はてなキーワード: 身体障害者とは
表題のとおりだ。この度、思うところがあって増田に投稿してみる。
カッコウというのは結果論であって、それ以前に俺は、恋人や結婚してる女性が好きだ。そういう人にしか興味が持てない。昔から。小学生の頃から、例えばAちゃんとBくんが仲がいい時に、Aちゃんと仲良くなりまくって、Bくんに見せつけるのが趣味だった。
そういう気質なのだ。職場の飲み会でも、地域の集まりでも、趣味の社交の場でも、相手が結婚してると特にそういう気持ちが湧いてくる。
結婚してなくても、アツアツのカップルでもいい。でも不思議かな、「彼氏がいる」って情報だけだと燃えてこない。たぶん、いろんな濃さの恋愛があるからだろう。消滅寸前のカップルなんて、恋人いないのも同然じゃないか。「婚約中」みたいな情報だったら燃えてくる。
相手が結婚していると、その人が気になってきて、付き合いたくなってきて、少しずつ仲良くなって、食事に行くようになって、俺の責任でホテルに入るか、家にこっそりと呼ぶ。もしくは相手の家に行く。
3人だけ抜き出して語ってみる。これまでダントツに好きだった三人になる。今でも、ごくまれに会うことがある。
予防線だけど、俺は文章のプロでもなんでもない。読みにくいなー、と思ったらこっちが文章ミスをやらかしてる。読み飛ばしてほしい。年末で大忙しの中で書いてるから、推敲はザザッと一回だけだ。
1人目は、アヤカとしよう。この子は、今の会社に中途で入った時の同期だ。新卒だった。
見た目はタイプだった。背丈は平均的で、体型は細身で、すっきりとした顔立ちだった。浅黒だったかな。
いま見た目のことを言ったけど、何より性格がいい子だった。朗らかな雰囲気で話すし、子どもに優しいし、誰も見てないところでゴミを拾うし、委託で社内清掃に来ているシルバー人材センターのおばさんにも丁寧にあいさつをする。マジでいい子だった。
当時は、東プレ㈱というパソコンのキーボードとか作ってる電子機器メーカーに勤めてたんだが、その子は経理事務だった。自分は当時、売上部門にいたので接点はそこまでなく、年に数回の飲み会で一緒になるくらいだった。でも、和風の店でも洋風の店でも、いつも近くに座るアヤカを見て、恋愛的な興味が……ちょっとしか湧かなかった。かわいいな、とは思っていたのだが。
ある時だった、年に一度ある同期の飲み会の場で話をすることがあった。俺から話しかけた。
「いないよ」
「えー、おらんやあ」
みたいな会話があって、その時に「あ、そうか。そうなんだね……」と平坦な感情に襲われたのを覚えている。何度見ても、笑顔が素敵な子だった。実際に性格もいい子だった。
転機があったのは、それから数年後のことだ。アヤカが結婚するという。同期のライングループでそういうお知らせが回ってきた。社内では旧姓を使うらしい。
「アタックしとけばよかったな」という月並みな感情が湧いてきたが、すぐに忘れてしまった。その後、アヤカが産休に入って会社にこなくなったのもある。
さらに一年後だった。グループトークで、アヤカが生んだ赤ん坊の写真がアップされていた。ほかの同期社員は、可愛い可愛いってトークに参加していた。俺も一言「鼻の感じが似てるね」ってコメントした記憶がある。
それで、あの日がやってきた。初冬だったかな。出社のためにカードをかざして社屋に入ろうとしたところ、アヤカがいたのだ。育休から復帰していた。初出勤のようだ。
「あー、増田くん」と、朗らかな笑顔でこっちを見てるアヤカを見た途端にスイッチが入った。そっちの方に歩いて行って、トークを始めた。
赤ん坊は誰に預けてるとか、産休から復帰したばかりで職場の人はどういう反応をしてるとか、仕事はどんなのが割り振られてるとか、いろいろ話したかな。
以前はそこまで喋らなかった。新入社員研修の時に、みんなでランチをした時に馬鹿話をして大笑いしたことはある。あとは、やっぱり飲み会でちょっと話すくらいか。
それからは、社内でばったり会う度に話をした。ほんと、どうしてそんな話題が出るんだろうってくらい話をした。
アヤカが復帰してすぐだった。退勤後、一緒のタイミングで社屋を出て、駐車場まで歩いている道中に「来週飲みにいかない?」と誘った。アヤカは迷った様子だったが、「アヤカと行きたい」と言ったらOKしてくれた。
