はてなキーワード: ブログ主とは
そういうブログがニュースアプリで入ってきて読んだのを思い出した
ブログ主は児童相談所に拉致されてから取り返すまでについて延々とブログをつけていた。
こういうのって一部の記事しか見ていなかったり、丁寧に文章を読むことができなかったりすると児童相談所が悪いとしか思えないんだろうな。
拉致された経緯を説明するところを読んだら、旦那の単身赴任中で、ブログ主も短期で単身赴任していたときに小学生の子供たちが拉致される事件が起きたと書かれていて、自分と感覚が違う親御さんだなーと思った。
ブログ主が繰り返し子供に暴力をふるっていたことが通報され、それが保護した理由だったらしいけれど、ブログを読んだ限りだと、ブログ主が濡れ衣を着せられているのか、暴力を自覚していないのかわからなかった。
子どもの乱暴な言動を注意しながら、自らは乱暴な言動をする親っていて、自らの動作は無意識でやってるから指摘されても「やってません」になる。
プロチチという漫画で虐待をする親は何が虐待なのかわかっていないと言っていたけれど、まさにそうだと思った。
虐待の知識を持って、自分の行動が虐待にならないか注意していないと、無意識的に虐待をしてしまうからね。
親になってから学んだ知識で言えば、「はじめてのおつかい」という番組は虐待をテレビ放映している番組なのだが、なぜか感動モノ扱いなんだよなぁ。
http://con2469.hatenablog.com/entry/2019/01/30/000454
そもそも、「振られた相手から短歌を158首送られた女性」の心情は一般論的に「気持ち悪い」ではないかと思うが、まずSkype通話をする程度の距離感ならそこそこ仲はよいと考えられる。また、短歌を送るのが不自然ではない程度にはお互いに短歌(ないし文学全般)が共通の趣味であろうということも推察される。
ここからわかることは、「短歌を送られること」や「短歌に感想を言う」ということは、女性からすると大した意味を持たないということだ。しかも、よくよく読んでほしいが、
くだらない冗句で笑い合っているきみがいなけりゃ笑わないのに
K わたしはよくひとりで思い出し笑いしてる。
これ、まったくコミュニケーションが成り立ってないんですよ。「あなたを思って書いた短歌」に対して「私はこうだ」としか書いてない。ここに感情のコミュニケーションは成立していない。このことから、「思いに答える」ことを女性はする気がない。むしろ、それを意図的に避けている。そもそも女性はブログ主の告白を断ってる。断ったことにそれほど間をおかずに恋文めいた短歌を送られても気持ちは変わらないだろう。ここでの女性の心情は雑談以上のものはない。したがって、このやりとりからなんら恋愛的な意味を読み取ることはできない。
一方、女性は男性をキープしているのではという解釈があるが、ここで女性が男性を「キープしない」状態とはどのようなものだろうか。まともに返事をしないということか。しかし、二人は最低限友だちという関係ではあるようだ。その上、感想や短歌のやりとり自体に「意味はない」。女性としては「振った」相手は同時に友だちでもあるので、おそらくキープしてる感覚もないのではないか…ただ、この女性の心情はやりとりから読み取れないので断言はできない。同様に、「女性に恋人がいる可能性」も読み解けないので一旦無視する。
結局、わかるのは「これらがただの雑談である」という事実だけなのだ。それをどう解釈するかは読み手次第だが、ひとつ言えるのは、ブログ主も脈は現状ほとんどないことを理解しているだろうということ。おそらくこの記事は女性に公開許可をとってるだろうし(取ってないならおそらく脈がなくなる方向に舵がきられた)、女性も公開して問題ない程度の価値しか持ってない。脈がないからこそのブログ記事であることを理解すべきだろう。
匿名ダイアリー初心者なので、不備があったらごめんなさいと初めに言っておきます。
私は小さな頃からお絵描きが大好きだった。筋金入りのオタクであり、家庭もオタクとして受け入れてくれたので、好き放題お絵描きしていた。私は発達障害なんだけど、星のカービィが大好きで、ずっとカービィやカービィに出てくるアドレーヌやリボンちゃんやチュチュを描いてた。後に知ったが発達障害あるあるとのことでビックリした。
幼稚園、小学校低学年あたり。私は誰かと遊ぶよりお絵描きを選んでいた。同じようにお絵描きを一緒にするクラスメイトがいたので、その子達と教室でひっそり、時には熱の篭った語り合いをしたりと、オタクながらそういう楽しみがあった。まぁオタクだとバカにされいじめられてたけど、それでも漫画が大好きで、お絵描きが好きだった。それだけで生きてた。ゲームして、お絵描きして、本読んで、漫画読んで、おやつ食って、寝てた。我ながら、マイペース過ぎると思うが、幼い頃の私にとってそれが当たり前だった。
お絵描きをしていて、20数年間、一度も褒められたことはない。これは誇張でも何でもなく、本当に誰からも褒められたこと、上手だね、と言われたことが、これっぽっちもない。親からも「あんたは絵の才能ないよ」と言われるほど、絵の才能というものは無かった。
