「バリバリ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: バリバリとは

2022-09-09

ツイッターで、かなりバリバリ働いてるが、大丈夫かなって思ってて、でも毎回美味しそうなもの食べてたりするから、すごいなって思ってたんだけど、

働きすぎで鬱になって治療中というのをみた。

やっぱどこかで限界がくるのかな

そういえば英国勤労留学してたときエリザベス女王見かけて驚いたな

側近と話してたけどバリバリクイーンズイングリッシュ

でもきっとあの世に行ったらダイアナ妃のほうが先輩になるんだろうなー

キリスト教天国があるんだろ

2022-09-07

ワイのオナラはブゥーンッとシルキーエンジン音じゃなくてバリバリとバブリング多めの排気音

anond:20220907094440

説教に限らず、自然言語コミュニケーションなんてのはお互いの単語理解も違うし同じ言葉に込める意味も人それぞれ全然違うので情報量としてはほとんどない場合が多い。

定型発達傾向バリバリ人間同士の会話を観察すればわかるが、お互い具体的な意味なんてほとんど伝わってない雰囲気だけの会話をしてるぞ。雰囲気より詳細な情報の交換は一般的社会生活必要でない(というかその程度の情報交換で成立するように社会ができてる)。そんなもん。

2022-09-06

anond:20220906205724

テープによるバックアップは今でもバリバリの現役ですよ。Googleなどの大企業でも使われてます。さすがにMTとか呼ばれる古い規格ではなくて最新式のですけどね。LTOとかの。

ハードディスク故障して中身が消えた時に備えてテープバックアップコピーを取っておくという使い方が多いです。

anond:20220906182837

都会なら今は育ちがいいほど若くて美人でもバリバリ働いてるけど地方郊外とかならザラにいるよ

専業主婦っていうと優雅に聞こえるけどマジで穀潰しみたいな人ら

anond:20220906150140

周りの既婚者女性仕事家事バリバリやるタイプ専業主婦なのに家事全くやらずそのうえどんどん太っていくみたいなのかどっちか

妊娠から1歳までの記録 ※追記あり

追記

ブクマコメントくださった皆さんありがとうひとつひとつ大切に読ませてもらっています

この日記は、コロナ前の2018-2019年妊娠出産したとき書き殴っていたメモスマホから発掘されまして、削除するのも勿体なかったためここに放流させてもらいました。

あれから我が子はもう3歳になっており、毎日元気にすごしています。(「うちの子と同じくらい!」とコメントくださった方ごめんな...)

【※一番最後にも追記しました】


妊娠初期

妊娠しているのが判明したとき母親になる実感とか覚悟とか全然なかった。子供は嫌いじゃないけど自分が育てるとなると。。不安と恐怖ばかり。

仕事趣味もいっぱいやり残した事あったし、まだもう少し夫と恋人同士でいたかった。でもまあ…40前にもなって結局大成もせず何者にもなれない人生だったが、どうやら母親にはなれそう。か。

妊娠8wかな。心音確認後、母子手帳交付へ。保健センター大勢妊婦さんでいっぱい。つわりが始まりかけていたので、しんどかった。

エコー写真は相変わらず宇宙人みたいなウネウネ。その得体の知れない存在が怖かった。母としての実感なし。

つわり

・空腹が気持ち悪い...かといって何か食べても気持ち悪くて吐いてしまう。。

つわりの酷かった時期の全てがトラウマに。当時よく食べてた物、よく行ってたスーパートイレ芳香剤香り、よく聴いてた音楽までも…思い浮かべるだけで気持ち悪いよだれが口いっぱいに湧いてきて軽くえづく。

食材のにおいや鍋の熱気などが気持ち悪くて台所に立てなくなり、以来ずうっと現在に至るまで夫が料理を作ってくれている。。夫は元々料理趣味からと快く引き受けてくれている。掃除洗濯皿洗いが私、買い出しと料理が夫。役割分担をしてちゃんとやってるのに、料理をしないことに罪悪感がある。

妊娠中期

・15w頃。高齢出産のため出生前検査を受ける。何かしら障害があるのなら生まない選択をするつもりだった...が、容易いことではない。だってあんな元気な心音を聞かされて、くるくるよく動き回る胎児の姿を見たら。

・18w 結果がわかる。異常なし。いくで!ようやく決心がついた。このあたりから母性覚悟が座ってきた。

・22w頃。エコーでの最終検査もまったく異常なし。元気な男の子と判明。

妊娠後期

妊娠糖尿病に引っかかる。。1日5回の血糖値測定、毎食の記録、週1糖尿病内科への通院を義務付けられる。

お腹が大きくなってきた頃、夫以外の男性生理的嫌悪。道の向かいから男性が歩いてきたら回り道をする、レジ係の男性会社の同僚と目が合うのも嫌。体の表面が警戒心という電気ビリビリ覆われている感じ。

ホルモンのせい

妊娠中期〜(産後半年まで続いた)はホルモンバランスのせいか感情過多&涙もろくなる。

母親学級にて、先生朗読したポエムわたしあなたを選びました」で、おんおん号泣

TV番組ワイルドライフ 野生動物リアル」産卵終えたばかりで弱っている母ウミガメバリバリ食うヒョウ。むご過ぎて号泣

エコー越しの赤ちゃんが、ただ、ただ、可愛くて愛おしすぎて号泣可愛い」って感情だけでここまで泣けるものなんだな。

出産予定日のようすと陣痛

出産予定日に検診。胎動カウントを聞かれ「そういえば昨晩からまり動いてないんですよね」と伝えたら即日入院になった。臨月胎動が落ち着いてくるとか聞いてたか特に気にしてなかったがあかんかったのか。。内診エコーNSTの結果、いまのとこ緊急性はないけど予定日だし促進剤いれてもう産んじゃいましょうって。