一回目の食事は、誰にも見られないように市外を選んだ。大衆的なお値段の寿司屋に入って、握り寿司を食べた。80代のお爺さんがやってるんだが、若い人が来るとサービスをしてくれる。俺にもアヤカにも、うにの軍艦巻きとか、カンパチとか、かっぱ巻き×3とかをサービスしてくれた。一人1,400円ほどだった。アヤカはわさびが苦手なようで、箸でシャリとネタを分離してわさびを剥がしていた。
二回目はデートと言ってよかった。夕方以降の時間帯に、さっきと同じく誰にも見られないエリアを選んで、ひっそりとたたずむ喫茶店でカレーとナンを食べて、店を出たところで手を繋いだ。
なしくずし的な感じで手を引くと、トコトコと後ろをついてきた。そのままホテルに入ろうとしたところで、アヤカの足が止まった。
「やめといたら。後でしらんよ」
「アヤカの優しいところがいい」
みたいな話をした後、手を繋いでラブホテルに入った。「ここでいい?」と部屋を聞いて、あとは流れだった。
性行為は、お互いに高校生みたいな感じだった。とにかく様子見だ。言い方は悪いが、カタツムリが二匹、雨の路上で交尾をしてるのを見たことがあるだろうか。あんな具合だった。気持ち悪くてごめん。
なぜかはわからないが、パートナーがいる相手と性行為をすると気持ちがいい。そうでない相手とのセックスの気持ちよさを100とすると、パートナーがいる相手だと170ほどになる。インスタントラーメンで例えると、前者がエースコックのスーパーカップとすれば、後者は明星の中華三昧シリーズといったところか。
それから、月に一度はアヤカと会った。お互いに、会いたい気持ちを我慢しないといけないことは相当あった。なにしろ、会いたくても会えないのだから。ゴムはしたりしなかったりだった。その日の流れによる。
社内でばったり会った時は、すれ違いざまにアヤカが俺の腕をコツンと触っていく。俺も触り返す。それがサインのひとつだ。
そんなこんなで、さらに一年が経過した。アヤカとは、やっぱり月に一度は会っていた。そんな折、同期社員のライングループでアヤカが投稿した。概ね以下の感じだった。
それに対して、同期の女子は「綾香ちゃんが気にするのおかしいよ。大事なことなんだから」で論調は一致していた。
子どもが二人目……おめでたいなと感じた。当時の俺は、30代に入った頃だった。こうした経験は三度目だった。最初は大学生の時で、二度目は……新卒で会社の新人時代だったっけ。
約一年度、アヤカが生んだ子をラインのトークルームで見ることになった。可愛い女の子になりそう、というのが感想だった。やはり鼻がアヤカに似ている。俺には似てないと感じた。
年月が経って今、その赤ん坊は4才になる年だ。その頃には東プレを退職して、その近所にある別業種の会社で営業の仕事をしていた。
今年、所用で府中にある公園の花見スポットの写真を撮影している時に偶然みかけた。アヤカと、旦那さんと、男女の子ども二人が花見に来ていた。桜の下で弁当食べるんじゃなくて、ただの散歩のようだった。
その頃にはもう、アヤカと会ってなかった。それが花見会場でばったり会って、「あー、増田くん。久しぶり」という具合に、昔と変わらない様子で話しかけてきた。お互いに年を取ったものだ。「お疲れ様です」と言って俺は、その4才くらいの女の子を見た。
ルックスの感じは、なんかこう、俺にはたぶん似ていない。そういうことにしておいてくれ。俺は、旦那さんに会釈をすると、彼もちょっと会釈をした。「こんにちは」とあいさつをしたら、向こうも暖かい笑みを返してくれた。
「僕はもう違う会社ですけどね。優秀でしたよ。よく助けられてました」
「へえ、意外でしたね! 家ではおっちょこちょいなんです笑」
こういう人は、大抵いい人だ。俺にとっていい人であるのはもちろん、みんなにとっていい人である。
それから彼は、別の方に歩いて行った。アヤカを見ると、男の子を連れてカモがたくさんいる池の方にいた。
女の子が置き去り気味だった。俺は、女の子に「お母さん優しい?」と聞くと、「やさしい、です」と返ってきた。
2人目は……とその前に、当日記をお読みの方は、俺が若い子が大好きといった印象をもたれたかもしれない。実際そんなことはない。どちらかというと若い子が好きだが、40代以降の人だって、この人いいなと思ったらアタックする。※2人目と3人目は東プレ時代の同じ会社の人