褒められないのに描き続けるって、すごいと思う。幼い頃の私は自我が余り芽生えていなかったせいか、他人の賞賛に気を取られることがそこまで無かった。ていうか、褒められたことがなかったので、そういうもんだと思ってた。その頃の私は、とにかく、絵を描くことが大好きだった。お話を考えるのが好きだったので、将来は漫画家になるんだと勝手に決めていた。
私の同じクラスに、とても絵が上手い子がいた。
イラストがオタク的なことを踏まえても、クラス中から「上手いね」とワラワラ集まってくるほど、上手だった。その子と私はそんなに仲良くなかったけど、親同士が仲がよかったため自然と距離が縮まっていった。そうなると、自然な流れでお絵描き仲間になる。
私はその子が好きだった。イラストも上手だし、性格も大人びていて、何事もスマートに済ませるタイプだった。ドン臭くてオタクでいじめられがちな私とは全く違う子だった。
大好きだった。けれど、ドン臭い私だけど、直接面と向かって比較されるのは、流石に堪えるものがあった。
悔しくて夜は泣いてた。私は私の絵が好きだったから。絵を描くのが好きだったから。好きでやってんのに、勝手にその世界に踏み込んできて「あなたの絵はあの子に比べてあんまり上手くないね」と値踏みしてくる。その無神経さに、私はだんだんとコンプレックスというものを覚えるようになった。
傷付くだけでは癪なので、バカの一つ覚えみたいに描いていたスタイルを変えた。絵柄を研究したのだ。当時大流行りだったありなっちには絶大な影響を受けたし、他にも「こういう目の描き方はどうだろう」とか「もっと手や足のバランスを考えなくちゃ」とか、おバカなりにも頑張ったのだ。もがいたのだ。私の世界を踏みにじられないように。
私の努力は余り実らなかった。まず第一声が「絵柄が変わりすぎて、変だ」と言われたこと。その時は、その言葉が重すぎて、自分の絵柄ってなんだろう、ていうか褒めたことひとつもないくせに絵柄がどうとか今更なんなんだ、と思った。
一番心に残っていることは、まだ幼稚園とか保育園あがりの下級生に言われたこと。
その子供たちは件の絵の上手い子のイラストを見て「この人!すごい!じょうず!きれい!」とはしゃいでいた。その次に、私の絵を見て「この人の絵は好きじゃない」と、ハッキリと、何の悪意もなく、見ず知らずの私の絵に向かって、そう言ったのだ。私はそれをドアの向こうで聞いてしまったのだ。
あ、私、絵が下手なんだ。
ハッキリと理解出来たのは、多分、その時が初めてだったと思う。
同時に、やんわりとだけど「絵が下手ということは、他人に不快感を与える」ということが心にずっしりとのしかかってきた。
その子に対するコンプレックスは、結局消えることがなかった。拗らせまくった私はその子のイラストをパクっちゃうようになった。上記のバックボーンを読み解けばお分かり頂けるだろうと信じる。ただ教師からすれば、私は他人の絵やアイディアを盗む問題児だった。何度も注意された。他のクラスメイトたちの前で注意されたので、ビックリするくらいの速さで「記事主(私です)は絵が下手だからパクってる最低のやつだ」と情報が出回った。つまり、子供ながらに、こいつはコンプレックスに溺れてる奴なんだ、ということが知れ渡ってしまったのだ。その通りなんだから、私は何も言わなかった。口数は減り、絵を描くことへのコンプレックスや、その子に対するコンプレックスはどんどん膨らんでいった。
話はトンと変わる。
私はそんな小学校生活が嫌すぎて、私立中学へ進学した。心機一転し、お絵描き仲間もいたので、アホみたいにずっとオタク話をしつつ絵を描いて手紙交換してた。相変わらず褒められることは特になかったけど、絵を描く楽しさは少し取り戻せた。
進路を決めるとき、なぜだか分からないけど、当たり前のように美大進学をする流れになった。オタクだし、いつも落書きしてるし、じゃあ美大でしょ?みたいなノリでみんな美大進学を決めていた。
私は、その"ノリ"に、ある種の嫌悪感を覚えた。
だって、誰からも褒められたことの無い人が、なんでその手の専門分野にノコノコと踏み込めるの?コンプレックスが心の底で燻っていたんだと思う。私は絵が下手だ。好きだけど、下手なんだ。いくら勉強しても、努力しても、ダメなもんは、ダメなんだ……。
「いつも絵かいてるなら任せてもいいよね?」と勝手に頼まれた文化祭の表紙絵。部活のチラシ。頑張って描いた。オタクっぽさを抑えたつもりで、なおかつ、見栄えするように色んなイラスト雑誌を参考にして、描いた。「オタクっぽくないやつってお願いしたんですけどね」「え?マジでこれ、人前に出すの?」どれもこれも、散々言われて、却下された。ねぇそれ、寝ないで描いたんだけど。下手なのは分かってる。でも、そんな一蹴されてもね、私は、どうしたらいいんだろうね。そんな言葉を言うくらいなら頼まないでよ。好きで下手なんじゃないんだよ。好きで描いてんの。何時間も構図考えて装飾も書き込んで細いペンでガリガリ描いたの。わかんないよね、だってあなた達はジャッジする側の人だから。絵が下手だと、気持ち悪いと、判断を下すのは、至って簡単なことなんだ。
