はてなキーワード: オンリーワンとは
しかし、ツイッターでもラインでも話題が絶えないので、ついつい始めてしまった。(サンディエゴちゃんが私の一押し)
これは艦これが不親切なだけである 特に月曜日は出撃任務だけで枠を取られて、遠征任務を受注できないまま遠征隊が帰ってきてしまった、なんてこともあった
アズールレーンは全部の任務が受注状態なので安心して任務を遂行できる
艦これはシミュレーションゲーム、アズールレーンはシューティングゲームなので重きを置いてる箇所が違うということだろう
・情報の通知が親切
アズールレーンはログインするたびに重要な情報を第一に見せるようにしてる(当然、今後表示しない、というチェックボックスはある)
艦これはツイッターを定期的に覗かないと情報が入ってこないし、情報の重要度を意識してないせいか、重要な情報が、どうでもいい情報に埋もれることもある
まとめサイトでチェックした方がマシ
アズールレーンは同型艦でも姉妹艦によってスキルが異なっているので、コモン艦でもオンリーワンの強さがある
また重視する項目は個人によって違うため、議論が熱くなりすぎることがしばしばありそう
・重ねの概念がある
艦これではダブったレア艦は扱いに困ったものだが、アズールレーンは重ねの概念があるためダブったとしても無駄にはならない
ダブらなかっても、金鰤使えば凸できるので絶対にダブらないと駄目ってわけじゃないのがまたいい
私には、
ピアノとお菓子作りと観劇が趣味の設計士の母と、海外で起業してその国の偉いひとと仕事してる父と、いま4年生で某有名広告代理店に就職決まってる美大生の姉がいて、自分も3歳からピアノ、4歳からバレエを始めてどっちも賞取ったりしたし、県内トップクラスの高校行って生徒会やったりもしてて、休日には家族や友人と出かけたり、あとはよく図書館行ったり美術館巡りしたりなんかして、
経歴だけ見たらこーんなに綺麗なのに、どうして私は朝が来るたび死にたくなってしまうんだろう。
はてな村には色んな人がいるが、何故だかその内の半分くらいは何らかの理由でしんどい状況にいて、その事について愚痴っている。「死にたい」という言葉を見かけることも少なくないし、実際そんな言葉を残していった増田たちの中には、今はもういない人も結構いるんだろう。
私もたまにここを覗いて彼らのエントリを読むと、辛い境遇に置かれている人間には普通に同情するし、そりゃ死にたくもなるよなと思う。だって彼らは客観的に見て「不幸」だし「恵まれない」人たちだから。
でも私はそうじゃない。たぶん私は世間一般的にはかなり「幸せ」で「恵まれた」境遇にある人間だ。だから死ぬことは許されない。
死んだら周りの人が悲しむよ、と誰かが言った。それでいいのだ。私は私の死をもって、誰かの心に深く深く私を刻み付けたい。「自殺したって何も美しくない年齢になってしまったなとぼんやりおもう。」なんて言葉をツイッターで見たけど、私はきっとまだギリギリ美しく死ねる年齢だと思う。美しくて、影響力があって、多感で繊細な時期の友人が多い今のうちに、何とか行動したいと思う。
私はいつも"特別"になれない人間だった。部屋の隅に並んだ数多の賞状にトロフィー、それらのどこにも優勝の二文字はない。本を読んだり絵を見たりは好きだけど、姉のようにオンリーワンの表現者になることは出来ない。やること成すこと全部それなりで、周りの人は多才だと褒めてくれたけど、どれかに自分の全てを捧げる程の才能がないだけだ。私はいつでも"特別"になりたいだけの人間だった。
それなりの人生、それなりの幸福。喉から手が出るほどそれらを切望する人がいるのは知っている。でも私にはそれじゃ駄目だった。それだけの話だと思う。
タイムリミットが迫っている。今なら、いま死んだなら、もしかしたら少しは特別になれるような気がするのだ。JKで居られなくなったら、もう私にチャンスはない。決断しなければ。
その前に、こんな所にいったい何人存在しているのか分からないけど、いま幸せな人教えてください。
④
家族でいる時、親戚同士でいる時、幅広い知り合い同士でいる時、サークル仲間でいる時
しかし、学校のクラス、新卒で入った会社などでは全く劣等感だらけだった
