はてなキーワード: ピンポイントとは
もうこんな時間よと毎回言ってるような気がしないでもないけど、
そしてもうお昼も行ってきちゃいました。
そしてそして会議の後の資料に目を通してちゃわないといけないところなのよね。
パッと見て動体視力で流し見しちゃえばなんかなんとかなりそうなので、
残り50ページほどだけど一瞬よね!
内容は見ないの!
動体視力でなにかズレている箇所があれば間違ってる箇所なので、
それはさておき、
何を書こうかしらと思っていたところなんだけど、
結局はここに戻ってきても、はて?って感じだわ。
急ぐなら回れって言うけど、
もー!
時間はどんどん過ぎちゃって行くので
私は今日はもう定時で上がってそのまま銭湯に行くつもりだから、
本当に終業間際のギリギリのセーフで仕事持ってこないでちょうだいって思うし、
それセーフじゃなくてアウトだからね!って
ほらさ、
例のコロナの件もあって、
中国での生産や入荷なんかこれからどうなんだよ!ってマジリアルな話し
終息して欲しいところなんだけど、
私も私で机で
だからこうやって今日は珍しく書の類のチェックに勤しんでいるところよ。
勤しみまくりたいところだけど、
なんかまた私の机に書の類を持ってこないでって思うけど、
あのさ
そんなに乗っけなくても良いじゃない?
これ書類を置いたあなたが私をセントバーナード犬と共に書類の雪崩から救出してくれるの?
そう問いただしたいところだけど、
私は私で
自分の机をちょっと15センチメートルほどに積んだ書の類がプチ雪崩れ起こしている感じで、
この場合だともう慣れたもんよ!
ホラ整理できた!
そんな自分の机で雪崩が起こってることなんて日常茶飯事の大将の気まぐれ定食か!ってほど美味しいのよね。
なかなか
筆が進みにくいところで、
なんかずばばば!って
高田のばばばってゲゲゲの女房の感じみたいに言って行かないでよって
また私の机の上に書の類を置いていく困ったちゃんがいるから本当に仕方が無いわね!
もううやむやに、
言うと思わせといて、
徐に取り出したペンライトを振りつつ
うかうかしてると
うふふ。
お気に入りよ。
初めてアメリカに行ったときのファミリーの朝ご飯でカリカリカリにこれでもかと言わんばかりに
私これどうやって食べたら良いの?って思ったことを思い出すほど、
塩気の効いたベーコンで一緒に挟んである硬めにサニーサイドを焼いた目玉焼きもとてもご機嫌さんな味を醸し出しているわ。
要は最高に美味しい朝食!ってことよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
嫌な客って結構いたけど、その中で群を抜いて最悪だなと思った人。
それは、宅急便を送りに来た50歳位の女性だった。送り状の、荷物の内容を書く欄に何も書かれていなかったので、私が記入をお願いしたところ、その客は爆発的にキレ散らかしたのだった。
迷惑の概要はというとそれだけのことで、大したことではなさそうなのだけど、送り状にたった一言「クッション」と書くのを、自分で書かずに店員である私に書かせようとするその執念が凄まじかった。急に発狂したかのように怒鳴り始めたのと、「他の店では皆あなたの言ったようなことを誰も言わないし、この店でも言わないでしょ!あなただけが間違ってるのよこのクズ!ろくに仕事も出来ない能無し!!」と個人攻撃をガンガンかましてこられた。
結局、その客のせいでレジに長蛇の列が出来てしまい、仕方なく私が記入することになったのだが、途端にご機嫌で満面の笑顔になり、笑顔のまま猫なで声で罵倒は続けて、店を出る間際にも笑顔で捨て台詞みたいなことを吐いていくという、恐ろしい客だった。
あと、誰って特定出来る訳じゃないが、60代以上の男性客は思い通りにならないことがあると豹変して怒鳴り散らかす人が多いので、男性の老人全般が怖くて、怒鳴り声を聴いただけで恐怖で足がすくむようになってしまった。
家庭でも、夫と喧嘩して夫が声をあらげたとき、以前はそれでも主張すべきことがあれば主張出来たのに、ちょっと「あぁ!?」と言われただけで頭が真っ白になり、ぶわっと涙が出る。そんな体たらくなので、夫の機嫌が悪くなるのを過剰に恐れる自分が嫌になってきた。
ところで、私は十五年位前、学生時代にも接客業をしていた。業種はコンビニではなく飲食店のウエイトレスだったのだけど、今コンビニで面倒臭い客の多い年代と、十五年前に飲食店で暴れてた客の年代が合致しているのが興味深い。
女性だと今の50歳位で、男性だと今の60~75位の人たちである。男性は年齢の幅が広いのに、女性はピンポイントでプラマイ2歳くらいの人たちが、明らかに攻撃的でしつこいのである。
なんかまたキズナアイバッシングで名を馳せた先生が燃えてますね.