学生なんだから仕方ないよ、と、思った方もいるでしょう。子供だし言葉選びが出来ない面もあったと思うし、私自身好かれてるわけじゃなかったのかもしれない。
3年ほど前だろうか、私はあるジャンルにおいてとても活発に活動していた。
学生の頃の対人関係は断ち切って、趣味に打ち込んでいた。その一環で、少しだけだがイラストを描いていた。ほんの少しだし、やっぱり評価はなかった。でもそのジャンルで、初めて、褒められることがあった。初めてだった。そのおかげで私は一次創作が大好きになったし、今でも感謝している。だからイラストよりも他のことで満たされていた。とても幸せな日々だった。充実していたし、ここにいていいんだ、と思えた。
そのジャンルで、とても過激な人がいた。ビックリするほど過激だった。言いたい放題言いまくり、形容し難いがともかく人格に異常があるんじゃないか?ということが多々あり、私は彼女と険悪であった。というか私が一方的に嫌っていた。その人は要するに絵描きで他のジャンルでも活躍している方だった。
私がその方を嫌っているということが知れ渡った途端、数人が「ブログ主は、絵が描けないからね」「絵が描けないからって、嫉妬丸出しで恥ずかしい」と言っている、ということを、人づてに耳にした。その悪口を言っている人達は、普段、私と懇意にしている人達だった。
サーっと血の気が引いて、ガラガラと積み重なっていたものが崩れていった。どうやって辿り着いたか分からないが、病院に行き、過呼吸を起こし泣き崩れた。あまり覚えてないが、安定剤を投与され、しばらく横になっていたのはうっすら覚えている。
まだ言われるんだ。
いつまでも、イラストが下手だって、描けない人間なんだって、カテゴライズされるんだ。
気持ち悪いとか不快とか怒ったとか、そういうのは、あまりなかった。
カテゴライズされることは、子供だからとかそういうわけじゃなくて、大人になっても、こびりついてくるものなんだ。イラストを描ける、描けない。上手い、下手。こんなことで、人間を仕分けるんだ。ニコニコ笑って遊んでても、心のどこかで「こいつは絵が下手だから」こうやって思ってんだ。
ぶん殴られた気分だった。ゴルフクラブでフルスイングされたくらい、衝撃だった。結論から言うと、絵が描けなくなった。絵だけじゃない。創作物全般が、だめになった。絵描きさんが、怖くなった。
たまに見かける、絵師は絵師だけでしか交流しないという愚痴。私は愚痴すら出てこない。そういうもんだろ?ってもう決めつけてるから。技術を持った者同士が仲良くなるのは当然のことだし。ただ上記のことで分かったのは絵師同士でも裏側ではバチバチ険悪な場合があるってこと。あと、私の子供の頃みたいにコンプとリスペクトが混ざりあってごちゃごちゃになって結果絵柄やストーリーはてには日常生活までパクっちゃう人もいること。悪意があるにしろないにしろ、そういう人々も、結構いた。
なんで私が突然こんな自分語りを始めたかというと、おそらく5年振りくらいにペンタブに触ったからなんです。結論から言うと、楽しかった。ここ数ヶ月スケッチブックに絵を描いてたんだけど、やはりコンプレックスが強すぎて画像載せても消してしまってた。界隈にはイラスト激ウマ人間ゴロゴロいるし、比較されたくない一心だった。
余りデジタルは触ったことなく、ペンタブもホコリ被ってたけど、手探りでペンタブを弄ってたら、楽しかった。語彙力皆無で申し訳ないんだけど、楽しかったの。お腹も空かなかったくらい、熱中した。もちろん下手くそなので評価とかはない。でも楽しいし自分なりに上手く出来たんじゃな〜い?みたいな自己肯定感が生まれた。
お絵描きへのコンプレックスは消えることないと思う。でも、やっぱり私はお絵描きが好きなんだ。誰からも評価されないけど、私は私の絵が好きだ。下手だなって思うけど、自分なりに上手く描けたなってとき、それは宝物になるよ。ぜったいに。
https://meymao.hatenablog.com/entry/2019/01/06/232031
これが早速はてな民に食いつかれてるなー。
あーあって感じ。
「子の欲目」を差し引いてもまあ正直にやってる会社だという感触はあるね。
ただねー
監理費ってなかなか高いんだよねー。
業界や団体によるけど、自分の感覚や見聞では下は3万円から。5万円ぐらいも珍しくない。
これ月々の分だけだからね。
受け入れ時にはもっといろいろかかるよ。
些少な経費というには高すぎる。
日本人とベトナム人を同時に雇うとこで、同じ給料を払って、かつ監理費を負担するってなると
3年パックで計算してざっくり2人分の人件費で日本人3人雇える計算になるかな。
このインパクトは勤め人でもちゃんと経営計画か財務触ってる人ならわかるよね。
(けど経営者を忌み嫌ううえに経理財務税務一切に弱い職人風プログラマーが多いはてなでどこまで理解されるか。)
つまりさー
3・篤志で埋め合わせてる(それでも監理費とかある程度負担してもらう…)
のどれかみたいになんのね。
それでこれよ。法令違反。
どう?