両者の違いを考えると、同じ条件で集められた集団か、バラバラの条件で集められた集団かだと思う
同じ条件で人を集めると、どうしてもその条件以外の比較がしたくなる
そのことに今更気づいた
これは奇妙なことだ
社会に出たら、同じ年齢で集められた数百人と同じフィールドで競うように生活することなんて無いのだから
恐らく人間にとって自然なのは、こういった同条件の数百人の集団ではなく、異なる条件の数十人の集団ではないかと思う
それを学校というシステムで強制的に異常な集団に慣れさせるわけだが
それほどのメリットはあるのだろうか
なぜハッカーが生まれなかったのかとか的外れなこと言ってる人がいるけど
ハッカーなんて、情弱でもわかりやすいパッケージとして見せられるかどうかだろう
任天堂の岩田さんだってハッカーとして売り出してたらハッカーってことになってただろうし
いつぞやゲームクリエイターというイメージパッケージはVジャンプが最初にやったんだ!という鳥嶋社長のインタビューがあった
本当かどうかは知らないが興味深い話なのでまだ読んでない人は読むといい
http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima
ゲームという世界だし、ゲームクリエイターってのはハッカーに限らないから今回の話の例として出すのはおかしいと思うけど
つまり、日本においてハッカーというパッケージで売り出そうとしたメディアはいただろうかって話がある。
ゲームクリエイターというパッケージ以前も、ゲーム作ってるお兄さん的な存在で雑誌にインタビュー受けてたのは子供のころ読んでたゲーム雑誌で覚えているけど
ゲームクリエイターになってからは、常識変えてやります感とか急に出て驚いたのを覚えている。(背景は黒でピンスポットライトなんか充てられてね)
ハッカーもまさにそんな空気を演出したなにかだろう、コンピュータに詳しいおじさん以上の存在としての何かを日本のメディアは求めただろうかって話。
イメージパッケージ以上に影響が大きいのは、活躍の場、そして拡散の力、つまりそれは言語ってことだ
そもそもFacebookなんて技術力(つまりハッカー)の力でのし上がった企業ではない
つまりはコミュニケーション、拡散力が勝敗を決めるってことだよね
いやいや、技術力ありますやん、facebookすごいですやんって思うだろうが、それは結果的に金もった企業が雇ったにすぎない
RubyにしてもMatzが英語を駆使して布教したから、RoRにつながったんだろう
良い言語だからだけでは今のRubyの地位はなかった(それでもPythonと比べてどうのこうのと言われるのもきっと拡散力)
Matzさんはモルモン教徒で、大学を休学してアメリカで布教活動してたみたいだけど、今のRubyの地位とこの経験は無関係ではないと思うよね。
イメージパッケージ、拡散力、そしてそれを可能にするツールとしての英語
これはほんと重要だと思うよ。
ゲームなんかはオンリーワン的な存在だから、無効が翻訳させてくれって言ってくるの待っててもいいけど
ITなんかはサービス業だからこっちから行かなきゃ向こうで類似サービスが立ち上がって終わるだけ。
まだJAVAapplet全盛時代に日本でお絵描き掲示板ってのがはやって、これ海外でもoekakiBBSって名前でニッチなはやり方したんだけどさ
これアメリカでやってたらクラウドの時代だなんだってイメージパッケージしてこれが最先端ですって言ってただろうなって思った。
日本じゃアメリカのブログよりまえに、WEB日記がはやったけど、海外のメディアがブログだなんだと言い出してブログが流行り始めた
そういうことよ
この手の話だといつも思うんだけど、
何で「昭和な古臭い〇子」と「キラキラネーム」しか選択肢が浮かばない人が多いんだろう。
現実だと「キラキラではないが古臭くもなく、適度に現代的だが珍妙ではない無難な名前」か
「現代的な、古臭くない〇子」or「古風だが『古臭い』のではなく『レトロ可愛い』系統の〇子」
にしている親が殆どだと思うけど。
と書くとなんかファッションみたいだけどさ。
そういう人が「世の中には『昭和な古臭い〇子』と『キラキラネーム』しか選択肢がないんだろ?