・翌朝破水陣痛はじまる。なんかおかしい...なんか異変を感じるんです看護師さん...→ヘイヘイ赤ちゃん心拍弱ってる〜→緊急帝王切開の流れ。

帝王切開手術

・硬膜外麻酔で大暴れしてごめんなさい。。陣痛よりも背中に刺す麻酔が1番痛い&恐怖だった…

感覚のない下半身は、長時間雪遊びしたあとのジーンと痺れる感じに似てた。

・ずっとお腹の辺りでカチャカチャすること約30分後、赤ちゃんの鳴き声。生まれましたよ!と同時、胸元にドサッと生暖かい肉塊を置かれたのを感じた。カンガルーケアってやつ?シートで阻まれ姿がよくみえないうちに連れ去られたw

・術後、朦朧として「お腹の上に乗せてる重り?文鎮ですか?をどかして下さい」と言った。重いと感じていたもの文鎮ではなく、どうやら傷の痛みだったらしい。

・術後の姿を見て「難産だったね…」と義母に同情されたが、赤ちゃんが無事健康に産まれてきたのなら安産だと思う(思ってた。。)のでそう答えた。

・腹の傷の痛みがとにかくつら過ぎた。腹筋どこいった?て感じで腹に力が入らない。あと、傷口にブッ刺さった2本のチューブから出血を溜める小さなボトルがぶら下がってる。トマトジュースのように濁った体液が常にタポタポしてて気持ち悪かった…

・縦に走った傷跡にはホチキスの芯がびっしりと。抜糸はそれを一本一本抜いてく。「陰毛を抜く程度の痛み」とネットで事前に知れたので、恐怖はそれほどでも。

・術後のガスがなかなか出てくれなかったので、入院食はずっと五分粥。お祝い膳をすごく楽しみにしてたが結局出てこなかった…ものすごく豪華で美味しいと評判の産院だったので残念。。


・術後のガス出ない。。お腹はガスでパンパン膨れ、とても産後に見えない大きさw傷口が開きそうで怖くなる。歩くのも苦痛。ガス出すために下剤飲まされたり浣腸されたが無駄だった…肛門ボロボロいぼ痔悪化…。ネットで調べたオナラ体操が一番効いたかな。体をひねってなんとか出した。

・「赤ちゃんと一緒にがんばりましょう♪」という通常分娩を前提としたイメージトレーニングを受け続けてきたせいだろう。緊急帝王切開となり「ちゃんと産めなかった」みたいな負い目がずっとある。泣きたくなる。「出産頑張ったね、大変だったね」の声に紛れて、実母が「この子ラクして産んだから〜」と親戚に話してるのが聞こえて悲しかった。

産後ハイ

産後翌日。保育器に入り色んな管に繋がれた我が子と対面。こんなに可愛い子が胎便漏らすほどお腹の中で苦しんでたなんて...可愛さといたましさに保育器の前で体をくの字に曲げおんおん号泣。異様な姿だったと思う。

産後すぐ姉や友人たちに送ったメールを読み返すと、出産時の様子を生々しく熱っぽく報告してあって、テンション二郎レポのそれだった。以上、レポっす!!ってやつ。

ガルガル

産後すぐ、実母がすごく嫌だった。帝王切開ラクなお産発言とか母乳足りてないんじゃないのとしつこかった。マルチ商品みたいな怪しいドリンク持ってくるし。

・実父が「自分に似てる」と言うのが心底嫌だった。授乳する時思い出しては最悪。。

産後ケア施設

実家は狭いうえ底冷えがひどく、両親が高齢なのもあり頼れないなと思ってたから里には帰らなかった。かといって、赤ちゃんとの暮らしなんて想像もつかないし実際体験してみないとわからない事だらけだ。退院後すぐ自宅育児が出来る自信がなかったので、産後ケア施設に2週間入所することにした。

施設は1フロアに7部屋あり基本母子同室。

24時間助産師さんのもと赤ちゃんと2人の生活を監修して貰えるのはありがたいと思う。自宅育児が始まる前に、赤ちゃんと実生活しながら育児必要な細々としたものを揃えていき(夜な夜なAmazonポチポチ)、日々のお世話の仕方をしっかり身につけられてあんしんできた。母乳状態もみてもらえるし、疲れた助産師さんに子を預けて休息をとれるし、栄養ボリュームたっぷりな1日3回の食事おやつマッサージと至れり尽くせり。お金があれば、ずうっと入所してたいくらいだった。。。

・2週間、夫は毎日来てくれた。夕食の18時から2時間ほど親子3人で過ごした。たまに夕食を持ち込んで一緒に食べたり。面会終了時間までベッドで横になり、初めて3人一緒に眠ったり。嬉しくて幸せで貴重な時間だった。赤ちゃん名前はこの時に2人で決めた。

こころのこと

施設を退所して自宅育児開始。産後0ヶ月は壮絶だった。。赤ちゃんは1日のほとんど寝るか泣くかの繰り返し。愛おしい我が子なのに理由のわからないギャン泣きは異生物感凄くて、正直ギブつって放って逃げ出したかった。独身時代自由気ままな暮らしに戻りたくてたまらなかった。産後もっとこう、母性が芽生えて無限の愛に溢れたキラキラママ自動的になれるものだと思ってたのに。なれない自分自己嫌悪したり。