(ちなみに世間は1かつ最低時給キワキワみたいなのが多いねー。
工場労働ならまだしも体のきつい建築関係で最低時給はもうアカン時期にきてるよねー。)
初期費用でも50万円100万円てかかるもん。
送り出し機関を買い叩いて受け入れ企業(を通して実習生)からもかっぱぐ、みたいなこと出来ちゃうでしょ。
団体も色々だけどね。)
税理士が気にするのは税法に沿ってるかだけなので監理費のことなんか関知しない可能性ある。
(まあ給与計算まで見てもらってるかによる。給与計算を見ながら監理費が気になって調べない税理士いたらアホたれだとは思うが。)
なんかの聞き間違いで法令が守られてることを祈る。
ってことは理解してあげてほしいわ。
いまさら?
と思いましたが、それを非難する人がたくさんいること、それを皆がツイッターで堂々と発信しているのをみて
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.u-psychiatrist.net/entry/2018/12/14/170248
これなー。本当「は? 今更何言ってんの? まさか誰もこんなだって知らなかったの?」って感じ。それで納得してるとかじゃなくて、あまりにそれが当たり前過ぎて驚きが先に来るの。
うちはこうではありませんでしたって病院や大学はないものか…患者として行くのも怖ぇ
http://b.hatena.ne.jp/entry/4662310632720112417/comment/kappateki
ないんじゃね? 日本の医療って質高いし、標準化されてるから。一連の入試差別とか、このブログ主の体験談とか、俺が見聞きした話とか、全部だいたい共通した雰囲気を感じるかな。
http://ericca.hatenablog.com/entry/2018/12/14/020000
このブログ主は私ではないのですが昨年に似たような被害にあってしまって結構ショックだったので記録します。。。
バス会社の時代の先輩で、奥さん(もバス会社の先輩)ともお子さんとも仲良くさせてもらってて
同期の女の子も交えて一緒にゴハンに行ったりした時期もあったりして
人としてすごく尊敬していたのです。が…
「鬱は甘えでしょ」「そんなんで鬱になるなら日本中鬱だらけ」「俺の方が何百倍も辛い、でも頑張ってる」
みたいなことを言われ、さらに
「あの頃(バス会社勤務時代)はまだ10代だったのに、もうBBAだな!(先輩は私の9歳上。。)」
「そんなんじゃいずれ捨てられるよ」
と言われ、極めつけに
「今奥さんと○○○○レスなんだ」「太ってる方が抱き心地よさそう(奥さんはスレンダー美人、私はデブス)」
と。
もう本当に本当に無理で。無理すぎて。
きもいとか通り越してもはや無理でした。
連絡を一切断たせてもらいました。
今でも連絡をとっていません。
先輩は私のことを人間ではなく女体として見ていたのが本当に無理なポイントでした。
勇気をもって話した病気のことや人生の説教はまだ、なんとか我慢できたけど
顔も見たくないし声も聞きたくないし
一生関わりたくありません。
パートナーがいるのを知ってて、なおかつ自分にもパートナーがいるのを知られている上で
呆れました。
(私と付き合っていることを知った上で)好き勝手言ったり
私に嫉妬させるような行動を(彼と飲み会に行った報告、彼からのホワイトデーのお返し報告など)わざととったり
連絡もすごくしつこくて、LINEやメールが来る度に過呼吸を起こすほど嫌悪感に襲われました。
その人とも今は連絡断たせてもらってます。
どちらも過去の事なので、今さらなにかどうこうするつもりはないですが
鬱病の一因には変わりないですし一生根に持つ予定です。
パートナーに対して後ろめたい行動をとる/とらせようとする人は無理です。
https://twitter.com/segawashin/status/1041520908295446528
↓
https://www.yomu-kokkai.com/entry/abe-seiji-wo-yurusanai
記事の方、前半は自分の偏見を正当化したいという情念に満ち満ちていて、後半のまともな提言のふりがふりにすらなれていない。せめてタイトルぐらいは後半の文意を反映したものにすべきだったのではないかな、戦略が悪いよ、とアドバイスしておきますね。
ブクマを見ると観客気分の自称中立どもには大好評のようで、おめでとうございます(まあ、そいつらも「サヨクが内ゲバ始めてやがる」と喜んでるだけで、ブログ主に説得されて考えを何かしら改めるなんてことはないだろうけど)。
