はてなキーワード: 一言とは
何度も書いていることだけど、これは静岡県民による約20年間のJR東海への怨念が爆発した問題に過ぎないのでしょ。
大井川の水問題はその「口実」に過ぎなくて、静岡人がJR東海を叩く本当の理由は違う。
それは一言で言えば、在来線である東海道線の冷遇と、のぞみ号の静岡・浜松停車問題。
ご存知の通り、JR東海が最優先事項で進めているのは東京~名古屋~新大阪間の輸送力を永遠に増やし続けること。
必然的に東海道線(熱海~豊橋)は貧弱になるし、のぞみ号は静岡県内の全駅を通過する。
しかし、JR東海が静岡に配慮したダイヤや投資をすると、東京人や大阪人が「ふざけるな」と言い出す。
東海道新幹線やリニアは、東京~名古屋~大阪という「西日本国土軸」の根幹をなしているので、ここが揺らぐと日本自体が滅亡するので、静岡冷遇は簡単に止めることが出来ない。
お笑いをメタ的に見るのは前からあったけど、お茶の間でも受けいられるようになったのは最近ですね。
YouTubeやTikTokで誰もがクリエイターになれる時代。
四千頭身の「前半に畳みかけんな」ぐらいから、お茶の間でも受け入れられるようになった兆候ですね。ぺこぱもそう。あとは大晦日のガキの使いがマンネリ化というか、風物詩として定着してきたことも。水曜日のダウンタウンも出てきてだんだん先鋭的になっていったことも。
そんな中、千鳥含め、よくロケを止めて突っ込むというシステムを開発したなぁと思う。
ロケはこれまでいちいち止めなかったわけで、あるまとまった情報をワンパッケージとして送られてきた。その構造をひっくり返し、千鳥のツッコミ(ボケ)力で成立させる。ツッコミはツッコミだが、ちゃんと振ってるし、何に突っ込むか?というボケも成立させてる。写真で一言の大喜利をずっとやってる。
千鳥はM-1やキングオブコントなど元々上位で出れる実力はありながらも、テレビでは若手や身体を張る枠の扱いだった。
そんな中、Abema TVやらロケやらも含めて地道に実績を重ねて東京進出と成り上がりをを完了した。
良かったのう。
感想を一言でいうと、OVAの追憶編まんまで納得がいかない。これいいのか?と思うような作りだった。
よく知らない人は、何言ってんだるろうに剣心の実写化なんだから当たり前じゃんとか思うかもしれない。
いや、要素はある。原作の18巻~21巻に、それに相当する話がいくつかとびとびにある。
だけど、OVAの追憶編は、それらを一つの作品として追憶編という形にしたものだ。
るろうに剣心の原作を基にしたものではあるが、ただ単に原作をアニメ化しましたというわけではない。
構成もそうだが、トーンが実写のような雰囲気になっていることで、剣心の「おろ~」とかいかにも少年漫画のようなふざけシーンはない。技名も叫ばない。
なので、何が言いたいかって、いつものそのままアニメにしました的なものよりもアニメ制作者によってチューニングされた作品であるということだ。
だから、今回のThe Beginningはそれをはいはいご苦労さんと拝借して「るろうに剣心を実写化しました、The Beginningです、それではどうぞ!」と、公開したことに納得がいかないのだ。
なんていうか、剣心の実写化だからアニメを拝借してもいいでしょみたいな雰囲気が納得いかない。
おまえらはOVAの追憶編じゃなくて、漫画の実写化をがんばれよと思う。
俺はアニメ関係者の功績を実写の連中がどさくさに紛れてパクってるのが気に入らない。
日本の実写映画って総じて糞だけど、るろうに剣心の実写化がまだ見れるのは、このOVA関係者のチューニングというお手本があったからこそだと思ってる
9歳頃から胸が大きくなり始めていたが、親から、姉弟で一緒に風呂に入れるようにさせられていた。
今となっては、それが弟に性的なものを意識させていたのだろうと思う。
また、家族であれば女の裸を見る等の性的なことをやっていいと勘違いさせたのかもしれない。
目が覚めると和室で母と弟が何やら話している。
そして起きた私に気がつくと、弟がクスクスと笑いながら「おねえちゃんのお股のにおい嗅いだの」と話してきたのだ。
母は反応に困ったような半笑いのような表情だったように覚えている。7歳の子供のしたことだから、「うんち」とか「おしっこ」みたいな幼稚な下ネタ程度に思いたかったのだろう。
悪びれなく笑っている弟、弟を叱らない母に、私はただただ嫌悪感が湧き上がった。
母は理由を聞くと先日の弟のことに触れられるとでも思ったのか、「思春期だからね」とだけ言って受け入れた。
