はてなキーワード: バットとは
「新しい波24」って誰が出てたんだっけ、とも思って検索してみた。
このあたりは順調にテレビで見る。
ロングコートダディ(堂前透・兎)
ここは関西圏だと、割と見かける。
一月に水曜日のダウンタウンに母親ネタで出演してた一週間後くらいに解散だって。
吉住
ここらへんは関東圏では出てそう。
アメリカンコミックス(飯島翔平・鈴木祐介)
絶対アイシテルズ(らぶおじさん・楠見大輔)
まったく受け入れられなくて全カットコンビとかいた記憶しか残ってない。
こんなに出ていたのね。
関西ローカルと関東の番組とでは毛色がまったく違うんだろうな。
千原ジュニアの「座王」は関西メンバーに時々関東芸人も出演してる。
笑い飯の西田が【鬼】と呼ばれるほどの強さを示してる。化けた。
ロングコートダディの堂前がんばってる。
からし蓮根、たくろう、ネイビーズアフロ、セルライトスパ、紅しょうが、こうてい
こうていのズイィーヤのギャグをやるほうが顎の手術してたのとか知らなかったわ。
2015年以降。
吉田たち、マルセイユ、アイロンヘッド、祇園、タナからイケダ、
コマンダンテ、ヘンダーソン、見取り図、ニッポンの社長、マユリカ。
関西でもあんまりネタ番組やってないから、舞台に行けばみんな頑張ってるんだろうなあ。
アキナの【吉本超合金A】に出てて東京に進出したおいでやす小田。
Wの決勝戦にも出演してた紅しょうがが先日夕方のニュース番組?バラエティ?にロケ芸人に出てて、
いい感じに無毒化されてて、そういう役割で出演できるのも道よなあ、って思った。
古くは【10カラット】【ゲンセキ】で見かけた芸人も検索してみたら解散したり引退してたり。
2005年ですって。14年前ですよ。
ハリセンボンとかプラスマイナス、上木総合研究所、U字工事、イワイガワ、マチコ、コンマニセンチ、
オリエンタルラジオ、トップリード、アームストロングが出てたなあ。
ジャルジャルも出てたんだっけか。
【爆笑BOOING】見てた。
あと、あれあれ。
芸人たちがVTRを撮ってきて作って発表しておもしろかった上位五組とかだけ放映されるやつ。
ビリジアンとか小籔が生き残ってるんな。
水玉れっぷう隊はケンが吉本坂46に選出されてるよな。すごいな。
【火花】じゃないけど、おもしろくても生き残れない人生とか考えたら恐ろしいな。
ハライチの岩井じゃないけどバラエティ風で生き残っていくという選択肢すら選ばされないまま
スタート地点にすら立てないのは大変だ。
多分試合会場(もしくはスポンサー)によって野球のスタジアムに相当する
やっぱり、競技ゲームで手っ取り早く小銭稼ぎしたいだけの賑やかしと違って
真剣にゲームと向き合ってる人はキチンと問題認識してるんだなぁ。
大まかな「二チームに分かれて、片方がボールを投げて守り、もう片方がバットでボールを打って得点を狙う」というルールは共通してるが、
各スタジアム毎にバラバラなローカルルールが強制されてるような状態。
あるスタジアムは6塁まであって1チーム15人編成
あるスタジアムは三角野球、別のスタジアムは...といった感じ。
当然根本のルールがバラバラなので戦略も違ってきて、選手はスタジアム毎に戦略を練って身につけなければならない。
一つのゲームジャンル内ですらこんなクソみたいな状況を更にゲームジャンルを超えて雑に一つにまとめようとしてるのがeSports(笑)
何でよりにもよってスポーツを騙ろうとしちゃったんだろうなぁ。全く別物なのに。
「児童相談所 拉致 静岡市」などと検索すれば、当事者(親)が発信する記事を閲覧することができる。Twitterで実名発信すら行っている。
彼らの主張と、裁判所の認定事実とを対比しながら読めば、恐ろしさが伝わってくると思われる。
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判 決
(第1,第2 省略)
第3 争点に対する判断
前提事実に加え,後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告Q1は,原告Q2及びQ9との同居を始めた平成19年2月頃,Q9が時間を守らないこと,嘘をつくことを矯正させる必要があると考えて,原告Q2との間でQ9へのしつけの方法について話合い,その結果として,原告らは,Q9が小学校に入学した同年4月頃から,Q9が上記の点について原告らの口頭での指導を守らなかった場合には体罰を与えることとした。