・止まないギャン泣き。途方にくれる。リビング精神と時の部屋化する。

おっぱい咥えてる間は泣かない、咥えたいだけそうさせればギャン泣きしない。解決

産後1〜2ヶ月頃。夢を見るが不思議と我が子は出てこない。一度だけ、仕事バリバリやってスタイリッシュオフィス、魅力的な同僚に甘酸っぱい恋、うんとオシャレして素敵なレストランワインを飲んで…というコテコテ月9かよみたいな世界観の夢みて、まじでどんな悪夢よりもきついものがあった。だって自分には決してもう有り得ないんだもの

・我が子はものすごく可愛い毎日幸せでたまらん…のに、退屈で死にそうになる事がある。

・開き直るようになった。これまでは、電話が取れなかったりメールの返事が遅れる自分をだめなやつだと責めてたけど、今では「だって育児してるんだもーんしょうがないでしょ」と。

短期スケジュールを断れるようになった。

・お洒落しなくなった。白髪増えていくのにそのまま、化粧も適当、服買わない、身なりに興味なし。

読書映画も途切れ途切れで集中出来ない。

・人とうまく喋れない。言葉がでてこない。話し相手は夫だけ。それも生活必要最低限の会話だけ。

わがやのこと

・自宅育児初日のこと。「沐浴はどうしようか...」となり、とりあえず沐浴マットを敷いたシンクに横たわらせシャワージャーっと…したっけ大号泣よ。洗剤スポンジ置く鉄網?を、ちっちゃな手で力一杯握りしめながら怯え泣いている姿を見てハッと我に返った。赤ちゃんをお皿や食材みたいに洗っちゃいかん、これはいかん、わしら何てことをしてしまったんや(寒かっただろうしね…)それ以降は湯舟に一緒に浸かるスタイルで安定。

母親学級で習った「怒責感(どせきかん)」という言葉流行る。うんこしたい時の合言葉になった。

(使用例:「怒責感が…」と言ってそそくさとトイレへ立つ。怒責(どせき)ってきた。など)

オムツ替えは、うんちの回数が多くまぁ進んでやりたいような楽しい作業ではないのもあり、そこでちょっとクワク感を加えようという思いもあって、うんち量が多いほど小吉中吉、うんちがオムツからはみ出したら大吉といううんち占い

・自宅にて家族3人ようやく念願の川の字になるが、我が子ピンポイントで夫の股間を蹴るため、PK時のサッカー選手みたいなポーズで就寝する夫。

イベント化する選挙夫婦2人だった頃の生活上には「投票に行く」なんて一度もなかったが、いまでは選挙があるたび散歩がてら家族揃って投票所へ足を運ぶようになった。

ドケルバン病

産後1ヶ月あたりからずーーーっと手首痛い。抱っこが苦痛おむつ替えのとき赤ちゃんの蹴りが手首にちょっと当たっただけで痛みにうずくまって泣いた。

整形外科通院。手首の腱鞘炎注射むちゃくちゃ恐怖だったが、硬膜外麻酔よりマシ...!と脳内で繰り返し唱えて耐えた。手首への注射はすんごく不思議ななんともいえん新感覚感触。。ポクン!て鳴った。

・痛みが緩和されるのはほんの数日。根治治療にはならないのと、あと注射の効きにムラがある。。注射後かえって痛くなる日もあった。

からだのこと

・やたらとオナラがでるんだが。。。

・首、肩、手首、乳首ボロボロ。。首という首がやられる。(足首だけが無事)

妊娠中20kg近く太り、産後1ヶ月で10kg痩せたが残り10kgェ…

おっぱい

産後すぐの授乳指導で、助産師さんがおっぱいのあげ方を「手に乗せたハンバーグ差し出すように」と表現したのだが、いまだにイメージがわかない。もしかして単に聞き間違いだったのかな。。

母乳が壊れた蛇口のようにビャービャー出る。我が子の顔や頭にまき散らして笑ってしまった。

赤ちゃん

・紐の扱いが天才的にうまいw いつのまにかヒュヒュッと絡め取ってる(見ないで取ることも)胎内で臍の緒で遊んでた名残とも言うがはてさて...。

新生児期、ミルクあげると両手を胸元でキュッと寄せるぶりっ子ポーズをしたり、ゲップ出しで背中とんとんする際、酔っ払いみたくクッタリする姿がほんと可愛くて。

・いつ見てもホコリや垢を握りしめている。

・横顔のフォルムがたまらん、クレヨンしんちゃんみたい。

・布類を顔にかぶせたがる。洗濯物に埋もれていることが多々ある。

・「THIS IS IT」のポーズで大喜びしてくれる。

1歳〜そしていま

・たっちができる頃には組み手、歩けるようになったらぶつかり稽古相手をしている。

・突進してきては抱きついて私の着ている服で口や手を拭ってゆく。

・夜中寝ているときちゃんと生きているのか不安になって呼吸や鼓動を確認する。


追記

ガルガル期のところ

実母との関係心配されているようでしたが関係は至って良好です。母は人から褒められたり持ち上げられると、つい自分sage身内sageをしてしま性格に加え、母自身もあの頃は孫ハイになっていて深く考えず発言していたんだと思います。実父に対してはほんと理不尽だったなと反省...。

個人差があると思いますが、ガルガル期、いま振り返ると自分でも異常なほど攻撃的でした。人が変わったように感じることがあるでしょうが一時的ものですので安心してくださいね。

無宗教なのに仏教徒だとか勝手に決めつけられる腹立ち

こっちは無宗教と言ってるのに宗教信じてると勝手に決めつけるな!