千田有紀「「女」の境界線を引きなおす:「ターフ」をめぐる対立を超えて」(『現代思想3月臨時増刊号 総特集フェミニズムの現在』)を読んで - ゆなの視点
社会学者の千田有紀氏のトランスジェンダーに関する論文に批判が集まる - Togetter
私はこの先生の論文を読んでない(それどころか一瞥してすらいない)ので,どちらの主張が正しいのか判断することができない.だからこの先生の論文の「内容」には言及しない.だけど「形式」については言いたいことがある.
(査読のない商業誌である『現代思想』に掲載されるのは「論文」ではなく「論考」だろうというご意見をいただきました。こういう文章をどう呼ぶべきかわからず「論文」と書いてしまいましたが、そのために誤った印象を与えてしまったかもしれません。申し訳ありません。)
この部分が人文系研究者のワイからすると明らかに変なことを書いているので,ここで指摘しておく.これはブログ主さんというよりも,ブログ主さんにようわからん指摘をして混乱させてる人たちに向けた文章です.
あのね,査読なし商業誌にオリジナリティがある論文を載せる分野ってのも世の中にはあるんですよ……
キズナアイバッシングのときに私色々書いたけど(anond:20181009213503; anond:20181011090428),査読はたしかに重要であり,日本の文系でも査読つきの論文が増えてきている(というか分野によっては査読つきの方が多い)わけだけれど,すべての学術論文に査読がつくとは限らず,また商業出版のルートに学術的な本や論文が載ることもまだまだ多いわけですよ(というか,普通に考えてElsevierとかも商業出版だよな.商業出版ではない学術雑誌っていうのは大学紀要とか学会誌とかのことであって).
なので,査読なし商業出版であることを理由に学術論文であることを否定されると非常に困ります.その基準だと「学術論文」ではなくなってしまうが,しかし学術的に重要である,という論文はいくつもあるわけで.
これが『世界』やら『正論』とかならともかく,さすがに『現代思想』に研究者が注とか文献目録とかつけて書いた学術的な文章は学術論文でいいでしょ.
『現代思想』や『ユリイカ』や『思想』やそのへんの雑誌は人文系研究者にとっては学術論文を掲載し得る場所です(それらの雑誌に載ってるものがすべて学術論文だとは言ってない,念のため.VTuberについての論文とVTuberのエッセイが同居してたりするので……).別分野の基準を持ち込んでそれらの媒体に掲載された論文を学術論文ではないかのように扱うのはやめるべき.
(ところで,一部の雑誌では査読論文と査読なし論文を混ぜて掲載してることもあるから,そういう媒体では究極的には著者か編集者に聞いてみないと査読の有無はわからんぞ.researchmapだと査読の有無をチェックする欄があるからresearchmapに登録してる研究者ならそっちを見れば査読の有無はわかるのかな.でも読むときには査読の有無とか特に気にしてないよね.面白い論文なら「これめっちゃ参考になる!」って言って引用すればいいしくだらない論文なら「一応目は通したけどあんまり参考にならなかった」と言って引用すればいい.めちゃくちゃ面白い論文が査読なし媒体に載ることもあれば「え? ふーん,これ査読通ってるんだ.それはそれは……」みたいな論文もあるので……)
何が悲しくて私がキズナアイバッシングに火をつけた人の弁護をしなきゃならないんだ.ほんといい加減にしてくれ.別の増田(anond:20191103222919)でも書いたけど,むやみに戦線を拡大して敵を増やすのは本当にやめてくれ.それはこれまでの献血コラボの実績を何も知らずに「そもそも宇崎ちゃんは献血と何も関係ないじゃないか」と噛み付いたクソどもと何が違うんだ?