原告らの体罰は,当初は頭を軽く叩く程度であり,その後顔を平手打ちするようになり,同年6月頃からは,Q9に木製の子ども用バットを持ってこさせて,臀部をバットで叩くことなどがあった。
(甲4,75,原告Q1本人)
イ(ア)Q9の所属するクラスの担任であるQ12教諭は,平成19年4月頃,Q9の顔に痣があったことから,その痣について聞いたところ,Q9は,タンスの角にぶつけたと述べた。Q12教諭は,その後,Q9の顔の別の位置に痣があることを発見した。
Q12教諭は,同年5月下旬頃,Q9が忘れ物をして登校してきたため,どうしたら忘れ物をしないようにできるか尋ねたところ,Q9は泣き出して,自分で学校の支度をしていることのほか,原告Q1は殴るので恐いこと,原告Q2はQ9を守ってくれなくなり,原告Q1と一緒に怒ってばかりいるが,以前はそうではなかったことなどを述べた。そこで,Q12教諭は,Q9に対し,先生はいつも君の味方であり,先生が守ってあげるなどと述べた。
原告らは,同月31日,本件小学校の担任教諭と保護者との間での連絡帳に,Q9から,先生が守ってあげるという発言があったと聞いたが,その発言の真意の確認を求める旨の記載をした。
(イ)本件小学校のQ13教頭は,同年6月5日,原告ら宅を訪れ,原告らと面談した。その際,Q13教頭は,虐待の疑いがある場合についても適切な対応をとる必要がある旨述べ,原告らは,今までQ9はしつけを行われずに育ってきており,Q9を良くするのは今しかないこと,しつけの方針として,悪いことをしたら殴ること,虐待を疑っていることは理解していることなどを述べ,Q12教諭の上記(ア)の発言について,Q12教諭からの直接の謝罪を要求した。これを受け,Q13教頭は,一旦本件小学校に戻り,Q12教諭と共に再度原告ら宅を訪れ,Q12教諭の上記(ア)の発言について,誤解を招く発言であったとして謝罪した。
Q9は,同日以降,Q12教諭に対し,先生が来てくれてから殴られなくなったと述べた。
(ウ)Q9は,同年6月29日,右大腿部,右肩に赤色の跡があり,Q12教諭が,Q9がプールに入る際にその跡について聞いたところ,Q9は,原告Q2から叩かれたと述べた。
また,Q9は,同年7月2日,右目の下部に痣があり,Q12教諭からその痣について聞かれたところ,原告Q2に殴られたと述べたが,Q13教頭からその痣について聞かれた際には,Q9は転んで怪我をしたと述べた。そこで,同日,Q13教頭が原告ら宅に架電したところ,原告Q2は,Q9が2日続けて許せない嘘をついたことから原告Q2が殴った,私も人間だから感情的になると述べた。
原告Q1は,同月3日,本件小学校に架電し,Q13教頭に対し,原告らは冷静にQ9をしかっていること,同じ状況であれば原告Q1であっても殴っているはずであり,原告Q2も同じ方針であることなどを述べた。これに対し,Q13教頭は,殴らないで育てることをまず考えるべきであるなどと述べた。
(エ)Q12教諭は,同月4日,原告らから,本件小学校の教育方針等についての意見が記載された手紙が送付されたため,同日午後3時頃,原告ら宅を訪問した。その際,原告ら及びQ12教諭が居間にいて会話をしていたところ,原告Q2は,一旦居間を離れてQ9の部屋に行き,Q9を叩き,居間に戻ってきた際に,「今私,Q9のこと,叩きましたから,守って下さい。叩きました。嘘ついたから。」などと述べた。
その後,本件小学校のQ14校長,教務主任及び生徒指導主任が原告ら宅を訪れ,原告Q1から,学校で行う教育と家庭で行う教育の区別をしたガイドラインを示してほしいという要望があったため,Q14校長がガイドラインを示す旨述べて,同日午後8時30分頃にQ14校長らは原告ら宅を離れた。
(甲11,17,18,乙ろ2の12,乙ろ15,証人Q13)
(2)本件一時保護に関する経緯
ア Q14校長は,同月6日,静岡市教育委員会に対し,前記(1)イの経緯を報告した。静岡市教育委員会は,同月10日,静岡市α区の要保護児童対策地域協議会(児童福祉法25条の2参照)の定例実務者会議において,Q9を要保護児童として提示し,Q13教頭が前記(1)イの経緯をまとめた報告書(乙ろ2の12の1ないし6丁)を提出した。上記会議に出席した静岡市児童相談所の所員は,同日,本件小学校に対し,Q9は保護を要する児童であるため,今後Q9に痣等があった場合には児童相談所に通告するように指示した。
イ Q9は,同月13日の登校の際,左顎及び左目下部に痣があり,Q14校長がその痣について聞いたところ,Q9は,嘘をついたことを原告Q1に怒られて殴られたと述べた。そこで,同日「Q14校長は,静岡市児童相談所に架電してQ9について通告した。また,同日のプールの授業の際,Q9の大腿部及び背中に痣があることが確認された。
