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はてなキーワード: マルチとは

2022-07-20

anond:20220720070130

まぁ少なくともマルチ勧誘並みに営業活動みたいなのが増えるんじゃね?

最終確認同意書みたいなのにサインさせろっていう法律宗教勧誘にも出来るだろうけど違法に囲んでサインさせるとか宗教なら普通にやるだろうし

2022-07-19

パヨさんのなぜなに質問コーナー

【Q】党員ネットワーク悪用してマルチとかやってるやつもいないとは

【A】黙れよぶっ〇すぞ

anond:20220719021526

いやローン契約したのに(マルチグルになってる金融会社だろうけど)放置するのは確実に自分に跳ね返ってるだろ

そういう時は消費者センターに行って契約解除してもらわんと

でも住所も架空契約してれば意味ないのか?

カルト教団に入れてもらえなかった話

今にして思うと、「アレってカルトだったのかも…」となったから当時の思い出を書くことにする。

当時の俺は、就職に失敗して、なんとか契約社員としてゴミみたいな工場に潜り込んだ男だった。

とにかく最悪の人生を過ごしていたと言っていい。

まあ偏差値は50後半くらいで、イキってそこそこの大学に行ったけど、コミュ力なくて落ちぶれたパターンのやつな。

大体エスポワール号に乗る前のカイジイメージしてくれればいい。髪型とかマジであんな感じだった。

そんで、ある日、工場の同僚が「たまには遊びに行きませんか?」と言ってきたので、友達もいなかった俺は嬉しくなって夜勤明けの日に街に繰り出した。

で、一緒に飯食ってる時に、夢の話になった。「やりたいことないんですか」的なアレだ。

俺は嘘をついた。「実は輸入業とかやってみたいと思っている」と。

実際は輸入とかには全く興味はなかったが、フェアトレードがどうたらこうたら、それっぽいことを言うと同僚は何だか、色んな言葉を駆使して俺の事を褒めてくれたのを覚えている。

「今度、そういうの応援してくれる集まりがあって、友達に誘われてるんだけど、独りじゃ心細いから一緒に行きません?」と誘われた。

実のところ全く俺は他人応援する気はなかったが、褒められてうれしくなっていたので、二つ返事で「行く」と答えて、連絡先を交換した。

その週の終わりには、俺は近所の市営の集会所に呼び出されていた。同僚と、その友人を名乗る色黒、細見の眼鏡がいた。

大体10人くらい?の人が集まっていて、まず、名前と住所、仕事を書くことになっていた。

俺は嘘をついた。安アパートに住んでいるのが恥ずかしかったので、実在する地名に、適当マンション名を書いたのだ。

ということで、会はスタートした。優しそうなおじさんとおばさんが主催する会で、「普段地域クリスマスパーティとかお楽しみ会をやってるんだよ」的なことを言って、チラシを見せてくれた。

「実のところ、履歴書に書くこと目当ての大学生の人も多いと思うけどさ」とおじさんが言うと、笑いが起きたので、学生もいたのだと思う。

話は大体、みんながどういう人間になりたいか、的なことだった。最初はみんな、シャイな感じだったのだが、おじさん達は優しく合いの手を入れてくれた。

俺も気持ちよく輸入業を目指す青年という大嘘を突き通すことができた。言いながら(輸入ってなんだよ)とか考えながら、なんかよくわからんマレーシアから絹を仕入れるんです!的なことを言っていた覚えがある。