二人目は、同じ会社の隣の部署にいた女性だ。ミキさんとする。この人は、いわゆる臨時雇いの人で、パートさんだった。以前はアヤカのいる部署で働いていて、そこから当時の俺がいた部署と同じ階に異動になった。弊社はフリーアドレス制ではないが、仕事を普通にこなしていて、ほかの部署の社員が見えることが普通にある。密室感がなくて、開かれてる感じがする。
ミキさんは、実際まじめな人だった。電話応対は超丁寧だし、連絡や報告は密にするし、ちょっとドジなところがあるけど、そこも愛嬌だ。なんか、みんなのマスコットキャラだった。
で、ミキさんがたまに、高校進学を控えて受験勉強してる娘さんの話をすることがあったんだけど、その家族の話がまた、その、あったかい感じがしてさ。俺が機能不全な家庭で育っている(父が家庭に不在、母が精神病質、妹が身体障害者)から、羨ましい感じがして聞き入ることがあった。
ある飲み会の時だった。都内で飲み会があったんだが、和風居酒屋での一次会が終わって外に出ると、ミキさんが一人でポツンといたんだよ。で、声をかけると色々話が盛り上がって、二人でどこかに飲みに行くことになった。
終電まで余裕があった。今度は二人で洋食ができるお店に行って、内容に満足して(ペペロンチーノ風やきそばが美味しかった)、駅までの微妙な幅員の車道兼歩道みたいな通り道で、ちょっと手を繋いでみたんだ。
ミキさんは黙って握り返してくれた。それで、こんな感情が頭に浮かんだ。
『この人は旦那さんと娘さんが二人いて、それで円満な家庭で、そんな人と繋がることができる自分は……光栄の極みだ』
当然、そんなことを口にはしなかったけど、そういう視線を自分よりも一回りは背が小さい、今まさに隣を歩いているミキさんに向けていたのを思い出した。
ここまで鮮明に思い出せたのは、その時の街並みをスマホで記念撮影していたからだ。
ミキさんは、すごく甘えん坊だった。一応増田はR18のはずなのでザックリ言うと、ベッドの中ではとにかく抱きついてくる。挿れてる時も、そうでない時も、ダッコちゃん人形みたいにくっついてくる。それで、くりくりとした丸い大きい目で俺を見つめるのだ。
モテる女性ってすごいよな。40代半ばになっても可愛いんだから。ほんとにすごいよな。その日の性行為は、やはりお互いに初めてだったので、手練れの忍者がつばぜり合いの接戦を繰り広げる時みたいに緊張感のあるセックスだった。
最初のセックスから飛ばすやつは愚かだと思う。個人的な考えに過ぎないが。やはり最初は、慎重にいくのがいいと思っている。
ミキさんとは、それから二回だけセックスをした。いずれも職場単位での飲み会の後だ。その後、ミキさんが元の部署に再異動になってからは、たまに社内ですれ違うくらいで、外では一度も会ってない。一度だけ、ゴムなしでしたけど、そういうことにはならないだろう。年上の人だと安心できる。
3人目は、よし子とする。名前に美という字が入っていて、それが示すとおり心がきれいな子だった。
見た目はすぐに飽きる。人柄のいい子が一番いい。美人な子とセックスできても、「愛してる」って感じがしないと、やっぱりだめだ。心がつながってる感じがセックスの醍醐味のひとつだろ(上から挿れながら手を繋ぐのが好き)。
よし子は当時、総務部門の新入社員(中途採用で30過ぎ。旦那あり、子どもがひとり)だった。ある時、会社の展示イベントで一緒になった。同じブースの担当になって、来場者の案内をしたり、チラシを配ったり、舞台に出る人の順番を指示するなどしてた。
最初から、いい子だっていうのはすぐにわかった。根拠はない。ただ、笑顔を見て、こいついい奴だなって、そう思ったのだ。左手の薬指には銀色のニーシンクっぽい指輪をしていた。
イベントが終わって、すっかり暗くなっていた。だが、テントや長机や椅子を片付ける必要がある。時間的に厳しかった。
ブースの片付けがようやく終わって、トイレに行って、ほかのイベントブースを手伝おうとして俺は、防犯灯がポツポツと灯っている都市公園の中を歩いていた。それで、中央ステージの前まで来たところで、すぐ前をよし子が歩いてたんだ。
俺が追い越そうとすると、「うわっ」て感じでよし子が驚いた。変質者を警戒してたんだろうか。橋本環奈みたいな雰囲気の子だったから、そういう被害に遭ったことがあるのかもしれない。