静岡市児童相談所は,同日,上記通告を受け,子ども虐待対応の手引き(平成19年1月23日付け雇児総発第0123003号厚生労働省雇用均等・児童家庭局総務課長通知。乙ろ2の10)及び静岡県中央児童相談所等作成の家族支援ガイドブック(乙ろ2の11)に基づき,上記アの会議に参加していた所員等による緊急受理会議を開催し,Q9に行うべき支援及び援助の内容を判断するための虐待処遇アセスメント指標(乙ろ2の6)で判定をしたところ,虐待の程度は,5段階の上から2番目(打撲,広範囲の軽外傷等)であり,調査格付は,生命を脅かす(又は高い可能性がある。)状態として,直ちに立入調査を行うこととなる「R-1」と判定された。また,静岡市児童相談所のQ15主任主事(ケースワーカー)等の所員3名が,本件小学校に立入調査をして,Q9の顔から足にかけて痣があることを確認し,Q9に聞き取りをしたところ,Q9は,原告らからは,Q9が時間を守らないという理由で毎日殴られること,原告Q2の方が多く殴ること,原告Q1からはおもちゃのバットでいろいろなところを殴られ,原告Q1から殴られた際に血が出たことがあることなどを述べた。静岡市児童相談所は,上記立入調査をした所員からの報告を受け,上記虐待処遇アセスメント指標及び所員の合議に基づき判定をしたところ,Q9の支援・援助格付は,直ちに一時保護が必要となる「AA」と判定された。
静岡市児童相談所長は,Q9に痣があり,Q9も原告らから殴られていることを認めたこと,本件小学校から,家庭訪問をした後も原告らからの虐待が継続していることが確認できたことに基づき,Q9を一時保護し(本件一時保護),その後に原告ら宅に架電し,原告らに対して本件一時保護をしたことを告げた。
Q9は,同日,静岡市立静岡病院のQ16医師の診断を受けたが,同医師作成の診断書には,「全身に打撲によると思われる皮下出血を認める」として,〔1〕両下眼瞼,〔2〕左顎部,〔3〕右肩甲骨上,〔4〕左大腿背側,〔5〕右下腿膝下部前面及び〔6〕両殿部について,「いずれも鈍器,または靴による打撲跡と考えられる」,「上記外傷について全治一週間と診断する」との記載がある。
静岡市児童相談所は,同日,静岡県中央児童相談所の一時保護施設にQ9の一時保護を委託した。
(甲11,乙ろ2の4ないし6・12,乙ろ15,16,乙は3の1・2,証人Q17,証人Q13)
(3)本件一時保護開始後の経緯
ア 原告らと静岡市児童相談所は,本件一時保護が開始された平成19年7月13日以降,電話等でやり取りをしたが,次のとおり,原告らは,Q9に対する体罰は虐待ではなく,親である原告らの意思を無視して本件一時保護を継続することは不当であるとの意見を繰り返し述べた。
原告Q1は,同月20日,静岡市児童相談所のQ15主任主事との電話で,虐待はしていない旨述べ,暴行が肯定されると考えているかとの質問に対して「ええ,肯定されますよ。当たり前じゃないですか」「一時的な感情だとかそんなことで虐待を繰り返してきているわけじゃないんだ」,「責任ある体罰っていうのだってあるんだ」などと述べ,静岡市児童相談所のQ18統括主幹との電話で,同月27日,「Q9をおたくらに任せますけど,やつが20歳ぐらいになったときにまともな,私らが考えているような大人になってなかったら,抹殺しますんで。おたくらも含めてよ。」,同月30日,「子どもがこう,おれらの考えてたとおりに教育できなくなったときに,おまえらどういう責任とる。とらなかったときは,おまえ,リンチしてもいいか」,同年8月1日,「根本からお前らの育て方とか教育論が間違ってるのに,何で間違ってる奴らと俺らが話し合わなきゃいけないんだよ。」などと述べた。また,原告Q2は,同年7月23日,Q18統括主幹との電話で,「私達は少なくとも体罰は体罰だって考えてるんですね。私の思う虐待と言うのは自分の憂さ晴らしですね。」,「体罰っていうのは暴力とは違う」などと述べた。
