように、自身プライベート時間でも面談をしてくれる。友達個人的な悩みについて相談をしたいとメールをすると、家庭もあるのに22時から面談をしてくれた。にもかかわらず開口一番、遅い時間申し訳ないと言われたそうだ。どうしてもしなくてはいけないことが立て込んでいて、といった教授の後ろでは、教授の子供の声がしていた。

友達は彼のような教育者にはあったことがないと言っていた。話を聞くかぎり、それはひいき目はあるものの、おおむね正当な評価のように思えた。世の中には先生と呼ばれるだけで、自分が偉くなったと勘違いしている大人が多く存在し、そういった人々にわたしたちは子供の頃から辟易させられていたからだ。

友達は彼のゼミ所属したことで、専門知識はもちろん、人間的にも大きく成長できたと言ってはばからなかった。彼はもともといい奴であったが、適切な時期にメンター出会い、成長し一皮剥けた。青年期によくある、しか人生に大きな影響を与える出会いだった。彼はその出会い感謝していた。

皆に愛されていたそのゼミ卒業するときに、ゼミ生たちみんなでお金を出し合って、ブランドネクタイプレゼントした。教授からゼミ生たち個人個人プレゼントをくれた。友達タイピンをもらって嬉しそうにしていた。友達は進学するか、就職するかにおいてもかなり悩んでいた。いっときは本気でその教授のようになりたいと考えていたようだ。友達以外にもそういう生徒は多かったし、大学院への進学率は教授ゼミだけ突出して高かった。結局、友達就職したが、Facebookにアップされた入社式写真の胸元には、教授にもらったタイピンがあった。友達卒業後も教授交流があったらしく、教授新刊を発売すれば、自分の恩師だと宣伝に協力していた。彼のSNSプロフィール欄には、教授名前を冠された研究室所属であったことが、誇らしげに記載されていた。

 

そして、それから数年後、その大学教授逮捕された。

ニュースはその大学教授が、未成年に対する性加害者だったことを伝えていた。

信じられない思いでいたが、日を追うごとにおぞましい行為の数々が暴露され、それが事実であることを告げていた。

 

友達は、なにを思っただろう。わたしはその一連の事件に対し、彼がなにかしらの態度を示すものだと思っていた。

しかし、彼はなにも言わなかった。

過去教授との写真を消すこともなかったし、教授研究室所属であったプロフィールを消すこともしなかった。

教授が犯した罪を擁護することもしなかったし、糾弾することもしなかった。

しばらくの間、沈黙をした後、何事もなかったかのように日常の発信に戻った。

わたし友達を、人として大きく成長させた教授

そして見知らぬ子供を、取り返しのつかないほど傷つけている教授

つの人物像はわたしのなかで別々の人間がなした別々の行為のように感じさせられた。

 

ひとりの人物について、語ることはとても難しいことだと思う。

ひとりの人物について語るときに、我々にとってただ一つ確かなことは、その語りが不完全であるということだけだと思う。

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