http://twitter.com/yomu_kokkai/status/1044228319254724609
http://twitter.com/kakitama/status/1044113689945595905
下のツイートから引用してコメントしているけれど、最後の一文が引用されてないせいで反論のトンチンカンっぷりがごまかされてる。
「正しい事実」を示されても「適切な判断」をしない連中にはどうすんだと問われてるのに、適切に判断してくれると「信頼」してなきゃ政治活動する意味がないなんて、保守派や自称中立には鼻で笑われそうな信仰告白。
それにしても、例え「適切な判断」ができるのだとしても、(記事に曰く)三年経ったらすべてのことを忘れているような層に向けて「正しい事実」を示すなんて、どうやるんだろ。何を示しても少ししたら片っ端から忘れてるんだよ?
例の「嫌われていたいい先生」のブログ読んだけど、「いい先生」ってなんなんだろ。
そりゃ、将来的に役に立つことを教えてくれるのがいい先生なのはわかるし、大物を多く排出した先生がいい先生なのもなんとなくわかる。
でも、例のブログ主ってぶっちゃけていうと、一般ネットピーポーじゃん。
例えば、あのブログをZOZOTOWNの社長が書いたなら、ZOZOTOWN社長が影響を受けたという威光を受けて確実にいい先生だなって思うわけよ。
あのブログを読んで思ったのは「きっとブログ主にとっては"都合の"いい先生なんだな」って感想しか湧いてこなかった。
単純にT先生がブログ主の心の中を代弁してくれる「ブログ主にとって都合のいい事を言ってくれる先生」と化しているのが、嘘松さを引き立てている。
あのブログの中に出てきた「ノートをカラフルにすれば点がもらえる」制度ってさ、日本の会社的には重要なわけじゃん。真面目にするフリも。だって、それが良いとされてる文化が根付いてるんだから。
つまりそれってさ、文中に出てきた「カードゲーム大会に出たI君」に対してT先生が言った「そういう経験があれば就職に有利になるかもしれない」と何が違うのって話。
ぶっちゃけ、いい仕事の評価に、実績があったり、媚を売ったり、コネをつくったり、見やすい資料を作ったり、わかりやすい説明をしたり、相手の気持ちを掴むってのは入ってるわけよ。ただ無言でモクモクと書類を作って客先にもっていったら受注印がもらえるわけじゃない。だからプレゼン能力とか言われるのが必要になるし、お菓子にはわかりやすいパッケージやCMがついてくる。それを見越してT先生は「PRになるからカードゲーム大会にはいってきなさい」と言ったわけじゃん。
多分、そのT先生とやらは「子供のことを第一に考えて、結果が出たことだけをやっていく」先生って事を描きたかっただけなのはわかる。そして、多分そういう先生は探せばいると思う。なので、T先生の存在自体が嘘とまでは言わない。
嘘松さを醸し出してるのは間違いなく、ブログ主の気持ちをT先生に代弁させてるところ。
つまり、タイトルを省略せずにいうと「(昭和時代的な考え方はクソで、平成の合理的は良い思考【ブログ主の結論】。でも、周りは昭和時代的な考えが漂ってるからT先生は)嫌われていた(が、自分は平成の合理的な思考で考えていたから)いい先生の話」なわけ。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2018/07/20/142532]
id:turanukimaru です。
まず、「抹消すべきという話ばかりしている」というのは確かに過剰かつ事実に反する表現だったのをお詫びしたい。読解力が無い点も申し訳ない。だが落語の記事は読んだから言及した。
「落語に頻出する"しょうがねえな"ってのは人間正しく振舞えなくてもしょうがねえ当たり前って話で、正しく振舞うべき・しょうがないで済ませてはいけないポリコレとどっちが優しいか。私は落語のが優しいと思うけどな」
で、記事の話だけどまず枕である"いじる話はいたたまれない"という話なら同意した。私も辛いしバラエティ番組は見られない。
だが記事はそこから「2018年の価値観で断罪すべきではない」、これは時代性を考慮しなければ断罪の対象となりえる事、
「外に向けてアピールしている正しさ」と、「内なる正しさ」、正しさが異なるという事つまり落語は結局ポリコレ的には正しくないと書いている。
最終的には「それが悪い、というわけではなくて、それこそが処世術」、処世術つまりテクニカルな話として悪ではないと書いている。ではテクニカルでない話では悪なのではないか?