その日、一人で風呂に入っているとドアの向こうから弟が幾度と「なんで?」「なんで急におねえちゃんとお風呂に入らなくなったの?」と母に聞いている声が聞こえた。
弟の質が悪いのは、分かっているのに年下であること利用して純朴、無知を振る舞っていたことである。
そして小賢しいので、風呂に一緒に入れないなりにあの手この手で姉である私の裸を見ようと執着していた。
塾や習い事から帰宅するとわざわざ風呂のドアを開けて「おねえちゃんただいま」と言ってくるようになった。私はそれで体を洗う時間を極端に短くして、湯船に入るときは風呂の蓋をギリギリまで閉めるようにした。
ちなみに、弟は帰宅時に私が部屋にいる時は部屋には来ない。あからさまである。
また、今までトイレに行ったらトイレタンクの蛇口から出る水で手を洗っていたのに、途端に脱衣所の洗面台で手を洗うようになった。風呂上がりの、裸で体を拭いているタイミングを狙ってくるのだ。
だから私は風呂から上がったことがバレないように、湯船から出る音、風呂のドアを開ける音を最小限に留めたり、体を急いで拭いて、拭ききらぬまま下着や寝間着を着ていた。
これが癖になって修学旅行で体がビショビショのまま寝間着を着ていたことで同級生には驚かれた。
こんな、自宅なのに落ち着いて風呂に入れない生活が長く続いた。
そしてある日のこと、タイミング悪く私のお風呂上がりに合わせて弟が脱衣所に入ってきてしまった。
弟は下から舐めるように見た後に「おねえちゃん、(毛が)生えたんだね」と言ってきた。
家族に性的な好奇心の道具にされていることの屈辱で言葉にならず、声も出ずに弟をその場にあった洗濯カゴで殴った。
母には私が弟を邪険に扱っているように見えていたらしい。
中学校の卒業の時に、弟が「おねえちゃんにプレゼントだよ」と言って、名入れされたハンカチを渡してきた。
当たり前だが弟が名入れのハンカチなど買える訳がなく、母が提案して弟から渡させたのだろう。
私のこの、長年の苦しみがハンカチ1枚で許される訳がない。ハンカチはもらってすぐに本棚の裏に投げ捨てた。
コロナ禍もあり、私の部屋を片付けて仕事部屋にしたいというので片付けを手伝った。
母からの「せっかく買ってあげたのになんで使わないのよ」の一言で、ああ、この人は私の苦しみを何も気づいていないのだと悲しい気持ちになった。
当時、弟の風呂のぞきに困っていることを相談したことはあった。だが「小さいから面白がってるだけよ」と真剣に取り合ってもらえなかった。
もしくは、自分のかわいい息子が姉にれっきとした性的虐待をしていると信じたくなかったのだろう。
しかし、やられた側からすれば「たかが風呂のぞき」では済まないのだ。
風呂に入っている時、ハンカチを見た時、ふとしたタイミングで思い出されては今でもずっと嫌な思いをしている。
最近だと子供の性教育は話半分ではなく、「ちゃんと真剣にやらないといけないよね」という世の中の流れになってきている。
私は、私と同じような思いをする子供が一人でも減ってくれればいいとただただ願っている。
だからこそ、このように書き残すことにした。
子供が異性の体に興味を持つこと自体は自然なこと。だけどそれで家族が犠牲になってはならない。
たくさんのコメント、ありがとうございます。
「気をつけよう」「性教育は大事」というコメントがあって、伝えたいことが届いて良かったという思いです。
そして、同じような経験のある方々もコメントを書いてくださってありがとうございます。
本当に、苦しかったですよね。過去のこととはいえ、ふとしたタイミングで思い出されては、やりきれない気持ちになります。
予想以上に同じような経験をされている方が多く、家庭内だからこそ根が深い問題なのだと再認識しました。
また、書く場所が場所なので、心無いコメントは仕方ないと思っています。
やられた立場にならないと苦しみが分からないでしょうし、やった側だったとしたらこんなに重大な心の傷を負わせているなどと信じたくないのでしょう。
ですが、理解されないものだとはいえ、攻撃して良い理由にはなりません。
目に余るコメントもあるので、いくつかコメントさせてください。
文章のプロではないから説明に不足があったかもしれませんが、そういう議論のために投稿したのではありません。
できるならそうしています。
痴漢の被害者にも同じようなことを言う人がいますが、なぜ被害者側に非があるような言い方になるのでしょうか。
同じように家族から性的な嫌がらせを受けても「許そう」と思えるのでしょうか?