そもそもマレーシアって絹取れるんだろうかとか、まあ、わかりゃしねえよって気持ちだった。

同僚は不安げで、「なんか怪しい宗教みたいじゃないですか?」的なことをそれとなくツッコんだら、周りの人間も笑った。

「まあ、お寺とかは正直付き合いあるよ」とおばさんが微笑んだ。

地域振興やからね」と。

まあ、俺も幼少のころ、近所のキリスト教会の集まりに呼ばれて、大福などを作って食った覚えがあるので、そんなもんだろうと思ったが、

同僚は「うーん」とか言いながら、こちらをチラチラと見てきた。俺は「まあ、宗教って根ざしてるからね。地域に」と言って知見を示すと、同僚は笑顔になった。

夢をキラキラした目で語っていたガリ褐色眼鏡は、、同僚に対して、「俺さんもこう言ってるし、怪しいところじゃないでしょ」とかなんとか笑っていた。

そんな感じで、一回目の集会ではやはり大福が出てきて、茶を飲んで終わった。同僚は、不安げに「来週も着いてきてもらっていい?」と聞いて来たので、

頼られていると感じた俺はやはり二つ返事で「いいよ」と答えた。

2回目の集会では、親子関係というか、家族とは何か、的な話をしたと思う。それで、親の仕事について話す機会もあった。

俺は嘘をついた。

「親が丸紅に勤めてて、三人兄弟末っ子の俺は落ちこぼれたんですけど、やっぱり海外取引したくて」と。

親父はゴミみたいな中小企業で働くサラリーマンである丸紅ってそもそも輸出とか輸入とかしてんのか?まあバレやしねえよという気持ちで俺は親の職業を偽ったのだ。

ちなみに兄弟も余裕でいない。純粋一人っ子だ。兄弟がいた方がなんかカッコいいかな、と思って嘘をついたのである

で、3回目の集会にも俺は参加する、と言っておいて、当日になってなんかめんどくさくなったので約束を破った。

そしたら、職場で同僚は「ガリ眼鏡とおじさんが会いたがっている」的なことを言ってきたので、しょうがねえなあ、という気持ちで4回目の集会に参加することにして、

それからもちょくちょく、集会に参加した。お菓子が段々グレードアップしていたし、おじさんとおばさんは俺達をよく褒めてくれていたから、まあ悪い気分ではなかったからだ。

結論から言うと、6回だか7回目の集会で、俺達は仏の彫像と変な健康食品セットを買う事になった。

値段は合わせて5万くらいだったと思う。なんというか、どういう売り文句で買う事になったのか、全く覚えていなくて恐ろしい。

ガリ眼鏡はともかく、宗教否定的だった同僚も、何やら買っていたので、俺も流されて買ったのだと思う。支払いは現金とローン、どちらでもよかった。

俺は嘘をついた。

「このくらいの値段なら余裕ですね」と。ちなみに当時の俺は貯金ゼロ。だが、まあ別に払えなくてもいいだろ、という気持ち12回払いのローンを組んだ。

普通に頭金の何千円かはその場で払ったのだが、その後のローンは余裕で無視した。

その次の次くらいの集会で、「あの、ローンってどうなっとる?」と聞かれたが、「すみません、すぐ払います」と言いながら誤魔化していたと思う。

10めだかそこらの集会で、俺達はビジネスとして健康食品仏教グッズを売る流れに参加させられることになった。

まあ、読んでる人はわかるとうから言っちゃうが、端的に言ってマルチだった。

「これって絶対もうかるじゃん」的なことを同僚は言っていたのを覚えている。俺も当時は「これって絶対もうかるじゃん」と思っていたので、頑張るぞ、という気持ちになった。

その時、マニュアルを渡された。要約すると、『プロ3人~4人で囲めば、絶対にモノは売れます』的なことが書いてあって、台詞だとかも全部用意されていた。

サクラを忍ばせて、疑問を投げかけさせます、そしてその人間を説得、納得させると周りも流されます」的なことも書いてあって、これはぜってー売れるな!と俺も安心したものだ。

次の集会で、俺は嘘をついた。

「もう3個契約取っちゃいました」と。正直、契約書の提出とかその辺がガバいのを俺は見抜いていたので、余裕で嘘をつけるなと思ったので嘘をついたのだ。

おじさんはものすごく褒めてくれて、集会が終わった後、こっそり俺にお茶を手渡しながら、言った。

「実は、この集会やるのも高齢化でさ、子供会とかもあんまり回らなくなってきたんだよね」と。かいつまんで言うと、俺になんとかという教団に入って欲しい、的な誘いだった。

俺は嘘をついた。

「ええ、勿論入りますよ」と。なんか当時はすでに俺に嘘をつかせまくるおじさん達に対してイライラする気持ちもあったので、「入るわけねーだろバーカ」と思いながらも、その場しのぎで嘘をついたのである