これらを合わせると、落語は断罪されるべきだが諸々の事情によりできないという事でいいだろうか?
ここまでは記事を引用しているだけなので読解力の問題ではないということでいいだろうか?
これは結論としては「抹消すべき」となっていないのでこれは私の明確な間違いであり謝罪したい。
断罪とは逆の読み方=いかなる事情が有ろうと落語は断罪されるべきではない、と言う風には私には読めなかった。
どこをとっても断罪できないという話ばかりであり、例えば「古典芸能にまで、現代のポリティカル・コレクトネスを適用するのは、傲慢な気もします。」
というのはとても断罪に反対するようには読めない。せいぜいやりすぎな気もする程度だ。
「それが悪い、というわけではなくて、それこそが処世術」なんてのはどう読んでも褒めてない。世間的に許容されるべき位には読めるが。
もし私の解釈が間違っているというのなら、積極的に断罪を否定しているところを教えて欲しい。横からでも教えてもらえるとありがたい。
で、今回の記事では実際に断罪してしまっているわけで、今回の記事については引用しなくてもいいよね?
私の乏しい読解力では困惑しているのを断罪することで安心しようとしてるようにしか読めなかったし、
ひょっとして落語の件もいたたまれなさをポリコレ的に正しいかという話にすり替えようとしたんじゃないかとも思った。
だけど私は乏しい読解力で人の思いや人間性に触れたくないから、読解力が必要となると思われるところには触れずにああコメントした。
具体的には「ブログ主は正義をもって何かを抹消したがっている。なぜなら~」と書くのは流石に失礼だと思った。
私としては正義を持ち出して何かを抹消すべきかどうかと言う話そのものが好きではないとコメントしたかったのだが
繰り返しになるけど「抹消すべきという話ばかりしている」というのは誤りだった。本当に申し訳ない。
「この記事と落語の記事は正義をもって何かを抹消できるかどうかと言う話をしているが、私はたとえ可能だとしても正義をもって何かを抹消することには反対だ」なら問題ないだろうか?
あと読解力を使うと私は人を傷つけるようなことしか書けないのでそちらは勘弁してやって欲しい。
hagex さんの商業本、事件の前は在庫あったのに、Amazonでさっき確認したら新品でも中古でもすごく高騰してた。
第2回かもめ会、福岡の天神の旧小学校で、1番前のセンター席で陣取ってたメンヘラっぽい挙動不審の女性がいて、その方がくたびれはてこさんなのだろう。すらっと背が高くて、美人。姿勢もキレイな人でした。
とってもウエストが細くて、ご自身のブログに白髪の事が書いてあったように、お気に入りと書かれてた部分にチャーミングな白髪があった。
あそこまで痩せてると外見のスタイルは美しいけど、体力的には確かに持たない、というか、痩せ過ぎて不健康かも…とは思った。
受付の女性が何度も、満席なので、3人がけの真ん中の席しか空いてないです、と説明するんだけども、はてこさんは
一応、となりの端の人にバッグ置いて良いですか?って聞くんだけど、聞かれたって相手は内心「知らんがな…」だと思うよ。
聞くだけで単なるエクスキューズだよね。
実際はあれだけ真ん中席まで使って満席だと注意喚起されてるのに
満席なので、最後に女性が入ってきて、はてこさんはいったん渋々カバンを退けるんだけど、
「この隣に座るな!オーラ」出して、うわぁ〜〜この人怖い〜と感じたけど、
最後の女性は、たまたま後ろの席で1つ空きがあったので、ホッとした顔をして奥に座った。 直前にキャンセル2人出たみたいなので、運良く空席が出来たんだろう。
良かったね。
この人意地が悪くない?笑
ご自分を抑えているのは分かるんだけど、ハゲックスさんに対する熱量がすごくて、ハゲックスさんに猫の質問とか
グイグイ行ってた。
でも、あれでも自制して我慢して抑えていらしたんだと思う。馴れ馴れしかったけど。
結局、はてこさんは事件の直後に興奮してブログをリアルタイムでアップしまくってた。
きっと衝撃が強くて、そうなってしまったんだろうけど、ブログ主が偶然遭遇した大きなネタに対して嬉々として書いて風に見えた。
完全に私の八つ当たりだけど。
柳美里みたいに、不幸を呼ぶ顔だ。
彼女の周りが不幸になるんだ。
「故人サイト」という本がある。
慣れ親しんだブログやサイトが突然更新されなくなっても、多くの場合は理由など分からないが、その本に出てくるサイトは、タイトル通り、管理人の死去によって「故人サイト」になったものばかりである。
例えば主が病没した場合も家族などがその旨を報告すれば、読者は悲しいけれどブログ主との別れを受容することになる。