そして被害を受けた側はどんなに忘れたくても、ふとしたタイミングで思い出してしまうのです。
それほどの、一生引きずるほどの傷を残す重大な問題なのです。
面白がって書いているのでしょうが、良い訳がありませんよね。本人が嫌なら駄目です。
このような考えの人がいるから家庭内の性被害って見過ごされるのですよ。
ほとんどの増田はトラバなんか1件つくかつかないかなのに記事への反応が30件も50件もついてるのあるの、あれなんなの?
どっから沸いてるの?つまらない増田書いてる主観では全然人いない感じに見えて来るけどその背後には書き込まない決断をした何十人もの人がいる感じか?
そして誰もが一言言いたくなるような増田にはその何十人がどっと押し寄せるという寸法だろうか?
知恵袋でも大抵の質問は数件しか回答つかないけどたまに千人とか回答してる質問があってどこからそんなに沸いてくるんだって思う。
昔の失敗や粗相を思い出して唐突に胸が苦しくなる時皆さんはどうしていますか。
休みの日とか寝る前とか脳がニュートラルな時に思い出して苦しくなります。
相手にとっては些末なことだったかもしれないのに、どうしても自分の中で行ってしまった一言ややってしまった挙動がいけないことだったのではないかと思い出してしまいます。
フラッシュバック的に何度も繰り返して思い出してしまうし、人生の折々でやらかしてしまった(と自分で思っている)事柄が積み重なって、一斉攻撃してくるような感じです。
これで夜眠れなくなったり、昼に思い出して何もできなくなってしまいます。
もしうまい気分や発想の切り替えがあったらぜひ教えてください。
かつて日本には、戦後の55年体制を支えてきた社会党という政党があった。
その社会党がやったことを考えてみると、今の野党のだらしなさの原点を見つけることが出来るのは無いか。
1994年6月に「万年野党」と言われてきた社会党が政権与党になる機会が到来し、村山富市を総理大臣とする連立政権が発足した。
そして村山首相が一番最初に何をやったかというと、所信表明演説において「自衛隊合憲、日米安保堅持」と発言した。
そもそも社会党という政党は、戦後55年間に渡って「自衛隊は違憲である」「憲法9条を堅持する」「日米安保を破棄する」とずっと主張し続けてきた経緯がある。
それなのに、政権与党になった途端に55年間も自分たちと支持者たちが守り続けてきた思想信条を、たった一日で放棄しやがったのである。
総理大臣になった以上は、日米関係や日本の周辺情勢を考えて、自衛隊は違憲であると主張し続けることは現実的ではないだろう。
しかしそれを踏まえても村山首相のやった事は支持者を裏切る行為だし、実際に社会党はその数年後に消滅した。
要するにこれなんだよね。
政権を取るため、つまり権力を手に入れるためならば有権者からすれば耳触りのいい事だけを連呼して、実際に政権を取ったら簡単にそれを「なかったこと」にする。
平和や人権など高尚な理念を掲げているように見えても、それすらも権力を手に入れるために利用しているだけに過ぎない。
そしてこの傾向は今現在も続いている。
民主党が政権与党になった途端に消費税導入を決めたのは笑った。
1万程度ではまだまだです
お前もナンバーワンだ!
途中に「しの(77.0kg)」さんの名前を見つけて悲しくなった…
このコメ見るまで有名な人だと知らんかった
ブクマカとしてそりゃ当然
そのうちIDも消すよ、せっかくなので振り返り的に見返してなんとなく消したくなったからブクマ消した。
なぜどこぞのニュースサイトのようにページを分割しまくるのか。
助けてワンページマン!
こんなに細かく分ける必要はないのでは
もともと2万字ぐらいのひとまとめで作ってたけど何故か50行ぐらいを超えると増田に投稿しても反映されなかったので泣きながら分割投稿した。増田のバグなのか仕様なのか知らんけど誰か調べて
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Q.いつ辞めるの?
A.来月ぐらいにはアカウント消す予定。既にはてなのサービスのデータ全部消しているので問題なし。
Q.移行するなら下書きしてた方が良くない?
A.インターネットの塵と化すので移行する準備は問題なし。一応txtに下書きはしてた。欲しいなら上げることは可能。
A.めんどくさいので代わりにやってほしい
Q.やめるなら記法について書いといてほしい。枠とか線とか見やすいから参考にしたい
A.枠内はこんな感じ(大なり小なりが勝手にlt;gt;になってるけど記号ね)
>> ブコメ - id: <a href="https://www.hatena.ne.jp/">ブコメページ</a> - <a>ページタイトル</a> <<
Q.インフォシーク はまだあるぞ
A.infoseek iswebのことをインフォシークと書いてたわ
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Q.なんでやめるの?