静岡市児童相談所のQ19主任主事(心理士)及びQ15主任主事は,同月20日から同年8月31日まで,一時保護施設を訪れてQ9と面談,行動観察,心理テスト等を行った。Q9は,同月8日以降の面接で,原告らと会いたくなく,施設から帰りたくない旨訴えた。Q19主任主事は,Q9について,同年9月20日開催の静岡市健康福祉審議会児童福祉専門分科会児童処遇審査部会に「現段階では,本児の家庭に対する拒否感が強く,両親と距離を置き,守られた環境下で,本児の話に耳を傾け,個別には母性的で受容的な対応が望まれる。」,「これまでの養育環境により本児の情緒面での成長が阻害されてきた結果が示されており,今後,両親の養育態度に改善が望めないようであれば,家庭との分離はやむを得ず,児童養護施設への入所が適当であると考える。」との心理診断の結果を提出した。同部会では,Q9の入所措置の承認を求める申立てを行うことに異議は出なかった。
静岡市児童相談所のQ20所長は,上記の原告らの発言,心理診断の結果及び上記部会の結果を踏まえ,原告らによる暴力が継続される可能性が高く,Q9も帰宅を拒否していることから,児童養護施設への入所が適当であるとして,同年9月25日,入所措置の承認を求める申立て(本件申立て)をした。
(甲11,14,乙ろ7の1ないし7)
イ 原告らは,同年9月28日,静岡市児童相談所を訪れ,Q20所長,Q17参事(平成20年4月1日に静岡市児童相談所長となった。以下「Q17」という。)等の所員と面談した。この面談の際,Q20所長らは,本件一時保護の経緯や,Q9については児童虐待防止法2条1号所定の暴行が行われたものと判断していると説明したが,原告らは,「体罰と虐待はこれ別物ですから」,「しつけの段階で,あざができるほどたたかなきゃいけなかった」などと述べてQ9の返還を求め,静岡市児童相談所はこれに応じなかった。
(甲9,10,乙ろ7の10)
ウ Q20所長ら及び原告Q1は,本件承認審判及び本件勧告がされた後である平成19年12月21日,静岡市児童相談所で面談した。原告Q1は,本件承認審判の「二度と虐待に該当するような体罰をさせない」という文言から,虐待に及ばない体罰については容認されたものと解釈している,体罰を主体にしない努力はするが,目的によっては必要なこともあるなどと述べたのに対し,Q20所長は,しつけ自体を否定するわけではないが,体罰を伴うしつけは子どもに心理的な影響があり好ましくない,本件勧告を受けて,静岡市児童相談所からの原告らに対する指導方法について年明けに提案する旨述べた。また,原告Q1が,原告らがQ9の通学している安西小学校に面会等を申入れることは問題となるか確認したのに対し,Q20所長は,今の状態だと問題となる旨述べた。
静岡市児童相談所は,平成20年1月頃,上記の提案として,Q9と原告らの家族再統合に向けた「ご両親への支援プログラム」(以下「支援プログラム」という。)を作成した。支援プログラムでは,〔1〕目標は,「Q9君が安心して生活できるような家庭づくり。」であり,〔2〕方法として,原告らが静岡市児童相談所を訪れ、概ね1か月に1回2時間程度を目安に面接を実施し,面接以外にも課題の提出をお願いすることがあること,〔3〕2月から3月頃にQ9の気持ちを確認し,写真やビデオレターなどを通した親子交流を始めること,〔4〕Q9が原告らに会いたいという気持ちを確認し,5月から6月に児童相談所内で原告らとQ9との面会を実施し,6月から7月初旬に親子での外出を実施すること,〔5〕面会・外出時の親子の様子,Q9からの外泊希望を確認し,児童相談所所員による家庭訪問を実施した後,7月初めに家庭への外泊を開始すること,〔6〕外泊が繰り返される中で,良好な親子関係が認められ,引取り後の支援のあり方について共通理解が得られれば,家庭引取りとなることが記載されている。
Q20所長ら及び原告Q1は,同年1月11日,静岡市児童相談所で面談した。静岡市児童相談所のQ21心理士が支援プログラムについて説明するなどしたところ,原告Q1は,支援プログラムは本件勧告を無視したものである,原告らは体罰をしているのであって虐待や暴力ではない,一時保護自体間違っている,おれは日常生活の中で普通にやっていく中で必要であれば絶対体罰は使う,まずはQ9を帰してもらいたいなどと述べた。そこで,Q20所長は,再度提案をする旨述べた。
Q20所長ら及び原告Q1は,同月24日,静岡市児童相談所で面談した。Q17が,本件勧告に基づいてQ9を帰宅させるためには,虐待に該当するような体罰はしないことが条件になる旨述べたところ,原告Q1は,裁判所は原告らが虐待をしていないと認めており,Q9をすぐに返してもらった上で静岡市児童相談所による指導を受けるというのが原告らとして譲歩案の全てである,静岡市児童相談所が原告らの意見を聞かずに一方的な主張をしているなどと述べた。
(甲9,10,乙ろ5の2,乙ろ7の11・12)