普段は「どんな宗教も信じていない」とおっしゃっている方たちが、それでもいざとなれば、親族葬儀仏式で行うことに違和感を持ちませんし、お盆お彼岸の時期には当たり前のようにご先祖のお墓参りに出かけています。(大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した)

いや葬式でどうでもいい坊さん呼んで金払うことにバリバリ違和感あるから

墓参りも蚊に噛まれから行きたくない

ついでに言えば初詣時間無駄から行かない!

いまどき自分みたいな感覚の人いっぱいいるんじゃないの?

だいたいキリスト教徒に対して「お前は本当は神を信じていないだろう」とか言ったら大問題なのに、

無宗教の人に「お前は本当は宗教を信じてる」と言える無神経さは問題じゃないのか?

無宗教信教の自由はないのか? なんでそこまで他人宗教信じてることにしたがるんだ?

anond:20220905214936

オッサンだけでなくオバサンも相当多いと思うぞ

こないだの「披露宴比較検討」みたいなtogetterに「私の時はー」と自分語り始める婆大量

恐らく今のはてな女性陣は「バリバリ働くエリートワーママ」とかじゃなく

同人オタク婚活結婚出産して専業主婦パート勤務」くらいの人が主流だと思う

女性多いはずなのになぜかジャニイケメン俳優とかの話題は食いつかれないので2次元オタクが多そう

2022-09-05

明日から上司無視しま

 私の働いてる係は、上司が3人と、私と同僚の5人。

 私は新卒3年目で今年の4月から今の係になった。

うちの係の上司は怒鳴る等の指導が主で、3年連続で若手社員退職まで追いやっている、会社の中でも厄介な係。

 実際に同僚は怒鳴られる、見捨てる発言をされるなど、よく耐えてるね…状態

 でも花形係で、上司3人もバリバリ仕事できる実力派だから解体もしない。

 私も配属が決まった時には、どうして…と思ったのが正直なところだけども、周りに「あなたなら大丈夫」「あなたなら多分あんまり言われないよ」と、無責任なことを言われることが多かった。

 結果としては、たまに怒鳴られることはあれど、前任者や同僚と比べると怒られていないし、今のところ自分でもうまくやれていると思っていた。

 でも、うまくやれているのも、上司3人のいじりに耐えたり、常に上司の機嫌を伺って立ち回っていたからで、何か1つ報告するにも、相手の機嫌やタイミングを見計らってしなければならなかった。

 だけど、今日私が対応した案件で、上司に報告漏れがあった。

 なにか損害が出たわけではないが、報告しなかったことに対して、今まで滅多に怒られなかった係長にも怒られ、ほかの上司2人にも今日は一日声をかけられず、無視。私からしかけてもないけどね。

 それで、今日何か糸がプツンと切れた。

 今までこれより激しく怒られたこともあるし、それで涙を流したこともなん度もある。

 でも、今日は涙が止まらなかった。

 怒られたからではない。

 今回上司たちからこのような対応を受けて「今まで、係が楽しくなるように、係以外の課員も嫌な気持ちをしないようにと、常日頃周りの機嫌を伺ったり、常に明るく道化役になっていた日々ってなんだろう」と思った。

 ミスミス、それは私が悪い。

 でも、上司に気を使うのがもう疲れた

 正直、怒鳴られる、無視されるなどと時代錯誤職場なのはわかっているが、今の職場絶対に辞めたくない。

 知らないおじさんの機嫌ごとき人生は変えたくない

 本来の私はとてもノリが悪く、大人しいインキャで、人と話すのは正直苦手だが、ここ半年間1人で頑張ったと思う。

 おそらく、上司3人は明日にはすぐにいつもどおり機嫌が治るだろう。

 だが、もう愛想を振り撒きたくない。

 太鼓持ち引退したい。

 私が事務的な話しかしなくなったら、係はどうなるんだろう。

 私をいないものとして扱うのかな。

 正直社会人とは思えないくらい幼稚な話だと思うけど、もう限界

ギーツどうだった?

暗黒の年と言っても良いリバイスが終わり圧倒的な期待の中で始まったギーツ

みんな見たかな?

とりあえず仮面ライダーお約束CGバリバリ巨大な敵は今後出なくなる事は間違いない

バイクに乗ってたけどこれも無くなるんじゃないかな?

必殺技に使ってたけど、強化フォームバイクいらないキックになるでしょ

上下がひっくり返ってフォームチェンジも無くなりそうな気がする

以上が例年の仮面ライダーから推測する序盤のみの演出

  

ストーリーについてはギーツと面接落ちた弟君はガブトの2人のような関係だね

ライダーバトル龍騎っぽいけど、参加の気軽さが鎧武っぽい

参加者バックボーン説明されたら「あ、離脱するんだ」みたいな感じにはなりそうだね

弟君はなんだかんだでギーツにべったりで生き残りながら超強くなっちゃうんだろうな

家出ユーチューバーは知らね。脱落しても残ってもどっちでもいい。どうせ迷惑キャラ金持ちっぽいから金の力でシステム変えたり主催者に回ったりするくらいストーリーに絡むなら少し期待

  

序盤からアイテムめっちゃしまくってるけど、ネーミングはWみたいな感じだから「赤はブースト、白はマグナム」みたいに覚えられればブーストマグナムマグナムブーストかの違いしかないのが良い

というかフォーム名前の覚えやすさが大事だってバンダイ気付いてよ

  