A.別増田にid名指しでアホやろって言われてなんかもうどうでもいいやって思ったから。匿名で卑怯だぞという気持ちがないではないが、どうでもいいや感のほうが大きかったため。
2009年からブクマ始めて気が付けば約10000ブクマしてた。もともとはてなに来たのはうごメモはてなからで、ブクマ始めた当時(12年前)は中2。ブクマの機能すらよくわからず使ってた。
初期はちきりんのサイトとかライフハックの記事をよくブクマしてた、若い。
hagexさんとかcyberglassさんのブログとかもブクマしてて懐かしさを感じた。
全体的に感じたのは、インターネットのコンテンツ(記事)は永遠ではないということ。本当に必要なものがあるのならオフラインに保存必須。それとブクマページがコンテンツの墓標のようになっていたこと。webコンテンツの存在を残すために、ブクマカはこれからも色んなページをブクマしてほしいと思う。
どうでもいいけどブクマ全部見返して削除するのめちゃくちゃ時間がかかった。とても大変だった…
ブクマカはこれが見たいんでしょ、わかるよ。
確認したらブコメが消えていたものはid省略して記載。なんで消えてるブコメを把握してるかって?ブコメページをブクマしてたからだよ。
ページを「ブクマ」しようとするって事は、逆にブコメページを「ブクマ」されるかもしれないという危険を常に『覚悟して来ている人』ってわけですよね…
ランクイン(?)したブクマカはおめでとう。ランクインしてないブコメも別に悲しむ必要はないと思う。
そいつらって「ただ学校が一緒だった」だけで、友達じゃないよ。友達って、年齢関係なく、横並びだから。 - id:privates
これが教員側または親の側からの心構えとしては、失敗する権利を奪うなとなる。老婆心やお節介で能動的に手伝いたくなるがそれは自己満足。教育とは自ら学ぶ人間に育てること。そしてそこから学ぶことなのである - id:Miroc
ブコメページ - 大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。 | Books&Apps
え、勉強や努力って誰かの結果と比較する為にやる事じゃなくて、自分の伸び代を最大限に伸ばす為にやるものでしょ?勝つとか負けるとか言ってる時点で自分人生の主導権を他人に委ねてる。精神が負けてるよ。 - id:kanagawakama
人格に問題あり。 そもそも食糧のありがたみを感じるのは満腹の人ではなく空腹の人だろう。 金のありがたみがわかるのは金欠の人だろう。 国のありがたみがわかるのは、国を失った人だろう。 - id:osakana110
SNSは人を折れるまで先鋭化させる。大勢からの肯定と大勢からの否定に曝され続けて前者に寄って行かないことは難しいんだろうな。自主的洗脳装置 - id:mame_3
ブコメページ - キクマコ先生「河野大臣が質問を4連続で無視したことを非難した立憲民主党は外交能力がない」 - Togetter
ここ数年考え続けている「SNSは人を壊す」という問題の端的な例だったのかも。情報を発信して承認される繰り返しの中で、書き手はだんだん視野が狭まり、平衡感覚を失い、狂っていく。 - id:muchonov
今のツイッターからは離れた方がいい。自分が本来関わってはいけない話題に軽率に関わり始めて、結果的に精神を磨耗することになる。弱くてちっぽけな人間が世界中の不幸にわざわざ付き合うことはない。 - ブコメ削除
SNSの暗黒面に落ちるな。反応を求めると誰が見込み客で何のために投稿しているかを忘れてしまう。いいね欲しさに道を誤り、反応してくれたのはエロい男のみだったと。見込み客に向けた投稿をしないと。 - ブコメ削除
インターネットでは、自分が他人にとって「何の反応も示す価値のない、特別ではない他人」であることを知るのはかなり初期段階だと思う。「自分が特別でないことを知る」のは全く特別なことではない。 - id:kuzudokuzu
①目的を明確に
まず、何を目的としているのか明確に理解されるよう文字を置こうね。
文頭に「同意が多かったから」ということで相対評価で自分の意見は同意が得られやすい、自分は多くの人間に支持される人間だとより広く認められ満足感を得たい。
そういうことだね。
勇者が冒険に出るのは、好奇心か功名心か業務か運命なのか、途中で転換するにしてもまず最初は旅に出る理由があるよね。
君はより広い人間から祝福と喝采を受けたい、それならばそうだとわかるように表現を考えよう。