エ Q9は,平成19年12月31日,静岡ホームで転倒して頭を打ち,CT検査をしたが,脳に異常は認められず,頭部挫傷と診断された。
静岡市児童相談所は,原告らに対し,上記転倒事故を通知せず,原告らは,平成20年3月7日に静岡市個人情報保護条例に基づき開示を受けた文書により,上記転倒事故の発生を認識した。
(乙ろ1)
オ 原告Q2は,同年2月1日,静岡市児童相談所に対し,Q9の毎日の詳しい言動や様子を報告しない理由等の回答を求める質問状を送付した。また,原告らは,同月8日,静岡市児童相談所を訪れ,本件抗告棄却決定に対して特別抗告を申し立てた旨伝えるとともに,親権を行使するとして,Q9の毎日の一時保護施設及び小学校での言動を報告することを求めた。さらに,原告Q1は,一時保護期間の7か月でQ9の身長が2.4センチメートル,体重が1キログラムしか増えていないという理由で,Q9への精神安定剤等の投与を疑
また、会社がスクショ貼り付け業務しかさせてくれなかったので何も技術を覚えられなかった、ということを言う人がいる。
アルファベットがわからない英語教師、バットという単語を聞いたことがない野球選手、楽器を触ったことがないミュージシャン志望。
何で例えても狂っとるとしか思えない。
ネット民の「エンジニアを教育しない社会・企業が悪」という思想の存在を感じるのだが
私はすべて独学で身につけたので、これが納得行かない。
漫画家で例えるとこうだ。
「漫画家になりたいです。漫画読んだことないです。絵を描いたことないです。雇ってください。」
「業務外で絵を練習したくない。会社が金だして研修しろ。勉強しろというなら家での勉強時間にも給料出せ。ペンタブ持ってないしフォトショ持ってないから勉強できない。買えってんなら会社がプレゼントしろ。」
また、会社がスクショ貼り付け業務しかさせてくれなかったので何も技術を覚えられなかった、ということを言う人がいる。
これもわからない。漫画家で例えると「漫画を書く授業がなかったから一度も書けなかった。漫画を書く能力が身につかなかったのは学校が悪い。」ということだろうか。
アルファベットがわからない英語教師、バットという単語を聞いたことがない野球選手、楽器を触ったことがないミュージシャン志望。
何で例えても狂っとるとしか思えない。
はてなーの皆さまこんにちは。今日も元気にウンコ漏らしてますか?初めて投稿します。
物心ついたころからずーっと気になっていたことがありまして。それはズバリ、「みんな作家の文体をどれくらい識別できてるんだろう?」という問題です。
気になった方は、まずは以下の問題に挑戦してみてください。
★以下の①~④と(ア)~(エ)の文章は、それぞれ同じ作家の書いた別の小説作品から、一部抜粋したものです。①と(イ)、②と(ア)...のように、同じ作者の作品どうしを組み合わせてください。
① そして彼が知ったのは、彼等の大部分が、原発というものの実態を把握していないらしいということだった。どこにどれだけの原発があるかも知らず、それが止まるということはどういうことかイメージできないようすだった。原発が止まっても大して困らないんじゃないかという意見もあれば、ろうそくを買うべきだろうかと異常に心配している声もあった。
② この人は母とは本当にお似合いだ。言葉に表現した瞬間、それが的を射ていても、本当のことを言っていても、なぜか必ず嘘っぽく聞こえ、薄っぺらい印象になる。この人のこの言葉と僕の事実とに挟まれて、僕のあの放火未遂っぽい事件は行き場を失ってしまったようだった。
③ 船長主催の晩餐会は、さんざんなていたらくであった。夕刻から、この時期には珍しい西風が吹き始め、それは次第に客船を上下に揺らした。乗客の中でもとりわけ過敏な者は、晩餐会のための服に着替える前に、すでに船酔いにかかって、各自のベッドに臥してしまった。
④ 札幌の街には今年最初の雪が降り始めていた。雨が雪に変わり、雪がまた雨に変わる。札幌の街にあっては雪はそれほどロマンティックなものではない。どちらかというと、それは評判の悪い親戚みたいに見える。
(ア): 夢の中の俺はまだ子供で野球のバットか何かを捜しに来たのだ。暗闇の中で金属バットが触れ合ってカランコロンと甲高い音を響かせる。俺は広いフロアを見渡す。たくさんの影はしんと静まり返って何も動かない。
(イ): バーは、二階に著名なフランス料理店があるビルの三階にあった。長い一枚板のぶあついカウンターと、四人掛けのテーブルが二つあるだけだったが、いかにも酒を飲むところといった風情で、助成の従業員はいなかった。