でも自分はキラキラは絶対に嫌だから前者を選ぶぜ!」と息巻いて昭和〇子名を子供に付けたが
子が成長して他の子とも関わりが出来てきたら、大多数がそれ以外の普通に無難な名前しか付けてない事を知って後悔&子供にも恨まれる、ってな事になりそう。
それでも「他人とは違うオンリーワンな名前つけた私かっこいい!」みたいなのも残るかもしれないけど、それってキラキラネーム脳の親と同じだよね。
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「メサイアコンプレックス」という言葉がある。
実際はモラルハラスメントなどに通じる考え方であるが、ここではちょっとネット向けにアレンジした理解として、「個人の問題や悩みを解決するために、わざわざ社会を変えなければならないと考え、それを呼びかける人」のことを指すこととする。「スラクティビズム」という言葉と親和性持たせる感じね。
例えば、自分がオタクとして十分なアイデンティティの充足が得られない人が、「今のオタクは間違っている。正しいあり方に直さねばならない。私が主導する」といい出したり、例えば、左翼やリベラルとして十分なアイデンティティの充足が得られなかった人が、活動の場を求めて、他に誰も問題視していないことを大げさに騒ぎ立てて自分の存在感をアピールしたりtogetterまとめなどを使って拡散しようとしたりする事案などがそれに当てはまる。
そういう人たちが、自分の問題と社会の問題を「リンク」はさせつつも「別の問題」として扱えるのであれば問題はない。当然のようにつながりはあるが、それでも自分の問題は自分の問題、社会の問題は社会の問題として、それぞれの課題を分離できるならいいのだ。
だが、大抵の人はこの2つを混同してしまう。というか、そうでもなければ、わざわざ社会の問題なんて考えようという人はそうそういないだろう。
だけど、これはわざわざ難しい事をやって、わざわざ行き詰まるように自分を追い込んでいる。セルフハンディキャップよりタチの悪い、約束された失敗に向かって飛び込む破滅願望のようなものだ。自分に酔っているだけで何の役にも立たない。
いわゆる「心の贅肉」というやつだ。
そういう贅肉がある人は羨ましい限りだ
それにしても学歴が高い人に有りがちな「自分のことだけ考えていてはいけない」という強迫観念があるのかもしれない。
最近はそうでもないと言われるが、やはり良い大学に行った人や、
本人はそうでなくとも親が良い大学に行っていたり医者だったりする人は、
多かれ少なかれエリート意識と言うのはまだ残っている人が多い。
そして、エリート意識というのは、正しく扱わないとその人間を蝕む毒になる。
数十年前の学生運動というのは当初、東大や京大などの人間が真面目に考えすぎた結果、こじらせてしまったところが出発点だった。
せっかくいい大学に通わせてもらったののに、他人より恵まれた立場にいたはずなのに、自分は何をやっているのだろう、自分だけ幸せになっていいのか、社会はこのままでいいのだろうかと余計なことを考えて、ふわふわした感覚のまま社会を変えなければならないという気持ちだけが先行してああいうことになった。
彼ら彼女らはとにかくクソ真面目なのだ。クソ真面目すぎて、背負う必要もない責任を抱え込んで、それをどう扱っていいのかわからないまま混乱してしまったのだ。
最近はてなブログでこれに近い、クソ真面目な人が混乱しながら書いたんだろうな、という記事を読んだ。
東大に次ぐ日本で二番目に難しい文系大学を出たあとニートになったりすれば、その鬱屈した感情は非常に強いことだろう。
ああ、エリート意識を持て余し、メサイアコンプレックスに取り憑かれているなと感じる。
だが、タイトルに革命、のような言葉をつけているわりに記事の内容は幼稚としか言いようがない。
自分に酔っているなとすぐわかる。
大学卒業したての人間が、雇われずに生きていくと言っているのと近い。
願望を述べるのは良いが、具体性が足りない。そこに本気を感じない。
この人はシャドウ・ワークという言葉を知らないのだろうか。 良い大学を出ていても、あまり勉強してこなかったように思われる。
自分の問題から逃げるために社会の問題を論じているだけのようにしか感じない。
自分の現実から逃避するために適当に論じている人を見ると少し腹が立つ。
そういう人間が、私は社会の問題をちゃんと考えてます、というツラをされると私としては大いに腹が立つ。
今の社会はそりゃ間違っているかもしれないが、それでもとりあえずギリギリ成り立っている。
それを支えるために結構な労力を費やしているわけだ。
ブラック企業を支持する奴隷と言われるかもしれないが、すくなくともこの社会において
別に私でなければ回らないようなオンリーワンの仕事なんかしてないが、
与えられた仕事で毎日踏ん張って、自分だけでなくて家族を養って生きてるのだ。
他人から見たらつまらない人間に違いないだろうが、そういうことを蔑ろにされたくない。
そういうことすらろくに出来ないやつが、社会の変革みたいな大げさな話をしても鼻ホジでしかない。
https://togetter.com/li/1102693
ジャンプ+編集部の女子トイレのマンガは普通にセクハラだし、性犯罪を助長すると思うのだが… - Togetterまとめ
さすが青二才!