おじさんは嬉しそうで、「最近新興宗教とかみんな不安だと思うから、ご両親に挨拶させてくれ」と言ってきたので、

俺は嘘をついた。

普通に知らない適当な番号を書いて渡した。そもそも実家家電とか、両親の番号とか、携帯には入っていたが暗記はしてなかったのだが、それを言うのが恥ずかしかたからだ。

その次の集会

俺はおじさんとおばさん、それにガリ眼鏡と同僚に激ギレされた。

「なんで嘘ばっかつくの!?」と。

なんのことだ、と俺は心の底からビックリした。おばさんはヒステリックにキレていた。

電話番号も、住所も、全部嘘やん!!!」と。俺は本当に何のことだかわからなくて、興奮しながら置いてあった煎餅を齧った。

「あとさ、ローンも滞納してるし、もしかして前に健康食品売れたってのも嘘だと不安なっちゃうじゃん」と、おじさんは優しいながらもキレてきた。

まあ健康食品が売れたというのは嘘なので不安もクソもないのだが、俺は気が付くと涙を流していた。

「嘘をついたつもりはないんです。言い方が悪かったならごめんなさい」と。

煎餅をひたすら齧りながら、俺はひたすら泣いていた。同僚とガリ眼鏡は、やはりキレてきた。

「いや、伝え方悪いとかじゃなくてさ、お金の話だからさ、そういうの、全部自分に跳ね返って来るぞ」だとか、「自分輸入業始めた時に嘘つかれたらどう思う?」だとかだ。

ロジハラかましてきやがった2人に対して、俺はやはり泣くしかなかった。

おじさんは、「まあ、本当、お金だけね。お金の話だから、払うところだけ払ってもらって。そしたら、全部忘れるからさ」と言って、話は決着した。

普通にその後、集会に行くことはなかったし、職場の同僚は会うたびに「金払った?」と聞いて来てうざかったので、1年間俺はそいつとまともに会話をせず、工場を辞めてしまった。

金はないので払わなかった。仕方ないね

当時こそ、「俺が悪い」という気持ちだったのだが、今回の統一教会の話とかを見ていて、「ああ、俺って騙されかけてたんだな」とようやく感情の整理をすることができた。

冷静に考えると、同僚はその団体と元からグルだったのだと思う。

ガリ眼鏡も、同僚も初めから俺をハメるつもりだったのだ。「団体に疑問を投げかけるサクラ」そのものだったのだ。

俺は、運よくカルト、ないしはマルチだろうか。深みにハマる前に、先方がボロを出してきたので入らずに済んだ。

でも、アレはいかん。本当に騙される。人格教養関係なく、人と人が正しくコミュニケーションをしよう、と考える限り、絶対にハマる。

俺の経験がもし教訓になるとしたら、カルトにハマらない方法とは、

金を持たないこと、他人の話を聞かないこと、他人の話に真剣に答えないこと。相手に気を遣ったり、本当のことを言わない事だ。

みんなも気を付けて欲しい。

2022-07-18

UNIX 哲学」についていくつか

名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita

この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である

参考文献

初期の UNIX歴史について興味がある向きには次の書籍お薦めする。

Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)

和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。

また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。

哲学

記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。

https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date

ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。

もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。

この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDFOCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX論文なのだ。もちろん論文性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイ哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白いUNIX開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然時代だったことは間違いない。

UNIX認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイ論文に影響を受けた布教のためのああい説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本最初期の UNIX 解説本のひとつである村井純井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。

オペレーティングシステムは,コンピュータを使うものにとっての環境形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIXオペレーティングシステムとしての個性ではないだろうか。

 

    プロフェッショナル UNIX村井純井上尚司・砂原秀樹,1986,アスキー)p 3.

「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能コマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである

そしてじつは UNIX場合布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。

UNIX の利用環境

UNIXPDP というミニコンピュータミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校コンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器コンピュータではなくコンピュータ接続するための端末装置ターミナル)だ。端末装置キーボードで打った文字コンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 UnixOSCLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置エミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。

さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっとコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥CPU でそっちの洗濯機ハードディスク,あの机に置かれているタイプライタ管理コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代お話だ。

端末装置それぞれからUSB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。

結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。

自由不安定OS

当時の UNIX評価一言で表すと〝自由不安定OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由さらに他のメインフレームミニコンOS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロOS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番ディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。

こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイ1986年11月から1988年10月掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器1980年ごろから UNIX サイトスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。

CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU実質的に停めてしまうことが UNIXはいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンド10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに viカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているとき勝手をやられると非常に困るのである当人仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。

ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイル自由に作ることができる。したがって,自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソールタイプライターにエラーメッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソールタイプライターが一晩中エラーメッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図完璧に打ち砕かれてしまうのである

 

    root から / へのメッセージ高野豊,1991,アスキー)pp16-17.

そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンド10個くらい同時に走らせ」たり「自分プロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイト利用者全員に UNIX設計基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX伝道がより苛烈だった理由ひとつがここにあるのだ。

ミニコン UNIX終焉

ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代UNIX は Research UNIXCSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIXライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。

もっともそういう70年代風味の牧歌的風景ミニコン世界限定の話であった。BSDのものミニコンのものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSDUnixAT&T推し進める System V などがワークステーション市場舞台80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PCUnix であるマイクロソフトXENIX も当然参戦した。ミニコン世界牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争あくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&TBSDUnixSun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。

こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unixのもの文化にも変化をもたらした。まず激しい競争Unix の高機能化を加速した。商品として判りやす惹句が「あれもできます,これもできますなのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者自由制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix現在UnixOS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unixシステム管理入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空ソフトウェアハウス(開発会社)を舞台新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。

UNIX 哲学背骨

当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイ論文結論部分に書かれたそれは,1973年出版されたイギリス経済学者エルンストシューマッハー著作題名で,中学生英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。

Small is beautiful.

マキルロイは『人月神話』を引いて一定留保をつけてはいものの,これが UNIX 哲学背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•csアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?

ひるがえって現在UnixOS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX仮想敵とした OSのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。

いやマジでGNU派に鞍替えしようかなソーシャルリベラルは信用ならん

もう党派性以外の言葉が見当たらい

ソーシャルリベラル派は宗教で上手く自民党揶揄している体でやってるみたいだけど、実際のところはソーシャルリベラル政党カルトセクトマルチなどと関わってしまっているのを隠そうとして自民党自民党がとやってるだけ

はてなで信用していた人たちすら本当にそんな感じだからソーシャルリベラル自体距離を置こなきゃいけないと思い始めてる

このタイミングであのGNU増田自身リベラル根拠投稿した意味が段々とわかってきた

2022-07-17

子安武人さんがイケメンキャラやらなくなって寂しい。あんなにしっくりくるイケボなのに。

最近狂人キャラ変なおじさんばっかり。

石田彰緑川光は未だにミステリアスとかイケメン採用されてるのに...

マルチ対応できる素晴らしい声優さんなのだけど、子安と言えばイケボ代表の親鳥と思って後ろをよちよちついて歩いて育って来た身としてはなんだかやるせねぇ...

毒親問題

観測範囲だと毒親体験談にはかなりの頻度でカルトマルチが出てくる。

拝むのを強制されて拒むと殴られるとか

カルトは鞭で叩くとか

変な水を飲むように言われてからかわれるとか

風呂に入れなくて学校忌避されるとか

生活用品すら買う金がなく貧乏とか

不特定多数大人の中で性被害に会うとか

助けようにも親がヤバくて他人が近寄れないとか

「あの家の子とは遊んではいけません」と言われるとか

成人して離れてからも変なお札送り付けてくるとか

総じてカルトマルチにのめり込むのは母親が多く、父親は愛想をつかして離婚していたり家に近寄らず空気だったりする。またそういう母親自分否定的もの攻撃するので反発する子供に敵意が向く。逆に順応してしまうとカルト二世になり、困り事ではなくなるため彼らは透明化している。

この辺りから毒親問題を語れないだろうか。

2022-07-16

今にして思うと

子供の頃に家にあったステンレス鍋セット一式はアムウェイから買ったものだったのでは?とか、親が飲んでた壺型容器の高麗人参エキス統一教会から買ったものだったのでは?と思い背筋がゾクッとする。

自分が知る限り何か被害に遭ったわけでもないが、一歩間違えたらうちも山上徹也の家みたいになってたかもしれない。マルチカルトは思ったより近くにいる。

2022-07-15

anond:20220715155315

問題宗教かどうかじゃなくてカルトかどうか、なんだよな。

マルチカルト

anond:20220715130333

そだねー。だからと言って放置というか、知らんぷりしてたらマルチカルトも増え続けるからなぁ。クソはクソ。ちゃんとうんちだってことを言い続けないといけない。

anond:20220714183234

うちは実践倫理宏正会じゃなくて倫理研究所現在は家庭倫理の会)なんだけど、教義もう一個ない?(追記:私自身は三世で一番ハマってたのは祖母家族全員興味ねえけどゆるく付き合ってやるかぁ…みたいな感じ)