(ウ): 三人目の相手は大学の図書館で知り合った仏文科の女子学生だったが、彼女は翌年の春休みにテニス・コートの脇にあるみすぼらしい雑木林の中で首を吊って死んだ。彼女の死体は新学期が始まるまで誰にも気づかれず、まるまる二週間風に吹かれてぶら下がっていた。今では日が暮れると誰もその林には近づかない。
(エ): 十九年前にさらわれた赤ん坊がどこにいるかを、早く彼女に教えてやらねばばらない。白血病で苦しむ息子が助かる道があることを示してやらねばならない。言葉を発しようと息を吸い込んだ時、小さな疑問が彼の胸に宿った。それは瞬く間に大きくなり、やがては衝撃となって彼の心を揺さぶった。
・答えは↓
【答え】
①- (エ) 東野圭吾
②-(ア) 舞城王太郎
③-(イ) 宮本輝
④-(ウ) 村上春樹
①: 東野圭吾「天空の蜂」(講談社、2015年、p124、ハードカバー版)
②: 舞城王太郎「イキルキス」収録「パッキャラ魔道」(講談社、2010年、p193、ハードカバー版)
③: 宮本輝「海辺の扉(上)」(角川書店、1991年、p151、ハードカバー版)
④: 村上春樹「カンガルー日和」収録「彼女の町と、彼女の緬羊」(平凡社、1983年、p50、ハードカバー版)
(ア): 舞城王太郎「煙か土か食い物」(講談社、2004年、p117、文庫版)
(イ): 宮本輝「海岸列車(上)」(毎日新聞社、1989年、p162、ハードカバー版)
(ウ): 村上春樹「風の歌を聴け」(講談社文庫、1975年、p77、文庫版)
(エ): 東野圭吾「カッコウの卵は誰のもの」(光文社、2010年、p204、ハードカバー版)
いかがでしたでしょうか?
なぜこんな問題を作ったのかといいますと、自分はけっこう文体に敏感な方なのではないかと、密かに感じてきたからです。
同じドラッカーの作品でも、上田惇夫訳の「マネジメント」はすごく好きなのに、上賀裕子訳だとなぜか全然頭に入らなかったりします。趣味で読む本は、好きな著者のおすすめで買ってみたものの、文体が気に入らなくて読み進められないことも多いです。(村上春樹はすごい好きなのに、おすすめのサリンジャー「ナインストーリーズ」は受けつけない、など。翻訳版をよく読む方にはあるあるなのでは)
それぞれの作者ごとに、「この人は勢いがあって脳が活性化する感じ」とか「クールな感じで読んでいても全然感情を感じない」とか「頭の中に繊細で暖かいイメージがふわっと浮かぶ」とか、料理でいう味みたいなものがあります。
小説じゃなくても、エッセイでもビジネス書でも、どんなジャンルにも作者ごとの「味」がある。そして、これはその人の持つ「文体」が決めている部分が大きいと思っています。(本の装丁も全体の1~2割くらいは関係してる気がします。料理を載せる皿によってちょっと味の感じ方が変わる感じ?)
でもこの「味」って、大まかにはみんな感じるところがあるはずだけど、誰もが全く同じように感じていることはあり得ない。みんなで同じ料理を食べていて、「おいしい」「苦い」「熱い」などの大まかな感じも方向性は決まっていても、それをどこまで感じているかは人による。(同じ「辛い」カレーを食べても、人によってピリッとする辛さなのか、喘ぐくらいの辛さなのか、という辛さのニュアンスは異なるはず)
これって料理の味ならみんな共感できると思うんですけど、文章の「味」についてはほとんど議論されない。これって実際はどうなのか、という実験でした。
今回挙げた作家について、個人的に感じる「味」はこんな感じ。(あくまで個人の感想です。前者二人の文体は大好き、後者二人はうーむ。ストーリーはそれぞれ面白いと思います。)
・村上春樹: なんの抵抗もなくすっと頭に入って、胸にふわっと煙みたいに広がって染み渡る。イメージが幻想的ながら、ありありと脳裏に浮かぶ。もう村上春樹っぽいとしか言えない。
・舞城王太郎: 「文圧」のすごさ。リズムと勢いで、パンパン読ませる。胸が暖まって脳が活性化する感じ。文体で読ませる作家。天才。
・東野圭吾: 必要最低限の情報量。情報は伝わるが、感情はあまり伝わってこない。マックのハンバーガーみたいな感じ。
・宮本輝: いいところのお坊っちゃん。淀みなく流れる川のように流麗。美しい文章だが、あといま一歩感情が胸に迫ってこない。脳の活性化がいまいち。
最後までお付き合いいただいたはてなーの皆さん、ありがとうございます!皆さんのやってみた結果は、コメントで教えていただけるとありがたいです。あと余裕のある方、同じような問題作って自分にもやらせて...!!