これは「論文」ではないので「論考」と呼びます,というのも意味がわからなくて,だってその2つの言葉ってだいたい同じ意味じゃん……?
個人的な感覚だけど,学術論文を指して「論文」と呼ぼうが「論考」と呼ぼうが単に修辞以上の意味はないよね.先行研究の整理とかで「○○氏は「××」という論考において△△と主張している」って書いてあったら,それは○○さんが書いた「××」という学術論文には△△と書いてある,って意味でしょ.
投稿規定とかでは「論文」と書かれることが圧倒的に多いし,私も基本的に「論文」と呼ぶことが多いけど,学術的な新規性のある文章を指して「論考」と呼ぶことは別に間違っちゃいない(これ,人文系の研究者だったら同意してくれるんじゃないかしら).だから「これは論文じゃないので論考と呼びます」って言われても正直「???」なんだよな……
「これは『頒布』であって『販売』じゃありません!」みたいな内輪の謎ルールになってない? 大丈夫? おっぱい揉む?
で,そもそも論として,仮に学術的な形式に則っていない文章でも「論文」と呼べるよね.これは文系がどうとか理系がどうとかそういう話じゃなくて,世間一般における言語感覚の問題.
大真面目に何かを論じる文章や考察する文章はすべて論文と呼びうる.その中で一定の形式的・内容的基準を備えたものを「学術論文」として区別しているだけ.
要するに,「学術論文はすべて論文である」は成り立つけど,「論文はすべて学術論文である」は成り立たない.
たとえば,公務員試験を受けると「課題論文」というのを課されることがあるのだが,これは別にその試験のためだけにデータを集めて新規性のある学術論文を書けという意味ではなく,与えられたテーマについて紙に数枚くらい自分の意見を書きなさい,という意味.
もうちょいみんなが経験してそうな例で言うと,大学受験の「小論文」なんかもそうでしょ.
一般社会において「論文」ってその程度のものなんですわ.私らはアカデミアに染まりきってるからついつい忘れそうになるけど,真面目になにかのテーマについて論じた文章なら「論文」と呼ぶ,という言語感覚の人は一般社会にそれなりに存在しており,そういった一般社会的用法も別に間違いではないんですよ.
なので「これは『学術論文』ではないから『論文』と呼ぶべきではない」という主張は,そもそも一般論として間違いです.
アカデミアにおいて何の限定もつけずに「論文」といえば学術論文のことだけど,それは文脈が限定されていて短縮された言葉でも意味が通じるからです.コミックマーケット会場で「東」といったら太陽が昇ってくる方角ではなくオリンピックとかいう害悪イベントのせいで使えなくなっている東京ビッグサイトの東展示棟を指すのと同じこと.
コミケ会場付近をうろうろしている一般人が太陽の昇る方角を指差して「東」といったときに「お前が指しているのは東展示棟ではないのだから『東』という言葉を使うのはおかしい」と言ったら変な人だよね.それと同じように,アカデミアの外にいる人(この場合は例の先生ではなく例の先生が書いた文章についてブログを書いた人)が「論文」という言葉を使ったときに,「お前が言及しているのは学術論文ではないのだから『論文』という言葉を使うのはおかしい」と主張するのはハッキリ言ってかなり変な人だよ.
英語でいうarticleとかpaperもそうでしょ.新聞記事も学術論文もどっちもarticle.学術誌で何の限定もなくarticleといえば「論文」という意味になるけど,それは文脈が限定されているからで,一般人が新聞記事を指してarticleと言うのを咎めたらおかしいよね.
よって,例の先生が書いたものが仮に学術論文ではないとしても(これはもちろん仮定法ですからね),一般人がそれを指して「論文」と呼ぶことを咎めるのは間違っています.
これは,文系とか理系とか新規性とか査読とか業績評価とかそういう話ではなくて,一般社会において言葉がどのように流通しているか,世間の人びとはどんな言語感覚を持っているか,という話ね.ほんと,我々の考える「学術論文」以外のものが「論文」と呼ばれる局面って,大学を離れると以外とあるんですよ……
千田有紀氏のTERFに関する論文は学術論文です.また,仮に学術論文ではなかったとしても,それを「論文」と呼ぶ人を批判するのはおかしいです.