刑事事件や不慮の事故、海外旅行先の病気などで命を落とされても、報道された人物と、ブログに綴られた情報とのシンクロに誰かが気づくことによって、多くの読者がブログ終焉の理由を知るに至るケースもある。
まさか、私が最も長い期間読んでいたブログが、これ以上ない衝撃的な形で、NHKのトップニュースになるような(6/26朝)経緯で、「故人サイト」の仲間入りをしてしまうなんて。
6月25日朝7時、いつものように「Hagex-day.Info」をチェック。更新されていない。予約投稿であろう「本日の一曲」もない。
いつだったか、数日単位で更新がなかったときは、「Hagexを心配する人の声まとめ」みたいなのもできる位マメに、精力的に更新されていたブログなのだが、朝イチでは更新されていないことは時にあるので、この時点ではいつもの朝だった。
25日の朝9時前、Twitterのトレンドに「hagex」を発見し、「へ~、何で?」と見に行ってみたら、とても信じられない、悪夢のような文字が。字は読める、意味は分かるのだが頭が理解しなかった。
確かに、地元の福岡で24日夜に勉強会をする旨を彼は告知していたが、まさか。
Twitterで「この被害者はHagexさんでは」という書き込みを読み進め、「福岡でセミナー講師が刺された」「講師とはHagexさんだったらしい」ということは飲み込めたが、「刺殺」ってなんだ。もう生きてないのか、死んじゃったのか。
どうしても飲み込めなかった。とてもじゃないが咀嚼できる情報じゃなかった。
刺された人がいたとしても、「人違いでした」というオチが絶対にあると思っていた(”ロング・グッドバイ”みたいに、仕組まれた替え玉じゃないか…と。代わりに死ぬ人がいなければ成立しない、酷い願望なのに本気で考えた)。
タブレットに表示されたHagexさんのお顔、お名前、知りたくなかった。知る必要なんてなかった。Hagexさんが自ら開示されるならともかく、いったい誰が、こんな形で彼の素顔を知りたいと考えるだろうか。
25日は他の事が手につかなかった。たまたま仕事を休んでいたのは幸いだった。26日の朝も、目覚めてすぐに「あれは夢だったのでは?」と思った。
夢ではなかった。
私が読み始めたのはいつ頃だっけ?と、記憶に残る最も古い記事を検索してみたら05年のこれ。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/20050813/p1
この少し前から読み始めていると思うので、約14年間の「Hagex-day.Info」の歴史のうち、約13年間、ほぼ毎日読み続けていたことになる。
その頃よく発言小町を読んでいたのだけど、Hagexさんやトピシュさんの言うところの「もやもや」を抱くことが多い。
「いや、これ創作でしょ」「これ、トピ主が変でしょ」等々、突っ込みを入れて楽しみたかった私が見つけたのが「Hagex-day.Info」だったのだ。
その他、発言小町のまとめサイトも複数あったのだけど、小町の運営会社から抗議があったらしく、ある時期に全てなくなってしまった。
Hagexさんも、「小町の運営会社からはてなに削除依頼があったが、削除依頼があってもきちんとユーザーサイドの意見を聞いてくれるのは大変嬉しかった。」と仰っていた。
その後、ブログで批判したサイトの運営会社から「名誉毀損、信用毀損」を理由に削除要請があった際も、即削除することなく、ユーザーの意見を聞いてくれたはてなに対し、「ユーザーに対して誠実な対応をしてくれた、はてなに感謝!」と綴られている。
それらを読んでいたので、私も「はてな」には良い印象を持っていた。
Hagexさんのブログ、ごく初期は普通の日記、その後は発言小町からの抜粋、発言小町からの転載が禁じられて以降は2ちゃんねるからのコピペが多くの割合を占める。
事件で初めてHagexさんのブログを訪れた人は、「ただのまとめサイト管理人じゃん。何を騒ぐことがあるのか」と思ったりするのだろうか。
そういう方(はてなにそんな人はいないか…)は、是非右側の「人気記事」に並ぶエントリーをクリックしてほしい。特に「Facebookはバカばかり」とか。
私は、2ちゃんからの転載も別に嫌いじゃないし、読み物として読んでいた。面白いと思ったものはブックマークもした。
しばらくの間は、「Hagexさんは、時折投入する渾身のエントリーをより多くの人に読んでもらうために、せっせとまとめサイト的な投稿をしてるのだろう」と思っていたのだけど、「三度の飯よりインターネットが大好き」な彼は、まとめ的投稿も結構楽しんでいるのだろう、と考えるようになった。
でも、Hagexさんの真骨頂は、やはり時折アップされる舌鋒鋭いネット批評。