一番身体能力高い奴がいる確率が高いし、体力もあるし、ガタイもデカイし、投擲能力やそれに付随する空間認識能力、バット振り回す腕力等も有る。
格闘技より武器やそれに近いものを扱う能力の方がものを言う筈。
あと一番忘れてはならないのは他社に対する残忍性。
学校や大人から特別扱いを受けやすい現代の日本の野球部は、自分たちが特権階級だという意識が無意識にあるので、他社を踏みにじったり虐めたり利用する事に躊躇ない、沢山居る野球部の中でも序列あるので、下位の者をゴミのように使って勝つだろう。
バトルロワイヤル本編でも最強な奴は他人に対する残虐性(良心の呵責の無い)奴が無双する、彼は一人だが、野球部は集団でそれをやるだろう、なので、本編のように、女連れで体力も無い主人公達は現実では主人公補正がかからないので、野球部の誰かが最後まで生き残る。
敵性反応
001,002,003,004,005,006,007....................
デストロイの季節はどうなるんだろうなあ
つーかこんだけ待たされちゃうといざfinalが出ても、あまりにも期待が高ぶったせいでこんなもんかと拍子抜けしちゃいそうだけど
ラセレーナと会うかなそれとももう死んでるかな
もう地球終わりだよな
Dを起動させてからさ
つーかもうガンパレとかマブラヴオルタとか似たようなのが出まくっちゃったから、どんな展開になってもいまいちに思えてしまうような気がする
つか3rdのラストって鉄コミュニケイション1巻のラストとほとんど似てるよなあって
あと性教育のギャグで、おしべとめしべとコウノトリがね、っていうのが秋山瑞人流の定番ギャグだなあと改めて発見
鉄コミュニケイションでも同じくだりがあったからね
はーでも久しぶりに3巻通して読んで満足満足
発行年月みたら99年の7月ってあった
10年どころかもうちょいで20年になるじゃねーか!!!!!!!!!!!!!!!
イリヤとミナミノとドラゴンバスターは1回読んだらもういっかなって感じだけど、鉄コミュニケイションと猫の地球儀とEGコンバットは何年かごとに読み返したくなる
大乱闘スマッシュブラザーズ(スマブラ)の新作が最近発売され、
おそらく、このような意見の持ち主の多くは、
友人宅でスマブラをプレイし、説明もそこそこに(あるいは説明なしで)アイテムなし終点に連行され、
ボコられた上で「負けた人が次の人に交代」のルールで交代させられ、
そんな過去を持っているんじゃなかろうか。
そうじゃないんだ。
そういった経験で、スマブラが嫌いになってしまったんだとしたら、それはすごく勿体ない。
一番強い人が勝ちなんじゃない。
一番楽しんだ人が勝ちなんだ。
パーティーをやろうよ。
スマブラSPでは80弱のキャラ、100を超えるステージ、80以上のアイテムといろんなルールがある。
遊び方は無限にあるんだ。
ポテチの大袋と、お茶とコーラのペットボトル、人数分のコントローラーを用意して、
全員キャプテンファルコンで、ファルコンパンチとファルコンキック以外使用禁止の乱闘をやろうよ。
アイテムをモンスターボールのみとても多いにして、直接攻撃と反射・吸収技禁止のポケモンバトルをやろうよ。
ハンデキャップ付けて最強にしたCPLv9を相手に、プレイヤー全員をチームにして挑む討伐戦をやろうよ。
ビッグブルーで、ウサギずきんを被ってひたすら右に向かって走り続けようよ。
神殿の下の方で、ダメージ200%を超えても全然死なない吹っ飛ばし合いをしようよ。
勝ち負けなんて些細なことなんか気にせず、笑いすぎて腹が捩れるような遊びをしようよ。
スマブラは、そういう楽しみ方がいくらでもできるゲームなんだ。
もちろん、いろんな遊び方があるということは、
「一番強いヤツが勝ち」
というのもまた1つの遊び方だ。
それは否定しない。
そして、その遊び方を極めたいのであれば、話は別。
長く続いているシリーズの宿命だけど、覚えることは山ほどあるし、
そこはそれなりの覚悟を持って挑むしかないし、文句を言わないで欲しい。
純粋な格ゲーも、シューティングや音ゲーのスコアで競う場合も、TCGやポケモンバトルだってそう。
スマブラだけじゃない。
ポテチを食べる時はそのままだとコントローラーが油だらけになってしまうので、
アルコールを含むウェットティッシュを手拭きとして用意するといいぞ。もしくは割り箸を用意しよう。
あるいは、個包装のせんべいやチョコレートなどの手が汚れないものを食べよう。