子育てで悩んだら全部自分のせい。もし昔自分がグレてたら同じ年頃になった子供も荒れる。病気として現れる場合もある」。

引き寄せの法則の反転バージョンみたいなやつ。万人幸福の栞にも書いてあった気がする、全部忘れたけど…。

新世倫理研究所機関紙というか雑誌PHP研究所パクリみたいな本。実家には毎月紙袋に山ほどあった。これ全部一括で購入してタダで配ってたのかな?あんま集金とかしてたイメージないんだけど…。考えたくもない。日めくりカレンダーもあった)読んでたら絶対この話出てくる。手をついて泣きながら謝罪したら全部治りました!みたいなオチ定番

「血のつながっていない養子でもこの法則は発動する」とか「遠方でも発動する」とか謎の研究報告も覚えがある。(心理学の「研究所」って建前なので。てか純粋倫理実践倫理って違うの?)

たま〜にガス抜きみたく「父親」サイドの話もあったけど、まぁ大体は母親のせいだよねこの国では。

私も卵巣嚢腫を「倫理では母親に逆らうから子宮に異常が出来るのです」って言われたよ。丸山先生(笑)が聞いたらどう思うんだろうねー、この発言。もう興味ねえけど。

容疑者母親、どんな気持ちだったろう。朝の集い(宏正会では朝起き会って呼ぶの?)では他の会員が朗らかな顔で実践報告するのに、自分の息子だけどんどん小児癌悪化していく訳でしょ。何を報告すればいいのよ。生き地獄だと思うよ…。

倫理人達は優しいから、会員間ではそんな厳しいことは言わないと思う。でも家族間ではそうはいかない。父親自殺も、あなたもきちんと倫理勉強をしてよ!私には原因が思い当たらない!あなたのせいでしょ!何をしたら癌になんかなるの!ってわめく妻に疲れたのかもしれない。(ちなみに「家族倫理勉強強要する」のもやってはいけないとされるパターンひとつ

倫理は確かにお金はあまりからいかもしれない。私は子供だったか選挙活動についても詳しくは知らない。でもみんな早起きハイになってるし(もちろん帰宅後寝直してます)、キラキラで疲れるのよ。そんなときに、お金さえ払えば助けてくれるって統一教会が近づいてきたら?

そういや私はミキプルーンの味を知っている。たまにうちにあったんだよね。他にも変な健康食品みたいなのたくさんあった。多分だけど、ノルマを捌ききれなくなった会員から買ってあげてたんじゃないかと思う。倫理自体は「宗教ではない」が口癖だけど、そのぶん掛け持ちも自由なので、シンナーから覚醒剤に移行していくように、カルト入り口になってる部分があるんじゃないかと思う。オフラインでやるオンラインサロンみたいな。(レトロニム)

つの間にか家庭倫理の会に名前変わってるのも気持ち悪いし(なんなら朝の集いも今は「おはよう倫理塾」って言うみたい?おはようどころじゃねーだろ。5時だぞ)、知床遊覧船社長倫理にハマってたみたいだし(これは倫理法人会?)、この際全部調べてほしいです。→なんか下部組織みたいな感じなんだよね。でも祖母倫理研究所時代から持ってたネームプレートとか名刺全部新しく家庭〜に変わってましたけど。これって買い直させられたのかなー笑

追記)合わせて読みたい

法人会の方(職場教養)はこちらに詳しい模様。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/coldcup.hatenablog.com/entry/20140523/p1

大人になって色々調べて、「気持ち悪い」「怪しい」「胡散臭い」みたいな意見を聞けてちょっと嬉しいっていうのが本当のところ。みんなキラキラで頑張ってて、ついていけない自分クズだってずっと思ってたから。今でもちょっと思ってる。

こういうのってたまに自己啓発本とかで読みかじって、いい所だけ取り入れるのはいいのかもしれないけど、朝5時から叩き込まれる、「ご起立ください!私たち!なんちゃらかんちゃら〜働きます!(内容忘れた)」って唱和させられるのは、「怪しい」センサーを濁らせてしまうので、あんまり良くないんじゃないかなと思う(自分は逆に過敏になってしまって、オンラインサロンとかこんまりとか全部大嫌いだけど。なんなら「実践」という言葉すらうっすら嫌いだけど)。てか明るくなる前から掃除するって普通に不審者でしょって意見を見かけて笑ってしまったw確かに!程々にね。