多くの成功者が僕を賞賛している、さて君はどうだい、と成功者が多く既にスポンサーがいるのになぜ増田なんかに祝福と喝采を求めに来たのか、まずそこを疑わせないようにしたいね。
②逃げ道を明記しない
推理モノで、最初から犯人の名前入りの凶器が指紋つきで残されていて防犯カメラにもその一部始終が残されていた、としたらどうかな。
それもう解決だと声も高らかに最初の数ページで爽快な後読感を得られそうかな。
逃げ道を発見して追いかけ、追い詰め逆転され、気付かないところが最初と繋がっていた、そんな文書を読むのはもう退屈かな。
「何々によるしょーもない呟き、個人の感想なのであくまでもよろしく」なんて最初に書いて、そんなところに帰ってくるとは思わないよね。
個人の呟きがこんな壮大な話だったのかと驚嘆される展開だったり内容だったりしたか、推敲してみよう。
このタイトルはおかしかったかもしれない。明記した逃げ道はもう使えない、とか、おとりや疑似餌に本命を据えない、が正しいタイトルだったかもしれない。
③役割をはっきりさせよう
ディレクターさんがライターさんに報われてほしい、そう願ってる。
そうだとしたら大変にうれしいことだね。
スポーツのコーチも等しくそんな風に思っていたり自分が担当している選手にだけそれを期待してたり、それはそれぞれに違っているかもしれない。
トップアスリートから一言、絶対にあきらめない、それだけが成功の鍵だ、なんてアドバイスはかっこいい。
憧れは失敗だったんだ、期待した自分がバカだった、自分を過信していたのは自分なので自己責任だ、そういう事だろうか。
少なからず立場を明らかにしてその立場から発する言葉に立場が関係ないのなら、それは立場を以てして発言する内容ではないことが望ましい事もありそう。
あなたが多くの成功者を輩出したディレクターで見てきた事を述べる、この意味が①のようにあなたはすごい、といってほしい以外だった場合の事はどうだろう。
失敗者は嘘つきだとあなたを罵るかもしれない。それを良しとするのか。あなたに騙されたと批判を作品に仕上げるかもしれない。どこかで誹謗中傷するかもしれない。
もちろん成功者を生み出した時の事を考えることも大事だけれども。幸あれと願うのもよいけれど。
失敗した人には自分の基準にあわないと行動の後にしか気付けなかった人に読まれてしまった文章には罪がないだろうか。
だれのどんな言葉かではなく、あなたが①で用法や容量を明確にしなかったことで生まれる悲劇は文章を書くうえで想定すべきこと、そんな可能性も考えてほしい。
多くの作文経験者は、その責任を回数重ねることで身をもってしっているかもしれない。
小説家がツイッターをしたら、毎日が小説のような文章で綴られ上質な文学に触れている感覚になる、わけでもない。
ただの人の言葉がでているだけ。小説家なのに。文字を使って表現する人なのに。それはきっと安全な文字の使い方を知っているからなのかもしれない。
目的を明確にしなかった、それならば立場上役割があることをはっきりさせるか、役割の説明をしよう。
役割が特に明確ではなくモブならば、なぜそこにモブが立っているのか①の目的を明確にしよう。
物書きさんに指示を出すディレクターさんなら、そんなところを気を付けてもらいたいですね。
「アレみたいだけどアレじゃない新作を{見たい|見せろ|作れ}」という声は観客からもスポンサーからも上がるものです。
ある程度以上たくさん作られると”西部劇”「ジャンル」になり、数が少なくて類似度が高いと「パクリ」と言われたり。
ジョーズ然り、スターウォーズ然り。ゴジラ然り。PUBG然り。ドラクエ然り。
吸血鬼を狩るアニメも鬼滅のヒットを受けてきっと企画が走っているでしょう。
で、本作は「ワンスアポンアタイムインハリウッド」ものと言えます。実際はそれよりずっと前からの企画だったようですが。
(「ヘイル・シーザー!」「プロデューサーズ」という作品もありました)
1974年のハリウッドを舞台にした、人間の屑映画プロデューサーが主人公の、映画作りを舞台にしたコメディ。
主たる劇中劇がマッチョな映画の代表ともいえる西部劇作品なんですけど、女性が監督に立候補する。え?西部劇だよ?無理無理、って反対する主人公(プロデューサー)らがちょっと間抜けに描かれます。逆にマッチョの体現者(ジョンウェインを思わせる)老俳優がその女性監督を抜擢させます。