まだ1話だから期待半分諦め半分だけど頑張って見て行こうと思う

2022-09-04

anond:20220904172515

10年どころか20年くらい「あぁ~うんちの音ォ!」とか

ファミチキ下さい!」「財布バリバリやめて!」

とか言ってる更年期おばさんもいるからヘーキヘーキ

20年何してたと聞きたいがw

anond:20220904100614

バリバリ労働して限界越えて弱まったところにカルトが近づいてくる例もあるぞ。

結局弱まった状態になるということと、弱まった状態でだませるということが大事なんだわ。

ボッチだからではない。

2022-09-03

陽キャにも陰キャにもなれない人

 もう長いことフリーターニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分空気のような存在でいたい。そういうわけで人間関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校卒業したらどこかの会社就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさである未来と言うのは本当に不確かなものだ。

 陽キャ陰キャ二元論物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれ学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分意思関係を構築していたわけではなかった。

 

 自分公立の小中学校に通っていたが、公立学校には実に様々な人間存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である自分たまたま同じクラスやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。

 彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間から自分はいたずら好きな人なのだ認識され、近寄ってくる人たちも自然自分と近しい人達ばかりであった。

 中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育お金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育お金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップ主人公自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャル主人公グループの反対を押し切って難関大学受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。

 高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。

 高校高校中学までの人とは別のタイプ明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分人生のものに関心がなかった。

 自分性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分ベクトルの向きが真逆人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分意思自分人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。

 周りに流されて生きてきて自分性質客観的に見る機会を持たない人間本来自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。

 結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティ形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である

 もっと早いうちから自分性質人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。

陽キャにも陰キャにもなれない人

 もう長いことフリーターニートを行ったり来たりしている。仕事に就いても長続きせず、職を転々とする日々。もうかれこれ十社以上職を転々としてきただろうか。就いた職業の多くは施設警備や物流倉庫でのピッキングなど責任の伴わない仕事ばかり。コミュニケーションの得手不得手以前に、人と関係を結んで生活していきたくないと考える。人に指示を出すのも嫌だし、人の上に立って何かを行うことも好まない。集団の中において自分空気のような存在でいたい。そういうわけで人間関係を維持することもままならない。まさか自分が将来このような生活を送るとは想像もしていなかった。子供の頃は学校卒業したらどこかの会社就職してバリバリ仕事に精励するものだと思っていた。それがこのありさである未来と言うのは本当に不確かなものだ。

 陽キャ陰キャ二元論物事を語るのは好きではないが、今日はそれについて語りたい。学生時代自分は割とスクールカーストの上位の方にいて、やんちゃで明るくてクラスでもみんなの中心となるような人物に囲まれ学生生活を送ってきた。といっても自分から進んでそうした人たちとコミニケーションをとって親睦を深めたわけではない。何というか気づいたら仲良くなっていただけのことに過ぎず、自分意思関係を構築していたわけではなかった。

 

 自分公立の小中学校に通っていたが、公立学校には実に様々な人間存在する。所得水準の高い家柄に生まれて幼少の頃から様々な習い事に触れてきて教養がしっかりと身に付いている人もいれば、親の社会的地位が高く、幼い頃から多大な投資を受けてきたことにより校内でもトップクラスの成績を誇る者。またそれとは反対に、貧しいが故にろくに教育を受ける機会のなかった人や両親がやんちゃをしていたために子もそうした性質引き継いで不良の道へと突き進んでいった人などなど実に属性の種類は豊富である自分たまたま同じクラスやんちゃなことをする人が多かったからなのか、なぜか彼らと共にいることが多かった。公立学校というのは本当にいろんな人がいるので、たまたまそういう人たちが近所に住んでいたから仲良くなったのかもしれない。詳しい事は自分にもよく分からない。

 彼らとは本当にいろんなことやってきた。定期テストをサボってゲーセンに入り浸って夜を明かしたり、ワックスで頭を塗りたくって度々生徒指導先生にお叱りの言葉を受けたりといったようにやることと言えば平気で校則無視してきたことばかりであった。そうしたことばかりしてきたので周囲の人間から自分はいたずら好きな人なのだ認識され、近寄ってくる人たちも自然自分と近しい人達ばかりであった。

 中学生活も終盤に近づいてくると高校受験という大きなイベントがやってくる。自分は一応塾に通っていたので高校受験受験をするつもりでいたし、そのための準備もしていた。しかし、しばらくするうちに自分と彼らとの間に深い溝ができ始めていることに気がついた。それは彼らが、僕が受験勉強に励んでいるのを快く思っていないのではないかということ。想像するところによると、自分高校受験に向かって勉強してるのがどうやら彼らにとって喜ばしいことではないらしいのだ。彼らの中でも自分はまだ比較的に経済事情が恵まれていたので、教育お金を費やすことができた。だから高校受験もできるし、将来の選択肢もそれほど狭くはない。しかし、彼らはそうではない。経済的に貧しいが故に教育お金をかけることができず、高校受験を受けると言う資格すら与えられていなかった。また受験できたとしても学業への意欲が湧かないことやどうやって勉強すれば良いのかわからないなどといった理由により、レベルの低い学校に行くかのいずれかしか選択肢がなかった。そうした中で自分だけ勉強して彼らのもとから離れようとしている。それは彼らにとっては喜ばしいことではなく、どこか心にわだかまりが残ることだろう。これはグループの一人が自分だけ集団から抜け出して別の道に進むことをイメージしてもらえればよい。ドロップ主人公自分だけ輪の中から抜けることや、ビリギャル主人公グループの反対を押し切って難関大学受験に挑むのと似たような状況である。結局、自分は難関校とは程遠い偏差値が50いくかいかないかくらいの自称進学校入学した。もともと勉強とは無縁の人間で、定期テスト100点中30点位がほとんどだったので、これが自分にできる限界学習であったと言えるので特に後悔はないのたが。