「あ、増田さんだったんですね」
「そうだよ。変態じゃなくてよかったな」
「うん、本当よかったよ! 増田さんで」
「……」
やり取りを交わした時に、この子とずっと一緒にいたいなぁ、と心の中で思ったのだ。その直後、「忘れ物した!!」と、よし子が真後ろに向かって駆けていったのを覚えている。
それから、たまに仕事でやり取りをするようになった。国の補助金をもらってる仕事の関係で、当時新商品だったMac専用キーボードのCAD図面を提供したりだとか、こっちの部署で予算の算段がつかない時に相談に乗ってもらったりとか、いろいろあったな。
今頃みたいに寒い時期だった。会社を出ようとすると、めっちゃ寒くて、自動車までの遠い道のりを歩き出そうとしていたところ、後ろから「お疲れ様です」と、よし子に呼び止められた。
二人並んで歩いていて、「よし子さんの仕事は忙しいですか」とか「増田さんはいつも土曜日にいますよね~」とか、いろいろ話をした。よし子はよし子で、小学生の子育てが難しい状況らしい。旦那さんともうまくいっていないとか。口喧嘩になったら罵られることがあるという。暴力もあるって……マジかよ。
結局その日、よし子とご飯に行く約束をした。人に見られたくないから、夜にしようかという算段をした。ラインではなく、ショートメッセージでのやり取りを提案された。
それからは早かった。人類最速の不倫だったかもしれない。その二日後の土曜日には、府中駅のペデストリアンデッキを降りて、近くにある寂れた人目のない通りにある昔風の食堂でご飯を食べて、仕事や家庭の愚痴を言い合って、店を出た後は、お互いにわかっているかのようにシティホテルの方に歩いていた。
よし子は人懐っこかった。性行為をしている最中も子どもみたいな笑顔で、唇をいろんなところに当ててくる。こっちも負けじとやり返すと、「くすぐったい」と笑うのだ。
よし子とは、月に二度は会っていた。幸い、旦那さんにも会社にもバレることはなかった。俺とよし子は同じ区内に住んでたんだが、その界隈では絶対に会わなかったし、ラインでのやり取りもしなかった。
年度明けのGWが終わった頃、よし子が妊娠した。同じ職場の人に惜しまれつつも産休に入った。普通は愚痴を叩かれるものだが、よし子にそんなことはなかった。
やはり、人間は人柄だと思う。人柄がよければ人生は大抵どうにかなる。よし子からは、そういうことを何度も教わった。
今回、俺自身の考えや記憶を整理してみようと思った。いろいろと語ってきたが、増田民の暇つぶしになることができただろうか。
やっぱり、俺が好きになるのは人の嫁ばかりだ。恋人同士でもいいんだろうけど、心がいまいち燃え上がらないし、そもそも出くわす機会がない。
自分に子どもは何人いるんだろう、と思い巡らすこともある。考えないようにはしているのだが。コロナが流行り始めてからは、セックスなしの、心がつながってる感じの恋愛に燃えることもあった。
性行為がなくても、普段の話をしてるだけで、「あ、この人俺のこと好きなんかな。俺も好きだな」って時が稀にある。そういう時に、生きていてよかったと思う。
森奈津子好きだったんだよなあ
子供の頃、漫画は読んでたけど、文章主体の本ではじめて読んだのは多分森奈津子のお嬢様シリーズ
主人公の綾小路麗花は、古典的な少女漫画を読んで、けなげで清廉な主人公よりも、きらびやかで意地悪で最後には潔く負けを認め「フッあたくしの負けよ」と言うような悪役令嬢に心惹かれて悪役令嬢をロールプレイしている
綾小路麗花はお金持ちのお嬢様なので、悪役令嬢の方が境遇が近くて感情移入して悪役プレイをしているが、根は育ちがよくお人好しなので悪役プレイにボロが出まくる
爽やかイケメンな彼氏や百合な従者やホモや男の娘が出てきてわいわいやる楽しい学園ラノベ
不登校になった時期があるため、不登校児が題材の「グースカ夢見る問題児」には救われた
不登校児たちが夜に眠ると、夢の世界の架空の学校に集められ、北海道や沖縄など遠く離れたちに住む子供たちがその学校内で交流を持つという設定が、インターネット普及前の時代に斬新に思えた
今だったらSNSで他県の子とつながるのなんか簡単だが、あの時代は雑誌で文通相手募集するぐらいしか手段なかったんじゃないか?