~追記~
この記事ではキャラ解放のことについては一言も触れてなかったんだけども。
・キャラが事前に全て公開されていて、夢の共演を売りの1つとしている
・なのでDXの頃のような、遊んでたら突然「挑戦者が現れました!」のワクワク感はあまり無い
・売りとされているはずの様々なキャラをなかなか使わせてもらえないイライラ(ただし灯火で敵としては散々出てくる)
辺りがやっぱ原因だろうね
イマジナリーフレンドと呼ぶと格好付けになる。実際はただの架空の友人。
私は幼少期から親の都合で関東を転々としていて、同じ家に5年以上住んでいたことが1度しかない。最長で8年。
そんなわけだから新天地で友達を作っても、どうせ長続きしないだろうと諦めて越すと同時に縁を切ってしまう。虚しい。
携帯を手に入れてからは人と繋がることが容易くなり、1年に1度でさえも会う事は無いけれど連絡は時折とる、そんな知り合いも増えてきた。
それでも虚しいし、寂しい。
小中高と同じ出身の人達を見ると胸が苦しい、幼馴染という概念が羨ましくて仕方ない。
元同級生達が卒業式後の打ち上げの話をしているのを見て喉を掻き毟りたくなった。
片鱗は以前からあったけど、はっきりと自覚して架空の友人を作り上げたのは高校転入時だ。東京から他県の田舎寄りの高校に転校した。
前の土地ではどんな風に友達と過ごしてた、とかオーソドックスな転校生への質問だったと思う。
私はAという友達とどこそこでよく買い物をした、映画を見た、食事をした、そう答えた。
今にして思えば見栄なんだけど、架空の友人を作る人なんて大概虚栄心じゃないか?
Aは最も長く過ごした土地で出来た仲の良い同性の友人で、私の一番の理解者でもある。8年ほど前に生まれた存在だが、設定からいえば16年ほどの付き合いだ。
人生の半分以上を共にした人間。もはや家族に近い感情を抱いている。
彼女に救われている一方で、彼女に囚われているとも自覚している。
彼女が存在することで救われているから、彼女が存在しないことを突き付けられる度に、絶望しそうになる。
私はツイッターのアカウントをいくつか持っていて、その中には俗に言うリア垢が存在する。
私だけではなく、Aのアカウントもある。
実在性を上げる為だ。
私が新作の映画を見ればAは「私も気になってたんだよね」と呟いてくれる。
私が誰かと食事をすればAは「どこのお店?今度連れてってよ」とリプをくれる。
そんなかんじだ。
別にAが私と会話をする為のアカウントではなく、Aはこの本を好むだろうと感じた本を読んで感想を呟いたり、彼女ならこんな曲を好むだろうと他人伝いで見つけた知らないバンドの新譜を買って写真をあげたりする。
直近だと、出演作もろくに知らない俳優の写真集イベントに飛び入りで参加などした。Aが好みそうな顔をしていたから。
時折よく会話をしている鍵垢は誰?と聞かれる。他人の会話覗いていることよく口に出来るな、と思いつつも自分でも同じことをしているのでなんとも言えない。(みんな見てるよね?)
彼女は私の中で生きていて、嘘はついていない。
彼女は私なくして存在する事はできないし、私も彼女なくして生きる事はできない。
大学も出て社会人になっていい歳してなにをしているんだろう、とも思う。
●追記
私と彼女の生活は「日常」の一コマで、平生の延長線上にあるものだ。だからトラバやブクマコメで、漫画映画といった「非日常」的要素を挙げられて驚いている。
自分にとっては大したことない行為(勿論私の中で占める割合は大きい行為)でも、他人にとってはフィクションに該当するんだな。当たり前のことなのにアハ体験。価値観のアップデートが行われた。
このエントリ?を書くためにアカウントを取得したので、返信の仕方がわからない。追記の方法も間違っている気がする。
誰からも反応が無いまま消えるのだろうとわかりつつも、彼女を私の中で生かし続ける後ろめたさからこのエントリを書いた。
でもありがたいことに(?)少し反応をいただけて、その瞬間だけでも擬似的に彼女が他人の中で存在することができたから、嬉しい。
ブクマコメに「自分が死ぬと同時に彼女も死ぬんだし」という言葉があった。
私が死ぬと彼女も死ぬという言葉、ガツンと後頭部をバットで殴られたような感覚。そうか、私が死ぬとAも死ぬんだ
本人にそんな意図ないのはわかってるんだけど、なんとなく長生きしようかなと思えた、ありがとう。これが言いたかっただけ。
それだけの追記です。