 高校に入ってから彼らと連絡を取ることもなくなった。もうすっかり別の世界で生きているような感じだったし、実際に会うことも何度かあったが、会話を交わす事はなく、以前のように親しい感じで接することもなかった。そこには陸と島ほどの距離感があった。そこそこ勉強して高校に進んだからこそ、彼らは自分自分達とは別の人間だと考えていたようだし、自分たちのような悪質な遊びをすることも好まないだろうと考えていたから昔のように悪ふざけをして遊ぶこともなくなった。

 高校高校中学までの人とは別のタイプ明るい人達と仲良くなってそれなりに楽しく日々を過ごすことができた。それでもたまたま仲良くなったから仲良くしていただけで、自分からそうした人たちと仲良くしたいわけではなかった。別に友達など作らなくても、一人で何かに没頭するような事があってもよかったのだけど、生憎オタクのように何か一つのことに強い情熱を注いだこともない。自分人生のものに関心がなかった。

 自分性質に関心を向けるようになったのは大学生活も終盤に近づいてきた頃である。これまでの学生生活を振り返ってみて、自分はどうしてやんちゃなことばかりしてきたのだろう、どうしてクラスでも目立つような人間とばかり付き合ってきたのだろうというようなことばかりを考えた。彼らと自分ベクトルの向きが真逆人間であるというのに。自分は目立つことが嫌いで、教室でも隅の方で目立たず静かに生活していきたいと考える人間だった。思えば、僕は自分から人に話しかけて友達を作ったことなどなかったような気がする。自分がどんな人間と仲良くなりたいかと言う考えも持っていなかったし、主体性を発揮して何かを行ったこともない。いつも周りに流されて生きてきて、自分意思自分人生を生きているという感覚がなかった。昔から自分は一人が好きで、人と関わりを持とうとせずに、一人で何かすることを好んできた。つまり、昔から自分自閉傾向のかなり強い人間だったのである。それでも何とか今までやってこれたのは環境の影響や周りの方から声を掛けてきてくれたことにより、そうした性質隠蔽され、それが浮き彫りにならなかっただけの事に過ぎない。

 周りに流されて生きてきて自分性質客観的に見る機会を持たない人間本来自分がどういう人間なのか分からなくなる。人間人格形成には遺伝的要因と環境的要因の二つが大きく関わっているけれど、子供の頃はそうしたことに頭を悩ませることもない。

 結果として今では陽キャのようなアクティブな遊びを好んでみんなでワイワイ仲良く時間を過ごすこともなければ、アニメオタクアイドルオタクのようにある一つの対象に過度に没頭してコミュニティ形成し、そこでのコミュニティーに強い仲間意識を持って生活することもない。陽キャにも陰キャにもなれず、中立的な立ち立場にいて、どこにも属さずに社会から孤立しているのがが自分である

 もっと早いうちから自分性質人物像を客観視しておけば後の人生もまた変わったものになったのかもしれないが、当時はそうしたことも難しく、後から結果論として物事を論じるしかない。それが人生というものなのだろう。

2022-08-31

anond:20220831093044

やっぱ関東民でも男が自分のことを「アタシ」ていうのはバリバリ抵抗あるんだなって

anond:20220831104800

色者扱いされるけど、バリバリの現役メジャーリーガーやで

1984年に35本塁打マークするなど、日本でもレギュラーの一人としてチームを牽引した。

1986年には打率.363を記録したが、この年は阪神ランディ・バース日本プロ野球記録である打率.389を記録したため、首位打者を獲得できなかった。シーズン打率が.360以上を記録しながらも、首位打者になれなかったのは、現在までクロマティただ1人である

1988年ヤクルトスワローズとの開幕戦巨人選手では東京ドーム第1号となるホームランを打つ。しばらくは不振原辰徳に代わり4番を任されるなど好調を維持していたが、6月13日阪神タイガース戦で久保康生から指に死球を受けて骨折してしまたことで、残りのシーズンを棒に振った。チームの最終戦10月4日横浜大洋ホエールズ戦には、尊敬する王貞治監督ラストゲームを見届ける為にベンチ入りしていたが、試合には出場しなかった。

1989年、4割を打って引退すると宣言。開幕から長打を捨ててヒットを量産し[注 1]、シーズン規定打席403打席(当時は130試合制であったため規定打席数は試合数×3.1の403打席数であった)に到達した時点で打率4割を超えていた。最終的な打率は.378まで下がり[2]、4割打者誕生はならなかったが、首位打者を獲得した。96試合まで4割を維持したのは広瀬叔功の89試合を抜くプロ野球最長記録であり、.378は巨人球団歴代最高打率である首位打者に加え、.449で最高出塁率の二冠のタイトルを獲得。20勝を挙げたチームメート斎藤雅樹を抑えてMVPも受賞した。

2022-08-30

ネトウヨって客観的に見るとバリバリ体制派権威主義者だけど

なぜか自分を反骨精神に溢れる人間だと思ってる奴らが多いの面白いよな

anond:20220830164309

渡部ベッキーも一番のバリューが「好感度」だったから、それがなくなった時点で商品価値が著しく落ちた。

実際、ベッキーは復帰までめちゃくちゃ時間かかったけど、既婚で浮気をした方のゲスボはそれよりもっと早く復帰してバリバリ活動してたけど、ゲスボが売ってるのは「好感度」じゃなくて「音楽性」だったから。

香川が一番売ってるのは「演技」だからノーダメってほどじゃなくても商品価値の下落幅は小さい。

自己肯定感を低めるのは「発達障害」と診断されたせいでしょ!?