学術論文だから学問的に妥当だとか政治的に正しいとかは言ってませんので,彼女の主張が間違ってるとか差別的だと思うなら存分に批判すればよいのですが,外形的な基準から学術論文であることを否定しようとすると人文系研究者全般に流れ弾が飛ぶのでやめてください.
人文系オタクとしては,ただでさえ一部の同僚から趣味を殴られて不愉快な思いをしているのに,一部の趣味仲間から仕事を殴られるのは勘弁してくれとしか言えません.表現規制派フェミニストを殴るなら表現規制派フェミニストをピンポイントで殴ってください.私たちを巻き込まないで.頼むから.
劇場版はいふりのココちゃんのキャラソンむっちゃかわいくね? ココちゃんのキャラソンとして百点満点って感じだった.特典のイラスト色紙,ミケシロが2枚出たけど砲術三人娘のは引けなかったので誰か譲ってクレメンス……
あとgdgdな雑論文をまあどうせ載らないだろうけどって適当に投稿したら掲載決定して割と自分ではよく書けたつもりの論文をこれは載るやろって自信満々に投稿したらリジェクトされたんだけど何が通って何が落ちるかマジでわからなくなってきたでござる.山辺あゆみちゃん……私を導いてくれ……ママァ……
https://anond.hatelabo.jp/20200203232919
元増田よ。スコッチグレインとクロケット&ジョーンズを同列に並べてる時点でどうよ。
スポンジ中物でお馴染みのスコッチグレインはリーガルと同程度だろ。
なお、スコッチグレインをディスった形になったが、あくまでクロケとの対比であり、コスパ良い靴なんでお間違えなく。
追記:URLの都合で収まりきらないので、ブックマークへの反応は別記事にて補足した。反響感謝です。
anond:20200219120055、anond:20200222120019、anond:20200222165759
あと、大先輩がグリーン色の沼から這い出てきてますので、是非ご一読の程を!
既製靴が100%フィットすることはないので、どこかにひずみがあって当然。
ピンポイントでどこかが当たるだけなら、ストレッチャーで解決するかも知れません。
適当な靴修理の店に行って、当たって痛いけどストレッチャーでなんとかならないか相談してみよう。
で、元増田はウォーキングシューズを否定してるのがまず気に入らない。
あれはメーカーの努力の成果であり、とても素晴らしいものであふれている。
代表格は言うまでもないが、テクシーリュクスのTU-7774だ。
まずは、以下の記事を見て欲しい。なんと4位につけている。
チヨダのハイドロテックなども悪くはないが、テクシーリュクスは別格だ。
まず、革靴履いてて痛いって奴はテクシーリュクスを買うべき。
色は1足目であれば黒を買おう。複数の革靴持っているなら茶色でもよい。
買う場所はアマゾンでも買えるが、近所で試着したほうが買いやすいだろう。
専門店を入れている大型スーパーのような場所であれば、大概取り扱いがあるので安心するといい。
アシックス商事のサイトから近所の取り扱い店舗を探して買いに行こう。
https://www.asics-trading.co.jp/shop/pages/shoplist-pc.aspx
まずもって、毎日同じ靴を履くのもダメだ。せめて1日おきに変えてくれ。
俺は出張でも替えの靴を持っていく程だ。
だが、世の中には便利なツールがある。それがコロンブスのナイトリキッドだ。
補色もかねて、靴に合わせた色を買おう。
こいつを2か月に1度くらい塗る。大体片方30秒で終わる。両足で1分というところだ。
https://www.youtube.com/watch?v=ma45oOsQ6rs
それくらいの時間なら取れるだろ。
なお、間違っても1か月内に2回塗ろうと思わないことだ。それは成分過多になり、革靴へのダメージが蓄積することになる。
もし、テクシーリュクスを履いて、スニーカーのような履き心地の革靴に目覚めてしまったのであれば、
もう履くのが辛い安物の革靴では満足できなくなるだろう。
しかし、テクシーリュクスはデザイン的にイケているものは僅かである。
もう少しデザインが良いものがいいって人は、2足目はコールハーンかランウォーク辺りがいいと思う。
あと、1万円を超える靴になってくるので、そろそろシューキーパーを用意しよう。
「レッドシダー シューキーパー」でAmazonなり楽天なりで探せば、2000円前後の商品が見つかる。
その中で一番安い奴でいいから買うといい。何、仕入れはどこも同じ筈だ。
靴職人PC、ウィリアムテンプソンと並んで人気のユーチューバーだから皆もよく知ってるとは思うが。
https://www.youtube.com/watch?v=wFmZI8c2K5w&t=61s
とは言え、本物の革靴が一味違うというのもまた、まぎれもない真実である。
刮目せよ。これが世界最高峰のブランド、ガジアーノ&ガーリングである。
https://otokomaeken.com/brand/39985
と偉そうに言ってみたが、俺もまだ持ってない。トランペットの前で憧れの眼差しを向ける少年みたいなもんでね。
このブランドは、かのエドワードグリーンのビスポーク職人が独立して開業したので、革靴を愛して止まない連中がべた褒めするブランドな訳だ。
記事に補足しておくと、「ラスト」ってのは足の木型のことなんでよろしく。
ずっとママチャリの話をしてたら急にロードバイクの話を始めたぜってくらい唐突だったと思う。
ビスポーク(オーダーメイド)ともなれば、やはりカーボンフレームが買えるお値段にはなるからね。
そこで、クロスバイクに当たるものはどれでしょうというと、冒頭で挙がっていたスコッチグレインとかが該当する。
なので、まずはスコッチグレインくらいで入門するといいと思うよ。
ついでに例えるなら、クロケット&ジョーンズとかチャーチとかは立ち位置的にはアルミ製ロードバイクってところかな。
確かにジョンロブなどのハイブランドよりは格下に甘んじているが、質もよく、決して引けを取らない、良い製品を作っている。
cannondale のCAAD9 みたいな素晴らしい仕上がりである。
あとはメンテも。
もし、ナイトリキッドで革靴の艶が復活する事実に驚愕し、靴磨きに興味を持ってしまったなら。
ようこそ、靴磨きの沼へ。
https://www.youtube.com/watch?v=alNZIuG2PrE
本職の方。
https://www.youtube.com/watch?v=E8jeuEiTcX8
こういうのを見て憧れたり、先の靴磨き芸人奥野のテクをみて、これくらいなら俺にもできるぞと安心したりできる。
https://blogos.com/article/436164/
無茶だ。この時点で権力の空白を作るのは悪手で、一般的には政権に批判的であっても協力すべき事態だ。
そしてこの故を持って斯様な時には憲法が停止されたりするし、現政府も人権、選挙停止を伴う事実上憲法停止と言っていい緊急事態条項の根拠としてきた。
NTTデータの下請派遣社員が罹患して居る事が発覚したが、この人は保健所が検査を拒否していると書き込んでいる。
同様の証言は他でも聞かれるが、何故保健所は前のめりで行動していないのか?
ゴルバチョフは停滞してどうにもならなくなったソ連を改革する為にペレストロイカ政策と共にグラスノスチ(情報公開)を掲げて書記長になった。
ソ連が崩壊したのは設計主義が妄執だったせいと考えられているが、これは「史観」だ。
ミクロな点だとセクショナリズムと粉飾/虚偽報告の蔓延により社会主義の権威的体制は行き詰る。
社会主義では生産高の計画を立てるが、この時A鉱山→B工場→C工場→需要家と材料は流れそれぞれに計画高が立てられる。
権威主義的体制では容易に言えない。そこで数字を盛って報告する。
するとB工場はそもそも材料が来ないから当然不達になる。だがA鉱山はノルマ以上の出荷をしている事になっている。すると方法は一つ、ここでも粉飾だ。
C工場も同じ事をやり需要家である建築現場では鉄骨が来ないのでビルが建てられないが数字の上では建っている事になってる。
これが社会全域で行われて共産党本部にはほぼ計画通りに経済が動いている事になっている報告が来るが実際は何も生産されていない。権力が集中する党中央が状況を把握できないのである。
スターリン時代のソ連は目覚しい経済成長を遂げて西側を怯ませたが、その時代に既に粉飾だらけの種は撒かれていた。
ゴルバチョフはヒューマニストだからグラスノスチを掲げた訳ではない。西側の社会が上手く行っている理由を知っていたのである。
特にゴ書記長が就任して直ぐに起こったチェルノブイリ事故はグラスノスチの試金石だった。
この事故の収束が自身の改革路線の正しさを証明し権力基盤を増強するので対外的にも情報を公開した(それまでのソ連は完全秘密主義)。
でも不完全で、未だ事故の経緯や状況は複数説がある状態だ。特に関係者が口を噤んでいるケースが多い。
ところで航空機事故は数百人が死亡する事故となり過失者の責任は重大だがアメリカでは無罪としてしまう。
起訴されるならば身を守る為に黙秘するのは権利であるから事故原因は判らなくなる。すると次の事故の予防が出来なくなる。
だから責任を追及されない事を約束して話をさせる。これが西側のやり方だ。予防は社会や国家の責任であるからそっちの責任を優先させる。
それはソ連では考えられない責任のあり方で書記長のお墨付き、権力基盤の要だから率直にと言われても満足な証言は得られなかった。
これは日本の戦中大本営にもあった事で、盛った戦果報告が来るので実作戦中に撃沈された、大破してドック入りしている筈の敵艦がワラワラと現れてしまい作戦の意味がない。
昭和天皇が「その戦艦が撃沈されたのは何度目か」と奏じたとの笑い話があるほどで、大本営は国民を騙していたが彼等もまた騙されていた。
官邸、内閣府がやってきた事というのはグラスノスチと反対の事だ。
だから西側的「正しい情報」なんて集まらないだろう。「正しい情報」の表す事は西側と東側では違う。
保健所が検査忌避していると言うのは東側の正しさに則っての事じゃないか?
行政は前例主義で面倒な事はやりたがらない。一方で自律して運動し権力を拡大するという面もある。
この場合、中国渡航歴がないと検査しないというのはかなり後ろ向きな姿勢で首を捻るものだ。
担当大臣と内閣はこういう時に監督権を行使し前のめりな検査体制を指示するべき…というのは政治主導の建前だが、現内閣の場合、「感染者数が増えるので発覚する行為を行わない」という圧力に役人が拘束されているように見える。
郷原の言う事は妥当だが結論がおかしい。一般的に総辞職はナンセンスな情勢だ。
今までの災害でもチンタラ、時に完全無為で災害対策に不適というのは判っていた。
首相補佐官と厚労大臣官房審議官(しかも危機管理担当)というこの事態に重要ポスト二人の公費不倫がピンポイントでこのタイミングでばれるというのも内閣人事局と無関係ではないだろう。
だから時間はあったのにその度に「役人がやった事の責任を内閣が取るのか」等不思議な理屈で擁護され、長引いて飽きてきた国民の問題だ。
これから日本はガードレールが無く霧濃い深夜の林道を走る事になる。
フォグランプをつける時間もあったのにヘッドライトすら外してしまった。
官邸が焦って「ライトを付けろ」と命令しても懐中電灯が目の前を白く映すだけだ。路面は見えないし決壊している箇所も見えない。
ノクターンノベルやpixiv、あとは趣味の合う数少ない個人サイトさんを周回して自慰に耽るんだけど、なかなか自分の好みにピンポイントで合う小説が見つからないのが悩みではある。