映画の内容も、ざっくり言うとインディアン(アメリカンネイティブ)を敵として生きてきた主人公が老人となって最後にインディアン(アメリカンネイティブ)の味方になるというもの。これもステレオタイプではない、「新しい」西部劇っぽいですよね。
BLM時代を反映する黒人差別ギャグもあります。メインキャラクターの一人、モーガン・フリーマンは映画オタクで部下のチンピラを引き連れて主人公の映画製作の邪魔をしたりする悪役なんですけど美味しい役どころ。
部下も当然黒人。
親分が「ここで○○(作品名)がShotされたんだ」って言うと
撮影のことをShootっていうのが掛け言葉になってるんですね。(ツーショット写真のShotと散弾銃ショットガンのShot)
でも最後には「これからは黒人主演の黒人のための映画を作るぜ」ってなっちゃう。(タランティーノも好きな「ブラックエクスプロイテーション」ってやつを反映してるんだと思う)
これは字幕で訳出されていないんですけど、新進気鋭の女性監督はリアルを追及して地味な色調のまま画を撮ろうとする。インディアンの服も、橋も、建物もみんな茶色。
頭が古そうなベテランスタッフは「カラーが足りない…」とボヤく。
で、撮影中に上記の黒人ヤクザの子分が派手な服装で現れたのを見てそのスタッフが一言
これ、服の色だけじゃなく、Colored People =有色人種 というネタですね。
英辞郎でいうと”1.色のついた、色付きの、着色[彩色]された、有色の、色づいた
2.有色人種の ◆特に「黒人の」という意味で用いられた時期もあったが、今日ではblackを用いるのが一般的。”
また、若き日の俳優は黒人女性と愛し合っており、結婚したかったのですが、キャリアのためにそれを断念したー断念させられたという過去が明かされます。ここも現代風ですね。
現代社会視点の盛沢山の中に、最後にLGBネタまでもぶち込んでくるのはサービスしすぎかな?
多幸感に満ちた、「これぞ大団円」って感じで終わるので、多少のツッコミどころはありますが、おおらかな気持ちで楽しめる、良い作品でした。
エンドロールが始まってから、冒頭の屑プロデューサーの作ったクソ映画の嘘予告編が流れて、これもタランティーノを連想する要素でした。
その「恐怖」の条件は何?家族と食卓囲むのはストレスなの?一人での外食は怖い?個室なら大丈夫?
家族との仲が良好なら、理由話して旅行中の食事に気遣ってもらえばいいんでないの
朝晩は宿の部屋で、昼飯は個室のある店を予約して、とか
気付いたのは自分がフォローしてる投稿者の動画投稿通知を眺めていたとき
ああ不備があって削除したのかなと最初は思った
ん?と思って、その投稿者のページに飛んでみる
いままでおいしそうな料理が並んでいたはずの動画一覧は、軒並みすべて黒かった
なんとなく何が起きたかを理解したその瞬間には、えっ何があった?で頭が埋め尽くされ
そういえばTwitterをされていたのを思い出してそっちを覗いてみた
どうやら動画内で食材を粗雑に扱うシーンがあったのが不快だと反応があったらしい(粗末にではない、その食材はその後きちんと一般常識の範疇で調理されていた)
最初はその件はきちんと次動画で触れて謝罪した上で続行する予定だったようだ
が、最終的には自分で自分の行いを許せなかったのか、動画を全削除されるに至った
動画であれ何であれ投稿したものは消そうとしたら消えるし、そこに再生数1の視聴者が何かできることなんてない
とは分かっているが、今はととてもしんどい
Twitterはフォローしていない、今になって外から何か声をかけるタイミングではない、かけるとして今までありがとうなんて薄い一言しか言えない、どうしたもんか
人に広めたいけどバカに見つかりたくないって折り合いをどうつけるか
どこに線引くかで悩まれてる方は多いんでしょうね
“あなたのと思い出が私を生かす”
連絡を取り合えていた頃は、会いたいだとか、もっと一緒にいたいだとか言い合っていたけれど。
それがなんて贅沢なことだったのだろうと、今になって思う。
帰り道にメールをチェックしないことにも慣れてきたし、あの人の名前の最初の一文字で出てくる予測変換も、もう他の言葉に変わってしまった。
あの人が今、何をしているのかさえ分からないし、共有したい日々の出来事も私の胸に留めておくしか出来なくて。
今、許されている(…かどうかは分からないけど)のは、お互いの気持ちを信じて毎日を過ごすことだけで。
もう二度会えない訳ではない。
でも、あの頃みたいに親密な濃い時間を2人が過ごすことは無い可能性もある事が受け止められない。
冒頭の一言は、谷川俊太郎の「あなたはそこに」の中に出てくる言葉なんだけど。