少なくとも、「倫理を通じて近づいてくる他のカルトマルチに気をつけろ」くらいの注意喚起もっと厳しくあっていいんじゃないかと思います入口って言い出したら大学だってそうなり得るわけだけど、でもきちんと注意喚起はやってきたわけだから。私が知ってるのは昔の話なので、現役の方で今は違うよって方がいたら訂正してほしいです。

2022-07-14

30代後半。

思えばオウム真っ最中報道が連日あって

サリン事件強制捜査映像はもちろん

ボカシ入った画面で白い服着た人たちがくねくね踊ってる映像が何度も流され

麻原彰晃の切った爪や風呂の残り湯が売れる」という話があり

家族会の涙の訴えも報道され

坂本弁護士一家写真ワイドショー毎日出てきて

「しょーこー♪しょーこー♪」が小学生の間で大流行して

そんで学校先生にめちゃくちゃ叱られて

定説とか最高ですかーとか白装束とか出てきて

オウムの仲間かクソやべぇ」と面白がりつつドン引き

とにかくオウムくねくねが印象的で

新興宗教怖いな」と思っていた。

オウム事件もあまり報道されなくなったし

ここらでもう一度あの辺の熱狂的なカルト宗教報道を再燃させてほしい。

ついでにマルチとか老人が詰めかけている健康食品屋も報道してほしい。

めちゃくちゃ気持ち悪い。

2022-07-13

id:baikoku_senseiだけど安倍晋三が殺されたのは自分で蒔いた種

安倍晋三が殺されたのは因果応報」でもセックスだけど、それだと悪いことしたから殺されたみたいに聞こえて語弊があるんだよね。悪い事したから殺されたわけだけど。

安倍晋三が殺されたのはブーメラン」ってのも皮肉が聞いてるけど、「いやブーメランじゃなくて銃だろ」ってなっちゃうし

でもこれだとid:baikoku_senseiが撒いた種のせいで安倍晋三が殺された感あるな。やどりぎのタネかな?