上の話は題材的には、普通にひとが普通に批判するぶんにはどうということのないネタにすぎない。せやな、で終わる話だ。
これが、青二才という人間の手にかかると立派な燃料になる。ヤンマガならオーケーだけど、だの性犯罪をじょちょうするなどなど青二才の頭の悪さがダダ漏れの表現の数々によって可燃物となっているのがクール。そして燃えた後に自分のTwitterで俺は負けてない発言をするところまで完璧な流れである。
久々に彼のブログを訪れた。いつのまにかよくいえば普通に、悪くいえばつまらない人間になってしまっていた。自分より偏差値の低い人間ばかり相手にして小さくまとまった話をして、俺すごいだろって適度に承認欲求と小銭を集めてよろこぶキャラになってしまった。もう青二才ならではのコンテンツ、青二才ブログでなければ読めないものはなくなった。今の記事は質が悪いとは言わないが、オンリーワンの輝きはなくなった。普通の人よりちょっと出来がいい、程度の話だ。ナンバーワンでもないから他のブログでも読めるようなコモディティでしかない。もはや現在の青二才ははてなでちょっとした顔、という人間ではなくなって、ただの中堅アフィリエイターという趣である。昔稼いだ読者数があるから持っているが、それすら無かったら本当に、ほとんど見向きもされない程度のつまらない存在になった。
そんなふうに思っていた。
しかし青二才は死に絶えてはいなかった!互助会の灰に汚染された大地で、みんなニコニコおべっかをつかいあい、はてなモヒカンがヒャッハー言いながら彼らの種もみ(はてブ)を奪っている世界で、彼は病んだ身を押して立ち上がる!
気付いたメリットを挙げていく。
当たり前なんだけどこれに尽きる。というかこれだけしか利点ない。オンリーワン。
早寝早はてブを合わせると、更にはてブ時間は伸びる。誇張抜きで1.5倍くらい。
最近の平日はこんな感じだ。
まず17時台のうちにはてブ直行、意外と主婦っぽい人は少なめ。
20代後半〜30代前半くらいのデフォルトなアイコンが多く、目の保養になる。あいつら互助会だな。
ホッテントリをあさって帰宅で18時台前半、山本一郎をDisってもやっとこさ19時前後である。
そっからこころゆくまでyoutubeで音楽聞いたり、ちんこいじっても、せいぜい20時台後半。
そんなこんなで21時半には眠くなってくる。で、22時過ぎにはソファーで寝落ち。
5時には目覚め。ゴミ出しやら洗い物やらは体力のみなぎるこの時間帯で済ます。
6時台にはゆっくりはてブ。「夜はてブしねえのかよ、汚いな」うるせえよ、こちとら朝はてブ派だ。
はてブから出たらしっかりとベッドで二度寝。30分から1時間寝て出社。今日も一日頑張るぞ。
家ではてブ鑑賞するときは、ストレートに帰宅。パパッとTwitterを適当に済ます。
あー手斧楽しかった。時計に目をやる。まだ20時台だ。もう一本投げようかな。
Facebookに行く日もある。18時前後のFacebookはガラガラ。飯写真+意識高い系、みっちりやっても20時過ぎには終了。
何をやってもイエロースターがひたすら余る。イエロースターの買取サービスでもあれば毎日3000個分くらい売り飛ばしたいよ。
彼女持ちなら一緒にはてブできるな。カラースター付けたりするのも一興だ。
子持ちなら幼稚園やらのお迎えついでに子供とはてブしてあげられるだろうね。
春・夏とかなら全然明るいし、帰りがてら公園とかではてブしてあげる事も可能かもな。
はてブ寄ってはてブ後にはてブ、はてブに入れてあげても20時台じゃないかな。
子供が大きくなったら親父が互助会や勉強会の送り迎えしてやる、なんてのも粋じゃないの。
相変わらず薄給な事実は変わらないんだけど、とにかくスターつけてる感が半端じゃない。
小学生の時の「今日帰ったらはてブしようかな♪」ってワクワク感が蘇ってきた。