初めて読んだ時は、15年後の自分が同じ状況に立たされてるなんて思ってもいなかったなぁ…。
日々のつらさに耐えかねたのび太は、出木杉くんに相談を持ちかけた。出木杉くんはその協力要請をこころよく承諾し、のび太にこう助言した。
*
剛田武くんは少し乱暴な子として職員室のあいだでも有名であった。しかし、公立小学校には様々な問題を抱えたクラスや複雑な家庭事情を持った生徒が数多く在籍しているため、教員たちは剛田武くんの言動にいちいち構っている暇はなかった。
いじめ慣れしている剛田武くんはひとの目に付かない暴力や強奪がうまく、クラスで大きな問題になることはこれまで一度もなかった。それは彼のいじめっ子としてのセンスのよさであり、また「剛田武は少し乱暴な生徒」というレッテルによって彼の乱暴性を個性として許されてきたところがあった。
のび太くんの声なき声を出木杉くんが拾い上げたのは、彼の中にある揺るぎない正義感に加えて、政治的な意味で次第に声が大きくなっていく剛田武くんに対して個人的に嫌気が差し始めていたからだった。のび太くんはそのことも承知の上で、助かるならなんでもいいという気持ちであった。
「でも、どうすればジャイアンに勝てるんだろうか」と弱気になるのび太に対して、出木杉くんはエリートらしい得意げな笑みを浮かべながら、もうひとつ踏み込んだ助言をした。
「ジャイアンに勝ちたければ学校を動かすしかない。学校を動かしたければ、世論を動かすのが有効だ。そして世論を動かしたければ、メディアを動かすんだ」
*
出木杉くんはあくまでもクラスの内戦に過ぎないこの紛争を、"学校ごと"に格上げさせる方針を示した。
まず出木杉くんは友人である朝日くんに情報提供を行った。朝日くんは学校新聞の編集長で、学校新聞の編集室の中でもっとも発言力を持っていた。
出木杉くんはこれまでの剛田武くんによる悪行をまとめた資料(以下、デキスギ資料と呼ぶ)を朝日くんに手渡した。朝日くんはデキスギ資料に目を通しながら、出木杉くんに対してこう言った。
「確かに剛田武くんの行いは非人道的かもしれない。だけど、これくらいのことはどこのクラスにもよくあることだよ。それに、大きな声では言えないけど剛田武くんを敵に回すことは我々にとっても得策じゃない。我々学校新聞が報道することに意義を感じないね」
出木杉くんはその反応が返ってくることをわかっていたかのようにうんうんと頷く。
「確かに。朝日くんの言う通りだ。5年2組のちょっとした暴力なんて、学校にしてみれば裏庭で起きている猫の諍いみたいなものだろうね」
「じゃあどうして持ちかけたのさ、出木杉くんらしくないぜ?」
出木杉くんはその言葉には応えず、にっこりと爽やかに微笑みながら席を立った。
「とにかく、これからも連絡はするよ。記事にしたくなったらいつでも言ってくれ」
*
のび太くんはこれまで殴られた回数や奪われたおもちゃの数を数えて、デキスギ資料をより具体的な数字で補強していた。それはもちろん出木杉くんの指示であったが、出木杉くんはそんな数字よりももっとセンセーションなものの必要性を感じていた。
出木杉くんはデキスギ資料の改訂版を何度か朝日くんに送っていたが、この日はたった一文だけを載せて送った。
「来週の朝礼で、野比のび太氏が剛田武氏に宣戦布告をします。」
毎週月曜に体育館で行われる朝礼では、校長先生のあいさつと各委員会からの報告が行われる。出木杉くんはのび太の所属する美化委員からの報告時間を巧みにハッキングすることで、のび太に宣戦布告を告げる機会を与える作戦に出た。
校長先生の定型的なあいさつが終わり、学級委員会から順に今月の報告が行われる。美化委員会の順番は最後であることは出木杉くんにとって都合がよかった。続いては美化委員会からのお知らせです、という進行役の声を合図にして、のび太くんが全校生徒の前に立った。
のび太は美化委員として、校舎前の花壇が何者かに破壊されていたことを報告した。本来であれば報告はここで終わりだが、のび太は続ける。5年2組の剛田武くんが教室の備品を勝手に持ち出したり、箒とちりとりを剣と盾に見立てて遊び、すぐに掃除用具を壊してしまうことを報告した。そして、剣のように振りかざされた箒によって、自分の肩や腹に青あざができていることを、お気に入りの黄色いカットソーをめくって見せた。体育館内がざわつく。