んで、今回アベちゃんが殺された直接の原因は何?ったら統一教会広告塔になったことなんよね。で、宗教被害者に恨まれた。

他の奴もやってたじゃん、ってスピード違反で捕まったみたいな擁護もされてるけど。

じゃあ、なんでアベちゃんとか他の奴らもが統一教会とツルんでたかってーと、それでお金とか人が付いてくるからで。

いや、その金って信者騙してぼったくった金じゃん。教えはどうなってんだ教えは!なんて思っちゃうけど、

でもさー、そういうキレイごとじゃ儲からないし、不幸になるヤツは自己責任だろってことで

カルトマルチもヘンな学校法人もウェルカムして、清濁併せ飲むっつーかこれほぼ濁濁じゃんって感じで

でもそれで選挙も勝って、みんな許容してたわけじゃないっすか





やってることは許せないけど他に選択肢がないか消極的支持みたいなのもだけど

結局は不法行為を許容してんだよね。その方が自分にとって都合がいいからって

でも、そうやってトクする人がいる分、ソンする被害者はい

そういうのを見ないふりしてるうちに、アベちゃんはそのツケを払わされることになったわけで。

ある意味象徴的なんだよね。そっちの人からしたら「逆恨み」なんだろうけど。

あと、公文書改竄とか、これは維新だけど偽造リコールとか、完全にAUTO違法行為にも

まぁしょうがないよね、みたいな擁護結構あったりして

そうやって制度破壊されたら自分も含めて皆に影響があるんだけども、それより自分たちの利益の方を優先する感じ。

一方で、困った人を助けたいなら自分の金使ってやれとか、福祉とかルールを軽視するところがあったり、

新自由主義的の悪いトコロが目に付く。

表現の自由界隈でも、山田太郎表現の自由のために何故か平井への支持呼びかけて

平井は嫌いだけど表現の自由のためならしょうがいか~みたいな事あったじゃん。

こういう、大義名分があるから多少の無茶は許容されるみたいなトコが個人的に信用ならんのよな。

現実主義とか合理主義とか言って、実際は現実から目をそらしてたり非合理的だったりするし。

妙に自己肯定感高そうなのは羨ましいけども

ストリーマーRUSTを見ていて、メタバースあんがい良いかもと思った

ストリーマーRUSTがしらないやつは適当youtubeググってくれ

ゲーム実況者がRUSTというゲームで遊んでる動画

つの世界で、戦争ごっこするもよし、ギャンブルするもよし、建築がんばるもよし

各々が好きなことをやって交流ができる


結論を先に書くと、メタバースメリットは別作業へのシームレス感だと思っている

例えばだけど、連絡を取るという作業コストも、実際目の前にキャラがいてその人に話しかければOKなので心理的ハードルが低い

かつて手紙電話からEメールになった時、そしていまLINEチャットアプリが全盛だがそれらがもたらした心理的ハードル

メタバースさらに下がるなっておもった


余談でストリートファイター6がオープンワールドマップ存在すると話題になったが、あれもメタバースシームレスが期待できると思うとおもう

けど、あればそもそもストリートファイターに興味がある人のためのメタバースだろうけど

ストリートファイターに興味がない人向けのマルチ向けメタバースシームレスにSF6が起動できるような時代になったら

格ゲー興味ないけどすぐできるっていうならやってもいいよみたいな人を取り込めそうではある

ちょうど、ゲームダウンロードインストールするほどじゃないけどブラウザでできるならやってもいいかなという潜在需要はあると思うんだけど

フラッシュゲーのメリットってそういうところだったよなって思うし、それがメタバースで復活できるんじゃないかって思ってる


これも余談だけど、格ゲー衰退の理由って

割り込まれ一方的ボコられて終わるっていう悲しい思い出とかだと思うんだけど

これもメタバース的に処理して、にげることをエンタメにすればいいと思う

待ちの中をプレイヤーが歩いてて、対戦申し込みされて、拒否するみたいな

それをはい、いいえで処理する味気ないものじゃなく、マップ内を逃げ回るゲームデザインに落とし込めば面白いんじゃないかなって思う

バトロワ流行った理由も逃げられるからだと思うんだよね


余談のほうがだいぶ長いな

メタバースシームレスの話しようとしたら格ゲーの話になった

anond:20220713112629

カソリック免罪符売って贅沢な教会

ダヴィンチ天井画とか)作るのに反対したのが

プロテスタントなのになあ。



マルチルターあの世で泣いてるわ

2022-07-12

anond:20220712073314

マルチ商法とかとの関係話題になったけど

新興宗教だのマルチだのに政府与党お墨付きを与えてるような形になるから

特に安倍さん統一関係は、勝手広告塔に利用されたなどという言い分が通らないぐらい、繰り返し登場してたわけでして

マルチ宗教モドキが家族病気に付け込むのは常套手段

容疑者母親がのめり込んでいった理由って息子に発達障害精神疾患などがあって

お布施すると良くなりますよ的な方面もあったんじゃねーかな

2022-07-11

anond:20220711092053

DVDも出たての頃はマルチアングルが強みとかいって

いろんな角度から撮影したコンテンツがあったけど流行らなかったの思い出した。

kindleハイライト共有みたいにできるといいんだろうけどネタバレ回避が難しそう。

2022-07-05

人生は配られたカード勝負するしかない

20年以上も生きていれば自分が持つ能力立ち位置がなんとなく見えてくる。

人の前では精一杯虚勢を張っているが、二流、三流の人材なんだろうなあと内心思っている。優しいのか、周りの人から直接言われることは無いが。

私は鈍感で、物覚えとか要領が悪く、いわゆる「トロい」人間である。何かを学んだりするのは好きだが苦手だ。センスが悪いので、地道に一つのことを頑張り続けて、ようやく要領が良い人が片手間にやるぐらいのレベルに到達するような感覚だ。

気が弱いので(自信がないのだろう)はっきり自分意見が言えず、気づけば面倒なことを押し込まれていることもしばしば。

テレビインターネットでは気の利いたことが言える人、スポーツが上手な人、頭の良い人、容姿に優れた人、絵が上手い人、商売上手な人、まだまだ色々あるが、とにかく才能に溢れた人が可視化され、クローズアップされ、社会的地位を構築し、金を稼いでいる様子が目に入ってくる。マルチな才能を持つ人も少なくない。

凄いな、よくやるな、自分には無理だな、といつも思う。勿論、自分のような凡人には見えていない世界での苦しみがあるはずだが、才能を持たない人間、開花させられなかった人間からすると羨ましく思うと同時に、自分馬鹿らしくなってしまう。