「世の中、アフィリエイトだ」と言うだろう?絶対に違うね、世の中はてブだよ、はてブ。はてブははてブなり、ビバ定時はてブ。
結論:みんな早く帰ろう。
視野が狭いね。若いのかな?仕事はね、遊びであり、楽しみであり、趣味なんだよ。
「仕事なんてその人が死んだら別の人がやるだけで、いくらでも代わりがいる」ってのは当然だとしても、「だから仕事のために無理をしてプライベートや健康を犠牲にしたりするのは無駄」って理論はまったく成り立たない。仕事にオンリーワンを求めてる人なんて、むしろ、いないでしょ。
子供を育てるのと同じくらい、部下が育ったり、チームで目標を達成したり、みんなで飲みに言ったり、たまに意見を衝突させてでも会社をよくしていこうとしたり、それ自体が人生の楽しみなんだよ。
そうやって仕事に向き合ってれば、貴方は悲しくもなんともなくても、その人の死を悲しむ人達がいるかもしれないんだよ。家族だけが悲しむなんて、世界がせまいじゃない。
気付いたメリットを挙げていく。
当たり前なんだけどこれに尽きる。というかこれだけしか利点ない。オンリーワン。
早寝早起きを合わせると、更に自由時間は伸びる。誇張抜きで1.5倍くらい。
最近の平日はこんな感じだ。
まず17時台のうちにスーパー直行、意外と主婦っぽい人は少なめ。
20代後半〜30代前半くらいの綺麗なOLさんが多く、目の保養になる。あいつら帰るの早いな。
食材を買って帰宅で18時台前半、晩飯を食い終わってもやっとこさ19時前後である。
そっからこころゆくまでyoutubeで音楽聞いたり、趣味の楽器いじっても、せいぜい20時台後半。
そんなこんなで21時半には眠くなってくる。で、22時過ぎにはソファーで寝落ち。
5時には目覚め。ゴミ出しやら洗い物やらは体力のみなぎるこの時間帯で済ます。
6時台にはゆっくり入浴。「夜入らねえのかよ、汚いな」うるせえよ、こちとら朝風呂派だ。
風呂から出たらしっかりとベッドで二度寝。30分から1時間寝て出社。今日も一日頑張るぞ。
家で映画鑑賞するときは、ストレートに帰宅。パパッと飯を適当に済ます。
あー映画楽しかった。時計に目をやる。まだ20時台だ。もう一本見ようかな。
ジムに行く日もある。18時前後のジムはガラガラ。有酸素+筋トレ、みっちりやっても20時過ぎには終了。
何をやっても時間がひたすら余る。時間の買取サービスでもあれば毎日3時間分くらい売り飛ばしたいよ。
彼女持ちならディナーとか一緒に行けるな。映画見たりするのも一興だ。
子持ちなら幼稚園やらのお迎えついでに子供と遊んであげられるだろうね。
春・夏とかなら全然明るいし、帰りがてら公園とかで遊んであげる事も可能かもな。
スーパー寄って帰宅後に夕食、風呂に入れてあげても20時台じゃないかな。
子供が大きくなったら親父が塾や習い事の送り迎えしてやる、なんてのも粋じゃないの。
相変わらず薄給な事実は変わらないんだけど、とにかくQOL向上してる感が半端じゃない。
小学生の時の「今日帰ったら何しようかな♪」ってワクワク感が蘇ってきた。
「世の中、金だ」と言うだろう?絶対に違うね、世の中時間だよ、時間。時は金なり、ビバ定時退社。
結論:みんな早く帰ろう。
レズビアンではないと思う でも一生を共にしたい
増田子ちゃん(仮)大好きだし増田子ちゃんに私より大事な人ができたら死ぬしかない 女でも男でも死ぬ
私か増田子ちゃんのどっちかが男だったらプロポーズしてるんだけどどっちも女だから夫婦みたいなオンリーワンな関係にはなれない ていうか告白もできない
増田子ちゃんに性愛を感じるかっていうとそうじゃないしセックスは男性としたい
ただ増田子ちゃんの一番になりたい 恋人じゃなくて夫婦になりたい 一緒に住んで一緒に年をとりたい なんなら養いたい 子供はいらない派だけど増田子ちゃんが子供欲しい派なら養子とか精子バンクとか勉強する
こんなのどう伝えたらいいのかぜんぜんわからない
とりあえず今度合ったら増田子ちゃん大好きだーって言おう
http://anond.hatelabo.jp/20170207224412
教育困難校のヤツ、遅ればせながら読んだ。
最近、自分の置かれた労働環境の悪さを嘆く増田が多いね。ネットニュースにも取り上げられたりしてさ。
この件に限らないけど、みんな仕事に要らぬ使命感持ち過ぎ。教育系とか医療系に多い。
あんま仕事を人生そのものとして重く考えすぎるな。過労死とかまさにその典型だ。
服とかアパート、クルマや家電を選ぶくらいの感覚で仕事を捉えた方が色々と楽だぞ。
理不尽な職場ならすぐ辞めろ。「私が居なきゃ・・・」ってのは大抵の場合、自意識過剰だ。
よっぽど替えのきかない奴じゃない限り、九割九分の場合「あの人辞めたんだ。へー。」で終わり。
上の奴らだって「替わりすぐ見つかるかなー。」ってなもん。イチ労働者なんて替えのきく歯車。
理不尽を押し付けられたら、とっとと「いち抜けた!」って大袈裟に辞表叩きつけて辞めちまえ。
そうすりゃ、それに続けとばかりに辞める奴が出てくるだろう。内心みんな不満だからな。
駄目押しで職場の労働環境の悪評を2chやSNS、転職会議に書いたり、親類・友人知人に全力で言ってまわれ。
この情報化社会だ。噂話ってのは想像以上に効力がある。その職場はチリツモで徐々に慢性的な人手不足に陥っていく。
最後まで残ったドM勢もさすがに耐えきれず、じきにくたばる。当然業務は立ち行かなくなる。
ここまで来ちまえば、職場側だって困るワケ。嫌々でも労働環境を良くせざるをえない。それか普通に潰れるか。
ほらな?ブラックな労働環境を駆逐するには、とっとと辞めて雇用の流動性を高めてくことが急務なのが、阿呆でも分かったろ。
だから、疑問点持ったらさっさと辞めちまえ。今置かれてる状況で即時判断しろ。待ってても良くならねえよ。貴重な時間を浪費すんな。
勿論、将来的に雇用の流動性が確保されればクビは切られやすくなるだろうが、再就職も容易になるだろうから問題ない。
辞めちまったからには少しでも恒久的なスキルが身につきそうで、ホワイトであろう次の仕事を血眼で探せ。
歯車は歯車でも、替えのきかないオンリーワンな歯車になれるように心掛けろ。そうすりゃ道は開けてくる。
なんなら知恵絞って自分で仕事作っても良い。そうすりゃ、歯車ワールドから一足早くおさらばできる。
こんなの理想論だ?うるせーよ。現にアンタら甘んじてばかりで何も行動起こしてねえだろ。受動的だから搾取されるの。
コミュ障・無能にはキツい?誰だって多かれ少なかれ、コミュ障・無能の因子持ってるっつーの。
バーナム効果だ、バーナム効果。(精神疾患とか発達障害とかは除く。)
せっかくだから、もうちょい頭使って人生有意義に過ごそうぜ。勿体ねえから。
こうやって書くとホリエモンやらイケハヤの受け売りとか言って叩かれるんだろうけどな。
一般的な脳ミソぶら下げてたら、これくらいは自明の理だと思うんだけどね。
家に帰って、日本社会ガー!老害ガー!格差ガー!労働環境ガー!と増田に書き殴るだけじゃ何も始まらん。それに全く建設的じゃない。
みんなでちょっとずつ賢くなって実際に動いて変えていかないと、我が国の労働環境は一向に良くなっていかんぞ。
「仕事ってのはこういうもんだ。」っていう固定観念を捨てて、草の根的に行動に移していくしかない。とりあえず仕事辞めろ。そんだけ。
「こんな世の中、もうウンザリだ!」
あ、小生、自殺したくなったこと過去数えきれないほどあるでござるよ?
だから自殺したいと思ってしまうことがあることは小生、理解できるでござる。
でもその理由で代表的だと言われてるこれに関しては全く同意できないでござるよ。
【ツッコミどころ】
「こんな世の中」
これって何と比較して「こんな」なの?
こんな世の中嫌だって言うけど、評価する以上は何か対等なものと比較してるってことだよね?