お嬢様シリーズはレモン文庫という学研のレーベルから出版されていたが、1996年にレモン文庫は突如消滅
森奈津子はお嬢様シリーズの連載構想がブツ切れになり、他に拾ってくれるラノベレーベルもなく「ラノベ界に棄てられた」と感じたという
ラノベに見切りをつけ、レズビアン寄りのバイセクシャルであることをカミングアウトし、百合小説を執筆するようになった
東京のセクシャルマイノリティの事情について語るエッセイなども発売
「女性はセックスについては語るがオナニーについては秘す。もっとオナニーについて語れ。私は女性がオカズにできる本を書く」
と官能小説を書き、また百合が精神性重視のものが多い中で官能百合を書く
百合SF、エロSFなどを手掛け、「SFの定義についてうるさい奴がいるが、エロ本はチンコが勃てばエロ本なのである、SFチンコが勃てばそれはSFなのである」と主張
小説業界の中で森奈津子は「おもしれー女」として扱われ、ミステリ作家の西澤保彦は森奈津子を主人公とするナツコシリーズを出した
百合ジャンルやTL小説はその後盛り上がっていくが、森奈津子はそのムーブメントの中央にはいられなかった
悪役令嬢ものが早すぎたように、ジャンル自体への需要はあってもいまいち世相と噛み合わず第一人者にはなれなかった
バイなのだから異性とも恋ができるのは当たり前なのだが、「ビアン寄りのバイ」としてのキャラ立ちは失った
「女が男と恋愛して男と結婚するなんか普通じゃん、所詮なんちゃってじゃん」という扱いになる
ビアンやバイやノンセクとして活動していた女が普通に結婚して、経済的安定を得て家庭の中に埋没して表舞台から消えていくのはよくあることだ
だが結婚してしばらく、森奈津子の夫は重度身体障害者になってしまった
そんな身の上になった森奈津子からすれば、「若くて健康だけどセクマイだから辛い」「セクマイにも安定した結婚生活を得る権利を」などと言っている、かつての仲間は甘えたクソガキにしか見えなくなったのだろう
かつてはセクマイの集まりの中で生きていたのに、「同性婚は不要だ」と言い切り、その手の活動家を批判する側になった
その手の活動家の中に過激で頭がアレな奴がいることは確かではあるが、明らかに矛先は「一部の過激な奴」だけではなく穏健派にも向けられている
小説「耽美なわしら」の中でノンセクを肯定的に描いていたのに、今や「異性婚しない独身おじさん」すら叩いている
「普通に男と結婚した」ことでフェードアウトしていったかつての支持者への当てつけで、「普通に結婚できない同性愛者・独身主義者・非モテ」は敵になったのだ
そういう活動によって本を出したり団体活動したりで生計を立て森奈津子は夫との暮らしを送ることができている
「あなたの発言はLGBT差別では?」と言われたら「いえ、私はLGBT当事者です」と森奈津子は答える
作者を嫌いになると作品も自動的に嫌になって避けるタイプなのだが、それは作品の方もそれほど深く好きだったわけではないから起こる現象で
森奈津子本人は今は明白に嫌いにはなっているが、作品を愛好していた時代のほうが長いので、お嬢様シリーズは今でも好きだ
レモン文庫崩壊前、作家として食っていけるようになり希望を持っていた頃の森奈津子は今の森奈津子とは別人のようだ
今の森奈津子の全てを否定するわけではなく、一理あると感じた発言もないではないが、がっかりすることの方が多いのでブロックしてなるべく見ない
だが最近新しく裁判やってるそうでスクショが流れてきて森奈津子を思い出す
ヘイト界隈って不寛容の極みであるように言われるけど、淫夢界隈と似たようなもんで「合言葉」を一緒に唱えさえすれば誰でも受け入れてくれるというある種の寛容さはある
反ヘイトの集まりなんてのはすぐ正しさを巡り喧嘩するけど、ヘイトの集まりはそうでもない
ラノベやセクマイやSFやら、あちこちで排斥された者でも受け入れてくれる寛容で優しい人達のもとで居心地はいいのかもな
綾小路麗花は結局は優しいお人好しで、誰かと対立しても最終的には和解するいい子で、金網に風船が引っかかったとかで泣いてるガキがいたらエナメルの靴をガビガビにしてでも金網登って風船取ってやるんだよ
ADHD持ちの男だけど、他人からもらったものを失くすのって割と申し訳なく思うし、自分だったら謝るので、「ごめん」の一言が出てこない彼女さんはどうかと思う……けど。
1について。根本的な問題として、謝罪は自己肯定感を削る。俺はADHD持ちのくせに院を出てからうっかりお役所に就職してしまったせいで毎日のように上司から何がしかの怒られが発生してるんだけど、それに対して毎日のように「すみません」と言わなきゃならないっていうのは割と心理的にキツいものがある。今んとこは耐えてるけど、「っていうか専門知識のある人募集とか言っといてちっとも専門知識要らねえ書類仕事ばっかじゃねえか!」みたいな不満はあるし、正直一刻も早く転職したいし、「なんでこの程度のくだらないことで怒られなくちゃいけないんだ」という気持ちがムクムクと芽生えることもある。俺はまだ耐えてる。けど、耐えられなくなって「絶対に謝りたくないでござる!」ってなっちゃう人も一定数いると思う。ここでは仕事の例を出したけど、仕事に限らず、ADHDの人は日常生活でポンコツ動作ゆえに怒られが発生することが他人より多いので、学校とか家庭とかでの積み重ねによってそういう心理状態になっているのかもしれない。この場合は、彼女さんが日常的に「ごめんね」と言えるくらいになるまで自己肯定感を高めるしかないし、元増田はそれに根気強く付き合う or 別れるしかないと思う。どうすれば自己肯定感が高まるか? それは知らない……
(ネットでたまに叩かれる「傲慢な身体障害者」もこれでしょ。健常者がお礼も言わずに駆け上がってる階段を上がる度にいちいち「すみません,ありがとう」って言う生活を送ってたら、ある日プツッと来て「介助を受ける当然の権利があるんだからいちいちお礼は言わない。健常者だって階段使う度にお礼なんて言ってないだろ」っていう心理状態になっちゃう人がいるのは理解できる)
2について。本気で「これは病気のせいで私は悪くないもーん」と思ってる人間の可能性がある。その考えに一定の理はあるけど、個人的には別れた方がいいと思う。
(病気由来の挙動について、当人に対して過剰な責任を求めるのは規範論的に間違っているとは思う。たとえば伝染病を他人に移してしまった場合でも、炭疽菌テロのような故意犯でないなら、それは基本的にはその人の責任ではない。その人に責任を負わせようとするのは倫理的に間違ってる。……けど、そうだとしても普通は「申し訳ない」という気持ちが浮かんでくるもんじゃない? いやもちろん規範論としては申し訳ないと思ってなくてもいいんだけどさぁ……)
3について。元増田も承知のように、ASDを併発していると、独自の論理でものごとの善し悪しを判断していることがある。「あなたからもらったとしても、もらった時点でそれは私のものになるのであり、私がそれをどう処分するかは自由であって口を出される筋合いはない」とか(これはあくまで例で、実際に彼女さんがどういう論理を持ってるのかは知らない)。いや、自由主義とか法律とかの関係ではそうで、もらったプレゼントを即座に売り払ってそのカネでスマホゲーのガチャを回しても完全に合法なわけだけど、そういう法律の論理を対人関係に適用するのはどうなのよ? ……という判断が苦手なのがASDの特性であって、それはもう増田が健常者エミュレーション(https://healthy-person-emulator.org/)に付き合ってあげるか(以前こういう増田→anond:20230927002433があったけど、こんな感じで)、対ASD用の付き合いを身につけるか(たとえば、プレゼントを贈らない。失くしたことを悪いと思ってない本物のASDなら、プレゼントを一切贈らなくても気にしないんじゃないかな)、別れるかを選ぶほかないと思う。