https://toyokeizai.net/articles/-/535853?page=3

発達障害一般的に、発達障害(一次障害)に対する周囲の無理解が本人の自己肯定感を低め、加藤さんのような対人恐怖やうつといった「二次障害」を引き起こすといわれている。』


……マジでこんな事言われてるの?そんな訳ないと思うんだが。

どう考えても自己肯定感が低まるのは「発達障害」に対する周囲の無理解のせいなんかじゃないでしょ

自分は少なくとも「発達障害」という概念を知るまでは自己肯定感バリバリに高かったし、失敗も多かったけれど勉強は出来たし友達も多かった

それが「発達障害」という概念が世に広まり、どうやら自分はそれに当て嵌まるらしいと知ってから抑うつ状態になり

自己肯定感も何もあったものじゃない状態になったよ

周りには特に気にしない人が多くても、やっぱりそういう障害者として括られる事が辛かった

まり全く同じ人間であっても、それが単なる個性範囲として社会から許されるか「発達障害」としてラベリングされるかによって本人の自己肯定感は大きく変わる

周囲の無理解がどうこう以前の問題

anond:20220830091919

バリバリ働いてる中高年女性はめちゃくちゃ身なりに気を使っているので中高年に見えない

犯罪に加担する友人に何もしなかった話

親友だったアイちゃん

  

アイちゃんは幼馴染で、小中まで一緒だったが高校で別々になった。しかし私とアイちゃん関係はより濃くなり、高校になっても頻繁に遊んでいた。

  

双子コーデしてプリクラ撮りに行ったり、カラオケオールしたり、フェス行ったり、深夜の公園で話したり。

からアイちゃんと遊ぶなと言われたが、思春期真っ只中の私は全力で反抗してアイちゃんと遊んでいた。

  

高2のある日、地元商業施設ができることになり、そのオープニングスタッフとしてアイちゃん面接を受けに行った。

  

ちなみにアイちゃんは高1で高校を退学していた。

私には「めんどくさかったから」と言っていたが、同じ高校に行った知人からちょっとしたいじめっていうか、友達出来ずに孤立していた」と聞いた。

  

私はアイちゃんが言いたがらないならそれでいいと思い、何も聞かなかった。

  

そして私たちは晴れて同じ店でバイトするようになり、研修期間からなぜか社員に注目されていた。

土日祝は信じられないくらい忙しい職場だったけど、私とアイちゃんの2トップなら任せられる、と私たちバイトリーダー的な立ち位置で、バリバリ働いていた。

  

その頃のアイちゃんは、私のおかげで、褒めてもらえる!私とならどんな場所でもがんばれる!私ちゃんはすごいよ!さすがだよ!

と、私を異様に褒めてくれることが多かった。

  

今考えると、私のいない高校生活では馴染めなかったけど、バイト先で社員スタッフから頼りにされて、アイちゃんのことを認めてくれる場所に戸惑っていたのかもしれない。

  

アイちゃん自身が頑張っていたのは間違いないのに、アイちゃんの中では「私のおかげ」に変換されていたのだろう。

そうしてるうちに、私に頼るアイちゃん形成されていき、いつしか親友なのに、子弟関係っぽい形態に変化していった。

  

そして、18歳の私はその頼られる優越感を気持ちよく感じていた。

  

そんな中、私は大学進学し19歳でバイトは辞めた。

ほぼ同時期にアイちゃんバイトを辞めてキャバ嬢に転生した。

  

私はキャンパスライフを楽しみ始め、アイちゃんも夜の世界に飛び立ち、生活リズムが違うのでやや疎遠になっていたが、それでも月1くらいでは遊んでいた。

  

そんなキャバ嬢アイちゃんから彼氏ができたと報告されたのが20歳の頃。

相手は年下の大学ホストだった。

  

私はカモられてるのかと危惧したが、話を聞くと、アイちゃんではなくホストの方がアイちゃんの客だった。

営業の一環でアイちゃんの店に訪れた彼がアイちゃんに一目ぼれし、猛烈にアタックされたとのこと。なので、アイちゃんはそのホストの店に行ったことはないし、1円も貢いではいなかった。

  

少しは心配したが、年下ホスト大学世間では高学歴と分類される大学だったのもあり、アイちゃん幸せそうだったので暖かく見守ることにした。

  

しかしその2か月後、次は「妊娠たから、結婚しようと思う」と相談された。

相手は、ホスト大学も辞めて働くと言っており、アイちゃんも産む決意は固まっていた。

また、未婚で産む選択肢は考えておらず、それはアイちゃん母子家庭で、お父さんの存在を恋しく思っていたからとのことだった。

  

そして、妊娠発覚後にアイちゃんキャバを辞め、元ホストは、本当に大学ホストも辞めて、昼職に就職した。

  

しかし、高学歴と言われる大学中退してのデキ婚に両親は怒り、結局勘当され、アイちゃん実家で暮らすマスオさんになっていた。

  

それにしても年下のホストは、アイちゃん子どもを愛してくれる、ちゃんとした人だったのだ。

  

そう思っていた。

  

ある日、アイちゃんと暇電していたとき何気なくホストがどんな会社就職したのかと聞くと、

会社名は分からない

WEBサイト運営している会社?みたいなやつ

ホスト時代の先輩の紹介で

とのことだった。

  

その時は、ITベンチャーぽいところなのかなという認識だった。

  

それから数か月し、アイちゃんも働き始めたという話を聞いたので、妊娠中なのに大丈夫なの?と心配すると

つわりは落ち着いたし、楽な仕事でしんどかったら帰ってもいいかめっちゃ楽!」

というので思わず、どんな仕事だよと突っ込むと、夫(元ホスト)の職場アルバイトに行っているという事だった。

  