Hagexさんのお蔭で、仕事と子育てに追われる私も、「デマは怖い。デマは、面倒でも火消ししなければすぐに広がってしまう」とか、「これ、掘って行ったらココと繋がるのか。やばいよね」等、ネットと、それに連なる世間の怖さを垣間見ることができた気がする。
あるいは、TwitterでRTされてきて、「何これ、こんな安い話によく食いつくよね」と鼻白む思いで見たサイトが、Hagexさんによってコテンパンに貶されているのを読んでスッキリしたり。
「“落としどころ”なんて言葉はオレの辞書にはない」と言わんばかりの、どこまでもしつこく、容赦ない筆致に、「これ、食いつかれたら大変だわ…」と嘆息することもしばしばだった。
一方、Hagexさんの映画や音楽評は実にユーモラスで、「観て(聴いて)みようかな」と思わせるものだった。Hagexさんのエントリーが切っ掛けで観た映画は少なくない。
その中でも最も素晴らしく、紹介してくれたHagexさんに感謝しているのは「ザ・フォール 落下の王国」である。
ハゲ子の社畜ぶりを自嘲するエントリーや最近飼い始めた「猫先生」を含む、Hagexさんの身辺雑記も楽しかった。
そういえば、「古本屋さんで買った本にかなり昔の写真が入っていた。アップしたら持ち主が見つかるかな?」というエントリーを写真とともにアップされていたこともあった。「写真、アップしちゃって大丈夫?」と思う一方、「Hagexさんロマンチストなのかな」と微笑ましく感じたエピソードだった。
Hagexさんは福岡出身で、貶しながらもこよなく故郷と博多弁を愛していること、タバコが大嫌いなこと、小児を性の対象にする行為を断じて許さないこと(当たり前の事ではあるけど、これに関しては殊に強いHagexさんの意思を感じた。)など、ブログを通じてHagexさんの人となりが、断片的にだけど見えてきたような気もしていた。
そんなHagexさんが、故郷で開催する初めての勉強会、その終了直後に問答無用で殺されてしまうなんて。
あれほどネット上の戦いに精通し、危機管理に自信を持っていたように見えた彼が、理不尽な暴力の前にはあまりにも無力だった(というか、誰だって無力だ)。
Hagexさんは、容疑者とされる人物が、自分と同郷だということを知っていたのだろうか。
酷すぎて、酷すぎて。
使い古された言葉だけど、これまでの人生で使う機会もなかった言葉だけど、「神も仏もないものか」という叫びが、私の中で暴れ続けている。
心中で叫ぶだけでは、やりきれなくて辛いので、心の赴くままにだらだらと綴ったのがこのエントリーです。
東京で行われた一回目の勉強会、結構本気で行きたかったのだが、幼い子を持つ身なので諦めていた。「これから勉強会を定例化するのであれば、いつか行く機会もあるだろう」と思っていたが、その機会はもう訪れない。私はHagexさんに会えない。
「落下の王国、素晴らしくてソフトも買っちゃいました!」と、なぜコメントを入れなかったのか。
明日も明後日も、ずっと続くはずの日常は、いとも簡単に、あっけなく断ち切られるものでもある。その理不尽さに、恥ずかしながらこの歳になって初めて接した気がする。
十数年の間、ブログへのアクセスが毎朝の日課だったので、今朝もついアクセスしてしまった。「注目記事」のトップにある記事のタイトルにまた悲しい気持ちになる。
「お前は一体彼の何だからこんなに湿っぽい記事をアップするのだ」と問われれば、「スミマセン、コメントも1~2度つけただけの一読者です」としか言えないのだけど、「それなのに、どうしてこんなに辛いのかな、悲しいのかな。」と自問自答しながら、べそべそと泣きながら、Hagexさんにこの駄文を捧げます。
日常どころか人生を、あっという間に断ち切られてしまったHagexさんはどれほど無念だろう。「安らかに」なんて白々しく言える心境じゃない…と思いつつも、それでもHagexさんの眠りが安らかであることを祈らずにはいられない。
「長い間、本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください」
ざっとした流れ
青林堂子飼いのウヨブログ「余命三年時事日記」の主のジジイが、
佐々木亮弁護士(青林堂パワハラ訴訟弁護団)や北周士弁護士に対し懲戒請求を煽る
理由は朝鮮学校への適正な補助金交付を求める声明に佐々木氏が賛同したからというもの
尚、北弁護士が懲戒請求されたのは、闘う姿勢を見せた佐々木弁護士を応援したからというとばっちり案件
因みにこのブログ主は煽るだけ煽って自身では請求を出していない模様
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乗せられた馬鹿たちがコピペ請求乱発するも逆アップカマされ大変!(一部は謝罪→慰謝料10万支払いで和解へ)