そんなどーでも良いことで、Xが盛りあがっている。(画像は記事にある(https://www.kanaloco.jp/news/social/article-1042398.html))
ぶっちゃけどっちでもいいんだが、杖をついていたと確定した模様(この動画に謝罪シーンが映っている(https://m.youtube.com/watch?v=JidKF_fbU9E&feature=youtu.be))
ここで謎が残る
画像のサイズから、何故か杖が見切るようにトリミングしてあると推測されるが、なぜわざわざそんなめんどくさいことをしたのだろうか。
また、何故かColabo擁護派は一斉に「三脚に違いない!」などとしていたが、それはなぜだろうか。(例:https://twitter.com/komichi2/status/1735960457188388909、https://twitter.com/nomad08172782/status/1735945665979793750、https://twitter.com/asano2370/status/1735539443308900710のリプライなど)
というより元画像を見ても杖のように見えるんだが、NHKの偉い人が杖をついていたら何が都合が悪かったんだろうか。人は見たいものしか見ない実例として記録に残しておきたい。
ブコメ。
なぜって暇アノンが「杖の人に謝らせるなんて」とコラボを攻撃するから、一部の人が三脚かもしれないと反応したからだよ。アンミカの件と同じで、もう何でも難癖つけてくる。恥ずかしくないのかね?
なら、何故写真をトリミングしてまで杖が映らないようにしたんだろうね。
攻撃されたから三脚としたんじゃなく、はじめからあえて杖を見えなくしてるんだよ。時系列が逆転してるよね
“写真をトリミングしてまで杖が映らないようにした”は当初増田の想像だったはずが追記時点では事実と認識されるようになっていて、“人は見たいものしか見ない実例”になってるのはとても興味深いですね
その後の検証でトリミングないし加工してあることがほぼ確定したからだよ
よく分からんけど、身体障害者に謝罪させてはダメなの?NHKでその人がそういう仕事に従事してる(何らかの責任者だろう)のならその人が謝罪するのが順当だし、障がい者に謝らせるなんて!と言うのも職業差別なのでは?
別に問題ないと思うけど、一定の配慮は必要だよね(障害者差別解消法上の「合理的な配慮」)。例えば着座しての謝罪とか。
杖をついた人に対して出せたまま対応したことについて、人権侵犯事件とされたこともあるし(京都法務局)
それに、「三脚に違いない!」って騒ぎ出した人たちがいるんだよね、後ろ暗いところがあったのかな?
それにしてももう少し余裕持って考えたら?と思う事多いな。いやお前、暇アノン発生してるのに個人は危なくてこういう絵面出せる訳ないやんけ。/暇空の界隈、ヤクザのような因縁のつけ方するよなあ。
少なくとも本件について因縁つけた方はつけられた方は逆だよね
https://news.yahoo.co.jp/articles/397cd07957d400cabb8b5372c1d6f799895b9e9f
YahooNewsの記事読んだけど相変わらずすげーよね。
初報では分からなかったけど、謝罪している人は杖をついている身障者っぽいよね。
さすがにそのまま報道するのは仁藤夢乃さん達が悪者に見えるという「配慮」だったのだろう。
性別を逆にして考えてみると
「イケハヤみたいな気持ち若めの男が、杖をついている脚が若干不自由な50~60歳前後の女性にスリッパを脱がせて深々と頭を下げさせ謝罪させている」
という、炎上待ったなしの非常にグロテスクな行為なんだけど、性別が逆なだけで、このグロテスクな晒し行為が正当化されるのが本当に不思議だ。
身体障害者よりも『女性』を配慮しなければならない、という事なのだろうか?
ところで「加害者に成功体験を与えて~」とか言ってるけど、仁藤さん側も暇空(と支持者)に対し、記事内でもXでも好き勝手言ってるよね。
中には名誉毀損になる様な酷い発言も結構あるよね。そういう面では仁藤夢乃さんサイドは決して被害者では無く、加害者の側面があるとも言える。
それに騒動のきっかけとなった温泉むすめバッシングに関しては、完全に仁藤夢乃さんが温泉むすめプロジェクトに対する「加害者」だよね。
一方的にケチをつけ、設定に難癖つけて、性犯罪を助長だの児童ポルノ的だの事実無根の中傷をして、温泉むすめプロジェクトは対応に追われるだけでなく
受賞を辞退させられたり関係各所に謝罪して回る羽目になったりした上に、今でも熱海のあっつんみたいなシンパが温泉むすめに対しバッシングする嫌がらせする被害が続いているんだからさ。
普通は責任取れよとか思うけど、全てが許されるのが『女性様』という属性なんだよね。
女性は差別されてるどころか、社会全体を差別「する側」に立っている構図だよ。身体障害者を一方的に晒し者にする解同しぐさしても、倫理的には問題無い扱いなんだから。
どう見ても「私達に逆らったらこういう風に全国的に晒し者にしてやるよ」というアピールなんだけど、それでも許されるどころか弱者の被害者様として扱われるのが『女性様』。
https://x.com/simon_sin/status/1727586091136618859?s=46
「一度車椅子や松葉杖の生活をしてみたらわかると思うんだけど、一日に500回くらい「すいません」「ありがとうございます」と言わないと生活していけないのは心を病むので仏頂面のまま譲られて当然みたいな顔で座って頂いて結構です」
というこのツイート。
まあ言わんとすることは分かるし、これはこの人なりの障害者に対する優しさなんだろうけど。あと、「感謝しなければ、愛想良くしなければ(?)助けてもらえない」みたいな状況に苦しんだことがあるのかもしれない。だからこの人を批判したくはないんだけど。
でもこれはどうなんだろうなーと思う。
この人は車椅子・松葉杖=弱者、と思いすぎなんじゃないかという。かわいそうな存在というか。
うまく言えないけど、身体障害者でも普通に日々暮らしてるし。俺も普通にSEやってるし。
普通に人間同士だから助けてもらったらありがとう、でいいと思うんだけど。難しく考えすぎというか。
むしろ俺は助けてもらったら過剰すぎるレベルで感謝するようにしている。実際気持ちがめちゃくちゃうれしいのもあるし、車椅子の人間を助けるのって勇気いると思うんだよ。「なんか助けたいけどどうすればいいかわからんしむしろ迷惑になるんじゃないか」と思ってる人が大半な気がしてる。
だからその勇気を出してくれた人には最大の感謝を示して「勇気出してよかった」と思ってほしい。そしてほんとありがとう。
あと、障害者はすみませんよりありがとうと言うことで自分の精神も周りもよくなると思う。
ごめん、文章下手で伝わってるかわからないけど、とりあえず何かしてもらったら感謝するというのはどんな状況でも普通のことだと思うよ。
こんな記事があった。
https://togetter.com/li/2258996
まとめるとこう
なんだけど、これ、あんまり良くないよね。美談じゃ無いと思うのは俺だけ?
地元の作業所でもクッキーなど焼き菓子を作って販売してるけど、全然違う。
どうやらどこかの洋菓子屋さんが監修についてるみたい。
障害者が作った奴だから、安く売らないと売れないってのじゃ結局それ旨く言って無くないか?
そして、価値に相応しい金額を決めて、プロデュースして売るのは施設側の仕事だと思うけど、それ面倒くさがってるだけじゃないの?
とどうしても思ってしまう。地元の作業所は、精神障害者系と、身体障害者系の作業所がくっついており、企業の特例子会社も事実上一緒になってやってるところだから、恵まれているのかもしれない。
しかし、障害者の作業場だからといって安く販売してちゃ、いつまでたっても社会の一員にはなれないのでは?
それって、作業所に出される補助金で間接的にダンピングしてるわけだし、補助金を購入してる人に垂れ流してるとも言えるよねと。