そこで思う。

自分だって教育熱心で理解のある裕福な家庭の元に生まれていれば、今頃は周囲から一目置かれるような人間になっていたかもしれない。

何か一つでも、飛び抜けた才能を生まれた時から持っていれば、それを使って人生を切り拓けたかもしれない。

そんな幻想を抱いてしまう。

人生は配られたカード勝負するしかない。そんなことは言われなくても分かっている。

トランプ大富豪のように、誰かが革命を起こしてくれてゴミ屑だった自分の手札が急に光り輝くようなことは人生でほぼ起こらない。最初カードが悪ければ、どんなに頭を捻って考えたとしても、結局は周りがカードを出し合っているのを指を咥えて見ているか他人ミス自分ラッキーなどの不確定要素に一縷の望みを繋ぐしかない。

人生というゲームは待ってくれず、間違えたとしても巻き戻してはくれない。何もできずにカードを手元でシャッフルしているだけで、ゲーム勝手に進行していく。

いっそ、このゲームから降りてみようか。そう思うことだってある。競争することだけが人生じゃないはずだ。

そう思うものの、ゲームから降りた後の行き先がわからない。まず、降りる勇気がない。

仕方がないので、自分なりに足りない頭で考え、一応ゲームに参加しているような感じにはなって、微妙な結果で終わる。そんなことを繰り返してきている。

自分は今まで最善を尽くせていただろうか?即答できる。答えはNOだ。後から振り返ってみると、少なくとも、もっと上手くやることができたはずのように思える。最善手を選び続けようと日々生きていたはずなのに、こうなってしまったのはなぜなのか?

自分自身の判断ミスがあったことは明白だが、それでも、今の現状を形作った原因を外部に求めたくなる。だから最初自分に配られたカードが悪かった、と言い訳したいし、最初から良いカードが揃っていた他人をみると嫉妬してしまう。

才能と発信力のある若者が、恵まれていない環境で育った、とインターネット発言して炎上するのをしばしば見かける。特に実は親が世間的に見るとちょっと裕福だった、なんてことがわかった時の叩かれっぷりは恐ろしい。私は炎上には加担しないが、つい叩きたくなってしまう心情はわからなくもない。ついつい、自分よりも恵まれてたじゃん、いいカード持っていたじゃん、なんて言いそうになる。他人自分の生育環境を比べてもなんの意味もないんだけど。

もはや、恵まれない環境からの鮮やかな成功劇、という単純なストーリーは成立しづらい時代だと思う。

自分自身を振り返ってみても特段良い環境で育ったわけではなく、むしろ周りを見る限り平均より下だったような印象だったが、それでも下には下がいるだろうし、今までの人生が恵まれていなかったなどと本名晒し公言する勇気はない。

話が脱線してしまった。私は配られた中途半端な手札でゲームに惰性で参加するトロ人間だ。ゲームの勝ち筋は見えない。面白みのないゲームはこの先も続いていく。私は誰かに、「あなたは、最初に配られた手札の割にはよく頑張っているほうだよ」と言ってもらえれば、それだけで救われるのかもしれない。

2022-07-03

anond:20220703195209

そもそも最初成人年齢引き下げで判断力の乏しい18、19歳がAVの魔の手に掛かるって話だったのにもう誰もそんな話してないやん。

判断力が乏しいなら成人年齢引き下げを止めるべきだし、成人扱いでどんなときでも契約無効パンチが使えなくなるのはマルチ業界とかの悪徳商法に掛かった場合だって同じ。

しろ大学生マルチ系の方が狙われているってずっと言われてるのにそれを無視して何でAVだけ?

あとAVで18歳が出演とかいうの、昔はあったのかも知れんが最近あるか?むしろAV女優の設定年齢なんて誰も真に受けてないぞ?

anond:20220702182506

下手から始まってできることが増えていくのがいいんじゃん

脳内自分だけのクエストリスト作るんだよ

「序盤で死ななかった」

マルチで助けて感謝してもらえた」

「チーム内で最下位にならなかった」

みたいなさ。

誰も最初から上級者じゃないんだから

ほどほどに開き直りなよ

自分練習してちょっとずつうまくなった時にはじめたばっかりの頑張ってる人にそこまで悪感情ないでしょ

逆の立場ならスルーできることを、自分主人公になると途端に大罪にしたがるのは

認知の歪みだよ~

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