のび太の手足は緊張で震えていた。声も震えていた。しかし、出木杉くんにとってはそれも計算済みであった。全校生徒はのび太の震えを見て、緊張ではなく剛田武くんへの恐怖心を連想するはずだと確信していた。のび太の震えは、今まさに剛田武くんから殴られてきたかのようなリアリティを持たせていた。また、のび太の弱々しい外見が同情を引き寄せることも計算に入れていた。
教員たちが異常事態に気づき、近くにいた教員がのび太の近くまで駆け寄ってくる。だらだらと演説している時間的な余裕がないことを察したのび太は、演説の最後に剛田武くんを象徴する3つの行為「モノを奪う行為」「モノを壊す行為」「人に暴力をふるう行為」をまとめてこう呼ぶのだと強く訴えた。
「これはジャイアニズムだ」
*
朝礼は中断され、それぞれのクラスがぞろぞろと体育館を出て教室に戻っていく。その道中、全員が校舎前を通る。つまり、破壊された花壇を見るのだ。そして全員のこころの中で先程の言葉がリフレインされる。
「ジャイアニズム」
実際に花壇を破壊したのは出木杉くんであった。しかしあの朝礼が終わったあとに全校生徒が目撃する象徴的なものを壊すことによって、それが剛田武くんによる破壊行為であるかのように印象づけられる。それに、一見は百聞にしかずという言葉があるように、報告を耳で聞くよりも実際に破壊されたものを見てもらうほうが印象に残ると考えたからだ。
次の日には、学校新聞がのび太の演説をトップ記事として伝えた。ジャイアニズムというキャッチーな見出しもさることながら、これまで出木杉くんがデキスギ資料として学校新聞に送っていた剛田武くんの悪行が記事内容に厚みを持たせていた。のび太の演説と破壊された花壇は全校生徒が知っている。それ以外の皆がまだ知らない情報が載っていることにニュース性はある。新聞が貼られた廊下の前で、あれもこれもジャイアニズムだったんだと誰もが語り出した。メディアが動いたことで学校の話題は剛田武くんの悪行に一気に傾くのをのび太は感じた。
「ジャイアニズム」という言葉はあっという間に一人歩きをし出した。具体的な事実であろうがなかろうが濫用され、よくある単なるケンカではなく、ジャイアンという特別な力による暴力であると印象付けることに成功した。
剛田武くんは怒りに震え、一度教室でのび太の胸ぐらを掴んだことはあったが、周りの目が明らかに自分を悪者として見ていることに居心地の悪さを感じ、それ以降はのび太を無視するようになった。クラスだけでなく学校中から悪のレッテルを貼られた剛田武くんが廊下をとぼとぼ歩いていると、教頭先生が「剛田くん。放課後、校長室に来なさい」と声をかけた。しょんぼりしながら小さな声で返事をする剛田武くんの背中はこれまでにないくらい小さく見えた。
のび太はその様子を遠くから眺めていた。気が付くとのび太の隣には出木杉が立っていて、ふたりで剛田武くんの背中を眺めていた。
最初にのび太に助言したときのように、出木杉くんはエリートらしい笑みを浮かべながら言った。
「でも間違った情報もあった。ぼくがジャイアンや妹の悪口を言ったがばかりに殴られたこともジャイアニズムとして処理されてしまったし、それに、花壇を破壊したのは出木杉くんだろう?」
「花壇を壊したのがジャイアンだなんて一言も言ってないよ。君の読み上げた原稿にも書いてないし、学校新聞にも書いてない。みんなが勝手に誤解したんだ。でもまあ、実際に剛田武くんが花壇を踏みつけたり蹴り飛ばしたり姿を見たことがあったんだ。後日誰かがきれいに整えたので、ぼくは破壊されたときの様子を忠実に再現した。つまり演出したんだ」
「危なっかしいね」
「そうさ。情報の誘導の仕方次第では、世論はどちらにも傾く可能性があったんだよ」
「でもきみは上手に情報を操作することで、クライアントであるぼくを勝利に導いた」
「ジャイアンに勝つにはそれしかないんだよ。ジャイアンが実際の暴力を行なってくるのであれば、きみは虚構の拳を振るわなくちゃならない」
「虚像の拳か。情報は武器になる、っていうのはこういうことなんだね」
感心するのび太の顔を見ながら、出木杉くんは微笑んでこう言った。
「いいかい、のび太くん。情報を武器に仕立て上げる何者かが、その背後には常にいるんだよ。仕掛ける必要のなかった戦争、次世代通信規格の主導権争い、あるいは新型コロナウイルスのワクチン接種まで、情報を武器に扇動する者がいることを、もっと意識しなければならない」
<おしまい>
※この記事はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。のび太やジャイアンといったキャラクターたちは実在しますが、記事中のような人格ではありません。ジャイアンお誕生日おめでとう。