業務内容は「ひたすらメールを返す仕事」らしく、つまりは「出会い系サクラ」だった。

  

という事は、アイちゃんの夫(元ホスト)は、出会い系詐欺サイト運営する会社社員なのだ

  

いやいやいや、やばくないか

  

アイちゃんは特段そのことに問題意識は持っておらず(というか一緒に働いている)、さらには夫(元ホスト)は既に幹部になっているらしく、稼ぎもちょっとからめっちゃ上がった、と嬉しそうに報告した。

  

いやいやいや、やばくないか

  

私は真面目な人間ではないが、その時に「すごいじゃんー!よかったね!」とは言えない正義感を持っていた。

  

そして「どうにかしないと」という謎の問題を背負い込んだ。

  

私「いや、その会社やばくない?」まずはジャブから

アイちゃん「そうかな?出会い系ってほぼそうみたいだよ~」

  

「話聞く限り、詐欺案件だと思う。」

  

私は、夫(元ホスト)の会社はまともではないこと、辞めさせた方がいい、何なら私が直接話してあげるから、とアイちゃんを説得にかかった。

アイちゃんは「え、、どうしよう」と不安になっていった。

私は「事前に伝えると微妙から、夫(元ホスト)が次家にいる日教えて、行くから」と伝え話を終えた。

  

その時の私の心境は、

犯罪絶対ダメ

アイちゃんが巻き込まれている!

③なんとかしないと!

の3本立てだった。

  

そして、来たる夫(元ホスト)との決戦のため、情報収集をと思い、悩み相談掲示板に片っ端から投稿した。

  

────────────────────────

友人を助けたい!

友人の夫がサクラサイト出会い系)で働いていて、友人もアルバイトに通っている。

友人は妊娠中で数か月後には出産予定。

本人たちはそのことに問題意識をもっておらず、何とか説得したい。

いい方法はありますか?

────────────────────────

  

こんな内容だったと思う。

サクラサイト詐欺にあたることや被害の内容は既にググって把握していた。

  

\みんな、オラに力を貸してくれ!/

  

そんな気分だった。

  

数日たち、掲示板でついたレスはあまりなく、さらにそのほとんどの内容は私が希望していたものでは全くなかった。

  

・説得してどうするんですか?質問者気持ちよくなるだけですか?

収入源を絶てと、まもなく出産する夫婦を説得するんですか?

・人の家庭のことに責任持てないのに、説得するだけって、、

  

・それ、お節介って言うんですよ。

  

もっと柔和な文体だったと思うが、予想外の反応に面食らった。

私の気持ちにみな賛同してくれると思っていた。一緒に解決策を考えてくれると思っていた。

そもそも私のこの感覚が「おせっかい自己満?」根本から問題を考えなくてはならない。

  

回答を見た時は「犯罪を許容するのか」と回答者反社会的倫理観のやつらばかりなのかと憤った。

  

しかし、

説得してどうするの?会社を辞めると収入がなくなるけど、責任とれるの?

という回答を私は持ち合わせていない、何で私が責任を取る話になるのだ、そんなのアイちゃん夫婦でなんとかしろよ、が本音ではあった。

  

が。現実問題会社を辞めさせるよう説得して後は知らないけど、って私の目的アイちゃん問題に巻き込まれいるから救いたい、であって、夫が会社を辞めて解決したとしても、すぐに「金銭面の問題」にぶちあたることを予想できていなかった。

私は社会にも出ていない世間知らずの大学生でしかなかったのだ。

  

アイちゃん高校中退妊娠中。

・夫は、大学中退20歳

アイちゃん母子家庭で、夫の両親には頼れない。

  

この状況で違法方法だけども、今は稼いだお金で安定して生活をしている。

サクラサイト被害者の救済、サイト撲滅という正義感であっても、直接の被害者でもなくただの大学生の私にできることなんて何もない。

  

結果、私は何もしない方がいい

  

それが私の出した答えだった。

  

アイちゃんを助けたいと言いながら、結局は自分の周りの人たちの中に犯罪に関わっている人がいる、という状況をどうにかしたかっただけなのかもしれない。

さらに、その頃はまだサクラ詐欺黎明期くらいだったので、私の調べた限りでは刑事告訴されたり従業員刑事罰が下されるような判例もなかった。

  

21歳でようやく、自分の正しさを押し付けることを人はお節介と呼ぶのだと理解した。

  

タイトル回収をすると「悪いことをしたら注意してあげるのが本当の友達」という風潮があるが、自分の正しさを押し付けるだけになっていないだろうかといつも思う。

当時の私は犯罪に加担する友人に何もしないのが正解だと判断した。

  

後で聞いた話だと、会社場所を数か月単位移転したり、社名を変えたりしている(なのでアイちゃんは夫の会社名を把握していなかった)ということだったので、夫も自分会社がまともな会社でないことは理解しての判断だったのだろう。

  

最後に「何もしなかった」は違うかもしれない。

  

私は、自分の友人が犯罪に加担しているという状況にストレスを感じていた。

なので、「アイちゃん距離を置く」という行動をとった。

  

友人が悪いことをしたら注意するのではなく、距離を置くのがいいのかもしれない。

その結果、私には友達がいないけども。

2022-08-29

プログラマー35定年説の真意

あれ、35歳になると上司が年下になるってことだったんだな

年上のめんどくさいプログラマーって使いにくいか敬遠されて

社内で窓際占拠してるわ

普通に良い人ばっかりだったから全部頂いてバリバリやってもらってるけど

みんな35歳ぐらいか仕事減らされたって言っててそういうことかって気付いた

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん