はてなキーワード: ピンポイントとは
プログラマーの学習問題ってのは表層的な問題であって、この話題で議論されている本質は「社会で金を稼いで生きるってのはどういうことなのか?」ってことなんだろうね。
「誰かの保護下に入る代わりに作業指示に従う義務を持つ人形機械になる」ことなのか? それとも「自分の力で生きたり死んだりするサバイバル」なのか?
原初的な話で言えば、人間は全て後者なんだろうけれど、現代社会的には前者の意識の人も多い。それだけならまだしも前者であるのが社会の真理だとして、社会や他者にその意識の共有を求める人もいる。もちろん、後者の人だってそれっを周囲に求めたりする人もいる。だから両者の境界面でギスギスする。
これは、ある任意の人の中で統一された話ですらなくて、たとえばサラリーマンの人が「だってあいつは漫画家(or芸能人or起業家)なんだから成長も無職も自己責任だろ」とか言い放ったりする。
プログラマーという存在は前者なのか後者なのか、人々の中でその認識の境界事例にあたるんだろうね。
もう少し踏み込むと、IT技術が発展した現代社会は、すべての社会人にとって徐々に「自分の力で生きたり死んだりするサバイバル」に移行しつつ有るように思える。先進国においては、企業から見て欲しい人材をピンポイントで探す事が可能になりつつあって、自力で育てるよりも今求められているスキルの持ち主をハントしたほうが合理的になりつつあるからだ。
中世的社会ではその人間の能力云々以前に裏切りとか出し抜きが有るので、能力よりも人格や忠誠が大事で、それは子飼いを育てることやコネじゃなきゃ担保できなかった。しかしちゃんとした道徳や契約が成立する現代国家では、父祖の代からの付き合いみたいな安全保障がなくても、裏切りをそこまで気にしなくて良い。だから雇用の流動性があがる。
そうすれば当然全ての雇用は「自分の才覚でその席を奪い合うサバイバル」になる。全てのサラリーマンもそう。外注化の影響を考えれば公務員でさえ無関係ではない。おそらく日本の社会は、ただの事務職でさえ、自分の力と時間で学習してスキルアップをしていかなきゃ席を奪われる方向に進みつつ有る。
プログラマーは作業者なのかサバイバリストなのかという議論は、多くの人が感じているこの不安――自分も生存競争に巻き込まれていずれは敗者になるのではないか? という風を受けているんじゃないかという気がしている。「パッケージされた教育を受ければ、才能や生存能力に関係なく作業者として生活が保証される領域のスキルが身につく」という「保証」がなければ、人は本当のサバンナに放り出されてしまうわけだから。
有償・無償問わず、販売・譲渡・配布・製造を禁止すればいいだけ。
またそれとは別にストーカー規制についてネット社会を前提に根本から見直せばいいだけ。
「レイプ事件をなくすためにセックスを禁止します」と言われれば困るくせに、「マイノリティがどうなろうが俺らマジョリティは困らないから」という傲慢な理由で作られた雑な法律。
本来はピンポイントで「悪」を規制すれば十分なのに、細かい議論が面倒だから「バルサン焚いて一網打尽にすりゃ解決だろ」と結論を急ぐ。
その結果増田のように社会に行き場のない人間が現れても知らんぷり。
追い詰められた人間が更なる凶悪犯罪に走っても、「犯罪者死ね!」とネットで呟けば良心は痛まない。むしろ「自分がどれだけ倫理的な存在か」を後押ししてくれる。