それで、前にエロ小説を書いて投稿した増田がいたのを思い出し、自分でもやってみた。5時間くらいかけて10000文字くらい書いた。
以下感想を記す。
・自家発電やばい。自分の好みにピンポイントな絡みを書いて、それを読んでムラムラしてオナニーする。収まったら続きを書いて、ムラムラしてきてまたオナニー。5時間やってるとアソコが痛い。そして何この不完全燃焼感。やばい。
想像の世界ではちゃんと完結しているが、文字で表現する際にはいちいち心理描写や動き、反応の描写をしないといけない。オナニーしながらだと若干忙しい。あと隠語を記すのが(自室で一人であっても)恥ずかしい(これは5時間くらいやったら慣れた)
最初から細かく細かくやっていくと全然話が進まないから、4割がたさくさくとまず骨部分を書いて、後で肉付けをしていく感じがいいのかなと思った。
・絡みがワンパターンになりがち。
自分の好みだけでやってるから当然そうなる。ずっと同じようなプレイをしている。
他の女性がどうかしらんが、私が巷のエロ小説に不満なのは、本番行為ありきであること。挿入どうでもいい。もっと精神的な部分や関係性の部分をしっかりやってその中できちんとエロくしてほしい…などとワガママな要求がある。AVが好きじゃないのもそれが大きい。すぐ指だの何だの挿れるけど、なんか気持ち悪い。口でするのも、自分でもしたくないし見たくもない。
とまあそういう人が欲望のままエロ小説書くといつまでも何も(フェラも挿入も)せずストーリーが停滞しがち。バランス大事。
・設定めんどくさい。
なのでいっそ挿入しないで済むように設定の面で細工を弄することにした。先に最低限起承転結のプロットも組んで、挿入しなくても話が進むようにすることと、挿入しないエロが為されることのエクスキューズ。けどこれ超めんどくさいし、一生懸命考えてもすぐ矛盾したり論理に綻びが生じるし、しかもどんなに頑張っても現実感がない。やはりリアリティーのためには本番行為を書かなければならないのだろうか。
いっそ男を出すのをやめるか?男は不可欠ではない気もする。少なくとも私のエロには。もっというと女もいらないのでは。じゃあ何が、エロには何が必要なんだ?(ぐるぐる)
・しかもまだ完結してない。
休み1日持ってかれたのにー。
でも完結した暁には、私以外には誰にも刺さらないだろうが、私にはピンポイントで刺さりまくる挿入なし激エロ小説がいつでも読めることになるのだ。
それはそれは素晴らしいと思うので、是非最後までがんばりたい。
金曜なのにコンパも飲み会も予定が無かったので誘ってみたら飲みに行くことになった。
それまでのやり取りで、コカボムが好きと言ってたので、「金曜だし爆飲みするかー」とか適当なことを言ってたのだが、コカボムをピンポイントで置いている店など知らず、店はクソ女がオススメがあると言っていたのでクソ女に任せていた。
考えてみれば待ち合わせがピカデリー前の段階で怪しいのだが、区役所通りをぐんぐん進み、バッティングセンターの手前くらいの雑居ビルに入った。
いかにもぼったくりな感じのバーだった。一杯飲んで別の店に行こうと思っていた。
ビール1杯1500円、ウーロンハイ1200円、カクテル1600円テキーラ2000円とか。私はビール、クソ女はカクテルを注文。クソの役にも立たない中身の無い会話をし、「ここ高いから別行くよ」と言ったらクソ女は全くゴネずに快諾。お会計。
このパターンはクソ女がショットを頼みまくるか、氷代とかいう謎の金額が乗せられるかかと思っていたが、ぼったくりの割には良心的なサービス料2000円を追加されて2杯で8000円程度で済んだ。
案の定店を出るとクソ女が電話をし始め、「一緒に住んでる子が鍵忘れちゃったみたいだから一瞬帰っていい?」って言ってきて、テンプレ通りすぎて笑ってしまったのだが、お好きにどうぞ、って言ったら走って逃げてった。
なんつーか、やるならYouTuberのヒカルとか朝倉未来のぼったくり企画くらいのレベルで来て欲しかったし、クソ女もグイグイ変なの頼んでこないし、ネタにするにも中途半端過ぎてつまらんかった。
まぁ待ち合わせまでの間にタワレコ寄ったらカッコいいバンド発掘できたから良しとしよう。
学生時代、消しゴムを机からよく落としていたのだが拾わなかった。
なんでかというと、文字を間違えたら拾えばいいわけで、それまでは消しゴムの出番がないからだ。
もちろん掃除などの時間が迫れば拾うべきだろうが、それまでに誤字は出来するのでそこで拾えばいい。
ところが友人が先に拾ってしまう。申し訳ないのでいつも上記を説明するのだがなかなか難しい問題だ。
皿を洗わない。なんでかというと、もうあと何回かは確実に使えるからだ。
一番洗わないのは茶碗で、ご飯を食べきった後は乾燥しており衛生的にも問題ない。
汁椀も洗わない。乾燥してるなら問題ない。特に箸も洗わない。乾燥しているからだ。
なぜこうなるかというと、皿を洗うのが面倒だからだ。
そして洗剤も節約できるし時間も節約できる。1週間くらい洗わない。
同じ理論はバスタオルにも援用できる。特にバスタオルは問題で、一回だけで洗濯するのは無駄であると考えている。
容量が大きすぎるのだ。だから5回使ってから洗濯する。8回くらいでもいいかもしれないと思っている。
ここでの観点は、乾燥しているか? と不衛生が過ぎ体調を崩さないか? という2点だ。
場合によっては軽く水洗いで済ませて継続して使用する場合もある。
なんでかというと、開けて、物を入れて、閉めて、開けるからだ。
特に、上に向いて開いているバッグやカバンは、重力の関係で内容物が溢れることはない。
ということでファスナーを必要以上に閉めることは時間の無駄であると考えている。
ファスナーを閉めないとなんらかの問題をきたす場合は、ファスナーを閉めるべきだ。
一方で、ズボンのファスナーは閉める。なぜなら見られた場合不快感を与える場合が多いからだ。
比較の問題で、カバンが開いていても不快感は低いが、パンツやズボンから中身が見えていたら不快に思う人は多いだろう。
こうした観点で問題ないと思うもの(判断は30年以上生きていて基準を設けている)は開けたままにしている。
最悪、家の鍵も閉めなくてもいいのではないかと思う。なぜならまた開けるのは確実だからだ。
そして、泥棒がいるとして、私の家がピンポイントで施錠されていないことを認知することが極めて困難だからだ。
そういう人は大抵イルミネーションとかしている。
それはいいとして、雪はやがて解けるのだ。そんなものに過度の労力を割くことはない。
これと関連して、寒冷地であっても手袋を装着しない。帽子も。またすぐ脱ぐからだ。ただし、寒すぎる場合は一考の余地があるだろう。
洗濯はする。衛生的に。ただそれを畳まない。なぜならすぐにまた使うからだ。
晴れ着やおしゃれな服などはしまうけれども、日常で使うものはしまわない。
本にしおりを挟むという営為は、文化的な所作という観点を除けば全く愚かな行為だ。
なぜなら挟んだ後またとるからだ。そしてまた挟む。さらにいうと、読了すると挟まなくなる。
そもそもどこまで読んだか覚えてないのならば、それはそこまでちゃんと本の内容を覚えていないからそうなるわけで、しっかり本の内容を理解しているのであればしおりがなくても続きを読み続けられるはずだ。
ちょっと手前から助走しながら新しい箇所を読み進めることもあるだろう。むしろその方が理解が進むのではないか。
こうした観点から、しおりの弱点はもっと見直されてもいいだろう。
日々階段やエレベーターで移動するのは時間がかかる。その時間に有意なこと、あるいは妄想や休息ができる人であれば問題ないだろう。
だが多くの人は、自室と地上との行き来において、活動も休息もできないぶら下がり状態の時間を過ごしているのではなかろうか。
それならば1階に住むべきだ。家賃も数千円安いことが多い。自室との行き来の時間も、数千円安い家賃も、積み重ねが効いてくる。
ただし、治安の問題で2階以上に住みたい人も多いだろう。その場合のこの限りではない。自分で考えて生きればいい。
遊園地は恐ろしい場所だ。かつて施川ユウキが初期の漫画のコラム欄で確か書いていたと記憶しているが、遊園地は出発点とゴールが同じ場所になる遊具が多すぎる。
観覧車、ジェットコースター、メリーゴーランドなど、行って帰ってくる遊具が多く含まれている。
これは問題である。位置が変わらない。初めからそこにいて、ただ佇立して止まっていればいいのだ。時間の無駄である。
ただし、途中の景色や興奮を楽しめるのであれば遊園地は面白い場所だ。この観点で判断するとよい。
全力でゴロゴロしたりオナニーしたり友人や恋人と過ごしたり、論文書いたり講演の準備したり読書したり、元に戻す(元に戻る)必要性のないジャンルのことを優先してやったほうがいい。