「酸素が嫌だから臭素を吸って生きる」とか言い出すやつがいないように、オンリーワンの体験しかしてないはずなのに、
何が「こんな世の中」なの?
ちょっと創作物の異世界モノとかラノベの転生モノとかに影響されすぎじゃないの?
死んだら転生できるとか、
死んだらあの世があるかもとか、
死んだら無になれるとか、
その幻想の君の心にしかない理想郷とこの世を比べて「こんな世の中」?
この時点で同情できないし同意できないし共感できないでござるよ。
小生はね。
もし、死んだ結果ここよりもクソな世界に放り込まれたらどうするんでござるか?
少しは考えて欲しいでござるよ。
死ねば助かるなんておこがましいでござるよ。
死んでもこの世界の肉塊になって原子・分子・クォーツ・素粒子もろもろ、残されるでござるよ。
ちゃんと魂が解放される確証もないのに、自殺なんてできないでござるよ。
でも何度もいうように何の確証もないでござるよ。
とても面白かったし泣いたし、心に未だに余韻が深く刻みこまれてる。
けどなんかモヤモヤした。多分そのもやもやは…ああいう強烈なロマンティックラブが好きな監督への同族嫌悪。
どんなに隔たりがあっても、自分と相手の強い結びつきは絶対で、それもただの恋愛関係ではなくて、相手の存在が自分の存在に意味を与えてくれるような、そういう惹かれ合い。主人公達の最初のモノローグのように、自分にはそういう相手がいる、その誰かを探している。ってさ。
そういう相手がいるのが羨ましい、というかそういうふうに言ってる内は「自分は彼にとってオンリーワンの自分なんだ」って思っていられるから、羨ましい。
だってそういう相手欲しいじゃないですか。無条件に惹かれ合ってられるなんて素敵すぎるじゃないですか。
でも現実の世界で男女のいろんな出来事を見聞きして経験してきちゃうと、そんなんねーよ!って思っちゃうし、そんな夢見て恋愛してられないと思っちゃう。夢見て恋愛して上手くいく人もいるけど少数。
「お前ができること全部やれ」
だから。
自分のスペックを上げる能力を上げることにいちいち専門分野作ってそれに固執するという
(しかもこれは「教育方針」ではなく「精神論」なので専門性を持ちたくてもドイツほどの専門教育を受ける機会が圧倒的に少ない)
口では「長所を伸ばせ」といいながら結局数学が得意で国語が苦手な奴に漢文の勉強をさせるのがジャパンの教育。
言ってることとやってることがズレッズレ。
運動がいくらできても勉強できないなら、運動も勉強もできるやつに馬鹿にされる社会。逆もしかり。
なので運動できるから勉強しなくていいという免罪符が成り立たない。
全ての頂点を目指すから自分を固定観念で型にはめることをしない。
自分の才能に気付くチャンスが島国より圧倒的に多いし、能力者のためにそれ相応の予算と場所を提供してくれる、
日本だと何もできないのではなく「運動ができない」とか「勉強ができない」というように1つの欠点を極大させて個性にして
と最近の色々を見て、改めて思ってたのだけど、その一因が先ほどふと分かった気がする。
というのも、「庵野秀明は新海誠への嫉妬で燃えているに違いない」というどこぞで見かけた馬の骨の因縁ツイートがあまりにも自分のイメージと違うことで、何かそこにメンタルヘルス用語で言うところの投射があることに気づいたからだ。
まず、このツイートが根本的に見誤っている事実として、庵野秀明という人物は、あの業界の人間にしては極端に他人に対する競争意識というのが低い。
少なくとも、表立ってはそれを感じさせない人物だ。
今までそれと意識した事はなかったが、改めて探してみると、他人への嫉妬や妄執が感じ取れる言動というものが本当に少ない。
自分以外のクリエイターの作品はまず肯定的に評するし、作品を比較して善し悪しを語るということにも熱心ではない。
富野由悠季の『そういう部分』をリスペクトしている割には、本人は驚くほど『競う』とか『順位を争う』とかという発想とは無縁の人物だ。
その代わりに顕著なのが、強い自意識だ。
ここで用いる言葉は、自尊心ではなく自意識、というのが妥当であるように思える。
ある種、究極のナルシストとでも言うべきか、他のクリエイターと自分との力関係などまるで我関せず、ただ自分がどれだけ自分を見てる人に印象的に映るかということだけを考えている感じだ。
『自分と自分の客』だけが世界の全てであると言っても良い人なのだ。
そういう意味で、セカイ系とかいう古くさい言葉で語られる彼の作品類型は、彼に見えている世界観そのものであるという事が改めてよくわかる。
当然の帰結として、庵野秀明が強い悪感情を抱くのはただ一つ、『悪い客』だけになる。
庵野にとっては同じ業界人などライバルでもなんでもない。ただ客だけが自分の戦うべき敵であり、「自分を分かってくれない」悪い客だけが究極の憎悪の対象なのだ。
幼稚と言えば幼稚なのかも知れないが、庵野にあるのは「なんで必死にがんばってる僕をわかってくれないんだ」という承認欲求だけで、それ以外の事は良くも悪くも何も考えていないのだ。
エヴァンゲリオンの、俗にいう『旧劇』は、庵野の強い憎悪・ルサンチマンの産物であるという事実は有名だが、それはあくまで『悪い客』に向けられたものだ。
庵野は、気に食わない批評家、もっと有り体に言えば『オタク』に負けるもんかと闘志を燃やす事はあっても、かつて一度たりと同じ業界人に対する『対抗意識』で燃えた事などはないのだ。
しかるに、庵野がことさらに嫉妬されがちな人物で、また冒頭に書いたような「若手を嫉妬しているに違いない」などという頓珍漢な言いがかりをつけられまでするという事実は、非常に興味深い。
庵野という人物は、常に競うという事とは無縁で、ただ『自分』を分かって欲しいという自意識だけでここまで来たクリエイターだ。
その事実は、取りも直さず、庵野秀明がオンリーワンであり、別の言い方をするなら「自分がトップに立てる土俵でだけ戦って来た人物」であることを意味する。
だがそれこそが、自分で土俵を作れず、他人と競う、オンリーワンをナンバーワンとして嫉妬するということしか出来ない種類の人間には、もっとも攻撃されやすい属性なのではないだろうか。
究極のナンバーワンであるオンリーワンの庵野は、彼らの目には常に妬ましいものとして映るだろう。
なんとかして、自分たちと同じ『競争』のルサンチマンに庵野を引きずり込みたい。
庵野が気にした事もないような『軸』で、庵野がナンバーワンでなくなる軸で、庵野に嫉妬して欲しい。
そんな願望が、このツイートのような、あまりにも庵野のキャラクターと齟齬を来す『勘ぐり』として現れるのではないだろうか。
彼らは往々にして、実際には自分で戦う事の出来ないただのオタク、つまり『観客』だ。
庵野秀明が新海誠に嫉妬して闘争心を燃やす事はまずないだろうが、このような、新海誠を出汁にして、庵野にいちゃもんをつけたがる『観客』がいる事実は、まだまだこれからも庵野を奮起させ続ける可能性が、まあ、確かにある。
飽和攻撃が有効だとあの場面でわかった時点でヤシオリ意味ないなって同時になったのになぜ気づかない?
休眠中ゴジラが何をしていたのかあの場面で答えが出てる。
要するにゴジラは冷却機能向上を図ったんじゃなくて尻尾レーザーとか省エネに走った、
つまり冷却機能のこれ以上の改善は不可能だと自分で答えを出したからお茶を濁しに走ったわけ。
そうすると有翼化か群体化が残るが有翼は当然歩行よりもずっとカロリーを消費するから
さらに熱量を溜め込むことになりどう考えても効率悪いのでこれも答え合わせができる。
それってオンリーワンよりも数が多い方が替えが効くよねって理論で
つまり攻撃で死ぬ可能性あるならストック沢山多い方がいいよねって話で
防御面で僕不安抱えてるんですよどうしましょう先生?ってコメントになってる。
どっちにしろ防御面も攻撃面も欠陥が残って手詰まりになってるんだよねゴジラは。
あそこで棒立ちした時点でもう詰んでるんだよ。
群体化こそが最後の賭けだった。
まあ、増田じゃそこまで読み解けないわな。
「ヤシオリの飽和攻撃が有効」ということからここまで答え合わせがあのシーンからできたからまるで入り込めなかった。
ゴジラのやってることってあの巨体とか新元素とか放射能とか神秘的なように見えて
やれることやれないこと劇中の動きだけでハッキリ線引きされてるんだよね。